成瀬監督作品1930年代ベスト10+番外編



題名

製作会社、
製作年

主な出演者

DVD

①まごころ

東宝東京 昭和14年 入江たか子、高田稔、村瀬幸子、悦ちゃん (ビデオ化あり)

②女人哀愁

PCL+入江プロ 昭和12年 入江たか子、堤真佐子、佐伯秀男、大川平八郎 (ビデオ化あり)

③鶴八鶴次郎

東宝東京 昭和13年 長谷川一夫、山田五十鈴、藤原釜足 (ビデオ化あり)

④乙女ごころ三人姉妹

PCL 昭和10年 細川ちか子、堤真佐子、梅園龍子、滝沢修 (ビデオ化あり)

⑤妻よ薔薇のやうに

PCL 昭和10年 千葉早智子、丸山定夫、英 百合子 (ビデオ化あり)

⑥噂の娘

PCL 昭和10年 千葉早智子、梅園龍子、御橋公、藤原釜足 (ビデオ化あり)

⑦女優と詩人

PCL 昭和10年 千葉早智子、宇留木浩、藤原釜足、三遊亭金馬

⑧朝の並木路

PCL 昭和11年 千葉早智子、大川平八郎、清川玉枝、赤木蘭子

⑨サーカス五人組

PCL 昭和10年 藤原釜足、大川平八郎、堤真佐子、梅園龍子

⑩はたらく一家

東宝 昭和14年 徳川夢声、本間教子、生方明、大日方傳
番外編

腰弁頑張れ

松竹蒲田 昭和6年 山口勇、浪花友子、加藤精一

君と行く路

PCL 昭和11年 大川平八郎、佐伯秀男

雪崩

PCL 昭和12年 佐伯秀男、霧立のぼる

桃中軒雲右衛門

PCL昭和11年 月形龍之介、千葉早智子、細川ちか子、藤原釜足 (ビデオ化あり)

禍福 前篇

東宝  昭和12年 入江たか子 高田稔 竹久千恵子 逢初夢子

禍福 後篇

      〃               〃

生さぬ仲

松竹蒲田 昭和7年 岡田嘉子、筑波雪子、岡譲二、小島寿子

限りなき舗道

松竹蒲田 昭和9年 忍節子、香取千代子、日守新一、山内光

夜ごとの夢

 松竹蒲田 昭和8年  栗島すみ子、斎藤達雄、吉川満子  (ビデオ化あり)

君と別れて

 松竹蒲田 昭和8年  吉川満子、水久保澄子、突貫小僧  


 タイトル 作品評 
①まごころ 数年前の東京国際映画祭で何十年ぶりかで上映された作品。
ほとんど知られていない作品だったので、その素晴らしさの衝撃が強かった。
上映後の拍手もすごかった。二人の女の子の演技は自然で純粋そのもの。信子(悦ちゃん)は、
現代っ子のような話し方で可愛い。
小学校の校庭で信子と富子(加藤照子)の二人が泣くシーンは観てる方も切なくなる名場面だ。
成瀬監督演出の上手さは二人の少女を同じ方向に座らせる点にある。
川に向かう並木の屋外シーンの柔らかい陽射しは本当に美しい。
ラストへの展開も、成瀬監督監督得意のストーリーの省略で、あいかわらず上手い演出。
小道具のフランス人形の使い方もとてもいい。
これは最近、キネマ倶楽部でビデオが発売された。ベストワンでもいい傑作だ。


<この先追加2000.8.3>
久しぶりにビデオで観たのでそのレポートを。
ファーストシーンは駅(甲府あたりか)前広場を列を作って歩く主婦たち、婦人団体である。
昭和14年なので軍事色が強く女たちも「愛国」の運動を行っている。
幹部である浅田夫人(村瀬幸子)が言うセリフが「その件は私がプランを作っておきます」。
まだ英語は禁止になっていなかったようだ。
ちなみに村瀬幸子は、晩年の黒澤映画『8月の狂詩曲』の主役のおばあちゃんである。

次のシーンは、その婦人団体の女性二人が歩きながら浅田夫人のことを話している。
銀行の役員である夫の浅田敬吉(高田稔)は、婿養子であることが歩きながらの会話で観客に伝えられる
。こういったさりげなく筋立てを示す成瀬監督の語り口は本当に上手い。
そこにセーラー服姿の女の子二人が通りかかる。
「あれが浅田さんのお嬢さんよ」とささやく。
次は、女の子二人の会話である。
浅田の娘・信子(悦ちゃん:当時人気の子役だそうだ)と
親友の長谷山富子(加藤照子:相撲の貴の花に少し似ている:笑)が、
夏休みを控えての通信簿の話をする。
信子の早口のしゃべり方はまるで現代っ子のようだ。60年近く前の子供とは思えない。
信子は前にクラスで1番だったのが今度は成績がさがって富子が1番になる。

富子が家に帰ると着物の仕立てをして生計をたてている母・長谷山蔦子(入江たか子)との会話がある。
ここでは母の蔦子、蔦子の母、 富子の3人の「視線の交錯」が執拗に展開する。
これぞ成瀬監督の「目線の芸」の典型のようなショットの連続である。
勉強机から母親の方を振り返った富子の顔→帰宅した信子の顔が同じ位置で展開する。
これも成瀬監督得意の技法だ。
信子の成績がさがったことで敬吉と妻は口論となる。
その内容をふとんの中の信子は聞いてしまう。
敬吉は昔、今は未亡人となった富子の母・蔦子と交際があったのだが
学費を出してもらったことから浅田の婿養子になったという経緯があった。

翌日の学校で信子は富子にそのことを打ち明けるべく、
二人はスキップして学校のはずれの丸太のベンチにすわる。
白い体操着には、成瀬監督得意の「木漏れ日」がかかる。
信子は「私のお父さんは本当はあなたのお母さんを嫁にしたかった。
そしてあなたのお母さんも私のお父さんのところにお嫁にきたかったんですって」と富子に伝える。
そのことを打ち明けられた富子は泣き出す。
心理分析すれば、自分の知らなかった母親の秘密、大人の世界を知ったことに対する
軽いショックのような子供の気持ちといえるであろう。
富子の涙を見て「困っちゃったなぁ」といいながら、自分もしくしくと泣き出してしまう信子。
向き合うのではなく、丸太のベンチで背中を同じ方向に向けながら泣く二人が
ロングショットで映し出される。
胸が熱くなるとても素晴らしいシーンである。

富子が走って帰宅する途中の屋外シーンが続く。
家に帰って母と夕食をすませた富子はごろりと横になって母親をじっと見つめる。
その後に「わたしのうちつまんないなぁ。お父さんがいないんだもん」とつぶやく。
どうしたのかという母親の疑問に答えて、信子から聞いた話を話す。
・母親の蔦子は「敬さんが」と何気につぶやく
・富子のアップ「何故、敬さんなんて呼ぶの」
・富子の言葉に動揺する蔦子のアップ
・泣き出す富子。
この連続ショットはとてもスリリングである。
日常生活に起こるちょっとした事件をサスペンスのように感じさせる成瀬演出である。
ここで祖母から「お前のお父さんは飲んだくれのどうしようもない男だった。
お前は母親に親孝行するんだよ」と諭される。
素直に従う富子も善い子だ。

富子は水着を着て川に遊びに行く。途中の田園風景が美しい。
川には信子がいて父の敬吉も一緒だと伝える。つりをしている敬吉を富子はじっと見つめる。
信子は川で足を切って怪我をする。
富子は家に帰って「包帯」と「薬」を取りに行って、蔦子も一緒に川に治療にくる。
敬吉がいることを知らずに。川に着いた蔦子は敬吉から挨拶をされる。
二人の会話をじっと見つめている富子。となりの信子とも顔を見合わせる。
この子供の視線、まなざしの演出のリズムもたまらない。
信子は蔦子から治療を受けて、足に包帯をまかれ、敬吉におぶられ河原を去っていく。
・信子「お父さん一度富子さんの家に遊びに行ってもいい」
・蔦子「あんまりきたないところで驚いてしまうかもしれませんわ」
・富子(ムキになって)「そんなにきたなくないわよぅ」
というセリフがいかにも子供らしくてユーモラスだ。

おぶさった信子は敬吉を挨拶のために振り返させる。それを見て微笑んでいる蔦子。
蔦子がとなりを見ると下からじっと見つめている富子の視線。
この作品でもっとも印象に残るのは富子のきりっとした強い視線である。
蔦子、富子も河原を後にする。富子は「私も足が痛いの。おぶってちょうだい」と母にねだる。
「信子さんと同じことをねだるなんてしょうがないねぇ」と微笑みながらおんぶしてあげる蔦子。
富子は、信子が敬吉にしたと同じように蔦子を振り返させる。
「誰もいないじゃない。変な子ねぇ」と笑っている蔦子に対し、
富子がいうセリフ「お母さんもさよならしなきゃいけないでしょう」。
最初に見た時はあまり意識しなかったが、何回かビデオを見てこのセリフの意味の深さに感動してしまった。
お母さんも過去と決別しなさいという意味に私はとらえているのですが。
成瀬監督って何気にこういう凄いセリフを子供に言わせる!

