時計バト


 ハト時計はハトみたいな時計のことだ。半時間ごとにくるっぽー、などと鳴き、ミニチュアのハトが顔を出す。それはハトに似ているけれど、本質は時計であるのだ。
 そして、それと同じ理屈なのだ、と私の目覚まし時計は続ける。自分は時計バトだ。かちこち鳴るし、文字盤もついてはいる。確かに時計のような外見であることは認めよう。けれど、自分の本質はハトなのだ。
「どこがどうハトなんだ」
 私はそこで言った。目の前の自称時計バトは、不服そうにヂヂヂとベルを鳴らした。
 本質がハトだから、どうしても朝早く目が覚める。外に出たい、空を飛びたいという思いが消えない。奴はそう主張した。
「ほーう。それで設定してもいない早朝に鳴りだしたりするわけか」
 私は一度目が覚めると、もう二度寝できない性質だ。…時計バトのこの悪癖には非常に迷惑している。
 そうだ。自分は時計ではない。ハトなのだから好きな時に鳴く。
 言い切った時計バト。ヂヂヂとベルを鳴らしだす。私はベルのスィッチを叩き切った。
 何をする。
「黙れ時計」
 時計バトだ。
「いや時計。お前は単なるト・ケ・イ。正確正直がウリの機械だよ。ちゃんと言う通りに仕事しないなら買いかえてやるから」
 貧乏人のくせに。
「うるさいね。これでもあんたの主人だよ」
 私は言いつつ、時計バトを文字盤を下にして伏せた。時計バトはくぐもった声でまだ何か言い続けていたが、もう知ったことじゃない。

 時計バトは夜早く寝る。日が沈むと同時に寝る。秒針は眠っている間でも動き続けるが、ベルはこちらが設定して使おうとしても鳴らない。ハトは夜鳴かないと奴は昼間言い張っていた。
「どうしたもんだかね」
 学校から帰って、朝うつぶせたままの格好で眠っている時計バトを見、私はため息をついた。
 かんにんしておあげ。かわいそうな時計バト。きっと産湯が熱すぎたんだねぇ。
「時計に産湯も何も」
 いきなり喋りだした机の上の万年筆に、私はすかさず言った。万年筆は、老人特有の「都合の悪い事は聞こえない耳」を活用して私の主張を聞き流した。
 とにかく、あの時計は病気なんだよ。買いかえるなんて非道な真似をしたら、この家中の道具がストライキを起こすよ。
「脅迫なんて生意気な。こっちの身にもなってよ、バカ時計抱えてさ」
 私がぐちをこぼすと、万年筆は少しの間黙った。何か考えているような、意味ありげな沈黙。
「何?」
 いいかい、よくお聞き。時計バトを普通の目覚まし時計にする方法さ。
「早く言ってよ、そういうことは」
 話の邪魔をするんじゃないよ。…荒っぽいやり方だからね。時計バトが眠っている間に済ましちまった方がいい。あの子自身も普通の時計として生きる方が幸せだろうしね。
「もったいぶんないでさぁ。言いなって」
 私は万年筆をペン先を下にして振り回した。やめておくれ、インクが出ちまう、と万年筆は悲鳴を上げた。
 電池を抜くんだ。そして三日三晩放っておく。次に電池を入れた時には、今までの記憶はさっぱり消えてただの時計になる。
「ほーう。いいことを聞いた」
 私はにやりと悪者の笑みを浮かべて、万年筆を解放した。そして、何のためらいもなく時計バトを引っ掴むと背中の蓋を開け、電池を抜き取った。かちこち、かちこち、という秒針の音が消える。
 その時の私には、これが第二の悲劇の始まりであることを知るよしもなかった。

