TopNovel花染めの指先・扉>花なんて、いらない・11


「花染めの指先」番外
…11…

 

 

 刹那、私の両手首を稜が掴む。力をなくした指先は、彼の頬をたどって解かれていった。

「俺、いつも自信がなかったんだ」

 そう言って、強く抱きしめられる。こんな間近で稜のことを感じるなんて初めてのことだと思いながら、私もまた彼の背中に腕を回した。じじっと、燭台の炎が揺れる。

「麻未は……凱のものだったから。そうやって決まっているんだから諦めるしかないってわかっていた。ずっと割り切っていたつもりだった。―― それなのに、あんなことになって。どうしようもないくらい混乱した、自分でも自分が理解できないくらい、とにかく必死だった。このたびの機会を逃したら、二度と好機は訪れないって思ったから―― でも」

 私の背中に回る稜の腕が震えている。思い起こしてみれば、この男は昔から弱虫でいつも誰かの後ろに隠れているような有様だった。努力して褒められるよりも、むしろ失敗して叱られることの方を強く恐れて。一歩踏み出す前に思いとどまって、唇を噛みしめていた情けない姿を私は何度も見てきていた。

 だから、あのときに持ちかけられた思いがけない提案にはとても驚いたし、信じ切れないままにもその勢いについつい従ってしまっていた気がする。それからあとも、彼の行動力には、ただただ度肝を抜かれるばかりだった。

「やっぱり途中から、とても怖くなって。こんな……こんな幸運がそもそも俺になんて舞い降りるわけはない、浮かれていられるのも今のうちだって気づいてしまったんだ。今に夢は覚める、そのときに再び自分の力で立ち上がれるか自信がなかった。ごめん、……俺、逃げてた」

 苦しい告白が、私の胸を激しく揺らす。どうしてなんだろう、こっちまで泣きそう。息が出来ないくらい、どうしようもないくらい切ない。

「自信なんて……本当は誰だってそれほど多くは持ち合わせてないわ」

 そう言って、私もまた、唇を強く噛みしめていた。

 すべての物事に対しても前向きで、揺るぎない人がいる。そう言う存在を前に誰もが心を奪われ、いつの間にか付き従っているのだ。だけどそんな人間はほんの一握り、その他大勢に属する者たちは皆それぞれに苦しみもがき続けている。

「だけど、それでも出来る限りの努力はしなくては駄目。私もここに来てようやく気づいたわ。里にいた頃の私は、いつも誰かに生かされることばかりを考えていた。どうしたらその人に気に入られるか、そればかりを考えて長い時間を費やしていた気がする。でも……そんなじゃいつまでたっても何も変わらないって、やっとわかった」

 頼りないふたつのぬくもりがようやく巡り会う、それこそが私たちの新しい「始まり」なんだ。

「私たちも、幸せになれる。……そうだよね、稜?」

 自分以外の人間を羨むばかりで生きてきた。己に足りないものばかりを指折り数え、その穴を埋めるために誰かの存在を利用しようとしていた。でも、それでは何も解決しない。

「……いいのか?」

 まだ、そんなことを言ってる。本当に情けないったらない、どうして無理矢理にでも奪おうとしてくれないのかしら。こっちだって、何もかもを自分で仕切るのは大変なのよ。出来ることなら、おんぶに抱っこで楽して生きていたいんだから。

「悪いなんて、誰も言ってないわよ」

 ほら、また可愛くない言葉が出てしまう。私っていつもそう、もっと素直に甘えたいのに、自分の中にある見栄がそれを許してくれなくて。

「そうだな」

 稜は喉の奥で、自嘲気味に笑った。そして、腕を少し緩めると、私の顎に手を掛けて上向きにさせる。

「ここにいるのは、ふたりだけなんだから」

 それでもまだ、多少の遠慮があるみたい。仕方ないからまぶたを閉じて、少しだけ伸び上がってみた。そこまで誘導したらやっと、唇を重ねてくる。

「……ん……」

 自慢することでもないけど、こんな風に口を吸われるのは初めての経験。敏感な部分がくっつき合うとすごく生々しくて、いろんなものが一度に伝わり合う気がする。ひとしきり互いを味わったあとに、稜の唇が顎から首筋へと移っていく。胸元を大きく開かれて、こぼれ落ちた膨らみに熱い吐息が落ちた。

