5月21日、高槻で活動しているTKK(高槻公害問題研究会)の定例の自然観察会に参加しました。会場は西宮市貝類館で、午前は学芸員の渡部哲也さんに貝類館の案内をしてもらい、午後1時過ぎから、西宮市貝類館顧問で2年ほど前まで大阪市立自然史博物館の館長をなされていた山西良平先生の「大阪湾の環境と多様な生物相について」という講演を聴講しました。また、5月28日には、大阪市立自然史博物館で開催中の特別展「石は地球のワンダー 〜鉱物と化石に魅せられた2人のコレクション〜」に行き、少しだけですが大阪湾関連の貝に触りました。
西宮市貝類館には、もうだいぶ前になりますがこれまでに2回行ったことがあって(
貝類館訪問記)、今回が3回目です。「みて、ふれて、きいて」をテーマに1999年に開設された貝類専門の博物館です。ただ貝を展示するだけでなく、海産の一部の貝は直接手に取って触ることができますし、巻貝を耳に当てて〈海の音〉を聞くことができます。また、法螺貝を実際に吹いてみることもできます(なんとか音が出ました)。
入口近くでは世界最大の二枚貝・オオジャコガイ(大きさは1mほどもあり、両方の殻を合せると200kg以上もあるとか。浴槽を連想しました)が出迎えてくれ、また近くには世界最大の巻貝・アラフラオオニシ(長さ60cmくらいもあり、口が大きくあいている。オーストラリアとニューギニアの間のアラフラ海が産地)も展示されています。その他、以前にも触ったことのあるいろいろな貝を思い出しながら触りました。 ショウジョウガイ(直径15cm近くもあり、多くの長い鋭い棘が連なっている。鮮やかな橙色?で、猩猩の色に似ているところからの命名)やクロアワビ、ボウシュウボラなど、今回新たに触ったものもあります。ハチジョウダカラガイ(八丈宝貝。子安貝とも言われる)が、幼貝から成貝まで、4個並べて展示してあって、これはなるほどなあと思いました。幼貝では、殻は薄くて口は開きかげんで、殻表触った感じもさらさらしていて、ふつうの巻貝と似たようなものです。それが、成長するにつれ、殻が厚くなって開口部が狭くなり、殻表の手触りもつるつるした部分が増えて行きます。これは、成長とともに、殻表を外套膜が被いはじめ、その分泌物で殻が厚くなり、つるつるした手触りの、きれいな光沢の殻になってゆくからです。
学芸員の渡部さんの案内では、西宮市の地形の特徴などとともに、大阪湾ではごく少なくなった自然の海岸である、夙川河口の香露園浜などで見られるようになった生物の話が面白かったです。
まず、ハクセンシオマネキ。シオマネキというと、私は実物は触ったことはありませんが、何度か木彫で作ったことがありますので、あの片方のハサミだけが大きな姿をすぐ想像します。ハクセンシオマネキは、せいぜい2cmくらいで、シオマネキよりだいぶ小さいようです。雄の片方のハサミ(私はなんとなく右がふつうかなと思っていましたが、左右どちらも同じくらいの割合だろうということです)が極端に大きく、雄はそれを繁殖期に大きく振って雌に求愛行動をするとか。白い大きなハサミを振り上げている姿が、白い扇子を振って潮を招いているように見えるところから「白扇潮招」と呼ばれるそうです。雄の片方の大きなハサミは採餌には役立たず、雌が両方のハサミで砂泥中から細かい餌をすくい取るようにしているのにたいし、雄は片方の小さなハサミだけで同じことをしているそうです(でも、雄はせっせと小さなハサミを動かして、食べる速さは雌と変わりないとか)。ハクセンシオマネキもシオマネキも、今は絶滅危惧種になっているそうです。
* カニと言えば、私は小さいころ春になって雪が溶けると、兄と一暑にサワガニを泥中から掘りに行きました。はさむ力はけっこう強くて痛かったことを覚えています。サワガニも片方のハサミがやや大きくて、たぶん右のハサミが大きかったように思います。なお、シオマネキなどふつうカニは卵から無数ともいえる幼生が出てきますが、サワガニは数十個産卵し直接稚ガニになって、10日ほどは母ガニが腹に抱いて稚ガニを守っているそうです。