敬吉は、信子の治療のお礼に富子の家に「フランス人形」を送る。
蔦子が困っているのをみて、富子は手紙をつけて「フランス人形」を信子の家に行き、
女中に言付けをして返す。
「フランス人形」のことを知った信子の母は、
夫の敬吉がいまでも蔦子(セリフではお蔦さんと呼んでいる)と関係があるのではと敬吉をせめる。
その誤解をとく敬吉。自分のわがままを恥じる妻。敬吉は出征の通知を知らせる。

信子は足をひきずりながら「フランス人形」を富子の家に再び届けようとする。
信子の母も信子を追う。敬吉は銀行に向かう。
信子が田園風景の中を怪我した片足をひきずりながら歩くシーンが続く。
ラストは出征する敬吉を駅のホームで見送る富子と信子。富子の腕にはフランス人形が。
隣にはお互いに微笑んでわだかまりがとけた蔦子と敬吉の妻である。
ファーストシーンとラストシーンが駅であること、
そして小道具のフランス人形の使い方の上手さに唸るしかない。
最後は昭和14年らしく「をはり」と出る。

この作品は、東京国際映画祭で上映されて以来
、ビデオにはなっているが「フィルムセンター」でも、
「三百人劇場」の成瀬監督/マキノ特集でも上映されなかった。
成瀬監督ファンには絶対に観ていただきたい作品である。
67分くらいの小品だが、何度観ても新たなことを発見できる傑作で、
少なくとも私にとっては『浮雲』よりも評価は高い。
未見の方のためにスカパーあたりで放送してほしいものだ。(追加注:その後放送された)
②女人哀愁 戦前の成瀬映画の中でも、傑作の1本と評価の高い作品だったが、やっとビデオで観ることができた。
昭和12年、入江たか子主演のP・C・L+入江たか子プロ作品である。
ストーリーを一言で言えば、
見合い結婚で金持ちの家に嫁いだ入江たか子が、嫁ぎ先の家族の冷たい仕打ちに対して、
最後は自分の意思で夫と別れて自立しようと決意するというもの。
昭和12年という時代を考えると、当時としてはなかなか先鋭的な内容だと思う。

この作品は、同時期の成瀬映画と比較しても、構成と映像が非常にまとまっている印象を受けた。

冒頭は、当時の東京の風景に続いて、洋書を扱っている本屋のようなお店に
勤めている河野広子(入江たか子)に、同僚の女が「昨日の見合いどうだった」と聞くところから始まる。
ここから10分くらいのストーリー展開はテンポがあって素晴らしい。
・広子に電話するいとこの良介
 (佐伯秀男:この人は昨年公開された「忘れられぬ人々」にも出演していた現役俳優!)
・同僚にこれからデートかといってひやかされる良介
・同僚の写真見せろよの台詞
・広子の写真のアップ。
・広子の見合いした相手の堀江新一(北澤)が同僚に見せている。
成瀬監督得意の小道具を用いたショットのつなぎと空間移動の場面転換である。

さらに、堀江の妹の・洋子(澤蘭子)が新一を訪ねてきて新一の会社の廊下を話しながら歩く。
新一が妹がつきあっている余り評判のよくない男・益田(大川平八郎)のことに触れて
・「あまり軽薄なことをするなよ」と言う
・「少し軽薄な感じなの」と公園(日比谷公園か)を散歩しながら広子が良介に、
 見合いの相手・新一の印象を語る。
妹に「軽薄なことをするな」と説教した本人が、見合い相手から「軽薄」と思われている。
台詞でつないだ皮肉まじりのユーモラスな展開も非常に洒落ている。
続いて、公園のベンチに座っている益田と洋子の会話で、
洋子が益田と暮らすために家を出たいが、お金もなく不安だという内容の会話が続く。

新一と妹の洋子、広子といとこの良介、洋子と恋人の益田。
それぞれ関係の異なる男女の映像を積み重ねながら、
観客に自然にストーリーやシチュエーションを理解させるテクニックは、
本当に名人芸としかいいようがない。
並んで歩いて、一人がとまり、振り返るという得意の成瀬演出も随所に見られる。

この後は、新一の家に嫁いだ広子が、新一一家の冷たい態度にじっと耐えるシーンが続く。
ともかく堀江一家は父親、母親、新一と末の妹と弟に至るまで、
何でもかんでもあらゆることを広子に言いつける。
宿題をみてほしい、お茶をいれてほしい、おつかいに行って来いなど、
同時に別の人間から言われたりする。あれはさすがに可愛そうだと感情移入したくなる。
入江たか子の伏し目がちな視線がその気持ちを増幅させる。
広子が結婚後(本当は好きらしい)いとこの良介と外で会うシーンの前には、
たくさんの鳩が空に飛び立つシーンが挿入される。
妻が家庭の不自由な因習から離れて自由な気分になることの象徴か。

結局、広子は新一と別れて、また1人で自立して生きていくことになる。
現代なら何でもないようなテーマだが、当時こういう展開の作品が作られていたことに、
成瀬監督のもう一つのモダンな面を感じる。
逆に、戦後のいわゆる夫婦三部作では、夫婦の危機がおとずれても、
最後は「まあ頑張ってやり直してみよう」となり、別れには至らないというのが面白い。

個人的には『妻よ薔薇のやうに』よりも、この作品の方が好きだし、完成度も高いと思う。
広子役の入江たか子はさすがに綺麗だ。
入江たか子を、黒澤映画『椿三十郎』の太った奥方役で観ていた人にとっては、
若い頃の美貌にびっくりすることだろう。
③鶴八鶴次郎 戦前の芸道物の傑作。
長谷川一夫(鶴次郎)と山田五十鈴(鶴八)の新内コンビが
芸の解釈をめぐって喧嘩わかれをして、結局お互いに別々の人生を歩む。
鶴次郎が既に結婚した鶴八の幸せを祈って田舎の居酒屋でさびしそうに酒を飲んでいるラストは
切なくて、いかにも成瀬監督らしい。
5年くらい前にすでに無い「銀座並木座」で1回観たきりなので、詳細は覚えていない。
もう一度ビデオで観たい作品。屋外では路地のシーンが多かったという記憶がある。

長谷川一夫と山田五十鈴は、この頃コンビを組んだ作品が多い。
マキノ正博監督『昨日消えた男』(昭和16年)でも共演している。これもミステリー調で面白かった。


(この先追加)
今回「三百人劇場」で5年ぶりに観た。
冒頭、台詞なしで二人の関係を説明するサイレント映画のような展開から始まる。
鶴次郎が鶴八に温泉場で愛を打ち明けるシーンは、本当に素晴らしい。
シーンごとに微妙に変化する二人の位置、鶴次郎(長谷川一夫)の顔にかかる
「木漏れ日」の影の美しさ、
湖をバックにしたロケーション、映像作家 成瀬監督のパワー全開といった感じである。
アクションシーンがなくても映画のリズムで躍動感を感じることができるんだと再認識した次第だ。

それ以外にも素晴らしいシーンはたくさんあって全体的によく出来た傑作だと思うが、
ラストは少しストーリーとして不十分だと思った。
今は金持ちの奥さんになっている鶴八が元の芸の道に戻らないように、
あえて鶴八の芸をけなしたんだと打ち明ける鶴次郎とそれを聞く番頭の佐平(藤原釜足)。
佐平の性格からいうと、鶴次郎の本心を聞いた以上、翌日にでもこっそりと鶴八のところへいって
鶴次郎の本心を伝えるのではと考えられる。
鶴次郎が死んでしまったならともか
く酒を飲んで元気なのだから、
普通はそのように進むと思われる。鶴八もそんなに簡単に芸の道を捨てないのではと思うのだが。

しかしあの二人は芸のことをめぐってよく喧嘩するなとへんに感心してしまう。
④乙女ごころ三人姉妹 松竹からPCL(東宝の前身)に移籍した成瀬監督の最初の作品。
サイレントを撮っていた成瀬監督のトーキーの第1作でもある。
原作は川端康成の「浅草の姉妹」でシナリオは成瀬監督自身が手がけている。


浅草を舞台に、門付け(居酒屋等で三味線を弾き語りして金をもらう)
で生計をたてている次女のお染(堤真佐子)、三女でレビューダンサーの千枝子(梅園龍子)、
男と家出してしまった長女 おれん(細川ちか子)の三人姉妹を中心に描いている。

冒頭、昭和10年当時の東京・浅草の「浅草寺」「六区の繁華街」などが
スピーディなショット展開で描写される。
・次女のお染(堤真佐子)の下駄の鼻緒が切れる。
・そこを通りかかった青年(大川平八郎)がハンカチを差し出す。
・にっこりと笑いながら「結構です。ご親切にありがとうございます」と青年を見送るお染。
次のシーンで隅田川沿いをその青年 青山と散歩するのはお染ではなく、妹の千枝子である。
このへんの「観客はぐらかし展開!」も相変わらず上手い。
千枝子のナレーションによって、自分の家族構成が説明される。
男と駆け落ちしてしまった不良の長女、門付けをしている次女 お染、同じく門付けをしている養女3人、
そしてお金にうるさい厳格な母親。
散歩シーンは川の向こうに、現在もある「浅草・松屋」がほとんど同じ形で見える。
散歩では立ち止まって、振り返るという成瀬監督得意なショット展開がこの頃から見られる。
最後にヒール姿の千枝子の足を見せる。次女と三女の生活の違いをさりげなく説明する。
こういうところがたまらない。
千枝子役の梅園龍子は、『妻よ薔薇のやうに』の主演女優 千葉早智子に
負けないくらいの洋装のモガぶりである。

家では若い養女3人に対して、母親の厳しい三味線と唄の稽古が行われている。
近所のいたずらっ子たちが小唄の歌詞を塀の外から唄ってはやす。
千枝子に水をかけられ退散する子供達。
振り返りざまに千枝子をさして「モダンガール」とはやす。
次のシーンで
・いたずらっ子の母親が「つまらない唄はすぐ覚えるんだから」と叱っている
・養女の一人が母親に「どうしてすぐに覚えられないんだい」と小言を言われている。
この対比のユーモアも素敵だ。

時計の音やチャルメラの音などの音も効果的に使用されている。
トーキーの特性を十分活かしている。
逆に、サイレント映画のような表現もある。
着物姿のお染が港(隅田川下流の東京湾か)の埠頭に腰掛けて「どら焼き」のようなものを食べ出す。
そこに通りかかった紳士に写真を撮らせてほしいと頼まれ、ポーズをつけられる。
いきなりカメラを向けられたので食べ物を落としてしまう。
鏡を出してみだしなみを整えるお染。
撮影が終わって会釈をして埠頭を去る紳士。
もう一度鏡を見ると口のまわりにあんこがついていたのを手でぬぐう。
次のシーンは紙についているあんこをなめる着物姿の女だが、
これもお染ではなく3人の養女たちである。
次は、長女のおれんが好きだったという浅草・松屋の屋上にいるお染のシーンとなる。
ここまでは音楽だけで一切台詞がない。本当にサイレント映画そのままの演出である。
トーキーなのに渋い!
そこにおれんを発見する。ここからは現実音と会話がなされる。
この屋上での長女と次女のやり取りは、振り返る、目線など成瀬監督らしい演出が続く。

