その2 地図との出会い

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*見えない人が触って理解できるようにくふうされた地図および図を、それぞれ「触地図」「触図」と呼んでいます。触図に興味のある方は、【参考資料Y】の「触図について」も参照してください。
 私が初めて点字の地図(触地図)と出会ったのは、おそらく小学4年くらいの時だと思います。それは社会科用の薄い地図帳でした。今から思えばあまり精巧なものではありませんでしたが、その出会いはとても印象的で、私の今日の地図の知識はほとんどこれに依っています。
 その地図は、現在の発泡印刷(発泡性のインクを使って凹凸を表す方法)による地図よりもかなり鮮明でした。当時の関係者に尋ねてみると、それは通称プロセス印刷と呼ばれていたもので、染め物で使う生地に手で穴を明け、それにインクを流しこんで固めた物のようでした。そして、陸と海など、色の塗り分けもされていました。
 Wのようにぎざぎざの高原、ふとい縦の線が連続した山脈、三角形の山など、凡例も判りやすかったです。
 この地図で、私は初めて日本の形、アメリカや中国と比べた時の日本の小ささを知りました。下北半島、佐多岬、ペルシャ湾や紅海など、特徴的な地形はしっかりと頭に焼き付けられました。また、四国とオーストラリアの形が似ていることに気がついて、面白がったりもしました。
 でも、この地図の限界にも間もなく気付きました。小学校の終りころにリアス式海岸について習いました。その例として三陸海岸が挙げられていたので、早速地図で見てみましたが、なんと三陸海岸は滑らかな曲線だったのです。縮尺が大きすぎて、リアス式は表せなかったのですね。
 それから数年後、第3次中東戦争(1967年、いわゆる六日戦争)の時、アカバ湾が話題にのぼりました。ニュース解説などを聞いていると、それは紅海の奥にあって、イスラエルにとってとても重要な所のようです。ところが、私の頭に焼き付いている地図では、紅海の奥はそのままスエズ運河に続いていて、特に湾などないはずです。
 アカバ湾を地図上で確認できたのは、それから十数年後、私がある点字出版所で点字教科書や地図の校正の仕事をするようになってからです。新たに発泡印刷で作られていた高等部用の社会科地図帳を見ると、確かに紅海の奥にはシナイ半島があり、その両側にアカバ湾とスエズ湾がありました(ただし、アカバ湾の名前は地図上にもその「解説」にも出ていませんでした)。
 さて、私は普通の地図を見たことがないので、触地図と普通の地図との違いについてほとんど考えたことはありませんでした。暗黙のうちに、触地図は普通の地図とたいした差はないと思っていたのでしょう。
 ところが、教科書や地図の校正をするようになって、普通の地図と触地図との大きな違いに驚かされました。
 違いは大別して二つあります。一つは、触覚は視覚に比べて分解能が格段に劣るため、形そのものが触地図ではいわば概略図・輪郭図にならざるをえないことです。もう一つは、触地図上に記入できる情報の量が極端に制限されることです。点字の大きさは縮小できませんし、個別の文字や点や線等はある程度離さないと触覚では識別できないし、さらに色などによる塗り分けに対応した表現も(少しはできますが)難しいからです。
 という訳で、触地図は、製作者が利用者の目的やニーズ、触読能力なども勘案して、普通の地図から情報を厳選した略図、と言うことになります。このように考えると、私が地図と初めて出会った時の感動も色褪せてしまいますが、あの感動は私が地図を熱心に集中して触るようになったきっかけとなったものであり、これからも大切にしていきたいと思います。
 (その3へ続く)