 時計バトは生まれ変わった。それはもう、とても生真面目な単なる時計になった。朝はちゃんと言う通りに鳴るし、第一、言葉遣いが丁寧だ。
「時計、明日は五時起きだからよろしく」
 わかりました。おやすみなさいまし。
「お休みー」
 私は上機嫌だった。万年筆が夜中に不吉な事を言い出すまでだったが。
 起きておくれ、起きておくれ。話があるんだよ。
 筆箱の中でしわがれた声をはりあげる万年筆。時計はもう眠った後らしく何の反応も示さない。ただ秒針がかちこちかちこち。
「明日、朝早いんだって。寝かせてよ。」
 時計のことなんだよ。様子がおかしいんだよ。
「だからさー……。電池抜いて記憶を消したんだって。様子も変わるよ」
 違うのさ。その記憶が戻りかけているかもしれない。
 私は布団をはねとばして起きた。何か聞き捨てならないことを聞いた気がする。
「あい べっく ゆあ ぱーどん」
 何だいそれは。
「何でもない。何?時計?」
 昼間ね。あんたが出かけている間なんだけど、いやにぼうっとしているんだ。よく聞いていると、"自分は何かを忘れてる""忘れてる""忘れてる"って延々小声で呟き続けているのさ。怖いよ。
「それは怖いだろうけど。まだ思い出してはいないんだね、奴は」
 ……時間の問題だよ。恐ろしいねぇ。ハトになりたいって思いが強すぎるんだねぇ。電化製品の秘術を使ったんだけれど。
 私は万年筆を掴み出すと、キャップを外した。ペン先に手をかける。
 何をしようっていうんだい!
「それで?解決方法は知ってるんでしょーねぇ」
 言いつつペン先を引っ張る。ぎぇーと万年筆は悲鳴を上げた。
 やめておくれ、壊したりしたら万年祟ってやるよ!
 ちょっと怖かったので、放してキャップをしてやった。万年筆はへぇ、と呆れたように言った。
 方法なんて知らないよ。ただ、できるだけ鳥だとか窓の外だとかを時計に見せない方がいい。記憶が戻る引き金になっちまう。
「まあ基本的に屋内で使うものだから。置き場変えておくけど」
 私は時計を、枕元のチェストの上から奥の本棚に移動させた。
 あたしも秘術を教えた責任があるからねぇ。気をつけて見ておきはするけど。
「あーあ。全く手間のかかる奴だよ」
 万年筆と私は、揃ってため息をついた。

 時計が新たに生まれ変わったのは、その次の日だった。
 全ては隣のスーパーのせいである。もしくは、安売りだからってアレを大量に買ってきた母のせいである。それでなかったら、ひと手間加えた方が美味しいなんて言ってアレを焼き直しはじめた父のせい。いや、最終的に…うっかりドアを開けっ放しにして、アレの香ばしい匂いを部屋に入れた私の責任か。
 時計はその匂いを嗅いだとたん、記憶を取り戻したのだ。しかもかなり歪んだ形で。
 自分は昔、ハトだった。そうだ、時計バト。時計バト!
 時計はそう叫びだした。
「時計、あはははははははは。何を言って」
 私はひたすら笑ってごまかそうとした。それは一瞬だけうまくいった。時計はぴたりと黙り、今度は低い声で言った。
 昔、時計バト…でも今は違う。自分は一度死んだんだ。時計バトだったけど、死んだ……。
「と、時計?」
 死んだけど、今ここにいる。一体自分は……。
 そしてまた黙る。ネジが切れたように。なんか悲痛な上に嫌な予感がした。階下からはふんわりと甘辛いタレの匂いが漂ってくる。
 ああ、そうか!
 叫んで時計は、ジリッと震えた。
 この香り、そうか、今、自分は――!
 私は頭を抱えた。時計はとうとう新しい自分を発見してしまった。
 自分はヤキトリ、時計ヤキトリなんだ!
 奴は高らかに、そう宣言したのだった。

 今、そんなわけで私の時計は時計ヤキトリである。毎日毎日、「早く食え、腐ってしまう!」とうるさい。万年筆はあれ以来だんまりを決めこむし、私は非常に困っている。

                                                 【終】


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