この作品には回想シーンが多い(回想シーンへは画面がソフトフォーカスになって区別している)。
多少演出のリズムが壊れると感じた次第だ。
おれんの回想シーンに出てくる恋人の小杉(滝沢修)。小杉は仕事で無理をして肺をやられてしまう。
・アパートに帰ってきて、せき込み台所に行く
・雨が降っている外からのロングショット
・おれんが泣いている。
とここも説明的な台詞を排除して映像で語っている。
余談だが、名優 滝沢修の若い姿は、「竹中直人」にそっくりである。
ひたいの感じといい本当に驚くほど似ている。
小杉の身体を気遣って田舎に出向こうとするおれん。
旅費を作る為に昔の不良仲間からある依頼を受ける。
それはおれんの最愛の妹 千枝子の恋人である金持ちの青山を呼び出すことである。
おれんはもちろんそんなことは知らずに、ある部屋に青山を呼び出して、
自分は夜行列車に乗るために上野駅へ向かう。
不良仲間は、青山をゆするが、そのやり取りを偶然隣の建物の部屋から見ていたお染は、
部屋にはいってきて青山の代わりに腹のあたりを刺されてしまう。
(お染は青山が千枝子の恋人であることを知っている)

青山はお染から「長女を上野駅に見送りに行く為に、
レビューの楽屋で千枝子と待ち合わせている」と伝えられ、
千枝子へ伝えるのと医者を呼びに行く。
その間にお染は一人タクシーで上野駅へ向かう。
待合室にいるおれんと小杉と会話を交わすお染。
「千枝ちゃんに恋人ができたのよ」とおれんに伝えると「それはよかった」と喜ぶおれん。
お染は長女が不良仲間に連れてきた男こそがその恋人だとも、
自分が刺されたことも一切打ち明けないで、改札近くでおれんと別れる。
ドラマチックな展開でかつ泣けるシーンである。
椅子に腰掛けたお染は、出発する列車の音を聞きながら、三味線を落とし前かがみになる。
「上野駅へ急いで」といってタクシーに乗り込む千枝子と青山、
ここの並行したショット展開はヒッチコックのようなサスペンスであって本当に素晴らしい。
お染の怪我の具合は明らかにされず、列車の余韻を残して終わる。
また成瀬映画の傑作を発見した。

⑤妻よ薔薇のやうに 戦前の成瀬監督映画の傑作といわれている。
この年のキネマ旬報ベストワンに選ばれた。
舞台は東京→田舎(信州または伊豆あたりか)→東京となっている。

ヒロイン山本君子(千葉早智子:PCLの人気女優で成瀬監督監督と結婚、後に離婚)が
丸の内のオフィスに登場するシーンは、まるでロンドンあたりの感じである。
君子の洋服は当時の「モガ(モダンガール)」だと思うが、今観てもなかなか過激である。
君子は、洋服と和服の両方で登場するが、この服装の変化は凄い。
特に、田舎の妾のお雪(英百合子)の元に住みついてしまっている父 俊作(丸山定夫)を
母 悦子(伊藤智子)の元に連れ戻そうと
田舎の農道で父と話すシーンの君子の服装は、帽子にネクタイ(!)である。
現代でもあの服装は目立つだろう。しかし千葉早智子がとても美形であることは納得する。

この作品でもだめな男(父親)と、それぞれしっかりした妻と妾の対比が面白い。
君子と恋人の精二(大川平八郎)でも、しっかりものの君子に対して、
精二の方は能天気な感じである。
後年の成瀬映画に繰り返しみられるだめな男とたくましい女の図式はこの作品にも既にでている。
君子の叔父(藤原釜足)が習いたての義太夫を始めると、
(下手な声)とっくりや鳥かごが揺れるなどのユーモアも多い。

最後の方で仲人を務めるために仕方なく東京に戻ってきた父と母と君子が歩くシーンで、
君子が「映画で見たのよ」といって円タク(タクシー)をヒッチハイクのように止めようとするシーンがある。
フランク・キャプラ監督「或る夜の出来事」ではないか。
成瀬監督もなかなかお洒落なことをやっていたんだなと感心した。
ここでも続いて、母が「歩きましょう」といったカットの後、
3人がすでにタクシーの中にいるカットという省略がある。

この作品は70分くらいの小品だが、演出手法が充実していて様々な手法が使われており興味深い。
もう一度観たくなる中身の濃い作品である。
この作品については参考資料にある
「成瀬監督巳喜男 日常のきらめき」(スザンヌ・シェアマン著 キネマ旬報社)が
詳細に分析しているので興味のある方はご覧あれ。
⑥噂の娘 ビデオで観た。1935(昭和10年)のPCL作品。
灘屋という酒屋を舞台に、実家の商売を懸命に手伝う姉の邦江(千葉早智子)と
自由奔放な性格の妹の紀美子(梅園龍子)との対比を中心に描く。
個人商店が舞台となる作品は、戦後の成瀬映画でも『おかあさん』『妻の心』『秋立ちぬ』『女の座』
『乱れる』(これは同じ酒屋)など数多く見られる。

冒頭、老舗の「灘屋」の商売があまり上手くいっていない状況が、
灘屋の前の床屋の主人とお客との会話で示される。
ここには落語のような、得意の間接話法の成瀬演出が見られる。

千葉早智子は同年の『妻よ薔薇のやうに』の洋装のモガ(当時のモダンガール)スタイルとは異なり、
全編和服姿で登場する。
一方、妹の梅園龍子は、なかなか涼しい顔をした美人だが、
これぞモガといった洋装で登場し、部屋ではジャズのレコードをかけて踊っている。
梅園龍子は同年の『乙女ごころ三人姉妹』でも末妹のレビューガールを演じており、
モガ女優といってもいいくらいである。
千葉早智子が何か考え事をしているような伏し目がちの表情が多いのに対し、
梅園龍子は、相手をおちょくるようにまっすぐと目線を向ける快活な娘である。
この対比も面白い。

・邦江が、祖父で隠居の啓作(汐見洋)と街中で会って「灘屋」の心配を語る
・邦江と紀美子の叔父(藤原釜足)と父の健吉(御橋公)が「灘屋」の中で邦江の見合いの結果を話しあう
・邦江と啓作の会話
・「灘屋」から帰る途中の叔父に声をかけおこづかいをせびる紀美子
と『女人哀愁』でも見られた異なった2人づつの登場人物の会話を
連続して見せる成瀬監督演出はここでも冴えている。
・「灘屋」の屋根にふりそそぐ雨のシーン
・健吉が酒樽から桝に注ぐ酒のシーン
・邦江が乗っている乗り合い汽船の隅田川の川面のシーン
・邦江が酒樽から桝に注ぐ酒のシーン
という「水」つながりの映像展開もとても洒落ている。

「灘屋」は商売にいきづまり、健吉が酒にまぜものをして利益をあげようとするが、
(その前の伏線として健吉の父=啓作が健吉や邦江に「最近の酒の味が落ちたようだ」と警告している)、
ラストは警察に護送される健吉の姿の後、
冒頭に登場する床屋での「灘屋はこんどどんな店になるのかしら」といった噂話で終わる。
55分という小品だが、ドラマの構成、人物描写の的確さなど、成瀬演出の上手さが光る。
しかし松竹からPCLに移籍しトーキー映画を撮り始めた1935年には、
この作品の他にも『乙女ごころ三人姉妹』『女優と詩人』『サーカス五人組』『妻よ薔薇のやうに』
と1年に5本も撮っていて、少なくともそのうち4本は傑作であるというのは凄い充実振りである。
やはり優れた芸術家は質と量が伴うのだ。

藤原釜足が、兄で邦江と紀美子の父である御橋公に対して、
紀美子のことを電話で話すシーンの台詞には笑ってしまった。
「今の若い人のやることはスピードがあってわからないですよ」。
昭和10年の映画の台詞とはとても思えまない!
⑦女優と詩人 スカパー「日本映画専門チャンネル」での成瀬監督特集の貴重な1本。
P・C・Lの1935年(昭和10年)の作品で、『乙女ごころ三人姉妹』の次の作品である。
最初の成瀬監督夫人だった女優・千葉早智子が出演した最初の成瀬監督作品でもある。

タイトルが始まっても音樂はなく、まるでサイレント映画のような出だしである。
後期の成瀬映画にも共通するような屋外シーンから始まる。
東京郊外ののどかな風景の中、1両の電車が通過していき、
画面真中には自転車に乗ってる人の姿がうつしだされる
(これはラストシーンでも同じ構図で繰り返される)。
突然、女性の声で「きゃあ、誰か来て人殺し」という悲鳴が静寂を破る。
部屋で後ずさりする女(千葉早智子)の顔のアップ、ナイフを持って近づく男(三島雅夫)。
ミステリー調である。
しかしこれは家の2階で芝居の稽古をしていることが明かされる。
女は舞台女優の二ツ木千絵子(千葉早智子)で、男も同僚の俳優仲間である。
夫は童謡詩人の二ツ木月風(宇留木浩)。
この家は、千絵子が外に出て稼いでいて、夫の月風が主夫をしている。
続くシーンでも1階では月風がエプロンをして食事の支度や洗濯をしている。
千絵子が「げっぷう:月風」と呼んで用事を言いつけるのに対し、月風は妻に対し敬語で話す。

この作品では月風の職業と関連して、「すずめの学校」「夕焼け小焼け」といった童謡が
BGMとして使用されている。
それとは対照的に隣の家の夫で保険外交員の花島金太郎(三代目三遊亭金馬)は、
広沢虎造の浪曲(石松金毘羅代参)のレコードを聴いて唸っている。
落語ファンとしては名人の三代目三遊亭金馬が出ているのに興奮してしまった。
しかし、どうみても保険外交員には見えない風貌である(笑)。
千絵子の外出時に月風が隣の家に呼ばれ、金太郎とビールを飲んで酔っ払うシーンでは、
月風が持ってきた童謡のレコードに合わせて踊ったりする。
ここでの浪曲(金太郎はレコード1枚しかないので月風が家からレコードを持ってくるというシーンの後で)
から童謡への音の変化もいい効果をあげている。
金太郎が妻のお浜(戸田春子:ものすごいおしゃべり女!)に言われて
隣に引っ越したばかりの若い夫婦(佐伯秀男、神田千鶴子)に保険の勧誘に行った時に出す名刺には、
自宅の住所として東京市杉並区高円寺と書いてある。
ということはこの作品の舞台の風景は高円寺あたり、1両電車は今の中央線か。
金太郎の保険の勧誘に簡単に応じた隣の若夫婦が次の朝心中騒ぎをおこす
(結局命は助かる)のは、ブラックユーモアに近い。