次に、コウロエンカワヒバリガイ。香露園という名の付いた唯一の生物だそうです。1980年ころ、ある女子高校生が香露園浜で見慣れない貝を見つけ、菊池典男氏*が、カワヒバリガイの亜種 Limnoperna fortunei kikuchii として登録、発見地にちなんでコウロエンカワヒバリガイと命名したそうです。ところが、似たような貝が同時期に関東から西日本の都市近郊のあちこちの海岸で見つかっており、よく調べてみると、コウロエンカワヒバリガイもふくめそれらはオーストラリアからニュージーランドあたり原産の学名 Xenostrobus securis と同種であることが分かったそうです。和名は今もコウロエンカワヒバリガイのままだとのこと。コウロエンカワヒバリがいは、イガイ科の二枚貝で、大きさは3cm弱くらい、河口や内湾の潮間帯にしばしば集団で生息し、要注意外来生物に指定されているそうです。イガイ科の外来生物と言えば、ムラサキイガイ(ムールガイ)が有名ですね。外来種と言うと、どうしても日本での被害のほうが頭に浮かびますが、日本産のワカメやヒトデなどはアメリカやヨーロッパの海では無敵で、その圧倒的な繁殖力でひどい被害を与えているそうです。東日本大震災の時も、三陸海岸から流出した浮き桟橋などがアメリカの海岸に漂着し、外来生物の侵入を恐れてその処理に奔走したなど、渡部さんのお話は多岐にわたりました。
* 菊池典男:1915〜2013年。西宮生まれ。歯科医師で、元西宮回生病院長。貝の著名な収集家で、菊池貝類館(1984〜2010年)を設立して貝のコレクションを展示し、また「阪神貝類談話会」を設立するなど、貝の魅力を多くの人に伝える活動に尽力。没後、遺族より2015年2月、約1万8千点の貝類標本(すべてにデータラベルが付いている)が西宮市貝類館に寄贈される。(私は2009年5月31日と6月20日に菊池貝類館を訪れ、菊池先生の奥様に丁寧に説明してもらったことがあります。)
ちょっと横道にそれますが、5月28日に行った大阪市立自然史博物館の特別展「石は地球のワンダー 〜鉱物と化石に魅せられた2人のコレクション〜」では、予想通り触れられる物はまったくありませんでしたが、北川隆司鉱物コレクションと金澤芳廣化石コレクションは目をみはるような素晴らしい展示のようでしたし、また同時に展示されていた、日本地質学会が選んだという、全国47都道府県の岩石・鉱物・化石の展示は、説明文を読んでもらって楽しむことができました。この47都道府県の石については、
県の石で詳しい説明を読むことができました。とはいっても、まったく触られるものがないのはやはり残念だなあと思いつつ帰りかけていたら、大阪湾の貝にさわる、というような表示があって、近くに行ってみました。引き出しの中にいくつか名前のラベルのない貝が入っていて、それを上に展示してある写真と照合して名前を特定するようになっているようです。でも、触った貝と写真がうまく合わないようです。問い合わせてみると、貝担当の学芸員の方を呼んでくれて、少し解説してもらいました。
私が触ったのは、カラスガイ、イシガイ、ウチムラサキ、マガキでした(その他に小さな巻貝も数種あった)。私がこれまで触った貝はほとんどが海産で淡水産の貝にはあまり触れたことはありませんでしたが、カラスガイとイシガイは淡水産でした。カラスガイは殻長(前後幅)15cm余、殻高(背腹幅)10cm弱の長卵形の大きな貝で、2枚の殻を合せると厚さが5cm余もあり、後ろのほうがややとがっています。殻の表面は大部分皮に被われていて、色は黒くて、烏貝という名はたぶんそれからきているのでしょう。琵琶湖など湖沼の砂泥中に生息しており、琵琶湖付近ではこのカラスガイをメンガイ、イケチョウガイをオンガイと呼んでいたとか。殻のひろがった先のほうは皮はほとんどなくて、成長線が2、3本確認できました。殻の内面はきれいなようで、調べてみると、中国ではこの貝の殻と外套膜の間へ小さな仏像の型を入れて真珠層で覆わせた仏像真珠をつくったとか。イシガイは、殻長5cm余、殻高3cmくらいで、形はカラスガイを小さくしたようなものでした(調べてみると、カラスガイもイシガイもイシガイ科でした)。