「あ……、ああ……っ……」

 呆気ないほど簡単に腰帯が解かれ、肩から薄布が滑り落ちる。見かけよりもずっと大きな手のひらが素肌に直接触れ、私はかすれた喘ぎ声を出していた。急にこんな風になるなんて恥ずかしい、でも待ち待っていた瞬間がようやく訪れようとしている。ならば、それを拒む必要がどこにあるだろう。

「すごい、……こんなになってる」

 茂みの奥に隠された場所に彼の指が届いたとき、感嘆の声が聞こえた。

「は、恥ずかしいから。わざわざ口に出さないで……!」

 自分でもそうかなって気づいていたけど、こんな風に指摘されるとたまらない。愛されることを長い間待ち望んでいた私の身体は、驚くほど素直にすべてを受け入れて反応していく。どんどん熱を帯びていくその場所は、指先の刺激を受けたことでぴくぴくと小刻みに震えている。

「でっ、でも……麻未がこんな風になるなんて」

 やめてって言ってるのに、どうして聞き入れてくれないの。たどたどしく指が行ったり来たりして、それがこそばゆくて仕方ない。おなかの奥がじんとして、さらに新しい雫が流れ出てくる。

「やっ、……あっ……!」

 指先に絡みついたものを、探り当てられた蕾に塗りつけられたのだからたまらない。ぞくぞくと涌き上がってくる欲望に取り込まれそうになって、私は必死で首を横に振った。

「駄目だよ、麻未。逃げないで」

 知らないうちに、身体が彼から離れようとする。どうにか安全な場所まで逃げ延びようと、ほんの少しだけ残った理性が頑張っているみたい。でもすぐに、腕を取られて引き戻されてしまう。

「そろそろ平気かな? 俺、もう待ちきれないみたいだ」

 半裸状態になった稜の肩先は、驚くほど逞しかった。胸板もとても厚い。互いに成長してからは、こんな風にすべてを晒し合ったこともなかったことに気づく。
  最後に稜の裸を見たのは何年前だろう。あれはまだ、皆が躊躇なく生まれたままの姿で水遊びが出来た頃。少しくらい思い通りにならないことがあったとしても、最後には必ず望みが叶うと素直に信じられた幸せな時間だった。

「うん、……大丈夫」

 でも今では、何もかもが変わってしまった。私たちはそれぞれに大人になり、周囲の環境もそれに合わせて変化している。夢見ていたはずの未来がひとつも実現しないことも知った。いくら必死で願ったところで、手に入らない幸せもあるということを。

 ―― でも、だからといってすべてがなくなるわけではない。

「綺麗だよ、麻未」

 どちらからともなく唇が重なり合って、閉じたまぶたの裏がひりひりと痛い。私の入り口を探っていた堅いものがぐっとねじり込まれてきて、そのたとえようもない存在感に圧倒された。稜の背に回していた腕に力が入り、そこに爪を立てる。どうにかして堪えなくてはならないと思っても、苦しくて苦しくて仕方ない。

「……っつう……っ!」

 息もできないほどの痛みをどうにか受け入れていきながら、ただひとりの存在を確かに自分のものとする瞬間の喜びを知る。これが互いの人生を重ね合わせると言うこと、もうひとつの命を支える覚悟を決めると言うこと。任せるだけではなく任せられる、真に愛し合うとはそういうことなのだ。

「あっ、……麻未っ、麻未……っ!」

 かすれる声で私を呼びながら、彼は何かを必死に堪えている様子だった。

「こっ、……これで、俺たち……っ……」

 そっとまぶたを開いて見上げた先にあった顔は、少し涙ぐんでいた。こんなときに大の男が泣くなんて、やっぱり情けないかも。でも……それだけ喜んでくれてるってことなのかな?

「ええ、……離さないで、絶対に……!」

 身体の真ん中を貫かれたままで抱き合って、大きなうねりがふたりの中を通り抜けていくのを待っていた。正直、すぐに動き出されたら、気が狂ってしまいそうだったし。こっちとしても、いっぱいいっぱいの状態だった。

「麻未」

 稜の吐息が耳たぶをくすぐる。それだけでびくびくっと反応してしまう私、頬を彼の指がたどる。

「絶対に誰よりも幸せにする、約束するから」

 弱虫のくせに、一人前の口をきくんだから笑っちゃう。だけど、嬉しい。その喜びを返すために、彼の首に腕を回す。

「うん、期待してる」

 そして、稜はゆっくりと動き始める。私の内側を確かめるように、そっと入り込んでは抜く。でもいつまでもそんな風にされているとこっちがもどかしくなっちゃって、自分から腰を動かしそうになる。とはいえ、まだ感覚が上手くつかめないから、おっかなびっくりだけど。

「……あんっ、あん、……ひゃんっ……!」

 私と稜の声が、部屋中に響き渡る。昼間はお客様を迎える場所で、こんなことをしていていいのかな。でも、しとねまで移動している暇はなかったし、だから仕方ないんだよね?