ユーモラスなのは、千絵子が舞台の稽古(夫婦喧嘩がテーマの作品)のため、
月風と台詞の稽古をしているシーンである。
二人の熱演から本当の夫婦喧嘩をしているのかと思って止めにはいる
月風の友人で貧乏な小説家志望の能瀬(藤原釜足)は、
二人から芝居の稽古だと聞かされて「なんだ」とテレ笑いする。
しかし、下宿を追い出された能瀬が、月風の家の2階に居候にしてくれと頼みにきて、
しぶしぶと認めてしまった月風に対し、千絵子が激しく怒り、手が出る本当の夫婦喧嘩になってしまう。
(芝居の内容も同様のものなので、台詞の稽古とほとんど同じ台詞が飛び交う)。
しかし下宿から荷物をまとめて月風の家に戻ってきた能瀬は目の前の喧嘩を
また芝居の稽古だと思って見物している。
成瀬監督らしいシニカルなギャグである。
結局、千絵子は月風をたてることにして、夫婦円満となり能瀬も居候できることになる。

ラストはファーストシーンと同じ構図の風景描写の後、
2階の布団の中でくしゃみをする能瀬の姿の後、隣のお浜が1階のお勝手を訪ねると、
出てきたのは月風ではなく千絵子となる。
なかなか洒落た展開であり成瀬監督の粋な演出が冴えている。
小品だが、人情喜劇といった風でなかなかの作品だ。
隣り合った夫婦の物語は後年の『驟雨』に、下宿人のいる家は『妻』に通ずる。
朝の並木路
スカパーの放送で見た。千葉早智子主演で、成瀬監督のオリジナル脚本による作品である。

田舎から東京の友人を頼って出てきた千代(千葉早智子)が、
なかなか仕事がなく、友人の勤めているカフェの女給となり、
客の小川(大川平八郎→この時期の成瀬監督作品にほとんど出ている常連)と恋仲になるが、
結局、小川は地方転勤で去っていってしまう。
という他愛のないストーリーの1時間程度の小品である。
カフェの女給の生活を丹念に描いている点で、後年の『銀座化粧」『女が階段を上る時』
『放浪記』(芙美子が女給として働く一部分)などの世界と共通しており、
成瀬監督らしい題材と言えるだろう。

冒頭、田舎で千代を両親(御橋公、山口ミサオ)が見送るシーン。
千代がバス(物凄いちっこいバス!)に乗るシーンに続いて、俯瞰でとらえた東京の風景となる。
丸の内のあたりを着物姿できょろきょろとして歩く千代の姿が描かれる。
いわゆる「おのぼりさん」状態である。
前年の『妻よ薔薇のやうに』では、丸の内のオフィスに勤める洋装のモガを演じた千葉早智子が、
田舎から出てきた娘を演じているのも面白い。
これは成瀬監督が「つまばら=略」の役をイメージして意図的に面白く演出したに違いない。

友人の住所の紙(白金台町と書かれている)をもとに友人の久子(赤木蘭子)を訪ねると、
丸の内の会社に勤めていると手紙にあったのは嘘で、カフェの女給であることを知る。
しかし別に全然ショックを受けた様子でもなく、カフェの2階にしばらく泊めてもらうことになる。
こういうくどさのない描き方がいかにも成瀬監督らしい。
女給同士の噂話、カフェのマダム(清川玉枝)の立ち振舞いなど、
『銀座化粧』や『女が階段を上る』、芸者だが同じ女の世界の『流れる』『夜の流れ』
などと共通した雰囲気である。
女の仕事場のバックステージものを描いたら成瀬監督の右に出るものはいないと思うほど、
女性の生態をリアルに描く。

仕事を探して再び丸の内を歩いていた千代は、偶然昨夜カフェで会った小川(大川平八郎)と会い、
喫茶店でいろいろと現状を聞いてもらう。結局、千代もカフェで女給として働くことになる。
小川がカフェに来て、千代と一緒にビールを飲んでいるシーンから
突然、千代と小川が夜汽車に乗ってどこかに向かっているシーンとなる。
2人の会話から、結婚を約束しての婚前旅行であることがわかる。
伊豆あたりの旅館の朝、
・小川の写真と公金横領で女給と逃亡と書かれた新聞記事を見てあせる小川
・突然宿を出て車に乗って海岸シーンを走る
・警官の姿を見つけて車を降りて山へ逃げる二人
・山を捜索する警察
・犯罪を千代に告白し、一緒に死んでくれという小川と自首してほしいと涙ながらに訴える千代
とめまぐるしくストーリーが展開する。
成瀬映画でこのような題材のサスペンスシーンは珍しいなと考えていたら、
突然 カフェの2階で寝ている千代を起こす女給の姿が。
これは昨夜ビールを飲みすぎて寝てしまった千代の夢だったことがわかる。
やられたって感じである。

この直後、女給の久子から「小川が仙台に転勤になる」ことを伝えられる。
カフェの前には、転勤前の挨拶に小川が千代を訪ねてきている。
小川は転勤先の住所のメモを千代に渡し、「よかったら手紙でも書いてほしい」と言って千代の前を去る。
千代は一瞬悲しむが、すぐに気を取り直したようにメモをやぶり川に捨てて明るい顔になる。
このラストの展開も成瀬監督らしく暗くなくていい。


千代が外出するシーンの、当時の丸の内やどこかの橋などの屋外風景のモノクロ映像がとても美しい。
今回の放送のためにニュープリントとしたと思われるが、
1936年の作品とは思えない保存状態の美しい映像である。
また、夜、カフェの周辺を散歩しながら歌(何の歌だか思い出せない)を口ずさむ
千葉早智子はとても可愛らしい。
翌年の1937年に千葉早智子と結婚する成瀬監督が愛情を込めて演出していたことが
想像できるシーンで微笑ましい。

作品としてはそれほど悪くない。
とにかく題材やストーリーとも成瀬監督らしい作品であることは間違いない。
私はこれで、『女優と詩人』『妻よ薔薇のやうに』『噂の娘』『桃中軒雲右衛門』+この『朝の並木路』と、
千葉早智子出演の成瀬映画5本はすべて観ることが出来た。
千葉早智子も『流れる』での栗島すみ子のように、戦後の成瀬映画にゲスト出演なんという企画が
あったら面白かったのになどと考えてしまった。
さすがにその後離婚した元妻では難しかったのかもしれない。
⑨サーカス五人組
スカパーの「成瀬監督巳喜男劇場」で観た。
成瀬監督がPCLに移籍した1935年(昭和10年)の作品で、
『妻よ薔薇のやうに』の次の作品となる。

旅周りの5人組の楽隊が、伊豆あたりの港町で巡業しているサーカス団に
ひょんなことから1日だけ雇い入れられ、その後去っていくというストーリーである。
出演者は、大川平八郎、藤原釜足、堤真佐子、梅園龍子、御橋公、丸山定夫など。
この時期の成瀬監督作品の常連ばかりである。
原作は古川緑波の「悲しきジンタ」。
このジンタというのは楽隊の意味だと思うが、語源がわからない。

成瀬監督らしい場面転換がいくつかある。
・サーカス団(映画の中では曲馬団と読んでいる)の男たちがサーカス団長(丸山定夫)と喧嘩し、
 宿の2階で話し合っている。
 リーダー格の曲芸師でサーカス団長の次女の澄子(梅園龍子)の恋人である邦夫(加賀昇二)
 に対して若い男が「くにさん、どうするね」
・池の畔のシーン、澄子に対して姉の千代子(堤真佐子)が「どうするっていってたの・・・くにさんは」
 の台詞が続く。台詞の言い回しを利用しての場面転換は洒落た演出である。
ちなみに、この姉妹は、同年の『乙女ごころ三人姉妹』でも姉と妹を演じている。
この池の畔での二人の会話のシーンは、立ち止まり振り返る、一人がしゃがむなど、
1シーンごとに見事に動きが決まっていて、成瀬監督後年の屋外での会話リズムの原型が見られる。

渋い場面転換をもう一つ。
・サーカステントの中でサーカス団長が喧嘩をした曲芸師の恋人である娘の澄子(梅園龍子)
 に対して、「お前もあの男と一緒に出て行け」と怒りの言葉を投げかける
・短銃をかまえて、発射する団長の姿。
 それはサーカスの舞台の上で、短銃で撃っているのは小さい人形である。
人形を手に持っているのは娘の澄子なので一瞬どきっとする。

千代子と楽隊の1員のハンサム青年・幸吉(大川平八郎)が、海岸でお互いの境遇を語りあうシーン。
・海岸でしゃがんで考えている千代子の姿
・サーカステント前の同様の姿の妹の澄子
という場面転換は、『妻』での丹阿弥谷津子と高峰三枝子でも同様の手法があり、
成瀬監督らしい演出の一つである。

サーカス団に1日だけ雇われた楽隊5人組が宣伝のため町を演奏しながら練り歩くシーンは、
走る子供たちの姿、斜めの線の構図など『旅役者』に似ているシーンがあった。

ラストシーンは、サーカス団を1日で首になりまた旅に出かける楽隊5人組が海岸沿いの道を歩いて行く。
親しくなりかけた千代子(堤真佐子)と幸吉(大川平八郎)の別れという叙情的なシーンもなかなかいい。
夏真っ盛りの光いっぱいの海岸シーンのロケーションは本当に美しい。
昭和10年当時の日本の自然の美しさ。

この作品は成瀬監督解説本にも記述は少ないしあまり問題にもされていない作品であった。
しかし、やはり自分で見てみると成瀬監督らしい演出は随所にあって楽しめた。
傑作とは言えないが決して悪い出来の作品ではないと思う。成瀬映画は奥が深い。
⑩はたらく一家
今回のラピュタ阿佐ヶ谷の成瀬監督特集で見た。
65分くらいの短い作品だが、構成はしっかりとしている。


冒頭、朝の路地の描写→石村家(徳川夢声/本間教子夫妻)の朝の食卓となる。
2階建ての長屋のような家だが、ともかく狭い空間に大家族である。
石村夫婦とどちらかの父母そして子供が7人。
出勤前の朝食シーンでは、石村(徳川)と既に勤めている長男~四男までがもくもくと食事している。
ごはんの盛り付けが凄い。
家が狭いので食事が順番らしく、布団に寝ている五男の男の子が母(本間)に「まだ起きちゃだめ?」
と言うのもユーモラスだが、笑えない現実である。
石村と子供達の出勤風景の後、やっと小さい子供達の食事のシーンとなる。
静かに食べていて最初との対比が面白い。
さらにしばらくしてやっと母(本間)が食卓を片付けながら、一人で食事するシーンがある。
母親は大変だ。
この辺の食事風景での登場人物の対比の成瀬演出は素晴らしい。

