NEW 08.2.27
「小津安二郎と成瀬巳喜男」比較


◇この内容は以前は本HPに掲載していたのですが、2005年に「成瀬巳喜男を観る」(ワイズ出版)
を出版する時に、章の一つとして入れたいと考え、一度HPから削除していました。
しかし、本のボリュームの関係で掲載できなかったので、今回HPに復活させることにしました。
以前に掲載していた文章を多少追加・修正していますが、内容的にはほぼ同様です。
最近このHPを読まれた方には初めてのもので、興味を持っていただけるかと思います。
なお、下記のBCDの内容に関する成瀬映画の特徴の詳細については、
本HPおよび上記の書籍の内容を参考にしてください。
ちなみに、私は成瀬映画ファンになる前は、大の小津映画ファンでした。


 小津安二郎と成瀬巳喜男は松竹蒲田時代の同僚であり、お互いに数多くのサイレント映画をとった後、成瀬巳喜男がPCL〜東宝に移籍してからも終生の親友でありライバルであった。松竹蒲田の当時の所長の城戸四郎が成瀬巳喜男に言ったという「小津は二人いらない」という言葉がとても有名であるが、その当時のサイレント映画は一部しか観ることができず、城戸四郎の言葉を完全に検証することは不可能である。私が観たことのある成瀬巳喜男の松竹蒲田時代のサイレント『腰弁頑張れ』(31)は保険外交員のペーソスを描いた小市民映画で、確かに小津安二郎の同時期の作品に似ているような気がした。一方、同時期の『君と別れて』(33)は、芸者が主人公で、題材が後年の成瀬映画には近いものの小津映画とは雰囲気がかなり異なるように感じた。

 小津安二郎と成瀬巳喜男という二人の日本を代表する映画監督は、比較するのにとても興味深いテーマである。なお一般的な知名度という点では圧倒的に小津安二郎が上だろう。皆さんの知人であまり日本映画に関心のない方に聞いてみていただきたい。小津安二郎は知っているが、成瀬巳喜男については知らないのが多数ではないだろうか。また小津安二郎と黒澤明、成瀬巳喜男と黒澤明という比較の研究はいくつかあり、対照的な作風からわかりやすいが小津安二郎と成瀬巳喜男は作品の雰囲気が一見似ているようで違いを考えるととても難しい。

 そこで、小津安二郎と成瀬巳喜男についていくつかの要素を比較してみたい。


@俳優について

 小津映画を初めて観た方は、俳優の独特の台詞の言い方にある種のとまどいを感じるであろう。私自身も最初に小津映画を観たのはかれこれ25-6年前、高校生の頃に池袋の文芸座地下で観た『彼岸花』(58)と『秋日和』(60)だったと記憶しているが、「俳優の演技や台詞が何か変だなぁ」と感じたことを覚えている。繰り返しのリズムや、あえてぶつ切りのように言葉を短くした言い回しは、観客に「奇妙な感覚」を強烈に印象づける。その後、様々な小津映画を観るにつれてその奇妙な感覚にだんだんとはまっていき、俳優の台詞や演技の変なリズムが心地よくなっていくのが、小津映画ファンの共通パターンと言えるだろう。

これを生み出したのは、小津安二郎の演出、好みだったわけである。小津映画の出演俳優の多くのインタビューでは、ある一つの短い台詞に対して30回くらいNGを出されたことが紹介されている。俳優の話す台詞の高低、間、リズムなどが小津安二郎の気にいるまで行われたのだ。
 一方、成瀬映画での俳優の台詞は、非常に「自然で流暢に」感じられる。 成瀬巳喜男がシナリオの説明的な台詞をどんどん削っていってしまったのは有名な話であるが、俳優のキャラクターにあった生きた言葉が多い。台詞のリズムや間もあくまで自然である。

