成瀬作品1950年代ベスト20+番外編



題名

製作会社、製作年

主な出演者

DVD

①流れる

東宝 昭和31年 山田五十鈴、田中絹代、高峰秀子、杉村春子 DVD
(ビデオ化あり)

②驟雨

東宝 昭和31年 原節子、佐野周二、小林桂樹 (ビデオ化あり)

③おかあさん

新東宝 昭和27年 田中絹代、香川京子、加東大介 DVD
(ビデオ化あり)

④山の音

東宝 昭和29年 山村聡、原節子、上原謙、杉葉子 DVD
(ビデオ化あり)

⑤晩菊

東宝 昭和29年 杉村春子、望月優子、上原謙、細川ちか子 (ビデオ化あり)

⑥めし

東宝 昭和26年 原節子、上原謙、杉村春子、小林桂樹、杉葉子 DVD
(ビデオ化あり)

⑦鰯雲

東宝 昭和33年 淡島千景、木村功、新珠三千代

⑧夫婦

東宝 昭和28年 上原謙、杉葉子、三國連太郎

⑨石中先生行状記

新東宝 昭和25年 宮田重雄、杉葉子、池部良、三船敏郎、若山セツ子 (ビデオ化あり)

⑩浮雲

東宝 昭和30年 高峰秀子、森雅之、岡田茉莉子 DVD
(ビデオ化あり)

⑪妻

東宝 昭和28年 上原謙、高峰三枝子、丹阿弥谷津子 (ビデオ化あり)

⑫銀座化粧

新東宝 昭和26年 田中絹代、香川京子、花井蘭子 DVD

⑬くちづけ
第3話「女同士」

東宝 昭和30年 高峰秀子、上原謙、中村メイコ、小林桂樹、八千草薫

⑭あにいもうと

大映 昭和28年 京マチ子、森雅之、久我美子、浦部粂子 DVD
(ビデオ化あり)

⑮杏っ子

東宝 昭和33年 香川京子、木村功、山村聡

⑯妻の心

東宝 昭和31年 高峰秀子、小林桂樹、三船敏郎、杉葉子

⑰あらくれ

東宝 昭和32年 高峰秀子、上原謙、森雅之、加東大介、仲代達矢 (ビデオ化あり)

⑱稲妻

大映 昭和27年 高峰秀子、浦部粂子、小沢栄、香川京子 DVD
(ビデオ化あり)

⑲舞姫

東宝 昭和26年 高峰三枝子、山村聡、岡田茉莉子

⑳コタンの口笛

東宝 昭和34年 森雅之、幸田良子、久保賢、水野久美
番外編

怒りの街

東宝 昭和25年 宇野重吉、原保美、若山セツ子

薔薇合戦

松竹 昭和25年 三宅邦子、若山セツ子、桂木洋子、鶴田浩二 (ビデオ化あり)

お国と五平

東宝 昭和27年 木暮美千代、大谷友右衛門、山村聡 (ビデオ化あり)
NEW2014.11.2
白い野獣
 東宝 昭和25年  三浦光子、山村聡、岡田英次、北林谷栄  



 タイトル 作品評 
①流れる 柳橋の芸者を描いた作品。とにかく女優陣が豪華である。

芸者の世界を描いているのに「お座敷」シーンが一度も出てこない
ところも成瀬監督らしくて渋い!
ラスト近く、山田五十鈴と杉村春子が三味線のあわせ稽古をするシーンはしびれる。
舞台となる「つたの家」の通りがオープンセットということを「成瀬巳喜男の設計」
(参考資料ページ参照)で読んで、美術監督中古智の仕事の凄さを初めて知った。

最初の方で、山田五十鈴のいう次の台詞は笑える。
つたの家の女中に採用された梨花(田中絹代)に対し、
「梨花さんっての 呼びにくいからお春さんにするわ ね?」というのである。
この飛躍の凄さ!
それから田中絹代はいきなりお春さんになってしまうのである。

それと印象深いのは料亭「水野」の女将・お浜役の栗島すみ子(戦前の大女優)である。
あの貫禄はただものではない。
撮影の時も成瀬監督のことを「巳喜ちゃん」とか呼んでいたそうである。
(フィルムアート社「成瀬巳喜男」 P52)

この作品はともかく女同士の台詞が生き生きとしていて素晴らしい。
タイトルの後に登場する「柳橋」は今もほとんど変わっていない姿で残っている。



2014.10.4追加


「流れる」のタイトルに続き、スタッフ、キャストのクレジット。
タイトルバックは「大川」(隅田川)の実写映像である。
成瀬映画のタイトルバックで実写映像が使用されるのは珍しい。

冒頭のショット展開は
①「柳橋」を着物姿の女たちが渡ってくる
②歩いている着物姿の女
③人力車の車夫に道を尋ねる山中梨花(田中絹代)
④舞台となる「つたの家」の路地の前を歩く着物姿の女
⑤「つたの家」の看板のアップ。
ここで「つたの家」の部屋の中が出る。

踊りの稽古をしている女の子・不二子と横に母親の米子(中北千枝子)。
手前に勝代(高峰秀子)と芸者のなみ江(泉千代)。
目線のやり取りがあり、見るからに気まずい雰囲気とわかる。
そこに帰ってくる芸者・なな子(岡田茉莉子)。
「ただいま。不二子ちゃん。上手になったわね」。
ここで初めて台詞が出てくる。
それまでは音楽だけで台詞は一切ない。
しかし、言葉の説明がなくても舞台の柳橋と「つたの家」の家の雰囲気を
観客は自然に理解してしまう。
サイレント映画出身の映画監督に共通する「映像で語る」うまさだ。

ストーリー紹介は省略するが、この映画を改めて観なおして(おそらく10回は観ている)
改めて感じたのは、成瀬映画における「和室での人物の配置」の見事さである。

母(山田五十鈴)と娘・高峰秀子。女中・お春(=梨花・田中絹代)と高峰秀子。
山田五十鈴と姉・賀原夏子など。
小津映画と異なり、成瀬映画では和室での人物の配置は一人が窓に近いところにいて、
少し離れてもう一人がいる。
成瀬映画に限らず古い日本映画には日本家屋の中でのシーンは数多い。
しかし観ていて、動きがなく重苦しくなる映画も多い。
その中で、成瀬映画は人物の配置と動きが自然で絶妙なのだ。

しかし何度観ても、この映画の山田五十鈴、田中絹代、高峰秀子、杉村春子、
岡田茉莉子、中北千枝子、賀原夏子そして栗島すみ子
という女優たちの豪華さに圧倒される。

賀原夏子が初めて登場し、2階の和室で山田五十鈴に
会社の重役の男との会食を持ち掛けるシーン。
そこに田中絹代がお茶を持って、山田五十鈴が賀原夏子に紹介する。
その時の賀原夏子の台詞。
「そう、まあよろしく頼みますよ。
 ここんちの人たちはね、なんか一つずつ足りないんだから」。
面白く、味わい深い台詞だ。
この映画には面白い、粋な言い回しの台詞が数多い。
(原作・幸田文、脚本・田中澄江、井手俊郎)

ユーモラスなシーンも数多い映画だが、
上記の「お春さん」改名事件と並んで可笑しいのが、
夜、見回りに来た警官が玄関で応対した田中絹代に
「あんた。新しく来たひと?」に対して、
田中絹代はニコニコと愛想を振りまきつつ、
「はあ、山中梨花と申します。45歳でございます」と答える。
映画館では笑いが起こるシーンだ。年なんか聞いていないのに。
この後、警官にご馳走しようと隣のラーメン屋に五目そばを注文して
、塀越しに田中絹代が受け取る。
ここでフェイドアウトするのでその後警官が食べたかもわからない。
このあたりの省略の感じもいかにも成瀬調だ。
 
効果音として随所に太鼓の音が流れる。
これがいかにも花柳界の昼間の雰囲気を醸し出している。

この映画の美術は日本映画黄金時代を代表する素晴らしさだ。
「つたの家」の中、表の路地、
「つたの家」窓から見える隣の家の2階の和室では女が掃除をしている。
すべては柳橋ではなく、世田谷の東宝撮影所の外のオープンセットだ。
隣の家の2階まで作るとはなんという贅沢さ。
窓外はミニチュアであろうが、実にリアルだ。
中古智美術監督の職人技である。

私は、同年昭和31年『驟雨』が一番好きな成瀬映画だが、
映画としての完成度の高さから言えば、
やはり『流れる』が成瀬映画の最高傑作だろう。
 ②驟雨  世田谷の梅が丘付近のサラリーマン夫婦(原節子、佐野周二)の
日常生活を描いた作品。

日常生活のちょっとしたエピソードの積み重ねで、特に劇的な事件は起こらない。
あいかわらず、屋外シーンの光が素晴らしい。
私が生まれる前の、昭和31年当時の世田谷の風景はのどかで、とても新鮮である。
隣に住んでいる小林桂樹のひょうひょうとした演技はとても好きである。
地域で飼犬の苦情を論じ合う「町内会」のシーンは何度観ても笑える。

また、冒頭に出てくる新婚旅行帰りの香川京子は可愛い。
この映画は随所にユーモアあふれるシーンも多く、
最も成瀬監督らしい映画の一つではないかと思う。
私は『浮雲』よりもはるかにこの映画の方が好きだ。

<この先追加>
久しぶりにビデオで観た。
冒頭の原節子の演技が素晴らしい。
微妙な感情の移り変わりは「原節子ってこんなに演技が上手なんだ」と思った次第。
もちろん成瀬演出の技でしょうが。

冒頭は日曜日の描写である。
原節子と佐野周二の子供のいない倦怠期の夫婦の
ちょっとした言い争いの後夫は外出する。
そこに新婚旅行から帰ってきた姪(香川京子)が訪ねてくる。
姪は新婚旅行先で夫と喧嘩したことを打ち明ける。
姪が汽車の中で夫に日本地図を無理矢理書かされて、
その絵を「きゅうりか」と馬鹿にされたといって泣くシーンがあるが、
これを受けた原節子は吹き出しそうになるのをこらえて「随分酷いことを」と姪に言う。
このシーンは何度観ても爆笑してしまう。

香川京子が夫の口調を男の言葉で再現するシーンも本当に可愛い。
この作品に限らないが昔の日本の映画では「叔父さま」「叔母さま」と呼ぶので
とても上品な感じがする。
香川京子もそのように原節子、佐野周二を呼んでいる。
現代では「おじさん/おばさん」もしかしたら「おいちゃん」か。
最初は姪をさとしていた原節子だが、次第に姪の言う愛情に関する言葉に
自分の日常生活を振り返り納得させられる。
そこに夫の佐野周二が帰ってきて、姪の夫の行動を男の目から分析して擁護する。
ここで原節子の感情は普段の夫(佐野周二)への不満に転換して、
爆発してしまう。
姪はいたたまれなくなり、帰っていく。
最初は姪の話を微笑ましいと感じていた原節子が姪の話を聞くうちに
だんだんと自分の夫に置き換えていき、
最後は姪をほっといて夫に対して不満を言う過程の原節子の演技が
いい。

この冒頭のシーンは成瀬得意の目線の切り換えしが連続して続く。
カットも相当多いのだがとても自然な流れで観られる。成瀬演出の真髄である。

隣に越してきた小林圭樹と根岸明美夫婦とのからめ方も上手い。
日曜に2組の夫婦で都心に映画を見にいこうと計画するが
、原節子は気乗りがせず結局留守番することとなる。
原節子は自分の性格をなげく。
佐野周二には「人が楽しい時にはあわせるものだ。
その性格は直せるものなら直した方がいいよ」などと言われてしまう。
そういえば原節子は『めし』の時も
上原謙と姪の島崎雪子の大阪見物に気乗りせず行かなかった。

原節子が根岸明美を連れて近所の商店街を案内する。
近所の肉屋の店員の態度についてまくしたててレクチャーする原節子。
日常生活にどっぷりとつかった主婦の原節子は、
小津映画ではまず見られない描写であろう。
こういうところに原節子に対する小津演出と成瀬演出の違いが出ていて面白い。
個人的には、小津映画の原節子の演技は少しよそよそしく固い感じがあって、
成瀬映画のさばさばした感じの自然な原節子の方が好きである。
その際近所の主婦達と映画館の前ではちあわせする。
映画館の看板には「ゴリラ」と書いてあるように読める。
(細かい話だか、「成瀬巳喜男 日常のきらめき:スザンネ・シェアマン著」
のP242には「映画館ではゴジラが上映されている」とあるが
看板は「ゴリラ」としか読めない)。
その後の中北千枝子をはじめとした主婦の会話が凄い。
「泣ける映画でしたね。でも子供が親を捨てるような酷い話・・・」などと話している。
「ゴリラ」っていったいどんな映画!

