成瀬監督作品1940年代ベスト10+番外編



題名

製作会社、製作年

主な出演者

DVD

①旅役者

東宝東京 昭和15年 藤原鶏太(釜足)、柳谷寛、高勢実乗

②秀子の車掌さん

南旺映画+東宝
昭和16年
高峰秀子、藤原鶏太(釜足)、夏川大二郎 DVD化

③歌行燈

東宝 昭和18年 花柳章太郎、柳永二郎、山田五十鈴 (ビデオ化あり)

④芝居道

東宝 昭和19年 長谷川一夫、山田五十鈴、古川緑波 (ビデオ化あり)

⑤三十三間堂通し矢物語

東宝 昭和20年 長谷川一夫、田中絹代、市川扇升 (ビデオ化あり)

⑥浦島太郎の後裔

東宝 昭和21年 藤田進、高峰秀子、杉村春子 DVD化

⑦春の目ざめ

東宝 昭和22年 久我美子、杉村春子、石黒達也、志村喬 DVD化

⑧愉しき哉人生


東宝 昭和19年  柳家金五楼、中村メイコ、渡辺篤  

⑨なつかしの顔


東宝 昭和16年  花井蘭子、馬野都留子、小高たかし  
⑩母は死なず 東宝 昭和18年  菅井一郎、入江たか子、斉藤英雄  
 番外編      

俺もお前も

東宝 昭和21年 横山エンタツ、花菱アチャコ、山根寿子 DVD化

上海の月

東宝+中華電影 昭和16年 山田五十鈴、汪洋、大川平八郎 現存=53分のみ

勝利の日まで

東宝 昭和20年 徳川夢声、高峰秀子、横山エンタツ、花菱アチャコ、山田五十鈴
四つの恋の物語
第二話「別れも愉し」
東宝 昭和22年  木暮実千代、沼崎勲、菅井一郎  DVD化


 タイトル 作品評 
①旅役者 信州あたりに芝居公演に来た「中村菊五郎一座」のエピソードを描いたコメディタッチの作品。

冒頭、田舎の人たちが「あの有名な菊五郎が来る」と噂をするシーンから始まるが
実際には菊五郎が尾上ではなく中村であると知ってがっかりとする。
一座の中で「馬」の足を演じる役者市川俵六(藤原釜足)と
中村仙平(柳谷寛:私の世代だとTVのウルトラQなどでおなじみの顔)
は馬の研究に余念がない。
ところが、馬の顔を壊されてしまい、本物の馬を舞台で使うようになり
これが大好評のため二人は出番を失う。
柳谷寛が言う「馬に馬の芝居が出来てたまるか」という台詞が妙におかしい。

馬を逃がしてしまい、それをはりぼての馬にはいった二人が田舎道を追っていく
というラストも笑いの中に何か叙情的なものを感じる名シーンである。
この作品の大半を占める屋外のロケーションが素晴らしい。
本物の馬の出演のおかげで役者の出番を失った二人が歩くシーンは、
戦前の日本の田園風景そのものといった感じ。
また夜、小川のほとりで星を見るシーンも綺麗だ。
若き藤原釜足の職人気質といった台詞の言い回しもなかなかイナセでいい。
藤原釜足が芸の話をするくだりは、「鶴八鶴次郎」「芝居道」などの「芸道もの」
のバリエーションといってもいいのではと思うほどである。
山中貞雄作品等で有名な高勢実乗(通称:あのねのおっさん)も、
一座の親方(ひょろひょろとしてあまり頼り甲斐はなさそうだが)役
をギャグなどなしにまじめに演じている。

しかし、70分くらいの他愛の無い話なのにかかわらず、
ストーリー運びの上手さに感心してしまう。
今回の「三百人劇場」で集中的に成瀬映画を観ていて感じることは、
成瀬映画は1回観ただけではなかなか理解できないということ。
一見わかりやすい映画だが、冒頭の導入部分への運び方、渋い省略の場面展開、
小道具の使い方、台詞、登場人物の視線の交わり、
ロングショット・ミディアムショットのリズミカルな組み合わせ、
アクションつなぎ、そして決定的な屋外シーンの光と影などなど
至るところに細かい演出がしてあり、
同じ作品を何度か観て「ああそういう意味だったんだ」と感じることはしばしばである。
②秀子の車掌さん 原作は井伏鱒二の小説「おこまさん」。
甲府近郊のバス会社の運転手・園田(藤原鶏太)と車掌・おこま(高峰秀子)を
とりまく物語である。

甲府近郊(はっきりと甲州街道、青梅街道、笛吹川などの地名がでてくる)の
のどかな情景がでてくる。
地方を舞台にしたほのぼのとした雰囲気と1時間前後の小品という意味で、
『まごころ』、『旅役者』と共通している。
タイトル通り、主役は17歳の高峰秀子である。
その可愛さは実際に観て実感してもらうしかない。
バス会社の社長(勝見庸太郎)のえばりぶりが凄い。
いつもかき氷にラムネをかけて食べている変なおっさんである。
園田(藤原鶏太)に給料を支払う時、「君に先月分の給料をくれてやる(!)」といって、
自分の財布の中から園田の目の前でお札をとりだすのである。凄すぎる!!

