TopNovel未来Top>キスから、夢まで。・6


…片側の未来☆梨花編その2…
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 岩男くんが好き、いつかお姉ちゃんよりも私のことを見て欲しい。

 そう思い続けていた。それが無理だと分かっていても、もしかしたらの希望を捨てきれなくて。気がついたら、お姉ちゃんへの複雑な想いが全てまとまって、私の生きる原動力になっていった気がする。

 岩男くんさえ、手に入れれば、全てが上手く行く。ずっと縛られていた「菜花ちゃんの妹」と言う言葉からも解放される。私はお姉ちゃんよりも高い位置に立つことが出来るんだ。

 

 ――何で、そんな風に考えていたんだろうな。

 

***   ***   ***


 滝のような雨の夜。傘も差さないで歩く。そんな滑稽な自分が惨めったらしくて、私はひとつため息を付いた。

 すぐに帰ろうと思ったのに。気がつくと、隣にはあの酔っぱらいのお兄さん。よれよれの格好をしていたから正確には分からないけど、多分二十歳前後だろうな。あの仲間の男の人たちも学生っぽかったし。

 三歩歩いてはあっちのゴミバケツ、次に三歩歩いて電信柱、その次は赤いポスト。そんな風にふらふらと歩いていく人を放っておけないと思った。私、どうしちゃったんだろ。こんなに他人に優しい性格じゃなかったのに。もしかして、頭のネジがいくつか落ちちゃったかな…?

 もちろん、相手は若い上に泥酔してる男だ。申し訳ないけど、98%くらいは信用してない。私の右手の中には、しっかりと安全ピンが握られていた。何かあったら、手の甲や腕をこれでプスリと刺して、その隙に逃げるんだ。

 

「いずみぃ〜、あああ、どうしてだよ〜〜っ!」

 黙って歩いていたかと思うと、次の瞬間には10秒前と同じ台詞を繰り返す。この男の頭の中には「いずみ」と言う名前の女の人しかいないんだな、と不思議な気持ちになる。こんなに未練があるなら、うだうだしてないで直談判すればいいのにね、何て情けないんだろ。

 

 途切れ途切れの言葉を組み合わせると、どうにかこの男の背景にあるものが浮かんできた。

 要するに、去年から付き合っていた彼女と、この春別れたらしい。原因は彼女の方が進学した先で、新しい男を見つけたんだ。それは良くあることだと思ったけど、別れたのがGW頃だって言うから 驚き。ちょっと待ってよ、今夏休みだよ? もう8月なのに。何ヶ月も引きずっていて…多分、あっちはあんたのことなんて忘れてるんだよ。そう言ったら、ますます落ち込んじゃうんだろうな。

 

 本当、馬鹿だよなあ。

 平気な振りして別れておいて、そのあとお酒を飲んでは思いだしてこんな風に悪酔いしてるらしい。最初は哀れに思って付き合ってくれていた仲間たちもこのごろは食傷気味。一緒に飲んでくれても、話は聞いてくれないと言う。そりゃそうよね、私がたったの1時間やそこらでもう飽きてるのに、それを延々と繰り返されたら参るわ。

 だいたいさ、こんな風に女々しいから振られるんじゃないの? もっとすっぱりと男らしく、堂々としててご覧なさいよ。ふにゃふにゃしてるから、愛想を尽かされるんだわ。

 男ってさ〜、辛くても苦しくても、黙って頑張るのが格好いいんじゃない。それに気付かないんだから、どうしようもないわよね。

 

 まあ、そんな馬鹿に付き合っている私も私。でもさ、このまま放っておいてひとりで帰したら、この人絶対にどこかで車にはねられるか、さもなくば、どぶに足を取られて、最悪窒息死とか。酔っぱらって、どぶにはまって死んだって言うのも、結構あるらしいよ。

 明日の朝、TVのニュースで、若い男の事故死が告げられたら、やっぱ気持ち悪い。

 付き合う義理もないんだけど、乗りかかった船というか…とにかくはこの男の住んでるアパートまで送り届けてやろうと思った。住所を聞いたら、歩いて15分や20分の距離。それから、タクシーでも呼んで帰ればいいや。ただ、パパとママは真夜中に濡れ鼠で帰る娘にはびっくりするだろうなぁ。ま、いいんだ。もうイイコするのも疲れたし、ここはいっぺん、腰が抜けるくらい驚かせるのもいいかも。

 