料理記事を切り抜いてしまって穴があいた新聞、
飼い犬が持ってきてしまう帽子や靴、引越しそば、
最後の紙風船等の小道具の使用も、
日常生活のエピソードに彩りをそえている。
しかし成瀬映画は何度観ても新たな発見があって奥が深い。
「驟雨」は私が一番好きな成瀬映画かもしれません。
③おかあさん   下町のクリーニング屋を舞台に貧しくも明るく生きる家族を描いた作品。
田中絹代の演じる母親はまさに古き良き日本の母親像そのもの。
娘の香川京子の貧しくても元気いっぱいな姿にも心打たれる。

この映画には、ユーモアあふれるシーンがいっぱいあって楽しい。
お客のスーツに染みをつけてしまった弁償に田中絹代が
たんすから着物を出そうと(質屋に持っていく)した時に、
10歳くらいの男の子が「僕のパンツ持っていっていいよ」と言うシーン。

近所のパン屋の岡田英次も二枚目のわりにいろいろと笑わせてくれる。
(確か変な形のパンを焼き、それにピカソパンと名づけていたように思う)
また、クリーニング屋を手伝っている加東大介のことをシベリア帰りなので
子供達は「捕虜のおじさん!」と渾名をつけている。

全部は覚えてないが、まだまだ笑えるシーンは多かったと思う。
泣かせた後に笑わせてと、伝統的な日本映画のスタイルである。
ラスト近く、みんなが休日に出かける当時の向ヶ丘遊園のシーンも貴重である。


<NEW この先追加 2000.8.7>
スカパーの「衛星劇場」の放送で久しぶりに再見した。
成瀬作品はディテールの演出が凄いと改めて感じた。
まったく気がついていなかった素晴らしい演出がたくさんあった。
もちろん題材そのものが感動的だ

最初に
・2両の電車が走るシーン
・じゃり道のような商店街
・家の中を掃除している母・正子(田中絹代)
となって、 年子(香川京子:なんという清純さ!)が家族を
ナレーションで紹介するところから始まる。

父親の良作(三島雅夫)は筋骨隆々としているので「ポパイの父ちゃん」である。
長男は病気で寝ている。
年子は近所で「今川焼き」の売店のアルバイトをしている。
年子のボーイフレンドである平井ベーカリーの信二郎(岡田英次)が本を読んでいて、
隣には近所のおじさんがいる。
・「今川焼」の旗
・アイスキャンデーの旗
に変わり、そこにいるのもアイスキャンデーをなめているおじさんと
本を読んでいる信二郎である。
この一瞬の季節の省略ショットは相変わらず渋い。

正子(田中絹代)は娘の久子(年子の妹:チャーコと呼ばれている)に、
八百屋に夏みかんを買いに行かせる。
チャーコの顔がアップになって「すっぱい」と言って
目をつぶる表情をするのが可愛い。
正子の台詞「果物屋でなく八百屋だよ。値段が違うから」が
なかなかリアルである。
この作品はストーリーからいえばかなり暗い。
長男の進(片山明彦)は病気で死んでしまうし、続いて父親の良作も亡くなる。
進が布団で寝ていて、母の正子が手をにぎる
→屋外シーンで花を持った妹の年子が歩いていると、
知り合いのおばさん(沢村貞子)に「お兄さんのお墓参り?」と声をかけられる。
父親の亡くなるシーンはちょうど昼食の時である。
苦しむ父親の姿を見て医者を呼びに行く年子。
妹のチャーコと正子の妹の未亡人の則子(中北千枝子)の子供で
正子がひきとっている哲生(テッチャンと呼ばれている)はおちゃわんを持ったまま、
じっと見ている。
次のシーンでは「忌中」の紙が。
両方とも成瀬監督得意のドラマチックな部分の省略法の典型のようなシーンである。

ただこの映画はユーモラスなシーンもたくさんあって結構笑わせてくれる。
良作の弟弟子でクリーニング屋を手伝う木村(加東大介)の紹介は
やはり年子のナレーションで
「ハバロフスクで捕虜をしていたので私たちは捕虜のおじさんと呼ぶことに決めました」
という台詞だが、<していた>と<決めました>というのが何とも可笑しい。
おじさんは捕虜に<なっていた>のであって、別にしていたわけではないでしょう。
この辺の可笑しさは落語的な言語感覚と言えるであろう。

そしてなんと言ってもこの作品でほっとさせられるのは、
年子のボーイフレンドでパン屋・平井ベーカリーのあんちゃん 岡田英次である。
やはり私の記憶通り「ピカソパン」は出てきた。
中から何が出てくるかわからないところからきたネーミングで、
信二郎と年子、チャーコ、テッチャンの4人でピクニックに行った
石神井公園の池のほとりでの昼食シーンで解説する。
パンをみて「芸術的ねぇ」とうっとりする年子にも微笑んでしまうが、
信二郎が得意げに
「クリーム、蜜、ソーセージ、カレー、ジャムが段段と出てくる仕掛けなんだ」
と言うのも笑える。
どんな味のパンだ!ちょっと食べたい気もする。

演出で唸ったシーンは、
母親と木村が再婚するのではという近所の噂を信二郎から聞いた年子が家に帰り、
クリーニングの仕事を終えて「焼酎といり豆」で一杯やっている木村の姿を
嫌悪感いっぱいに見ているシーン。
亡き父親の姿とオーバーラップして、噂が本当なのかしらと疑ってしまったのであろう。

突然画面に「終」と出た後に、年子とおばの則子が映画を見終わって
泣いているシーン。
成瀬監督の遊びシーンであって『あらくれ』にも似たようなシーンがある。

ラスト近くに、
・年子の花嫁衣装モデルの姿を見て嫁に行くと勘違いした信二郎が
 年子を見て頭をかく
・テッチャンが真似をして頭をかく
・クリーニング屋に見習いではいってきた小僧さんを横に頭をかく木村
と続くシーンがある。
これなども成瀬監督のサイレント期のギャグを思い起こさせる連続ショットである。
何気にこういうシーンのつなぎがあるので、成瀬作品は油断できない。

もっとも泣けるシーンは、チャーコが亡くなった父親・良作の弟である
おじの家に預けられるシーンである。
母親の正子と姉の年子、テッチャンと別れをして通りにおじに
手をひかれたチャーコが突然走って引き返し、
「忘れもの」と言って部屋の自分の勉強机に行く。
そこにはってあった画用紙の母親の絵をはがしてもっていく。
それを見ている母親の田中絹代。このシーンは何度観ても泣ける。

最後に細かいことだが、この映画が紹介される場合に
「下町のクリーニング屋を舞台に」と書かれる。
私もそのように書いていた。
ただ下町といっても東京の東部ではなく、大田区とか川崎市あたりだ。
出てくる電車も京王線、小田急線、南武線あたりだと思うし、
家族揃って「向ヶ丘遊園」に行くのもやはりその辺の地域との根拠となる。
画面にちらっと出てくる郵便局には「六郷郵便局」と書いてあるように読めるので、
多摩川近くの新興住宅地ではないか。家の前の道もじゃり道で路地ではないし、
前年の『めし』の原節子の実家のあたりの雰囲気である。
ロケーションシーンはそのように感じた。

田中絹代のこれぞ日本の庶民の母親という母ぶり、
香川京子の可愛らしさ、
岡田英次のユーモラスさ(ちょうど他の成瀬作品における小林桂樹のようなほっとする存在)、
職人の加東大介そして、チャーコ、テッチャンの子供達も可愛い。
成瀬映画の傑作であり必見の作品だ。
④山の音  川端康成原作。

冒頭、山村聡が登場し、鎌倉のバス停のシーンから
オープンセットの家までのつなぎは、光が自然でセットであることを感じさせない。
まさに職人技である。
何度も出てくる山村聡と原節子が二人で歩くシーンは
成瀬映画の同様のシーンの中でもベスト1であろう。
(この辺も「成瀬巳喜男の設計」に詳しい)
原節子の着物にかかる動く影がもの凄く美しい。
あんな道を天気のいい日に散歩してみたいと思ってしまう。

山村聡の会社の秘書役である杉葉子は、
背筋が伸びてしゃきっとしていてとても魅力的だ。
当時も人気はあったのだろうけど、現代にも受ける顔とスタイルだと思う。
原節子の若奥さんも、綺麗というより可愛いといった感じだ。
子供を連れて実家に帰ってくる、成瀬映画でおなじみの脇役である
中北千枝子の愚痴やぼやきもここまでくどいと立派である。

ラストの新宿御苑の並木道は、まるで「第三の男」の
ようだ。

2014.10.11追加

菊子を演じる原節子。
成瀬映画には『めし』『山の音』『驟雨』『娘・妻・母』の4作品に出演している
原節子だが、本作の原節子が唯一、小津映画の原節子の雰囲気に近い。

夫(上原謙)の鎌倉の家に義父(山村聰)、義母(長岡輝子)と
暮らしている嫁の役なので無理もないが、
不平や不満や不安を内面にため込んだような伏し目がちな表情が多い。
特に、山村聰や長岡輝子との会話シーンでの台詞は、
丁寧な言葉遣いと不自然とも思える発声で、
正に小津の『晩春』や『東京物語』での原節子に近い。
しかし、同時に生活に疲れた主婦の日常をリアルに演じた
他の3本の成瀬映画と比べると、本作での原節子は何といっても綺麗だ。

原作・川端康成、脚本・水木洋子の本作にはとても味わい深い台詞が多い。
例えば
◆通勤電車の中で上原謙が父親の山村聰に言う
 「湖と激流の違いですよ」(妻と愛人の違い)
◆子供を連れて実家に戻っている上原謙の妹役の中北千枝子が言う
 「この家で疲れていないのはおじいさんとおばあさんだけよ」
◆上原謙が家の中で皮肉を込めて言う「亭主にだけは優しくないね」
など

本作には屋外シーンが数多いが、
◆鎌倉の家の前の道を並んで歩く原節子と山村聰
◆家の前やお寺の境内を並んで歩く上原謙と山村聰
◆上原謙の愛人・絹子(角梨枝子=綺麗!)の下宿の家を案内する
 秘書の杉葉子と山村聰
そして、ラストの「新宿御苑」で並んで歩く山村聰と原節子
など、どれも木漏れ日が服を移動していく躍動感や、
太陽光線の人物や建物へのかかり具合など、
モノクロ映像の美しさに満ちている。
屋外シーンの美しさでは本作がナンバーワンだろう。
今回観なおして気づいたのだが夫婦役の上原謙と原節子が一緒に外を歩くシーンは無い。
『めし』にはあったのだが。