乗客の少ないバスの人気を高めようと、
路線の名所旧跡をガイドするというアイデアをおこまが出し、
温泉に逗留している小説家・井川(夏川大二郎)に頼むと、
無料でこころよく引き受けてくれる。
その文案をもらって園田と道を歩いている時のおこまの台詞がまた凄い。
「この文案は園田さんから社長に検閲してもらってください」。
「検閲」とはさすが昭和16年の映画だと思ってしまう。
小説家・井川は人が良い感じでいい味をだしている。
おこまのことを「バスガイドさん」と丁寧に呼ぶのも洒落た感じである。

ラスト近く、この小説家が東京に帰る時に、
列車を園田とおこまが踏み切りで見送るシーンはいかにも成瀬監督演出。
列車が近づくと、二人は列車に向かって手をふり、小説家も手をふっているようだが、
小説家のアップなどはなく、列車はそのままのスピードで一気に走りぬけていくので、
車中の小説家の姿は見えない。
(あれが見える人がいたらその人は凄い動体視力の持ち主である
 :未見の方は試してみてください)
説明的なシーンを嫌う成瀬監督らしい。こういうところが渋くてたまらない。

ほろ苦い結末は、ストーリーは異なるが「流れる」にちょいと似てる。
54分の短い作品だが、若きデコちゃんの魅力いっぱいの傑作である。
③歌行燈 泉鏡花原作。戦前の成瀬監督のいわゆる芸道物の一つである。
この映画の見所は何と言っても、朝もや立ち込める林の中で、
主人公の能役者 喜多八(花柳章太郎)がお袖(山田五十鈴:可愛い)に
舞を教えるシーンである。
淡い陽射しの木々の中、キャメラはゆっくりと自由自在に動き回る。
後年の成瀬映画のキャメラワークにはまず見られない華麗な映像である。
キャメラは黒澤映画の黄金期の傑作(野良犬、生きる、七人の侍他)
でおなじみの中井朝一。
このソフトフォーカス気味のモノクロ映像は本当に震えるくらいに美しい。
気品漂う名場面である。
こういう映像はもう現代の日本映画では見られないのであろうか。

NEW追加 2015.5.13作成
久しぶりに録画DVDで観た。
この映画には一つ思い出がある。
それは、現在の池袋の新文芸坐の前の旧文芸座の地下(邦画専門)が1997年3月に閉館した時の
最後の上映作品が、この『歌行燈』だった。
また、翌年の1998年9月に「銀座・並木座」閉館の時は『歌行燈』ではないが
成瀬映画特集で『おかあさん』『晩菊』の2本立てだった。
2つの東京を代表する名画座のラストが成瀬映画だったのは偶然の一致だろうが
因縁めいている。

いかにも芸道物風のクレジットタイトルの後、ファーストショットは
東京から来た能の名古屋公演を知らせる看板(時代劇の立札のような)の文字。
この感じは『旅役者』の最初に似ている。
実際の能の舞台の様子が描かれる。ここは5分くらいあるだろうか、結構長い。

舞台上の恩地喜多八(花柳章太郎)の顔のオーバーラップで、汽車の中に場面転換する。
花柳の父の源三郎(大矢市次郎)と叔父の辺見雪叟(伊志井寛)は、古市から伊勢参り
してと旅の予定を楽しそうに語っているが、乗り合わせた客から、
「能を観たがまだまだ修業が足りない。古市の宗山先生(村田正雄)に会って教えを受けなさい」
と言葉はかけられる。大矢は気にしない風に「わかりました」ににこやかに調子を合わせるが、
恩地の芸を侮辱されたと感じた花柳。
噂話でストーリーが展開していくのも成瀬映画の特徴の一つである。

この後
・古市での花柳と村田(宗山)との芸の対決の結果、宗山の自殺
・それ知った父・大矢から勘当されて、「謡」を禁じられる花柳
となる。
村田の娘のお袖(山田五十鈴)と花柳は中盤に初めて出会うと記憶していたが
この時、お茶を出す、村田の要請で帰る花柳を呼び止めに行くと2度会っていて
会話もかわしていた。

古市の旅館を出発し、並木道の街道を並んで歩く大矢と伊志井。
歩きながら、顔に木漏れ日の光と影が流れていく映像は美しい。

あれから二年の文字が出て、三味線を持って門付けで暮らしている花柳の姿。
同じ芸道物の『鶴八鶴次郎』の長谷川一夫の姿を思い起こす。
居酒屋にいる同業者の次郎蔵(柳永二郎)とのやり取りがあって、
山田が父の死の後に芸者になったことを知らされる。

柳永二郎の口調。そのイントネーション、間が素晴らしい。
まるで落語の登場人物のようだ。

花柳と柳の二人が渡船場(桑名?)の前の茶店で酒を飲みながら語るシーン。
柳が山田のその後の苦境を語る回想シーンが随所に挿入される。
花柳、柳の顔のカットバックの時に切り替わる順光と逆光の映像がとてもいい。
茶店の暖簾が揺れる風の感じも素敵だ。
この茶店のシーンは、この映画の舞台となる明治時代の後期の旅情を
感じることが出来て、とても好きなシーンだ。

自分の若気の至りで村田(宗山)を死に追いやってしまった花柳は
娘の山田のいる鳥羽に出向き、1週間「舞」を教える。
このシーンの幻想的な美しさ。

ラスト、偶然泊まった宿の芸者・山田の舞をみて、その芸の確かさに気づく
大矢と伊志井。
その座敷の庭に花柳が現われ、勘当をとく大矢。
この山田の舞はぞくぞくするような迫力がある。

久しぶりに観たが、成瀬映画の芸道物では『鶴八鶴次郎』と並ぶ名作だ。

④芝居道 成瀬監督「芸道もの」の1本。
主役は「鶴八鶴次郎」と同様、長谷川一夫と山田五十鈴。それに古川緑波が出演している。

明治時代の大阪・道頓堀の芝居小屋が舞台となる。
観客にいい芝居を提供するという興行師 大和屋栄吉(古川緑波)の「芝居道」
と人気役者 中村新蔵(長谷川一夫)の芸の修行そして栄吉への義理と人情、
さらに女義太夫 竹本花龍 (山田五十鈴)との恋愛など
正に「人情噺」の典型のようなストーリーである。

