TopNovel玻璃の花籠・扉>あした語り・1


…1…

「玻璃の花籠・新章〜楸陽」

 

 先ほどから同じ風景が延々と続いている。

 遙か向こうに見える連峰の眺めも歩き始めてからいくらも変化していないように思われた。初夏と呼んでも良いほどの陽気に晒され、次第に額が汗ばんでくる。そこに手をかざして仰ぎ見ても、村の入り口は未だ確認出来なかった。

 そう遠くない距離だと聞いて馬を置いてきたが、久方ぶりの徒歩(かち)に足底が草履に負けている。一度立ち止まって悟られぬように腫れ具合を確かめていると、わずかばかりの間合いですぐに前を歩く男が振り向いた。

「あの村の者たちの話はいい加減ですね、この辺りで少し休んで行きましょうか。若様も慣れない野歩きにお疲れでしょう」

 脳天が寂しくなってきた頭周りに、この地特有の赤髪に混じりちらちらと白いものがうかがえる。この者は先代の頃より館に仕えていると聞いているが、それならば今の領主である己の父よりも十かそこらは年配になるのであろう。必要以上に踏み込んでこない控えめな物言いが有り難い限りである。
  両親や他の弟妹と共に都からこの地に移り住んだ折に、両手に余るほどのご養育係が付けられた。その頃はまだ先々のことが決まっていたわけではないが、ずらりと並んだ面々からはただならぬ雰囲気が漂っていたのを覚えている。しかしそんな彼らも年を経るごとに櫛の歯が抜けるように減っていき、今なお親身になって尽くしてくれるのはこの者だけになってしまった。

「いや、すでに先方へは使いもやってある。あまり待たせるのも気に毒だからね。私は大丈夫だ、先を急ごう」

 目の前の男はそれでもしばらくは心配そうな眼差しを向けていたが、やがて観念したらしく再び背を向けて前に進み始めた。

  年齢を重ねてしぼんだその背中に、ずんぐりした影がかかる。そう、この人形こそが自分の姿。上背は同年代の男たちとそう変わらないが、ごつごつと不格好な骨格がどうにも野暮ったく見えてしまう。
  それが証拠に父の名代として領地内の村々を回るたび、数えきれぬほどの奇異の目に囲まれる。皆一様に、心内をどうにか隠そうと試みるが、その驚き具合は無音のままにしっかり肌まで伝ってきた。

 ―― これはまた、御父上とは似ても似つかないお姿で。

 同じことなら言葉ではっきりと伝えてくれた方がどんなに有り難いことか。中途半端な憐れみがかえって胸をえぐっていく。否、そのようなことを今更気に病んだところでどうなる。持って生まれてしまった見てくれは大きく変えることなど不可能なのだから。
  せめて女子(おなご)であったならと思う日もある。そうであれば領主の姫君のたしなみとして館奥に籠もることも出来ただろう。年頃になればどこかの男と縁づくことにはなるが、それでも今の自分のように日々方々に出向き醜態をさらし続ける必要はない。

「しかし……誠に宜しいのでしょうか? このようにご身分をお隠しになったままでいては、十分な供の者を引き連れることもかないません。若様の大切な身の上にもしものことがあったらと思うと、自分は気が気ではありませんよ。それにこのようなことが御領主様やご隠居様に知れたら……」

 男が案じるのももっとものことである。だがしかし、後に続く貴人は柔らかい笑みを浮かべたままであった。

「私はひとりでも構わないと言ったのだよ、独断で強行したことならば何が起ころうとお前の手落ちにはなるまい。それを勝手に同行してきたのだから、先々でもこちらのやり方に従ってもらわなくては。分かっているね、笹谷(ササヤ)」

 言葉こそは厳しいが、そこに相手を牛耳るような強さは見当たらない。決して権力を笠に着て傍若無人の振る舞いをすることなどなく、どんなにこじれた争いごとの仲介も辛抱強く双方の意見を引き出すことで解決の糸口を探って来た。
  御領主様が代替わりをしてからというもの、それまでの治安の乱れが嘘のように収まったと言われているが、そのほとんどは今ここにいる若き跡目殿の手柄である。しかしその事実を知る者は広大な領地の中でも皆無に近かった。当の本人ですら気づいていないかも知れない。

