成瀬作品1960年代ベスト10+番外編



題名

製作会社、製作年

主な出演者


DVD

①乱れる

東宝 昭和39年 モノクロ 高峰秀子、加山雄三、草笛光子、三益愛子 DVD
(ビデオ化あり)

②秋立ちぬ

東宝 昭和35年 モノクロ 乙羽信子、大沢健三郎、一木双葉、藤原釜足

③女の座

東宝 昭和37年 モノクロ 高峰秀子、笠智衆、杉村春子、司葉子、星由里子、草笛光子、淡路恵子
小林桂樹、宝田明、加東大介、夏木陽介、三益愛子、団令子、丹阿弥谷津子
(ビデオ化あり)

④娘・妻・母

東宝 昭和35年 カラー 原節子、高峰秀子、森雅之、宝田明、団令子 DVD
(ビデオ化あり)

⑤放浪記

宝塚映画 昭和37年 モノクロ 高峰秀子、宝田明、加東大介、田中絹代 DVD
(ビデオ化あり)

⑥女の中にいる他人

東宝 昭和41年 モノクロ 小林桂樹、新珠三千代、草笛光子、三橋達也 DVD

⑦乱れ雲

東宝 昭和42年 カラー 司葉子、加山雄三、草笛光子、森光子 DVD
(ビデオ化あり)

⑧女が階段を上る時

東宝 昭和35年 モノクロ 高峰秀子、森雅之、団令子、仲代達矢 DVD

⑨女の歴史

東宝 昭和38年 モノクロ 高峰秀子、宝田明、仲代達矢、山崎努

⑩夜の流れ
川島雄三共同監督

東宝 昭和35年 カラー 司葉子、山田五十鈴、三橋達也、宝田明、草笛光子、白川由美
番外編

ひき逃げ

東宝 昭和41年 モノクロ 高峰秀子、司葉子、中山仁 (ビデオ化あり)

妻として女として

東宝 昭和36年 カラー 高峰秀子、淡島千景、森雅之、星由里子、大沢健三郎、水野久美


 タイトル 作品評 
①乱れる 義理の姉と弟の秘められた恋愛を描いた作品。
高峰秀子と成瀬映画初出演の加山雄三の主演である。

前半のスーパーマーケットの進出に悩む商店での日常生活の描写から、
後半一転してまるでサスペンス映画のような温泉場でのスリリングな展開となる。
二人の夜行列車のシーンで、二人の目線の交わりの変化によって心の動きを感じさせる手法は、
これぞ成瀬演出である。
列車を降りる時の高峰秀子の台詞「私も女よ」にはぞくぞくとするような色気があった。

衝撃のラストは、これから観る人のために伏せておこう。
ロケ地となった「銀山温泉」には一度ぜひ行きたい。


(この先追加 2014.10.5NEW)

脚本は高峰秀子の夫である、脚本家・映画監督の松山善三のオリジナル。
舞台は、静岡県清水市(現在は静岡市清水区)。


冒頭は田園風景の中をスーパーマーケットの大売出しの宣伝トラックが走る。
「高校3年生」のメロディが印象的に使われている。
前半は、スーパーマーケット進出による個人商店の苦境が描かれ、
亡き夫の実家である「森田酒店」を切り盛りしている森田礼子(高峰秀子)の店も例外ではない。
象徴的に、卵の値段が示される。
森田酒店の近所で、森田幸司(加山雄三)のマージャン仲間の店では卵1個11円だが、
スーパーでは1個5円で売っている。

成瀬作品初出演の加山雄三だが、前半の演技は観ているのがつらいほどで、
はっきりいって下手である。
義姉の高峰秀子に愛を打ち明けてからの後半は演技も落ち着いてきていい。

近所の個人商店店主たちとマージャンをして深夜に帰宅する加山雄三。
寝ないで待っていて文句を言う高峰秀子のシーン。
このときの、和室での高峰秀子と加山雄三との会話における
二人の位置関係の変化の演出が素晴らしい。

①加山雄三は、丸いちゃぶ台にあぐらをかいて座ってビールを飲み、
 おかずをつまんでいる。
 高峰秀子は向こう側の和室の帳簿が置かれたテーブルの前に座っている。 
 二人は、離れた場所の横同士で会話を始める。
②(加山雄三の目線がななめ上に向く)立ち上がった高峰秀子が話しながら
 和室をゆっくりと歩き、画面では加山雄三の右横に座る。会話は続く
③(加山雄三の目線が斜め上に向く)再び立ち上がった高峰秀子は隣の和室
 (元座っていたテーブルのある)の電気を消して障子をしめる。
 そのまま会話を続けながら部屋の中を歩いて移動する。
④高峰秀子は再び加山雄三の横に座るが、今度は画面の左側にある火鉢の前にいる。

人物二人が和室の中で会話する平凡なシーンだが、
実に自然に「座る」「歩く」という動きの演出をしている。
少し深読みをすれば、男女が和室の中で「近づいたり」「離れたり」するのは、
心理的な表現も意図しているのだろう。
ともかく成瀬監督の和室内でのアクションはスリリングでさえある。
『乱れる』にはそのような和室アクションが随所にある。

ユーモラスな要素が少ない作品だが、加山雄三の女友達の浜美枝が、
アパートに忘れていった時計を届けようと「森田酒店」を訪ねるシーン。
店にいる高峰秀子に対して「こぉちゃん、いる」と聞くと、
高峰秀子は「お紅茶ですか」と答えて、浜美枝が快活に笑う。

加山雄三の姉を演じる草笛光子と白川由美。
高峰秀子と距離をとっているクールな感じの女性を生き生きと演じている。

清水から東京。そして上野から東北までの列車のシークエンスの演出は、
何度観てもうなるほど上手い
。朝方、加山雄三の寝顔を見ながら涙を浮かべる高峰秀子の表情がとても美しい。
それまでの生活から開放され、一人の女に戻った瞬間を表現している。
やはり高峰秀子は凄い女優である。

衝撃のラストの高峰秀子の表情も素晴らしく、
成瀬映画の恋愛ものの中ではこの作品が一番の傑作だと思う。

 ②秋立ちぬ  銀座を舞台に、田舎から引っ越してきた男の子と金持ちの旅館の女の子の交流を描いた作品。

子供の台詞や演技も自然で見ていて心が洗われる。
男の子をバイクで多摩川に連れて行く夏木陽介も若い。
多摩川で泳ぐシーンもめずらしい。
ラスト近く、二人の子供が家出して行く先が埋め立て進行中の晴海である。
この風景は今の晴海埠頭からは想像できないほど、自然そのままの海である。
この海に二人の子供がたたずむシーンはとてもスリリングだ。
銀座のデパートの屋上からまじかに東京湾を観れる時代であった。
女の子の夏休みの宿題のカブトムシが、男の子の田舎から送られてきて、
男の子が走って届けに行くと、すでに旅館は引っ越してしまっていたという
ラストもとても切ない

小津監督の子供の描き方の素晴らしさは有名(『生れてはみたけれど』『お早よう』など)
だが、成瀬監督が描く子供の世界の素晴らしさも小津に負けていないと思う。


(この先追加2000.12.2NEW)
久しぶりにビデオ(といっても発売はされてなく、昨年のスカパーでの録画)
で観直してみた。ストーリーではなく、いくつか発見したシーンの説明を。