中古智の美術によるオープンセットが凄い。
大阪の角座をモデルにしたという芝居小屋は2階の客席までセットとは思えない精巧さ。
芝居小屋の正面には橋や川まである。
一方栄吉の家や花龍の家は、路地にあり、いかにも成瀬監督監督作品らしいたたずまいである。
この辺の中古智本人の解説は「成瀬監督監督巳喜男の設計」(筑摩書房)に詳しい。
そこでも中古智が述べているがセットの撮影が多く、
実際のロケーションがほとんどないため、
他の成瀬映画のように場面転換で澄んだ空気の外景がフェードインされず、
観ていて少し息苦しくなってくる。
同じ芸道ものでも『鶴八鶴次郎』や『歌行燈』には美しいロケーションシーンが多数あった。

ストーリーはなかなか泣かせるし、
東京で修行して芸を磨いた新蔵が大阪に戻り窮地におちいっていた栄吉を救い、
姿をくらましていた花龍とも結ばれるハッピーエンドも爽やかである。
この作品に限らないが、成瀬映画の登場人物はみな「慎ましく」「上品」である。
現代の映画にはこういう「慎ましさ」は少ない。

栄吉のライバルの興行師役の志村喬は、大坂の商人の雰囲気が良くでている。
栄吉のことを敵視し毒づいていたのに、
ラストになって栄吉に「芝居道」の教えを請うという変貌もそれほど嫌みがない。
⑤三十三間堂
 通し矢物語
昭和20年の6月28日という時期に公開された上映時間77分の小品。
成瀬監督初めての時代劇である。

京都の三十三間堂で行われる「通し矢」
(決められた時間内にどれだけの矢を的にいることができるかを競う)
に挑戦する17歳の和佐大八郎(市川扇升)を軸に、
それを支える宿屋小松屋の女将 お絹(田中絹代)、
星野勘佐衛門(長谷川一夫)などによってストーリーが展開する。
内容的には芸道物のバリエーションといった感じである。

大八郎の父 は、星野勘佐衛門の通し矢の記録8000本(凄い記録!)
に挑んだが失敗して自害してしまう。
父親の意思を継いだ大八郎は、父親の恩義を感じているお絹の世話のもと、
小松屋に住みながら弓の稽古にいそしむ。
ストーリー自体は参考資料にある本等を参照していただきたい。

ファーストシーンは「三十三間堂」の中での説明の後、
「通し矢」の由来(父親の失敗を返上しようと通し矢の記録に挑戦する大八郎)
を説明している辻講釈士の後ろ姿と熱心に聞いている京都の庶民の姿となる。
ここでは成瀬映画には珍しく「クレーン撮影」のようなショットがある。

前半は小松屋の番頭(田中春男:若い)や小松屋の女将 お絹(田中絹代)、
そして大八郎(市川扇升)の弓場での練習風景などによって状況が説明される。
成瀬映画では珍しく人物や部屋を遠くからとらえたロングショットが多用されている。
人物のバストショットとの切り換えしがあるが、
前半はいつもの流れるようなスムーズさはなく、
ぶつ切りになったような印象で、あの成瀬監督独特の心地よいリズムではない。
「やはり低迷期の失敗作なのかな」と思い始めた次第。

ところがこの作品20分くらいたって、
身分を隠して「唐津勘兵衛」と名乗る長谷川一夫
(実は大八郎の父親が記録を破れなかった星野勘佐衛門本人)が登場して、
浪人連中から大八郎やお絹を助けてから俄然面白く、演出も冴えてくる。

「唐津勘兵衛」が大八郎の弓の修行を励まし、一緒に弓場へ行った帰りに
後をつけた浪人ものたちに対して大八郎とじいやを先に帰して、自分が引き受ける。
ところがその浪人ものを指図していたのは勘佐衛門の弟の星野数馬(河野秋武)であり、
兄弟の台詞がカットバックで続く。
この屋外シーンの陽射しはいかにも成瀬監督好みのものである。
数馬の顔にはちゃんと「木漏れ日」があたっている。
フェアプレー精神の兄と兄の記録を大八郎に破られてたまるかと
大八郎を出場させないように怪我をさせようと藩の浪人をけしかける数馬は対立する。

冴えたショットのつなぎとしては、
・勘兵衛の顔
・同様の形で重なる大八郎の顔へのつなぎ
・弓場の帰りに川の土手を歩いている3人(勘兵衛、大八郎、じい)
・大八郎が少女に花をあげる
・部屋で花を生けているお絹へのつなぎ
など、
戦後の『めし』『妻」などにも見られる成瀬監督監督らしい洒落たショットのつなぎがある。
こういったところでも、この作品なかなか捨てたものではない。
さらに
・庭で弓をいている(的は写さない)
・丸鏡に写ったお絹の顔(丸鏡=的のようなイメージでは)
なども、なかなか洒落たつなぎである。
結局、大八郎とお絹には、「唐津勘兵衛」が星野勘佐衛門その人であることがわかり、
だまされたと誤解する。

「通し矢」のイベント当日となる。
柵の外に群がっている見物人の台詞がいくつか続く。
このへんの間接話法は落語の語り口のようにも思える。
矢は当たると「太鼓の音」、はずれると「小さい鐘の音」が鳴る。
弓を引く大八郎、部屋で成功を祈っているお絹、
会場でじっと見守っている勘佐衛門、見物人とカットバックが続くが、
この間は、太鼓と鐘の音がかぶさるので状況は理解できる。
結局、大八郎は途中で調子をこわすが、勘佐衛門の助言によって見事新記録を達成する。
達成と同時に、寺の鐘がゴーンと鳴り響く。音による演出効果の巧みさである。
ラストは道を歩いていく勘佐衛門の姿で終わる。