この作品の中心ストーリーは、稼ぎ頭の工員の長男(生方明)が勉強して電気士の資格をとるため、
5年間家を出たいという希望に対して、
父はその事を理解したいが実際に長男に出て行かれると、
今でも苦しいきつきつの生活が成り立っていかないので困るという葛藤である。
長男の決心は固い。

この作品での成瀬監督の映像技法では、編集での場所の移動や省略が目立つ。
例えば、
・長男が働いている弟たちに2階の部屋で「相談したいことがある」
・近所のミルクホール(喫茶店)に4人が座ってコーヒーか何か飲んでいるシーン、
 父(徳川)が夜、ミルクホールで子供達が相談している姿を窓から見て悩んで夜道を歩く
・床屋のくるくる灯(正式名わからず)
・床屋の中で主人と将棋をさしている、
・長男のことを学校に相談しに行った父と先生(大日方傳)の教員室
・校庭で待っている弟
(すでに話が進んでいて)「なるほど難しいですな」といった先生の台詞 
などの展開がある。

外出している長男と家で長男を心配して待っている父との対比を
時計を小道具に使用する手法も成瀬監督がやるとショットのリズムが良くて素晴らしい。

この作品には新聞配達や豆腐屋、魚屋などの生活風景がよく出てくる。
特にとうやの笛の音など、音による雰囲気の伝え方が上手い。
人物の目線の切り返しは、この作品に関してはあまり多くないように感じた。
この作品の次の『まごころ』では多用されている。

ラストは、父から相談を受けた長男の小学校の時の恩師(大日方)が石村家を訪ねるシーン。
ここで初めて強い雨を降らす。
情景描写として平凡かもしれないが、やはり重苦しい(結論が出ない)石村家の雰囲気には効果的である。

・石村家(長男も弟たちもみんな学生服を着て正座している:当時の教師への尊敬がよく伝わる)
 での静まり返った部屋
・外の雨の描写
・柱時計
のショットの積み重ねは、サイレント映画の手法であろう。

ここで長男が「今のままでは将来がみえている。貧乏はいやだ」と自分の思いを述べ涙をみせる。
父が「生意気言うな」と物を投げつけるという作品の中で唯一劇的なシーンとなる。
父がこれまで押さえつけていた感情(徳川夢声の顔自体が何かに耐えているような表情!)
を一気に爆発させる。
この後にも外の軒先の雨のシーンがはさまれる。
先生は「両方とも言っていることが正しいので私も何も解決策がうかばない。
ただみんなでいろいろと話し合ってみましょう」と言って、弟達に将来の夢を聞いていく。
先生は長男に「二人で外に出て、話そうか」と誘い出す。
これも部屋の中での重苦しい雰囲気を変える成瀬監督得意の手法だ。

・傘をさした雨の中で長男が声をかける
・先生の振り返りショット
・「自分の思いをはきだしてすっきりました。もう一度良く考えてみます」
となる。結局父は長男の思うとおりにさせてあげようと決心を子供達に述べる。
この徳川夢声はなかなか素敵だ。

弟たちは2階の部屋でそれぞれでんぐり返しをして「俺も頑張るぞ」と言って
何度もでんぐり返しを繰り返す。ここの映像はリズミカルで面白い。
はっきりとは解決しない(実際の人生のように)が、何か多少の希望を予感させて終わるのが
正に成瀬調である。しかし、子供達がでんぐり返しするシーンがラストとは凄すぎる!!

成瀬監督の数多い傑作の中では、私自身はあまり高い評価はしないが、
「貧しくてもみんなで協力して明るくけなげに生きる」という
いかにも成瀬監督らしいテーマの作品であることは間違いない。
音楽もなかなか明るい雰囲気なので重苦しくはならない。屋外シーンも多い。
このニュープリントは貴重(ラピュタ阿佐ヶ谷に感謝!)なので、是非この機会に見たほうが良いです。
番外編
腰弁頑張れ 昭和6年、松竹蒲田時代のサイレント映画。
現存する最も古い成瀬監督作品とのこと。
主人公の保険外交員 岡部(山口勇)の奮闘ぶりをペーソスいっぱいに描く。

金持ちの家に保険の勧誘にいき、ライバル会社の社員と争うシーン。
金持ちの家の子供達のごきげんをとろうと遊びに参加するシーンは、
笑いの中に営業の厳しさをひしひしと感じてしまう。
穴のあいた靴(これも成瀬監督得意の小道具)に新聞紙をつめてたところ子供に見つけられてしまい、
おまけにその新聞紙がチョコレートの広告の部分だったというギャグ
(同様のギャグは『夜ごとの夢』にも出てくる)、
息子がほしがる飛行機のおもちゃも小道具として効果的に使われている。

ラスト、息子である進(加藤精一)が電車にひかれ岡部は病院にかけつける。
後年、「交通事故」を頻繁に登場させた成瀬監督だが、
こんな古いサイレント映画でも「電車」による事故を出していた。
音の出るものを執拗に画面に映す(時計、水滴が落ちる水道の蛇口など)という手法も、
サイレント映画ではこういう表現をしていたのかと感心した。
あまりサイレント映画を観たことがないので、成瀬監督独特の演出なのかはわからないのだが。
約30分くらいの小品だが、なかなかの作品。
ロケーションは蒲田か池上のあたりか。
原っぱだらけの郊外の風景は、
近くに小津映画『生れてはみたけれど』の突貫小僧が住んでいるような錯覚を覚える。
君と行く路 スカパーの「成瀬監督巳喜男劇場」で観た。
以前一度「東京国際映画祭」での特集上映で観たことがあったが、
同時に観た『まごころ』があまりに素晴らしかったので、この作品はほとんど印象になかった。
というわけで今回改めて観なおしてみてやはり出来は悪いと思う。

2組のカップル(大川平八郎=兄、佐伯秀男=弟/山県直代、堤真佐子)の恋愛悲劇の物語である。
タイトルの後、登場人物が名前とともに映像で紹介される。
このようなタイトルの形式は、マキノ雅弘監督の『昨日消えた男』、
エンタツ・アチャコの傑作喜劇『これは失礼』(岡田敬監督 PCL)などにも見られる。

この作品の特徴は、朝次(大川平八郎)と夕次(佐伯秀男)の兄弟が、
鎌倉の海岸沿いの洋館に住んでおり、レコードでクラシック音楽を聴いたり、
テニスをしたりと、西洋趣味のハイカラな雰囲気に満ちていることである。
この二人のハンサム兄弟も、服装からして元祖「湘南ボーイ」というか当時のモダンボーイそのものである。
女性の主人公がほとんどである成瀬映画で、兄弟が主役の作品は珍しい。
朝次と夕次=なんという安易な名前の付け方(笑)の母親・清川玉枝は元芸者で、
何かと息子にじゃれたがる母親像を上手く演じている。
息子の夕次から「うるさいなぁ!あっち行ってくれよ」などと言われたり、
朝次には、芸者の子であることを恥じるといった屈辱的なことを言われてしまう。
泣いたりもするが、すぐに立ち直る。このたくましくしたたかな女性像は成瀬映画らしい。
後年の『稲妻』の浦辺粂子などが連想できる。

この作品のよくない点は、音楽の使い方にもある。
朝次と恋人の霞(山県直代)との海岸でのデートシーンなどにかかる音楽は、
バイオリンの本当に安っぽいメロドラマ音楽でしらける。
作品全体としても成瀬映画の魅力である、編集リズムに冴えがなく、
作品として消化不良の感は否めない。
笑ってしまったのは、夕次が電車の中で見かけた紀子(堤真佐子)=霞の友人のことを、
夕次が兄の朝次に対して「僕、今日電車の中で理想的な女性を見かけたんだ」と告白するシーンである。
紀子も当時のモガのような洋装だが、失礼ながら全然綺麗ではない(笑)。
もちろん人によって趣味が違うとは思うが、少なくとも理想的な女性像ではないのでは。
霞役の山県直代は、和風美人だ。
兄弟が歩きながら話すシーンは、いつもの成瀬調である。
夕次が「鎌倉駅」で降りた際の、昭和11年当時の「鎌倉」駅前の風景はとても興味深かった。

結局、霞は家の事情で朝次とは結婚できず、金持ちの家に嫁ぐことになり、
朝次と霞は無理やりに別れさせられることになる。
悲観した朝次は、海外沿いの道(当時の道にはガードレールなどない)を猛スピードで車を走らせ、
なかば自殺のような転落事故で死んでしまう。
そのことを知った霞は、家の池(凄い邸宅)に身を投げて死んでしまう。
紀子も夕次にさよならを言って去る。
とにかく暗い結末で、何の希望もない。
暗い結末でも一筋の光が差し込むのが成瀬映画のいいところなのだ。

朝次の死がまたもや自動車事故であるところは成瀬調である。
成瀬映画では登場人物の死因はほとんど交通事故か電車事故である。
 

雪崩

以前に東京国際映画祭の中の特集上映で見たが、今回スカパーで改めて観た。
昭和12年のPCL作品で、大佛次郎原作、脚本は成瀬監督自身である。
主人公 日下五郎(佐伯秀男)の、妻の路子(霧立のぼる)と
元の恋人・弥生(江戸川蘭子)との間の心の葛藤を描いている。
成瀬映画の中では、出来は相当悪い。
前作は傑作『女人哀愁』なのでこの時期が低迷していたということではない。
翌年には傑作『鶴八鶴次郎』が控えている。

観念的でかたい台詞、棒読みのような俳優の言い回し、陳腐なメロドラマ風の音楽、
平凡なストーリー展開と、良いところはほとんどない。
俳優でいえば主人公 五郎の父親役の汐見洋はいい味を出している。
この作品の助監督についた黒澤明の著書である「蝦蟇の油」の中に
「私がついたのは雪崩という作品で、成瀬さんにしても物足りない仕事だったと思うが、
それでも、私には得る所が多かった」
と記述されているように、作品としてはいまいちである。

作品の特徴は、洋風趣味に溢れている点か。
五郎の住まいの洋館、銀座のレストランでのフランス料理の食事風景、ダンスホールなど、
意識的に洋風趣味を出しているようだ。
主人公の五郎のファッションもスーツ姿に帽子、父親(汐見洋)のダンディぶりも凄い。
雰囲気としては『君と行く路』に似ている。
そういえば弥生の鎌倉の海岸近くの別荘は、まるで『君と行く路』に出てくる部屋そっくりである。
人物の内面のモノローグのシーンは、紗がかかり画面が暗くなるがいい効果を挙げているとは思えない。
説明的な演出すぎて白けるのみである。

