成瀬映画に登場する風景

『浮雲』(1955年) G-1 NEW 2024.5.20


映画の冒頭で、ゆき子(高峰秀子)が富岡(森雅之)の家を訪ねるシーン。
表札には「渋谷区代々木上原1-56番地」とある。
おそらく誰もがこれは撮影当時(『浮雲』公開は1955=昭和30年1月15日なので撮影は前年の1954=昭和29年)の
代々木上原のどこかの住宅の外観のロケーションだと思うだろう。管理者もそう思っていた。

実は、この富岡の家及びその前の高峰秀子が一人で歩いて来る場面及び
家を訪ねた後に高峰秀子と森雅之が一緒に歩く場面のロケ地について新たな証言がある。

本HPにもたびたび名前を出させていただいている、『杏っ子』から『乱れ雲』までの成瀬作品のうち
8本の助監督を務めた石田勝心監督(2012年2月2日 79歳没) の
遺稿集「成瀬巳喜男・海面の波 海底の波」
-助監督の観た師匠の映画-(2013年8月31日発行 私家版)のP132
に記述されている。

この遺稿集は、石田夫人から管理者が相談を受け、石田監督が生前管理者へ私的なメールで
送ってきていただいていた文章を中心に、管理者が編集協力してまとめたもの。
成瀬組のスタッフ、キャストや石田監督の友人などへ配った私家版だが、国立国会図書館にも1冊献本している。

最近、読み返す機会があり、その時に「こんなことが書かれていたんだ」と気付いた次第。


    

 

その部分を以下引用させていただく。前述遺稿集 P132 石田勝心監督による文章
〜(略)〜
この畑道は、撮影所正門から祖師谷大蔵駅に行く道で、『浮雲』でベトナムから
帰った高峰秀子が、初めて森雅之の家を訪ねて行くロケに使った家の前の道だと、
『浮雲』のセカンド助監督だった松森健監督に聞いた。ただしその後森が出て来て
二人で会って話す道は、新宿十二荘(社)で撮ったとのこと。敗戦10年経って、
さすがに焼け跡が無くなったからであろう。
〜(略)〜


撮影所正門から祖師谷大蔵駅に行く道(画面写真-表札の家)は不明で
現地調査にも行っていないのだが(近いうちに行きたいと思っている。痕跡は無いだろうが・・・)
この後の二人の歩く道や坂道のロケ地らしい新宿十二社(渋谷区本町〜新宿西新宿界隈)は
最近頻繁にロケ地情報提供してくれている知人のSさん(匿名希望)が、この情報を基に
画面写真を当時の航空写真等も含めて詳細に分析してくれて、
ここではないかという推定場所を特定してくれた。
先日管理者も一緒に現地調査に出向き、ビデオと写真撮影もしてきた。

ロケ地推定場所の画面写真と現在の写真+グーグル地図については
近いうちに本ロケ地ページ『浮雲』G-2で紹介する予定。

なお、管理者の保有する資料(『浮雲』レーザーディスクの解説書)
によると、監督助手=チーフ助監督は岡本喜八、セカンドは前述の松森健、
サード=竹林進、フォース=小松幹雄となっている。


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