低迷期といわれる時期の作品だが、
前半のテンポやリズムの乱れそして大八郎役の演技の下手さを除けば、
なかなか成瀬監督らしい演出術がつまった作品だ。
⑥浦島太郎の後裔 日本映画専門チャンネルで観た。
低迷期の失敗作という評価で一度観たかった作品だった。
感想を一言で言えば「不思議な作品」ということになる。
フランク・キャプラ監督の「スミス都へ行く」や「群衆」
といった作品の影響が色濃いようだ。

「民主主義」とか「英雄」とか「大衆」とか、
およそ成瀬監督作品にはふさわしくない非日常的な単語がとびかう。

冒頭は主人公の浦島五郎(藤田進)がラジオの放送で「不幸の叫び」を伝える。
この叫びが聴いていて恥ずかしくなるような中途半端なものなのには笑ってしまった。
この次のシーンには成瀬監督監督らしいつなぎがある。
・乙子(山根寿子)がラジオから流れる浦島の叫びを聴いている
・ラジオのアップ
・別の場所の千曲女史(杉村春子)が聴いている
という小道具を用いた場面転換である。

杉村春子が姪の新聞記者の阿加子(高峰秀子)に浦島を探し出すように勧める。
浦島を発見した阿加子は「国会議事堂のてっぺんで叫んでみたら」というアイデア
を出して、浦島がそれに乗る。
国会議事堂のてっぺんの部分はもちろん模型だが、特殊撮影はなんと円谷英二。
新聞での話題となって、日本幸福党(凄い名前!)に誘われ代議士となる。
その後は日本幸福党に利用されていたと気づいて、壇上で自分の人気を利用していた
日本幸福党のニセ民主主義を告発する。

印象深いのは敗戦直後の東京のロケーションシーンで、廃墟が多く軍服姿も目立つ。
国会議事堂付近(おそらく現在の地下鉄「国会議事堂前」駅あたりか)も
ものすごくさびれている。

この作品は屋外シーンはわりと明るい色調だが、
スタジオ撮影となると非常に暗いモノクロ画面となって観づらい。
日本幸福党のパーティで、幸福党のパトロンの娘の乙子が台詞を話していたかと
思うと突然歌い出してミュージカル調になるなど、
本当に成瀬監督作品かと思う場面が多い。
しかしテーマとしては現在の政治にもあてはまるような点も感じられて、
それほど悪い作品ではないように思う。

ともかくこういう作品まで成瀬監督が演出していたということに
ある種の感動を覚えてしまう。
新聞記者役の高峰秀子はとても綺麗だし、
眼鏡をかけたインテリ風の雑誌編集長の杉村春子もなかなかいい味を出している。
⑦春の目ざめ 今回スカパーの「衛星劇場」での放送で初めて観た。
昭和22年という成瀬監督が最も低迷していたと言われる時期の作品である。
「思春期の女学生」の揺れ動く心を描いたもので、
他愛ないといえば正に他愛ない作品である。
戦後の混乱期に、このようなのどかな作品を撮るのがいかにも成瀬監督らしい。

主人公の女学生・久美子(久我美子)とその友達 花恵(木匠久美子)、
京子(国井綾子)、明子(花房一美)と
花恵の兄の高校生 国男(近藤宏)とその友人を中心に描く。
久我美子は演技は未熟だが、笑ったり、泣いたりと
当時のこの年頃の女学生の不安定な心をよく表現している。
セーラー服姿で帽子をかぶって歩く姿は可愛い。

この作品は、地方の田園風景(長野県松本市)の屋外ロケシーンがとても多く、
その映像はやはりとても美しい。
山へのピクニックシーンの花畠、学校の土の校庭のバックに広がる入道雲、
川遊びなど正に<日本の田舎の夏>そのままである。
ストーリーは全然違うが、屋外のロケ風景などは少し『まごころ』に似ている。
そういえば、『まごころ』に出演していた村瀬幸子が久美子の母役である。
途中、身体検査のワンシーンに女学生役の杉葉子さんを発見してしまった。

成瀬監督らしい渋いショットつなぎはあった。
・久美子(久我美子)の妹が風邪を引いて、母親が<早く薬持っていってあげて>
・<お茶碗で飲むシーン:妹が薬を飲んでいるかと思うと、
  久美子のボーイフレンドの浩司(杉裕之)が自宅でお茶を飲んでいて
  父親で医者の小倉(志村喬)に話しかける>
といった空間移動。
また
・昼間姉の子供を抱いている久美子
・顔のオーバーラップ
・夜、同じ姿で妹の姿を眺めている久美子
といった時間移動。
この辺の編集のかっこよさは、低迷期といえども成瀬監督らしい素晴らしさだ。


最後は久美子の友人の明子が妊娠するといった事件が起こり、
<性教育>についてがテーマになったりして当時としては、
結構過激な内容のようにも思える。
ラストは、夏休みに野尻湖で泳ぐ花恵、京子、浩司、国男のところに、
遅れてきた久美子が湖畔で手を振るシーンで終わる。
何も解決させようとしないところもいかにも成瀬調です。
作品評価としてはそれほど悪い作品ではない。
愉しき哉人生
以前一度スカパー「日本映画専門チャンネル」の放送で観ていたが、
今回作品評を書くために録画DVDで観直してみた。