旅館の客の富岡(加東大介)が茂子(乙羽信子)から酌されたビールを飲むシーン。
ビールを飲みながらでも茂子を上目づかいで見つめている加東大介は、
何ともいやらしい雰囲気があって上手い。
他の作品でもあの飲み方は加東大介の持ち味のように感じる。
計算された演技だろうが。

旅館の娘 順子ちゃん(一木双葉)が当時はやっていた人形「ダッコちゃん」
の顔の真似をするシーンは可愛い。
私(管理者)も小さい時の写真でダッコちゃんを抱えているモノクロ写真があるので懐かしい。

相変わらず素晴らしい成瀬演出をいくつか。
順子ちゃんが母(藤間紫)にしかられるシーンで、
・料亭の部屋での母の台詞
・ふくれっつらする順子
・自宅の旅館にいる母の顔
と一瞬のショットのつなぎで場面転換をするこの切れ味。
本当にお洒落な編集だ。「妻」にも似たような場面転換があった。

晴海から豊洲、東雲(今のビックサイトあたりか)と東京湾の埋立地を歩いていく二人。
HPに写真をいれた貨物線の線路を二人で歩くシーンも出てくる。
・順子の「私あんな家に帰りたくない」
・秀男「俺も」
・二人の靴が揃えられている。というショット展開がある。
これはちょっと「心中」を思わせるようなシーンかと思わせる。
実際の次のシーンは東京湾の狭い海岸で裸足で
水遊びしている二人。成瀬監督の遊び心だろう。

結局、二人は保護されてパトカーで帰ってくる。
・茂子の兄で秀男を引き取っている八百屋の常吉(藤原釜足)が、
 秀男に「今日はみっちりと叱ってやる」
・ちゃぶ台の上の空のコップ
・(妻の賀原夏子に向かって)「おい新しいビール持ってきな」
・それを受けての賀原夏子の台詞「どうして子供叱るのにビールがいるんだい」。

こういうユーモラスな会話のリズムは、古今亭志ん生の落語に出てくる
夫婦の会話のような味わいがある。
今は無き「銀座並木座」で上映の時も観客が爆笑していた。
賀原夏子は下町のおばさん役をやらせたら右にでるものがいない。

ラストで、順子に約束していた「かぶと虫」を順子の家(旅館)に届けようと、
怪我した片足をひきずりながら歩いていく秀男。
このシーンどこかで似たようなシーンをと思ったら、
『まごころ』と同じシチュエーションだった。
『まごころ』ではやはり足を怪我した信子が、
親友の富子の家へ足をひきずりながらフランス人形を返しに行く。

しかし何と素晴らしい作品か。
昭和35年当時は、こういう地味な作品はあまり評価されなかったのだろう。
斎藤一郎のなんとも寂しげな音楽もこの作品にとてもマッチしている。
③女の座   オールスターキャストが揃った作品。
大家族(石川家)を舞台に、相続問題、嫁姑など家庭内の日常的な事件を淡々と描いている。

クレジットタイトルはいつもの感じだが、
音楽(これもいつもの斉藤一郎)はラテンっぽいリズムがはいって明るい感じの音楽である。
成瀬映画のテーマ音楽としては珍しい。

荒物屋をいとなむ石川家はとにかく大家族である。
金次郎(笠智衆)の先妻、後妻の子供だが、五女までいる。
(順に三益愛子、草笛光子、淡路恵子、司葉子、星由里子)
いずれも成瀬後期作品でおなじみの面々である。
男優も次男でラーメン屋の小林桂樹、アパート経営の長女の夫に加藤大介、
三女の夫で博多から出てきて石川家に居候状態の三橋達也。
それに宝田明、団令子、小林桂樹の妻に丹阿弥谷津子とこれも成瀬映画おなじみである。
金次郎の後妻は杉村春子で、長男の未亡人は高峰秀子である。
しかし、高峰秀子は未亡人役が多い。
『女が階段を上る時』『女の歴史』『乱れる』『ひき逃げ』など
後期の作品はほとんどが未亡人である。
そういえばこの作品には成瀬作品に欠かせない脇役・中北千枝子がでてないが一体どうしたのだろう。

日常のなにげないエピソードをつないでいって、
その中で大家族一人一人の性格などを明らかにしていく手法は本当に上手い。
五女 星由里子の友人の夏木陽介が主人の小林桂樹が留守にしている際に
自分で厨房にはいって特製ラーメンを作ってしまうシーンなど、ユーモア溢れるシーンも多い。
作品としては『娘・妻・母』に少し似ているような気がする。
少しぼけてきたような金次郎だが、実は子供達の自分勝手さ(特に長女-三女、次男)を見抜いており、
子供達が財産処分の話題などをしている時に、
そのうち家を処分して小さな家で 妻 あき(杉村春子)と長男の嫁芳子(高峰秀子)
と三人で暮らそうと思っているあたりはなかなかしたたかである。
芳子の一人息子(大沢健三郎)が電車事故で死んでしまうという不幸も起こるが、
全体的に明るい雰囲気の作品で、今回「三百人劇場」で久々に観てとても面白かった。

(この先追加 2015.1.8NEW)

脚本は井手俊郎、松山善三のオリジナル。
斎藤一郎のラテン調の音楽のクレジットタイトルに続いて、
ファーストシーンは三益愛子が通りを歩いてくる。
続いて、石川屋(荒物店)の商品にはたきをかけている高峰。
父親の笠智衆が倒れたとの知らせで、石川家に集まってくる兄弟、姉妹たち。

本作は成瀬映画の中で、最も笑いの要素がつまった1本ではないか。
笑いと言っても、いかにも笑わせようとしたものではなく、
あくまで自然で上品なユーモラスな可笑しさである。
映画館の上映で観たときも、場内から笑いが絶えなかった。

家族が集まった時の会話は、一つの話が次から次に「脱線していく」。
まずはそこが面白い。肝心な話がなかなか進んでいかない。
高峰の夫の三回忌の席では、たまらず父親の笠が「話を元に戻そうじゃないか」
と言う台詞がある。
姉妹同士で話が脱線していくのは向田邦子脚本の『阿修羅のごとく』などにも共通している。

これだけのオールスターキャストでも、一人一人のエピソードが上手に散りばめられて
流暢にストーリーが展開していく。
脚本自体がよくできているのと、成瀬演出の冴えだろう。

自分勝手な人物として少し意地悪く描かれているのは
・三益愛子
・草笛光子
・小林桂樹と妻の丹阿弥谷津子
・淡路恵子と夫の三橋達也
・宝田明
あたりか。
逆に、人のことを思いやる優しい人物、分別のある人物として描かれているのは
・笠智衆と杉村春子
・高峰秀子と息子の大沢健三郎
・司葉子
・星由里子
・夏木陽介(気象庁に勤める星の男友達)
・高峰の妹の団令子
である。

本作は設定に違いはあるが、亡くなった息子の嫁(高峰)が実は一番親思い
という点で、少し小津監督『東京物語』に似ている。
父親=笠智衆と母親(後妻)=杉村春子である。

そして高峰のことをもっと考えてあげなくてはとラスト近くで訴えるのが
義妹の司である。
本作の司葉子と星由里子の姉妹の茶目っ気たっぷりのやり取りはとても可愛らしい。