では、この作品にまったく魅力がないかと言えば、そうではないところが成瀬映画である。
登場人物の屋外シーンの映像の素晴らしさ!!。
この時期から成瀬監督の屋外シーンの光と影のバランスはさえている。
・五郎と路子(霧立のぼる)との名古屋城の散歩シーン
・五郎と弥生(江戸川蘭子)の森の散歩シーン(得意の木漏れ日)
・五郎と父が銀座を歩くシーン など。
さらに、五郎が雨の丸の内をトレンチコートを立てて、電話ボックスへ歩いて行く移動シーンも
躍動感があって素晴らしい。

観念的でかたい台詞の見本は、後半、五郎と父が口論するシーンに見られる。
父「どうだ、紙のように薄っぺらなお前の言う真実と別れるか。
 それともお前の地位をバックして俺の力と手を切るか」である。
こんな台詞は日常生活に出てこない!
成瀬映画の台詞とは思えないが、これを成瀬監督自身が脚色していたとは。
これに続く五郎の台詞は「よござんす。嘘つきになりましょう」とあり、
次のシーンで妻の路子と昔のデート場所の名古屋へ向かう列車のシーンとなる。
しかし、この五郎の台詞。一瞬、マキノ雅弘監督の『次郎長三國志』のワンシーンかと思ってしまった(笑)。
突然「よござんす」という台詞にはぶっ飛ぶ。
 桃中軒雲右衛門  ビデオで観た。
桃中軒雲右衛門(とうちゅうけん・くもえもんと読む)は、明治時代の実在の浪曲師。
雲右衛門を演じるのは、時代劇スターの月形龍之介。1936年(昭和11年)のP・C・L作品である。
内容は、芸に生きた浪曲師の一代記ものであり、
そこに弟子や番頭(今のマネージャーか)と息子、
妻で三味線弾きのお妻(細川ちか子)と美人芸者の千鳥(千葉早智子)がからむ。

冒頭は列車の中で乗客が、「桃中軒雲右衛門は名人だ」との噂話が描写される。
この間接話法は、『旅役者』や『三十三間堂 通し矢物語』にも見られる、成瀬監督得意の手法だ。
映像表現でいうと、この作品はまだ成瀬監督得意の「目線の芸」はあまり見られない。
家や座敷の室内でもやたらにパン(左右に動く)があり、
また人物に次第に近寄っていくクロースアップと、
後年のいわゆる成瀬監督調の固定したキャメラワークとは異質の表現である。
そのため、成瀬監督の魅力である流れるような映像のリズムを感じられない。
唯一屋外シーンで人物が二人で歩くところは、少し成瀬調だったりする。

しかし、この作品のある意味で見所・聴き所は、
なんといっても桃中軒雲右衛門(月形)が唸る浪曲にある。
5-6箇所あったと思うが、月形龍之介が浪曲を唸るシーンは
漫画風の表現でいうと「ドッカーン」という感じである。
私は浪曲のことはよく知らないし、
浪曲師といえばマキノ正博監督『次郎長三国志』にも出ていた広沢虎造の声を思い浮かべるくらいである。
しかし、月形龍之介の唸る浪曲は、素人の私が聴いてもあまり感心しない。
はっきりいえば下手(笑)。
ところが桃中軒雲右衛門は浪曲界で天下をとってしまうのである。
この月形の浪曲を聴くだけでもこの作品を見る価値はある。
これも今風に言えばロン毛の月形の風貌も、なんとなく不気味な感じである。
もうまいったという印象である(笑)

ラストは、病院で息を引き取った妻のお妻(ややこしい)に対して、雲右衛門が浪曲を唸る(正確には語る?)。
あの声の浪曲でお妻が息を吹き返すのではと思ってしまうほど。(笑)

ストーリーには関係ないが、番頭の磯野(御橋公)の顔がちょいと坂本龍一に似ていると思った。
芸者・千鳥役の千葉早智子に関しては、
『妻よ薔薇のやうに』や『女優と詩人』の方が綺麗だし、演技も良い。
 禍福 前篇
 スカパー「日本映画専門チャンネル」での放送で観た。
ストーリーは典型的なメロドラマである。原作は菊池寛。

皆川慎太郎(高田稔)には、恋人の豊美(入江たか子)がいたが、
傾いた桐生の実家の商売の負債と持参金のために、
地元の金持ちの娘・百合恵(竹久千恵子)と見合いをし、
快活な百合恵の性格に本当に惚れてしまい、婚約する。
豊美への別れを伝える慎太郎に対して、激しい憎悪を抱く豊美。
慎太郎の子を身籠っていた豊美は、家を出て未婚の母として自活して子供を生んで育てる決心をする。
ここまでが前篇。

冒頭の編集が成瀬監督らしい素晴らしさ。
・郵便配達と自転車に乗る子供
・豊美の父(御橋公)と母(伊藤智子)の部屋での会話
・豊美と慎太郎を紹介した親友の三千子(逢初夢子)との部屋での会話
・慎太郎の下宿での慎太郎と友人・太田(嵯峨善兵)との会話
・再び豊美と三千子の部屋での会話
・再び慎太郎と太田の会話。ここで、実家の困窮と持参金付きの見合いの話が手紙で紹介される
・外出した豊美と三千子の屋外での歩きながらの会話
・慎太郎の留守に下宿を訪ねた豊美と帰宅した慎太郎との部屋での会話 
 と続く。
このように異なった登場人物を二人ずつ登場させて
ストーリーと人物の性格を語っていく「語り口」は本当に名人芸である。
同年の『女人哀愁』の冒頭にもこのようなショットの積み重ねがあって、
この時期意識的にこういう手法を演出していたようだ。

豊美と三千子の和室でのやり取りでは、
慎太郎のテニス姿の写真のはいったアルバムを2人でとりあったり、猫を可愛がったりと、
小道具を上手く使いながら、和室で「登場人物の動き」を見せている。
平凡な監督だとお茶かなにか飲みながら、動きもなく話すのではないかと思うが、
成瀬監督の場合は、和室での登場人物の動かし方が、目線も含めて本当に上手い。

桐生の織物の実家に戻る慎太郎を見送る直前に、豊美と千代子が上野公園を散歩しながら会話する。
昭和12年当時の上野公園や上野駅の風景もなかなか貴重だ。

桐生の実家で、見合いに気のりのしない慎太郎が土手で横になっていると、
見合い相手の百合恵がなんと馬にまたがって、乗馬服姿で登場する。
結構インパクトのある登場の仕方だ。
百合恵は金持ちのお譲さんだが、さっぱりと気持ちのいい性格で、慎太郎は惹かれてしまう。
物静かで古風な豊美と、活発な当時のモガのような百合恵は対照的な女性として描かれる。
百合恵役の竹久千恵子は顔も服装もなかなかキュートだ。

慎太郎と百合恵の見合いシーンは音楽のみで台詞もなく、
席について慎太郎と百合恵の笑顔で見合いそのもののシーンは描かれない。
まるでサイレント映画を観ているようだ。成瀬監督得意の省略法である。
二人は桐生の水道山(これは現在も実在するハイキングコースのよう)にピクニックに出かける。
この屋外シーンのモノクロ映像はとても美しい。撮影は名手・三浦光男。

前篇は、豊美が自活して1人で百合恵と婚約した慎太郎の子供を生み育てていこうと決心するところで終わる。

後篇に続く。
 禍福 後篇
 前篇に続き、「禍福」後篇である。

ストーリーが少し複雑であるので以下紹介する。
豊美(入江たか子)は、親友・三千子(逢初夢子)の紹介で、銀座の洋装店アゼリアに勤める。
アゼリアの顧客の一人が、運命的にも百合恵(竹久千恵子)であった。
そのことを二人は一切知らないで、お茶飲み友達となる。
豊美の話を聞いて百合恵は同情するが、
まさか豊美の話に出てくる薄情な男が、自分の婚約者とは夢にも思わない。
慎太郎と百合恵は故郷に戻って結婚し、東京に新居をかまえる。
豊美は子供を出産するためにアゼリアを辞めて、子供とともに友人宅へやっかいになる。
豊美はある日真実を知るが、百合恵はまったく知らずに、豊美へ自分の新居に来てほしいと言われる。
夫の慎太郎は仕事でフランスに行っていて留守である。
慎太郎が帰宅した時に苦しめたいという復讐の気持ちで、
百合恵の誘い通りに二人の新居に居候となる豊美だが、
豊美と子供に対し献身的につくす百合恵の気持ちに、豊美は本当の友情を感じ始める。
慎太郎が帰国し新居に戻るとそこに子供を抱いた豊美がいて驚き、
何も知らない妻の百合恵に打ち明けるかどうかと豊美と子供に対する罪の意識で苦悩する。
豊美は突然、親友・三千子の家に居候となる。
真実を薄々と感づいた百合恵は、三千子の家を訪れて豊美に対して子供を自分にほしい、
そして慎太郎と自分の子として育てたいと申し入れる。
豊美は百合恵の心に打たれてそれを受け入れる。
と、なかなか簡単にまとめられないストーリー展開である。

従って、後篇はストーリーを説明することに追われて、
前篇に比較すると映像や編集の切れが落ちる。
季節も秋から冬にかけてで(雪の降るシーンもある)、内容的にも全体的に暗い感じである。
ロケーションは、洋装店のある銀座、慎太郎と百合恵夫妻の邸宅、
三千子夫妻(夫は慎太郎の友人の早川=大川平八郎)の邸宅(両方とも豪華な洋館)、
そして豊美が一時下宿していた築地界隈と隅田川などが登場する。

最初の方で野球場が登場するが、成瀬映画に野球場が登場するのは珍しい。
豊美、百合恵が子供と慎太郎の弟を連れて行く「遊園地」は、
『おかあさん』『妻として女として』『女の中にいる他人』等、成瀬映画にはよく登場する。
この時代のどこの遊園地かはわからない。

