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… 「片側の未来」番外☆菜花編その1 …
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「おはようございます〜」
 園バスを降りると、担任のいずみ先生が出迎えてくれた。あたしたちひとりひとりの顔色を確認しながら、にこにことご挨拶してくれる。


 いずみ先生は、23歳のぴちぴちだ。もちろん、独身。でも、知ってる。パパのファンクラブに入ってるって。会員証も持ってるよ。園長先生がパソコンで作ったんだって。パパとママには内緒でね、って、先生がこっそり見せてくれた。

 去年、こっちに引っ越してきて。あたしは「てんえん」したの。

 そりゃ、東京のお友達と別れるのは悲しかったよ。赤ちゃんの頃からずっと一緒だったんだもの。それに「はな先生」もいたし。
 はな先生は赤ちゃんを産む担任の先生の代わりに来た代理の先生だったけど、でもみんな大好きだった。あたしとは3ヶ月しか一緒にいなかったのに、お別れ会ではぎゅーっと抱きしめてくれた。本当はお引っ越しの日にお見送りに来て欲しかったけど、「研修があるから、駄目なの」って言って泣いていた。だから、あたしもわんわん泣いちゃった。別れって、悲しいものなのね。

 新しく入った幼稚園は、真っ赤なとんがり屋根に真っ白な壁。窓の枠とかは赤い。お花がたくさん咲いていて、門のところにはずらずらっと桜の樹もある。初めての日、パパとママと一緒に来たときに、パパが「立派だな」と感激していた。きっと菜花の卒園の時にも咲くだろうなって。この辺は暖かい気候なので、桜の開花も早いんだって。
 遊園地みたいに大きなすべり台やお城みたいなジャングルジムがあって、すごいなと思った。お砂場もクラスのみんなが入れちゃうくらい広い。お外遊びもお散歩もたくさんあるんだ。

 でも、一番のびっくりはメアリーポピンズみたいなピンクのドレスを着て出てきた園長先生だと思う。先生は若い頃、ディズニーランドで働いていたんだって。あ、園長先生と言ってもまだ若いんだよ、45歳だって言ってた。お城みたいな園舎も、園庭も全部園長先生の趣味なんだよ。

 

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「おはようっ! 菜花ちゃん」

 お教室にはいると、すぐにひとりの男の子があたしに駆け寄ってきた。お花屋さんのお家の翔くんだ。短めに切りそろえた前髪がぴぴぴっと立っている。ハードムースを使うんだって。雨の日はすぐに湿気でくたんとして嫌なんだって。

 園服は園舎の色と同じ赤を基調にしてる。赤のベレー帽と短めの赤いブレザー。ダブルのボタンは黒(でもさりげなくくまさんのお顔が描いてあるんだよ、可愛いの)。女の子は赤と白のチェックのスカート、男の子はハーフパンツ。男の子のパンツは赤だけど、折り返しのところがスカートと同じチェック。脇のチャックで脱げるひも付きの布靴も赤い。ブレザーの下は白のポロシャツ。赤のステッチが効いていて可愛いよ。

 おしゃれなデザインに人気があって「この園服を着せたいから!」と徹夜して入園申込書をゲットするパパやママもいるんだって。でもネットに入れてざぶざぶ洗えるんだ。しかもほとんどのシミが綺麗に落ちる。それがいいなとママが言ってた。前の園の制服はクリーニングだったから、汚すと大変だったって。

「あのね、今日は卒園式用のお花を納品してるんだ。それで、お教室にも少しずつプレゼントなんだよ。ねえ、来てよ? とんぼ組のお花は菜花ちゃんをイメージして僕がアレンジしたんだから…」

 見ると、先生のお机の脇にどどんと大きな花瓶が置いてある。昨日まではなかったものだ。その中にピンクのお花がたくさん活けてあった。ガーベラにスイートピーに…フチがギザギザしてる不思議なかたちのチューリップ、ミニバラ。それらをふわふわのかすみ草と緑の葉っぱが取り巻いてる。もうそばに寄っただけで春の匂いがぷんぷんしてくる。

 翔くんのお家はお花屋さん、じゃなくてフラワーアレンジショップなんだって。で、翔くんのお父さんがやっている本店の他に5つの支店がある。結婚式場やイベントへの納品もしていて、幼稚園もお得意様のひとつなんだって言っていた。支店のひとつはガーデニング専門店で、そこはパパの行きつけのお店。