草笛が高峰の頬をひっぱたくシーンがある。『放浪記』にも同様のシーンがあった。

本作は、部屋の中で大人数が登場するシーンが多いせいか、成瀬監督の演出の特徴である
「目線送り」がとても多用されている。
部屋の中で、小林が立ち上がると、それを座っている草笛と三益が目線で追い、
次には小林が窓の近くで立ってタバコを吸っているなど。

文芸映画といわれるような格調の高さは無いが、ストーリー展開、人物設定、
台詞など非常に良くできたホームドラマになっている。

『娘・妻・母』と並んで、当時の東宝のオールスターキャストの魅力を引き出した
成瀬映画の「大家族もの」の傑作である。

④娘・妻・母  当時のオールスターキャストのホームドラマである。

坂西家の長女役で嫁いだ先の夫の死で実家に戻る原節子と
坂西家の長男・森雅之の嫁である高峰秀子の共演は珍しい。
おまけに、設定によってイメージとは逆に
原節子は高峰秀子のことを「お姉さん」と呼ぶのである。
ほのぼのとしたドラマだが、「遺産分け」「老後」「嫁と姑」と
テーマは結構シリアスである。
原節子と若き仲代達矢のキスシーンも話題である。

成瀬監督のストーリーテラーとしての上手さを伝えるシーンの解説を一つ。

・「嫁いだ先の夫の死で実家に戻った原節子が母親(三益愛子)に
 今後毎月支払う生活費のことを伝え、
 心配する母親に100万円を持っているから大丈夫と伝える。
・そのそばで長男夫婦の男の子が、おばちゃんである原節子に絵本を読んでとせがむ
・布団にはいっている男の子に電車の絵本を読んでいるのは
 原節子と思いきや、妹の団令子である
・男の子が団令子にこの電車100万円で買えるとしつこく言うので、
 団令子が100万円って何なのと問いただすと、
 男の子は早苗おばちゃん(原節子)が100万円持っているって言ってたよと伝える
・団令子は姉の原節子のところに行き、
 これからお姉さんを大事にしよう。お姉さん100万円持ってるんですってね
とこんな調子である。
題材がドラマチックではないので何気に観 てしまうが、
こういう語り口が成瀬監督の洒落たところである。
こういう表現(観客がこういくだろうという場面展開を見事にはぐらかす)は、
『秋立ちぬ』などにも見られる。

この作品もラストはあいまいである。
でも、成瀬ファンとしては今のハリウッド映画のように
なんでも都合よく結末がつく方が不自然なのであると言いたい。
 ⑤放浪記 舞台であまりに有名な作品である。
高峰秀子がとても気に入っている作品とのこと。(「わたしの渡世日記」)。
高峰秀子が役とはいえ不美人(!)を演じるのも珍しい。
ただし、ちょっと芝居やりすぎといった感もある。
若き仲谷昇の気障な台詞に爆笑してしまう。
伊藤雄之助もなかなか頼り甲斐がある友人の文学者役で出ている。
私は舞台は観ていないのだが、映画の方は全体的に結構ほのぼのとしている。
最後に流行作家になって邸宅に母親(田中絹代)と暮らし、
母親に贅沢な着物を着させているシーンでの、加東大介の台詞も笑える。
(そんな着物を忠臣蔵で観たとかいう)

NEW(この先追加)
久しぶりに「ラピュタ阿佐ヶ谷」の上映で観たので、感じたこと、思い出したことを追加。
最初に芙美子(高峰秀子)が両親と行商の旅をしている少女時代が描かれ、
その後にオープニングタイトルが出る。
いわゆるアバンタイトルであるが、私が観ている成瀬映画では
『放浪記』が唯一のような気がする。
アバンタイトルは川島雄三や市川崑作品には多いが、
小津映画や成瀬映画にはほとんど無いであろう。

台詞ではなく、高峰秀子のナレーションと字幕によって
芙美子の内面が説明されていくのも、成瀬作品では珍しい。
(「妻」の冒頭と最後にもあるが)。

上目使いと猫背で不美人を演じている高峰秀子だが、
これは芙美子のひねくれた面や諦観の気持ちを効果的に表現している。
それにしても芙美子はやはり変わっている。
夜の墓地を散歩するシーンが2度出てくるが、夜の墓地を散歩するか!

貧乏な芙美子が恋人の伊達(仲谷昇:気障な台詞が笑わしてくれる)や
福地(宝田明)に対してやたらと「カレーライス」「とんかつ」等
食べ物の話をするのも面白い。結局二人には捨てられてしまうのだが。

伊達の後に白坂(伊藤雄之助)と結婚する
女流詩人・日夏京子役の草笛光子がとても綺麗である。
他の成瀬映画ではヒロインをいびったりする意地悪い役が多いのだが、
この作品ではとても色っぽい。

相変わらず場面の転換が上手い。
芙美子が男と別れてみじめに泣くシーンがあっても、
すぐに次のシーンに移る(カフェで働いているシーンなど)ため、
じめじめと引きずらない。
この映画が結構からっとした印象なのは、その場面転換と時間省略に理由がありそうだ。

しかし、この作品でも芙美子をはじめ女性達がみんな逞しい。
男性では伊藤雄之助と最後に夫となる画家の藤山(小林桂樹)が
心が広い男を演じて素敵だ。
最後の最後で常連の中北千枝子が出てきて安心した。
とてもいい映画だ。
⑥女の中にいる他人  成瀬作品には珍しいミステリー映画。原作はエドワード・アタイヤの「細い線」

友人の妻との不倫にあった主人公(小林桂樹)があやまって殺人を犯してしまう。
それを打ち明けた妻(新珠三千代)や友人(三橋達也)との
心の葛藤と悲劇的な結末を描いている。

ファーストシーンで赤坂を歩く田代(小林桂樹)がたばこを吸うと、
次のシーンで灰皿のアップから椅子に座ってビールの大ジョッキを飲んでいる
田代が描かれる。相変わらずテンポのいい場面展開である。

この作品は、ミステリー調を意識した点がいくつか指摘できる。
室内での人物に光と影をくっきりとさせたキャメラ、人物の顔のクローズアップの多用、
前半のどんよりとした天気や執拗に続く雨のシーン、
電話の効果的な使い方 などである。
成瀬映画ではいずれも珍しい手法であろう。

いつもの成瀬らしさは、田代の母 (長岡輝子)のシーンのユーモラスな雰囲気である。
母がTVのドラマを見ていると男が女を絞め殺そうとするシーンなので
消してしまうというブラックユーモアもある。
題材を考えたら笑うシーンなど考えにくいが、
さりげなくユーモラスなシーンがあるのはさすが成瀬演出である。
田代の二人の子供達の無邪気な会話も
田代の心理状態を際ただせる効果を果たしていて上手い。

田代が妻 雅子(新珠三千代)に最初に打ち明けるシーンは、
雷が鳴り、停電した部屋のろうそくの明かりの中である。

ここでは杉本(三橋達也)の妻 さゆり(若林映子)と不倫の関係にあったことを打ち明ける。
次は二人で行く温泉場のトンネルの中で「実はさゆりさんを殺したのは私なんだ」
と打ち明ける。
温泉場の方はその前ののどかな美しい風景と対比されている。
このへんもミステリー映画の演出っぽい。
⑦乱れ雲  日本映画の黄金期を生きた名監督 成瀬巳喜男の遺作である。