「……楸陽(シュウヨウ)様」

 諦めに近い響きを彼は何食わぬ顔で受け止める。伏し目がちなその心中を察しながらも、やはり己の想いを曲げることはしたくなかった。

「その呼び名もしばらくは止めよう、楸(ヒサギ)で良い」

 これ以上何を言っても仕方ないと判断したのだろうか、笹谷は「はい」と短く告げるとまた主の前を歩き出した。

 

 幼き頃は今日のような身の上に置かれることなど全く考えてもみなかった。六人兄妹の第三子、上には兄と姉がひとりずついる。父の跡を継ぐのは長兄であるその人に違いないと誰もが信じていたのだ。

 両親に似て華やかな顔立ち。すらりとした長身に妖艶な身のこなしに豊かな教養まで持ち合わせた兄は、都でも知らぬ者がないと言われるほどの輝かしい存在である。母親が竜王家の乳母(めのと)となったのが縁で、幼き頃より他の兄妹たちと都で暮らしていた。竜王様の御館への出入りを許された子供は自分たちの他にもあまたといたが、兄ほどに皆の注目を集めた者はいない。
  元服のお披露目は父の生家である祖父の館で執り行ったが、そのときも麗しいお姿を一目見ようと遠方からも人が押し寄せ大変な騒ぎとなったものだ。すでに一昔以上前の出来事となったが、あのときの騒動は今も記憶に新しい。
  兄はその後もしがらみの多い領地での暮らしを嫌い都に留まっていたが、いつか心を入れ替えて戻ってきてくれるものだとばかり信じていた。だが一昨年に跡目となることを完全に放棄し、彼の地で妻を娶ってしまう。その者は以前は祖父の館で仕えていた使用人たちの子で、およそ領主の正妻としては相応しくない身の上であった。

 思いがけない成り行きで、次男である自分が分不相応の地位に就くことになってしまった。一度は辞退することも考えたが、それでは再び館内でいらぬ争いごとが生じると両親にたしなめられてしまう。朗らかな気性で誰からも好かれている弟の方がよっぽど跡目には相応しいと思うのに、皆がそれを承知しながらも意見もせず押し黙っているのだ。

「困りましたね、このような臆病者がどうして大切なお役目を果たせましょう。かくなる上は腹の据わった奥方にしっかり手綱を握っていただく以外に方法はないですね。ああ、また忙しくなること――」

 誰もが沈黙を守る中でただひとり本音を口にしたのが祖母である。父の子である自分の兄妹の実に三人までが祖母の意に反して勝手に縁づいてしまった。手塩にかけて育てていたすぐ下の妹までが格下の家に嫁いだことで数年はかつての勢いもなくなっていたが、ここに来てまた奮起の材料を見つけてしまったらしい。
  ついひと月前に末の妹が裳着を迎え、その上の弟にも幾多の色めいた話が聞こえてくる。いつまでも跡目である自分がひとり身ではいろいろと不都合が起こるのだとも面と向かって言われた。
  館に戻ればあれこれせっつかれてうるさくてかなわない、従って以前にも増して領地回りに精を出す結果となってしまった。

 

「良く育っている、これならば秋の収穫が期待出来そうだな」

 ようやく視界の隅に村の入り口が見えてきた。それに伴い視界にも変化が現れている。細道を挟んで左右に広がる田畑には春蒔きの作物たちがしっかりと根付き、そよそよと気に揺れていた。父が大臣様から任されているこの地は西南の集落の中でも抜きんでて肥沃で豊かな実りに恵まれている。大きな河が何本も流れている割には水害も少なく、そう難しい管理もいらぬと他の領主からは羨まれていた。

「そうですね、この分ならば長居は無用でしょう。今日中に分所のある先ほどの村まで戻れるかも知れませんよ。ああ、そのときには村長にでも断って馬を借りましょう。帰りもまたこの距離を歩くのは老いぼれの身にはさすがに辛いです」

 このたびの視察は各地に点在する分所の置かれた村をざっと回ればよい簡略したもので、その気になれば二日三日でやり終えることの出来る仕事であった。しかしそこで近隣の村々の気になる噂を聞けば、どうしても足を伸ばさずにはいられない。そのように寄り道ばかりをしていて、気づけばすでに父の館には半月も戻っていなかった。

