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… 「片側の未来」番外☆菜花編その1 …
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「つ、作るって…何を?」

 またもや、考えてもなかったことを言われて。もうもう、びっくりしてしまう。嫌だ、子供だけで、そんなこと出来るわけないじゃない。まさか、おむすびとか? …無理無理っ! 「ひとりでできるもん!」みたいに上手に出来るわけないじゃないのっ! きっと、ぼろぼろってご飯粒が飛んじゃうわ。

 躊躇することなく作業を開始する岩男くんに驚いて、慌ててあたしも立ち上がった。そして、お台所でかちゃかちゃやり出した背中の後ろまで寄る。

 牛乳をカップで計ってボウルに入れて。それからそこに卵をぽんっ、と割った。

「え…?」
 魔法みたいだった。どきどきした。お友達で生卵を上手に割れる子を見たことない。それなのに、あたしの方を向いた岩男くんはもっと信じられないことを言う。

「あ。菜花ちゃんも、割ってみる?」

 そう言って。真っ白なまあるい卵を渡された。岩男くんが場所を空けてくれる。あたしはもうどうしたらいいのか分からない。泣き出しそうになりながら、振り向いた。

「…菜花、出来ないよ。やったことないもんっ…!」

 岩男くんは、すごく驚いた顔をして。それから、ふっと口元で笑った。

「じゃあ、教えてあげる。ひらべったいところに、卵をコンコン、ってしてごらん?」

「え…?」

 代わってくれると思ったのに。岩男くんは身振りで私を促す。ああん、どうしよう。恐る恐る、ステンレスの銀色に卵を何回か打ち付けた。それだけですごく怖かった。すると、指の先で押したくらいのヒビが出来ていた。あたしは、それを見せながら、また振り向く。もう緊張して、肩ががくがくだ。

「そしたらね、そこのヒビに親指を入れて…そうそう、両方ね。そのまま、ぱかっと…」

「…わっ…!」

 開いたカラの中から。卵の中身がぽろんとこぼれて、ミルクのボウルの中に落ちていった。すごいっ! 初めてなのにっ…! 菜花、自分で卵が割れちゃった。

 どきどきしながら振り向くと、岩男くんがにこにこ笑っていた。肩で息をしながら、ふうっとため息つく。岩男くんの目がちょっと細くなった。

「…良かった。菜花ちゃんが、やっと笑った」

 

 そのあと、泡立て器でぐるぐるして。次にホットケーキの素を入れる。あたしはもう、ドキドキがすごくなって止まらなかった。

「い、岩男くんっ! 駄目だよ〜、子供だけの時はガスを付けちゃ駄目なんだよ?」

 すると、岩男くんはボウルを流しに置いて、また下をごそごそする。そして、大きな箱を取り出して。

「これね、使っていいって。ばあちゃんがいないときでも」
 箱の中からホットプレートが出てきた。焼きそばとか焼き肉とかするときに使う、電気のフライパンだ。でもっ…これだって、使っていいって言われてない…! 普通、ママのいるときしか、駄目だと思う。

「あのね」
 ハラハラしながら見ているのに。岩男くんはさっさとそれをこたつの上に置くと、コンセントを差し込む。そして160度に合わせた。

「空だき10分で切れる設定になってるし、必要以上に熱くならないようになってるから大丈夫。でも上は熱いから、触らないでね?」

 オレンジ色のランプが消えた。十分に温まったと言うことなんだって。岩男くんは油をちょっと落とすと菜箸でキッチンペーパーを挟んでぐるぐるする。まんべんなく、油がプレートに塗られていく。

「菜花ちゃん、ボウルを持ってて」
 岩男くんは息を止めながら、お玉でとろとろをすくって、そーっと落としていく。大人の手を広げたくらいの大きさ。すごい、パパがやるみたいだ。完ぺきだ。

じじじっと音がして、表面がだんだんぷつぷつしてきた。あ、ひっくり返すサインだ。これもパパが教えてくれた。

 

 パパはフライパンでホットケーキを作ってくれる。お休みの日、ママがお寝坊する朝に。

 いい匂いに目をこすりながら起きていくと、水色の縞々のエプロンを付けたパパがコックさんみたいに働いてる。大学生の頃、レストランでアルバイトをしていたんだって。片手でフライパンを振って、ぽんとひっくり返す。オムレツもホットケーキもそうだ。
 たまに、フレッシュバターも作ってくれる。生クリームを瓶に入れて、振るの。白くなって、そのあとだんだん黄色の固まりと白いお水に別れてくる。そのためにコーヒーの空き瓶のでっかいのを取ってあるんだ。