交通事故でエリート官僚の夫を亡くした司葉子と加害者である若い商社マン加山雄三
との結ばれない恋愛を描いた気品の高いメロドラマである。
武満徹の叙情的なテーマ音楽がいい。

全体的には暗い感じのいわゆるメロドラマだが、ユーモアあふれるシーンもある。
特に、バーのカウンターで海外への転勤を加山雄三に告げる会社の先輩(中丸忠雄)
の「ひどいところだぞ。隣町では昨日コレラで何千人かが死んだ」の台詞は、
傷心の加山雄三にとってあまりにきつい言葉なので、
悲惨さを通りこして爆笑してしまうシーンである。
後半の十和田湖の野外シーンはさすがにきれいだ。
司葉子も加山雄三も成瀬演出得意の「振り向きシーン」が随所に出てくる。

ラスト近く、二人が旅館に行く途中、交通事故にあった車を見るシーンは
成瀬には珍しく直接的な表現方法である。
初めて「並木座」で観た時に、「ここはいつもの成瀬演出とちがってくどいな」
と感じたのを今でも覚えている。
ストレートな演出は成瀬監督に似合わない。
この部分を除けば、とても上質な恋愛映画ではある。

この先追加 2014.11.12 NEW

カラー、東宝スコープ。
脚本は山田信夫のオリジナル、音楽は成瀬作品初の武満徹。
本作は武満徹のもの悲しい旋律のテーマ曲が印象深い。

ファーストシーン。アパートの玄関から楽しそうに出てくる江田由美子(司葉子)。
病院(妊娠している)に検査に行った後、通産省に勤める夫・宏(土屋嘉男)
と喫茶店で待ち合わせてお茶を飲む。宏のアメリカ転勤を楽しそうに話す二人。
この喫茶店はセットだと思うが、以前の飯野ビルの地下には同じような喫茶店があった
ことを記憶している。

これまで様々な成瀬映画で登場してきた「自動車事故」。
遺作である本作と前作の『ひき逃げ』にはドラマの中心となる出来事として描かれる。

司が姉夫婦(文子=草笛光子、藤木悠)の団地を訪れる。
この時に、草笛の7-8歳くらいの息子が友達との挨拶で
「バッハーハイ、ケロヨン」と言って手振りをする。
司が甥っ子に聞いた後に、それを真似する微笑ましいショットがある。
成瀬監督は当時の流行りのことを入れたりするのもわりかし多い。
木馬座の人形劇の人気者(カエル)のケロヨンの話題が映画の中に登場するのは、
本作と『20世紀少年シリーズ』くらいではないだろうか。

草笛が駅まで司を送る。この時に一瞬「踏切」のカンカンカンという閉まっているときの音
が印象的なショットがある。
これは、この後の司の夫(土屋)の自動車事故を予感させる不吉なイメージ表現とともに、
ラスト近くの蔦温泉の途中での「踏切」のシーンを暗示しているのだと思われる。

布団の中にいる子供と藤木との他愛ない会話があり、その後土屋の自動車事故を知らせる
電話をとる藤木。ドラマチックな展開の途中で子供をまじえた日常的なスケッチを
入れるのが成瀬監督はとても上手い。『浮雲』『娘・妻・母』などにもある。

商社マン・三島史郎(加山雄三)の運転する車にひかれて亡くなってしまう土屋。
加山は『乱れる』に続いて2本目の成瀬映画だが、
黒澤映画『赤ひげ』の撮影を経てだからなのか、
本作の演技は『乱れる』の時と比べて断然上手くなっている。
そういえば、土屋と加山は『赤ひげ』でも共演している。

左遷で青森支店へ転勤することになった加山。
加山がアパートに戻る前に、丸の内の会社員の風景ショットが短くはさまる。
本作の助監督をつとめた故石田勝心監督から直接聞いた話だが、
ほんの数秒の情景ショットなのに成瀬監督は「私も行くよ」と言って撮影に立ち会ったらしい。
その時に撮影準備ができるまでの間、石田監督は成瀬監督と雑談をされたそうだ。
すでに体調を崩されていた成瀬監督は、本作が最後の映画になると思って
できるだけ撮影に立ち会いたいと考えられたのではないかと、石田監督はおっしゃっていた。
そう考えると、この短い丸の内の情景ショットも心に迫るものがある。

加山のアパートで待っている恋人・淳子(浜美枝)。
ここでのショートカットの浜はとても清楚で美しい。
二人の会話が続き、
■浜が窓に近づき、カーテンを閉めて、加山の方へ振り向く
■窓に近寄ってくる加山
■窓の外からのアングルのショット
■カーテンを開け、窓を開ける加山
これは恋人同士の別れを表現している見事な映像表現だ。
この後、部屋の鍵を置いて浜は部屋を出ていく。

舞台は、加山の左遷先の青森と司の実家の旅館がある十和田湖に移る。

加山に親切にする青森出張所の女性事務員が中川さかゆ。
彼女はその後中川梨絵と改名し、日活ロマンポルノ作品などで主演することになる。

突然、お客接待の座敷のシーンが映る。民謡にあわせて笑顔で踊っている加山。
座敷では上司の所長が隣のお客に自動車事故の説明を身振りで説明している。
それを見た加山は、急にふさぎこんで踊りをやめて隣の部屋にごろ寝する。
サイレント映画のような簡潔な説明方法だ。

加山の母親(浦辺粂子)が加山の下宿の部屋に訪ねてくる。
酔って帰ってきた加山は、母との会話の途中で部屋にある
瓶のコカ・コーラをぐいっと飲む。
映画には関係ないが、当時コカ・コーラのCMに出ていた加山なのでタイアップだろう。
酔った時にコカ・コーラを飲んだら、逆に気持ち悪くならないかと余計な心配をしてしまう。

もう会わないと決めた二人だが、何度か会いその都度口論してしまう。
しかし、心の奥底で加山を男として意識し始めた司の演技が光る。

司の実家の旅館の女将で司の姉・勝子は森光子が演じる。
森光子はこれが唯一の成瀬作品出演だ。
連れ合いの加東大介と森は、全体的に暗い題材の本作でユーモラスな雰囲気を醸し出している。

西パキスタンへの転勤が決まった加山。
これを伝えに来た先輩の中丸忠雄の台詞は、転勤先があまりに酷いところと
矢継ぎ早に話すので、私が観た銀座・並木座でも笑いが起きていた。
今回観直したら、前任者がノイローゼで行方不明になって赴任者がいないので加山に白羽の矢がたった
という設定だったと知って、何という設定かと驚きつつ笑ってしまった。。

司に十和田湖の案内を頼む加山。
加山は十和田湖で熱を出し、近くの旅館で寝込んでしまう。
朝まで加山を看病する司。
雨の描写とともに見ごたえのあるシーンだ。

最後に、二人が出かける旅館。現在もある「蔦温泉旅館」だ。
吉田拓郎の「旅の宿」の歌詞は、
作詞の岡本おさみがこの旅館に逗留した時に作ったものらしい。
旅館のホームページにも記述があるし私も新聞で読んだことがある。
旅館のホームページには本作のロケ撮影場所のことも書かれているが、
タイトルが間違って「みだれ雪」となっている!

