TopNovel玻璃の花籠扉>蝶のうたた寝・1


…1…

「玻璃の花籠・新章〜雪茜」

 

 

 ちょっと自慢しちゃうけど、私はちっちゃな頃からすごく可愛かった。どこに行っても「なんてお可愛らしいのでしょう」「こんな愛らしい女子(おなご)様は初めて見ます」と誉められて、そのお陰で綺麗な飾り紐や甘い干菓子をいっぱいもらえた。こういうのって美しさの特権って言うのだよね。
 
 海底国の広大な域を全て統治し、守られているのが「竜王様」。そのこの世で一番偉い方がお住まいになるのが「都」の「竜王様の御館」と言われる場所。そこには国中から集まった偉い人、そして将来のエリート官僚たちが押し合いへし合い掃いて捨てるほどいた。衣もぴかぴかして、みんな競って出世しようとあの手この手で策を練る。涼やかな表とは対照的に、どす黒い世界だった。
 でもね、私の父上は御館の中でもひときわ高貴な場所、「東所」と呼ばれている現竜王様がお住まいになる場所の侍従だった。それもかなり偉い役職の。だって、父上はとても優秀な方だもん。
 そして、母上はなんと次期竜王の最有力候補と言われている華楠様の乳母(めのと)。乳母って言ったって、ただお乳をあげてるんじゃないのよ。お忙しいお后様に代わって、大切な御子様の身の回りの世話からご教育まで何もかもを任されている。もちろん、何人もいらっしゃる御子様方にはそれぞれに別の乳母が付いていたけど、何たって母上が一番偉いわよね。
 それに母上は現竜王・亜樹様の元側女(そばめ)だった方よ。側女って言うのは、分かりやすく言うと、ある一定以上の身分がある殿方が正妃または正妻様の他に手をつけられる女子。と言うことは、運が良ければお世継ぎ様をお産み申し上げることだってできるんだから。母上はそうはならなくて、お役を終えたあと父上の元に来たんだけど。それでも長年仕えた御館のことはよく知ってるし、周囲の者たちが一目置いてるのは子供の私でもよく分かった。

 そんな場所で、私は3つになるまで過ごした。そりゃ、雅な御館は全てが素晴らしくてうっとりだったわよ。ずっといても良かったんだけど、いまいち気に入らないことがあったのよね。

 だって、さ。私、こんなに可愛いのに。多分、都中の女子の中で一番可愛いと思うのに。皆、素直じゃないのよね。誰よりもお美しいのは、南所の奥の間にいらっしゃる一の姫様だって言うの。沙耶(さや)様と仰るその方は、ほとんどお部屋から出てこない。だから、私もちらっとしか見たことなかった。肌の色が透き通っていて、髪は正妃様と同じ薄茶。消えそうな雰囲気のか細い方だった。
 で、あっちは「姫様」なのに、私はそうは呼ばれない。まあ、「姫」と言う名称は高貴な方に付けられるものだから、私には畏れ多いとか母上は仰ったわ。でもっ、私、こんなに可愛いのに。水鏡に映してみても、背後の天寿花よりも美しかったわ。なのになのに、竜王様の姫君に遠慮して、皆は本当の気持ちを隠しているのよね。

 そんな不条理な生活、耐えられると思う? 思わないでしょ? だから、私は袴着の式を終えるのを待って、さっさと里に戻った。

 元々私の父上の家は、西南の集落で大臣様の次に豪勢であると言われる重臣の家系だった。お役目は世襲制だから、代々大臣家に仕える大儀を仰せつかっている。任されている領地もすごく広くて、その上とても豊かな場所だ。上がってくる年貢も倉がいくつあっても足りないくらいで、とっても裕福だった。
 そしてね。そこの御館様……つまり、父上の父上、私にとってはお祖父様に当たられる方なんだけど、その方が私のことを溺愛していらっしゃったの。長いお休みに父上や母上に連れられて里に戻るともう大変。「雪、雪姫」って片時も離さないご寵愛ぶりだったわ。余りのことにお祖父様の愛妾がへそを曲げて出て行ってしまったほどよ。
 他の館の者たちも、私のことをとても大切にしてくれる。そりゃそうよ、ここにはお祖父様が側女に産ませた子、つまり父上の兄弟たちやそのまた子が沢山いたけど、なんたって私が一番偉いの。父上はゆくゆくはこちらに戻られて、お祖父様の跡を取る方。その人の正妻の子だもの。皆がひれ伏して当然よ。父上が都に上がったまま戻られないなら、私が父上の代理だもん。

