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…『11番目の夢』別幕…
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 流れていく夜のとばり。今までリビングで皆と談笑していたときは本当ににぎやかだった。

 それが。

 今は階段を登るときの、敷き詰められた絨毯を踏みしめる微かな音までもが耳に響いてくる。

 ふと、足を止めると。後から付いてきている小さな足音がやはり立ち止まる。そして、自分の背中を不安げに見上げているのが感じられる。言葉のないまま。それが分かっているのに、こちらも黙ったままだ。こくりと息を飲んで、また上がりだした。

 階段を上がりきると、そのまま左に折れて、自室のドアを開ける。後ろの足音も素直に付いてきた。

◇◇◇

「…惣哉さん?」

 部屋の真ん中まで歩いたところで、ようやく背中に声が掛けられる。控えめに、おずおずと。話しかけていいものか、どうなのか迷っている様子で。彼はゆっくりと振り返る。

 惣哉の視界の先には、彼にとって最愛の人が立っていた。

 片腕に包み込めそうな小さな身体、肩を過ぎたおかっぱの髪。彼女の魅力を引き立てる程度の淡いメイク。ピンクのストライプ模様のカットソーの上にベージュのジャンパースカートを着ている。丸く見開いた茶色の瞳が、身長差のある自分を見上げていた。

「どこか、具合でもお悪いんですか…?」
 いつもより早くリビングを引き上げたのが気になっているのだろう。この所、仕事で帰りの遅い日も多かったのでそれを気遣っているのかも知れない。

「…いや」
 安心させようと、口元に笑みを浮かべる。それからふんわりと両手を広げた。

「おいで、千雪…」

 彼女は不思議そうに小首を傾げる。さらさらと髪が流れる。相変わらず、2週間に一度の美容院通いは続けているらしい。妻のプライベートにまで首を突っ込むべきではないと思っているが、男性ヘアメイクに関わられるのは正直言ってあまり嬉しいものではない。
 まあ、いきなり大きな屋敷の若奥様になってしまった彼女の戸惑いを考えれば、その程度の息抜きは必要だと思う。あまり器用な方ではないと思うが、彼女は自分の置かれた立場を良く把握して、必死で頑張ってくれている。

 静かに歩み寄ってきた身体をそっと抱きしめた。甘くて、いい匂いがする。髪の匂いでもあるし、彼女自身の香りでもあると思う。その全てが惣哉にとっては幸福のかたちで。指先から伝わる呼吸が愛おしい。

「今日は、…良かったね。これで一安心だ」 
 そう告げると、腕の中の人がくすりと小さく笑った。

「そうですね、先生もとても順調だと仰って下さったし…」
 そう言って、身じろぎすると、嬉しそうに顔を上げてこちらを見上げてくる。

 

 今日は退院後、3日に1度続けていた通院の日だった。仕事のスケジュールにゆとりがあったため、惣哉も久々に同伴した。いつもは父親のお抱え運転手である園田さんが送迎を引き受けてくれる。千雪も最初は恐縮して自分で行くと言ったが、やはり流産をしかけた身体であるから、大事にしたかった。彼女も皆の説得に渋々同意した。

 担当医になってくれている、病院院長…つまり、惣哉の義理の叔父になる人なのだが…は、全ての診察を終えるとゆっくりと微笑んで告げた。

「これで、次は半月後で宜しいです。普通の方のように1月あけるのは不安ですが…無理をしなければ普段通りの生活で大丈夫ですよ。お仕事もお身体と相談しながらね…」

 ひとつき以上続いた通院に、彼女も始終不安だったのだろう。その医師の言葉に顔をほころばせていた。

 大量の出血を伴って、病院に担ぎ込まれた時点では。彼女も、おなかの中の子も極めて危険な状態だったと言う。血溜まりから抱きかかえた身体は冷たくて、このまま彼女がどうにかなってしまうのかとすら思った。足元がガラガラと崩れ落ちていくような絶望感。その時、もうこの人なしでどうして生きられるかと改めて実感した。