全体的に少し重苦しい雰囲気の中で、長岡輝子だけはあっけらんかんとしていて、
少しユーモラスに描かれている。
成瀬映画の常連の中北千枝子の自虐的な台詞や態度は、観ていていらつくほどだ。
それだけ演技がうまいということだろう。

ラストの新宿御苑での山村聰と原節子。
並んで歩き、途中で山村聰がベンチに腰掛け、また立ち上がって二人で歩き出す。
その人物のポジションの移り変わりと動きのリズムが心地よい。
これが成瀬演出の素晴らしさだ。

新宿御苑のシーンは、原作では中盤に出てくるが、
これをラストに持って行ったのはおそらく脚本・水木洋子の意見だろう。
成瀬監督もそれを採用したわけで、映画としてはとてもいい効果をあげている。

泣いていた原節子が山村聰の言葉で泣き止んで笑顔を見せるのが
、原節子ファンとしては救われる。
それにしてもラストの台詞が
・山村聰「のびのびするね」
・原節子「ビスタが苦心してあって、奥行きが深く見えるんですって」
・山村聰「ビスタって何だ」
・原節子「見通し線って言うんですって」
で、二人の後姿のロングショットに「終」の文字。

ビスタという建築用語の解説で終わるというのは、
文芸映画としては何とも言えず渋い終わり方だなと妙に感心してしまう。
 ⑤晩菊 本郷菊坂を舞台に、元芸者の4人の女の生活を描いた名作。
脇役が多い杉村春子が主演している。映画の中の杉村春子の家は
なんと今でも菊坂にそのまま残っている。(もちろん内部はセット撮影だが)
愚痴ばっかり言っている望月優子と細川ちか子の演技、
疲れた中年男の上原謙や見明凡太郎の演技も自然で奥が深い。
ラスト近く、望月優子がモンローウォークするシーンは何度観ても微笑ましい。


2014.10.17追加

ともかく地味な映画である。
原作は林芙美子の同名と他の短編をいくつかまとめたもの。
金の苦労話や、変わり果てた昔の男(上原謙)に幻滅する杉村春子など、
全体的には暗いトーンの映画だ。
日本映画黄金期の時代にあってもかなり地味な映画であったのではないか。
しかし成瀬監督と脚本の田中澄江、井手俊郎は、
随所にユーモラスな台詞やシチュエーションをちりばめているので、
観終わった印象はそれほど暗いものではない。
あっけらんかんとした望月優子がいい。

舞台は、東京・本郷の菊坂界隈。
クレジットタイトルに続いて道を宣伝カーが走り、
子供たちの走る姿が短いショット展開で描かれる。
そこに加東大介が杉村春子の家を訪ねる。
出だしは成瀬調というか成瀬監督が出身の松竹
蒲田・大船調だ

火鉢の横に座って札を数えている杉村春子、その前に座ってタバコを吸う加東大介。
しばらくお金に関する会話が続き、立ち上がって小さい庭の方へ移動する杉村春子、
その姿を目線で追う加東大介といったように、
典型的な成瀬演出の室内アクションが展開する。

この後は、金貸しの杉村春子が昔の芸者仲間(沢村貞子、望月優子、細川ちか子)
を一軒ずつ毎月の返済の取り立てに行くシークエンスが10分以上続く。
映画の冒頭で金の取り立てに行く映画とは何と地味で渋い映画だろう。

この映画の中心は「中年女たちの愚痴や噂話」である。
貧乏で苦労している望月優子、病弱な細川ちか子、小さいおでん屋の女将・沢村貞子は、
会えば愚痴と悪口に近い噂話で持ちきりとなる。
観ていて少しつらくなってくる。

細川ちか子の一人息子の小泉博、
望月優子の一人娘の有馬稲子(映画はフィクションだと改めて感じる瞬間!)は、
そんな愚痴ばかりの母親を少し冷たく突き放しながら
愛情は持っているところが救われる。

映画のクライマックスといってよい
杉村春子の家で昔の恋人の上原謙と酒を飲んでの食事シーン。
静かな雰囲気の中で会話が続く。
それとは対照的に安酒を飲んで騒いでいる望月優子と細川ちか子。
食卓シーンという同じシチュエーションを交互に見せて対比するのも
成瀬監督の得意な演出である。
そしてこの交互のシーン展開はリズミカルでとてもいい効果をあげている。

ラスト、不動産を見に行く加東大介と杉村春子が降り立つ駅は、
東京・井の頭線の「高井戸駅」とのことだ。現在はあのような階段は無い。

1年くらい前に本郷・菊坂界隈を再び散策してみたが、
路地の杉村春子の木造の家は建て替えられていた。
路地の雰囲気はそのままに残っている。
上原謙が来る前に杉村春子が行った銭湯も残っていた。
⑥めし  戦後、低迷していた成瀬監督が復活するきっかけとなったと言われる作品。
大阪の下町を舞台に原節子と上原謙の子供のいない倦怠期の夫婦の危機を描いている。

家出していついている姪の島崎雪子に対して徐々に嫉妬してしまう
やつれた妻の原節子がとてもいい。目線や省略の演出も随所に観られる。

個人的には、東京の実家に帰ってきた原節子を迎える杉葉子さんは当時としては
とてもモダンな雰囲気いっぱいで大好きである。夫役として小林桂樹もちゃんと出ている。

大阪の長屋がまたまたオープンセットであることにびっくりしてしまう。
何度観返しても実際のロケーションとしか思えない。美術監督・中古智凄い!


2014.11.13 追加

林芙美子原作(未完)、川端康成監修、脚色は井手俊郎と田中澄江。

私が最初に観た成瀬映画である。今から25年くらい前になる。
確か日本テレビの深夜放送で水野晴郎の解説付だったのを覚えている。

クレジットタイトルに、原節子 東宝専属第一回出演とある。
原節子にとって初めての成瀬映画だ。
原節子だけでなく、上原謙もおそらく本作が最初の成瀬映画だろう。
そして本作の後成瀬組の男優の一人となる小林桂樹も同じだ。

監督助手に川西正義(スタッフ、キャストからの呼び名はおねえちゃん)とあるが
岡本喜八監督も助監督だった。

監督 成瀬巳喜男に続いて、林芙美子の言葉が出る。
 無限な宇宙の廣さのなかに
 人間の哀れな営々とした
 いとなみが
 私はたまらなく好きなのだ 林芙美子

ファーストシーンは原節子のナレーション(大阪の、南のはずれ~)があって
・朝日の当たった板塀の路地
・電車(阪堺線)の「天神ノ森」駅(現在もほぼ同様の形で残っている)
・天神森天満宮の木々
と続き、本作のメイン舞台となる長屋風の建物のある路地が映る。

とても自然に風景描写のショットが続くが、
岡本初之輔(上原謙)と妻・三千代(原節子)が住んでいて、
東京から家出してきた上原の姪の里子(島崎雪子)転がり込む
メイン舞台の家や路地は、東京・世田谷に建てた屋外のオープンセットだ。

これは、「成瀬巳喜男の設計(中古智、蓮實重彦)筑摩書房」で
中古美術監督が述べているのを読むまでは、絶対に大阪の天神ノ森界隈
だと思っていたので、本を読んでびっくりした。
成瀬映画の中にも、実際の屋外ロケーションからセットになったことが
すぐにわかってしまう映画もあるが、この『めし』の冒頭だけはまったく
気が付かない。
中古美術としては『流れる』や『山の音』と同様のリアリティの凄さだ。
もちろん撮影や照明の技術も合わさってのものと言えるだろう。

本作の特徴は『浮雲』と並んで、ロケーション場所が多いことだ。
前半の大阪では
■上記の天神ノ森駅(実際に駅を利用する島崎と近所のあんちゃん=大泉滉)
■大阪城
■道頓堀
■帝塚山 など
後半の東京+川崎では
■南武線の矢向駅(原が実家に戻る時に降り立つ)
■登戸駅
■登戸の近くの多摩川(原が散策する)
■商店街(場所は特定できないが、矢向駅の近くだろう)
■上野・国立博物館 
■小田急線の豪徳寺駅横のガード(島崎の実家のある想定) など
が登場する。

成瀬監督はよく「ロケーション嫌い」と称されるが
本作を観れば、リアルなオープン&スタジオセットも多々あるが、
実際の屋外ロケーションも多いことがわかる。
本HPのロケ写真を参照してもらえればわかるが、
本作のロケーション場所にも実際に足を運んで写真を撮った者としては、
成瀬監督は決してロケーション嫌いでは無いと主張したい。

原節子の登場は、玄関をあけて飼っている猫を呼ぶ。
中のちゃぶ台では上原がたばこを吸いながら、新聞を読んでいる。
上原の最初の台詞は(台所の原に向かって)「おい、めしまだか?」である。

原節子は同じ年(撮影時期は多少ずれているかもしれない)に
小津映画『麦秋』と黒澤映画『白痴』にも出演している。
監督によっての役柄の違いに唖然とする。
『白痴』はかなり特殊な役だが、
『麦秋』の結婚前の綺麗なOL役の原と
本作の結婚5年目で生活に疲れている主婦の役の原はどちらも素晴らしい演技だ。
私は成瀬映画の原節子の方を好むのであるが。
小津映画と成瀬映画の両方に原と恋愛感情がからんだ役として二本柳寛が出ているのも面白い。
『麦秋』は1951年(昭和26年)のキネマ旬報ベストテンの第一位、
『めし』は同第二位である。

叔父の上原のことが好きでたまらない(「叔父さまではなく初之輔さんと呼んでいる)
島崎に、年甲斐もなく少し嫉妬を覚える原。
微妙な原の心理状態を、表情や仕草で表現させた成瀬演出はやはり素晴らしい。

本作に限らないが、少し頼りない優柔不断な平凡な男を演じたら上原はナンバーワンの上手さだ。

東京(実際には多摩川沿いの川崎市)の実家に戻った原。
大阪の友人(花井蘭子)が、上原の独身生活に女の影が無いかを
偵察にくるシーン。
お菓子を買って渡した花井は、部屋の中の猫に驚いて、上原に抱きついてしまう。
花井は猫が苦手なのだ。
■「あぁ」と言って、自分の足を見る上原
■お菓子の箱を踏んづけてしまった足のアップ
■ゆっくりと歩いている二人の足のアップ
■東京で一緒に散策している原と従妹の二本柳
この「足」つながりの場面転換は、成瀬監督らしい映像の遊び心も含んだ洒落た演出だ。

原が戦争未亡人で職を探している旧友の中北千枝子と会話する職安の前の通りのシーン。
そこに「チンドンヤ」が演奏しながら登場する。
戦後の成瀬映画といえば「チンドンヤ」が頻繁に登場するのが有名だが、
本作のこのシーンの「チンドンヤ」は、少し長く映っていて最も印象に残る。

原の実家の母親(杉村春子)、妹(杉葉子)、杉の夫・義弟(小林桂樹)の
家族は、とても暖かい雰囲気があって観ていて心地よい。
若き杉葉子はとても綺麗だ。この2年後に『夫婦』で上原と共演する。