 台詞だけでなく俳優の演技全体に関しても、小津映画の俳優は「どことなくぎこちない」のに対し、成瀬映画の俳優は「のびのびして」いるように感じられるのだ。

 比較するのに最も適した俳優の例は、両監督の作品における原節子の演技である。原節子は世間的には圧倒的に小津映画、特に『晩春』(49)『麦秋』(51)『東京物語』(53)の紀子役が有名であるが、私は断然、成瀬映画の『めし』(51)『驟雨』(56)の演技の方を評価する。唯一『山の音』(54)での原節子は、成瀬巳喜男が意図的に行ったかどうかわからないが、「おとうさま」といった台詞の言い回しなどに少し小津調が感じられる。小津映画における原節子の演技や台詞は全体的にかたくるしく感じられ、観ていて疲れるのだ。一方、成瀬映画における原節子の演技はどこまでも自然で、原節子の地の部分が上手く引き出されているのではないか。特に『驟雨』での夫に対して厳しいことをずけずけと言う倦怠期の妻役の原節子は観ていて圧倒される。書籍によると小津安二郎は原節子に惚れていたらしい。小津安二郎は綺麗に撮ろうとしたのに対し、成瀬巳喜男は原節子を一つの素材として客観的に撮っていたように感じられるのだ。素材が素晴らしいのであるからもちろん成瀬映画での原節子もとても綺麗であるが、性格的に強い面などがユーモラスに描かれていてなんとも微笑ましい。『驟雨』冒頭での姪の香川京子への結婚生活へのアドバイスをするシーンと、同じ二人が義姉と妹として登場する『東京物語』のラストの会話シーンを比較すると、私は断然『驟雨』での演技の方が好みである。『東京物語』では原節子が従来のイメージ通りの芝居をしているのに対し、『驟雨』では少し意外な原節子のユーモラスな表情や仕草を引き出していて成功している。さらに60年代の小津映画『秋日和』(60)『小早川家の秋』(61)と成瀬映画『娘・妻・母』(60)での原節子の役柄は未亡人である点は共通しているが、小津安二郎の二作品と比較すると『娘・妻・母』での原節子はより生き生きと描かれていて、仲代達矢とのラブシーンまで登場する。

 自然な、のびのびとした演技を俳優から引き出すのが成瀬演出である。原節子に限らず、両監督の作品に出演している、田中絹代、杉村春子、香川京子、司葉子(『秋日和』(60)と『女の座』(62)を比較)、淡島千景(『麦秋』(51)と『鰯雲』(58)を比較)、新珠三千代などの女優、山村聰、佐野周二、小林桂樹、加東大介といった男優でもそれは同様である。


A作品のジャンルについて

小津安二郎と成瀬巳喜男を作品ジャンルで比較した場合、ジャンルの多彩さでは成瀬映画である。成瀬映画は1950年代の黄金期の作品が割りと雰囲気の似ている作品が続いたため、「庶民の哀歓を淡々と描く」といったイメージがあるが、実は非常に幅広いジャンルの作品を手がけていたことに驚かされる。

 私なりにジャンル分けをしてみると(一部重複あり)次のようになる。

◇成瀬巳喜男

○「芸道物」 桃中軒雲右衛門(36)、鶴八鶴次郎(38)、歌行燈(43)、芝居道(44)

○「恋愛物、メロドラマ」 浮雲(55)、乱れる(64)、乱れ雲(67)

○「夫婦物」 女優と詩人(
35)、めし(51)、夫婦(53)、妻(53)、驟雨(56)、妻の心(56)

○「(女性の)一代記物」 あらくれ(57)、放浪記(62)、女の歴史(63)

○「家族物」 はたらく一家
(39)、母は死なず(42)、おかあさん(52)、娘・妻・母(60)、女の座(62)

○「心理サスペンス物」 女の中にいる他人(66)、ひき逃げ(66) 

○「子供の世界」 まごころ
(39)、なつかしの顔(41)、コタンの口笛(59)、秋立ちぬ(60)

