「あっ…、あはぁっ…っ!」 男が下になり、しとねに仰向けに寝そべった上に、美しい裸体を晒した若い女子(おなご)が乗っている。大きく足を開き、その中心を男に貫かれた状態で、たまらずに腰を振る。まるで水面を飛ぶ魚のように艶めかしく身体をくゆらせて。その姿がこの部屋の唯一の灯りである燭台の頼りない炎に浮かび上がっていく。 「…やぁっ…、あんっ、あああっ…、あぁっ…、あんっ…!」 掠れる声は、甘い音色を放ち、辺りを漂っていく。開け放った窓からも、それが漏れていくようだ。いつもは聡明な女性とうたわれる彼女も、閨の姿はただの雌だった。 それを知っているのは、何も彼ひとりだけではない。この豪奢な居室も地方から来た前の官僚が彼女に入れあげて、その見返りとして与えたものであった。その男はもちろん、自分が故郷に戻る時に、彼女を伴おうとした。だがしかし、したたかな女はそれを拒んだのだ。 「しっ…春霖(シュンリン)様ぁっ…! もうっ、駄目ですっ…わたくしっ…!」 限界が近いのだろう。彼をくわえ込んだ部分がきつく収縮する。全てを吸い尽くそうとするように、彼女の内側で官能的なうねりが起こる。いつもながらに見事なまでの身体。どんなに高貴な身の上の立派な男でも、この女子には骨抜きになってしまうと言うのも頷ける。 「…そうか」
…*…*…*…*…*…
「よせ」 「…誰かっ、湯桶を持ってこい。帰り支度をする」 「はっ…、はいっ!!」 すぐの場所にずっと控えていたのであろう。今情事を終えたばかりの女子に仕えている女の童(めのわらわ)が慌てて入室してきた。寝着ではなく、きちんと昼間の侍女の装いのままだ。お付きの者は主が休むまでは断りもなしに寝着に着替えることも出来ない。薄い色の小袖の下にえび茶色の袴を付け、重ねを羽織っている。 「どっ…どうぞっ!!」 「…ほほう」 「男慣れしてない姿がみずみずしいな。…今度、俺の居室に来るか? 存分に、可愛がってやるぞ」 「…ひっ…、ひぃっ…!」 「めっ…滅相もございませんっ!! そんなっ…ご主人様のっ…大切な方にっ…!!」 「ふふふ…、怯えた顔も可愛らしいね。そこにいるお高いお方よりもずっと愛らしくて…!」 わざと身を寄せてそう言うと、娘はもう声も出ないほどに震え上がり、青ざめている。それが楽しくて仕方ない。背後から感じる刺すような視線も彼にとっては愉快なものだ。嫉妬に狂う女は見苦しい。でもそれを都一の才女とうたわれる女子が自分に向けるのは楽しいことだ。 「野菊(のぎく)っ! もうっ、お下がりなさいっ…!!」 「…春霖様っ!!」 「お戯れもいい加減にして下さいませっ! わたくしを前にしておきながら、あのような下々のものに…ああっ! 口惜しいっ…!」 しかし、春霖の方が何でもない感じで支度を続けるので、更に彼女はいきり立つ。 「夜半に恋人を帰すなんてっ、女子としてこの上ない恥だといつも申しておりますでしょうっ!! ここは遊女小屋ではありませんのっ…殿方は夜が明けるまでいらっしゃるのが男女の決まり。あなた様には情というものがありませんのっ…!?」 「…和乃(かずの)」 彼はさっさと身支度を済ませると、すっと立ち上がった。裾にはっきりとそれと分かる文様の施された袴は彼の高貴な身の上を物語っている。この衣は王族かそれに準ずるものしか身につけることが許されていないのだ。肩から羽織った重ねも素晴らしい刺し文様が一面に広がっている。少し伸びた髪は面倒なので下でひとくくりにしたが、それは艶やかな赤毛。西南の集落特有の色だ。 「いつ、俺がお前の恋人になったのだ。あまりしつこく言い寄るから、こうして情けを掛けているだけであろう? …身の程をわきまえろ」 「…っ! まっ、まあっ…!!」 振り向いた春霖の濃緑の目には、無理に飾り立てようと化粧を濃くした滑稽な女の醜い顔が映っていた。 もちろん、この者も、普通に考えれば申し分のない女子であろう。才がある、気の利いた会話が出来ると言うことは女子にとってとても重要な事だ。生まれも良く、見目かたちも整い、更に都では御館の皆の評判も良い。少し好色に溺れると言う難点はあるが、それもほとんどの男にとっては嬉しい事実のひとつだ。 「何てことを仰るのっ! あなた様だって、こうして嬉々としてお出で下さるではありませんかっ…!」 春霖は向き直りながら、わざと大きくため息を付いた。 「あれの頼みでなかったら、どうして来るものか。お前も気高い女なら、もう少し頭を使え。あまり、あれを粗末に扱うなっ…!」 さらにぎゃあぎゃあとまくし立てるその声を振り払い、春霖はさっさと空気の悪い寝所を出た。そして、先ほどの娘が見送りに出るのも相手にせず、乱暴に戸口を開く。光り輝く天を一度仰ぐと、さっさと夜更けの庭を下っていった。