 

 桜色の頬。ここまで快復したことを喜びたい。そして、こうして自分の傍に変わらずにいてくれることを。

「千雪…」
 そっと頬に手を当てる。彼女は顎にかかった指先にくすぐったそうに反応して、きゅっと首をすくめた。でも次の瞬間、背伸びして身を寄せてくる。惣哉が覆い被さるように身をかがめると、そっと瞳を閉じた。

 やわらかく、数回唇を合わせる。でも、一度離れてから、今度は深く重ね合わせた。

「……っ…!?」
 千雪の身体が震える。舌を差し入れる口づけは久しぶりだった。「おやすみ」のキスはこんなに濃厚なものではない。淡く触れ合うだけだったから。

 何を察したのか、身を剥がそうとする彼女をしっかりと捉え、惣哉は一番深いところまで舌を差し入れた。そしてやわらかい付け根を刺激する。表から、裏から。やがて絡め取って吸い上げる。ふたりの唾液は交じり合って、口元から溢れ出た。それでも行為をやめることはしなかった。

 手探りで場所を確認しながら、小さな身体を抱きかかえるようにして移動する。唇の拘束は解かない。彼女はだんだん抵抗の力を無くし、されるがままになっていた。甘い吐息が、隙間から漏れ出る。

 惣哉の指がベッドメイクされたシーツに触れた。彼は膝に千雪を乗せるかたちでそこに腰を下ろした。

「そっ…惣哉さん!?」
 服の上から柔らかなふくらみを探ると、さすがに千雪はせっぱ詰まった声を上げた。

「やっ…、何するんですかっ! …やめて…っ!」

 いち早く敏感な部分を探り当てられて、のけぞりながら、かすれた悲鳴を上げる。惣哉は彼女の背に腕を差し入れて支えながら、静かに白い流れに横たえた。そしてすぐにこの上に覆い被さる。千雪が声にならない悲鳴を上げた。

「惣哉さんっ! …駄目っ! やめてくださいっ!」

 顔を背けたせいで無防備になった肩先から、スカートの肩ひもを抜く。マタニティー用にゆるめに仕立てられた服だから、身体との隙間に惣哉の腕が余裕で入る。言葉を唇で塞ぎながら、カットソーの裾をめくり、やわらかい肌に直接触れた。

「やあっ! ねえ、どうしてっ!?」
 ばたつかせる足からするりとスカートが落ちる。脱皮するように、中から現れる美しい脚。

 首筋にそっと唇を寄せると、千雪は泣き声で訴えた。

「惣哉さんっ!! 先生に駄目って言われてるんでしょう? どうしたんですか、お願いしますっ! やめてください…私っ…!」

「…大丈夫…」
 白い首筋に顔を埋めているため、いつもよりも低い声が出た。

「院長先生に、聞いたから。もう大丈夫ですって、言われたんだ…」

「え…、あっ…!」
 一瞬の隙をついて、素早く服をたくし上げる。下着がつられてずり上がった為に現れた場所に吸い付いた。千雪が声を上げてのけぞる。

「そ…惣哉さんっ…!」

 首から服を引き抜かれ、下着も外され、あっと言う間に千雪は何も身に付けない上体を惣哉の前に晒しだした。小刻みに震える白い肌に手のひらを這わせていく。しっとりとまとわりつく感覚が懐かしい。触れたくて、触れられずに何度眠れぬ夜を過ごしたことか。

 

 今日、通院の間隔があくと言われて、ふと気付いた。もういいんじゃないだろうかと。忘れ物を取りに行く振りをして、診察室に戻り、直接確認した。

 妻が妊娠すればそう気持ちになれず、気持ちが外に向く男もいるという。でも惣哉にとっては千雪だけがただひとりの女性だと思っていた。そりゃ、彼女が初めての女性ではない。だが、こんなに夢中になれる存在は巡り逢ったことがなかった。