○「ヒロイン物」 夜ごとの夢(33)、妻よ薔薇のやうに(35)、噂の娘(35)、朝の並木路(36)、女人哀愁(37)、禍福(前・後篇)(37)、銀座化粧(51)、晩菊(54)、流れる(56)、
         鰯雲
(58)、女が階段を上る時(60)、妻として女として(61)

○「時代物」 三十三間堂通し矢物語(45)、お国と五平(52)

○「ほのぼの物」 旅役者(40)、秀子の車掌さん(41)、愉しき哉人生(44)、石中先生行状記(50)

○「文芸物」 乙女ごころ三人姉妹(35)、禍福(前・後篇)(37)、舞姫(51)、めし(1951)、稲妻(52)、妻(53)、あにいもうと(53)、山の音(54)、晩菊(54)、浮雲(55)、流れる(56)、        驟雨(56)、あらくれ(57)、杏っ子(58)、放浪記(62)

これ以外にも、どう分類していいか分からない作品(例えば『浦島太郎の後裔』(46)もあわせて実に多くのジャンルの作品がある。初期の松竹蒲田のサイレント時代(現存す る作品は『腰弁頑張れ』(31)など数本)には、ペーソス溢れた小市民映画が多い。

 一方、小津安二郎であるが、

◇小津安二郎

松竹蒲田のサイレント映画時代には

○「ナンセンス喜劇」 引越し夫婦(28)、若き日(29

○「心理サスペンス」 その夜の妻(30)、非常線の女(33

○「学生物」 大学は出たけれど(29)、落第はしたけれど(30

○「喜八物」 出来ごころ(33)、東京の宿(35

○「子供の世界」 生れてはみたけれど(32) 

などの結構幅広いジャンルの作品があるが、

トーキー以降戦中〜戦後の作品は、「家族物」特に、父と娘または母と娘を描いた作品が圧倒的に多い。

○「夫婦物」 風の中の雌鳥(48)、お茶漬の味(52)、早春(56) 

○「子供の世界」 お早よう(59)

○「旅役者の世界」浮草(59

○「家族物」 一人息子(36)、戸田家の兄妹(41)、父ありき(42)、晩春(49)、麦秋(51)、東京物語(53)、東京暮色(57(→雰囲気的には異色であるが)
彼岸花(
58)、秋日和(60)、小早川家の秋(61)秋刀魚の味(62

 小津安二郎と成瀬巳喜男そして溝口健二や木下恵介は「女性を描く名人」(男性映画はやはり黒澤明であろう)と一般的に言われているが、作品ジャンルを整理してみると小津安二郎は少し違うのではないかと感じる。成瀬巳喜男は晩年の1960年代にも『乱れる』『乱れ雲』という恋愛物の傑作を撮っているのに対し、小津安二郎には恋愛物、というのはほとんどない(サイレント時代の『美人哀愁』(31)はそういう作品らしいが未見。シナリオは現存している)。私は小津安二郎の1960年代の『彼岸花』『秋日和』『秋刀魚の味』でいいと思うのは、有馬稲子や山本富士子や司葉子や岩下志麻らのヒロインよりも、小料理屋「若松」の座敷で熱燗やウィスキーで一杯やりながら昔話で盛り上がっている三人の中年おやじトリオ(佐分利信、中村伸郎、北竜二など)+女将の高橋とよである。彼らの方が生き生きと描かれていて魅力的だ。代表選手の笠智衆や喜八物も含めて、小津安二郎は実は「男を描く」方が上手いのではないだろうか。『早春』『東京暮色』でも、若いサラリーマンたち(池部良、高橋貞二、須賀不二夫、田中春男、長谷部朋香など)といった俳優がひょうひょうとして実にいい味を出している。『お茶漬の味』の頼りなさそうな、若き鶴田浩二のコミカルな軽い演技も素敵だ。