 

 そんなことをぼーっと考えてたら、岩男くんが銀色のへらをふたつ出してきた。お好み焼きやさんで見たのに似てる。両手に持って、それをホットケーキの底に差し込んだ。

「よい…しょっ!」

「…うわっ…!」

 もう、びっくりしたっ! すごい、ひっくり返って出てきたのは…まるでパパのホットケーキみたいな綺麗なきつね色。ぴかぴかに光ってる。

「すごい、すごい…っ! 岩男くん、大人みたいだねっ!」
 思わず、拍手しちゃった。天才シェフも顔負けかも知れないっ! おなかの空いていたことも忘れてしまう。すごい魔法をたくさん見せられて、もうそれだけでおなか一杯になってしまった。

 でも岩男くんは、全然威張ったりしない。恥ずかしそうに下を向くと、プレートに蓋をして、立ち上がる。食器棚からお皿を出してきた。それから、冷蔵庫を開けて、バターとホットケーキシロップを持ってくる。

 やがて、おいしそうに焼き上がったケーキをへらでお皿に乗っける。スプーンで削ったバターがその上を溶けながら流れた。

「え…ええと…」
 あたしの視線が気になったのか、岩男くんはまた真っ赤になる。それから、こちらを向いてちょっとすまなそうな顔になった。

「菜花ちゃん、おなか、まだ大丈夫?」

「…へ?」
 急にそんなことを言い出すからびっくりする。そりゃ、おなか空いて死にそう、とかじゃないけど…でも、あたしのために作ってくれたんじゃなかったの? 違うの? 岩男くんは黙ったままで、ケーキのお皿を持って立ち上がる。

「ど、どうしたの…っ?」

 お隣の部屋に入っていくから、慌てて後を追いかける。おこたの部屋よりはちょっと狭くて薄暗い場所。そこには壁に埋め込まれた仏壇があった。天井の方には神棚もある。ウチにはこんなモノはない。おばあちゃんちにはあるけど。普通のお家にどどんとお仏壇があるのって…すごく不思議。

「ええとね…」
 岩男くんは仏壇の前にケーキを置くと、部屋の電気を付けた。

「最初に作ったものは、仏様にあげるんだよ、ご飯も、朝の初めのお茶もみんなそう」
 そう言って、仏壇の前で手を合わせる。

 その時、あたしは気付いた。お仏壇の中に綺麗な女の人の写真があった。こちらを見て優しそうに笑っている。思わず、息を飲む。心臓がどきんと高鳴った。

「ちょっとしたら、下げて頂くんだけどね。だって、仏様は本当には食べないから。死んじゃった人は食べられないもんね…じゃあ、菜花ちゃんの分、作ってあげる」

 

 あたし、自分のほっぺが冷たくなった気がした。岩男くんがすぐにさっきの場所に戻って、さっさと次のケーキを焼きだしたので、黙ったままそれを見ていた。

 …なにか、言葉をしゃべったら、何だか心がぐちゃぐちゃになりそうだったから。どうにか気を落ち着けようと、目の前の光景に神経を集中した。でも、頭の隅っこにさっきの写真がこびりついてる。頭の中がぐるぐると回って、とても苦しかった。

「い、岩男くんの…ママって、死んじゃったの?」

 聞いていいのか、分からなかったけど。ようやくそれだけ訊ねた。


 およそのママたちのお話を思い出す。どうして、あのお家はママがいないんだろうと、横目で岩男くんとお父さんを追いながら、ひそひそ話をしていた声を。
 私服遠足。他の子たちは思い切りおしゃれしていた。みんなブランドモノのロゴの付いたトレーナーを着て、足首までのひも靴を履いてる子もいた。でも、岩男くんは短いズボンと、ちょっと小さめのセーター。肘のうしろに毛玉がたくさん付いてた。だれかのお下がりみたいだった。

 あの子はママがいないから、あんな格好をしているのよ…と、およそのママの声。あのときママはあたしの手を引いて、その輪を離れた。見上げたら、ちょっと寂しそうな顔をしてた。


「うん。年少組の時、病気で死んじゃった」
 当たり前みたいに、言う。ケーキを返しながら。じゅっとおいしそうな音がする。

「それまでは、東京に3人で住んでたんだけど、母さんが死んで、ばあちゃんに預けられたんだ。まだ、菜花ちゃんが転園してくる前だよね? 僕も途中入園なんだ」
 そう言って、にっこり笑う。何でもないみたいに。お話を聞いただけで、あたしは苦しいのに…岩男くんは平気なんだろうか? パパもお仕事で遠くにいて、たまにしか帰ってこないで。

 今日だって、ひとりでお買い物に行って。おばあちゃんが帰ってくるまで、ひとりで待ってるんだ。日が暮れて、夜になって、それまで帰ってこないおばあちゃんを待って。

 すごく、すごく。寂しいんじゃないの? そうじゃないの?

