和歌山県立博物館の「バリアフリー・ユニバーサルデザイン推進功労者表彰内閣総理大臣表彰受賞記念展示」――レプリカはこのように活用する!

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 12月27日、和歌山県立博物館に1人で行きました。現在開催中の
「バリアフリー・ユニバーサルデザイン推進功労者表彰内閣総理大臣表彰受賞記念展示 さわれるレプリカとさわって読む図録―博物館展示のユニバーサルデザイン―」
を見学するためです。
 和歌山県立博物館では、2010年から、和歌山県立和歌山工業高等学校と連携して3Dプリンターを使って文化財のレプリカを作り、また和歌山県立和歌山盲学校と協力してそれら文化財の触図録も作ってきました。このような継続的な取り組みが評価されて、平成26年度バリアフリー・ユニバーサルデザイン推進功労者表彰の、内閣総理大臣表彰を受賞したとのことで、現在その記念展示が行われているわけです(2015年2月22日まで)。
 南海和歌山市駅からバスで県庁前まで行き、そこから歩いて数分で博物館着、中に入るとなんか広い感じはするのですが、どこが受付か分からずうろうろしていると、係の方が声をかけてくれて、早速エントランスの展示場所に案内してもらいました。最初にその方に、展示台に沿ってどんな物が展示されているかざっと案内してもらい、その後はほぼ1人で丁寧にレプリカを触ったり触図録を読んだりメモを取ったりしながら、2時間近くかけて見学しました。展示物は、2ヶ所にほぼ直線状に並べられていて、展示台に沿って順に触っていけばいいので、1人でも十分に堪能できました。
 
 以下、各年度の触図録に従って、順に紹介します。なお、記述にさいしては、和歌山県立博物館のホームページにある学芸員・大河内智之さんの以下の記事なども参考にしました。
林ケ峯観音寺の菩薩形坐像
コラム「葛城修験の聖地・中津川行者堂の役行者像」 コラム:法皇の熊野参詣を見守った神像
牛馬童子像は何を訴えているか
災害に耐えた奇跡の仏像が語りかける歴史 - 和歌山県立博物館ニュース
特別展関連コラム「三谷薬師堂の女神坐像−残された鋳造神像の木型−」
 
●平成22年度:『仮面の世界へご招待―さわって学ぶ和歌祭―』
 まず、和歌祭の仮面が、表記の触図録とともに展示されていました。これらは、2011年の初めに見学したものです(仮面を触り比べる―和歌山県立博物館の企画―
 仮面は、登髭(のぼりひげ。年取った男の顔)、空吹(うそふき。口笛を吹いている姿)、若い女、猿、笑尉(わらいじょう。お爺さんが笑っている顔)の5点です。なお、別の展示台には、最近製作された賢徳という仮面もありました(鬼畜面のようです。かなり大きな面で、目の所などあちこちちょっと破損していて、かなり古そうに感じました)。
 仮面の隣りには、能の面で、小面、深井、姥の3点がありました。いずれも檜製で、表面がとても滑かで触り心地がいいです。口は少し開いていて、歯も触って分かります。女の顔が、年齢とともに変っていく感じがよく分かります。
 