「姫様。雪姫様」……皆が私をそう呼んだわ。すっごく気持ち良かった。どこへ行っても私は一番で、誰よりも大切にされる。欲しいものは何でも手に入れられたし、もしも他の子が持っているものが欲しくなったとしても、侍女の誰かにそれを言うとすぐに私のものになった。
 お祖父様の御館に住まう子供の中で、一番美しい衣をまとって、一番立派なお部屋に住む。侍女だって選りすぐりの者たちだし、お道具だって天下一品。お祖父様はお金持ちだったから、どんなものでも手に入れてくれた。それもこれも、私がこんなに可愛いから、美しいから。飾り立てるのがとっても楽しいんだって。そうよね、いくら美しい衣も、不細工な女子が着たら興ざめよ。そんなの当然じゃない。

 どんなに我が儘を言っても、お祖父様は私を叱ったりはしなかった。
「おお、おお、雪姫は可愛いなあ……じじは姫が大好きだよ」
 そんな風に言って、でっぷりとしたおなかを押しつけてくる。何しろたいしたお務めもしないで食べて寝てばっかいるから、どんどん肥えていくのよね。お祖父様は髪の毛もどんどん薄くなって、ちょっと格好悪いと思ったけど、まあいいやと思った。だって、可愛く甘えれば、色々頂ける。その方が得だもん。
 父上はどう見てもお祖母様似。細面でとっても美しい。気高い、って表現がぴったりね。私はそんな父上と、西南には他にないような雅な美しさを誇っている母上のいいところをくっつけて出来た上玉。ここだけの話。末の妹なんて悲惨なのよ。なんて言ったって、お祖父様にそっくり。同じ姉妹なのに、並んでも血のつながりを全く感じないほどよ。

 ……ま、そんな感じで。私は好き勝手にしても誰からも咎められることなく、気ままに娘時代を過ごした。都にいればお行儀にうるさい母上に、お箸の上げ下ろしから衣のたたみ方までいちいち口を出される。本当に馬鹿みたい。そんなの何になるの。こんな風にね、始終お付きの侍女がいて何でもやってくれれば衣なんて脱ぎっぱなしでいいのに。分かってないのよね〜全く。

 その年。新年を迎えて、しばらくして。私は13になり、裳着を迎えることとなった。

 

*****


 ぽかぽかと春うらら。ここ西南は温暖な気候で冬でもそんなに冷え込んだりしないんだけど、それでも日中に火鉢のそばにいなくて良くなる頃は気持ちいい。私はあまり人目に付かない縁で、のんびりとしていた。

