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ふたりのそもそもの馴れ初めをかいつまんでお届けします
もっと詳しく知りたい方は書籍でお楽しみ下さい(レーベルサイトに途中までの試し読みもあります)

   

 十一月ともなると、さすがに朝晩はめっきり冷え込むようになる。
  ついこの間までは「いつまでこの暑さは続くんだろう……」なんて溜息をついてたのに、こうなってくると真冬に着込むコートのことばかりが頭を過ぎるんだから不思議。
「あーっ、今日も空が高いなあ〜!」
  話しかける相手もいないから、これはひとりごと。店先の掃き掃除は朝晩の日課ではあるが、この季節は落ち葉が多くて掃いても掃いてもキリがない。まあそうは言っても見苦しくないくらいには綺麗にしないとね、ここはなんといってもお客様をお出迎えするエントランスなんだから。
  私、田村結衣。昨春に美術大学を卒業して、つい先日二十四の誕生日を迎えたばかり。
  新卒で就職した先は「如月商事」という会社だった。ここは元商工会会長だったという社長が立ち上げた、地域密着型の企業。ようするになんでもやる便利屋みたいな場所だ。私は主にWEBデザインを担当している。わかりやすく言うと、ショップや会社のホームページを作成管理する仕事。
  そんな私がどうして開店前のケーキショップの前で掃き掃除をしているか、それにもこの会社絡みのやんごとなき理由がある。最初はタウン誌の取材で訪れたこの店で何故か助っ人で店番に入ることになり、その先もいろんなアクシデントが重なって、今ではこっちが「主」で会社が「ついで」みたいになってしまってる。
  今はまだ通りに面したガラス部分にロールカーテンが下がっているこの店は『petits fours』という名のこの店。ここを最初に訪れた日の衝撃は、今でもはっきりと覚えている。
  その頃の私は、WEBデザインの仕事の他にタウン誌の一コーナーを受け持っていた。あらかじめ決められた店に直接出向き、そこで自慢の料理や商品を試食して記事にまとめる。それは社長曰く「田村ちゃんにうってつけ」の仕事だった。
  それはどういうことかというと――実は私、人並み外れた底なしの胃袋を持つ女なのだ。少し前に一世を風靡した大食いファイターの勇姿、それに勝るとも劣らずのレベルだと思っている。
  たとえば行きつけのハンバーガーショップだったら、バーガーにポテト、ついでにナゲットとサラダでドリンクにデザートのフルセットを三人前が適量。無理をすれば五人前でも行ける自信がある。
  ただ、私の場合はなんでもかんでも胃袋に詰め込めばいいという訳じゃないんだよね。自分の舌が認めた本当に美味しいと思える食べ物じゃないと胃袋が膨れないどころか、消化不良でたちどころに体調を崩してしまう。
  自宅にいるときはもちろん、職場や街中でいきなり倒れたりしたら、周囲に多大な迷惑を掛けることになる。そうならないために日々細心の注意を払い生活しなくてはならない。まるで笑い話のように聞こえるかもだけど、本人としてはかなり苦労してきた。
  どこかの偉い人がこの身体を一般的な食欲で動かせるように治してくれるならどんなに素晴らしいだろうと、叶うはずのない夢を何度も見てしまったほど。
  そんな私にとって、このケーキショップはまさに夢のような場所だった。
  だって、ここの店で取り扱っているスイーツたちは例外なく美味しい。自分の舌が認める味を求めてさまよい歩いた私がようやく辿り着いた究極の味と言い切ってしまってもいい。とにかく、いくらでも食べられる。しかもどんなに食べまくっても飽きることがない。
  残念ながら金のなる樹を所有しているわけではない私は、市場価格よりもほんのちょっとお高めに設定されているケーキたちを際限なく買いあさるほどの収入や蓄えがあるわけじゃない。だから店の手伝いをして、その見返りとして半端物や試作品をもらえる生活は天国のよう。これだけの恵まれた境遇を与えられたら、大抵のことは我慢できる。
  こうやって書くと、あまりの卑しさに我ながら情けなくもなる。でも仕方ないんだよね、私が悪いんじゃない、すべてはここのケーキが美味しすぎるせいだ。
そう、実はそんな極上のスイーツたちをほとんどひとりで作り上げているこの店の店長兼パティシエが、ちょっと難アリの人で――
「おい、いつまでぐずぐずしてるな。早くここを片付けてキッチンに戻れ、仕事が溜まってるぞ」
  目の前の自動ドアからいきなりぬっと現れた長身の男。眉間にくっきり縦皺が入ったその顔は、学生時代に幾度となくお世話になったデッサン用の石膏像にそっくりだ。いわゆるイケメンではあるけれど、どこか冷たくて人を寄せ付けないイメージ。
「はーい、わっかりました〜!」
  しかも、性格がとんでもなく俺様。人前では無口だから、彼のことをよく知らない人は「すごくシャイな人なんだな」とか勘違いするかも。客相手の商売をしているなら、もうちょっとこの性格をどうにかした方がいいかとも思う。でもまあ、美味しいケーキを作ってくれればそれでいいかなとか。彼が苦手なことは私がフォローすればいいやと近頃では考えるようになった。すでに諦めの境地になっているのかも。
  いくつかの山にまとめてあった落ち葉をゴミ袋にまとめてから裏のキッチンに戻ると、デコレーションの終わったケーキたちがトレイの上にずらりと並んでいた。
「うっわ〜! 今日も美味しそうですね!」
「そっちは売り物だ、つまみ食いをするんじゃないぞ」