ウチムラサキは、殻長6〜7cmくらい、殻高はそれより少し低いくらいで、殻はずんぐりと厚い感じです。殻の表面は肋が顕著で筋張った感じですが、殻の内側はつるつるで、色は小紫できれいなようです(内紫という名はここからきている)。殻の内側の背のほうの内面に、貝柱が取れたようなざらついた痕が前後に長くついていて、これは、幼貝から成長するとともに、貝柱が前から後ろのほうに移動していった痕だということです。内湾の潮間帯の砂泥中に生息し、バター焼きなどにしてよく食べられ、オオアサリなどとも呼ばれるそうです。
午後の山西良平先生の「大阪湾の環境と多様な生物相について」という講演は、身近な大阪湾について基本的なことをよく理解できてよかったです。その時に配布された墨字資料をテキストにしてもらいましたので、それを参考に以下にまとめてみます。また、同じく山西先生の第13期自然環境市民大学修了式・公開記念講演会
大阪湾の環境と生物相も参考にしました。
大阪湾は、淡路島北岸と、兵庫県西部から大阪府・和歌山市にかけての沿岸に囲まれた内湾で、瀬戸内海の東端に位置します。外海とは、紀淡海峡(淡路島の北西端と和歌山の間、幅11km)で紀伊水道さらには太平洋につながり、明石海峡(幅3.6km)で播磨灘(瀬戸内海)につながっています。潮流は、上げ潮時は、紀伊水道を北上して紀淡海峡から大阪湾に入り、明石海峡から播磨灘に向います。下げ潮時は、これとは逆の流れになります。潮の満ち引きは1日に2回繰り返されるので、潮流もこれに合わせて向きを変えます。潮流の速さは 1ノットを越える時もあります。また湾奥では、淀川をはじめ36本の河川から毎秒約300立方メートル(年間では約9立方キロメートルになり、大阪湾全水量の約2割になる)の大量の河川水が流入しています。
大阪湾は、南西の淡路島側から北東の淀川河口に向って長い楕円形をしていて、南西−北東の長径が約60km、北西−南東の短径が約32km、面積約1450平方キロメートル、平均水深約28m、全水量約44立方キロメートルです。南西の淡路島側は、潮流により削られまた海底には泥が溜まらずに砂礫になり、水深は30〜70mと深いです(海峡部はさらに削られて100m以上の水深になっている)。北東の淀川河口側は、河川から運ばれる土砂が堆積しまた流れもゆるいので、水深は20m以下です(水深10m以下のかなりの部分は今は埋め立てられている)。大阪湾には、紀淡海峡と明石海峡の間の潮流とともに、海底地形や河川水、卓越風などの影響で、恒流と呼ばれる時計回りの流れがあるそうです。また、湾奥の東岸では、川からの水の流れの力で紀淡海峡からの潮流が曲げられているそうです。
湾について、その湾の海水の交換の程度を示す閉鎖度指標*というのがあります。湾口の幅が湾の面積に比べて小さく、また湾口の水深が湾の最大水深よりも浅いほど、この指標が高くなり、海水交換が悪く富栄養化のおそれがあるとされています。水質汚濁防止法では、この値が1以上である海域を排水規制対象としています。大阪湾の閉鎖度指標は2.61でかなり高いです。有明海は12.89と非常に高く、陸奥湾や東京湾、伊勢湾などは1以上、富山湾や駿河湾などは1以下です。
* 閉鎖度指標=(√S/W)×(D1/D2) S: 湾の面積(km^2)、W: 湾口幅(km)、D1:湾の最大水深(m)、D2:湾口の最大水深(m)。