 だって、あたしは。今日一日、田辺のおばちゃんがいないだけで、こんなに悲しかったのに。我慢しようとしても出来なくて、泣いちゃったのに。岩男くんはそんなのいつものことなんだ。

 …でも、辛いとか、寂しいとか…言わないんだね。

 

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐***‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐


「はい、菜花ちゃん」

 目の前にお皿が差し出される。あたしのフォークを用意してから、岩男くんはさっきのお仏壇からケーキを下ろしてきた。その前に、チーンと鳴らして「いただきます」と小さな声で言ってたのを聞いた。

「…どうしたの? 冷めちゃうよ、食べようよ」

 岩男くんは不思議そうにそう訊ねると、ぱくぱくと平らげていく。そして、あっという間にお皿は空になった。

「もしかして、ホットケーキ、嫌い…?」

 …あ、そうか。そう思っちゃうんだ。せっかく作ってくれたのに、なかなか食べないから。

「うっ…ううんっ! そんなことないっ!」

 慌てて、フォークで一口に切り分けて、口に放り込む。

「すごく、おいしいよ」
 あたしは出来る限りの笑顔を作って見せた。

「…良かった」
 岩男くんはいつもの恥ずかしそうな笑顔。ホッとしてる。

 それを見てると、胸がいっぱいになる。必死でケーキを頬張りながら、あたしの心はまだしくしくしていた。

 

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐***‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐


 ごちそうさまをして。岩男くんがお皿を洗っていると、ピンポーンが鳴った。

「ごめん下さい〜」

「…あっ!」
 立ち上がって、お玄関に走る。夕日を背にして、大きな男の人が立っていた。その影を踏みながら、駆け寄る。

「パパっ! お帰りなさいっ!!」

「菜花〜、びっくりしたぞ。パパ、お手紙を読んで、慌てて車を飛ばしてしまったよ」

 あたしを抱き上げて、いつものようにほっぺにすりすりしてくれる。嬉しくて、でも何だかこんなことしていていいのかなあと、ちょっと思った。きゅーっと抱っこしていたい気持ちを抑えて、すぐに離れる。パパも名残惜しそうだ。

「ごめんな、寂しかっただろ?」
 頭を撫で撫でされて、くすぐったくて首をすくめる。

「ううん、大丈夫。お友達がいたから…」
 そう言いながら、振り返る。岩男くんが大きな体を柱の影に隠すようにこちらを覗いていた。

「へえ…君が菜花のボーイフレンドくん? こんにちは、ありがとう。菜花がお世話になったね…」
 そう言いながら、パパは紙袋を差し出す。

「これ、クッキーなんだけど。お家の人と食べてね。今日は本当にありがとう、またよろしくね」

 パパがおいでおいでしても、出てこない。恥ずかしがり屋さんなんだから、仕方ないかな? でも…今まであんなに頼もしかったのに、どうしちゃったんだろう。

「ほら、菜花もきちんとお礼を言いなさい」
 パパはあたしに靴を履かせながら言う。別に靴なんて、自分で履けるのに。いつもは嬉しいのに、今はちょっと恥ずかしかった。

「岩男くん、ごちそうさま。どうもありがとう」
 あたしは振り向くと、柱の影の人に挨拶する。俯いている顔が泣いてるのか、笑ってるのか分からなかった。

 

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐***‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐


「それにしても、おとなしい子だね…」

 あたしが狭い路地から出て行くと、パパは止めてあった車のエンジンをかけた。チャイルドシートに乗せるために抱き上げようとして、ふと手を止める。それからトランクを開けて、あたしに白いお花模様の箱を差し出してくる。

「はい、菜花にお土産。残っちゃうといけないから、ひとつだけ買ってきたんだ」

 箱を開くと、中にはショートケーキがひとつと、隙間を埋める厚紙、そしてドライアイスが入っていた。赤い苺が宝石みたいにキラキラしてる。いつもひとつなんて無理だと思うのに、頑張って食べちゃうほど大好きなケーキだ。パパのお勤め先の近くのお店で売ってる。特別の時だけ買ってきてくれるんだ。