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春霖にとって、女子などはどれでも同じだ。都一の才女であっても、場末の宿の遊女であっても、そう大差ない。もちろん、見目美しく整っていた方が征服欲は高まるが、ただそれだけのこと。通り過ぎて行為に及べばどうでも良くなる。 そんな彼を故郷に戻った両親は内心、心配しているようだが、表だってうるさく言ってこない。20を過ぎて正妻も娶らず、ひょうひょうと過ごしている跡継ぎを、それでも静かに見守っていてくれるのだ。それが有り難くもあり、面倒でもあった。 元々は西南の集落の大臣家・邇桜(ニオウ)様にお仕えする重臣の家柄。隠居した祖父を継ぎ、今では春霖の父である雷史(ライシ)が家長になっていた。それに伴われ、都を後にした母・秋茜(あきあかね)は次期竜王の座に一番近い場所にいると言われている華楠(カナン)様の乳母であった。そのお方は、現竜王・亜樹(アジュ)様の一の君にあらせられる。 幼き頃から御館で竜王様の御子様方とご一緒に育ち、両親の教養と美貌を兼ね備えた彼は、今なお、都の春を謳歌している。聞くところによると、父・雷史なども母を正妻に迎えるまではかなりの遊び人だったらしい。その血筋を受け継いでしまったのか、彼の女遊びについては目に余るほどのものがあった。 恋人とするには申し分のない男前だ。あまりに事を急いで捨てられたらもったいないと、女たちの中にもそんな野望を抱く者はいなくなっていた。
ざくざくと地を踏みしめて、進んでいく。袴に振り分けた草の露が付いてしっとりとしてくる。闇と共に我が身に降りかかるどす黒いものを振り払うように、必死で歩みを進めた。
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小高い丘の上に綺麗に花の咲き乱れた庭が現れる。母が丹誠込めて育てていた花々が、主の去った今も変わらずに季節を告げているのだ。灯りの消えた居室。しかしその戸口には、ちらちらと揺れる燭台の炎があった。 そして、建物の影になっていて良くは見えないが、その脇にうずくまる小さなものがある。娘らしい桜色の装束を身につけて、この人気のない時間に不用意に庭先に出ているなど、この者の父親が見たら仰天しそうだ。また、戻った後、くどくどと小言を言われるのではないだろうか?
春霖ははやる気持ちを抑えて、静かに歩み寄る。そして、その者の前まで行くと、目線を合わせるように腰を落とした。 「…狭霧(さぎり)? 戻ったよ」 そっと触れた肩が、大きく揺れて、ぱっと顔を上げる。見るたびに美しく伸びていく髪が辺りに広がって赤いきらめきに目がくらみそうだ。 「…あ、若様っ!! あのっ…、お帰りなさいませっ…!」 「もっ、申し訳ございませんっ! 私と致しましたことが…つい、居眠りなど」 「ただいま、灯りをおつけ致しますのでっ…。中でお待ち下さいっ、お召し替えになる前にお体をお清めになるでしょう? …湯を温めて参りますっ…!!」 初々しい立ち振る舞いではあるが、その仕事は完ぺきだ。この娘の母である人も御館の侍女をしている。幼い頃から全てをきちんとしつけられたその成果が、現れているのだ。
「若様っ、このようなところにはいらっしゃらなくて結構です。今、参りますから、どうぞお休みになっていて下さいましっ!」 燭台に照らされた明るい上がりの間は、綺麗に片づけられ、敷物の脇には酒の準備もしてある。多分、窓際の棚には夕方摘んだばかりの花が飾られているだろう。全ては自分を迎え入れるために、きちんと用意されている。 「…いいのだよ? 火の始末をして早くおいで」
「今年は藍色の薄ものが流行りなんだそうです。女子の方はもとより、殿方も粋に着こなすのが今風だとか。色々考えておりますので…御前試合の晴れ着はどんな文様に致しましょうか…?」 背を滑る手のひらはまだ幼さを残している。先ほど和乃のところで戯れたあの女の童と大して年は変わらないであろう。数えて12、夏を迎える頃に13。娘らしさが花開き始めた、何とも言えない年頃だ。幼き頃、どころかこの娘が生まれた時…いや、母の腹にいる頃から知っている。長いつき合いになった。 「お前に全て任せるから。母上とよく相談して選びなさい…そうだ」 「さっき、出かけに物売りから買ったんだ。どうだ? …お前の髪の色によく似合うだろう…?」 「お前の父のように、綺麗に結えるならいいのだけど…」 「そっ…そんなっ! もったいないことでございますっ!!」 しばらくその美しい造形に見ほれていたが、やがて、ふっと息を吐いて寂しそうに言った。 