やはり成瀬映画を語る時にははずせない名作の1本だろう。
⑦鰯雲  成瀬監督には珍しく、東京近郊の農村(厚木あたり)を舞台にしたカラー作品。

農村の戦争未亡人(淡島千景)と農村を取材に来た新聞記者(木村功)
との恋愛を中心に、農村の近代化の流れを描いている。

タイトルバックの夕暮れの雲がいい。あれが多分、鰯雲というものなのだろう。
淡島千景と木村功が海岸(江ノ島が見える)を歩くシーンはとても美しい。

淡島千景の兄を演じる中村鴈治郎は、元地主で現実主義者という感じが良くでている。

二人の恋は、成瀬映画のお決まりのパターンで、木村功の東京転勤で幕を閉じる。
木村功が東京に向かう(といっても厚木からだが)ホームのカットから、
淡島千景が農作業をしているラストシーンへのつなぎも成瀬監督らしい渋さだ。


2014.11.7追加

久しぶりに録画DVDを観直してみた。
成瀬映画の中ではあまり語られることのない渋い1本だが、素晴らしい傑作だ。

成瀬映画では初めてのカラー作品でありシネマスコープだ。
原作は和田傳、脚本は橋下忍。監督助手のクレジットには須川栄三とある。
上映時間129分は成瀬映画の中で最も長い。

神奈川県の厚木の農家を舞台にした群像劇である
家族関係は、本家や分家、前妻・後妻など、かなり複雑で理解するのに苦労する。

ストーリーの中心は、農作業に明け暮れる未亡人の八重(淡島千景)と、
東洋新聞の厚木通信部の記者・大川(木村功)の恋愛。
木村は妻子持ちなので不倫関係ということになる。
もう一つは、淡島の兄で本家の和助(中村雁治郎)の息子の初治(小林桂樹)と
見合いで結婚するみち子(司葉子)の新婚生活。
司の継母・とよ(杉村春子)は雁治郎の前妻だが、小林は雁治郎の後妻(清川虹子)
との子供だ。かなり複雑な設定である。

ファーストシーンは成瀬映画には珍しく、遠景に山を臨んだ広々とした農村風景のロングショット。
農家から自転車で出てくる助役(加東大介)と淡島の姑・ヒデ(飯田蝶子)の会話がある。
続く農家の囲炉裏のある土間には、農家の生活を取材する記者の木村と取材に答える淡島の会話。

木村は「コメが16万8千円、麦と畑もので15万円、養鶏が3万ないし4万。
1年間の収入が35万8千円」と言って、これは結構いいですねと淡島に話しかける。
淡島は「そんな計算は無茶だわ、支出がはいっていない」と当然のことを言う。

成瀬映画には「金」の話がつきものだが、
最大の特徴は執拗に具体的な金額を出すことにある。本作のこのシーンもその一つだ。

初めてのカラー映画といえば、鮮やかな原色を使いたいのが映画監督だと思うが、
成瀬監督はそんなことはしない。
農村の生活をリアルに伝えたいという意図か、
農家の内部や農作業のシーンでの色彩は、黒、茶、濃い緑など
ともかく赤や黄色といった目立つ色はほとんど出てこない。
人物も地味で目立たない色のものを着ている。

一転して、淡島と木村が海岸(江の島の近く)を歩くシーンでは、
白っぽい木村のコートと濃い赤の着物を着た淡島が、いい天気の青空の中
砂浜をゆっくりと歩く。
明るい色がぱっと開けた感じでこの色彩の計算は見事だ。

二人が歩くシーンでは
・斜めの構図で二人が並んで歩いている。
・煙草に火をつけて立ち止まる木村。そのまま前に歩いて立ち止まり
 木村の方を振り返る淡島
・木村が歩いてきて、再び二人は並んで歩く
・淡島が立ち止まり、今度は木村が少し前に出て、
 立ち止まり淡島の方を振り返る。

「二人が並んで歩き、一人が立ち止まりもう一人が前方で立ち止まり振り返る」

これが成瀬映画の屋外シーンでのお約束のようなパターンで、
成瀬映画を観る楽しみの一つだが、
本作では振り返る人物を、淡島、木村の順番に変えているという細かい演出がある。
その映像演出の巧みさは素晴らしいとしか言いようがない。
もちろんこれはキャメラマン玉井正夫の撮影技術の貢献も大きい。

厚木の郊外の半原(本HPロケーション写真を参照)に下調べで甥(小林桂樹)の
見合い相手の娘(司葉子)に会いに行く淡島。
木陰に座って話す司の母親の杉村と淡島。杉村は兄・雁治郎の前妻であり
その思い出を語り合う。

このシーンに農作業をする姿で登場する司葉子は、本作が初めての成瀬映画である。
インタビューを読むと、成瀬監督は司の農作業の演技がどうなるか心配していたが、
司は鳥取の出身で実は農作業の経験もあって鍬の使い方にも自信があったそうだ。
そこで成瀬監督はテストを見て、「うまいじゃないか」と微笑んだとのこと。

本作の登場人物は多い。『娘・妻・母』や『女の座』の大家族ものに匹敵する。
登場人物が多い時に成瀬監督がよく使う演出(これは脚本の関係かもしれないが)は
ある人物に関する噂話をさせておいて、場面転換した次のショットにその人物を登場させる
手法である。

本作には少しユーモラスな形での人物紹介場面転換がある。
雁治郎の妹(だと思う)・やすえ(賀原夏子)の一人娘のはま子(水野久美)。
本家の嫁に決まった司のことを噂していた時に、わたしなら絶対にあんな家に
嫁に行かないと厳しく言う。
その後の台詞
「おばさん(注:清川虹子)はあひるのようにギャアギャア。
 おじさん(中村雁治郎)はガマのようにノッソリノッソリ。ああいゃだ」
ここで場面転換し
農道をひょこひょこ急ぎ足で歩いてくる雁治郎のショット。

橋下忍脚本にそのままあるのか、成瀬演出かは不明だが、
こういうあざとくなく自然なユーモアセンスは、名人の落語家の語り口のようである。

後半は、
・小林と司の新婚生活
・雁治郎の息子で銀行に勤める太刀川洋一と水野久美との恋愛(水野は妊娠してしまう)
・木村の東京転勤によって別れることになる淡島と木村
となる。

淡島の女学校時代の友達で、厚木市内でレストラン・料亭のような店を経営している
新珠三千代は、全体的に地味な本作の中で、明るい雰囲気を醸し出している。

最後に、本作には一人珍しい人が出演している。
農家の青年会の旅行の相談で小林桂樹と会話する若者。
その若者は石井伊吉といって、今も現役で活躍している毒蝮三太夫である。
 ⑧夫婦 成瀬映画の『めし』『妻』とともにいわゆる夫婦3部作の1つ。
上原謙の妻役は『めし』と同様原節子が予定されていたが、
急病の為、成瀬監督が杉葉子を抜擢したとのこと。
内容は子供のいないしがないサラリーマン夫婦に起こる日常的な出来事の中で、
夫婦間に起こるちょっとした心の葛藤
(危機とまでいっていいのかどうか)を描いていく。


東京へ転勤となった中原伊作(上原謙)と妻の菊子(杉葉子)が、
上原謙の会社の同僚である竹村良太(三国連太郎:妻を亡くしたばかりで一人暮らし)
の家に同居することになる。
三国連太郎は自分の家なのにかかわらず、2階の部屋に引きこもり、
1階を上原謙、杉葉子に貸しているのでまるで下宿しているようだ。
まるで『妻』と同様のシチュエーションである。
そういえば、この夫婦3部作はすべて上原謙が夫役であり、
子供のいない倦怠期の夫婦というのも共通している。
似たようなテーマを扱ってもそれぞれ甲乙つけがたい魅力ある作品に
仕上げているのは、さすが成瀬監督である。
『めし』だけが特に有名だが、『妻』とこの『夫婦』も傑作だ。

なんといってもこの作品の魅力は杉葉子だ。
市川崑監督の『結婚行進曲』(1951東宝)『ラッキーさん』(1952 東宝)
などの元気はつらつの独身女性役も魅力的だが、
着物をきこなして家事に精を出しているけなげな若妻役も素晴らしい。
『めし』の原節子や『妻』の高峰三枝子はいかにも生活に疲れている妻を
演じていたがこの作品の杉葉子は、最も可愛らしくチャーミングである。
竹村(三国連太郎)が惚れてしまうのも無理はない。
ラスト近く、夫である中原(上原謙)に対してためてきた不満を
一気にぶつけるシーンもいい。
菊子(杉葉子)の行動には何にも非はないでしょう。
男の私もいいぞいいぞという声援を心の中で送ってしまった。

ラストで子供を産むかどうかのところで、夫婦の葛藤が最高調になる。
上原謙の「なんとしてでも育てていこう」という台詞で、
夫婦の危機は一応解消しハッピーエンドとなる。
杉葉子の実家である「鰻屋」でのやり取りはとても楽しい。
父親役が藤原釜足、兄役が小林桂樹、妹役が岡田茉莉子である。
いかにも昔の日本映画といった感じの斉藤一郎の寂しげな音楽も好きだ。
 ⑨石中先生行状記 石坂洋次郎原作。
第1話「隠退蔵物資の巻」、第2話「仲たがいの巻」、第3話「千草ぐるまの巻」
と短編3つから成っている。
1編が30分くらいである。
舞台は東北(青森)で、そこに住む小説家の石中先生(宮田重雄)が
若者の恋の騒動を解決するといったほのぼのとしたストーリーである。
石中先生役の宮田重雄は俳優ではなく実際の画家とのことだが、
なかなかいい味を出している。
顔や雰囲気(お会いしたことはないが!)が成瀬監督自身に似ているような感じ。

第1話と第3話は東北の雄大な田園風景のロケーションシーンがほとんどだが、
第2話は町(弘前と書いてある)が舞台であり、
セットも成瀬映画らしいのは第2話である。
手前に橋のあるセットは同じ新東宝の『おかあさん』のセットに似ている。
一つ疑問に思ったのは、第1話の恋人同士 堀雄二と木匠久美子、
第3話の三船敏郎と若山セツ子が東北弁まるだしで話す
(私には聞き取れず意味不明のところあり)のに対し、
第2話の池部良と杉葉子(「青い山脈」の再来)は聞き取りやすい
標準語で話していることである。
第2話も弘前あたりが舞台のはずだが。杉葉子様が可愛いので、まあいっか。

第2話のラストの方で、
石中先生が池部良と杉葉子に「お互いにどれくらい好きなんだね」と聞くと、
二人がこれぐらいですと両手を大きく広げる無邪気なこと。

第3話の若山セツ子は、けらけらとした笑い方が可愛い。
映画館で「青い山脈」の自分の出演場面を観ているという楽屋落ちのシーンもある。
朴訥で無口な田舎青年三船敏郎がいい。
最後、若山セツ子を家のそばまで送っていく途中で、
田園風景の中いきなり「青い山脈」を二人で歌いだすシーンの楽しいこと。
二人が家の近くで別れた後、
一緒にいた石中先生に「一目ぼれってのはあるのかね」というような台詞をいって、
石中先生の「私なら家まで送っていくな」という言葉にうなづき、
若山セツ子の方に千草ぐるま(千草を積んだ荷馬車のようなもの)をひっぱって、
急ぎ足で向かって行くのはほのぼのとして爽やかなラストシーンであった。
黒澤映画以外の三船もいい。
 ⑩浮雲 なんてったって『浮雲』である。
日本映画のベストテンといった企画には必ずはいる名作である。
小津安二郎もレオス・カラックスもほめた傑作である。
成瀬映画は他は知らなくてもこれは観たという方も多いのではないかと思う。