 あの日。突然、この腕に舞い降りてきた天使。たくさんの羽根をまき散らしながら、いくら追いかけても逃げていく。届かない存在。その悲しげな微笑みの意味を知ったのは彼女を失おうとした瞬間だった。
 いつでも側に置きたい、そして愛し合いたい。誰にはばかることもなく、この想いの全てを伝えていきたい。そう思った。

 今日までは秘書の仕事も休ませていた。時々手伝いに来て貰うこともあったが、彼女は出来るだけ自宅で安静に、という医師の指示に従っていた。でも、やはり落ち着かないらしく、気が付くと庭の草取りをしたり、床を磨いたりするので、お手伝いの幸さんにしょっちゅう叱られている。
 幸さんも千雪のおなかの子のことをまるで孫が産まれるように楽しみにしているのだ。でも彼女の愛情の押し売りとも言える「鯉こく」は実は千雪を悩ませていたりする。3度3度、小松菜のお浸しが出るのも飽きたようだ。

 どこにいても人々の心を吸い寄せてしまうのがこの儚いばかりの小さな存在。千雪が多くの人間に愛されることが誇らしくもあり、同時に妬ましくもある。魅せられてしまった自分が、この人をどこまでも独り占めしたいと願ってしまうのだ。

 強引とも言える手段で、我がものにした。そして妻に迎えた。どこから見ても自分が一番近い存在なのだ。それでも籠の鳥を飼うように始終胸を締め付ける不安がある。

 …いつか。この人が再びこの腕から飛び立ちたいと願ったら、どうすればよいのだろう…?

 

「千雪…」
 何かを告げようとした唇に吸い付いて、その奥まで味わう。彼女の戸惑いが舌先から感じられる。当たり前だが、2月近く間が空いていた。それまでは2日と置かずに愛し合っていたが、お互いを他人に変えるには十分な時間だ。

「惣哉さん――」
 涙目で訴える。彼女の言わんとするところは分かる。心の準備が出来ていない、待って欲しいと言うのだろう。でもそんな訴えにどうして同意できるだろうか?

「駄目だよ?」
 必死で押し戻そうとする手のひらを絡め取る。小さくて、頼りなくて、それでも必死にすがりつく手のひら。左の薬指にはめられた約束の印。

「君の気持ちは分かるけど、もう待てないんだ。限界なんだよ? いくら駄目だと言われても、今夜はもう無理だ。君があまりに抵抗するなら、ベッドに縛り付けてでも思いを遂げるつもりだよ?」

「えっ…」
 にわかに青ざめる顔。抵抗の力が少し弱くなった。

「千雪は僕のものだよね? だから、僕が好きにする…君が何と思おうと…」
 熱い想いが脳の裏で弾ける。ああ、もうこんな風に順序立てているのも辛い。出来ることなら、一気に行為に及びたい。自分としてはもうそうできるだけになっている。でも、千雪の方はそうではないだろう。

「惣哉さんっ…!」
 千雪の目から、涙がぽろんとこぼれた。それを素早く吸い上げる。千雪はすべて自分のものなのだ、落ちた雫すら、愛すべきものだ。

「いいね? …千雪…」
 同意しか求めていない問いかけ。千雪にもそれが分かるのだろう。震える瞳がじっと惣哉を見つめ返してくる。やがて、愛らしい唇が確かな言葉を奏でた。

「あのっ…、おなか、つぶさないで…。赤ちゃん、びっくりしちゃうから…」
 そう言いながら、彼女は自分から惣哉の首に腕を絡めてきた。身を浮かせてそっと口付けてくる。ぞくぞくする行為だった。

「分かったよ…ありがとう…」
 惣哉は千雪の身体を気遣いながら、そっと抱きしめる。ふっと甘い息が腕の中に転げ落ちてきた。

 