「菜花ちゃんにはやっぱりピンクだよね? 今日のリボンもすごく似合ってるよ」

「そ…そう?」
 田辺のおばちゃんが買ってくれた綿レースの縁取りのあるおリボン。今朝早速結んでくれた。あたしはくるくるの髪の毛を肩の下まで伸ばしているんだけど、ふたつにしばってるんだ。時々、「パーマしてるの?」とか「染めてるの?」とか聞かれるけど、そうじゃない。天然の色で、天然のくるくる。
 妹の梨花はやっぱり茶色いけど、まっすぐなんだ。シャンプーの宣伝みたいな天使の輪がある。あれもいいなと思う。でも、そう言うとママが言うのよ。

「今はウイッグがあるから、どんな風にでも出来るから大丈夫。でも、菜花ちゃんの髪の毛はとっても素敵よ?」

「菜花ちゃんは本当に可愛いんだもん。ウチのショップの前に飾っておきたいってママが言ってたよ?」
 サッカークラブのジュニアコースに通っている翔くんは良く日に焼けていて、白い歯がきらきら。ニッと笑うとき、ちょっとカメラを意識したみたいに斜に構える。

「えええ、そうなの…」
 それって、人寄せ、ってやつかなあ。ずっと立っているのは大変そうだなと思った。


 でも、翔くんには借りがある。何しろお誕生日にはものすごくでっかい花束をくれたんだ。あたしのお誕生日は8月なので、夏休み中。クーラーの効いたお部屋で妹の梨花と一緒にアンパンマンのビデオを見ていたら、ピンポーンが鳴った。ママが慌てて応対に出て、きゃっ、と小さく叫んだ。あたしがあとから玄関に行くと、翔くんのお店の配達係のお兄さんがにこにこ立っていた。

「これ、坊ちゃんからのプレゼントですって。今、坊ちゃんは軽井沢に行ってまして、お戻りになり次第、直々にご挨拶に伺うそうですっ!」

 そして、ママが「まあ、悪いわ」とか困っているのに、そのまま行ってしまった。ママがようやく抱えられるほどのすごい花束。そのあと、ママはパパに電話してそのお花を取りに来て貰った。
 何しろ真夏だし、明日からはウチも北海道に行く、と言うときだったし。だから、パパのお勤めしてる営業所に飾って貰うことにしたんだ。そんなこと、翔くんには言えなかったけどね。ついでに翔くんちにはパパがきちんと御礼をした。


「おやおや…これは大垣くん。先日はお祖父様の演説会に素敵なお花をありがとう…」

 あたしと翔くんがお花を眺めながらおしゃべりしてると、後ろから声がした。

「あ、鷹司くん、おはよう」
 振り向くと、今度は髪の毛をおかっぱみたいにして、前で分けてある男の子が立っていた(ワンレン、と言って前に女子大生の間で流行った髪型に似てるって、先生たちが言ってた。ひそかに「ワンレンくん」と呼ばれているの)。鷹司くんだ。なんでもおじいちゃんが市長さんで、偉いんだって。でもって、来期は参議員に立候補をする予定らしく、このごろ忙しそうだって言ってた。

「いやあ、花はやはり綺麗でいいねえ…でも、悲しいかな。花はすぐに枯れてしまうんだよ…あとは人々の心にのみ、その残像を留めて…」
 そんな言い方をしながら前髪をかき上げる。ちょっとホストっぽいって春菜ちゃんが言ってた。そう言えば、田辺のおばちゃんが「夜に撮っておいたから」と見ていたドラマのホストクラブのお兄さんはこんな頭をしていた気もする。眉毛が少し細いのも剃ってるのかなあ…?

「ふん、何が言いたいんだよっ!」
 さすがにむっとしたのか、翔くんの方もけんか腰になってきた。いつものことだけど、このふたりは仲が悪い。本当に見てるとドキドキしちゃう。

「いやいや、…はあ、商人はキャンキャンと叫んで…困るねえ…」
 窓の方をちら、と見て、ふうとため息。どうでもいいけど、耳にピアスを付けるのはどうかと思うなあ…オトナだって男の人はそんなもの珍しいよ。

「実はね」
 この言葉はあたしじゃなくて、翔くんの方を見て言ってる。何だか、目の奥が燃えているんですけど…。

「その花瓶を贈呈したのが…ウチのお祖父様なんだ。もちろん、このひとつじゃないよ? 全ての教室と、それから講堂の大きいふたつのも。…ああ、イタリーのブランド品だから、扱いにはくれぐれも注意してくれよ? まあ、その前にがさつな君の家の店員が粗相してないといいけどねえ…何しろ、花の10倍もの価値があるものだからねえ…」