しかし、こんなに暗い題材のメロドラマなのに、
ラストが妙に明るいのが成瀬映画のいいところである。
邸宅の庭で笑顔で(豊美から引き取った)子供を抱く慎太郎に対して、豊美からの手紙を読む百合恵。
手紙には、豊美が託児所に勤めたことが書かれている。
ラストシーンはその託児所が舞台となる。
子供達の世話をしている笑顔の豊美。そこを訪れる三千子との談笑シーンで終わる。
他の監督だともっとじめじめした感じで終わりそうだが、成瀬映画には希望の光が差し込む。
最近観たこの時期の作品にも多く共通するし、
50年代、60年代の作品でも『浮雲』『乱れる』『乱れ雲』などを除けば、
ラストはほんわかとして終わることが多い、
つまり成瀬監督の作風についたあだ名<ヤルセナキオ>はあまり正確ではないことが
実際の作品を見ていくと実証できる。
例えば溝口映画だったらもっと悲劇的に救いない終わり方であろう。
成瀬映画には貧乏たらしいドラマが多いので、<やるせない>雰囲気が漂うのは確かだが。

この作品で渋いのは、百合恵が豊美に子供をゆずってほしいという時に、豊美と百合恵の2人ともが、すべてをわかっていながら、あえて慎太郎の名前を出さずに会話するところである。確かに慎太郎でも豊美でも、百合恵に事情を打ち明けてはおらず、表面的には百合恵は何も知らないことになっている。登場人物がすべてを飲み込んであえて真実を明らかにしない展開はどこかで観たと思ったら、清水宏監督「家庭日記」(1938)にあった。佐分利信、高杉早苗、三宅邦子の関係が、慎太郎(高田稔)、百合恵((竹久千恵子)、豊美(入江たか子)の関係とオーバーラップする。今のTVドラマだったらまず間違いなくもっとドラマチックな展開(2人の女がののしりあうとか)にするであろう。だから昔の日本映画の演出は粋で格調高いのだ。

前篇、後篇通してみると約150分くらいになるが、当時の作品評であまり評価が高くない作品の割には、面白かった。そういえば、高田稔と入江たか子は、2年後の傑作「まごころ」(1939)でも、結婚できなかった元恋人(幼馴染)として共演している。

しかし、主役の入江たか子は綺麗ではあるが、伏目がちで声も弱々しく、この作品に限らずいかにも耐え忍ぶ不幸な女という役が多い。もっと明るくはきはきとしなさいと画面に向かって叫びたくなりますな(笑)
 

生さぬ仲

 フィルムセンターの生誕100年特集で初めて観た。
タイトルは「なさぬなか」と読む。当然ながら松竹蒲田時代のサイレント映画である。
しかも105分という上映時間だったのでなかなかきつかったのが正直な感想だ。
この作品はシナリオが野田高梧、舞台装置(美術)が浜田辰雄と後年の小津組であるのが面白い。

ストーリーは、夫と一人娘を捨ててアメリカに渡って成功した女優・球江(岡田嘉子)が帰国し、
一人娘の滋子(小島寿子)と暮そうとするが、
滋子が夫・渥美(奈良真養)の後妻で育ての母である家庭的な真砂子(筑波雪子)
になついていることを知り、自分から身をひいて再びアメリカへ向かうというもの。
これに渥美の会社の倒産と法律違反による刑務所行き(何の罪かは具体的には示されていない)、
球江の弟で与太者の慶次(結城一朗)とその子分、渥美の親友の日下部(岡譲二)などの人物がからむ。
球江役の新劇女優・岡田嘉子はこの数年後、実際にアメリカではなくソビエトに亡命するので
何か運命的なものを感じるストーリーである。

映像の状態はそれほど悪くなく、なかなか綺麗なモノクロ映像だった。
映像表現で最も気になる(嫌い)のは、人物の顔に徐々に近づいていくクロースアップの手法。
今のビデオカメラのズームと同様の効果だが、とにかくこの手法が多用されている。
同時期の『夜ごとの夢』にも多く見られたが、後年の成瀬映画ではまず見られない手法だ。
当時はまだ27歳の新人監督であり、実験的であったと考えられる映像手法を多用したということだろう。
しかし、作品全体のバランスを壊していることは間違いない。

それからこれも後年の成瀬監督演出と異なり、心理描写等が長く、くどい。
特に岡田嘉子の思い悩むシーンは半分くらいのショット展開でも十分理解できる。
つまりストーリー展開の中で説明的な表現が多すぎるのである。
これはシナリオの欠点でもあるのだろう。
以上のように欠点はいくつかあるが、場面転換には成瀬演出の冴えも見られる。
・冒頭、慶次が通りでタバコを取り出す
・タバコに火をつけている手のアップ。マッチで火をつけているのは港に来ている慶次の子分のスリ
・刑務所に入っている夫・渥美を訪ねた真砂子が夫の手を握る手のアップ
・手のアップ。これは滋子を寝かしつけようとする渥美の母・岸代(葛城文子)が滋子の手を握っている 
といった鮮やかな場面転換のショット展開がある。
成瀬映画のお約束である「チンドン屋」「猫」も登場する、
さらに「交通事故」は、真砂子が自動車にぶつかって怪我をする、
滋子が暗い夜道で自転車にぶつかって怪我をするなど、続けて登場する。

女優役の岡田嘉子は、ソビエトから一時帰国した(ネットで調べると1972年)
したことは子供心に覚えていて白髪の老婦人との印象が強かったが、
若い頃の作品を初めて観てとても綺麗なのに驚いた。
気品のあるモダンな顔立ちと立ち振る舞いはなかなか魅力的である。
特に洋装のシーンには見とれてしまった。
サイレントなので声が聴けないのは残念だ。
岡田嘉子はソビエトから一時帰国してから日本の映画にもいくつか出演していて、
『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』(1981)にも出演している。

滋子の近所の友達役の突貫小僧が家の前の小さい池で釣りをするシーンはなかなかユーモラスだった。
子供のくせに当時の大人の男のようにおしゃれな帽子を被っている突貫小僧の姿は微笑ましい。
滋子がいつもかかえているフランス人形の使い方は『まごころ』を連想させる。

真砂子が勤務する当時のデパート(三越本店のようだ)の店内の風景も貴重だろう。
またこの時代の『腰弁頑張れ』にも見られた音の出るものを画面にとらえる手法もやはりあった。
時計や台所の水滴の他、屋外の地面の枯葉が舞うシーンでは風の音が聞こえてきそうな錯覚を覚えた。

登場人物の心理描写が全体的に長くてくどいのと、
ところどころの映像表現に難点があるのを除けば、
成瀬監督演出の上手さも随所に見られてなかなかいい作品であった。
ヒロインの若き岡田嘉子の美しさを堪能するだけでも観る価値がある。

これで現在観られる成瀬監督映画で私が未見なのはあと一本、
フィルムセンターの特集で今週も上映される『限りなき舗道』(1934)のみとなった。
 限りなき舗道
 フィルムセンターの生誕100年特集で初めて観た。
『生さぬ仲』と同じくサイレント映画で、PCL移籍前の松竹蒲田の最後の作品である。
この作品には助監督として渋谷実と山本薩夫がついている。
ストーリーは、銀座の喫茶店に勤めて一緒のアパートで暮している
杉子(忍節子)と袈裟子(香取千代子)の二人の女を中心に、それぞれの恋愛と結婚を描いている。

冒頭が当時の銀座である。
喫茶店ではホットケーキを焼くシーンがあり当時としてはなかなかモダンな喫茶店なのだろう。
映像表現だが、『生さぬ仲』のところで指摘した不自然なクロースアップの手法は数えるほどしかなく、
画面の構図やつなぎ方はとても流暢で見やすかった。
また、杉子と袈裟子がアパートの近くの電車道を並んで歩くシーンは、
途中に字幕がはさまるが成瀬映画らしく人物の動きを美しくとらえている。
この電車道はどこだかわからないが、以前掲示板で指摘のあった「下北沢」あたりではないか。
成瀬監督原作・脚本の『そよ風父とともに』(1940 山本薩夫監督)に出てくる踏み切りのシーンに
似ていたように思う。
同じシーンに映画撮影所のスカウトマンが杉子に「女優になってみませんか」声をかける。
これがクレジットされてないがどうみても笠智衆である(この前に喫茶店の客としても出てくる)。
この当時はまだ大部屋の新人俳優だったのだろう。
このときに笠智衆らしきスカウトマンが見せる新聞記事には人気女優「東山すみ子」が引退と書いてある。
これって「栗島すみ子」のもじりかと笑ってしまった。

ストーリー展開だが、杉子は恋人・原田(結城一朗)に会いに行く途中で、自動車事故にあう。
またもや自動車事故!だ。
すぐに自動車で病院に運ばれるが、原田は杉子が自動車事故にあったとは知らず、
偶然車の中で男に介抱されている杉子を見かけてしまい、嫌われたと思い勘違いして故郷に帰ってしまう。

この後は、自動車を運転していた名家の息子の弘(山内光)からの求愛と結婚、
結婚生活での弘の母(葛城文子)や姉(若葉信子)からの杉子へのいやがらせ、
それに耐え切れず家を出る杉子、
やけを起し再び山道で自動車事故を起して死んでしまう弘とめまぐるしく展開する。
ここには後年の成瀬映画との共通性が見られるだろう。
・自動車事故の加害者と被害者との恋愛は『乱れ雲』
・結婚生活での姑と家族からのいびりに対して最終的に家を出るのは『女人哀愁』
・自動車事故で死んでしまうのは『君と行く路』
などにつながっていると思われる。
杉子の結婚生活のシーンでは、
・酒場で飲んでいる夫の弘の姿
・家で夫の帰りを待っている妻・杉子の姿
というしゃれた場面転換もある。
一方、袈裟子の方は撮影所で女優となり、
恋人の売れない画家の山村(日守新一)も美術スタッフになるが、
二人とも結局上手く行かず元の生活に戻るが結婚して幸せになる。
杉子は再び銀座の喫茶店に勤め、弟の高一(磯野秋雄)は円タクの運転手として働きはじめると、
成瀬映画の多くのラストシーンのように
「いろいろとつらいこともあったけれど、これからも頑張っていきましょう」といった雰囲気で終わる。
この作品では画家の卵の日守新一がユーモラスな演技をかもし出していて、
暗くなりそうなストーリーにアクセントをつけている。

当時の銀座風景なども見られて、全体的にはなかなかいい作品だった。
それと私にとってはこの作品は記念すべき作品となった。
成瀬映画を初めて観たのは、1990年の頃にTVで観た『めし』だが
それ以来、名画座やフィルムセンターでの特集上映、スカパー、ビデオ等で数多く観てきて、
ついに69本目の成瀬映画である。
これで現存して見られる成瀬映画をすべて観たことになる。
私以外にもいるかもしれないがなかなか感慨深い。
ただし観ていてまだ作品評を書いてない作品もあるので、今後なるべく早くに追加していきたい。
個人的には一人の映画監督の作品をすべて観たのは黒澤映画に続いて二人目となる。
よく69本も観てきたものです。
 夜ごとの夢 新規作成 2014.11.1