●平成23年度: 『きのくにの祈り―さわって学ぶ祈りのかたち―』
 ここからは、いずれも初めて触るものです。
 ・銅鐸:高さ30cm弱ほどの小さな銅鐸のレプリカです。金属製ではないので、触った感じはちょっともうひとつです。太田・黒田遺跡出土の袈裟襷文銅鐸ということですが、文様まではよく分かりませんでした。中には石製の舌があって鳴らしたようですので、銅鐸としては初期のもののようです。
 ・鳥形埴輪:高さは30cmくらい(実物は65cmだそうです)で、下は円筒の台でその上に翼が大きく左右に広がり、尾羽も目いっぱい広がっています。口の先は下に向き、目はやや前向きです。解説によると、当時鷹狩りが行われていて、その鷹を表わしているらしいです。(大日山35号墳出土)
 ・蓮華文軒丸瓦:直径20cm弱の瓦のレプリカが3点ありました(触図録にはその内2点掲載されていた)。それぞれ文様が少しずつ異なっていて、レプリカと触図録の図を何度も照らし合わせてみました。やはりレプリカのほうが、特徴や違いが分かりやすかったです。(上野廃寺・西国分廃寺出土)
 ・大日如来坐像:高さ20cmくらいの坐像です。実物は銅製で、表面は金メッキされていて、12世紀の作だということです。胸の前で、左手のまっすぐ伸ばした人差指を右手で包むように握っています。これは智拳印といわれ、金剛界の大日如来に特有の印相です。左手は人々(衆生)を、右手は仏を表わし、人と仏の結ばれていることを表わしているようです。レプリカでは、両腕が肩からはずれるようになっていて、左手と右手がどのように組合わされているか確かめやすくなっていました。(那智経塚出土)
 ・一石五輪塔:高さ50cm余の石造の塔で、16世紀後半に納められたものだそうです。5段になっていて、下から順に、地輪(ちりん。高さ20cmくらいで、立方体に近い形)、水輪(すいりん。高さ10cm弱で、円筒形)、火輪(ひりん。高さ5cmくらいで、四角い屋根のような形をしていて四つの角が上にとがっている)、風輪(ふうりん。高さ10cm弱で、ボウルをふせたような形)、空輪(くうりん。直径10cmくらいのほぼ球形)が重なっています。そして、五輪塔は本来は供養塔ですが、このような全体の形は大日如来の姿も表しているそうです。また、それぞれの輪の前面には、下から順に、ア、ヴァ、ラ、カ、キャという梵字が浮彫りされており、このアヴァラカキャは大日如来を示す呪文のようなものだそうです(この梵字は、触図録のほうがよく分かった)。 (根来寺坊院跡出土)
 ・偕楽園焼交趾写二彩寿字文花生(かいらくえんやき こうちうつしにさいじゅのじもんはないけ):高さ30cm弱のかなり大きな花生けです。200年ほど前の焼物だそうです。表面全体に文様が施されていて、触図録では全体の文様とともに、一部を拡大して、円の中に「寿」という字からデザインした文様と「寿」の字が示されていました。偕楽園焼は、今から200年ほど前、紀州第10代藩主徳川治宝が別邸西浜御殿内で焼かせた御庭焼(おにわやき)で、表面の文様からしてかなり豪華なもののようです。
 ・牛馬童子像:実物の半分の大きさのレプリカです。実物と同じ大きさのレプリカが次年度の所で展示されていましたので、そこで紹介します。
 