一言で言えば「不思議な映画」である。
ある田舎町に東京から相馬太郎(柳家金語楼)と
娘二人(英子=山根寿子、めぐみ=中村メイコ)一家が引越してくる。
相馬太郎は「よろづ工夫屋」の看板をあげ、
どんなことでも気の持ちようと工夫で改善されるという考えを
娘二人とともに町の住民に吹き込んでいく。
最初は敬遠していた町の人達が、その考えに共鳴した時、
相馬一家は突然東京に戻っていってしまう。
以上がストーリーである

これは1944年(昭和19年)という戦争中の作品なので、
こういう題材(貧しくても耐えて頑張ろう)のものが意図して作られたとも思える。
「目線」の演出や、切れのいい編集術はあまり見当たらない。
成瀬映画としては凡作といってよいだろう。
ただし、田舎町ののんびりした風情や、
町の住民の職業の描写(床屋、時計修理屋、写真屋、居酒屋、薬屋、桶屋)
の語り口はなかなか魅力的である。

冒頭が床屋のシーンで、主人の万吉(横山エンタツ)が客といろいろと町の噂話をしている。
『噂の娘』の冒頭も床屋だった。
噂話や床屋という要素は「落語」の語り口だと感じる。
そのあたりはやはり成瀬映画らしい。

笑ってしまうのは、桶屋が修理で桶をたたいてる音から急に、
山根寿子がそのリズムに合わせて歌いだすシーン。一種のミュージカルだ。
また、雨が降っているシーンで、水たまりで少女達が優雅に踊る合成映像も
なかなか成瀬監督監督作品では見られない映像表現である。
その意味では貴重な作品と言えるだろう。
ストーリーも舞台設定もまったく異なるが、
マキノ正博監督の明朗ミュージカルホームドラマ『ハナ子さん』(1943)
を連想してしまった。映画の雰囲気はとても似ている。

ところどころに挿入される川と山の自然描写の屋外シーンは、
さすが成瀬映画らしく光線の具合が素晴らしくとらえられている。
戦後の作品で東京の下町の路地の描写が多い映画監督というイメージがあるが、
『まごころ』、『旅役者』、『なつかしの顔』、『秀子の車掌さん』
などこの時期の作品は地方の田舎町が舞台となる作品がほとんどである。
自然豊かなのどかな風景を舞台にした成瀬映画もとても魅力的である。

ラストシーン、めぐみ(中村メイコ)の友達の豊(小高たかし)が、
相馬一家を追いかけて田舎道を駆けていく。
たんぼの一本道にはすでに誰もいない。
次のシーンで台車に荷物を載せて田舎道を行く相馬一家の描写で終わる。
このラストシーンはなかなか味わい深い。
町に来て、問題を解決して去っていく。
少し「西部劇」のパターンもはいっているようだ。
⑨なつかしの顔
「旅役者」の次の1941年の作品。
たった34分の短編映画だが、ストーリー展開、場面転換の省略法、撮影、
映画全体の雰囲気など、素晴らしい出来である。
成瀬監督本人のオリジナルシナリオで、
シナリオライターとしても1流だということが証明できる。

京都の近郊あたりの農家に住んでいる母(馬野都留子)と
出征している長男の嫁・お澄(花井蘭子)と次男の小学生低学年の弘二(小高たかし)。
弘二は友達の模型飛行機を飛ばしていて、木にひっかけてしまい、
それを取ろうとして木から落ちて、足に軽い怪我をする。
近くの町の映画館でのニュース映画で、戦地でのニュースに長男の良一が映っていると聞き、
母が見に行くが、涙をうかべた間にニュース映画は終わってしまって、
一瞬しか映らない息子の姿はわからずじまい。
翌日は、妻のお澄が見に行くが、気乗りせずに見ないで帰ってきて、
そのお金で足の怪我で家で寝ている弘二に模型飛行機を買ってくるが、
母と弘二には「見てきた」と嘘をつく。
映画館に行った友達の情報で、お澄が映画館にいなかったことを知った弘二は、
自分が欲しかった模型飛行機を買うためにお澄が映画を我慢したんだと思い、
お澄に飛行機を投げつけ泣き出す。
お澄がなだめているところに、小学校の先生がやってきて、
ニュース映画を借りることができたので、夕方に小学校で上映すると知らせてくれる。
夕方、3人で揃って小学校に向かう。

以上がストーリーである。
戦時色の強い映画で、上空を飛ぶ飛行機や、
畑で行軍の練習をする兵士の姿もところどころに見られる。
模型飛行機とニュース映画という2つの題材を交錯させながら
ストーリー展開をしていく成瀬演出は冴えまくっている。

成瀬監督らしい粋な演出の一つは、
・お澄が家で縫い物をしている表情
・銃声とともに、兵士が行軍している風景
と場面転換する。
観客は一瞬、お澄がすでに映画館に着いて見ているニュース映画の映像かと錯覚するが、
次のシーンでバスに乗って町の映画館へ向かう車中のお澄(花井蘭子)となる。
そしてバスが通った道を、その同じ兵士たちが横移動していくことにより、
兵士が行軍練習している姿をお澄が見ていたことがわかる。
銃声は心理描写的な効果音の使い方なので、一瞬だまされる。
こういうところに成瀬監督の遊び心というかいたずら好きの面があって面白い。