「麻未っ、……麻未……っ!」

 指と指を、足と足を絡めて。そして心も、全部くっつけて。そうしたら、ようやく私たちは一人前になれた気がする。ずっと長い間、越えられないと諦めていた大きな壁も、今なら簡単に乗り越えて行けそう。

 しんと冷え込んでいく夜半も、私たちの熱を冷ますことは出来なかった。絡み合いもつれ合い、幾度も身体を重ねながら、ふたりは一晩掛けてすべての心を溶かし合った。

 

「そろそろ、一眠りした方がいいかも知れないな」

 ようやく稜の口からそんな提案がされたころ、もう戸口の向こうはうっすらと明るくなり始めていた。

「そう? 私はこのままでいてもいいと思うけど」

 何だか、今日は店を開けるのも面倒になって来ちゃった。どうせ、皆は祭りの支度に夢中で、客足もほどんどなさそうだし。

「じゃあ、もうしばらくこうしていようか?」

 素肌のままで抱き合うことで、心がしっとりと重なり合っていく。初めての感覚が、何故かとても懐かしい気がして仕方ない。この男が、ずっと私のすぐ側にいたような、そんな気がする。

「一度、里に戻ってみようか? そろそろ花の盛りだと思うし……」

 子守歌のようなささやきが、私を夢の中へといざなっていく。そう、これはいつも見る夢の続き。本当は私、ずっと前から知っていた。
  あのとき縁に置かれていた花たちはどれも、丁寧に根本から鋭利な刃物で摘み取られたもの。手先が器用な稜は、いつでも小刀を持ち合わせていた。

「そうね、……それもいいわ」

 きちんと言葉に出来たかどうかはわからない。でもそのときの私はこの上なく満たされた気持ちでいた。

「そのときは、ふたりとも盛大に支度をしていかなくてはね。どんなにいい暮らしをしているか、里の皆に知らしめてあげなければ」

 そのための稜の晴れ着だって、ちゃんと準備してある。他の荷の一番下に隠してあるもの、取り出して見せたら驚いてくれるかな。私が見立てたんだから、絶対に似合うに決まってる。

 そのことを知らないはずの稜が、私を抱きしめたままで低く笑った。

「……麻未は相変わらず負けず嫌いだな」

 両手いっぱいの花よりも、今はもっと大切なものがある。振り向けばすぐそこにあったぬくもりに、ようやくたどり着くことが出来た。

 だからもう、何も怖くない。

 

◆ ◆ ◆


「あら、ずいぶんと美しく飾り立てたこと」

 私を呼び止めたその声には、紛れもない驚きの響きが含まれていた。

「何か、嬉しいことでもあったかのようなご様子ね。あなたのような単純な方の考えることは、すぐにわかるわ」

 余裕の笑顔で振り向くことのできる自分が信じられない、いつの間にか役者並みの度胸を持ち合わせてしまったのだろうか。

「お褒めにあずかり、光栄ですわ」

 私の言葉に、瀬谷様は少し目を細める。でも、そのあと、口の先で強気に笑った。

「よくもまあ、初めてでそこまでの仕立てにしたと感心するわ。あなたのご亭主もたいしたものね、師匠となった私は鼻が高いけど、彼は店の客としては失格。少しも銭を落としてくれないんだから、これから先は作業場代わりに部屋をお貸しすることはないですからね。いくら無償で仕事をたくさん引き受けてくれたからと言って、あれはひどすぎるわ。こっちは商売をやっているんですから、邪魔をされては困るのよ」

 驚く私の脇を通り過ぎながら、彼女はもう一言付け加える。

「惚れた男の心も身体もがっちりとつかみ取る手腕、私も是非ご教授願いたいものだわ。結局、あなたの方が一枚上手だったわね」

 暖かな春の気が頬をくすぐって通り過ぎていく。ぎこちない心たちが行き交う宿所の大通り、その風景がだんだん親しげな顔向きに変わってきていることを、私ははっきりと気づいていた。

了(100322)
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