一方、成瀬巳喜男の女性心理の描き方は、実にリアルで冷徹である。特に、代表格の高峰秀子のふてくされた時の表情。はき捨てるように言う「ばかにしてるわ」(高峰秀子のアクセントは「ば」に力がはいっていて独特)という台詞が印象的だ。杉村春子でも、『晩菊』では生活設計をしっかりとした元芸者の金貸しを演じさせるかと思うと、『流れる』ではお金にだらしない中年芸者を演じさせるなど、女優の様々な面を引き出している。

ジャンルに戻ると、子供の世界の描き方は甲乙つけがたいものがある。小津安二郎の『生れてはみたけれど』『お早よう』、成瀬巳喜男の『まごころ』『秋立ちぬ』などがその代表である。また晩年に心理サスペンスを手がけた成瀬巳喜男のチャレンジ精神も賞賛されるべきだろう。特に『女の中にいる他人』の新珠三千代は、平凡な主婦が夫の浮気と犯罪を知るや、子供たちを守るために徐々に変貌していく不気味さを強烈に印象づけた。

 成瀬映画のジャンルの多彩さは、会社からの企画に対してあまり異をとなえず撮り続けたという成瀬巳喜男の性格(本人も「断りきれない性格の弱さ」とインタビューで述べている)にも理由があると思うが、どんなジャンルにおいても一定の水準以上の作品を作り続けていったのは映画作家としての卓越した才能を証明することになるだろう。


B映像の特徴比較 ファーストシーン

さて、次に両監督の映像比較という難題を考えてみたい。

 最初に映像比較の対象作品は戦後(45以降)のものが大半となる。というのは、私は小津安二郎の戦後作品はすべて観ているし、成瀬映画もフィルムが失われたという『不良少女』以外の戦後作品はすべて観ているからだ。戦前、戦中の小津映画には観ていない作品(現在ではフィルムがなく観られないものも多数)もまだ少しあるし、また両監督とも若い頃の作品ではいろいろとチャレンジしたり試行錯誤したりの映像表現も多いので、いわゆる安定した「小津調」「成瀬調」の作風は戦後の1950年代から60年代の作品だと思うからである。

 では、最初に映像比較の結論から述べる。

 小津映画=静的、成瀬映画=動的である。成瀬映画は、「一見静的に見えて」という言葉を前につけるほうが適当かもしれない。

 まずは「ファーストシーンにおけるショットの展開」に見られる特徴について説明したい。

 小津映画と成瀬映画を録画したDVDやビデオの冒頭シーンをいくつか集中的に見て改めて気づいたことがある。冒頭シーンにはすでに両監督の映像の特徴がよく表れている

 小津映画の「空ショット」は有名である。つまり風景や事物のみの映像を随所に入れていくことで、小津ファンならすぐに思い浮かべる映像であろう。

 小津映画の冒頭シーンは、@映画タイトル→A風景や看板などの空ショットの挿入→B室内に人物が座っているというショットの流れのパターンがある。
 一言で言えば「動きの少ない映像」が多い。

○晩春   @タイトル→A北鎌倉駅→Bお寺の屋根→C茶会の風景(人物が座っている)→D原節子がおじぎをする

○麦秋   @タイトル→A人のいない早朝鎌倉の海のおだやかな波(犬が横切る)→B室内の鳥かごと背景の山→C廊下→
      D小鳥にえさをやっている菅井一郎
(座っている)

○東京物語 @タイトルA尾道の石灯籠→B登校する子ども達→C列車が通る風景→D高台の家のロングショット→
      E畳の上に座って時刻表を調べている笠智衆と東山千栄子の会話

○東京暮色 @タイトル→A(早朝または夕方)の高架橋の貨物列車→Bネオンの飲み屋街を手前歩いてくる笠智衆→
      C居酒屋のカウンターに座る。手前に田中春男が座って一人飲んでいる→D女将(浦辺粂子)との会話