「御領主様からは帰館を促す文が幾度も届けられているではないですか。このたびのお務めが済めば、夏の行事が山の如く待ちかまえていますよ。若様は正式に跡目となられたのですから、これからはもっと忙しくなります。大臣様の藤祭りにも今年は列席しないわけには参りませんね。そのための衣あわせなども気が遠くなるほど手間が掛かりますよ」

 長年領主の館に仕えているだけあって、この男の方が自分よりも遙かに政(まつりごと)には詳しい。領地を治めると言うことは苦労しなくても禄高が手に入ると思う者もあるが、そのように気安く構えられることではない。上に立つ者にはそれだけの器量が必要でもあるし、館に留まっている時にも目を通さなくてはならない書物や文書は数知れず。多いときには日に二度も会合が組まれていたりするのだ。
  権力の上に胡座をかいていては、思わぬところで落とし穴が待ちかまえている。集落の長である西南の大臣様は気性の荒い御方で、少しでも気に入らないことがあれば名のある一族も瞬く間に窮地に追い込まれるのだ。過去に御家お取り潰しの憂き目にあった例は幾度となく見聞きしている。
  そこまでの大事に至らないとしても、領地の内部でもあれこれ難しい事柄が多い。こちらの顔色を窺い、隙あらば自分の有利な状況に事を運ぼうとその機会を狙っている者も少なくはなかった。親しげに近づいてくる部下に必要以上に心を許せば、結果として足下をすくわれることになるのだ。後から悔やんだところですでに取り返しはつかない。

「……そうだな」

 頭上遙か上を小さな黒い固まりが過ぎていく。あまりにも遠方ではっきりとは確認出来ないが、あれは群れから外れた渡り鳥だろうか。

 季節の移ろいを感じさせる何もかもが疎ましい。影のまま一生を終えることの出来なくなった身の上が、彼の両肩に重くのしかかっていた。

 

◆◆◆


 不思議なことに村に入ってからも、その戸数の割りには人影が少ない。

 建ち並ぶ長屋の造りは立派であるが、ここまでひっそりしているとはどうしたことだろうか。杭で囲った中に放し飼いにされている鶏なども、やせ細って羽が可哀想なほど抜け落ちている。どこの村でもうるさいぐらいに聞こえてくるはずの幼子たちの歓声も一向に聞こえてこなかった。

「そこの路地を抜けたところが村の中心部だと思います。どこかの店先で村長の館を聞きましょう、何もうすぐですよ」

 時折、簾越しに赤子の泣き声が聞こえるとホッとする。どう考えても異様なこの光景に前を行く笹谷もとっくに気付いていることだろう。その足取りが先ほどから落ち着かない。

「ほう……、こちらは賑やかな様子だな」

 話の通り、角を曲がったところで急に目の前が開けてきた。まばらであるが、店先にはかろうじて人影も見える。これならば目的地を訊ねるのも訳ないだろう。
  己の身の上を知る者もいない土地だと思うと気が軽くなり、足を進めながら傍らの漬物屋や小物屋の店先をひょいと覗いてみたりする。丁度、そんなときであった。

「ちがうっ! あたしじゃないっ、なにもとってやしないから!!」

 突然、幾つか向こうの軒から、気をつんざく叫び声が聞こえてきた。居合わせた者たちの目も一斉にそちらに向かう。

「なぁに言ってんだい、騙そうとしたってそうはいかないからなっ! この泥棒猫がっ、全く母子揃ってとんでもねぇ奴らだ!」

 立て掛けられたよしずの影になってはっきりとは見えないが、どうも店のおかみさんとその相手は小さな子供らしい。小さな影は必死に抵抗している様子であるが、大人相手ではどう考えても分が悪いだろう。終いには堪えきれなくなったのかすすり泣きの声までしてきた。

「はんっ! そうやって言い逃れをしようとしたって、あたしにゃ通用しないよ。確かにここまで饅頭の桶を持ってきたんだ、お前以外には誰もいなかったんだから間違いない。ほらっ、観念しろ! あれだけの量を食っちまえるわけもないだろう、どこに隠したんだかとっととお出し!」