●平成24年度: 『未来へ伝えよう私たちの歴史―文化財を守るために―』
 このコーナーの展示が、私にとっては今回の記念展示の中でいちばん印象に残ったものです。なお、「滝尻金剛童子立像」と「菩薩形坐像」は、平成25年度の触図録『文化財の魅力発見!−歴史を守り伝える−』のほうに載っていました。
 ・滝尻金剛童子立像:高さ40cm弱の木像で、岩座の上に立っています。足は大きく、胸や腰のあたりなど身体の前面には、身を守るためなのでしょう、いろいろなものが付いているようです。頭にも兜?のようなのを被っています。顔はとても整った感じで左前を向き、また左の肩も前に出ています。左手はまっすぐ下におろして手を握り、右手は肘を外側に向けて肩の高さくらいまで上げ、手は胸の前あたりにあるようです(手の先は欠けているようです)。触図録によると、本来は左手に弓を持ち、右てで弦を引き絞っている姿だったようです。この像があった滝尻王十郷神社の境内は、2011年9月の台風12号の豪雨で水没してしまったそうです。さいわいこの像は被災はしませんでしたが、保存の上で大きな懸念があったことから、レプリカを2点製作し、そして実物は和歌山県立博物館で保管し、レプリカ1点は滝尻王子十郷神社に安置し、もう1点のレプリカが博物館での展示用となり、私たちも触ることができているわけです。なお、この像は12世紀ころの作で、滝尻王子は、本宮(熊野本宮大社)・新宮(熊野速玉大社)・那智(熊野那智大社)の3つの聖地からなる熊野三山の参詣道の途中にあるそうです。王子とは、参詣者の守護神でもある金剛童子を祀る小社で、参詣道にはこのような王子が、九十九王子と呼ばれるほどたくさんあったようです。
 ・菩薩形坐像:高さ30cm弱の木像で、蓮台の上に胡坐をかくような姿勢で座っています。全体にバランスがよく(左右対称)私には好ましく感じました。頭の上には髪が高く結われて?います。顔は丸顔の感じです。左肩から胸にかけて、衣の斜めの線が数本はっきり分かります。左ては肘までで、その先は欠けています。右手は膝のあたりまで下に伸びていますが、手首から先は欠けています。膝の前あたりにも衣の皺がよく分かります。この像は9世紀中ごろの作と考えられるとのことですが、本来はもっと大きな仏像の光背に取り付けられた化仏の一つらしいです。この像は紀の川市内の林ケ峯(はいがみね)観音寺にありますが、これと大きさや形がそっくりな仏像が、ここから15kmほど離れた大阪府和泉市の施福寺にもあり、本来これらの仏像は、大日如来坐像の光背に取り付けられた、金剛界曼荼羅成身会の三十七尊の一つとして造られたものと思われるということです。
 ・役行者及び前後鬼像:いずれも30cm弱ほどで、中央に役行者、両側に前鬼と後鬼がいます(どちらが前鬼なのか後鬼なのかは分かりませんでした。なお、前鬼と後鬼の大きさは実物と同じですが、役行者像は実物の半分の大きさだそうです。ですから、実際は役行者像は高さ50cm以上はあることになります)。役行者は台の上に腰掛けています。頭にはなにか被っているようです。顎の下がとがっていて、あごひげが垂れているようです。前鬼と後鬼は、膝をついて立っているようです。ともに手の部分は欠けてしまっていますが、前鬼は斧を、後鬼は水瓶を持った姿だったそうです。これらの像は、室町時代に製作されたもので、中津川行者堂にあるものだとのことですが、中津川行者堂には、これとは別に、本尊としてもっと大きな役行者および前鬼と後鬼(役行者1mくらい、前鬼と後鬼は60cmくらいの高さ)が安置されていたそうです。ところが、2010年8月に本尊の役行者像および前鬼と後鬼が盗まれました。和歌山県では、2010年から翌年春にかけて、山間部にある小さなお堂を中心に、仏像などの文化財が盗まれる事件が警察に届けられたものだけで60件もあり、盗まれた文化財は260点以上もあったそうです。なんともひどい話です。2011年4月、一連の盗難事件の犯人が逮捕され、役行者像は見つかりましたが、前鬼と後鬼はまだ戻ってきていないそうです。地元のお堂で役行者像やその他の文化財を安全に保管するのは難しいということで、現在はすべて和歌山県立博物館に避難させています。そして、現地のお堂にはレプリカの役行者像と前鬼と後鬼を本尊として安置しているとのことです。
 ・不動明王像脚部:長さ10cm余の、本当に脚の部分だけのレプリカです。左脚で、足首から先が斜め下に向いていて、地を強く踏もうとしているような感じです。脚部の長さから考えて、坐像ということですから、全体の高さは30cm以上はあったのではないでしょうか。実は、1990年に中津川行者堂にあった阿弥陀三尊像や不動明王坐像など仏像6体が盗まれたそうです。その時、お堂には不動明王坐像の脚部だけがころがっていたとのことで、触ったのはそのレプリカだったのです。胸のいたむ話です。
 ・牛馬童子像・牛馬童子像頭部:実物大の大きさで、高さは60cm弱くらいあり、手前に馬、向こう側に牛が並び、その2頭の上に頭巾をかぶった人(修験者)が乗っています。石造だということです。熊野古道の中辺路(田辺市中辺路町)の箸折(はしおり)峠の路傍にあるもので、ちょっと変わった姿ですし、地元の人たちにも愛好されているそうです。明治時代に作られ、花山法皇(10世紀)の熊野詣の姿を表わしているものと言い伝えられているそうです。ところが、2008年6月18日、この牛馬童子像の頭部が折り取られて無くなるという事件が起こりました。田辺市の職員や住民が付近を捜しましたがけっきょく見つからず、彫刻家に依頼して同じ石材(砂岩)で頭部を復元(復元にさいしては、和歌山県立博物館で牛馬童子像のレプリカを作った時の型枠を参考にしたそうです)してもらい、同年10月3日に胴体にその復元した頭部を取り付けたそうです。その後、2010年8月16日、約11km離れた田辺市鮎川のバス停のベンチで頭部が発見されたとのことです。その折り取られた頭部のレプリカもありました。直径6〜7cmくらいのころんとした感じで、首の所でやや斜めに切断されています。
 ・阿弥陀如来立像:これは触図録だけに掲載されていて、レプリカによる展示はなかったものです。2011年9月の台風12号により、那智勝浦町も甚大な被害を被りました。丹念な捜索のなかで、泥まみめのばらばらになった仏像の破片が多数発見されました。100点ほどの仏像の破片は和歌山大学に運ばれ、学生たちも協力して丁寧に泥を洗い落とし、復元されたのがこの阿弥陀如来立像で、西山地区のお堂に安置されていた像だったそうです。足先から、手、頭までほぼ全体が復元されていて、高さは50cm余だということです。触図だけでは全体像はやはりとらえにくいので、そのうちレプリカも製作してもらえればと思います。さて、復元の過程で仏像本体を詳しく調べてみると、体の中から古文書1通と毛髪を入れた包紙2つが出てきたそうです。
 