旅館に行く途中で、本作で最も有名な踏切のシーンがある。
本HPにあるシナリオページの書き込み(故石田勝心監督より提供)も参照。
踏切のカンカンという音と車中の二人のカットバックが一切の台詞無しに
描かれていて、心理的な葛藤のクライマックス状態を見事に表現している。
特に二人の目線のやり取りが素晴らしい。

本作は遺作とは思えない、艶のある映像と細部まで考え抜かれた成瀬演出によって
素晴らしい恋愛映画になっている。
遺作がぱっとしない日本の名監督の映画も多いが、遺作の出来が素晴らしいのは、
小津映画『秋刀魚の味』、川島映画『イチかバチか』と本作くらいではないか。

私の中では観るたびに評価が高まっていく、そんな成瀬映画の1本である。
 ⑧女が階段を上る時 銀座のバーのマダム(高峰秀子)の生活を描いた作品。
この映画のデコちゃんの着物姿のマダム振りにはしびれる。
正に大人の女性という感じである。

この映画も特に劇的な事件は起こらない。
バーのマネージャー役の仲代達矢のクールさがいい。
この映画も「振り向きシーン」が実に多い。

この映画に限らないけど高峰秀子のちょっとふてくされたような声が妙に心に残る。
中北千枝子や森雅之、加東大介もちゃんと出ている


(この先追加 2014.10.29NEW)

製作と脚本は菊島隆三。菊島のオリジナルシナリオである。
撮影の玉井正夫はこれが最後の成瀬映画で、これ以降は安本淳が引き継ぐ。

成瀬映画に17本出演している高峰秀子だが、
本作の銀座のバーのママ役の高峰秀子が一番綺麗ではないか。
高峰秀子は衣装を担当し、映画の中で随所に出てくるナレーションも担当している。

タイトルバックは、バーのマッチのデザインのようなイラストが出る。
そして何といっても印象的なのが、黛敏郎の音楽。
バイブラフォン(ビブラフォンとも言う)が主旋律を奏でるのは、
MJQ(モダン・ジャズ・カルテット)の音楽そのものである。

ジャズファンの私は本作の音楽は好きだし、
本作のクールな雰囲気にも合っていると思うのだが、
成瀬監督はこの音楽が気に入らなかったそうである。
これは、本作の助監督をつとめた故石田勝心監督から直接聞いた。
私が行った石田監督へのインタビューは、
『成瀬巳喜男を観る』(ワイズ出版)に部分的に掲載しているが、
本作の完成を祝う宴会に成瀬監督は顔を見せず、
自宅に電話をしても来なかったそうである。
音楽担当した黛敏郎が来ていると思ったのだろう
と石田監督がおっしゃっていた。
普段物静かな成瀬監督だが、何か気に食わないことがあると、
かなり怖かったそうである。
何しろ『雪崩』1本だけ助監督についたあの黒澤明監督が、
インタビューの中で「怖い人だった」と語っている。
黒澤監督が「陽」であれば、成瀬監督は「陰」の怒り方だったのだろう。

ファーストシーンは、昼間の銀座の路地の風景。
そこに高峰秀子のナレーション「昼のバーは化粧をしない女の素顔だ」。
バー・ライラックの看板が映り、中ではホステスの一人(横山道代)
と藤木悠の結婚祝いをしている。
ホステス仲間には、団令子、中北千枝子、塩沢登代路(とき)、北川町子、
そして『女の中にいる他人』で重要な役を演じた若林映子の姿も見える。

この後、ライラックのママ・矢代圭子(高峰秀子)と
マネージャー・小松(仲代達矢)の歩くシーン。
場所は、地下鉄「新富町」駅の近くに現存する「三吉橋」だ。
下には築地川があり、『秋立ちぬ』の「新富橋」は隣の橋だ。
ここでも、高峰秀子が足を止めて橋の欄干で仲代達矢の方を振り返る。

夜、着物姿で出勤する高峰秀子。
店に通ずる階段を見上げて
「私は階段を上(あが)る時が一番嫌だった」とナレーションが入る。
ルビをふったのは、たまに本作を「女が階段をのぼる時」と読む方が
いるからだ。正しくはあがる時である。

綺麗な高峰秀子ママをくどこうと思っている客たち。
少し怪しげな実業家=小沢栄太郎、大阪の実業家=中村雁治郎、
零細企業の社長=加東大介とのやり取りが描かれる。
もう一人、高峰ママが好きなのは紳士的な銀行支店長=森雅之だ。
マネージャーの仲代達矢も高峰ママのことを好きだ。

過労の胃潰瘍で倒れる高峰秀子は東京・佃島の実家の2階で療養する。
ここで登場する高峰秀子の兄役の織田正雄は、
成瀬映画得意の頼りない男っぷりが印象的だ。

ここに、バーの女経営者である細川ちか子が見舞いに来る。
この細川ちか子の貫禄は凄い。『流れる』の栗島すみ子といい勝負だ。
この時に細川ちか子が言う台詞。
「あたし、佃島(つくだじま)なんて初めて来たの。
 何だかこの辺は、昔の東京の名残みたいなものがあるわね」
はとても味わい深い。

成瀬監督は「女性をリアルに描かせたら一番」だと思うし、
そのように感じる方も多いだろうが、
私が特に感じるのは、
・本作の細川ちか子
・『晩菊』の杉村春子をはじめとした元芸者たち
・『流れる』の栗島すみ子
・『流れる』『女の歴史』などの賀原夏子
・『稲妻』『あにいもうと』の浦辺粂子
など、中年の女の描き方の上手さである。
男には理解不能な、女のしぶとさ、強さがひしひしと感じられるのだ。

元部下だったユリ(淡路恵子)は自分の店を持って繁盛させていたが、
実は店のオープンに多額の借金を抱えていて、
「アルコールと睡眠薬で偽装自殺する」と、
高峰秀子に冗談交じりに話すが、
実際に実行して本当に死んでしまう。

淡路恵子は後年私生活で実際にバーのママをしていたようだが、
社長シリーズなどの映画でも、バーのママやホステス役は正にはまり役である。

好きだった森雅之が転勤で東京を去る。
家族と一緒に乗っている夜汽車をホームへ見送りに行き、
森雅之の妻に挨拶する高峰秀子。

ラストは、同じく階段を上がって店に出勤する高峰秀子。
いろいろな不幸を忘れて、日常の仕事に戻ったように
店にはいって、客に愛想を振りまく笑顔の高峰秀子の顔の
アップで映画は終わる。

高峰秀子の美しさを味わうには、『浮雲』と並んで欠かせない1本だ。
 ⑨女の歴史  タイトル通り、女の一代記ものである。
この作品は、現在→回想シーン→現在という展開の繰り返しとなっている。
回想シーンの少ない成瀬映画では珍しい構成である。

回想シーンから現在のシーンに戻るつなぎがとても渋い。
・(回想シーン)新婚旅行の部屋で旅館の女中が布団をひく。
 その布団をみて恥じらう新婦 信子(高峰秀子)
・(現在)すでに布団にはいっていて息子 功平の帰りを心配している信子
といった風である。

夫や息子が死んでしまうなど、全体的に暗いストーリーだが、
清水信子(高峰秀子)の義理の母である君子(賀原夏子)がのほほんとしてて、
結構笑わしてくれる。

戦争中の下町の長屋のセット、戦後の闇市(上野あたりがモデルか)のセットなどは
さすがに美術監督 中古智の職人技で素晴らしい。
ただ音楽は、あまりに悲しいシーンに切ないメロディがこれでもかと
押し寄せるのでくどさと安っぽさを感じてしまった。
成瀬映画の斉藤一郎の音楽は、淡い感じで成瀬映画に合っており、
私はとても好きなのだけれども、この作品に関しては良くないと思った。