◇◇◇


「あ、…あんっ! 惣哉さんっ…」

 何度も、何度も。唇を合わせながら、久しぶりの肌の感触を心ゆくまで堪能した。柔らかな頂きに吸い付くと、千雪の手が惣哉の頭を支えてくる。求められている実感に尚ものめり込んでいく。舌先で何度も刺激すると、そこは徐々に固くなり、惣哉を求めてそそり立ってくる。誘われるがままに口に含んで舌で転がした。

 身体を圧迫しないように横抱きの姿勢だ。ストッキングを手探りで脱がせる。白い布の上から惣哉を誘う部分にそっと触れた。

「あ…っ」
 びくっと千雪の身体が震えて、肩にすがりついてくる。

「千雪、もうこんなになって。本当にその気がなかったの? …そんなことないんでしょう…」
 ふっくりと膨れて熱を持っていることが布の上からでもはっきり分かる。すぐにその場所には行かず、すべすべした腿から足の付け根を何度もさすった。千雪の腰が耐えきれないようにうねる。

「く…、うんっ…!」
 千雪は声を殺して、必死に欲望と戦っている。その健気な行為がさらに惣哉を奮い立たせる。遠慮しながら抱かれるようなことはして欲しくない。愛し合うなら、お互いが溶けてしまうくらい乱れさせたい。腰が浮いた時、一気にただ一枚残っていた布地を引きずり落とした。

「あっ…!」
 惣哉は千雪を抱えていた腕を外すとそっと下に回る。そして、きっちりと閉じられた膝を持って、両方にぐっと開いた。そして自分を待っている場所にそっと顔を寄せる。ふっと息を掛けると千雪が腰を浮かせて逃げようとした。

「や、やめてくださいっ! あのっ…シャワー浴びないと…駄目ですっ…やっ…」
 逃がすもんかとこちらに引き寄せて、溢れ出るものをいきなり音を立てて吸い上げた。

「そ、惣哉さんっ! 駄目、汚いからっ…!」

「そんなことないよ? …千雪の味がして…たまらなくいい匂いがする。駄目だよ、おいしいものをおあずけにしたら、後でひどくするよ…いいの?」
 そう言いながらも、やめることは出来ない。舌先を器用に使って、入り口を押し開く。するとこんこんと湧き出るものがじゅわりと音を立てて溢れてきた舌先で絡め取る。

「やあっ! いやっ…! あっ、…あんっ…!」
 声色がだんだん変わってくる。惣哉の舌の動きに合わせて、千雪の腰がやわらかくくねり始めた。まるで誘うように。

「こんなになって…待っていてくれたんだね、千雪…僕を想って眠れないこともあったんでしょう…」

「え、そんなっ…そんなこと…っ! あ、…はあっ…、ああんっ…!」

 言葉で否定しながら、態度ではそうだと言っていた。でも、今日は千雪の口から正直な気持ちを言わせたい。自分と千雪がずっと同じ気持ちで求め合っていたということを感じたいのだ。
 惣哉は彼女のふくれあがった小さなふくらみを舌先でつつき、口に含んだ。こんなに小さな頼りない場所なのに、微かな動きにも千雪はびくびくと反応していく。

 幼い外見からは到底想像の付かない成熟した女性の部分。夕食のテーブルで過ごしたワインよりも甘く酔わせてくれる。

「千雪…ちゃんと本当のことを言いなさい。僕が欲しかったんだよね、そうだよね…?」
 惣哉が唇を離してそう問うと、彼女はすがるような瞳で見つめてきた。

「惣哉さん…どうして…? どうして、今日はこんなに意地悪なことを仰るんですか…っ!」

 何ともそそられる視線だ。いつもだったらすぐに陥落してしまいそうな気がする。でも今日の惣哉はぐっと堪えた。そのまままたせめを再開する。念入りにまとわりつくように味わっていく。

