福島への旅――宇宙と歴史にふれる

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 最近、まだ極たまにですが、視覚障害者のためのプラネタリウムの上映会が行われるようになりました。宇宙は、視覚障害者にとってもっとも実感しにくいもの、遠い存在と一般には思われていて、その宇宙を視覚障害者にもなんとか感じ取ってもらえるようにといくつかの試みがなされています。私の知る限りでは、さいたま市宇宙劇場(主に音の動きや臨場感ある効果音を使ったようです)や山梨県立科学館(副音声による解説と点図を使っているようです)、そして今回私が行った福島市のこむこむ(福島市子どもの夢を育む施設)の試みがあります。
  昨年末、偶然にネット上のニュースで、こむこむが視覚障害者用の番組作りをしていて、今年1月には盲学校の生徒たちを招いて上映会をすることを知りました。早速連絡をしてみると、2月15日に一般公開をするとのこと、それに合わせて福島行きを計画しはじめました。
  プラネタリウムの上映は1時間弱のようですので、こむこむの科学系の常設展示も見学し、さらに午後からは近くの「ふれあい歴史館」にも行っていくつか体験もしてみることにしました。(このように適当な博物館を探すときは、私が以前作った「見えない人たちにも利用しやすい全国ミュージアムリスト」 が参考になります。)
  経費節約のために、大阪から福島へは高速バスを利用することにしました。そして乗り心地がまあまあ良かったので、結局帰りも高速バスを利用したので、車中2泊という、強行な一人旅になりました。
 
  こむこむは福島駅から歩いて5分くらいの所で、9時過ぎには到着しました。開館は9時半ですが、すでに10人以上が開館を待っていて、よく利用されている施設であることがうかがえます。1階には子どもライブラリー、4階には常設展示室とプラネタリウムがあり、各種のイベントやワークショップなどを行っているようです。
  視覚障害者用の番組「Feeling Planetarium〜冬の星空から宇宙を見つめるは10時40分から入場開始ということでしたので、それまで常設展示室を係の人の案内で見学しました。場所は狭いようですが、所狭しと多くの展示アイテムがよく整理されて配置されていました。参加体験型の物も多く、回りではあちこちで子どもたちが遊びながら楽しんでいるようです。全体が斜めに傾いた部屋やボールプールは、私も楽しく体験できました。月の重力体験装置もあり、実際に飛び跳ねて軽くなったことを体感できるようですが、これは1日数回に時間が限られており、その時間がちょうどプラネタリウムの上映時間と重なっていて体験できず、とても残念でした。
  その他、すべてガラスケースの中なのですが、動物の剥製、昆虫の標本、鉱物・岩石・隕石・化石などの標本もありました。私がとくに鉱物や化石など多数収集しているというようなことを話すと、鉱物専門の方を呼んで来てくださり、福島県産の灰重石(タングステン鉱物)の尖ったきれいな大きな結晶に触れることができました。その他、白雲母や黒雲母にも触れましたし、ガラスケースに空いた小さな穴から指を入れて、両前脚を伸ばしてクルミを持っている、高さ15cmくらいのかわいいリスの剥製にもちょっと触れて、イメージすることができました。常設展示では実際に触れたり体感できるような物はそんなに多くはありませんでしたが、スタッフの対応はとても丁寧で、十分に満足できました。
 