「このように美しいもの、和乃様に差し上げれば宜しかったのに…」 俯いているので表情までは分からない。でも、感動するよりも、先にこうして諦めたような口調になるのが気に入らない。控えめすぎる態度が、少しもどかしかった。 「あんな傲慢な女。こんなもの、やったって鼻で笑われるくらいのものさ。可愛くないのだからっ…!」 「…まあっ…!」 「酷いですわっ! 若様はっ!! 和乃様、本当に若様のことがお好きなんですのよ? 昼間だって、私、呼ばれてあのお方の居室に参りましたの。若様がお好きな色目合わせをしてお迎えしたいって…、とても愛らしい女心でありましょう…? そのようにぞんざいに扱ってはなりませんわっ!!」 「…やはり。また、行ったのか。あの女に呼び立てられて…」 そうじゃないかと思っていた。いつもは金ばかりかかっていて、少しも上品ではない装いなのに、今夜の和乃はいつもとは違って、とても趣味の良い衣で自分を出迎えた。変だな、と思っていたが、こうして話を聞けば合点がいく。 「呼びつけられて出かけるような、そんな軽々しい身分じゃないだろう、お前は。父は表の侍従長で母は南所をまとめる侍女頭ではないか。もっとしっかりとしていていいのだよ?」 春霖にそう言われると、彼女は困ったようにまた俯いてしまった。 「…だって。別に私は御館に正式にお務めしているわけでもないし…身軽な身分なのですもの。でしたら、皆様のお役に立ちたいですわ」
…そうなのだ。この娘はもう御館仕えの出来る年頃なのに、何故か父親がそうさせない。まあ、母親が忙しい身分な上に、下の兄弟も多い。幼い弟や妹の面倒を見て過ごしている。春霖にきちんと仕えている侍女というわけでもないのだ。 元々はこの娘の母が、春霖の母の侍女であった。その関係で、春霖もその人にとても良く懐いていて、身の回りの世話をさせていた。だが、御館の務めが忙しくなる上に、次から次へと子供を産むので、だんだん春霖の方まで手が回らなくなって来る。他の者に世話をさせようと言う話も出たが、それは嫌だった。我が儘を言って困らせていると、まだ5つ6つの幼子だったこの娘が、毅然とした口調で言ったのだ。 「若ちゃまっ! そのように仰らないのっ!! 母上が無理なら、私がやりますっ!! 霧がきちんとお世話致しますからっ!!」 これには周囲の全ての者が驚いてしまった。 主人の身の回りの世話と言えば、三度三度の膳の上げ下ろしから、身支度の世話、衣装を整えたり、居室を過ごしやすいように綺麗に設えたりする。もしも春霖が妻を娶るようなことがあれば、閨の後始末まですることになるのだ。 みんな、そんなことが出来るはずもない小さな娘の言い分をただの戯れ言だと一笑した。だから、しばらくの間、飽きるまで好きにさせようと言うことになったのだ。 もちろん、最初から彼女がひとりで全てを完ぺきにしていた訳ではない。母親の手を借りながら、それでも一生懸命励んでいた。そして、…何年か経つうちにはその辺の年の行った侍女などに負けないほどの、仕事をこなすようになっていたのだ。あれから、どれくらいの年月が経ったのだろう。今ではきちんと雇わないままに、ただひとりで春霖の身の回りの世話をこなしていた。 身軽な身分であるし、なかなかの風流人である。ことに装いのことに関しては、その美的センスに定評があった。よって、高貴な身分な女子たちは競って狭霧を呼びつける。彼女はそれを少しも厭うことなく、嬉しそうに出かけていった。
…*…*…*…*…*…
「…では、お休みなさいませ。また、明朝参ります…」 とても若い娘とは思えないようなやわらかい身のこなし。ちらと小耳に挟んだところでは、もう縁談の話がいくつも来ているらしい。しかし、心配になる。次から次から女子を漁り、腰軽な自分に仕えて、男に対して内心幻滅しているのではないか…?
身分柄、夜道を送ることも出来ない。しかし、無事に戻り着くかそればかりが気になってしまうのだ。だから、休むばかりになった衣の上に一枚はおり、気付かれぬように見送る。今宵もそうしようと衣に手を掛けた時、ぱたぱたと、再度、戸口のところに戻ってきた。 「あっ…、あのっ…! 若様っ!!」 「こちらっ! あのっ、ありがとうございましたっ!! 大切に致しますねっ!」 その手には先ほどの飾り紐がしっかりと握られている。嬉しそうにもう一度それを改めると、一礼して退座していった。
しばらく。去っていく足音を呆然と見送る。そしてもう一度衣に手を掛けた時、春霖の顔に今宵最後の笑みが浮かんだ。
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