 ミルクの白にブドウや葉っぱの浮き模様のある花瓶。結構高そうだ。このままだと、公職選挙法に違反するかも知れないけど、ここはぬかりなくちゃんと私費でやってるからギリギリのところなんだって。後ろ側に金色の字で「成川満朗・寄贈」とでっかく書かれていた。

「…あ、そうそう」

 もう、翔くんはふるふるしながら下向いちゃうし、あたしもどうやって返答したらいいか分からないし。春菜ちゃんはちょっと離れたところから、状況を見守っているし。困り果てていると、鷹司くんの方が、しゃべり続ける。あたしもおしゃべりな方だと言われるけど、政治家の血を引いている鷹司くんには遠く及ばない。

「菜花ちゃん、君の家の近所の公園、入り口の車止めのところに段差があって危なかったでしょう? あれ、お祖父様の口利きで近く、工事してスロープにしてくれるそうだから。君の弟くんのベビーカーもそれでオッケーだね…」

「…はあ、ありがとう」

 とか言ったらいいのかしら。もう何がなんなんだか。もう、面倒だわ、春菜ちゃんのところに戻ろうかな…と思ったら、教室に飛び込んできた元気な男の子がいた。

「あ〜菜花ちゃんっ! おはよ〜!! あのね〜、ウチのお父さんがね、菜花ちゃんのパパは週末いらっしゃいますかって…」

「あ、賢人くん。おはよう…」
 今までのふたりと比べると、ちょっと普通っぽい。今時の男の子、って言うのかな? 髪の毛も普通に短い感じで、黒い。

「ほら、菜花ちゃんのパパが庭先にミニ温室を造りたいって言ってたでしょう? あれのね、いい資材が入ったんだって。だからお話を伺いたいって…」

 賢人くんのお家は注文建築の工務店だ。賢人くんのパパとママは一級建築士。機能性を重視しながらナチュラル思考の暖かい設計をするって人気がある。雑誌にもたくさん出ている。ウチの幼稚園も賢人くんちで建てた人が何人もいる。賢人くんのパパとあたしのパパは大学の先輩と後輩になるんだって、パパの方がずっと年下なんだけど。

「う〜ん、どうかなあ…」
 パパに言ったら飛びつきそう。何しろ、パパは温室を造りたがっていたもんね。ママに季節を先取りして咲かせたお花で喜んで貰いたいんだって。もう、何から何までママが中心なんだから。…あ、でも、病院のこともあるしなあ…。

「そうね、弟が何時帰ってくるかでバタバタしてるから。そのうち、パパから連絡して貰うね」

「あ、そう。ああ、そうしたら僕も行こうかな? 菜花ちゃんの弟、見てみたいもん…」

「「な、何だってっ!!」」

 …今の言葉はハモっていた。翔くんと鷹司くんの叫びだ。犬猿の仲の割に、結構綺麗なハーモニーだった。もしかしたら、ケミストリーみたいにデビューしたりして??

「な、何だよっ! おいっ、抜けがけは許さないぞっ! どういうつもりだよ、賢人!!」

「そうだよ、菅原くんっ! こう言うのはね、フェアに行かなくてはならないよっ! 菜花ちゃんの家にお邪魔するなら、僕の方が先に…」

 何が何だか、押し問答になってきた。あああ、もう。誰だって、いいじゃないのよ〜どうして張り合うの? そんなに赤ちゃんが見たいの? だったら、他のお家だって赤ちゃんがいる家はあるじゃないのっ! それに…まだまだ樹は赤くて宇宙人だし…。

「「「ねっ、菜花ちゃんっ!! 誰を最初に呼ぶんだいっ!?」」」

 やがて、3人が一気に話しかけてきた。ひ〜〜〜〜っ、何なの〜っ! どうにかしてよ〜、しくしくしく。

「え…えっとね…」

「「「ええと、で、誰なのっ!?」」」
 しどろもどろに話し出すと、すぐさま3人が反応する。ええん、泣きたいよ〜、春菜ちゃんもそんな遠くで笑ってないで、応援してよ〜!