ここでもまた、信子の息子 功平(山崎努)は交通事故で亡くなってしまう。
信子の戦死した夫(宝田明)の友人 秋本(仲代達矢)が頼もしくていい。
人物の目線、振り返りも多数登場し、題材は通俗的な話だが、
やはり成瀬演出である。

ラスト近く、雨の中高台の団地に通じる坂道で信子がみどり(星由里子:死んだ功平の妻)
に暴言を詫び、みどりが振り向いてそれを許すシーンはとても素敵だった。
成瀬映画に多い、雨のシーンではナンバーワンではないか。

ラストの公園のシーンでひ孫(功平とみどりの子)をほっといて、
ベンチで老紳士と話しこんでしまっている君子を「しょうがないわね」
とあきれている信子。
とてもユーモラスで爽やかなラストだ。
公園がラストシーンというのは、『夫婦』『娘・妻・母』にもあった


(この先2015.2.24追加)
久しぶりに以前日本映画専門チャンネル「成瀬巳喜男劇場」で放送された録画DVDで再見した。
→生誕110年の今年の「成瀬巳喜男劇場」再放送を強く望む!
脚本は笠原良三のオリジナル。
撮影・安本淳、美術・中古智、照明・石井長四郎とこの時期のメインスタッフ。

本作については主演の高峰秀子が『成瀬巳喜男演出術』(ワイズ出版 村川英編)のインタビューで
・「これはやっていて本当につまらなかった」(P30)
・「『女の歴史』はやっていて何もなかった。これほどつまらないものはなかったですよ」(P32)
という厳しい評価をしている。

私もこの映画を最初観た時は出来が悪いと感じた。
しかし、成瀬映画は二回目、三回目と観るうちに少しずつ評価が変わっていくことが多い。
私は現在は本作が結構好きだ。
本作の最大の失敗は、斎藤一郎の音楽だと思う。
通俗的なメロディが、ドラマの悲劇的な部分(自動車事故、心中事件、戦死の通知など)に
これでもかとくどく押し寄せてくる。これが本作の評価を下げている。
成瀬映画の斎藤一郎の音楽はいい音楽もたくさんあるのだが、本作は×である。
逆にいうと、映画の中で音楽がいかに重要かを思い知らされる。
例えば、私が一番好きな黒澤映画である『赤ひげ』もあの佐藤勝作曲のテーマ曲無しには
考えられない。

映画はクレジットタイトルが終わり、救急車がサイレンを鳴らして狭い道を走るショットから始まる。
次は、美容室の前の道→美容室での信子(高峰秀子)と客との会話。
ここでの会話は
客「(救急車のサイレンを聞きながら)またどこかで自動車の事故でしょう」
高峰「本当に車の事故が多いですねぇ」
となる。この後の息子(山崎努)の運転していた車がダンプカーと正面衝突して亡くなることが
暗示される。冒頭の台詞で自動車事故を出すのも、笠原良三のオリジナルシナリオにあったのか
成瀬監督が付け加えたのは不明だが、いかにも成瀬調だ。

本作は最初は「現在」が描かれ、そこに「高峰秀子と宝田明の結婚」「宝田明の父・賀原夏子の夫=清水元の
心中事件による死」の回想がはさまる。
高峰と宝田の旅館の部屋での新婚初夜のシーン。
これは『杏っ子』の香川京子、木村功の同シーンと非常に似ている。
女中が布団を敷きにくると「風呂に行ってくる」という夫と、恥じらいつつ部屋にいる妻
の演出がほとんど一緒だ。
女中が布団を敷いている窓側からのショット(回想)→布団に入り目を開けている高峰(現在)という
編集が素晴らしい。私は安易な回想シーンを好まないが、『浮雲』や『妻として女として』など
でも回想シーンから現在への編集がよく考えられていて(アクションつなぎ、小道具など)
成瀬監督の職人的なこだわりを感じる。

成瀬映画は確かこれ1本だと思われる山崎努(高峰の一人息子=功平)の自動車事故という悲劇的な
ことが起こり、外は雨が降っている2階の中に憔悴した高峰と義母・君子(賀原夏子)がいる。
そこから約1時間に及ぶ長い回想パートが始まる。
・息子の誕生
・夫(宝田)の浮気疑惑
・夫(宝田)の出征(出征シーンのロケ地写真参照)
・空襲
・田舎での高峰、賀原、功平(子役)の疎開生活、夫の戦死の知らせ
・功平の病気のため高い薬を買いに東京へ出る高峰
・戦後の闇市での宝田の親友の仲代達矢(秋元)との出会い
などがあまり省略もなく描かれる。
高峰秀子が「つまらない」といったのはおそらくこのパートのことだろう。
確かに、年代記的に淡々と描いているだけで観ていて少し飽きてくる。
そして随所に通俗的な音楽が流れる。

闇市で迷子になった功平をやっと見つけたほっとする高峰(回想)
ここで回想パートが終わり、夢から覚めたように部屋の机から身体を起こす高峰。

本作はここから先が最も素晴らしいパートとなる。
母親の高峰から反対されて駆け落ちのようにして夫婦となった山崎努と星由里子(みどり)。
星が線香をあげに部屋を訪ねる。そして妊娠していることを告げる。
高峰は「あんたが息子を殺したようなものだ」といって星に怒りをぶつける。
星は「そこまで言うなら産まないわ]といって泣きながら部屋を後にする星。

その後、星に詫びようと星の住んでいる団地(世田谷・大蔵団地のロケ)の前に
タクシーを止めて降りてくる。
雨が降っている大蔵団地の前の道。
傘をさして厳しい表情をしている星に、涙きながら「酷いことを言ってごめんなさい」
と詫びる高峰。
そして、最後に傘をさして道で泣きじゃくっている高峰をみて、
「濡れますから、うちへどうぞ」と許す星。

成瀬映画には雨の名シーンがたくさんあるが、私は本作のこのシーンが一番好きだ。

高峰秀子、星由里子の台詞、表情、動き、情景(現在の交通量からは考えられない静けさ)
が完璧である。。
特に、ショートカットで白いコートを着ている星由里子はこの時まだ20歳である。
信じられないほど大人っぽい綺麗さだ。高峰の言葉を聞いている横顔の表情が素晴らしい。

成瀬監督の関係者の会で、この時の撮影の話を星由里子さんが話すのを直接聞いたことがある。
成瀬監督は「星君、雨が降っていて君は傘をさしている。そして台詞を言うだけでいい。
余計な芝居は一切しないでね」というようなことを言われたそうだ。
まだ若い星さんは「なんで芝居しないでなんて言うのかしら」と疑問だったとのこと。
しかし、実際の映画を観ると、とても自然な演技にみえて、成瀬監督の演出ってすごいなあ」
と感心したとの話だった。
ともかく本作の星さんとそして、高峰秀子の義母を演じた賀原夏子の演技は最高である。