○彼岸花  @タイトル→A東京駅のロングショット→B東京駅のホームの(新婚旅行見送りの)風景→C駅員の会話(二人ともベンチに座っている)
      D結婚式場の廊下を横切る人物→E結婚披露宴の席
(座って、出席者の謡を聞いている)

○秋日和  @タイトル→A東京タワーのロングショット→Bお寺石段に座っている老婆と孫C本堂の中の風景D手洗から廊下を歩いてくる人物(北竜二)→
      Eスーツ姿の、北竜二、中村伸郎、須賀不二男の会話→F喪服を着て座っている原節子と司葉子

などとなる。戦前の『一人息子』でもタイトルに続いて、和室のランプのショット→田舎道を歩いている女達→ポスター→工場で座って働いている飯田蝶子となっている。もちろん例外的な作品もあるだろう。

 一方の成瀬映画も最初のショットは風景からはいることが多いが、ほとんどが人物のはいった風景で、かつ歩いている、自転車で横切るなどの人物の動きであり、また次のショットでも人物が何らかのアクションをしている、動きのあるケースの多いのが特徴だ。

○おかあさん @タイトル→A走る電車B道を歩く、自転車に乗っている人々の風景→C(香川京子のナレーションが始まり)家の中を忙しそうにほうきで掃いている田中絹代

○浮雲    @タイトル→A昭和二十一年初冬の文字と港の風景→B引き上げ船から降りてくる人々→Cリュックをしょって歩いている高峰 秀子→
      D焼け跡の町を歩く高峰秀子、自転車に乗っている男とすれ違う

○流れる   @タイトル(タイトルバックで隅田川を行きかう船の映像)→A柳橋の上を挨拶して通り過ぎる芸者風の二人の女→
       B「つたの家」の前の道を歩いている人物、箒で表を掃いている女→C「つたの家」を探してガード下を歩いている田中絹代 

○女の座   @タイトル→A道を急ぎ足で歩いてくる三益愛子→B商店の商品にはたきをかけている高峰秀子→Cタバコを買いに来るお客と高 峰秀子のやり取り→
       D店にはいってくる三益愛子。店内での三益愛子、高峰秀子、司葉子の会話

○女の中にいる他人 @タイトル→A大通りを歩いている小林桂樹→B立ち止まって、後ろを振り返る小林桂樹→Cタバコを取り出し火をつけて 一服する→
          D
前のショットから続いた手の動き、灰皿にタバコを置く。喫茶店に座ってビールのジョッキを飲んでいる小林桂樹

○乱れ雲   @タイトル→Aアパートのドアに鍵をかけて歩いていく司葉子→B走る電車→
      C電車の席に座っている司葉子がとなりの赤ん坊をあやしている車内の風景→D病院の診察室を出て表に小走りで歩く司葉子

などである。

実際の作品を基に比較すると、小津映画は最初から「人のいない風景シーン」→「人物がたたみや椅子に座って会話しているシーン」と、<静かな映像>で始まるのに対し、
成瀬映画では、「人が普通に生活している日常的な喧騒な風景シーン」→「人物が何か動きをしているシーン」と<動きを感じさせる映像>が多い。戦前の成瀬映画には、町の喧騒をそのままドキュメンタリータッチの映像で見せるファーストシーンがある。『乙女ごころ三人姉妹』の浅草、『妻よ薔薇のやうに』の丸の内、『女人哀愁』の銀座、『鶴八鶴次郎』の川崎大師参道などである。戦後の作品でも『銀座化粧』『夫婦』『秋立ちぬ』などは、ファーストシーンが銀座の風景である。

 小津映画の冒頭の人のいない風景を見ると、観客は「あれ早朝か深夜の風景なのか」と一瞬思うであろう。成瀬映画の場合は人が歩いたり、自転車で横切ったりと日常生活に違和感なく自然に入り込んでいける。

 このことは、小津安二郎が多少不自然でも「構図を重視した絵のような映像」を好んでいたのに対し、成瀬巳喜男は「冒頭から日常の動きのある映像」を見せようと意図していたと考えられる。