  常設展示見学後、プラネタリウム会場に行ってみるとすでに入場待ちの人たちがかなり並んでいました。120席ということでしたが、たぶん7割くらいは埋まっていたように思います。見えない人たちは音響の関係上中央近くの特定の席に案内され、私の隣も地元の見えない方でした。その方の話によれば、地元の視覚障害者が団体で40人ほど来られているとのことでした。大部分が団体らしく、私のような個人参加は少ないようでした。もちろん、親子連れなど一般の方々も参加していました(近くに子どもがいましたが、解説が多いためなのか内容のせいなのか、しばらくすると厭きている様子でした)。
  視覚障害者にはエーデルで描かれた点図が配られ(60部用意したそうです)、また10部だけですが、プレアデス星団の拡大写真を元に、布や綿やビーズなどを使って星やその回りのガス雲の様子を手作りで表現したものも配られました。
  上映はスタッフの解説とともに進められました。まず初めに福島市の夕暮時の空が投影されているようで、福島周辺の配置が説明されました。そして、街明かりのある星空と街明りのない星空が投影され、それは点図でも比較できるようになっていました。街明かりのある時は星が10数個まばらにあるだけなのに、明かりがない状態では点図でもおそらく数百個の星が連なっていて、その中には星座らしき形をたどれそうな部分もありました。明かりのある時とない時との点図による比較は、私の回りの人たちもよく納得していたようでした。
  時間とともにオリオン座が見えてきたようです。点図では、1等星のベテルギウスとリゲルは5mm余の円で、その他の5つの星(ベラトリクス、中央の三星、サイフ)は大きな点で示され、それらの星は小さな点の線で結ばれていました。また、中央の三星の下には、小さな点でオリオン大星雲が描かれていました。点図の次のページは、大きく描かれたおおいぬ座です。全体として本当に犬のような形になっていて、全天でもっとも明るいというシリウスが、3角形の頭部の口に当たる部分に位置していることもよく分かりました。さらにその次のページには、位置関係がよく分かるように、右上にオリオン座、左下にオオイヌ座が描かれていました。(ただし、前のページではおおいぬ座は横向きに大きく描かれていたのにたいし、このページではおおいぬ座は立ち上がるような姿勢で縦に描かれており、方向が90度変っているため同じおおいぬ座であることが触ってすぐには分かり難くかったです。)
  次のページでは、右にオリオン座、左にこいぬ座が描かれていました。こいぬ座は、星座といっても、下に1等星のプロキオンがあり、その上に1つ星(3等星のゴメイサ)があるだけで、その2つは線で結ばれていましたが、ただの棒としか思われませんでした。
  次のページは、見える人たちにはおなじみの「冬の大三角」です。しかし、このページの点図は以前に行った盲学校生徒等を対象とした上映会では分かりにくいと不評だったようで、解説は無しでした。右上にオリオン座、左上にこいぬ座、左下におおいぬ座がはっきりと描かれ、オリオン座のベテルギウス、こいぬ座のプロキオン、おおいぬ座のシリウスが大きな点の線で結ばれていて、私にとってはとても分かりやすく、なるほどと思える図でした。この図では星座の形を示す線と冬の大三角を示す線が混在し、また右下に注が書かれていたりして、点図に慣れていない人には分かりにくいでしょう。まず、星座の形は省いて、ベテルギウス、プロキオン、シリウスを結んだ三角形だけを示し、その次のページに星座の形も入れたこの図を示すようにすれば良かったと思います。
  次のページでは、左下にオリオン座、その右上におうし座が描かれていました。オリオン座の三星から右に矢印が伸びていて、おうし座の右目に当たる所にある1等星のアルデバランに向っています。アルデバランからは、左上にV字型に2本の角が伸びていて、その右の角の先当たりには、小さな点の集まりでかに星雲が示されていました。かに星雲は超新星残骸(ですからもちろん今は肉眼では見えません。中国の天文書によると、この超新星は1054年7月4日に出現し、1056年4月5日に消えたそうです)として有名で、名前だけは知っていましたが、このような位置にあることはこの点図で初めて知りました。さらに、おうし座の肩に当たる部分には、これもまた名前だけしか知らなかったのですが、6個の大きな点の集まりで示されたプレアデス星団(日本名はすばる)があります。そしてこのプレアデス星団の拡大写真を点図化したものと、布や綿やビーズを使って表したものとが用意されていました。点図化したものよりも、布などで手作りで表したもののほうが、星の回りのガス雲の様子がよくイメージできて良かったです。
  点図を使用した解説はこれで終わりです。解説にもありましたが、オリオン座を中心に、おおいぬ座、こいぬ座、おうし座の点図を合わせてみると、狩人オリオンが、おおいぬ座とこいぬ座の猟犬を連れて、おうし座に対峙している図をイメージすることができました。
  なお、星座を音で表現しようとも試みられていました。オリオン座を構成する各星には特定の音が割り当てられ、オリオン座はそれらの音を連ねた短いメロディで表現されます。オリオン座が東から西に時間とともに動いていく様子もこのメロディの動きで分かりました。その他、おおいぬ座とこいぬ座は犬の鳴き声、おうし座は「もーもー」という鳴き声で表現していました。
 