「あ〜っ、退屈ぅ〜っ!」
 私は猫のように伸びたり縮んだり。板間をごろごろしたり。でもさっき朝餉を終えたばかりで、いつになっても昼餉の時間にならないので暇を持て余していた。
「退屈〜っ、退屈〜っ、退屈〜っ!!」
 わざと奥の間に向かって叫んだのに、何の返事もない。だから、私はずしりと重い装束をずるずると引きずりながら、四つんばいのまま進んでいった。ええ、もう。立ち上がるのも億劫でさ。
 ここはお祖父様の御館。お屋敷の敷地内に入ってしばらく進んだ道なりにあって、どどんとそりゃ威厳のある構えよ。誰が見ても「これは……都の御館よりもずっとご立派ですねぇ」と言うほどの。まあ、こういうのは家主を喜ばせるための常套句だと思うでしょ? でも、あながち嘘じゃないのよね。
 私も幼い頃は都にいたわよ。何しろ、母上が華楠様の乳母だったし、私は華楠様の乳兄弟。ちょっとだけ生まれは早いんだけど。半分自分の家みたいに、御館の南所を使っていた。どこの部屋も顔パスだったんだから。だから、分かる。竜王様の御館は、優美な造りだけど、そんなに広くない。お部屋のひとつひとつがこぢんまりしていて、無駄がない感じ。
 でも、こっちは土地が豊富にあるし、いくらでもゆったりと造れるのよね。だから、とにかく広々としている。お祖父様にお呼ばれして奥の間に行こうとしたら、渡り廊下をいくつも超えてすごい時間が掛かるんだから。
 私に与えられているのは西側の渡りの奥にある4つの部屋。ここならバタバタと人通りの多い中央の場所よりものんびり出来る。始終お客人が来る場所だと、それなりにお行儀良くしてないといけないしね。そんなの面倒だわ、まったくもう。
「ねえ、聞こえないの!? 退屈って言ってるでしょ! 絵合わせでもして遊ぼうよ」
 寝所の隣は塗籠(ぬりごめ)になっている。まあ、ようするに納戸のようなものね。お祖父様を始め、私に贈り物をくださる方はあとを絶たなくて、贅沢を尽くしても使い切れないほどのお道具や御衣装がぎゅうぎゅうにしまってある。そこは壁を厚く塗り固めているため、こんな昼間なのに真っ暗。そして、ぼんやりと燭台の灯りが奥にうかがえた。
 後ろ向きで作業をしている者が、私の呼びかけに応えてのろのろと振り返る。
「……そんなに退屈と仰るなら、こちらに来て片づけを手伝っては下さいませんか、姫」
 そこにいたのは男だった。こんな美しくて年若い姫君にまさか間男っ? ――とか思う? 残念でした、彼は私専用の下男なの。使用人だから、奥へ上がることを許してるのよ。
「なんてこというの? 私に命令して仕事をさせようなんて、百年早いわ」
 私は黒塗りの戸口の辺りに座り込んだ。とりあえずは話し相手くらいにはなりそうだ。ああ、良かった。他の侍女たちはみんな三日後の私の裳着のお式の準備で出払っている。まあ、いればいたで「そんなにごろごろしていては不作法です」とか「少しは手習いでもなさいませんと」とか口うるさいから、この状況は好ましいんだけど。
「そんなこと仰ったって……一昨年の新年の宴に賜った髪留めを探せとは姫様のお言葉でしょう? 俺だって色々忙しいのですから、いちいち呼び出されては困ります」
 そうは言いつつも、どうやら目当てのものは発掘できたらしい。辺りを元のように片づけると、燭台を片手に持って奥から出てきた。
「こちらでございましょう、小花につがいの鳥がとても可愛らしいと仰ってましたから」
 彼の表情はあまり変わらない。大笑いをすることもなければ、大泣きをすることもない。長い付き合いだから、下男と同じ身分のくせに時折兄上のような口を聞くこともあるけど、それなりにこちらを立ててくれるからまあいいとしている。薄い唇が動いて、差し出される髪留め。それを捧げ持つ、長い指。
 ああ、美しいなあ……相変わらず。飴色の髪は無造作に後ろでひとくくり、紫よりは水色に見える瞳。全体的に白っぽくて、肌も真っ白だ。まるで毎日湯を使っている遊女のようだって、誰かが陰口を叩いていたっけ。外働きをしてるのに、埃まみれな印象もないもんね。
「なっ、何ですか! また、お小言ですか。勘弁してください」
 私がいつまでも受け取らないので、彼は強引に髪留めを私の手のひらに乗せた。こちらの視線に気づいたのだろう、髪をかき上げながら、ぷいっと横を向いてしまう。
「あっ、……戻る前に! ねえ、お願い! もうひとつ頼まれて!」
 退出しかけた彼は、面倒くさそうに、でも仕方ないなと振り向いてくれた。私は顔の前であわせた両手から、えへへっと笑ってみせる。私の言いつけに背けるわけない、そう知ってるから。だって、彼は私の言いなりになるんだもん。

 