C映像の特徴比較 屋外シーンについて

 私が成瀬巳喜男ファンになったきっかけは、成瀬映画の屋外シーンに魅かれたことが最大の理由の一つである。成瀬映画の屋外シーンの映像はリズミカルで美しく本当に素晴らしい。

 成瀬映画の屋外シーンで特徴的なのは「二人で歩くシーンのゆっくりとした移動撮影」である。また、ただ屋外を歩いているのではなくストーリー展開上重要なシーンとなる場合もある。歩くシーンの前の台詞は「(そのことは)歩きながら話すわ」「歩きながら話を聞くよ」「少し歩きましょうか」が多い。『銀座化粧』 のラスト近くの田中絹代と花井蘭子、『めし』の原節子と二本柳寛、『妻』の高峰三枝子と丹阿弥谷津子、『浮雲』の高峰秀子と森雅之、『流れる』の高峰秀子と仲谷昇、『妻の心』の高峰秀子と三船敏郎、『杏っ子』の山村總と木村功、山村聰と香川京子、『鰯雲』の淡島千景と木村功、『秋立ちぬ』の大沢健三郎と一木双葉などである。そして戦前の作品『禍福 前篇』でも入江たか子と逢初夢子が「上野公園」を会話しながら歩く。つまり歩きながらストーリー展開上重要な話をする。同時に登場人物にストーリーを説明させる役割も果たしていて、成瀬映画がイメージとは異なり「スピーディにストーリー展開する」ことの要因にもなっている。登場人物二人が屋外を並んで歩くシーンは1930-40年代の作品、『妻よ薔薇のやうに』『噂の娘』『女人哀愁』『まごころ』『旅役者』などでも多く見られ、成瀬巳喜男が若い頃から得意としていた演出だったと言える。ともかく成瀬映画の屋外の歩くシーンは映像的に最高である。世界中のどの映画監督にもあれほど二人の歩くシーンを、立ち止まり、振り返る動きをはさんでリズミカルに美しく撮る監督はいないと思うのだ。

 一方小津映画であるが、二人で並んで歩くシーンを移動でという映像は非常に少ない。『麦秋』の鎌倉の海岸のシーン(子供たちが歩くシーン、原節子と三宅邦子の後姿をとらえたシーン)、『東京物語』の笠智衆と東山千栄子の東京・上野公園のシーン、『早春』の海岸のピクニックシーン、『晩春』で能楽堂での能観賞の後笠智衆と原節子が離れて歩くシーン、あたりが思い浮かぶシーンである。また人物が歩くシーンといっても、カメラは前方や後方に固定したまま人物だけが歩いていく映像が多く、移動というのは少ない。

 小津映画の屋外シーンの最大の特徴は、二人が屋外のベンチや海岸などに並んで座る会話シーンの多さである。『麦秋』では、鎌倉大仏ロケーションでの原節子と高堂国典、上野公園(と思われる)ロケーションでの夫婦役・菅井一郎と東山千栄子、さらに原節子と義姉の三宅邦子が並んで座る由比ガ浜。『東京暮色』での夕暮れの浜離宮に腰掛けて話す有馬稲子と田浦正巳。これらはいずれも登場人物は屋外でも座りながら会話する。『東京物語』の上野と熱海のシーンでは、笠智衆と東山千栄子の歩くシーンもあるが、両シーンとも途中で座って語り合うシーンが挿入される。その他「彼岸花」の箱根・芦の湖への家族旅行のシーンでも佐分利信と田中絹代はベンチに腰掛けて戦争中の苦労話をする。