  この後、オリオンとプレアデスについてのギリシア神話が、朗読で紹介されました。(この朗読はかなり単調で、話からつい注意が逸れてしまいそうになりました。)その話のあらましは次のようなものです。
 
   その昔、天を支えているアトラスという巨大な神に七人の娘がいました。彼女たちは人まとまりにプレアデスと呼ばれ、月と狩りの女神アルテミスに仕えていました。
   プレアデスたちは狩りが好きで弓矢を持っていつも野山を駆け巡っていました。ある日の美しい夜のこと、いつものように森で7人が陽気に歌ったり踊ったりしていると、突然一人の大男が棍棒をふりかざして「おれも仲間に入れてくれ」と踊りの輪の中に飛び込んできました。
   この大男はオリオンという狩人でした。オリオンは楽しそうに踊っているプレアデスを見ているうちに彼女たちの美しさの虜になってしまったのです。でも、プレアデス7人姉妹はいきなり森の中から大男が現れたので一目散に逃げ出してしまいました。しかし、プレアデスの虜になってしまったオリオンは、しつこく彼女たちを何と5年間も追い掛け回したのです。
   必死に逃げ回っていたプレアデスは、ようやく女神アルテミスに助けを求めます。すると、アルテミスは彼女たちを着物の裾に匿いました。追いかけてきたオリオンは、さすがに女神が相手ではどうすることもできず諦めて帰っていきました。こうして、アルテミスがオリオンを追い払い、「さあ、出ていらっしゃい。」と着物の裾を拡げると、なんと中から出てきたのは、娘たちではなく7匹の鳩でした。いつの間にか姉妹は鳩に変わってしまっていたのです。
   それから鳩たちはそのまま大空に飛び去って行きました。これを哀れんだゼウスは彼女たちをおうし座の一角で星団にしました。これがプレアデス星団です。
   しかし星になってもオリオンは相変わらず彼女たちを追い掛け回しているので、おうしがプレアデスを守っているというわけです。
   (ところで、プレアデスは七人の姉妹ですが、通常肉眼で見える星は6つだけです。それは、7人のうち1人だけ人間の妻になったメローペが、ほかの姉妹のように神の妻でないことを恥じて顔を隠しているためだと言われています。
 
  朗読の後は、「我々は星から生まれ星に帰る」というようなテーマで上映と解説が続きました。
  星は永遠のものではなく、星の中には、かに星雲のように、大爆発してその一生を終えるものもあります。星の最後の大爆発の様子も投影されていましたが、音響ではほとんどそれらしく感じることはできませんでした(1点から放射状に広がっていく様子が音でも示されればと思いました)。
  我々も、元素レベルで考えれば、別の星で作られた元素を基に作られています。その我々、我々の住んでいる地球も、50億年後には膨張してきた太陽に飲み込まれ、その太陽もやがて死を迎えてその物質の一部は宇宙空間に拡散して行き、それは別の星の誕生に使われるかもしれません。現に、オリオン座のオリオン大星雲やおうし座のプレアデス星団では、濃いガス雲の中で次々に新しい星が生まれています(この時の音響は、ごぼっごぼっというような水音のようで、なにかの誕生の雰囲気を感じることができました)。
  こうしてみると、「我々は星から生まれ星に帰る」ということができる――というようなお話でした。
 
  これで上映会は終わり、その後、まったく予想していませんでしたが、プラネタリウムの装置の説明がありました。全天に見える無数ともいえる星たち(このプラネタリウムでは13万個と言っていました)は、直径わずか1cmほどの700ワットの強力な2個の電球(南の空用と北の空用)が光源になって映し出されていることには驚きました。電球からの光は、小さな穴の多数空いた星の原版を通り、あちこちにあるレンズで調整されたりして、夜空に繰り広げられる天文ショウが投影されているだろうことがなんとなく想像できました。
 