原作と監督=成瀬巳喜男、脚色=池田忠雄。

バーの女給・おみつ(栗島すみ子)は息子(小島照子)と暮らしている。
そこに失業中の夫(斉藤達雄)が戻ってきて一緒に暮らすが、
仕事が見つからず、苦しい中で夫は悪事に手を染めて・・・・
といったストーリーの75分のサイレント映画である。

クレジットタイトルには、監督補佐として渋谷実、
舞台装置として浜田辰雄の名前がある。

ファーストシーンは、「おみつが遠くから帰ってきたらしい」との字幕で、
着物姿のおみつ(栗島すみ子)が港(東京湾?)から歩いてくる。
船員二人とのやり取りがある。
どこに行っていたかは説明がないので不明。

当時の松竹蒲田を代表する人気女優の栗島すみ子。
小柄で可愛らしい顔をしているが、それほど美人だとは思わない。
私が最初に観たのはもちろん『流れる』の貫禄ある女将役で
当然ながら本作の若い栗島すみ子の印象とはずいぶんと異なっている。

栗島はアパートに戻り息子と再会する。隣の部屋の女(吉川満子)が
栗島の留守中、息子の面倒をみていた。

屋外シーンによく川や海や渡船が登場する。
おそらく隅田川の河口の佃島、月島あたりのロケーションだろう。

失業中の夫(斉藤達雄)がアパートに来て、一緒に住むようになる。
知人に就職の斡旋をしてもらうが、不況下でなかなか職にありつけない。

子供たちと原っぱで草野球をするシーン。
部屋の中でリンゴを上に放ると、それが野球の球に変わるという
後年の成瀬映画にもよく見られる「小道具つながり」の手法だ。

何故か靴を脱いでバッターボックスに立つ斉藤。
脱いだ靴を土管のところで触っている息子。
靴底に穴があいているのを見つけ、中にキャラメルの箱(明治キャラメルの文字が映る)を
入れ、外側からキャラメルを塗りこむという有名なギャグがある。
それにしても、この時期の成瀬サイレント映画には穴のあいた靴や靴下がよく
登場する。ある演出表現をぶれずに使い続けるのは、成瀬演出の特徴の一つだ。

本作では、人物の目線のやり取りがかなり多用されている。
また、『君と別れて』と同様、人物へのカメラ移動によるアップ(ドリーイン)が多い。
この撮影技法は流行りだったのかもしれない。

息子が自動車にはねられる。またもや自動車事故!
命は助かるが、頭に包帯をしてアパートの部屋に寝ている。
「時計」「氷を割る」というショット。音の出るものを意識的に映している。
これは『腰弁頑張れ』にもあったがサイレント映画独特の工夫だろう。

息子の治療費が必要となり、斉藤は会社か工場のようなところ(画面でははっきりしない)
に忍び込んで、金を盗む。
警備員に見つかり、警備員が発砲した拳銃で腕に傷を負う。
警察の捜査の様子も描かれる。

この辺の夜の描写は、小津映画の『その夜の妻』(1930)や『非常線の女』(1933)
の雰囲気によく似ている。
二人とも当時のアメリカ映画(ギャング映画?)に影響を受けたようだ。

アパートに戻り、札束を栗島に渡す。
栗島は一瞬にして夫が悪事に手を染めたことを理解し
夫を激しく責める。

斉藤は「坊やのことを頼む」と言って、外に出ていく。
警察へ自首に行ったと思わせる展開だが、翌朝栗島の部屋に
駆け込んできた隣人から「ご主人が海に身を投げた」と
知らされる。

急いで現場に走っていく栗島。
現場には濡れた帽子があり、刑事から遺書を渡される。

ラストは短い風景描写のショット展開が続き、船からの海(東京湾)
の映像で終わる。

昭和8年のキネマ旬報ベストテンの第3位であり、成瀬監督の出世作と言われている。
昭和8年の日本映画ベストテンを調べると
第一位『出来ごころ』(小津安二郎監督)、第二位『滝の白糸』(溝口健二監督)、
第3位と第4位が成瀬監督で、第七位『盤獄の一生』第八位『鼠小僧治郎吉』(山中貞雄監督)。
成瀬、山中両監督の作品が2本ずつ入っている。

しかし、私は本作をあまり評価しない。
ともかく題材が、暗くて滅入る。
ラストもまったく救いがない。
どんなに苦しい状況でも、最後にかすかな希望を感じさせるのが
「成瀬スタンダード」だと信じているので、本作のようなただ暗いだけの映画は苦手だ。
これは本当に<ヤルセナキオ>そのままだ。
成瀬演出はいくつか光るところもあるのだが、
栗島すみ子、斉藤達雄の暗い表情だけが頭に残る。
演技もオーバーだ。

同年の『君と別れて』の方が断然出来は良いと思うのだが。
君と別れて 新規作成 2014.10.31

原作、脚色、監督=成瀬巳喜男である。
芸者の世界の悲哀を描いた成瀬監督28歳のサイレント映画。

クレジットには「舞台設計(=美術監督?)」として
長く小津映画の美術を担当した浜田辰雄の名前がある。

主演は、若くて可愛い芸者・照菊役に当時アイドル的の人気があった水久保澄子。
照菊の先輩芸者・菊江役に当時の松竹蒲田を代表する女優の一人吉川満子、
菊江の一人息子・義雄役に磯野秋雄。

ファーストシーンは、夜、街中を走って逃げていく不良少年たち。
それを見て不安そうに噂している二人の芸者。

場面は芸者の置屋に移る。火鉢の横で競馬新聞を熱心に読んでいる女将(飯田蝶子)。
夢中になりすぎて、キセルの火のついてる側を口にあてて、「あっちい」というギャグが
はさまる。
芸者の置屋は、後年の『流れる』を思い起こさせる。

吉川満子は息子と二人でアパートに住んでいるが、息子の秋雄は母親が芸者で生計を
立てていることが気に食わない。不良少年の仲間入りをしてしまう。
そんな息子が心配な吉川満子は、同じアパートに住んでいる妹分の芸者の水久保澄子
に、自分が年を取ったことや息子の態度などを愚痴る。

水久保澄子は1916年(大正5年)東京生まれ。
松竹楽劇部(後のSKD)から松竹蒲田入りし、
成瀬映画『蝕める春』で(1932 昭和7年)デビュー。
続く同年の成瀬映画『チョコレート・ガール』で人気を博したとのこと。
2本とも現存していない。
ネット等の資料によるといろいろなトラブルで映画界を追放され、
その後消息不明という凄い人生を送っている。

昭和8年の女優とは思えない、現代的な風貌をしている。
顔を見ていて誰かに似ていると思ったら、
女性3人の人気ユニット「Perfume」の「のっち」こと大木彩乃にそっくりだ。
両方ともネット検索すれば顔写真が出てくるので、比較してみてほしい。
「のっち」は伝統的な日本美人だということだろう。
もう一人似ているのが、女優の遠藤久美子。
こちらの方がより似ているかもしれない。

吉川と水久保が朝の街を並んで歩く。
工場の煙突とどぶ川が見える木橋に立ち止っての二人の会話シーン。
ここでの二人の移動アクションや振り返りのショット展開
などは、後年の成瀬映画に通ずるものがある

当時のサイレント映画特有の手法なのかわからないが、
いくつか(あまり良くないと感じる)映像手法がある。

■短いショット展開
 →一つのショットを理解する前にすぐに次のショットに移るところが随所にあり、
  せかせかとしてゆっくりと観られない
■不自然な、人物への寄り(ドリーイン)
 →この当時のカメラには無かった、「ズームイン」効果である。
  吉川と磯野がアパートの部屋で口論するところなどに繰り返し使用される。
  本作だけでなく、この時期の成瀬サイレント映画には多くみられる
■小道具のアップ
 →財布、カバン、ハンカチ、簪、穴の空いた靴下 など
  小道具へのアップ映像が頻繁に出てくる。
  後年の成瀬映画のように自然な流れが無く、唐突でこれ見よがしの演出感がある

・アパートで寝ている磯野の枕元にウイスキーのポケット瓶。
・起き上がる磯野を目線で追う吉川。
・立ち上がっている磯野と座って見上げている吉川。
というショット展開。
この時期にすでに「目線送り」の技法をやっていたことがわかる。

夜の街で不良少年を見張り、逃げていく彼らを追いかける刑事。
クレジットタイトルには出ていないが、
一瞬顔のアップがあり、帽子をかぶり口髭をはやしている刑事役の男は、
どうみても笠智衆だ。当時はチョイ役の大部屋俳優だったのだろう。

水久保は漁師町の実家に用があって帰省する。
気分を変えてあげようと、磯野を誘う。
二人は相思相愛なのだ。

電車の中で楽しそうに話す二人。
水久保が手に持った「明治チョコレート」のアップ。
藤本真澄が明治製菓の宣伝部にいた関係でのタイアップだろう。
前年にはタイアップ色の濃い(観てないから何とも言えないが)
前出の『チョコレート・ガール』だ。

典型的な漁師町の実家に向かう途中で、水久保の弟の突貫小僧が出てくる。
場所はわからないが房総半島か三浦半島あたりか?

父親役の河村黎吉が座敷で昼間っから酒を飲んでいる。
娘を芸者にさせといて、遊んで暮らしいている河村を非難する水久保。
河村は成瀬映画に登場する「ダメ男」の典型だ。
人のいい親父役の多い河村だが、本作の河村の表情は少し怖い。

水久保と磯野が会話する海岸のシーン。
実際の屋外ロケーションだが、遠景の海の波が結構荒いのに驚く。

東京に戻り、不良少年に呼び出される磯野。そこに駆けつける水久保。
磯野に切りつけた不良少年のナイフが、かばおうとした水久保を刺してしまう。

水久保の病室を見舞う吉川と磯野。
水久保の傷は癒えて退院する。

ラストシーンは当時の品川駅のホーム。
水久保は実家の妹を芸者にさせないために、より稼げる場所へ旅立とうとしている。
見送りにきた磯野との涙ながらの会話があり、
水久保を乗せた列車が行ってしまったところで映画は終わる。

題材は日本映画によくある内容で平凡だが、
随所に成瀬演出の冴えも光る佳作と言ってよいだろう。
同年のキネマ旬報の第四位となった。


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