以上を整理すると

○成瀬映画の屋外シーン 二人がゆっくりと歩きながら会話する、途中で一人が振り返って立ち止まり、また二人で歩き始める。

○小津映画の屋外シーン 二人が並んで座りながら会話する

 が特徴だと結論づけられる。

 小津映画の場合、技術的にローアングルでの移動というのはなかなか難しかったのではないかと想像できる。成瀬映画の場合は実に自然なポジションで、ゆったりとした移動は観客に心地よいリズムを感じさせてくれる。


D映像の特徴比較 室内シーンについて

小津映画、成瀬映画とも、日本家屋の室内が主な舞台設定となって物語が進んでいくのは共通している。しかし、室内シーンでの演出方法、特に人物の動き=アクションの付け方が決定的に異なっている。

 成瀬映画では、「人物が室内でよく動く」のが特徴である。人物が立ち上がったり、しゃがんだり、部屋の中を歩いたり、窓のところで振り返ったりと人物のアクションに溢れている。「そんなに部屋の中を歩き回らなくていいのに」と思えるほど人物は室内を移動する。

シナリオ表現の基礎に「小道具を効果的に使用する」というのがあるが、成瀬巳喜男は小道具の使い方も上手い。例えば、「禍福(前篇)」で最初に入江たか子と逢初夢子が登場する離れの和室のシーン。いきなり写真アルバムを取りあう二人の手のショットから始まる。写真と二人の会話によって、入江たか子の婚約者(高田稔)の写真だとわかるのであるが、この場合でも二人がアルバムを取り合うアクションによって、和室の中での人物の動きをさりげなく演出している。この室内の人物の動きに、前述した成瀬演出の最大の特徴である「目線の芸」がプラスされる。一人の人物の視線によって相手の動きを表現するという想像力を刺激される演出方法であるが、この「目線の芸」の多用により成瀬巳喜男は人物の動きが制限される室内の中で、意図的に「人物の動作=アクション」を演出していたことがよくわかる。従って、成瀬映画での室内シーンは、知らずのうちに動的なスリリングな感覚を観客に与えるのだ。

 一方、小津映画は畳に置かれたテーブルの前に座った人物、椅子に腰をおろした人物の、あの独特のリズムの会話が延々と続く。室内での人物の動きは成瀬映画と比較すると圧倒的に少ないし、小津映画の執拗に繰り返される人物のカットバックの映像は、「静止画」といってよい。さまざまな評論によると小津映画の人物の視線は「交錯しない」と語られているが、人物の「視線の交錯」がリズムや動きを作っていく成瀬映画とはこれも対照的である。小津ファンはあのなんともいえない間と奇妙な映像を好むようである。小津安二郎にもサイレント時代の作品には、人物のアクションを面白く描いた作品も存在するが、戦後の作品ははっきりとアクションの少ない映像になっている。小津映画の映像の方が「ゆったりとした端正な感じ」は強い。

両監督に共通するのは、登場人物が立ち上がる瞬間にショットが変わり、次の引いたショットで立ち上がった姿を見せるといった、映画用語でいう「アクションつなぎ」のテクニックを上手く見せている点である。


Eシナリオ 回想シーンについて

 私は個人的に映画の「回想シーン」、特に途中で短く挿入される「回想シーン」が嫌いだ。これはシナリオ自体の問題でもあるが「回想シーン」は安易な説明的な手法で、作品の世界に入り込もうとしている観客の想像力を一気に奪うマイナス効果そのものだとすら考える。ミステリー調の作品の場合はストーリー展開上ある程度仕方ないとも思うが、特に男女の仲を説明したりする安易な回想シーンは観客の一人として耐えられない。過去の説明は台詞だけで十分だし、その人物の過去が一部謎になっていることがかえって、観客の登場人物への感情移入の効果を上げることもある。最近の映画やTVドラマには、すぐ安易な回想シーンが使用されるのにはがっかりさせられる。黒澤明監督『生きる』(52)のような回想シーンの使い方は例外的に素晴らしいと思う。