 …でも。

「…菜花?」
 あたしがいつものように喜ばないのが不思議なのか、パパが声を掛けてくる。

 …自分でも不思議なんだけど。

 どうしたんだろ? 大好きなデラックスショートケーキなのに。たくさんお願いして買って貰うのに。今日はいつもよりもおいしそうに見えない。いつも通りのケーキなのに…どうしたんだろ。


 その時、頭の中で、ぽんっと何かが弾けた。

 …あ、そうか! ――そうなのか。


「あ、あのっ! …パパっ、ちょっと待っていてっ!!」

 あたしは、ケーキの箱を抱えると、今来た道を急いで戻っていった。

 

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐***‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐


「菜花ちゃん…?」

 ピンポーンも鳴らさないで、お玄関に靴を脱ぎ捨てて部屋に飛び込んだ。おこたに入ってTVを見ていた岩男くんがのっそり振り返る。

「どうしたの? …忘れ物…?」

 あたしは、必死で息を整えると、手にしていた白い箱を差し出した。

「あのね、あたし。岩男くんのホットケーキでおなかがいっぱいだから、お土産のケーキ、あげる。食べてね、おいしいんだよ?」

「え…」
 岩男くんはびっくりした顔でそれを受け取る。

「そっ、それから、…ね」

 ああん、息が苦しいよぉ…必死で走ったから、心臓が痛い。でも、思いついたら、早くこれが言いたくて。それで、走って来ちゃったんだ。

「弟が、帰ってきたら、一番先に教えるから。岩男くん、そしたら、お家に遊びに来てねっ!」

「え…!?」

 岩男くんがびっくりして、目を見開いてる。その反応にこっちまでとても恥ずかしくなる。ほっぺがぽーっと熱くなった。大きく深呼吸して、ようやく顔を上げる。

「…約束、だからね。絶対だよ!?」

 

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐***‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐


「…何だか、今日の菜花は…変だなあ…」
 信号が赤で、一時停止。ハンドルを握りながら、パパは首をひねってる。あたしは、黙ったまんま、首をすくめた。


 …あのね。

 あたし、知ってるんだ。

 パパはショーで貰ったお洋服をそのままの組み合わせで着れば、すごく似合ってる。でもさ、普段の服は全部ママがコーディネートしてるんだよね。パパが自分で合わせるととんでもない組み合わせになって、とてもダサイの。パパは背も高くてとっても格好いいのに、大学時代あまりモテなかったんだって。

 それはどうしてかというと、ママがいなかったからなのね。パパ、ママと出会ってから、とっても格好良くなったんだって。昔のお友達がパパに会いに来ると、とってもびっくりする。あの槇原が、こんなに変わるもんかなって。

 お洋服なんて、合わせ方次第でどうにでもなる。でもね、どうにもならないこともあると思う。あたしはずっと待ってたんだ。パパがママを一番に好きで、ピンチを救ってくれるみたいに、あたしのことを地球の反対側からでも助けに来てくれるスーパーマンみたいな人。

 思わず、ふふふっと笑ってしまった。バックミラー越しに、パパが眉をひそめる。

「…今日の、菜花は本当に変だぞ。何、笑ってるんだ? パパは菜花が心配で必死で急いで戻ってきたのに、全然寂しそうじゃないし。こんなことなら、ママのところに寄ってくれば良かったかなあ…」

 そこまで言うと、パパはハンドルをぽんと叩いた。

「そうだ、まだ時間が間に合うから病院に行こうか? 今日な、樹が保育器から出られたんだって、ママが電話してきたから…」

「わ〜、行く行くっ! あたし、抱っこしていい?」
 思わず、身体を乗り出して、肩にベルトが食い込んだ。ちょっと痛い。

「う〜ん…菜花が抱っこ…出来るかなあ…」

「出来るよ〜、菜花、お姉ちゃんだもんっ!」

 …卵だって、割れるもん。そう言おうとして、やっぱりやめた。ふたりでホットケーキを作ったのは内緒にしたい。何だか分からないけど、内緒なの。お教室のみんなにも、春菜ちゃんにも内緒。誰にも言わない。


 ミラー越しに顔が見えちゃいそうで、慌てて窓の外に視線を移した。辺りに広がってくる春。それを夕焼けが明るく染めている。

 今、岩男くんはあのお部屋でどうしてるかな? 菜花のケーキ、食べてくれたかな…?

 どうしたのかなあ…そんなことを考えただけで、ほっぺがまた、熱くなる。やだな、パパに気付かれちゃう。夕焼けが車の中まで差し込んでいて本当に良かった、と思った。

おしまいです♪ (20030324)

 

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