 お姉ちゃんと岩男くんのこと。

 それをぼんやりと考える時間を持つのもいいかなと思った。私が、岩男くんを好きだったことと、お姉ちゃんが実は大嫌いだったこと。全部ごちゃごちゃになっていたんだもんね。ここら辺で整理した方がいいかも知れない。何もかも、お姉ちゃんのせいにしてきた。それが当たり前だと思っていた。でも…そろそろ、ちょっと考えた方がいいかも。

 

「あああ、いずみぃ〜〜〜っ! 戻ってきてくれよ〜! なあ、頼むよっ、君っ! いずみがどうしたら戻ってきてくれるか、教えてくれよっ…!」

 どこまでが雨でどこからが涙か鼻水か分からない。そんな顔でこちらを見る男。

 馬鹿ねえ、…戻ってくるはずないじゃない。

 いつまで、こんな風に未練ったらしくいるつもり? 脈はないよ、絶対に無理だよ。だって、その元彼女、もうすっかり新しい環境で楽しくやってるんじゃない。あんたのことなんて、どうして思い出すのよ。

 …でも。

 何だろう、馬鹿馬鹿しいのに…その反面、とても羨ましいと思った。だって、この人、本気で嘆いているよ。男のくせに、わんわん泣いちゃって、情けなさ全開でいる。こんな風になりふり構わずに出来たら、気持ちいいだろうな。

 誰かを思い切り好きになって、それでもって体当たりで恋愛したら、その花が散ったあとこんな風になれるのだろうか。

 

 多分、私には一生無理だな。誰かを本気で好きになって、自分の全てで恋をするなんて。

 

***   ***   ***


 環境がそうさせたのか。

 私の周りにいる男たちは、いわゆる「インテリ」タイプが多かった。ウチの高校はとにかく名前を聞けば誰もが目を剥くような進学校で、それだけに小学校の頃は「神童」とか言われていた人間ばかりが集まっている。そんな人間たちとのやり取りは知的だったけど、どこか冷めていたみたいな気がする。

 中学の頃ほどは頻繁じゃなかったけど、やはりそれなりに「告白」めいたことはされていた。お姉ちゃんは靴箱にぎゅうぎゅうにラブレターが押し込まれていたって言うけど、私の場合はそんな一昔前の少女漫画みたいなことはなかった。一度、文芸部の部長だという人にノォト一冊分の創作詩集を贈られたコトがあったけど、あれは気持ち悪かったなぁ。でもそれくらい。

 私は何だか知らないうちに生徒会の役員になっていた。何しろ男ばっかりの柔道部なんて入る気しなかったし(だいたい、ほとんど初心者で、私よりも弱いのばっかりなんだもの)、道場に行ったってもう岩男くんはいない。大学生になった岩男くんがこっちに戻ってくるのは長いお休みだけだ。

 帰宅部になったところで、家に戻ってもつまらない。まあ、内申点も良くなるし、アリかなと思った。

 

 放課後の生徒会室。

 いつものように、前年度の資料を開きつつ、行事予定を写していると、ガラガラと引き戸が開いた。

「やあ、梨花さん。そんなに真剣に頑張らなくたっていいのに…」

 そう言って入ってきたのは、一学年上の生徒会長。今年の天武賞は間違いないと言われている。銀縁眼鏡の奥の瞳はいつも死んだ魚みたいで、私はこの人が好きになれなかった。

「いえ、書記としては当然のことです。先輩方の足を引っ張らないために頑張りますから」

 とりあえず愛想笑いして、そのまま作業に戻る。生徒主体の行事が多くて、そのたびに生徒会は取りまとめ役に奔走する。教師たちと生徒たちとの食い違いをフォローして、穏便に済ませるのも重要な仕事だし。やりがいはあるが、気苦労も多い。

 

 この生徒会長は言うことは立派だが、自分では何も出来ないと評判だった。しかも人のやったことまで自分の手柄にするから友達もいない。情けない奴だけど、一応優等生だしこういう立場にはなるらしい。

 もしもこの男を会長にしなかったら、代わりに立った人が大変だ。ことあるごとに、突っかかられて辟易しそう。ひとつの議題に対してもねちねちと長時間討論したがるから、皆煙たがっていた。

 ――あんたのせいで、他の役員が苦労してるのよっ! …とは言えなかった。そんなことを言ったところでどうなることでもない。下手にアドバイスめいたことを言って、逆ギレされたら大変。触らぬ神に祟りなし、なんだから。