閉鎖度指標と用語 大阪湾の場合は、S:1450、W:3.6+11.0、D1:100、D2:100
次に、大阪湾の歴史についてです。大阪湾の元になる凹地ができはじめたのは約300万年前でそこに海が初めて入ってきたのは約120万年前です。以降、氷期・間氷期が繰り返されるごとに、この地は海になったり陸になったりしていました。約2万年前の最終氷期の最寒冷期には海面は今より約120mも低く、大阪湾だけでなく瀬戸内海もすべて陸地になっていました。その後、気候が暖かくなって海面が上昇し、陸地となっていた瀬戸内地域にも太平洋側の外海から豊後水道あるいは紀伊水道を通じて海が北上してきて、8000年前ころには今のような瀬戸内海および大阪湾のような形になってきました。その後も海面の上昇は続き、5500〜6000年前には海面が今より2〜3m高くなり、大阪平野の奥深くまで海が広がり、上町台地や生駒山麓のすぐ近くまで海が入ってきました(縄文海進)。その後、海面の低下や河川からの土砂の堆積により陸地が広がり、2500年前ころに現在と同じような地形になりました。さらに、近世からはあちこちで埋め立てが行われ、とくに戦後には、神戸ポートアイランド、六甲アイランド、大阪北港の舞洲・夢洲、南港の咲洲、堺・泉北臨海工業地帯、1994年に泉州沖に関西国際空港、2006年にポートアイランド沖に神戸空港などが次々に造成されました。これらの埋め立て地のほとんどは水深10m以下の浅海ですし、海岸もほとんどが護岸になっており(自然海岸は1%くらいで、三崎町から和歌山市の加太にかけて残る。香露園浜などは半自然海岸)、大阪湾岸の生態系は大きな影響を受けました。
次に、大阪湾の海の中の様子についてです。まず、大阪湾には、紀伊水道から紀淡海峡を通って、塩分の高い貧栄養の外洋水が流れ込み、また湾奥の河川からは、有機物の多い富栄養の大量の淡水が流入しています。性質を異にする外洋水と河川水のいわばせめぎあいの場になっています。塩分濃度は、淀川河口を中心とする湾奥部分から南西方向に離れるにしたがって上昇し、外海の数値に近くなります。また、有機物量の目安であるCOD値(chemical oxygen demand: 化学的酸素要求量。単位は、ppmまたはmg/l)の水平分布は、塩分濃度とは逆に、湾奥が高く紀淡海峡に向って低くなっているようです(大阪湾は瀬戸内海の中ではCOD値が一番高い領域です)。
河川水は海水よりも比重が小さいので、海に流れ込んだ河川水は下層の海水とは混じりにくく、表層を拡がってゆきます。このため、気温の高い夏の大阪湾では、高温・低塩分の表面層と低温・高塩分の底辺層の上下2層に分かれ、成層構造になります。寒い季節には、表層の水が冷やされて比重が大きくなり、季節風の影響などが重なって上下の混合が進み、成層構造は解消します。成層構造が発達する夏の時期には、表層水に溶け込んだ空気中の酸素が低層に届かず、海底付近では酸素欠乏の状態になることがあります。また大阪湾岸には、埋め立て地造成のために近くの海底を掘削して土砂を得ていて、あちこちに掘削による窪地があります(そのような窪地は21箇所あるとか)。そのような窪地に溜まった水塊は表層水と混じることなく、酸素の極めて少ない貧酸素水塊の温床となり、しばしば青潮(苦潮)*の被害ももたらすことになります。(泉佐野から西宮を結んだ線より北側が貧酸素の状態になりやすいそうです。)最近は水質はよくなってきましたが、貧酸素の状態は改善されておらず、人工的な窪地を埋め戻す必要があるとのことです。