*****


 私は美しいものが好き、この世にふたつとないって言われるような特別なものが好き。だから、彼をひとめ見たとき、とっても欲しくなった。

 5年くらい前だったかなあ。お祖父様のお務めにくっついて、御領地内の見回りに出かけた。定期的に治める土地の全てを回り、民のことを知るのは領主としての大切な仕事だ。お祖父様はそれがあまり好きではなかったけど、お祖母様にお尻を叩かれるようにして、渋々と出かけるのよ。だから、私はその監視役。気が付くと馴染みの女の所に入り浸るお祖父様を諫めるため。
 孫の私から見ても情けないほど、お祖父様は女癖が悪いの。ホント、病気のようよ。御館の侍女は次々に味見しちゃうし、見回りに出かけた先々で「美しい娘がいる」なんて噂を耳にしたら、速攻でお持ち帰りね。
 一番すごいのはね。まだ母上がこちらに嫁いで間もない頃、父上が大臣様のお屋敷に上がった留守に、なんと奥の居室にまで忍んでいこうとしたんだとか! その時は事前にお祖母様が不穏な空気に気が付いて大事に至らなかったと言うけど、使用人の間では語りぐさになっているらしい。確かに戻り女(もどりめ)でいらっしゃった母上はそれは美しかったけど、でも息子の正妻なのに! ここまで来ると恐ろしいわね。実は私も気をつけろって、侍女から言われてるのよ。そんなの冗談じゃないわ。
 私は見回りが大好きだった。領地の者たちに見せるために、特別に美しい衣を着せられて、髪もとっても美しく結ってもらえる。私の髪はもちろん西南の集落の民特有の朱色。でも、母上譲りでちょっと艶に青味が入るの。そこが特別に艶めかしいって言われていた。

 牛車に乗せられて、通りを行く。御簾を半分開けて、のんびりと外の風景を楽しんでいた。お祖父様は昨夜の女遊びの疲れで、高いびきかいてる。長い道中、そろそろ疲れてきたな、私も一眠りしようかなと思ったとき、視界の隅っこに何かが映った。
「……止めて!」
 私は慌てて車から飛び降りると、脇の細い道を入っていった。ぞろぞろと一列になって歩いていく十数名の者たちの姿を見たのだ。それを追いかけた。
「ちょっと、そこの者……! 待ちなさい!」
 毅然とした声で叫ぶと、先導していた男が振り向いた。私の姿を見ると、慌てた様子で駆け寄ってくる。
「これは……御領主様のところの雪茜姫様……!」
 他の者たちはみんなぼろを着ているのに、その男だけはきっちりとした身なりをしていた。先導を失った者たちは立ち止まってぼんやりとこっちを見ている。
「おやおや……どうしたんだね、雪姫……」
 騒ぎに気づいたのだろうか、お祖父様がのろのろとこちらにやってくる。私はくるりと振り返ると叫んだ。
「ねえ、お祖父様! 私、あれが欲しいっ、貰えるの!?」
 私の指が指し示す先には、呆然と佇む、汚れた子供の姿があった。

 それは売られていく途中の者たちの列だった。この地には、出稼ぎのように農閑期になると中央へ開墾などの仕事に出る者たちもいる。だけど、これはそれとは違って、もう戻る家などない者たち。年貢の納められない家や村が、食うに困って人買いの誘いに乗る。女子は例外なく宿所で遊女小屋に入れられるんだけど、男の場合は普通の者がしないような汚い仕事や辛い仕事をさせるために買い取られることが多かった。
 お祖父様の御館にも、たくさんの下男がいるけど、ここにいる者たちはそれよりも身分が下。家畜同然の扱いしかされないんだ。
 私が目をつけたのは、自分よりいくらか年長に見える、でもまだまだ少年のなりをした者だった。肌着を少し厚くしたような衣を着て、裸足。腕には買われたことを証明するための番号札が付いていた。顔には何かで打たれたあとがある。もしかしたら逃げだそうとしたのかも知れない。
「あれは……駄目だよ。あんな汚らしい者、お前には似合わないよ」
 水色の瞳の少年を一瞥すると、お祖父様はさっさときびすを返した。いつもにない、あっさりとした態度。私が欲しいものだったら、何でもくれるのに。どうして、今回は駄目なの?
「いけませんわ、姫様」
 お付きの侍女も慌てて側に寄ってくる。そして私を抱きかかえて、牛車に戻ろうとした。この女子も実はお祖父様のお手つき。もう抜かりがないんだから、あの御方は。
 ――あ、そうか。私はそんなに馬鹿じゃないからすぐに分かった。お祖父様はよそ者が大嫌いなんだ。西南の集落というのは、ほとんどの者が朱色の髪に濃緑の瞳と褐色の肌、だから「陽の民」って呼ばれてる。そして、この地の者はそれをとても誇りに思っていて、他の者を毛嫌いする傾向にある。特に色素の少ない南の地の人などは視界にはいるのも嫌だという。お祖父様は西南の典型的な思考回路を持っていた。
「嫌! 嫌よ! 私、欲しい! あれが欲しい! くれないなら、一緒について行く!!」
 虹色の衣が汚れるのも構わず、私は侍女の手を振りほどくと道ばたに座り込んだ。そして両手両足をバタバタして、ごねてみせる。
「お祖父様があれを私に下さるって言うまで、姫はここから動かない!!」
 だって、欲しかったんだもん。そりゃ、すすけてぼろを着て、とんでもない身なりよ。でもね、水色の目がとっても綺麗。髪だって、洗えばもうちょっとマシになるはず。それに鼻筋がすううっとしていて、とても涼しげな目元。無駄なお肉なんて付いてないすらりとした体つき。
 犬や猫や小鳥なら、たくさん飼っていた。でもまだ、人は飼ってない。自分の言いなりになってくれる、でも一緒に遊んでくれる、そんな仲間が欲しかったんだ。でも、綺麗じゃなくちゃ駄目。衣もお道具も美しくなくちゃ嫌だったけど、家畜代わりに愛でるなら、人だって美しくなくちゃ。

