NEW 2019.6.16
映画のメイン舞台は、並木亮太郎(佐野周二)と妻・文子(原節子)が暮す住宅のある世田谷らしき郊外の住宅地。
隣に今里念吉(小林桂樹)と妻の雛子(根岸明美)が引越してくるところから物語が始まる。
本作の製作については、助監督だった廣澤榮氏の著書「日本映画の時代」(岩波書店 同時代ライブラリー 1990)の中の
「成瀬巳喜男のしごと」にロケーション等についても詳しく書かれている。
本HPの『驟雨』Aに紹介した日本橋白木屋屋上のロケーション風景(成瀬監督と原節子)の写真も掲載されている。
上記の住宅はその本によると、東宝撮影所に面した場所に建てられたオープンセット。
部屋の中は当然撮影所内のステージである。
佐野周二と小林桂樹の通勤風景に登場するのは、『驟雨』@の写真にある小田急線「梅ヶ丘駅」なので
梅ヶ丘駅近くの住宅に住んでいると考えるのが普通だが、映画ではそう単純にはいかない。
本作には、何度も商店街が登場する。
これが
(1)実際のロケーションなのか
(2)撮影所の近くに建てたオープンセット(住宅のセットと隣接)なのか
(3)その2つの組み合わせなのか
画面を何度も観てもこれがわからない。
商店街の中の酒屋の看板には「祖師ヶ谷町」と書かれている。
小田急線「祖師ヶ谷大蔵駅」は、新宿から行くと「梅ヶ丘駅」の四つ先の駅である。
(1)のロケーションだとすると、駅の北口の「祖師ヶ谷大蔵商店街=ウルトラマン商店街」に
映画画面に映っている看板の住所のお店「三河屋酒店」が現存する。
正確なことは言えないが、ここはさすがにロケーションではないかと推察する。
1枚目の写真(グーグル写真)は、駅を背にしての商店街で「三河屋」(酒店)の看板が見える。
2枚目の写真(グーグル写真)は、映画の画面と同じアングルで、「三河屋」を右に曲がったところ。
何度か画面に登場する、商店街のなかにある映画館「世田谷文化劇場」。
上映作品の看板には、洋画『ゴリラ』と邦画『妻の座』と書かれているように読める。
この2本ともネット検索してみたが、『ゴリラ』は1986年のアメリカのアクション映画、『妻の座』という映画は出てこない。
「妻の座」は「二十四の瞳」で有名な壷井栄の書いた小説名のようだ。
昭和31年という映画界全盛の時代なので、祖師ヶ谷大蔵にも映画館はあっただろうが、
この世田谷文化劇場というのが実在したかは不明。おそらく映画用に外観だけ作ったオーブンセットではないか。
横には「にこにこ饅頭」の店。
この映画館がオープンセットなのかロケーションなのか、その周りの商店街はどちらなのか
映画の画面を何度観てもまったくわからない。
美術監督は成瀬組の中古智で、同年あの『流れる』の信じられないほどリアルなオープンセット
(誰でも舞台となる柳橋のロケーションと思うだろう)を作っている時期なので、もしかしたらオープンセットなのかと思う。
実際の商店街でのロケーションであれば、原節子が歩くシーンは見物客が大変だったろう。
成瀬映画に欠かせない女優・中北千枝子演じる重役の妻の話す気障な「〜ざぁます」言葉!
上記の文子(原節子)が雛子(根岸明美)と一緒に買い物に行くシーンの前に、
道で幼稚園の園児とそれを引率する園長(長岡輝子)、園児の母で顔見知りの主婦(東郷晴子)と原節子が会話をする場面がある。
東郷晴子は「どんぐり山まで遠足に行ってきて疲れました」と話す。
ネット検索すると現在も世田谷区の公園で「弦巻どんぐり山公園」がある。この公園のことなのかは不明だが。
東郷晴子を調べたら、宝塚歌劇団出身で月丘夢路や乙羽信子と同期生とのこと。知らなかった。
成瀬映画では『女が階段を上る時』のラストの新橋駅ホームで、見送りに来た高峰秀子と挨拶する
森雅之の妻の役が印象的。2011年に90歳で亡くなられている。