私はあまり好きではないが、名作であることはもちろん認める。
私も最初にNHKの衛星放送で観た時は、衝撃を受けた。
特にラストシーンではあまりの救いの無さと、
あの哀愁ただようテーマ音楽に思わず泣いてしまった。
この映画の高峰秀子は本当に綺麗である。
特に、南方の回想シーンでのデコちゃんは清楚と色気をあわせもっていて思わず息をのむ。
森雅之とのだらだらと続く関係の中でやつれていく演技も見事だ。
森雅之(私は日本の男優でこの人が一番ダンディだと思う)は、
すべてを包み込むような大人の男の雰囲気を漂わせた演技で立派だ。

この映画は、この二人の演技と色気に身をまかせればそれで言うことなしだ。
玉井正夫、中古智、石井長四郎の技術陣も大活躍である。
チーフ助監督は岡本喜八である。

2014.11.8追加

原作は林芙美子、脚本(クレジットには脚色)は水木洋子。
1955年(昭和30年)のキネマ旬報ベストテン第一位。

本HPの各所にも書いているが、
本作は成瀬映画の最高傑作とか代表作と称されているが、
「救いのない重苦しい展開で最後も悲劇的に終わる」のは決して成瀬調では無い。
同様の作風の『乱れる』『乱れ雲』には、少しだがユーモラスな台詞などもある。
つまり『浮雲』は日本映画の中でも屈指の名作であることは認めるが、
成瀬映画としては「異色作」と言える。
これは現存する69本全ての成瀬映画を観た私の結論である。
しかしながら、本作には随所に成瀬演出の冴えがつまっている。
また、森雅之と高峰秀子の演技は日本映画の最高峰といっても過言ではない。
そして助演だが若き岡田茉莉子の演技も素晴らしい。

ファーストシーンは、引揚船から降りてくる引揚者が歩く当時のニュース映像。
そこに昭和二十一年初冬のインポーズ。
次のショットは、ニュース映像の延長のような感じで、
幸田ゆき子(高峰秀子)がリュックを背負って歩いてくる。

場面転換して焼け跡の街並みを歩いてくる高峰。
粗末な一軒家の表札のアップ。「渋谷区代々木上原一番地56 富岡兼吾」とある。
現在の代々木上原は小田急線、千代田線の駅のある高級住宅街である。
おそらくこれは実際のロケーション(撮影時期の昭和29年~30年)だと思われるが、
敗戦後10年近く立っての焼け跡ぶりは強烈だ。

この後は
①現在
 →富岡=森雅之を呼び出して二人で歩く。着替えてくるからどこかに行こうと
  家に戻る森を一人で待つ高峰
②回想(戦時中の仏印ダラット=現在のベトナムでの農林省の事務所)
 →二人の出会い。毒舌の森(東京生まれの高峰を千葉生まれときめつける森)に
  気を悪くする高峰
③現在
 →焼け跡のマーケット横の安ホテルに入り、2階の和室で会話する二人
④回想
 →ダラットの森の中の調査に向かう森。することがなくそれに同行する高峰。
  森は高峰に少し優しい言葉をかける。突然立ち止まり、高峰の顔を見つめ
  肩に手を回してキスをしようとする森
⑤現在
 →安ホテルの和室でキスをする二人。その後、森が別れ話を切り出し、
  怒りながら泣き出す高峰
と続く。

④と⑤は成瀬監督得意の「空間移動人物アクションつなぎ(私の造語!)」だが、
キスの動作の途中でショットを割り、現実のキスの動作につなげる映像手法は見事だ。
このようなお洒落なキスシーンは洋画にも無いのではないか。

生きていくためにアメリカ兵相手の商売に身を落とす高峰。
そのバラック小屋に森が訪ねてくる。

このバラック小屋はとても印象的な美術セットだが、
生誕100年の2005年の世田谷文学館での「成瀬巳喜男展」の目玉の一つとして
このセットが再現され(当時の美術助手の竹中和雄氏監修)、
現在は千葉県・佐倉市「国立歴史民族博物館」に常設展示されているとのことだ。

有名な伊香保温泉のシークエンス。
森と高峰の二人が湯船につかっていて会話する。
「正月までゆっくりしていかない」という高峰に対し、
「明日帰るよ」と答える森。

次のショットは伊香保温泉の階段での獅子舞の映像。
続いて旅館の部屋でコタツにあたっている二人。
台詞と異なった行動を取っているが余計な説明は一切ない。
映像だけでまだ伊香保にとどまっている二人を見せる。

森が宿代の足しにと伊香保温泉にあるバーで主人の向井(加東大介)に
時計を売る。オメガの時計を1万円で買う加東。
この後、森、高峰、加東、加東の若妻・おせい(岡田茉莉子)の4人で
バーの和室のこたつで酒を飲んでいる。
この時の、森と岡田の目線のやり取りが凄い。
目線のやり取りを見ただけでこの後男女関係に発展することが
読み取れてしまう。

バーの玄関から風呂につながる石段。
これは伊香保温泉ではなく東宝撮影所の近くに建てたオープンセットのようだ。
夜、風呂に行く森と岡田。翌朝、風呂に行く森と高峰の階段の登り降りを
クレーン撮影で見せる。

東京に戻り、夕暮れの電車道(本HPロケ地写真にある西武池袋線とJRのある
目白駅と池袋駅の間の道=現在もある)を並んで歩く森と高峰。
途中で立ち止まって会話する時の、高峰の横顔は神々しい美しさだ。

亡くなったおせい(岡田)のアパートの部屋。外は雨が降っている。
岡田とも関係があった森を激しく罵倒する高峰。
その合間に、アパートの廊下で「おままごと遊び」をしている子供たちの姿のショット。
高峰が森との子供の中絶手術後である点。
そして観客の張りつめた気持ちを一瞬だけ緩和させる見事な成瀬演出だ。

この後、
■森の病気の妻(中北千枝子)の死
■伊豆長岡温泉に逗留する森と高峰
■屋久島に赴任する森に附いていく高峰
■病気で寝込む高峰を看病する森。鹿児島のロケーション
■屋久島に着いた二人。屋久島での高峰の死
となる。

書籍『成瀬巳喜男の設計』(中古智/蓮實重彦 筑摩書房)によれば、
仏印ダラットと屋久島は、伊豆でロケーションしたとのこと。
鹿児島は実際のロケーションだ。

ラスト、高峰の亡骸に向かって「ゆき子」と泣き崩れる森。
森の顔を映さず背中のミディアムショットで終わるラストショットは何とも言えず切ない。
本作は「終」の文字は出ず、
林芙美子の「花のいのちはみじかくて 苦しきことのみ多かりき」の言葉が画面に出て終わる。

⑪妻  上原謙と高峰三枝子が主演。
『めし』や『驟雨』と同様、倦怠期の夫婦を描いているが、
一つ違うのは夫である上原謙が会社のタイピストである女性
(丹阿弥谷津子:映画、TV等のおばあちゃん役で活躍)
と恋愛関係にあるというシチュエーションである。

二人の交互のモノローグのナレーションが夫婦の溝を上手く表現している。
上原謙が布団にはいってたばこを吸っているシーンで、
・編み物をしている高峰三枝子が「おせんべ」をばりばりっと元気いい音で食べる
・上原謙が布団の中で怪訝な顔をする。
これは、成瀬夫人の恒子さんが、
「私がおせんべを好きだったのをモデルに取り入れていたようです」
と数年前にNHK教育で放映されたETV特集「川本三郎が読む成瀬巳喜男の世界」
(再放送を望む)でのインタビューで答えていた。

ラスト近く、高峰三枝子が夫の浮気相手の丹阿弥谷津子の家を訪ねるシーンは、
部屋の中で女同士言い争いになるかと思えば、表に出ましょうと
二人で天気のいい道を散歩しながら淡々と語りあうのである。
成瀬監督らしい渋い演出の名場面である。
このシーンの光線がまた素晴らしい。
名手 玉井正夫のキャメラであった。
結局夫婦は危機を経て元の平凡な生活に戻る。
これも成瀬監督得意のエンディングである。
 ⑫銀座化粧  銀座のバーに勤めながら一人息子を育てている女給
(映画の中にも盛んに出てくる言葉:今でいうホステス)
の雪子(田中絹代)を中心に描いている。
例によって、劇的な事件はなく、様々なエピソードが淡々と描かれる。
この映画は昭和26年当時の風俗が数多く見られて興味深い。

雪子は息子の春雄と一緒に、銀座に近い「新富町」あたりの
長唄の師匠の家の2階に下宿している。
「新富町」界隈は今もそういう雰囲気があるが、
古い家屋も残っていて下町情緒が感じられる。
長唄の師匠(清川玉枝)の夫でギャンブル好きの清吉(柳 永二郎)は、
だらしないが世話好きな江戸っ子の感じが良くでている。
話し方もいなせでかっこいい。
雪子が持っている「藤村詩集」を見て、「ふじむらのおじさん、詩も書くんだ」
(藤村:ふじむらとは雪子の昔の恋人で、今は落ちぶれている)も笑わしてくれる。

雪子の勤めるバー「ベラミ」に面白いシーンがある。
流しのミュージシャンの音楽が3種類でてくる。
最初はヴァイオリンにあわせて少女が銀座の歌を歌う。
次に三味線と浪花節、最後はアコーディオンとギターで流行歌という具合である。
銀座のバーの店内での浪花節というミスマッチな組み合わせは初めて見たが、
当時はあんなことがあったのだろうか。

「紙芝居」「ちんどん屋」「くたびれた靴」といった
成瀬映画の決まりの小道具も登場する。
春雄が一人で「蕎麦屋」へ行き、「かけそば一つ」と注文する短いシーンも
「かけそば」という点がリアルで泣かせる。
現在は首都高速になっている「築地川」等が
ロケシーンで頻繁に登場するのも興味深い。
当時、銀座は川に囲まれていた島だっのだ。
妹分で同じ店に勤める京子(香川京子:清楚なのでバー勤めにはみえない)は
相変わらず綺麗で可愛いが、この映画では女給という役柄のせいか色気も感じられる。

雪子の下宿の部屋で、雪子と京子が語るシーンは、
左に京子、真ん中に「鏡台」、窓を背にたばこを吸って腰掛けている雪子
という構図が何度も見られる。
「鏡台」の鏡が効果的に使用されている。

ラスト近く、雪子の友人の静江(花井蘭子)が雪子に言う
「もっとびっくりすることがあるのよ。歩きながら話しましょう」は、
歩きながらの会話でストーリー展開を行なう成瀬監督得意の技法で、
この映画にもちゃんとあった。

 ⑬くちづけ  石坂洋次郎の短編の3話オムニバスである。
第1話の「くちづけ」を成瀬作品の多くの作品でチーフ助監督を勤めた筧正典、
第2話「霧の中の少女」を鈴木英夫、
第3話「女同士」を成瀬がそれぞれ監督している。

第1話「くちづけ」。
大学生の恋人同士が多摩川の川原で初めてキス
(映画の中では接吻:せっぷんと呼んでいるのが時代を感じる)
するまでの他愛の無い話である。
主役の青山京子はふっくらとして可愛い。
義姉で未亡人には杉葉子が扮している。
この作品で一番いいのは、大学教授役の笠智衆である。
主役の二人の大学生がカンニングがばれたと思い告白するシーンでは、
「私も若い頃にカンニングしたことがあるが、君たちみたいに
自分から告白するようなへまはしなかった」などとのたまうユーモラスな教授である。
窓から二人を見ている姿も大人のやさしさと生徒に対する愛情に満ちている。