●『文化財の魅力発見!−歴史を守り伝える−』
 この触図録には、以下の女神坐像とともに、上で紹介した滝尻金剛童子立像と菩薩形坐像が掲載されています。そして、各像についてその頭部が拡大図で示され、顔の特徴なども詳しく解説されています。
 ・女神坐像(丹生明神坐像):高さ40cm余の木像で、13世紀初めころの製作だということです。全体に頭部が大きく、顔はやや縦長で触ってきれいです。髪は高く束ねられ、前と左右に大きな花飾りの付いた冠をかぶっています。両手は胸の前で重ねるようにしているようですが、衣の袖に隠されて手先は分かりません。この女神坐像は三谷薬師堂にあったものですが、明治の初めまではすぐ近くの丹生酒殿(にうさかどの)神社に祀られていたようで、水銀産出に係わる神で高野山の地主神でもある丹生明神を表わしたものだそうです。(丹生酒殿神社は丹生都比売(にうつひめ)神社と密接な関係があり、その摂社となっていた時期もある。なお、丹生は、丹=赤い土≒水銀を産する地の意で、「丹生」の地名は各地にある)。この木造の女神坐像の表面には土がこびり付いているそうです。また、三谷薬師堂には、この女神坐像と同時に作られた少し小さな神像も2体あり、この2体の神像と大きさも形もほとんど同じ銅製の神像が見つかっているそうです(個人蔵)。この女神坐像も、銅製の像を鋳造するさいの雌型として作られた木型で、それが祀られるようになったものだということです。
  この女神坐像のほかに、三谷薬師堂にあった男神坐像や童子形神坐像が、10点くらい展示されていました。いずれも女神坐像よりはかなり小さくて触っては細かい所まではよく分かりませんでしたが、中にはちょっとかわいいなと感じられる像もありました。また、この中の2点については、檜製の像も作られていて、私は樹脂(FRP)製のレプリカと檜製のレプリカを何度も触り比べてみました(檜のほうが造りがややラフな感じがしますが、触った感じはクリアですし、なんといってももともと木造の像ですので、触り心地はだいぶいいです)。なお、博物館では、これらのレプリカを2組作成していて、1組は三谷薬師堂に安置し、1組を展示用としています。
 
●おわりに
 今回の記念展示は、2010年から和歌山県立博物館が継続して行ってきた、レプリカと触図録を使って、視覚障害者も博物館の展示資料にアクセスできるようにする試みを一挙公開するものでした。
 これまでも美術館や博物館でしばしば視覚障害者のための取り組みが行われてはきました。その中には、1回限り、ないし数回程度の短期で終わってしまう例もあります。まずなによりも、和歌山県立博物館のように、継続し蓄積し深化させることが大切だと思います。
 レプリカや触図録は視覚障害者のために作成したものですが、レプリカは見える見えないに関係なくだででも触ることができますし、また、ふつうの文字や写真も一緒に印刷されている触図録の解説は、平易かつ簡潔で、これまただれが読んでも分かりやすいもののようです。和歌山県立博物館では、これらのレプリカや触図録を常設展示にも配置していて、障害や年齢とかに関係なくだれでも利用できるようにしています。
 さらに、レプリカの作成は、触る展示資料としてだけでなく、文化財の保存という観点からも、大いに価値のあることが分かってきました。盗まれて行方知れずになってしまった文化財、あるいは盗難や災害等で被害を受ける可能性のある重要な資料について、レプリカを2組作成し、1つは現地に置き、もう1つを展示用として使う(原資料は安全な博物館などに保管)するという方法が、和歌山県では定着しつつあるようです。博物館の大きな役割は、文化財をより多くの人たちのために公開することと安全に保管・保存することだと思います。レプリカは、その両方の役割を担うことができることが、今回の記念展示でよく分かりました。レプリカを使って、文化財の保存と、より多くの人たちに文化財へのアクセスの機会を提供するという、和歌山県で行われているような手法が、全国の博物館に着実に広がっていくことを期待しています。
 
(2014年12月31日)