「あの――…、ママが帰ってきたら、相談するから。それまで、待っていて」
 それだけ言うと、がくっと身体の力が抜けた。

 

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「菜花ちゃん、お疲れ様〜」
 ようやく園カバンを置きに行くと、春菜ちゃんがにこにこ笑って待っていた。

「すごいね、毎日のお出迎え。あの3人、菜花ちゃんを取り合って緊迫してるんだもん。ウチのママなんて、毎日の私の報告を心待ちにしてるのよ?」

 …あの? 報告してるんですか、春菜ちゃん。そんな暇があったら、助けてくださいっ。

「で? どうなの? ホントのとこ、菜花ちゃんは誰がいいの〜?」

「えええ?」

 そんな〜分からないわよ。っと言うか、3人とも、みんなちょっと変なんだもん。あたし、もっと普通の男の子がいいな。それに誰が好きとか、そう言うのもよく分からない。パパくらい素敵な人が現れれば、即オッケーなんだけど…いないんだもんな。

「ま、いいや。本命が現れたら私に一番に教えてね。さあ、お外遊びに行こうよ〜」

「あ、うんっ!」

 

 春菜ちゃんがカラー帽子を被って支度を終えて、園庭に出て行ったので、あたしも慌ててカバンをしまう。…あ、そうだ。おはようブックにシール張らなくちゃ。…ととと。

 ――がたんっ!

 慌てていたせいか、机の足に引っかかってつまづきそうになった。どうにか踏みとどまる。でも…。

「あ、やだっ…!!」
 目の前の床にたくさんのクレヨンが散乱している。きっと、今のであたしがやっちゃったんだ。慌てて床にしゃがむと、拾い始めた。

「あ、…いいよ。スカートが汚れちゃうよ? 僕が…拾うから…」
 のそのそと椅子を立つ気配。背中から声がする。蚊が鳴くような、消えそうな声。この声の主はすぐに分かった。

「ごめんね、岩男くんのだったんだ…邪魔しちゃったね」
 くるりと振り返って、ぺこりと頭を下げた。顔を上げると、大きくて目の前に壁が出来たみたいな身体の男の子がいる。でも、顔は真っ赤で、すごく恥ずかしそう。まあ、岩男くんは誰にでもそうなんだけど。お教室のみんなにも、先生にも。

「あ…」
 クレヨンを拾おうとして手を止める。…赤のクレヨン…折れちゃってる。

「ごめんね、岩男くんっ! クレヨン、折っちゃった。ど、どうしよう…菜花のと交換する? 本当にごめんなさいっ!!」

 ああん、どうしよう。岩男くんのクレヨンは、他の男の子たちのように汚くない。紙だって綺麗に巻いたまま。それなのに、ぷつんと半分になっちゃって…。

「いいよ、いいよ…」
 岩男くんは、でも…と躊躇するあたしの手から、折れたクレヨンを奪い取った。

「別に、折れたって色は塗れるし…」

「でもぉ…」

 ただでさえ、よく使うから短くなっている赤のクレヨン。半分になっちゃったらおっきな岩男くんの手には握りにくそう。あたしが黙って青ざめていると、それに気付いたのか岩男くんはちょっとだけ笑ってくれた。

「じゃあ。あとで先生にセロテープを借りてつなげるから。だから、大丈夫だよ?」

 お口の端が、少しだけ上がっただけの笑顔。岩男くんの目は最初から細いから、笑っているのか泣いているのかよく分からない。それにあんまりおしゃべりしないから、何を考えているのかも分からない。口から先に生まれてきたような男の子たちの中でも、とても変わっている存在だ。

 でも。それは、あたしをホッとさせてくれるには十分な笑顔だった。

「絵を…描いてたの?」
 あたしは初めて、机の上のスケッチブックに気付いた。岩男くんは椅子に座り直すと、恥ずかしそうに頷いた。

 自由時間は好きなことをしていいことになっている。でもお天気のいい日にはほとんどの子が園庭に出る。でも、岩男くんはこうやってお教室の隅っこでひとりでいることが多かった。もしも園庭遊びをしたとしても、ひとりでお砂場でお団子を作っている。いつだったか触らせて貰うと、それは落としても割れないくらい丈夫につくってあった。

 広げられたスケッチブックにはピンク色と緑色でたくさんのお花が描いてあった。まるで本当に咲いてるみたいに綺麗。

「すごい、上手だね。さすが、岩男くんだ」

「そ、そんな…ただ、あの花が素敵だなと思って…それで」

 岩男くんは必死で謙遜しながら、またお絵かきを再開した。でも、あたしは知ってる。岩男くんはとっても絵が上手い。コンクールとかにもクラスの代表で出すんだ。金色の折り紙が付いて戻ってきた。今使っているスケッチブックはその時の記念品だ。
 ついでに言うなら、塗り絵だって折り紙だって上手だ。手先が器用だって言うらしい。

 

「…じゃあ、あたし、行くね。本当に邪魔してごめんね、出来上がったら見せてね?」

 あたしが声を掛けると、岩男くんはピンクのクレヨンの手を止めて、顔を上げてまたちょっと笑った。

 

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