第2話「霧の中の少女」。
3話の中で一番好きな作品。
夏休みで東北の田舎に帰省している由子(司葉子)の元へ、
大学の友人の英吉(小泉博)から北海道の旅行の帰りに立ち寄りたいという手紙が来る。
由子の両親(藤原釜足、清川虹子)、妹の妙子(中原ひとみ)らは、
英吉を家に泊めることに不安を感じながらも泊めてもてなす。
二人は滞在中に結婚の約束をし、英吉は東京に帰って行く。
司葉子、中原ひとみが本当に綺麗で可愛い。
小泉博も爽やかな青年を好演。なんといっても由子の祖母の飯田蝶子がいい。
英吉を歓迎して一緒にビールを飲み、「会津磐梯山は~」と唸る。
とても元気で粋なおばあちゃんである。
全体的にユーモラスな作風で、会津あたりの牧歌的な風景描写も素晴らしい。
妹の中学生の妙子が英吉の乗った汽車を駅のホームで走りながら
追いかけていくラストは感動的だ。鈴木英夫監督、注目である。

第3話「女同士」。
医者の育三(上原謙)と妻・朋子(高峰秀子)に
看護婦のキヨ子(中村メイ子)の世田谷あたりの医院が舞台となる。
朋子は、部屋のそうじの際に偶然にもキヨ子の日記を読んでしまう。
そこには夫である育三への愛情が書かれていたため、
朋子の気持ちが揺れ動いて、
キヨ子の愛情を近所の八百屋の清吉(小林桂樹)へ移そうと画策する。
コメディタッチのほのぼのとした作品である。
高峰秀子の気持ちの揺れ具合が、得意の目線によって表現される。
感情の起伏の出し方が絶品である。
八百屋の小林桂樹もまじめな八百屋のおにいちゃん役で相変わらずいい味を出している。
キヨ子が清吉の家へ嫁いでいった後に、
代わりにより美人の看護婦(クレジットにもはいっていないがなんと八千草薫)
が入ってくるという皮肉めいたラストもいかにも成瀬監督らしい。
 ⑭あにいもうと 室生犀星原作。
「多摩川」近郊が舞台となっている。のどかな田園風景が素晴らしい。

川で子供達が泳いでいるシーン(多摩川で泳いでいる!)、
横に小川の流れた小道をもん(京 マチ子)と妹のさん(久我美子)が歩くシーンなど、
モノクロ映像にうっとりとしてしまう。

しかし昔の女の人の名前とはいえ二人の娘の名前が「もん」と「さん」というのは凄い。
兄の石工の伊之吉(森 雅之)は、いつものダンディさではなく、
がさつで乱暴な職人気質の男を演じている。
スチール写真等で観てた時はミスキャストかとも思ったが、
実際にはそんなに悪くなかった。
乱暴な言葉使いと行動(ラスト近く妹の京マチ子を激しくなぐるシーンがある)
の中に妹への愛情が感じられた。さすが森雅之の演技である。

この作品では、母親役の浦辺粂子と
父親役の山本礼三郎(黒澤「酔いどれ天使」「野良犬などに出演)がいい。
浦辺粂子はとてもしたたかで、実は一番強い母親像を好演している。
山本礼三郎も寡黙さの中で、あのぎょろりと光る目が渋い。

外に井戸のある家で東京から帰ってきた京 マチ子が
蝉の声の中で昼寝をしているシーンの気持ち良さそうなこと。
また、浦辺粂子が経営(!?)している川沿いのお店(おでんやかき氷)で
お客が食べるアイスキャンデーやかき氷もおいしそうである。

途中で久我美子が東京に向かう時に出てくる駅はどこだろうか。
あきらかにロケのようであるが、駅名がよく読めない。
新宿行きの電車なので、小田急線か京王線だと思うのだが。
→これは後に判明した。ロケ地写真参照
 ⑮杏っ子  室生犀星原作。
前半の「軽井沢」(実際のロケは箱根の仙石原とのこと)のシーンはとてもいい。
静かで牧歌的な風景の中を杏子(香川京子)や弟が自転車に乗ってなだらかで
雄大な山道を行き来する。

見合い相手が来ると、杏子は近くの湖まで自転車で案内する。
最初の藤木悠の時は「この先はもうたいしたところはないので戻りましょう」
で二人目の土屋嘉男の時は、(気にいったので)「もう少し行ってみましょう」
というユーモア溢れるシーンもある。
水面がきらきらとした湖のシーンのモノクロ映像はひたすら美しい。

夫になる漆山(木村功)が、杏子の父親 平四郎(山村聡)に対して、
「杏子さんを僕にください」と言った後に、
平四郎が「そこらへんを歩いてみましょうか」と言って二人で並んで歩くシーンは、
重要なストーリー展開を歩きながらの会話で進めていく成瀬監督得意のパターンである。

この映画は二人で並んで歩くシーンが多い。
平四郎と杏子が歩き、立ち止まり、振り向くシーンは、
同じ山村聡の「山の音」を連想させる。
成瀬映画での歩くシーンは、とても躍動感にあふれていて何度観ても引き付けられてしまう。
成瀬演出のマジックだ。
平四郎が娘の杏子のことを名前でなく「君」と呼ぶのもとても素敵だ。

漆山と杏子の新婚旅行の部屋のシーンがフェイドアウトして、
「昭和25年」という字とともに、東京の長屋風の住居(本郷あたりか)となる。
初々しい娘から少し所帯疲れした香川京子への変化は、
テンポのいい成瀬演出である。

後半は、仕事もうまくいかず、小説も思うようにいかず酒びたりになっている
漆山の自虐的な行動と内職し悩みながらもそれに耐える杏子、
娘を心配そうに見守る平四郎(東京の家に戻ってくる)の3人が中心となる。
漆山のようにあそこまで嫌悪感をもたらす性格の人物は成瀬作品では珍しいと思う。
それだけ木村功の演技がうまいということなのだろうが。

後半は「香川京子頑張れ」と応援したくなるほど漆山の言動と行動はひどいが、
唯一、漆山に同情するシーンがある。
漆山が杏子に「どうして君は僕のところに来たんだい」という質問に対し
杏子の答えは「そうねえ。偶然かしら」である。「偶然」!!

ラストもあいまいな終わり方で、いつもの成瀬映画らしいが、
他の作品は多少希望のようなものが差し込んでいる気がするが、
この映画は「この後夫婦仲は解決するのでしょうか」といった不安いっぱいな気分で終わる。
小林桂樹も成瀬映画では珍しく、少しうさんくさい感じの人物を演じている。
 ⑯妻の心  群馬の老舗の薬屋を舞台にした夫婦ものの一つである。
敷地内の空き地に副業として「喫茶店」をはじめようと、
次男の信二(小林桂樹)と妻喜代子(高峰秀子)ははりきっている。
そこに東京から失業した長男の善一(千秋実)と妻(中北千枝子)と
子供がきて居座ってしまう。
成瀬監督得意のテーマである「家」を題材にしている。

「家族」同士のささいな対立や夫婦間の葛藤もあって全体的に重苦しい雰囲気だが、
その中で喜代子の友人 弓子(杉葉子)とその兄で銀行員の健吉(三船敏郎)が、
ほっとするような雰囲気を醸しだしている。
「喫茶店」への融資を引き受けた健吉役の三船敏郎は
誠実で頼もしい銀行員役を好演している。
黒澤映画にはみられない別の魅力がある。
三船敏郎は『石中先生行状記』以来の成瀬映画出演である。

弓子役の杉葉子は笑顔がチャーミングで、家の中でストレスをためている喜代子を
精神的にサポートしている感じである。
こういう女同士の友情もみていて素敵である。
弓子の家に遊びに来た時の喜代子は、家から解放されたおだやかな表情をしている。
舞台となる老舗の薬屋の中庭に面したL字型の廊下や部屋の雰囲気は、
昔の日本家屋そのままという感じで素晴らしい。

ラスト近く、いろいろと葛藤があった信二と喜代子がなんとなしに仲なおりして、
歩きながら喫茶店の早期開業を話しあう。
このドラマチックでない終わり方が如何にも成瀬調で納得する。
 ⑰あらくれ  徳田秋声原作。
大正時代を舞台にヒロインお島(高峰秀子)の波乱の人生を描く。


お島は成瀬映画ではまったく特異なキャラクターである。
気が強く、映画の中にも台詞が出てくる「男のような女」で夫と喧嘩する場面も多い。
気が強いだけでなく、結構腕力も強いので迫力がある。
小野田(加東大介)には部屋の中でホースの水までかけてしまう。
お島を演じた高峰秀子の「ちょっとすねたような声」は相変わらずだが、
ところどころ非常に早口でまくしたてるので、聞き取りにくい個所もあった。

大正時代の東京を再現したオープンセットが素晴らしい。
また、スタジオセットだと思うが、お島と姉(中北千枝子)が夜道を歩くシーン、
お島と浜屋(森雅之)が東京で会う高台の神社のような場所(下に汽車の音)も素敵だ。
「お琴」「三味線」「尺八」の音も、
大正時代の東京の雰囲気をうまく表している。
お島が言う「ステーション(駅)」という言葉も大正時代っぽい。

最初にお島が山村の旅館「浜屋」に行った時は、一面の雪である。
成瀬映画に「雪のシーン」はとても珍しい。
山村の「河原のシーン」「お島が父(東野英治郎)と山を下りるシーン」
「お島が病死した浜屋(森雅之)の墓参りをするシーン」などの屋外ロケーションは、
相変わらずの綺麗な光である。

お島が雨の降っている通り(人力車が行き交う商店街)を傘をさしながら
歩いていくラストシーンは薄日がさしこんでいるように明るく、
小野田と別れて木村(仲代達矢)と洋服店をやり直す決心をした
お島の心を表わしているかのようだ。

いやらしい感じの精米所の主人(志村喬)も絶品である。
 ⑱稲妻  珍しく大映作品。主役の高峰秀子はバスガイドである。
物売りや様々な生活音で表現される下町の雰囲気が素晴らしい。
高峰秀子と姉の三浦光子が、中北千枝子のアパートを訪ねる際に渡る
歩行者専用の橋「新田橋」は今でも地下鉄東西線の「木場」駅のすぐ近くに現存している。
(現在は建て替えられた橋がある)
この映画で最もいいのはなんといっても高峰秀子の母親役の浦辺粂子である。
娘の高峰秀子との縁側でのやり取りで、
「おかあちゃんは4人もの男と結婚したんだけど、幸福だった?」の問いかけに
「幸福なんて。お前。そんなハイカラなこと」である。
答えになっていない凄さ。
いかにも怪しげなパン屋の小沢栄太郎もいい味を出している。
兄弟が揃って「もりそば」を食べるシーンもいい。
この映画も目線の切り換えしが多く出てくる。


2015.1.1追加
原作・林芙美子、脚本・田中澄江。
同年のキネマ旬報ベストテンの第二位(第一位は黒澤明『生きる』)。『おかあさん』は第七位である。
タイトルバックの音楽(斉藤一郎)はピアノの音が印象的でいかにも文芸映画の雰囲気だ。

ファーストシーンは、はとバスの車中からの銀座通りの映像。
バスガイド役の小森清子(高峰秀子)がマイクで銀座の由来を話している。
この感じは、翌年1953年の小津映画『東京物語』で原節子が笠智衆と東山千栄子を東京見物に
案内している同じバスの車中に似ている。

この映画はある意味で典型的な成瀬映画の一本と言えるだろう。
下町(東京の池之端か根津界隈)の洋品店を舞台に、卓袱台のある部屋、
路地、豆腐などの売り声、そしてダメ男たちなど、成瀬映画によく登場する要素が揃っている。
そして、映画の雰囲気は全体的に暗い。