 ⑩夜の流れ 今回、三百人劇場での川島雄三特集の上映で初めて観た。
私が一番好きな映画監督である成瀬監督と二番目に好きな川島雄三監督との
共同監督作品であり、前から観たかった作品であった。
資料類や両監督のインタビュー等によると、
司葉子、山田五十鈴、三橋達也、志村喬などの主なストーリー部分は成瀬監督、
草笛光子、宝田明、北村和夫のストーリー部分は川島監督ということである。
全体の印象としては、2つの別のストーリーが編集されているという感じで、
多少唐突な場面転換も多多あった。まとまった作品という印象は薄い。

冒頭のプールのシーンで司葉子、白川由美をはじめ、
芸者の水谷良重、星由里子、横山道代が水着姿で登場する。
この部分は間違いなく川島パートだろう。

冒頭は川島監督が当時の若者の風俗を描く場面が多く続く。
10分くらいたって、料亭「藤むら」の女将の綾(山田五十鈴)と娘の美也子(司葉子)が、
美也子の部屋で恋愛について話し合うシーンがあり、
山田、司とも「目線の切り返し」が出てきて、「おお成瀬映画だ」と安心した。

設定は、山大五十鈴と司葉子の母と娘、料亭の板前の五十嵐(三橋達也)
の三角関係が成瀬パートで、
芸者の一花(草笛光子)と呉服屋の若き実業家 滝口(宝田明)との恋に、
一花の元の亭主の野崎(北村和夫)とのもつれた関係が川島パートであるようだ。
もちろん、そこに関係する様々な登場人物がいる。

川島パートは全体的に台詞もスピーディであり、せかせかしている感がある。
成瀬パートになると、やはり落ち着きと風格を取り戻すといった印象である。
この作品は成瀬パートの方が良くて、川島パートはあまり出来が良くないと思う。
つまり若者の風俗等の描写以外では、基本的に成瀬調の作品である。
音楽も成瀬作品でおなじみの斎藤一郎だし。川島作品としては消化不良で、
成功作ではないだろう。

成瀬監督らしい場面転換は随所に見られる。
・美也子(司葉子)と友人の忍(白川由美)が、板前の五十嵐(三橋達也)のことを話題にする。
・忍が「メロンがあるから五十嵐さん呼んで一緒に食べましょう」
・(五十嵐のことが好きな美也子が)「五十嵐さんはメロンなんて嫌いなの」
・次のシーンでは3人がメロン食べながら談笑している。
そこに母親の綾(実は五十嵐と長年愛人関係にある:美也子は知らない)がはいってきて
、美也子に小言を言ったりするシーンとなる。
さすがにこの辺の展開は成瀬演出の上手さが光る。

もう一つ、
・やはり美也子と忍が部屋で話している。
・忍の「女将さんは?」の質問に対して美也子が
「浅草にお参り、月に1度きまって出かけるの」と答える。
・ところが次のシーンでは、どこかの旅館の離れのような場所にいる
 綾と五十嵐(この場面で観客に初めて綾と五十嵐の関係が知らされる)となる。
 年下の男性をひきとめようとする山田五十鈴のねちっこい演技は珍しい。

いろいろとあって、ラストは美也子が芸者になることを決意し、
お披露目のシーンとなる。
これと同様のシーンは『流れる』にもあった。
美也子は覚悟を決めた女の強さを表すような笑顔で歩いている。
成瀬演出らしく、最後は多少希望を持たせてくれるシーンだが、
実は母親の綾は、神戸に五十嵐を追って家を出ていってしまったことを
美也子は知らないという点が、何ともヤルセナイ終わり方である。
これも成瀬調だろう。



(この先追加2014.5.2 NEW)
久しぶりに録画DVDで観た。いくつか新たな発見があった。

後半、チンドン屋の登場するショットがある。
チンドン屋といえば成瀬映画の定番だが、
この映画映画では川島監督のパートである滝口(宝田明)と一花(草笛光子)
の新装開店の呉服屋の店先に登場する。
シナリオにあったかどうかは不明だが、
川島監督の成瀬監督に対する洒落っ気の混ざったリスペクトのように思える。

前半、部屋の中で鏡に向かって化粧をしている山田五十鈴と、
窓のところの椅子に座って飲み物を飲んでいる司葉子との会話シーン。
室内の人物の動かし方、立ち上がった司葉子の動きを追う山田五十鈴の目線送りなど、
これは撮り方からいって間違いなく成瀬監督パートなのだが、
もう一つ気づいたことがある。
司葉子が山田五十鈴に対して「お父さんってどんな人だったか」と訊ねる。
このやり取りは、成瀬映画の『流れる』で、同じく母親の山田五十鈴と娘・高峰秀子が
「つたの家」の2階の座敷で交わすやり取りを髣髴とさせる。
『流れる』つながりでいうと、
お座敷シーンが一つも登場しなかった『流れる』とは異なり、
この映画にはお座敷シーンが数多く登場する。
司葉子が日本舞踊を踊るシーンもある。
これは成瀬監督パートだと思われるのだが、『流れる』と比較すると面白い。

偶然かもしれないが、
成瀬監督パートは、一人の男(三橋達也)をめぐる二人の女(山田五十鈴と司葉子=母娘)であり、
川島監督パートは、一人の女(草笛光子)をめぐる二人の男
(北村和夫と宝田明=前の夫と現在の恋人)という対比がされていて興味深い。
これまであまり気づかなかった。

冒頭のプールサイドに登場する4人の若い男たちの中に、若き児玉清の姿を発見した。
ヒロインの司葉子も綺麗だが、友人役の白川由美がとても綺麗で、溌剌とした演技もいい。
ひき逃げ   成瀬晩年の超異色作である。
脚本は松山善三で、タイトル通り車社会の「交通戦争
という社会的なテーマを
とりあげている。
とにかくこの作品は、従来の成瀬映画が回避してきた様々な要素がつまっていて、
その点ではとても興味深い作品である。

一つは「スピード」の表現である。
山野モーターズの新車オートバイの走行テストがサーキットで行われるシーンは、
凄いスピードで疾走するオートバイの姿をキャメラが横移動でとらえる。
たびたび挿入される一般道を車が走るシーンも、車のスピードが強調されている。
スピード感は従来の成瀬映画とは最も対局にある表現だ。
国子(高峰秀子)の一人息子 武が、横浜の山手あたりの高台の道で車にひき逃げされる。
車を運転していたのは、山野モータースの重役 柿沼(小沢栄太郎)の妻 絹子(司 葉子)
であるが、助手席にいたのが年下の愛人 小笠原(中山 仁)だったため、
夫にばれるのを恐れ逃げてしまう。

登場人物が亡くなる原因として「交通事故」が多く出てくるのは
成瀬映画の特徴の一つだが、
たいていは電話や人物の話によって観客に説明されることが多い。
この作品のように実際に子どもが車にひかれる描写があるのはおそらく唯一といっていい。

またこの作品は場面展開がめまぐるしい。
ほとんど余韻もなくただ単にストーリーの説明をしているような場面も数多く、
これも「説明的な描写」を嫌う成瀬演出からすると異色そのものである。
さらに、復讐にもえる国子の場面にでてくるフラッシュバック(回想シーン)
とその逆で主にこれからの殺人シーンを思い描く際には(フラッシュフォワード)
急に画面が明るくなり(白が明るくなる)、
現実のストーリー展開と明確に分けられた表現が使われている。
これも成瀬監督にしてはとても珍しい(平凡な)技法だ。