ラスト近くですべてを知った弘二が、
畑仕事をしているお澄のところに歩いていくシーンがある。
足の怪我は完治してないので、片足を引きずりながら、
手には模型飛行機をもって、畑に向かう弘二の姿が描かれる。
これは、
・『まごころ』では足を引きずりながら
 フランス人形を返しに行く信子(悦ちゃん)、
・『秋立ちぬ』では、やはり怪我をした足を引きずりながら
 カブトムシを届けようとする秀男(大沢健三郎)の姿、
・『コタンの口笛』では同級生と喧嘩して足を怪我して、
 ラストシーンに足を引きずりながら引っ越ししていくユタカ(久保賢)
と重なり合う。
足を怪我した子供が小道具を手に持って、片足をひきずりながら道を歩くという映像は、
成瀬監督の4作品に共通しているのだが、このことは私が発見しました(笑)。

木から落ちるところを直接的に表現しないで、
木が風で揺れるシーンや友達の子供たちが田んぼ道を走って逃げていくシーンなど、
弘二の怪我を予感させる演出も、映像作家・成瀬監督らしい。

この作品は当時の批評家・滋野辰彦氏が映像テクニックを絶賛しているのが
資料に残っているが、まったく同感である。
しかしたった34分の作品にこれほど映画的な魅力を詰め込めるとは、
映画監督・成瀬巳喜男の凄さである。
この時期の作品のどこが「低迷期」なんだろうか。
⑩母は死なず
今月のスカパー「日本映画専門チャンネル」で久々に観た。
戦争中の1942年の作品。
昭和の初期からこの映画の封切時までの年代記ものといってよい。
前半は、病気となった母の貞代(入江たか子)が自殺するまで。
後半は貞代の不幸な死の後に、一人息子の修吾(小高まさる→斎藤英雄)
を育てる夫・須貝(菅井一郎)と修吾の成長を描く。
須貝は勤めている化学工場で偶然の発見による発明で出世する。

前半は、この先どうなるかと思うくらいの典型的な貧乏家庭劇である。
須貝は勤めていた証券会社が倒産し失業、生活を支えて内職にはげむ妻の貞代は病気となり、
医者は須貝に「胃がん」と宣告する。

入江たか子は、相変わらずの「何かを思いつめたような伏し目がちの表情」が多い。
とにかく入江たか子が出てくると、「不幸の前兆」という感じである。
成瀬映画では他にも『禍福』『女人哀愁』『まごころ』などがある。
この作品は情景描写を音楽でつなぐシーンが特徴的である。
入江たか子が寝ている日本間からの外の季節(雪など)、
菅井一郎がワックスの営業マンとして床屋に営業に行くシーン、
入江たか子の死後、工場に働きに出た菅井一郎の工場でのシーンなど、
音楽でテンポよくつないでいる。
工場でのシーンは少し、『はたらく一家』に雰囲気が似ている。

入江たか子の自殺を発見するシーン。
仕事から家に帰ってきた菅井一郎が玄関を開けようとすると鍵がかかっている。
裏口にまわって部屋にはいる。
カメラは家の外景を映したままで、部屋の中へは移動しない。
菅井一郎が「貞代」と叫ぶ声だけが描写される。
このシーンは、直接的な描写を避ける成瀬演出が、
低迷期と言われるこの時代にも健在だと安心させられる。
平凡な監督だとこのようなドラマチックなシーンは演出したがるのだろうが、
成瀬監督はそんな野暮なことはしないのである。

成瀬演出といえば、やはり多く登場する屋外シーンの映像は素晴らしい。
前半の菅井一郎の床屋への営業シーン、
中盤の菅井一郎と息子・修吾が休みに出かける「松蔭神社」
(何故、世田谷の松蔭神社に行くのかは不明だが、
 戦時中の映画として要求されたとかの何か意味がありそう)、
同じく「日光・中禅寺湖」のシーンなどは、躍動感があり、
光と影のコントラストもいい。

また、不幸な題材の中でほっとさせられるのが、
隣の家の印刷工の藤原鶏太(釜足)と妻の沢村貞子の
ひょうひょうとした自然な演技である。
後半この家の娘・弓子が成長して、轟夕起子になって登場した時は
少し驚いてしまった。
成長した修吾(斎藤英雄)も弓子役の轟夕起子も、
それぞれの子役とぜんぜん似てないとこが笑わせる。
そういえば、『まごころ』の富子役の名演技をみせた加藤照子が、
中学生時代の修吾と会話するワンシーンに登場している。
喫茶店に勤める美代役であるとしてだが、
『まごころ』の時から少し大人になった加藤照子も見ものである。
前に掲示板にも書き込みがあったように加藤照子は黒澤明監督夫人の矢口陽子
(この人もこの作品の前半に居酒屋の従業員役で出ている)の妹である。

戦時中の作品であって、台詞の中に「お国のため」「お国のお役に立つ」
といった表現が多い。
戦争のニュースフィルムが出たり、ラストの出征シーンなど、
この辺は成瀬監督が望んだ演出ではあるまい。

作品としては可もなく不可もなくという感じである。
個人的には主役を演じた菅井一郎の演技は割りと好感がもてた。
菅井一郎は、市川崑『プーサン』『愛人』、小津安二郎『麦秋』、
今井正『真昼の暗黒』、増村保造『黒の試走車』などの演技を思い出すが
存在感のある名脇役という印象で、
このような一代記ものの主役というのはかなり珍しいのではないか。
番外編

俺もお前も

「なつかしの顔」に続いて、
スカパー日本映画専門チャンネル「成瀬巳喜男劇場」の放送で観た。
参考書籍ではほとんど問題にされてない作品で、失敗作との評価であった。
実際に観てみたが確かにあまり出来がいいとはいえない。

1930年代の松竹蒲田時代の成瀬監督のサイレント映画には、
小市民を主人公にした「ナンセンス喜劇」作品が数多くあるのだが、
その辺の雰囲気(会社員のペーソスをコメディタッチで描く)と
戦後の民主主義や労働者の権利といった時代色をミックスした作品であろう。
漫才の名人・横山エンタツと花菱アチャコ主演である。