■バスガイドの高峰の仕事終わりに「家から電話よ、すぐに帰ってきなさいって」
 とバス会社の事務員が伝えに来る。「何だろう」と言ってバスを降りる高峰
(フェイドアウト)
■忌中の紙の貼られた窓
■近所の人たちの噂話「脳溢血らしい」
というショット展開がある。
ここは成瀬監督の得意の「省略」演出だ。
また、電話によって知らされる死、近所の人たちの噂話もいかにも成瀬調である。
亡くなったのは、高峰の姉の光子(三浦光子)の夫。(冒頭の銀座のシーンだけに登場する))

成瀬映画に出てくる男は「ダメ男」が多い。
といっても森雅之や上原謙などはそれほど酷くはないが、
本作に登場する男たちは「ダメ男」の見本市のようだ。
・長男の嘉助(丸山修)
・長姉・縫子(村田知英子)の夫・龍三(植村謙二郎)
そして、三浦の亡くなった夫にも愛人(中北千枝子)がいた。
みんな生活力が無く、しょっちゅうビールを飲んで愚痴を言っている。
生活力はあるが、女好きのいかがわしい人物が綱吉(小沢栄)。
最初は村田に近づき、次に三浦と仲良くなるが、実際は高峰を狙っている。
高峰は拒否する。この小沢は「ダメ男」というより「イヤな男」である。
こういう役をさせると小沢栄(後に栄太郎)は本当に上手い。

ともかく本作の姉妹、兄弟間の「ドロドロ感」はすさまじい。
観ていて気分が滅入ってくる。
同年の『おかあさん』にはユーモラスな要素が見られるが、
本作はくすっとさせられるシーンが少ない。
母親・おせい(浦辺粂子)の台詞だけは、少し笑ってしまうところもあるのだが。

高峰は実家から世田谷のアパートに引っ越す。
気のいい大家・滝花久子と隣の家の仲のいい兄・周三(根上淳)と妹・つぼみ(香川京子)
は、善良な人物に描かれていて少し救いがある。

随所にある屋外ロケーションの映像は綺麗で魅力的だ。

ラストは、高峰の2階の部屋を訪ねた母・おせい(浦辺粂子)と高峰が口論して
二人とも泣きじゃくる。
その後はけろっと仲直りして、夜の道を二人して歩いていく姿で終わる。
暗い雰囲気の中で、最後に少し明るい感じで終わるところはいかにも成瀬調だ。

今回じっくりと観直してみたが、本作はどうしてこんなに評価が高いのかがよくわからない。
成瀬映画の中には、キネマ旬報ベストテンにランクされていない傑作映画が多数あると思うが、
本作は評価が高すぎだと思うのだ。
 ⑲舞姫  以前、フィルムセンターで一度観たが、
今回のラピュタ阿佐ケ谷の特集で久しぶりに観た。
川端康成原作で、夫(山村聡)と妻(高峰三枝子)の冷え切った関係を描くが、
『めし』『妻』『夫婦』の夫婦三部作と異なるのは、
夫婦三部作がいずれも子供のいない夫婦が主人公であったのに対し、
この作品では、二人の子供(兄・高男=片山明彦、妹・品子=岡田茉莉子)がからむ。


冒頭は、「帝劇」でのバレエ公演を観ている波子(高峰)と竹原(二本柳寛)
のシーンから始まる。
途中で席を立つ波子を追って二人は外に出る。
皇居前広場のあたりを歩く二人のシーンは二人の顔や服に木漏れ日があたり、
さらに立ち止まり等、典型的な成瀬演出である。
二人の会話から、波子は元バレリーナで現在は舞踊研究所の主宰者、
波子の夫で学者の矢木(山村)は京都出張に行っており、
竹原は20年来の友人というより不倫の相手ということがわかる。
冒頭でいきなり不倫関係のデートシーンを描くのは成瀬映画としては大胆な展開である。

この時の高峰三枝子の服装は黒づくめで喪服っぽい。
竹原のスーツはベージュのような明るい色で、
こういったモノクロの配色も成瀬演出だろうか。
この後、波子は娘の品子(岡田)と銀座で食事をする。
品子から矢木が京都から明日戻ってくると聞く。
この次のシーンは
・仏像のショット
・仏像を見ている矢木の顔のアップ」
となり<まだ京都にいるのかな>と一瞬思わせて、
実は東京の上野博物館であることがわかる。
こういう観客の想像を裏切るような編集方法は、遊び心があって楽しい。
成瀬監督の洒落た演出方法の一つである。

この後、矢木家の家庭内不和のストーリーが展開していく。
この作品は全体的にいわゆる<メロドラマ>のタッチの演出であり、
この後の『めし』以降の<直接的な表現、オーバーな演出をしない>
成瀬演出とは異なっている。

多少おおげさな芝居、ドラマチックな音楽の挿入、歯切れの悪いセリフ、
顔のアップやキャメラのクロースアップなど、
他の監督のメロドラマを観ているような錯覚をするシーンが多い。
いわゆる「目線の芸」もほとんど出てこない。

・矢木が家(鎌倉の海のそば)に戻ってきたことを高男から知らされた波子
・家でバレー(だから舞姫なのでしょう)のレッスンをしていた波子と品子、
 波子はいきなり伏目がちになり品子に対して「おとうさんを出迎えてあげて」と言う
・海の短い波のショット
と続く。
海の映像はいわゆる<心理描写>であろうが、
成瀬演出としては少しばかりチープな表現である。
まさか波子だからではないだろうが(笑)。

後半でも、
・品子のバレエの先生で足を怪我して引退した・香山
(大川平八郎=戦前の成瀬作品に数多く出演している)が
 奥多摩の家で病気で死にかけている姿香山の「踊り続けるんだ」といったうわ言
・そのまま死んでしまう
・川の激しい流れ
・川のほとりにいる品子とバレエ仲間の野津(木村功)
の展開も典型的な<お涙頂戴>メロドラマ風である。
ここで、バレエをやめようと思っていた品子が、
香山の最後の言葉で「やっぱり私も踊り続ける」と思いなおすというのも
あまりに作為的で、新藤兼人シナリオが安易のように感じる。

波子を演じる高峰三枝子の服装の変化が興味深い。
冒頭の黒服が、家のバレエ練習場では黒いバレー服となり、家の中では着物となる。
また外出の時には黒服であったり逆に白い服で統一したりとめまぐるしい。
まあこれも波子の心理状態の表現だろうが、この辺はなかなか上手い演出だ。
高峰三枝子もとても綺麗である。
『妻』での愚痴ばかり言っていて性格のきつい妻(夫は上原謙)と比べると、
本当に同じ人かと思うほどである。
このような成瀬監督の俳優の使い方
(他にも原節子の『山の音』と『驟雨』の違いなど)もとても興味深い。
鎌倉の家(最初の方で品子がホームで電車を待っている場面に「わだづか」と書いてある
:江の電)は、竹垣の道が何度も出てきて、少し『山の音』のセットに似てる。
家は和洋折衷のような家で『山の音』の家とはだいぶ違う。

ラスト前は帝劇での「白鳥の湖」の公演シーン。
品子が主役で踊っている。
舞台のそでで娘の踊りに見入っている波子に関西出張する竹原が手紙を届けさせる。
手紙には「東京駅で待っています」と書かれてある。
・東京駅で待っている竹原
・品子が現われ「行けない(一度出た鎌倉の家に戻る)」という波子の言葉を伝える
この辺の演出も松竹メロドラマ風か。

ラストは
・鎌倉の家に戻る波子
・バレエ練習場では矢木が「白鳥の湖」のレコードをかけ物思いにふけっている
・二人はそれぞれ気づき二人のクロースアップ
クレーン撮影で引いていく映像で終わる。
この後、おそらく一からやり直そうとに近いセリフが交わされることを
喚起しながらその場面の前で余韻を持って終わらせるのは、
さすがに成瀬監督っぽい演出で良かった。
 ⑳コタンの口笛  今回、ラピュタ阿佐ヶ谷の特集で初めて観た。
最初にこの作品のプリント状態は悪く、ところどころ台詞が飛んだりしていたので、
完全版を観たとは言えない。
上映時間が126分とパンフレットに書いてあっても
実際の上映時間は115分くらいだった!ということは
10分くらいは欠けていたということか。
カラー作品であったが、幸い、色はそれほど脱色していなかった。

北海道のアイヌ集落を舞台に、
アイヌの姉(マサ=幸田良子)・弟(ユタカ=久保賢)と
その父(畑中イヨン=森雅之)を中心に、
アイヌへの理不尽な差別とそれに立ち向かっていこうとする二人の子供達を描いている。
成瀬映画の題材としては異色と言えるだろう。
舞台も北海道の大自然であって、東京の路地のロケーションが特徴の
成瀬映画とはかなり趣が異なっている。

テーマは社会的というか重い。
ということで、この作品も『浮雲』と同様、ユーモラスで笑えるシーンは皆無であった。
こういう作品は成瀬映画に関わらず結構辛いものである。
重いテーマのせいか、カラー作品といっても家の中、そして登場人物の服装は茶系が多く、
絢爛たる色彩をあえて押さえている。
これはおそらく成瀬監督と玉井撮影監督の計算であろう。
唯一、となりの家の美人で活発なフエ(水野久美)だけは
ピンクのセーターなどを着ていて、こういう色彩による人物描写はさすがである。
家の前にはわりと大きな川が流れていて、
そのロケーションはなかなか大規模で見ごたえがある。
美術監督 中古智と蓮實重彦の「成瀬巳喜男の設計」を読むと、
ロケーションと家のセットをつないでいたとのことで、
その見せ方の技術は素晴らしい。

この作品には北海道の雄大な広い道や海岸を登場人物の二人が歩くシーンが非常に多い。
成瀬映画には二人で歩くシーンは結構多いが、この作品は一番多いのではと思った。

成瀬監督らしいテンポのいい省略法を2つ。
・森雅之が湖の伝説を子供達に語る
・湖の映像
・美術教師の谷口先生(宝田明)がマサをモデルに絵を書いていて、
 横でユタカがその伝説の続きを話している。
もう一つは
・弟のユタカが夏休みに行っている海岸で昼間、石を投げる
・夜空の花火
・別の海岸に花火を見に来ている姉のマサ
といった、空間移動のカットつなぎの冴えはさすがに成瀬映画らしい。

しかし、失業してしまった父(森雅之)が山での作業の仕事について、
子供達2名もアルバイトが決まって学校にも行けるといっていた後の、
父が突然の山での事故で死んでしまうというストーリーは悲惨である。
その後は、森雅之の弟の山茶花究が現れ家を売り払い、
子供達を町のお店か何かに預けるといった展開で、
子供達二人があまりに可哀想である。
だが最後は、引越しの荷物とともに歩いているマサとユタカが「負けないぞ」
といった様子で音楽も少し明るめの曲想で終わるところもいかにも成瀬監督らしい。
こういうラストは明日に希望をたくすというか決して「ヤルセナク」ない。

音楽では、珍しく伊福部昭が担当していてやはりこの作品の重苦しい感じは、
音楽にもあるように感じた。
冒頭のテーマ音楽はなかなかいいが成瀬映画には斎藤一郎の方があってる。

