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世の中には。 あんまりに陳腐な物語が溢れている気がする。 …でも。 どーして、私の隣りの席は空っぽなのかしら? いつになったら。 素敵な物語が幕開けするんだろう…?
大安吉日。休日の駅前通りは、暖かい冬のおひさまに湧いてきた人間たちでさざめいていた。ぷうんと、独特の香りに振り返る。もう毎日のように嗅いでいるこの匂い…おしろいの粉。振り向くと脇を通り過ぎていった一団の背中が目に入る。 「ああ、成人式の記念撮影ね…」 そこの角を曲がったところに、若い人に人気の写真館がある。そこで成人式記念撮影をして、終わったところなのだろう。ベージュとかモスグリーンとかシックな色合いだったから、ぼーっとしていると見過ごしてしまう。暮れから新年にかけて、よく見られる光景だ。 自分の年はオレンジと黄緑が主流だったのにな。もう、何年経ったんだろう? 前から来る人がちょっと迷惑そうに避けていく。思わず、足を止めていたことに気付いた。ふうと、ため息をひとつ付いて、また歩き出す。待ち合わせの時間に遅れてしまうわ…彼女、沙和乃は少し歩く速度を上げた。でも心の中では、まださっきの思考が渦巻いている。
もう高校を卒業する前から、ダイレクトメールが届き出す。なじみの呉服店がこぞって営業に来る。なじみ、と言っても、亡くなった沙和乃の祖母が生前、年に1枚買うか買わないかだった、ってレベル。正直言って、最初はこっちの年令を間違えたデーターがはびこっているのか!? と言いたい感じだった。 それで、沙和乃も祖母に連れられて呉服屋さんに行った。そして、祖母の見立てで、肩のところが茜色で、裾に行くに従って、黒っぽくなるいっぱいラメの付いた振り袖を買ってもらった。螺旋になって数え切れない桜の花が散りばめられていて。袖を振るごとにさらさらと花びらが散るような気がした。 「いいお品ですから…将来、ご結婚なされても、袖を詰めて訪問着にお使いになれますよ…?」 とか何とか、店員さんはご満悦のセールストーク。その時は半分本当に聞いていた。ああ、10代の初々しい記憶。 結局、その着物は記念写真を撮るときと、成人式の式典。そして大学の卒業式の謝恩会と友人の結婚式の披露宴に2回…計5回袖を通した。まあ、これでもきちんと使った方だろう。 そして、20代も半ばになって。その着物は母親の和箪笥の一棹に収まった。もう何年も見てない。振り袖をお直しすることもなかった。やはり、あの柄は振り袖用のもので、途中で切ったりしたら情けない見栄えになってしまう。結局、成人式の着物の運命はそんなところだろう。 今日みたいな日も。あの着物が似合う頃だったら、着付けて来たんだろうなあ…。沙和乃はふと考えた。
白をたくさん加えたローズピンクのツインニットに、身体の線をすううっとなぞるスカート。たくさん細かいプリーツが入っている。これもピンク系。そこに焦げ茶のたくさんの小花が飛んでいる。いわゆるマーメードラインで、くるぶしまで。 髪は普段、仕事に行くときよりもラフにまとめた。頭のてっぺんの方でお団子を作って、適当にくるくると後れ毛を落として。行きつけの美容院で、ヘアメイクのお姉さんとあれこれ楽しんでしまった。そのために2時間半の時間を費やしている。シャンプーから始まって、念入りなトリートメント。カールにブロウ。あんまりかっちりしているよりも、うなじに絡みついた後れ毛なんかが、女らしさを際だたせると言われた。 …完ぺき。どこから見ても、清楚なお嬢様だ。 何しろ。今日は気合いが入っている。服装自体は普段着だが、それも「平服で、お願いします」と言われたから。とはいえ、このちょっと見にはラフに見える装いにとんでもなく大金がつぎ込まれている。普通の金銭感覚がどうか知らないが、沙和乃にとってツインニット、3万9千円は相当に痛い出費だった。微妙に計算されたスカートに至ってはそれよりもさらに1万円札が2枚多く出た。 一見、ブレスレットに見える腕時計に目をやる。ああ、時間だ、どうしよう。やっぱり、美容院で時間を使いすぎたか。まあ、女性があまりせかせかとしているのも良くないだろう。やはり、第一印象、これが大事。どこまでも、おっとりと穏やかに。 何しろ。今日はもう、気合いの入りまくったお見合いなのだから。こういう席ははじめてではなくても緊張する。 有泉沙和乃(ありいずみ・さわの)29歳。クリスマスはとうに過ぎたけど、大台までにはどうにかして、大晦日までにはママになりたい。でも、打算的なのは絶対に嫌。愛がなくちゃ、燃えるような恋愛が。