 

「ふうん、さすがだね。梨花さんは偉いよ」

 その、「梨花さん」と呼ぶのもやめて欲しい。他の役員の人と同じように「槇原さん」と呼べないかな? 下の名前でなれなれしく呼ばれると、ぞぞぞっとするのよね。

 私が心の中で「しっ、しっ!」と追い払っているのも知らず、生徒会長はどっかりと隣に腰掛けてきた。

「ねえ、今度のテスト休みに…コレ、どうかな?」

 すすっと、ノォトの上に作業を遮るように紙切れが置かれた。私が仕方なく顔を上げると、自信満々の笑顔(ただし、目が笑ってない)。

 …何、これ。映画の試写会のチケットじゃないの。前評判がすごくて、試写会のチケットが裏売買で高額になったとかならないとか。気持ちの良いアクションシーンが多くて、いかにも一般受けしそうだ。

 それにしても。この自信たっぷりの表情には、勝算があると確信してることが滲み出ている。ああ、気持ち悪いわ、どうにかしたい。そうじゃなくてもこの男、ちょっと勘違いしてるのよね。

 

 どうして彼氏を作らないのかと、クラスで友達に聞かれるたびに答えていた台詞、

「私は自分より強い人じゃないと嫌」

と、言うのをどこかで聞き入れたらしい。それなら自分しかいないと豪語していたと別の人から聞いた。

 中学を卒業してからは辞めているが、彼は剣道の初段を持っているらしい。それくらいの人、他にもたくさんいるのに。本当に強い人は自分で言わないものなのに。言わなくても、ちゃんと周りが認めてくれるものなのに。

 

 この辺で、一度しっかりと釘を刺さないとやばいなと思った。まかり間違って、あの中学の頃の担任みたいに危なくなられたら大変だ。

 あまり回りくどく言わない方がいいだろう、そう思ったから単刀直入に切り出した。

「あの…これは、ふたりきりで出かけると言うことでしょうか? そうなると、誤解なさる方も出ていらっしゃると思いますが。会長がお困りになるのでは…?」

 すると、敵もさるもの。ふふんと鼻を鳴らして、満足そうに言う。私の彼を持ち上げるような言い方が気に入ったらしい。この手のタイプはプライドを傷つけるとヤバイから大変だ。

「そんな風に心配するんだ。僕は梨花さんが相手なら、何も困ることはないけど…」

 うわっ! ちょ、ちょっと待ってよっ! いきなり手を握らないで。しかもシャーペンを持っている右手。コレでは凶器にして振り回せないじゃないのっ!!

「あっ…あのっ。会長――」

 どうにか、手を振り解き、必死で言った。ああ、やだ。早く手を洗いたい、全く最低だわ。

「今は受験で男の人なんて考えていられないの、ごめんなさい」

 

 我ながら、上手く行ったと思った。だけど、そのあとで会長はとんでもないデマを学校中に流してくれた。それは、自分たちの仲が私の受験が終わるまで保留になっているというもの。「僕への想いは変わらないって言ってくれたけどね…」なんて触れ回っていると言うじゃない。

 お陰で同級生はおろか、先輩たちからも対象外として見なされてしまった。ま、いいけどね。だって、どれをとってもこの会長と似たり寄ったり。自分が可愛くて傷つきたくない男ばっかりなんだから。逃げ場や言い訳を用意して、それから恋愛する。情けないよね。


 これでも、私。友達に恋の悩みを打ち明けられることが多かったんだよ。「好きな人がいるんだけど、どうしたら相手の気持ちを知ることが出来るかしら?」とか「彼に一番喜んで貰える贈り物って何かなぁ」とか…とくにバレンタインとか卒業のシーズンは、黒山の人だかりが出来るほど。

 何しろ、天下の槇原ファミリーの一員だから。それだけでみんな羨望の眼差しを持っていた。何が何だか分からないうちに、私は人気占い師もびっくりの感じになっていたのだ。

 ふたりの男から同時に告られて悩んでいる友人もいた。

 そんな話は他のクラスメイトには出来ないみたい。女の子は仲間意識が強いように見えて、実は足を引っ張り合っているところのある生き物だ。だから、自分と似たレベルの子がモテたりすると、面白くない。途端に村八とかにされたりする。それが、私になら言えるんだって、そんなに仲の良い子でもないのに、不思議だ。