ところで家出したらしいフエ(水野久美)は一体どこに行ってしまったのだろう。。
 怒りの街  日本映画専門チャンネルの成瀬特集で初めて観た。
丹羽文雄原作の風俗小説の映画化である。
金持ち女を騙して金をまきあげる不良学生二人(宇野重吉、原保美)の
いわゆるアプレゲール(戦後派)を中心に描いている。
成瀬監督らしくない題材と言えばそうだろう。

この作品は屋外シーンがとても多い。
玉井正夫撮影だけあって、人物2名がゆっくり歩きながら会話をし、
一人が途中で止まって振り返るという<成瀬パターン>が随所に見られる。
洋服にかかる木漏れ日の演出も後期の成瀬映画を思わせる。
当時の東京の風景が数多く出てくるが、場所ははっきりとはわからない。
森のアパートは渋谷のあたりではないか。

何か作品として物足りないのは、不良学生2名の堅い演技にあるような気がする。
森(宇野重吉)の学生服姿は、年をとってからの風貌のイメージが強いため違和感がある。
さらに須藤(原保美)はまったくなじみがない俳優さんで、役柄も好きになれない。
脇役には、志村喬、村瀬幸子、東山千栄子、岸輝子などの俳優が出ていて
なかなかのものだ。
ただし二人に騙されかける、つね子(久我美子)、紀美子(木匠久美子)
そして須藤の妹(若山セツ子)の女優陣は、なかなかいい味を出している。
特に、久我美子は可愛いというより色っぽくて素敵だ。
面白かったのは、ダンスホールに登場する木村功。
少し不良っぽい役だが服装などはまるで
黒澤映画『野良犬』の犯人役かと思ってしまった。
途中で競馬場が出てきて、馬が走るシーンの映像などは、
成瀬映画としてはとても珍しいのではと感じた。
 薔薇合戦  丹羽文雄原作。
化粧品会社の社長である事業家の長女 里見真砂(三宅邦子)と次女の雛子(若山セツ子)、
三女の千鈴(桂木洋子)のそれぞれの恋愛を描きながら
そこに成瀬映画では珍しく「ビジネス社会」を舞台とする。


この作品の全体的な印象は、
フェードイン、フェードアウトによる展開は成瀬監督らしいが、そのリズムが悪い。
どことなく流れがスムーズではないのである。

ただしストーリー展開において、成瀬監督得意の「省略法」は随所にみられる。
例えば、
・長女 真砂の夫が病気で寝ている。妹の千鈴が雛子に「兄さんだめらしいの」と言う。
・里見家の前に黒塗りの自動車が止り、夫のライバルであった茂木(安部徹)
 と弁護士が真砂を訪ねる。
 そこでの会話で真砂の夫の死が明らかになる。

また、
・真砂が経営する「ニゲラ化粧品」に引き抜いた園池(鶴田浩二)を妹たちに紹介し
「今夜、皆で食事しましょう」と真砂が言う
・(食事の場面かと思いきや)
 帰宅した雛子と千鈴が、部屋の中で食事をした園池の印象を語る
という間接話法となる。
こういうところはやはり成瀬映画だと感じた。

さらに成瀬演出といえば、
・千鈴が園池に「(好きならば)姉さん(雛子)を誘って逃げだしたらいいのよ」と言う
・汽車の窓側に座っている雛子、隣には園池ではなく、
 真砂から紹介されて結婚した日夏という男が寄り添っている
という「観客はぐらかしカット」もある。

主人公が化粧品会社の女社長という題材は成瀬映画では異色だ。
そのため、ストーリー展開が少し説明的なところもある。
途中で、新聞の見出しの積み重ねによって説明する成瀬映画には珍しい手法」がある。
このあたりの感じは、黒澤映画『醜聞』とかフランク・キャプラの作品に似ている気がした。

俳優では、女社長(未亡人である点は非常に成瀬的)の三宅邦子は、
小津映画のようなおっとりした感じではなく、
かなり野心的でエゴイストであり、面白い。
次女の若山セツ子と三女の桂木洋子は、二人とも小柄で可愛い。
この二人は風貌が似ていて姉妹であることが納得できる。
関係ないが、よくこの母親からこんな美人が生まれるわけないといった
親子や姉妹が出てくる映画もある。全然似てないのだ。

三姉妹から信頼されているいい人の園池の鶴田浩二だが、とてもハンサムである。
後年の東映の任侠映画の印象とはまったく違った、都会の綺麗な若者で、
小津映画の『お茶漬けの味』にも出てくるが、この映画の方がずっと素敵である。
現在の石田純一に少し似ているように思った。

作品としては、題材が消化しきれてないという印象である。
この作品は松竹からビデオの発売がされたことがある。
 お国と五平 今回(20089)、スカパーの日本映画専門チャンネルで放送されていたので
久しぶりに再見した。
作品評を書いていなかったので書くことにした。


谷崎純一郎原作の戯曲で、成瀬監督としては『三十三間堂通し矢物語』に続く
2本目の時代劇で、これ以降は撮っていない。
『めし』と『おかあさん』という傑作の間に撮影した作品だ。

ストーリーは、夫を闇討ちで殺されたお国(木暮実千代)が、
奉公人の五平(大谷友右衛門)を伴って、元恋人の友之丞(山村聰)を
敵討ちしようとした諸国を旅し最後に友之丞を討ち果たす。

成瀬映画としては非常に珍しい時代劇で、展開も地味かつ
成瀬映画のテンポのいい展開が少なく、作品としてはあまり成功したものとは言えないだろう。
実際に成瀬監督本人の評価も世間の評価も低い。

お国役の木暮実千代の着物姿も美しいが、表情はやつれていて、
常に何かに悩んでいる(奉公人の五平の禁じられた関係というメロドラマ的な要素も加わる)
ので、観ていてつらい気持ちになる。
大谷友右衛門も硬い表情が支配していて、二人の顔の表情は途中で少し飽きてしまう。
そして最後に敵討ちされる友之丞役の山村聰は、非常に情けない人物を演じていて、
これはミスキャストであり配役の失敗だろう。

しかしながら、この地味な題材の時代劇にもやはり成瀬演出の工夫は随所に見られる。
それをいくつか説明したい。


まず冒頭のシーン。
お国と五平の二人が、山沿いの街道を歩いていく。
その際に前方から歩いてくる夫婦や僧侶などが
二人を振り返るショットがリズミカルに編集される。
その後、先を歩くお国が足をとられてよろけると、
後ろから五平が「あぶのうございます」と声をかけ、
お国が振り返るショットと続く。
成瀬演出の特徴「人物の振り返り」が冒頭にすでに出ている。


季節感や心理描写を効果的にしている演出は「音」である。
うぐいすの泣き声(これは回想シーンとつながる)、蝉の鳴き声、
逗留している旅籠の部屋の窓にある風鈴の音など。
成瀬映画の特徴の一つである「雨」も多く登場するが、
長雨で旅籠に逗留している憂鬱な気分の部屋の二人に聞こえてくる、
階下の旅役者の祝言の賑わいの三味線や太鼓や音や唄声。
二人が見学する旅籠の部屋での人形浄瑠璃の音など。
また、伊勢参りの旅人たちの賑やかな太鼓の音や屋外の夏祭りの盆踊りなどの
音の効果を最大限に用いている。
そして、夫の敵である友之丞を連想させる尺八の音色も随所に登場する。


題材から全体的に憂鬱な雰囲気が漂うが、
お国が風邪気味で床に伏せた時に登場する医師の藤原釜足の登場シーンは、
この作品の唯一のユーモラスな場面だ。


五平が「何か悪い病気ではないかと心配しております」の台詞に対し、
藤原釜足の演じる医師は
「いやいや、病気というものは、みな悪いもんじゃよ。なにしろ病気じゃからな」
と飄々と答える。
その後は「ついさっき近くで、夫の死後に後追いで死んだ大工の妻の
死に水をとってきたのでまだ手がふるえる」などと
病人の前で話すというブラックユーモア的な台詞がある。
しかしこれは知らずにお国の境遇と関連しているので、
お国と五平にもこたえる内容である。


旅の話なので、当然ながら屋外シーンも登場する。
並木道の街道をお国が歩き、その少し後を五平が歩くシーン。
顔にかかる木の影と陽の光とのコントラストが相変わらず綺麗で、
その映像美にはみとれてしまう。


旅籠の女中が頻繁に登場する。
雨の降り続く中、旅籠の和室で行われている人形浄瑠璃を見物に来たお国と五平を見て、
廊下で二人の女中がひそひそと笑みを浮かべて話すショットがある。

台詞がないので何を話しているかわからないが、
お国と五平の二人が怪しげな人物として見られているのを印象づけるショットで、
成瀬演出の冴えはこの作品にも随所に見られる。
これと似たようなシーンは『乱れ雲』で
青森に赴任した加山雄三がにこやかに民謡の曲にあわせて踊っている桟敷で、
上司の支店長が隣の客に車のハンドルを切る動作をして何かを話している。
それを見た加山雄三の笑顔が消え、踊りもやめて別の部屋に行くというシーンにあった。

台詞なしでわからせるというサイレント映画出身監督の演出の上手さだ。
 白い野獣  2014.11.2 新規追加

成瀬巳喜男と西亀元貞の共同脚本。
原作はクレジットされていないのでオリジナルシナリオだろう。
撮影は玉井正夫、美術は平川徹徹、音楽は伊福部昭。

本作は撮影途中で東宝争議や三浦光子の渡米などのアクシデントがあり
撮影は1948年頃だが、完成して公開されたのは1950年となる。

郊外の小高い丘にある夜の女たちの更生施設「白百合寮」を舞台に、
寮長(山村聰)と寮に収容されている女たちとの交流を描く。

題材や映画全体の雰囲気とも、成瀬映画というより溝口映画のような錯覚に陥る。
出演した山村聰はインタビューで
「『白い野獣』は、私は成瀬さん向きのものじゃないと思いますね」と語っている。
(「成瀬巳喜男演出術 村川英編:ワイズ出版 P108)

ファーストシーンは、警官に連れられてくる女たちのロングショット。
その中に、着飾った三浦光子と素朴な感じの木匠久美子がいる。

更生寮の中が中心で、山村聰の寮長の部屋、簡易ベッドの並んだ女たちの寝室、
診察室、食堂、集会所(レコードをかけて踊るシーンが多く出てくる)、
作業場(多くの女が一斉にミシンを踏んでいる)などが登場する。

随所に寮の外ののどかな丘が出てくるが、
成瀬映画に初参加の玉井正夫の撮影による屋外の光線は美しい。

発狂する女(北林谷栄のように見える)、婚約者(岡田英次)と別れる女(中北千枝子=若い!)、
妊娠していて子供を生む女(木匠久美子)などのエピソードが次々と紹介される。

寮長の山村聰に惹かれた三浦光子は、山村と仲の良い女医・中原(飯野公子)に嫉妬する。
女医役の飯野公子は東宝のニューフェイスの第一期生とのことだが、
活躍時期は短くその後引退したらしい。宝塚の男役役のような風貌でなかなか魅力的だ。

女たちの深刻な病気として「梅毒」が出てくる。三浦は梅毒が元で失明にいたる。

ともかく重苦しい映画で、とても成瀬映画とは思えない。
演出や映像表現も平板で、約90分くらいの映画だが退屈だった。
これはどう考えても駄作である。
成瀬監督は肉体的、精神的によっぽど調子が悪かったのだろう。

ラストは木匠が寮で子供を出産する。祝福する寮の女たち。
朝方、たばこを吸ってくつろいでいる山村と飯野が外を見ると、
朝焼けの中に三浦が一人立っている。
そこで終だ。


今後も一部追加・修正していきたい作品評だが、観ている作品についてはすべて完了した。


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