「あ…ああっ…! 駄目っ、駄目ですっ…こんな、ひとりだけで、嫌っ! 惣哉さんが一緒じゃなくちゃ駄目ですっ! ああっ…!」

 背中をのけぞらせて、シーツを握りしめ、必死に最後の瞬間を耐えている。でも、彼女の身体など、もう知り尽くしていた。どうしたら感じるか、どうしたら堕ちてくれるか。その瞬間を求めて、惣哉の舌は這い回る。千雪は何度も悲痛な声を上げた。

「ひ、ひとりは嫌ですっ! お願いです…あ、だめっ、…や、やああっ…!!」

 彼女が惣哉の問いかけを無視しているうちに、とうとう大きな波が押し寄せてしまった。部屋中に響き渡る声を上げて、彼女が堕ちる。そっと見つめる顔が涙でぐしょぐしょになっていた。惣哉はそっと伸び上がって、塩辛い雫を吸った。

 ぴくんと、肩が動く。泣き濡れた瞳が開かれた。

「ねえ、…惣哉さんが一緒じゃなくちゃ、嫌ですっ! ひとりにしないで…お願い、一緒にいて…!」

 惣哉は下半身に感じていた痛みが最高潮に達するのを感じていた。舌技だけで堕ちてしまう千雪だが、惣哉はこの千雪の言葉だけで堕ちてしまいそうだ。あまりのことに腰が鈍く痛んだ。

「…ちゆ…」

「惣哉さんも、一緒に…ね、お願いっ…!」
 そう言いながら、嗚咽を上げて胸に顔を押し当ててくる。彼女の中にある不安がちらりとかいま見えた気がした。

 千雪の心を長い間占めていたもの。それはおしまいを意識する悲しいかたちだった。思わず抱き寄せると、ひりひりと惣哉にまでそれが伝わってくる。もう十分に満たされているはずの心に、どうしてこんな風によぎるものがあるんだろう…。

「ごめん、千雪…悪かった…」
 額に口付ける。少し、悪ふざけがひどかったか。

「惣哉、さんっ…!」
 千雪がまだ涙を流しながら、抱きついてくる。

「ね、一緒に来て…? お願い…」

 もう十分だった、惣哉は千雪をそっと横たえると、ゆっくりと腰を進めた。先端が触れたときにじりっと戦慄が走る。千雪の身体も大きく震えた。

「あ、…大丈夫かな…?」
 今の今まで忘れていたが、よく考えたら彼女は妊娠中だ。こんなに刺激して大丈夫だろうか。さっきのだけでも大きな負担になっているんだろうに。

「平気…早く来て…お願い…」
 千雪はかすれる声を出す。それに助けられて、入り口を押し広げて侵入した。

「あ…、千雪っ…すごいっ!」
 なかなか入り込めない。腰をくゆらせながら、そっとそっとねじりこむ。千雪の内壁が吸い付いてくる。

「あんっ…違うのっ、惣哉さんがすごいのっ…どうしよう…!」
 千雪の脚がびくんびくんと揺れた。知らずに膝が閉じていく。それを左右に開いて、奥までずずっと突いた。

「ああっ…千雪…っ!」
 ようやくその存在が分かるように膨れたおなかに注意して、そっと口付けた。深く合わせると、下半身の結合までが疼く。やっとこうしてひとつになれたんだと思う。不安も何もなくて、愛し合うだけの身体で。

「う、動いていいよね? すごい、千雪っ! 本当にすごくて…!!」

 視界の先の千雪がこくんこくんと動作だけで答えた。彼女としてももう言葉を発せられる状態にならないらしい。吸い付かれた場所から自分を引き抜くのは至難の業だったが、勢いを付けて腰を引く。ギリギリまで引いてから、また一気に突き上げた。

「あっ…いやああっ! すごいのっ! あんっ…、ああんっ…!!」
 千雪が高く叫びながら、腰をくゆらす。じんじんと包み込む暖かさ。身体ごと心ごと、包まれている充実感。