 みんな、気付いてない。自分の中にちゃんと答えが見えている。なのに、それを認めたくなくて、誰かが自分のその答えを言ってくれるのを待っている。人に相談する時は、往々にしてそんなもの。みんな同意が欲しいのであって、否定的な意見は欲しくない。

 たくさんの人が、私の周りにいた。でも…私はひとりだった。岩男くんが好きだった。でも…伝えることは出来なかった。この想いを誰にも相談出来なかった。

 

***   ***   ***


 本気で恋をしてる、その空気は分かる。ちっちゃな頃から、それだけは心に刻み込んでいた。それ以外はみんな偽物。だから、惜しくなんてない。どんなに綺麗でも偽物なんていらないもん。

 あんまりにすごい「お手本」に物心付く前から洗脳されて、私はすっかり恋愛に臆病になってしまったのかも知れないな。パパは本当に、子供の私から見てもドキドキしちゃうくらい、ママが大好きだった。ママのためなら、空に瞬く星だって、深い海の底に眠る真珠だって取りに行きそうな感じで。

 パパはいつでも楽しそうだった。ママを大好きでいることが、本当に楽しくて楽しくて、仕方がないみたいに見えた。ずっと一緒にいれば、だんだん飽きてきそうなものなのに、パパにとってママはそうじゃないみたい。どんな綺麗な女優さんがTVに出てきても、ママの方が美人だって言う。パパにはママが、どんなときも最高に見えるんだ。

 夢のような光景、と言うべきだったのかな? そんなパパを見て、学校の友達も、そのママさんたちも、開いた口がふさがらない感じだった。みんな、すごいねえ、羨ましいねえと口々に言った。

 でも、私は。羨ましいなんて、思わなかったけどなぁ。

 あんな風に愛されて、どうやってお返しをすればいいのか。それが分からなかった。パパが異常で、他の男の人はあんなんじゃないって気付いた時には、もう遅すぎたんだ。

 

 ――パパみたいに男前でも、パワフルでもないけれど。

 だけど、目の前の泥酔男は、少なくとも元彼女さんをすごくすごく好きだったんだと思う。まあ、もしかして、二度目の受験に失敗したのは、その恋愛にのめり込みすぎたせいじゃないかと突っ込みたくなるけど、まあ過ぎたことは仕方ないので、いいとして。

 

 自分の気持ちを、こんな風にオープンに出来たらどんなにいいだろう。嬉しいなら、嬉しい。楽しいなら、楽しい。それで…大好きなら大好きって言うし、悲しいならとことん嘆く。おなかの中に溜めないで、みんな吐き出すんだ。そんな風に出来たら、もっともっと楽になれるのに。

 …私には、そんな簡単なことが出来なかった。

 もしも、全力で突っ込んでいって、嫌われたらどうするの? 一生懸命頑張っても、学校の成績とは違って、相手がいることなんだから、簡単には行かないんだよ? 恋愛を必死で命がけでやったら、破れた時のダメージが大きすぎるじゃないの。

 普通の人には難なく出来て、私には出来ないこと。ぐっと我慢しちゃう方がかえって楽だったから、ずっとそうしてきた。そしたら、…とうとう、本当の気持ちすら、よく分からなくなっちゃってた。

 …口惜しいなあ。

 努力することだったら、簡単なのに。どうしてふっと肩の力を抜くことが難しいんだろう。

「うおぉ〜んっ! いずみぃっ…!!」

 あああ、馬鹿者っ! また、ゴミバケツに突っ込んでる。もう、そのたびに直してる私の身にもなってよ。だいたい、どうして私が振られ男の後始末までしてるの? この男がどうなろうと、勝手なのに。何故だろ、どうしてなんだろ。分からないけど…何となく。

 この男は。いつまで、こんな風にしているのだろう。戻ってこない彼女を嘆いて、飲んでは荒れ狂う生活を続けるのかも知れない。次の受験も、ぼろぼろになってしまうかも。

 情けないのこの上ない。こんな男、私にとっては一番遠い存在だった。…それなのに。

 どうしてだろう、羨ましいなと思っちゃう。そんなはずないのに、変だなあ。


 土砂降りの雨の中、どこまでも続く道。馬鹿馬鹿しいほど、繰り返される嘆き。消えかけた街灯の下で、私の分まで泣いている男を、ぼんやりと見つめていた。

 

 雨はいつまでもいつまでも、飽きることなく降り続いていた。


 

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