商事会社に勤めている青野(横山エンタツ)と大木(花菱アチャコ)は、
社長の山川(鳥羽陽之助→様々な資料には社長役で菅井一郎となっているがこれは間違い)
に気に入られているが、
余興での芸や家の手伝いなどの便利屋として重宝しているだけである。
相次ぐ社長のばかにした態度に腹を立てた二人は、
最後に社長に言いたいことをいってせいせいとして散歩する。
といったようなストーリーである。
会社を辞めたかどうかもはっきりとしない。なんと御気楽な。

エンタツとアチャコのそれぞれの家庭での演技はそれほど悪くない。
普通のサラリーマン家庭のお父さんといった感じである。
ところが、二人が一緒に登場するシーンで゜は、
どうしても「漫才風」の会話になってしまう、
というより成瀬監督のオリジナルシナリオなので、
成瀬監督がそのように演出しているといえる。
この作品は一応それなりにストーリー展開もあって、
会社員のペーソスというのもちゃんと出ている。
そのため徹底的なナンセンス喜劇にまでなっていない。
そのため漫才風の会話は、作品のリズムを壊しているように感じた。
例えば、PCL時代の同じエンタツ・アチャコ主演の『これは失礼』(岡田敬監督)は、
内容がナンセンス喜劇そのものなので、二人の漫才風の会話がぴたっとはまっていた。

成瀬監督らしさは、
・大木(アチャコ)が帰宅して座敷で寝てしまう
・朝、布団で寝ていて起こされる青野
といった大木家の夜から青野家の朝という場面転換に少し残っている。
また、二人が歩く出勤風景や、温泉場での屋外シーンは、二人の移動のリズムも
成瀬監督らしくとても綺麗なモノクロ映像だった。
やはり成瀬映画では屋外シーンには心惹かれてしまう。

成瀬監督の俳優の起用には渋いところがあって、
『旅役者』での<アノネノおっさん>こと高勢実乗などは、
座長の中村菊五郎役でギャグなど一つも言わせなかった。
また、三船敏郎も『石中先生行状記』『妻の心』などで、
黒澤作品とは異なった三船の魅力を引き出している。
この作品でのエンタツ・アチャコは、漫才の時のそのまんまという感じで、
少し異なった役柄を演出すればもっといい作品になったかもしれない。
一切ギャグをやらないとか。

しかし、未見の成瀬映画を今の時代に観られるというのはとても幸せなことなので、
あれこれ不満を言わずに観られただけで感謝したい。
上海の月
 未見だった『上海の月』(1941)を
フィルムセンターの生誕100年成瀬巳喜男特集で観た。
といっても114分の作品が現存するプリントは半分以下の53分なので、
ストーリーはよくわからないし、成瀬演出の詳細も不明だ。
印象に残ったことを記述する。

名前の通り、当時の上海ロケである。
一部セット撮影もあると思うが、ロケシーンが非常に多い。
車に乗ってるシーンも多く出てくるが、車中からの風景はスクリーンプロセスではなく
実際の上海の風景を撮影しているように感じた。

タイトルも欠落していて、
大川平八郎が誰かと邸宅の庭で会話しているシーンからいきなり始まる。
俳優は山田五十鈴、大川平八郎、佐伯秀男、清川荘司、大日方伝など
成瀬組俳優が出演している。

作品自体が成瀬映画として異色ずくめだが、
当時の抗日運動とその対策を描いているので銃撃戦があったり、
人が銃で撃たれたりする。
成瀬映画に出てくる人物の死は交通事故か病気と決まっていたので、
銃声の後に人が死ぬシーンは非常に驚いた。

主役は日本語の達者な中国人役の山田五十鈴である。
何着ものチャイナドレス姿で登場するが、この山田五十鈴はとても綺麗で色っぽい。
私は中国語には明るくないのだが、一緒に観に行った知人は中国語を解するので
感想を聞いてみると、山田五十鈴の話す中国語はとても上手いらしい。
もしかしたらアフレコの吹き替えかもしれないが、
吹き替えでなければ中国語を特訓したのだろう。
芸達者な山田五十鈴なら中国語をマスターしたような気がするのだが。

公園で山田五十鈴と男優(たしか大日方伝だったかと)が散策するシーンは、
振り返りもあっていつもの成瀬演出だった。
『女人哀愁』の日比谷公園のシーンに似ている。

上海のラジオ局を舞台にしているだけあって、音楽シーンが多い。
アナウンサー役の中国人女優の汪洋(ワンヤン)が部屋でピアノを弾くシーンなど
随所に鳴るピアノの音が印象的だ。
また上海のダンスホールで楽団が演奏するジャズもなかなか雰囲気がある。

ラストシーン(欠落しているので推察だがおそらくラストシーン)は、
夜の上海の街(もしかしたらセット撮影かもしれないが)を歩く
山田五十鈴が銃声の響いた後倒れるシーンで終わる。
銃で撃たれる山田五十鈴なんて成瀬映画では想像すらできない。
それだけでびっくりである。
ラストのタイトルには、「テロは人類の敵だ」などという言葉があって、
一瞬現代にタイムスリップするような感覚を覚えた。
この時代にもテロという言葉は一般的だったのだろうか。