「千雪っ!! ああっ…、千雪っ…!! いいよっ、最高だ…っ!」

 惣哉の中から、全ての戸惑いが消えていく。誰を信じるとか信じないとか…そう言うことも関係なくなる。この世にはふたりしかいない気がする。もう他には何もいらない。

「千雪…っ!! 君は、僕のものだっ、僕だけのものだっ…!! そうだね…!?」

「ええ、ええ、惣哉さんっ! 私は、あなただけっ…!」

 絡め取る意識、絡め取る吐息。惣哉は全てを忘れて突き上げ、千雪はそれを受け入れた。

 

◇◇◇


「…大丈夫…?」
 頭がぐらぐらする。久しぶりだからと言って、あんまりに激しかったのか。小刻みに震える腕の中の人は息だけで声にならずにいる。震える口元、惣哉はそれを舌ですくい上げた。

「…ええ…」
 導かれるように、千雪が微かに呟く。身を横たえたまま抱きすくめる。汗ばんだ腕が汗ばんだ身体を抱きとめる。ふたりは同じ場所を今でも漂い続けていた。

 

「こうして、千雪を抱きしめているときが一番幸せだよ? ああ、本当に、君が戻ってきてくれて良かった…」

 失いかけた存在。彼女は自分の元を去ろうとした。他ならない、自分を守るために。全てを犠牲にして。ギリギリのところで間に合った。それが嬉しい。この運命に感謝したい。

 いくら求めたところで、人の心は動かない。それは知っている。かつて愛した少女が自分の元を去ったときのことを思い出す。彼女は確かに目の前にいるのに、心が自分に向いていなかった。いくら掴んで取り戻そうとしても、力ずくではどうにもならなかったのだ。それを思い知ったからこそ、怖かった。この人を失いたくないと思いつつも、思い切るのが怖かった。

「いいえ…」
 言葉を失ったまま、眠っているのかと思った口元がもう一度言葉を発する。綺麗な音色が惣哉の胸に落ちてきた。

「私、惣哉さんの傍にいたかったの、ずっと、ずっといたかったの…感謝しなくちゃならないのは、私の方だわ…」

「…千雪…」
 深くため息を付く。ああ、こんな愛おしいものがこの世に存在するなんて…。柔らかい髪に触れる、さらさらとやはり心地よい。こんな風に満たされながら、触れる身体は指先がぴりぴりと震えるほどに満たされる。

「私には、惣哉さんしかいないの…」

 この人から始まる。何もかも。この人から芽生える、何もかも。無から始まる愛。かたちを決めないで育む心。


 しばらくの間、お互いに黙ったままでしっとりと呼吸の音を交差させていた。しかし、一度火を付けてしまった惣哉の心はなかなかくすぶりが消えなかったようで…。

 

「……っ!?」
 惣哉の腕の中で、千雪がびくんと揺れた。

「や、…ちょっと待って下さいっ! 何してるんですか!? …駄目ですっ! 惣哉さん…っ!」

 慌てふためいて、逃げようと必死で動く。でも力強く腕に包まれた状態では籠の鳥。しゅるしゅるとシーツをきしませても逃れられない。

「えー? 駄目なの…?」
 惣哉は千雪の首筋に唇を落とす。もちろん、右手はあやしい動きで身体のラインを縁取って…。

「…もうっ…」
 出来る限りの非難の表情で見上げる。とんがった唇に新しい湿り気を落とした。

「ふたりでいられるのも後わずかなんだから、楽しませてよ?…いいよ、無理そうだったら言って。すぐにやめるから…」

 

 惣哉はサイドテーブルのリモコンで部屋の照明をギリギリまで落とした。すると、窓からしんしんと月の灯りが差し込んでくる。今日が満月だったことにようやく気付いた。

 天に漂うまあるい月より満たされた己の心を感じながら、惣哉は再び穏やかなぬくもりの中に溺れていった。

Fin (021210)

 

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