「とは言ってもね、沙和乃ちゃん…」 「伯母さんだってね、頑張ってるんだから。職場ではもちろん、カルチャーのお友達にもたくさん声を掛けているし、同窓会でもあった日にはお写真と釣書まで持参するのよ? だからこうして沙和乃ちゃんにたくさんのお話を持ってこられるんじゃないの…」 「まずは、沙和乃ちゃんに幸せになって欲しいの。ねえ、どう? 悪い話じゃないと思うわ?」 この伯母は沙和乃の母親の姉に当たる人だ。3歳違いだと言うが、とにかく見た目が若い。いつも母親の方が年上に見られるそうだ。それは沙和乃も納得してる。年令を重ねても手入れの行き届いた肌は若々しくて輝いている。フルタイムで仕事をしながら、いくつかのカルチャーに通い、地域の役員も進んで引き受ける。そして、そんな彼女に沙和乃はとてもよく似ている、と言われている。 「ふうん、そんなにいいお話なら。真裕美ちゃんが欲しいって言わないの?」 母親と見間違えられることの多い伯母に、せかされて写真を開く。釣書を見た、35歳。ひ〜、これで35歳!? なんだか25歳にも45歳にも見えるなあ…今時、真っ黒な髪に何か整髪料を付けているのかてかてか光る7:3分け。その上、広いおでこ…もしかして、後退したの? 生え際。 「アメリカの、ええと、何とか大学を出て…お父様の会社の重役をやっているそうよ。海外の支社のトップにいるんですって。結婚後はもちろん、アメリカ。沙和乃ちゃん、そう言うのがいいんでしょう?」 「…え!?」 思わず釣書を確認する。伯母の言った「アメリカの大学」は残念ながら聞いたこともない名前だったが、それでもニューヨークの支社にいるらしい。で、街の郊外に一戸建ての家があって、そこで暮らしているみたい。いい、こう言うのがいいのっ!! 『中王子 昇平』…ああ、貴族の末裔みたいな名前。これもいいかも。揺るがない家、仕事も時代に左右されない事業だし、安泰だわ。 「伯母さんっ!! お願い、この話を進めてっ!」 視線のはじっこに、身長165センチ、体重72キロ、という文字が映ったが、あえて見なかったことにした。
沙和乃も実は釣書には164センチ、と書いてある。まあ、167というのは高校時代の身体測定の記録だ。身長なんて、朝と夜でも何センチかの誤差が出るそうだから、これは夜寝る前にはかったことにしてもらおう。見た目はそんなにばかでかい印象もない。あまり小顔じゃないし、肉付きも普通だし。身長を言うといつも一緒にいる職場のみんなにも驚かれる。もっと低く見えるんだそうだ。 沙和乃の靴のヒールが極限まで低いのは、そう言う理由があった。
待ち合わせは駅前通りのとある有名ホテルの喫茶室。ここはホテルのロビーを通らなくても、直接外から入ることが出来るのだ。今はラフなお見合いが多いから、ホテルのラウンジなども多く使われる。でもあまりに開けっぴろげなのも良くないし。 ようやくホテルの看板が見えた。喫茶室は1階だから、もうすぐに着く。良かった、5分遅れだ。女性がちょっと待たせるのも思わせぶりでいいかも? ひとつ前のビルのウィンドウに全身を映してみる。うん、大丈夫。今日は風もないし、髪も乱れていない。羽織っていたコートをそっと脱ぐ。うんうん、中も完ぺき。頑張れ、私っ、と気合いを入れる。 見てくれはいまいちでも、上手く行けば重役夫人。35歳まで独身でちょっと不安だけど、きっとおとなしくて女性に声なんて掛けられないタイプなんだろう。だったら、こっちが少し工夫して近づけば…。 お見合いは楽。だって、お互いに結婚の意志を持って、相手を自分にふさわしいか否かを見定めに来る。駆け引きを繰り広げる恋愛よりも、面倒なところが短縮されていていい。相手の素性も明らかになってるし。ついでに釣書交換で、一応親の承諾も取り付けたことになっている。あとはお互いに気に入るか気に入らないか。それだけなんだから。 よし、絶対、素敵な恋愛をしてやる。で、「是非に」と言われてゴールインだ。