しかし、作品データを見て驚くのは、
1941年は『なつかしの顔』(1/18公開)、『上海の月』(7/1公開)、
『秀子の車掌さん』(9/17公開)の3本。

この作品のすぐ後にあの「ほのぼの系」の『秀子の車掌さん』を
撮っているとはとても思えない、それほど対照的な作品だ。
 

勝利の日まで

 未見だった「勝利の日まで」(1945)を
フィルムセンターの生誕100年成瀬巳喜男特集で観た。
これが私の観た68本目の成瀬映画である。
これも「上海の月」と同じく断片的な部分のみなので全体像はわからない。
二度と観る機会は無いと思うので忘れないうちに作品評を書いてしまう(笑)。

データによると59分の作品が15分の断片フィルムである。
終戦の7か月前に封切された「海軍省」の命令で作らされた作品だ。
タイトルは豪華出演者の漫画風イラストである。
タイトルに続いて大きなホールようなところでの大勢の和服姿の女たちの
日本舞踊のシーンから始まる。市丸が唄い、女たちが扇子を手に踊っている。
そこに和服姿の綺麗な山田五十鈴が登場し、踊る。
さすがに山田五十鈴は所作がきまっている。
一瞬、「流れる」のつた奴の若い時の姿はこんな感じだったのかと想像をしてしまった。

その舞台がスクリーンに変わり、
研究所のようなところでその映像を見ているシーンに切り替わる。
髭をはやした徳川夢声、古川緑波と眼鏡をかけたチャーミングな高峰秀子がいる。
研究所の外観のビルのミニチュアが映り、そこには奇妙なロケットがある。
これは「ロケット式笑慰弾」で、
前線に発射してそこで歌手や俳優が芸を披露するという奇妙な発明である。

徳川夢声が「エンタツ・アチャコはどうした」と言うと、
スクリーンに洋上の船にいる横山エンタツ・花菱アチャコが映り、
研究所の徳川夢声と会話をする。今のTV中継のイメージだ。
ここで二人の漫才が始まる。
・君に海で溺れない方法を教えてあげよう
・どんな風にしたら
・海にはいる前にひざのところに赤い布切れを巻きます
・そしたら溺れないですね
・溺れません。赤い布切れより深いところまで水がきたら海から上がってください
というしょうもないギャグを言うが、フィルムセンターでは結構笑い声が起っていた。
不覚にも私も笑ってしまったが。

その後は島のような所についたエンタツ・アチャコの所に、
ロケットで芸人が送られてくる。
一人はミニサイズの男の歌手(クレジット無いので誰だかわからず)で、
ギターを弾き結構長い時間歌う。
次は逆に巨大な相撲取りの格好をした俳優・岸井明(クレジットあり)がやはり歌う。
横にエンタツ・アチャコがいる合成画面だ。
研究所でロケットを発射する時も、
古川緑波と高峰秀子が替え歌を歌いながらロケットを発射する。
『守るも攻めるも~』『しょっしょつしょじょじ~』などの曲の替え歌。
この辺の感じはミュージカルっぽい。
飛んでいくロケットがまたショボイこと(笑)。画面は突然終わる。
クレジットタイトルには原節子や榎本健一、入江たか子、花井蘭子、轟夕起子などの
名前があった。
原節子などは見てみたかった気がする。
この作品も成瀬監督フィルモグラフィの中では超異色作であることは間違いない。

四つの恋の物語
第二話「別れも愉し」
NEW 2014.10.31 作成

四話から成るオムニバス映画。
第一話『初恋』(監督 豊田四郎、脚本 黒澤明)
第二話『別れも愉し』(監督 成瀬巳喜男、脚本 小国英雄)
第三話『恋はやさし』(監督 山本嘉次郎、脚本 山崎健太)
第四話『恋のサーカス』(監督 衣笠貞之助 脚本 八住利雄)

この中では第三話、第一話、第四話の順番で出来がいい。
成瀬監督のパートの第二話はもっとも出来が悪い。
26分の短編である。

生誕100年(2005)の時の日本映画専門チャンネル「成瀬巳喜男劇場」
での放送録画DVDを参考にしたが、
第二話だけはクレジットタイトル部分が現存していないとの断りが出る。

第一話の終わりに続いて、突然ファーストシーンとなる。
バーに入ってくる吉岡(菅井一郎)とバーのマスターとの会話。
菅井は大阪弁を話している。


ダンサーの美津子(木暮実千代)のことを好きな菅井だが、
木暮には恋人・有田(沼崎勲)がいる。
しかし、沼崎は木暮と別れて、新聞売りの若い娘(竹久千恵子)
と一緒になろうとしている。
バーのマスターとその妻(英百合子)は、そのことに感づいていて
菅井に希望的な話をする。

木暮のアパートの部屋に入る沼崎。
新聞売りの娘との浮気を気にしないという木暮に対し、
浮気ではなく本気だと言う沼崎。
浮気なら許そうと思っていた木暮はショックを受ける。
途中でタンゴのレコードをかけて一緒に踊り、出会いの
思い出を語りあう二人。
タイトル通り、愉しく別れましょうと言う木暮。
この木暮のアパートと菅井が飲んでいるバーが交互に描かれる。

ともかく、木暮実千代と沼崎勲の演技がひどい。
表情も台詞もまったく魅力的でない。
成瀬演出もいいところを探すのが困難だ。

バーの客の菅井一郎とマスター役、その妻の英百合子の演技は
それほど違和感はないのだが。

結局、木暮と沼崎は別れ、
アパートを出た沼崎は竹久と待ち合わせて身を寄り添って歩いていく。

ラストは、自嘲気味に笑う木暮の顔のアップで終わる。

傑作揃いの成瀬映画の中で、戦後では『怒りの街』『白い野獣』と並んで
最低な出来の1本と言えるだろう。
黒澤映画やマキノ映画で面白い脚本を手がけている
名脚本家・小国英雄が本作の脚本というのも信じられない


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