この作品での復讐だけを生きがいにしているような高峰秀子は、少し怖い。
ただ、社会的なテーマを扱っていても、同じ年頃の男の子をもつ被害者(高峰秀子)
と加害者(司葉子)の女の内面を中心に描いている点は、
従来の成瀬映画と共通しているように思える。

この作品は、国子も絹子も救いがなくて、可哀相すぎる。
はっきりいって後味が悪い印象だった。
舞台は横浜で、国子のアパート(弟が黒沢年男)はごみごみした場所にあり、
絹子は山手の高台の豪邸である点と、絹子の身代わりに犯人として
自首する運転手が佐田豊である点など「黒澤の『天国と地獄』の雰囲気みたい」
と思ってしまった。取り調べる刑事の役で加藤武まで出てくる。
 妻として女として  大学教授の圭次郎(森雅之)とその妻 綾子(淡島千景)、
愛人で銀座のバーのママ三保(高峰秀子)の三人の葛藤を中心に
その子供(星由里子、大沢健三郎:子供達は実は三保の子供であることを三人に隠されている)
の苦悩を描いている。

銀座のバーのママを演じる高峰秀子はすべて和服姿で、
また森雅之やバーの客に仲代達矢など『女が階段を上る時』を少し連想させる。
ただし、『女が~』の時はマンションに住むクールでさめた感じの人物像であったが、
この映画の高峰秀子は祖母(飯田蝶子:元芸者との設定)と二人で日本家屋に住んでおり、
お酒を飲んで「小唄」かなにかを口づさむ粋な家族である。
全体的に暗い題材の作品だがこの飯田蝶子のおばあちゃんは「若大将シリーズ」の時のように、
とても陽気でほっとさせられる。

熱海の旅館に行った際に、
偶然隣の部屋に圭次郎の教え子の学生達がいて、はちあわせしてしまう。
気になってしようがない圭次郎と「そんなこと気にしなくていいじゃない」となじる三保。
少し頼りなさげな森雅之とすねたような声で不満をたたみかける高峰秀子のやり取りは、
『浮雲』のいくつかのシーンを連想してしまった。

この作品にも、安易な回想シーンがいくつか出てくる。
戦争中の防空壕のシーン、病気で子供が産めない綾子が
三保が産んだ二人の子供を自分の子供だと言い聞かせて育てあげていくシーンなど。
成瀬映画の特に後期の作品に多く出てくる回想シーンは、
成瀬映画の心地よいカットのリズムを中断させてしまうので、私は好きでない。
これは成瀬演出というより脚本のせいかもしれないが。

・まだ小さい二人の子供が廊下に出て行き(回想)
・大学生の星由里子と中学生の大沢健三郎が「ただいま」と綾子に話しかける(現在)
のつなぎ方は、フェードアウトなどの技法を使わずなかなか渋い成瀬監督らしい演出方法だ。
この場面に続いて、
・大沢健三郎が「家にも車を買おう」と言って「ドライブに行きたいなぁ」
・湖の前にスポーツカーが止る屋外シーンとなるが、車から降りてくるのは
 高峰秀子とその友人(淡路恵子、丹阿弥谷津子など)となる。
これも成瀬監督得意の「観客はぐらかし場面転換」である。

三保が大沢健三郎とその友人達を連れていくのはまだ後楽園球場があった時の後楽園遊園地である。
ジェットコースターで遊ぶシーンも、現代のハイテクコースターに比べるとスピードや角度も可愛い感じだ。

ラスト近く、圭次郎と綾子の家に三保が訪れ二人の子供をめぐって女同士で激しく口論する。
このシーンはクロースアップも多く、またくっきりとしたライティングが女同士の対立を際ただせ、
つまらないドラマによくあるドラマチックな演出である。
事実を知った二人の子供達の表現も平凡。

前作の『秋立ちぬ』の自然で流れるような名演出と比較すると、
ちょっと失敗作かなといったところ。なおこの作品はカラーワイドである



(この先追加2014.12.27 NEW)
1960年代の成瀬映画はどれも傑作揃いだが、その中で本作と『ひき逃げ』の出来は悪い。
脚本は井手俊郎と松山善三。
内容は極めて通俗的なドラマである。

しかし、久しぶりに観直してみるといろいろと新しい発見がある。

ファーストシーンは夜の踏切を電車が通り過ぎる。
家の中のシーンでは、効果音として電車の音が随所に使用されている。

中盤にある回想シーン。
前述には「
安易な回想シーン」と書いたがこれは訂正する。
以前エッセイにも書いたが、安易どころかこの現実のシーンと回想シーンを繰り返しつないだ
約8分のシークエンスでの編集の斬新さは凄い。

高峰の家を訪ねる森。
①(現在=高峰の家の和室)
 障子をしめた暗い和室での二人の会話。
 別れ話を切り出す高峰と何とかこれまでの関係を続けようと頼む森。
 高峰は、戦時中に二人が初めて会った時のことを話しだす。

②(回想=戦時中の工場の防空壕の外、続いて混んだ列車の中)
 高峰のモノローグ

この後高峰の和室の二人のシーンに戻るのが普通であるが
それとは異なる編集となる。
回想は高峰から淡島に移る。

③(回想=戦後、森と妻の淡島が当時住んでいた部屋での二人の会話)
 「まだあの人(=高峰)と続いていたんですね」と森を批判する淡島。
 高峰との間に女の子に続いて男の子まで産まれたと告白して謝罪する森。

④(現在=森と淡島の家の和室)
 (高峰の家から戻ってきた)森と淡島の二人の会話。
 ①とは対照的に庭から明るい陽射しが差し込んだ部屋
 淡島が森に、高峰の産んだ二人の子供を(母と偽って)育ててきた苦労を
 訴える

⑤(回想=二人の子供の小さい時の言い争い)
 私の10円(ここにも細かい金の話!)を取ったと弟・進を責める姉・弘子。
 進に優しく言い聞かせる淡島。
 「僕知らないよ、姉ちゃんのバカ」といって部屋を出ていく進と弘子。
 「進ちゃん」と言う淡島

この後も通常の回想シーンであれば④にシーンに戻るところだが戻らず。

⑥(現在=森と淡島の家=⑤の回想シーンと同じ部屋)
 「弘子」と言う淡島。
 すると成長した進(大沢健三郎)が「ただいま」と帰ってきて、
 その後から弘子(星由里子)も部屋に入ってくる。

 この後は前述にある車の話題となる。

ともかくこの回想シーンの編集は凄すぎる。
私は回想シーンの映画(及び脚本)はあまり好きではないのだが、
ここまで複雑に構成され、そして観客がそれほど違和感を感じずに自然と観てしまう
現在と回想の交互のつなぎ方のテクニックには感動を覚える。

成瀬映画を何度観ても新たな発見があるのは、映像や編集での細かいテクニックが
目立たないようにちりばめられているからに他ならない。

前半、熱海からの電車の中で、同席の家族の女の子から飴をもらう高峰。
女の子を見て自分が産んだ子供たち(大沢健三郎、星由里子)を思いながら
飴を口に入れる高峰。
次のショットは、部屋でテレビを見ている大沢がお菓子を口に入れる。
このショットのつなぎも「お菓子つながり」を意図的に仕掛けているような気がする。
これは今回初めて気づいた。

出演俳優では、バーのホステス役の水野久美の綺麗さが光る。
高峰の友人役の淡路恵子の渋さもさすがだ。



トップページへ戻る