 「そういえば小津映画には回想シーンというのは無いな」と連想してみた。小津映画に回想シーンってあるだろうか?例えば、『秋日和』の中にあの三人中年トリオが料理屋で原節子が本郷の薬屋の看板娘だった時代の話で盛り上がるシーンがあるが、もちろん会話だけで再現(原節子の看板娘だったら逆に見たい気もするが)の回想シーンはない。『彼岸花』でも田中絹代と佐分利信が戦争中の昔話をするシーンがあるが、同じく回想シーンはない。そう考えると小津映画のシナリオの大半は、時間通りに現在形で進んでいくといって間違いないだろう。ストーリー展開上昔話は随所に出てくるが、その回想シーンというのは皆無のように思う。少なくとも戦後の『長屋紳士録』以降には。これは『晩春』以降の大半の作品を小津安二郎本人が野田高梧と二人でシナリオを作成していたという点に関係があるのかもしれない。

 一方、成瀬映画には回想シーンの出てくる作品がいくつかある。説明的な表現や台詞を嫌って、映像でわかるシーンはどんどんと台詞を削っていく成瀬巳喜男であるが、不思議にもいくつかの作品に回想シーンが挿入されている。戦後で言えば『妻として女として』の中に、森雅之と高峰秀子、淡島千景がからんだ戦争中の回想シーンが短く挿入される。『ひき逃げ』にもヒロイン高峰秀子の若い頃のシーンが一瞬挿入される。この二つの作品は傑作揃いの成瀬映画の中では出来の悪い方の作品だと思うが、こういう安易な回想シーンにもその一因がありそうだ。『女の歴史』のように、現在→回想→現在→回想→現在といったように、時間的に長く回想シーンが続くような構成であればまだいいのだが、突然わざとらしく挿入される回想シーンは「成瀬巳喜男が何で?」と疑問を持ってしまう。シナリオをそのまま使用するというケースが大半だと思うので、これは成瀬映画のシナリオライターのほうに原因があるのかもしれない。『乱れる』では、高峰秀子が戦後商店を再建するのに苦労したとの話が義弟の加山雄三から繰り返し語られるが、回想シーンなどは一切出てこない。私が評価する『まごころ』『晩菊』『山の音』『流れる』『驟雨』『秋立ちぬ』『娘・妻・母』『女の座』などにも回想シーンは出てこない。そしてやはり回想シーンの無い作品の方が出来はいい。ミステリー調の『女の中にいる他人』はストーリー展開上、回想シーンが出てくるのは理解できるが。

 私が世評に反してあまり評価しない『浮雲』にも冒頭に森雅之と高峰秀子の南方での回想シーンが出てくる。これは少し長い回想シーンなのとストーリー展開上不可欠なので、それほど嫌いではない。森の中で高峰秀子と森雅之が見つめあってキスするショット(目と目があってキスに向かう)の直前で切って、現在の宿屋でのキスショット(キスをしている二人)につなぐといった回想→現在へのショットつなぎがあって、これは成瀬巳喜男らしい上手さである。ただし高峰秀子と山形勲がラーメンすすっているシーンにも短い回想シーン(叔父の山形勲が寝室の高峰秀子を襲おうとするシーンで、成瀬映画には珍しい直接的なエロチックな表現)があるが、これは必要の無い説明的な表現だと思う。

 両監督が映画やシナリオの回想シーンについてどのように考えていたのかは、インタビュー等でも読んだことがないのでわからないが、少なくとも小津安二郎は作品の中に出さないのであるから、回想シーンの表現を好んでなかったことは間違いないだろう。この比較も二人の監督を考える点で面白いと思う。


 以上、いくつかの点で両監督の比較を試みたが、結論として現在の私は小津映画より成瀬映画を好む。それはやはり成瀬映画の映像、美術、編集、俳優の演出等のほうにより
映画のもつ躍動感を感じるからである。

 いずれにしても1930年代から1960年代の同時代に、この二人の優れた映画監督の作品がお互いを刺激しつつ量産されたことは、実に幸福なことである。


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