* 青潮(苦潮):台風や強風のために岸辺の表層水が沖へ運ばれると、沖合の海底にあった貧酸素水塊がこれを補う形で海岸付近にわきあがることにより引き起こされる現象。海面が白濁した青または緑に変色し、魚介類を大量に酸欠死させる。貧酸素水塊は、人工的に掘削した窪地に溜まるほか、生活排水などの流入で富栄養化した海で大量のプランクトンが生まれ、その死骸が海底で分解される際に水中の酸素を消費することで発生する。貧酸素水塊による被害は、大阪湾では2002年に初めて報告があったそうです。なお、苦潮は、漁師の話によれば、むかしから(戦後間もなく?)見られたとのことで、そういう時は酸欠死したイワシをバケツでとったとか。
大阪湾には、外洋の暖かい海の生物、閉鎖的な内湾に適応した生物、湾奥の河川の河口近くで低塩分や冬の寒さにも適応した生物など、豊かな生物相が見られるようです。また大阪湾には、窒素やリンもふくめ栄養塩類を豊富に含んだ多量の河川水が流れ込んでいて、魚介類の生息にはとても良い環境です。しかし、生活雑排水や工場排水などが混じって汚濁した河川水が海に流れ込むと、栄養塩類が多くなり過ぎ(富栄養化)、プランクトンが大量に発生し、その死骸が分解されずに有機物が溜まり、酸素が欠乏して有害な菌やガスが発生したりして、夏場を中心に赤潮が多発するようになります。海水や海底に含まれる有機物量のめやすとされるCOD値は、排水規制や下水道の普及などにより、大阪湾でも1960年代から1980年代まで減少してきましたが、その後は横ばい状態が続いていて、湾奥部では依然として5mg/l(5ppm)を超えることがあり、十分に改善されたとはいえない状態だということです。(赤潮それ自体は、とくに汚染が進んでいない状態でも、条件が整えばしばしば自然に発生する。)ただ、瀬戸内海の一部では、栄養塩類が少くなって、魚が少なくなっている所もあるという漁師さんの話もあり、うまくバランスを取らなければならないようです。
人工の干潟や砂浜や岩礁などがそこここにつくられ、また調査も丁寧に行われているようです。自然海岸のモニタリング調査が1980年から128回行われ、918種が確認され、中には貴重種や新種(マメアカイソガニ。2010年に和歌山市加太の紀淡海峡に面した田倉崎で確認)も見つかっているそうです。2008年からの調査でも、約700種中100種が貴重種だったとか。(講演では、具体的に場所や生物名がいろいろあげられていましたが、正確にノートできませんでした。)
最後に、会場からの質問で話題になった貝毒とイカナゴについてちょっと紹介します。貝毒は、貝そのものが毒を持っているのではなく、アサリやカキなどの二枚貝が毒素を持った特定の植物プランクトンを食べ、その毒が貝の体内に蓄積するために起きるものだとのことです(大阪湾で発生しているまひ性貝毒はアレキサンドリウム・タマレンセというプランクトンが原因)。日本では国の定める貝毒の規制値を超えた貝類は出荷規制されているため、市場の貝は安心してよいとのこと。また最近、とくに阪神間の人たちが楽しみにしているイカナゴが不漁になっていることについて、温暖化で海水音が高くなり、これまでよりも早く夏眠をするようになったからだろうということです。イカナゴは、水温の高い夏の間海底の砂にもぐって夏眠をする変った魚なのですね!瀬戸内海では、水温が19℃に達する6月に、イカナゴの大群が一挙に貝殻混じりの砂中にもぐり込み、仮眠中は餌を食べず、秋になって水温が下がると砂中から出てきて再び餌を食べるようになるそうです。海水音が高くなり、5月くらいから夏眠しているのでは、ということです。(もちろん、生息に適した海底の砂地が減少していることも関係しているとは思います。)
以上長くなってしまいましたが、大阪湾についてまとめてみました。大阪湾の中の構造やダイナミクスがちょっと分かったような気がします。今年7月からは大阪市立自然史博物館で、第48回特別展「瀬戸内海の自然を楽しむ −生き物のにぎわいとその恵み−」が開催されますので、これにも行ってより理解を深めたいと思っています。
(2017年6月5日)