  私は、視覚障害者用のプラネタリウム上映会に参加したのは今回が初めてでした(ずっと以前に一般のプラネタリウムには2度ほど行ったことはありますが、すぐに眠ってしまいました)。今回は、点図と解説により、冬の夜空を私なりにかなり具体的にイメージし楽しむことができました。できることなら、春の星座、夏の星座、秋の星座も上映してほしいものです。
 
  その後、こむこむのスタッフの方と感想や希望などについて少しお話しし、その方の案内でこむこむを出ました。駅に向い昼食をとり、駅から歩いて10分ほどのふれあい歴史館に、回りの人たちに何度か道を尋ねながら行きました。
 
  ふれあい歴史館は、2階立てのそんなに広くはない建物のようです。市民等からの寄贈資料・寄託資料や近くの宮畑遺跡(縄文中期から晩期まで(4500〜2500年前)の3つの集落の複合遺跡)等の考古資料を保存し展示するとともに、各種のふれあい講座や体験講座にも力を入れているようです。
  体験講座としては、滑石を磨いて勾玉を作る、粘土で土偶を作る、麻糸を使って日本最古の布といわれる編布(あんぎん)を作る、拓本を取る、の4つが用意されていますが、私は土偶作りと編布織りをしました。
  土偶は粘土を使って作るのですが、この粘土は焼かなくても乾燥させるだけでしっかり硬くなるものです。完成品を触ってみると、表面は細かい土のような感触もあり、かつ少しくらいの衝撃では壊れにくそうで、なかなかの優れ物のようです。その他に、縄文時代に模様などを付けるのに使ったと思われる、貝殻や割り箸のような突き棒や木に縄を巻いたもの(これを転がすと縄文の模様が付く)などがありました。
  まず、粘土を少しずつちぎっては捏ねながら型に詰め込んでいきます。この型は、近くの宮畑遺跡出土の土偶に倣って作ったものだとのことで、10cm余の長さの板状で、腰の部分と頸の部分がすぼまっただけの、ごくシンプルな形です。型に詰め終わったら型からはずし、あとは自由に形を整えたり模様を付けたりします。私は、子どもを抱いている女性の形にしようと、目鼻、胸、そしてお腹の前で子どもを抱くように両手を組んでいる所までは作りましたが、その手の上に乗る赤ちゃんまでは小さくてうまく作れず、そこまでで終わりにしました。それから、貝殻で頭や脚部に線を入れたり、縄を巻いた木で背面に模様を付けたりして、いちおう完成ということにしました。
  その後で、ふれあい歴史館の職員が作ったという、いろいろな型の土偶を見せてもらいました。十字架方のもの、顔全体がめがねのような形になっているもの(遮光器型?)、顔がつるっとしていて目鼻を小さな穴だけで示したものなど、いろいろな形の土偶を触ることができて、とても良かったです。
 