 村中に聞こえるような罵声を浴びせられても、幼子はまだ小さな声で「ちがうちがう」と言い続けている。隙を見て逃げようとしたところを抑え付けられ今度はおかみさんの手が飛びそうになったとき、気付けば心よりも先に足が前に出ていた。

「あの、どうかしましたか?」

 覚えのない声に慌てたのだろう。慌ててこちらに振り向いたおかみさんの顔に疑惑の色が浮かぶ。彼女は短い間合いに楸陽の姿形を素早く見定めている様子だった。

「何だ、旅のお方かい。こんな村に迷い込むなんぞ、物好きもいたもんだね。―― ああ、余所者の口出しは無用だよ。あたしはただ、店の饅頭を盗んだこいつをとっちめていたんだからさ」

「ちがう、ちがうっ!」

 抑え付けられた腕の下でもがいているのは、驚いたことにふたつ三つの娘子ではないか。まだ髪もようやく生えそろってきたばかり、あどけない中にも愛らしい顔立ちであった。元は綺麗な花色をしていたのだろう着物が、洗いざらしで色も落ちあちらが見えるほどに薄くなった箇所もある。裸足の足はそのまま土に汚れていた。

 この店は饅頭を蒸かして売っているのだろうか、他には売り物は見当たらないが天井も高く店構えだけは立派である。隙間だらけの商品棚が何とも物寂しい気がした。

「なにもとってないっ、ただおいしそうなにおいがしたからきてみただけ。まんじゅうなんて、さいしょからなかったもんっ!」

 ばたばたと手足を動かして抵抗するが、力の差は歴然としている。こういう話はまずは公平に双方の話を聞かなければ始まらないと思うが、とてもそんなことが出来る状況には思えなかった。

「よくそんなことが言えたもんだっ! 食ってない? 本当にそうなら、その腹の中を確かめて見るかい? 向こう辻の薬師(くすし)様にお願いして、腹を割いてもらおうか――」

 あまりにも物騒な話であるが、おかみさんはどこまでも真顔である。
  幼い子供相手にここまでひどい仕打ちはないだろう、一体どうなっているのだろうか。他の村人たちも遠巻きに見ているだけではなくて、諍いを止めに入ってもよさそうなものを。先ほどから、たとえようのない禍々しい気がそこここに漂っていた。

「おいおい、何を騒いでいるのかい。ほら、お客人もおられるではないか」

 ―― と。

 店の奥から今ひとりの人影が現れた。多分、この店の主であろう。ここにいるおかみさんの亭主というところか。

「あんたは黙っておいでっ! ようやく泥棒猫を捕まえたんだからなっ、この辺の店はみぃんな被害にあってんだ! それも全部こいつの仕業だろうよ――……」

 そこまで言いかけて、流暢に回っていた舌が急に止まった。おかみさんの目は店主の手元を穴が開くほど見つめている。

「あんた……、その桶をどこから見つけてきたんだい? だって、あたしはさっきここに運んできたよ、間違いないっ、それを――」

 おかみさんの腕の下から子供の影が消えたと思ったら、程なくして楸陽の腰の辺りが温かくなる。小さな手が長袴をぎゅっと握りしめていた。

「何言ってるんだい、まだ仕上がってもないのに勝手に持ち出して。最後に食紅で印を付けないとならないだろう、俺が持ち帰っていただけだが」

 目ん玉を見開けるだけ見開いたおかみさんは、しばらくは言葉を探すことも忘れてしまったらしい。魚のように口をパクパクと動かすばかり。

「いっ、嫌だねえ……紛らわしい。あたしゃまた、こいつが……あれ?」

 

 ようやく照れ隠しのような笑い声が聞こえてきた頃、楸陽たち一行はもうだいぶ先の方まで進んでいた。

「むらおさ、さま? むらおささまって、えらいひとだよね? えらいひとのおうちなら、ここをまっすぐいったつきあたりだよ。おいちゃん、えらいひとのおきゃくなの?」

 涙で濡れた頬のままで、少女はそれでもはっきりとした口調で言った。

「あたしもそこまでおともしたいけど、あんまりながいじかんるすにするとははさまがしんぱいなさるから。だから、もうかえるね。ありがとう」

 ふわりと赤毛が舞い上がる。騒ぎの余韻が残る表通りを避けるように路地を曲がり、小さな後ろ姿は瞬く間に見えなくなった。

 

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