向き直って、一歩踏み出そうとしたとき。彼女の視界に信じられないものが映った。
雑踏の中、こちらに歩いてくる人。あ、人違いじゃない、絶対そう。 その瞬間、沙和乃の頭はパニックになった。どうにかして、見つからないようにしたい、こんなところで見つかったら、どうなるか分からないっ!! 釘付けになってしまった視線をすっと外すと、顔を背けてそのまま歩道のはじっこを歩く。あと、30メートル、あと20メートル…ああ、喫茶室のドアが遠いっ! 「あれ〜? 沙和乃じゃん…? 何してるんだ、こんなとこでー」 ようやくドアに手を掛けたとき、背中から声がした。恐ろしくて振り向くことも出来ない。そのまま無言で中に飛び込んだ。 「おいっ…、沙和乃…!!」 ドアは押して入るタイプのもの。沙和乃が入って閉めれば、次の人は入れない。しかも店内は防音がばっちりきいていて、やわらかい音楽が流れている。入り口は観葉植物の影になっていて、この緊迫した空気をお店の中のお客に見つからなくて済むことが嬉しい。沙和乃はそのまま背伸びをして窓際の席を覗いた。 …三番目のテーブルの…。慌てて視線を泳がせる。目的の席。4人がけのテーブル、向こう向きに人が座っている。黒い髪、7:3分け…あ、あの人だっ! 後ろ手にドアの鍵を掛けた。ごめんなさい、こんなことをしてっ! でも、困るのっ!! お店の人に心の中で詫びながら、テーブルに走る。そして、背後からいきなり肩をぐっと掴んだ。 「あのっ、すみませんっ…ちょっと場所を変えても宜しいですかっ!?」 「…は?」 「ごめんなさいっ! あのっ…、急いでっ!!」 「沙和乃っ…!!」 その声が店内に響く頃。沙和乃たちは表に飛び出していた。
全速力で走っているから、さすがに人々が振り返る。途中で信号を渡って、道を逸れた。それでも不安で、さらに走った。タクシーにでも乗ればいいのに、そう言うことにも思い付かないで。 走って走って、気付いたら、沙和乃が降りた地下鉄のふたつ次の駅の看板が見えてきて。そこまで着くと、ようやく足を止めた。
「…あの…?」 止まったら、今更ながら心臓がばくばく言っていることに気付く。もうあまりの速度に胸の筋肉が痛いほど。息も上がって声も出ない。無理に声を出そうとしたら、げほげほっとむせ込んでしまった。 「あの、大丈夫ですかっ?」 「…ご、ごめんなさい…」 …で。 次の瞬間。沙和乃は思わず、目をむいていた。
「…えっ…?」 黒縁の眼鏡、真っ黒な髪の7:3分け。仕立ては良さそうなのに、野暮ったいスーツ。やけに年寄りじみたネクタイの柄。 そうなんだけど…そうなんだけどっ!? 口がぱくぱくと情けなく動く。どうして? …ええっ!? 待って…っ!! 「…あなた…、誰?」 まだ、半分、息の声。かすれて色気のない声で問いかけていた。 座っているときには気付かなかった、どうして? この人…。 どう見ても、沙和乃より長身。長身どころか、見上げなくちゃ駄目なくらい高い。嘘でしょ、これだけの高さがあったら、180センチは下らない。座っていたら気付かなかったのにっ! …シークレットシューズ…じゃないなあ、靴底もあんまりないし。あんまり顔が遠いからよく見えないけど、どう見ても35歳じゃないわ、ウチの職場の若い男の子くらい…? …と言うことは? 言うことは…っ!? 目の前の7:3分けの男が、にっこりと微笑んだ。眼鏡の奥、大きめの二重まぶた。乱れて額に落ちた髪をゆっくりとかき上げて…。 そして、静かに、息の乱れも感じさせない声で言う。 「はい、…あなたも、どなたでしょうか?」 街路樹の向こう。広めの歩道の脇を通る4車線道路を行き交う車の音が、一瞬遠のいた気がした。
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