  次に、編布(あんぎん)の体験をしました。これはかなり難しかったです。実は私は、これより一ヶ月ほど前、弥生文化博物館(大阪)で編布を織るワークショップに参加しました(ここで「織る」と書きましたが、この手作業は「編む」といったほうが適切な気がします)。弥生文化博物館では、とても簡単に出来たのですが、それは子どもたちや見えない人たちでも何とかしやすいようにと学芸員のHさんが、道具をいろいろと工夫し、また目を粗くし太い糸を使うことでスムーズに早く織れるようにしていたためだったということがよくわかりました。(とはいっても、私自身はふれあい歴史館のような難しい方法でより精巧な作品に仕上げられる方法にもあこがれます。)
  弥生文化博物館の学芸員の説明によれば、編布とは、からむしや麻などからとった植物繊維を素材とする日本最古の布で、各地の縄文遺跡からも出土しているそうです。弥生時代には衣服の出土例はないとのことですが、簡単な織機を使って平織りが広く行われるようになったそうです。編布と同じ方式は、鎌倉時代の時宗の僧侶たちが各地を遊行する時に着用していた法服に使われており、また、明治期ころまで新潟県の農家などで「越後あんぎん」と呼ばれるものが作られ、長野県では昭和の頃まであったようです。私は実際に筵を編んだことはありませんが、編布の作り方は筵に近いのではないかと想像しています。
  では、ふれあい歴史館で体験した編布の方法を紹介します。編布用の台があり、その上の部分に長さ20cm余の横棒が渡されています。この横棒には1cmほどの間隔で10個余溝が刻まれ、その各溝には、両端に5cmくらいの細い木製の円筒が付けられた細い糸がかけられ、横棒の両側に垂れ下がった状態になっています。これが経糸になります。作業は、台の横棒に沿わせた緯糸に、両側に垂れ下がっている経糸を順に1本ずつ巻きつけてゆくだけの単純なものです。しかし、これがなかなか難しいのです。すぐに経糸がもつれたりして、間違って別の経糸を巻き付けたりしてしまいます。(実は経糸は交互に色が変えてあって(私の場合は緑と白)見えていればその色を手がかりにあまり間違えなくてすむのですが。)結局、係の方がほとんど付きっ切りで、間違をその都度教えてもらいながらしました。1時間以上かけて、ようやく15段ほど編み、10数cmの細長い布辺が出来ました。それにしても、何と時間のかかる手作業なのでしょう。この方法で本当に衣服を作るとするならば、何十日も、もしかすると1年くらいはかかるのではと思います。織機を使わない手作業のたいへんさを実感しました。
 
  体験講座の後は、実際に触れられる展示物を中心に案内してもらいました。レプリカの火縄銃は1mくらいある棒のようなもので、重さが実物の3分の1ということで持ってみてもたいして重くはありませんでしたが、筒先には5mm弱の穴があり、この細い1m近くもある穴をどのようにして作ったのか、とても興味をもちました。(ネットで調べてみると、鉄の棒を芯にして、細く薄い鉄の板を螺旋状に巻き付け、赤く焼いた後鍛練を繰り返して作るのだそうです。これだと、刀鍛冶師の伝統の技術を使ってできそうです。)
  次は甲冑のレプリカです。これは実際にすべて身に着けることはできたのですが、私は触ってみるだけにしました。頭から手足まで、いくつもの防具に覆われることになることがよく分かりました。重さはこれも実物の3分の1くらいで、実物は20kg前後あったようです。実物は鉄のはずですが、レプリカはつるつるした感じでプラスチックあるいはなにかの軽合金のようでした。ちょっと残念に思いました。(ミュージアムではよくレプリカを用意しますが、実際に持ってみたり着てみたりできるものの場合は、できれば、実物と同じないし類似の材料を使い重さもだいたい同じくらいにして欲しいです。形や見た目も大切ですが、感触や重さも実際に体験する時には大切な要素です。)
  その後、宮畑遺跡出土の各種の石器に触れました。石皿、たたき石、すりり石、石錐、くぼみ石、惰性と磨製の石斧、長さ5cm弱のきれいな形のいろいろな鏃などです。とくに印象に残ったのは、直径3mmくらいしかない細い石錐です。これはどのようにして作ったのでしょうか。またくぼみ石のあちこちには円錐形の深い穴が多数出来ていて、石錐を使って固い木の実などを砕いたりしたのではなどと想像したりしました。
  最後に、敷石住居の敷石に触れました。縄文時代の住居といえば、床が土の竪穴式住居をすぐ思い浮かべますが、この敷石住居は、 1辺が30〜40cmくらいの石が一面に並べられていて、土の床よりは過ごしやすいだろうなどと単純に考えもしましたが、たぶん、普通の住居とは違って、特別な目的のために使われていたのではとも思います。
  こうして、午後の3時間近く、体験講座と展示品の触察をじっくりすることができました。ふれあい歴史館の係の人たちに心から感謝しています。
 
  福島への一人旅は、どれだけのことが出来るのか心配ではありましたが、こむこむの人たち、ふれあい歴史館の人たちの協力で、充実した一日を過ごすことができました。宇宙も歴史も、私にとっては、遠い過去にさかのぼり、はるかな未来を思うという点では、同じような思考の枠の中にあります。これからも、たまにはこのような一人旅をしたいものです。

(2009年3月2日)


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