「しっ、失礼な! いつ、私がそんなことしました!?」
  も〜っ、いくら食いしん坊だからって、やっていいことと悪いことの区別くらいついてるって。他人が聞いたら誤解されるようなことを言わないで欲しい。
  ちょっと膨れてしまった私に、彼は素っ気ない口調で続ける。
「お前の分はここにたんまりとあるからな」
  そこで、お決まりの「ニヤリ」。普段は無表情すぎる人だけに、これはかなりの破壊力がある。
「まずはここにあるものをすべて、表のケースに並べてこい。休憩はそれからだ」
「はぁい、すぐにやります〜!」
  自分でもね、かなり飼い慣らされているなとは思うんだ。食べ物で釣られるなんて、なんだかなあって。でも、はっきりいって素晴らしい環境であることは間違いないし、せっかく手に入れたこの幸せを手放そうなんて絶対に考えられない。
「あれ、店長。これって、新作ですよね? 名前、どうします?」
  このケーキショップの有能な販売員であるのと同時に、店のケーキのコアなファンでもある私。イチゴショートにガトーショコラ、チーズケーキといった定番商品の他に日替わり季節替わりで並ぶ商品もすべて把握している。
  試作品を目にした覚えもないってことは、去年の同じ時期に出していた季節モノかな? チョコレートがたっぷり掛かったドーム型で上にイチゴが載っている。よくよく見ると、添えられたホワイトチョコは柊のかたちだ。
  そうか、ハロウィンも終わったし、そろそろクリスマス仕様にしていくんだな。
「結衣」
  新しいケーキに「初めまして」の挨拶をしていた私を、彼が呼ぶ。その声は、驚くほど間近で聞こえた。
「ふたりきりのときに、その呼び方はやめろと言っただろう。同じことを何度も注意させるな」
「で、でもっ、そろそろ開店だし……」
「うるさい、言い訳はするな」
  そのまま、背後からぎゅっと抱き締められてしまう。
「あ、あのっ。ケーキ、運ばなくちゃ」
「それより、仕置きが先だ」
  耳元に掛かる甘い息、背筋がぞくぞくとした。
「ちっ、ちょっと……」
「なんだ、これくらいのことでもう感じてるのか?」
  いきなりスイッチ入っちゃってるよ。やばいって、これは。
「たっ、……竜也。駄目、こんなところで――」
  今、私たちがいるのは元のショップよりも少し手狭な場所。耐震の関係で建て替えが決まった前の店舗は取り壊しが始まり、並びの元ベーカリーショップだった場所を期間限定で使わせてもらうことになってる。バックのキッチンも配置とかが微妙に違っていて、慣れないこともあってふたりの動線がぶつかり合うことが多く、以前よりも密着度が増しているような。
「俺は別に、どんなところだって構わないぞ。一仕事終えたら、腹が減ってきた」
「もーっ、駄目です! こういうの、公私混同って言うんですよ。はっきりいって、セクハラです、セクハラ!」
「互いに合意の上なら、そうは言わん」
  とか言いつつも、ようやく腕を解いてくれた。でも、すれ違いざまに素早くキス。
「も、もう……。早く次の作業を始めた方がいいから!」
  自分でも驚くほど顔が火照っていて、すごく恥ずかしい。慌てて両手を頬に当てると、左手薬指にこつっと違和感を覚えた。
  そう、それは約束の指輪。私、とうとうプロポーズされちゃったんだよね。最初は店の助っ人要員、その次が彼女。そして、今では婚約者。
  でもなー、だからといって、ところ構わずこういうのはやっぱ困る。彼は嫌がっているけど、早いとこ新しいスタッフを雇った方がいいと思うんだよね。春に完成予定の店舗は少し広くなるし、今よりももっと売り場を充実させたいと考えているから。そのためにも、今のうちから準備を進めた方がいいと思う。
「じ、じゃあ、ここにあるの全部、運んできますから!」
  そう声を掛ける頃には、彼は直前までのことをまるで忘れたみたいに作業に没頭していた。
  ――まあ、……ああやって、真面目な姿でいると最高に格好良くはあるんだよな。
  大好きな人とずーっと一緒にいられる日々は、ほんのちょっと窮屈ではあるけれど、やっぱり嬉しい。この頃は少しずつだけどキッチンの仕事も手伝わせてもらえるようになったし、そうやって頼りにされるのはいいなあとか。
  しばらくは会社からの呼び出しもなさそうだし、ショップの仕事に集中できそう。仮店舗ではあるけれど、それでも頑張って、クリスマス仕様にしたいし。ここは、元美大生として腕の見せ所ってとこだよね。
「はーっ、……でも結婚ってなんかすごく大変そう」
  売り場の壁の一角には、今までに手がけた特注品のケーキの写真が飾られている。バースディのケーキはもちろん、それぞれの記念日のもの、それからお得意様に頼まれてウエディングケーキを作ったことも何度か。まさにケーキ入刀のその瞬間を映した写真を眺めつつ、私は小さく溜め息をついていた。
  彼は店を開ける日はもちろん、定休日だってケーキ作りに没頭している。もともと面倒ごとが嫌いな性格だし、これからのことについては私が頑張らなくちゃならない場面が増えてきそう。
「……ま、悩んでたって仕方ないか。きっと、なるようになるって」
  今日もピーカンいいお天気、絶好のスイーツ日和。美味しいケーキと仏頂面のパティシエに囲まれて、これって最高なことだよね。
  そんなこんなで過ぎていく、だから毎日がハッピーディ。

   

おしまい♪ (121017)

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