 ま、結局は粘り勝ち。お祖父様は渋々と承知してくれた。私はもう、嬉しくて。そのまま、牛車をもうひとつ仕立てて貰って、御館に戻った。何が起こったのか全く飲み込めていないその少年は始終無言だったけど、私はうきうきして、いっぱい話を聞かせた。家畜はこちらの言ってることを分かってくれないけど、この者は分かってくれる。すごい、嬉しい。楽しくてたまらない。
「名前を付けてあげるわ! ええと……そうね、琉、琉砂(リュウサ)でいいわね? お前は今日から琉砂よ!」
 そう言い放つと、それまでは少しも反応しなかった少年が初めてぴくりと動いた。そして、かさかさに乾いた唇を少しだけ震わせて、ちがう、と言う。力無く首を横に振った。多分、自分には違う名前があると言いたかったのかも知れない。
「馬鹿ねえ、お前は私に飼われるんだから、名前は私が付けるの。そんなの当然でしょ?」
 きっぱりとそう言いきったら納得したのか、その後は何も言わなかった。だから、彼の名は琉砂。その日から私たちはいつも一緒だった。

 

*****


「またですか? こちらのご返事は、侍女の方ではなくて、姫が御自らなさいと御館様からもうしつかったものでしょう?」
 一重だけど、織りの美しい水干(すいかん)とその下に身に付ける小袴の下男装束は、私が見立てたもの。結局お祖父様は彼を正式に下男としては雇ってくれなかったけど、それでも御館に置くことだけは承知してくれた。
 これでいて結構仕事が出来るので、御館の者たちも実は重宝している。お祖父様の手前、表だって仲間と認識することは出来ないが、水路を掘るときの深さを見極めるときや、庭石の場所を改めるときなどにいつも呼ばれてる。色々と仕事を頼まれるから、きっちりと捕まえてないとすぐにどこかに行っちゃうんだ。
「そんなこと言ったって。今まで、私の代筆を全部引き受けてくれてたのは琉砂でしょう? 今更、違うお手蹟(て)だったりしたら、逆に怪しまれちゃうもん」
 私は彼を文机の前に座らせると、にっこり微笑んで筆を取ってあげた。いやあ、良かったわ。何だろう、このごろではお祖父様が侍女ではなくて私がきちんと返事を書けと言う文がすごく増えたの。でもね、実は手習いもイマイチの私。今では一緒に手習いを受けた琉砂の方がよっぽど達筆なので、全部お任せしちゃってる。
「そのような……もう裳着を迎えられる方が、何を仰っているのです。先々、お困りになるのは姫ですよ」
 憎まれ口を叩きながらも、彼はすらすらと文をしたためてくれる。本当に有り難い。ただ、美しいから愛でるために飼ったのに、今ではなくてはならない存在になっちゃってる。うーん、春の花がほころび始めた内庭にを背景に、目の覚めるような美しい男。いいわねえ……最高な目の保養だわ。
「じろじろ見つめるのは、やめてください。気が散るでしょう……、ほら、お暇ならこちらの乾いたものからきちんと整えてください」
 琉砂は水色の瞳をちらと私に向けると、そう言った。そしてすぐに顔を下に向けてしまう。ああ、残念。ずっと見ていたいのに。琉砂の瞳って、今までに会った誰よりも綺麗よね。
「ねえ、髪を梳いてあげようか……?」
 手持ちぶさただったからふと思いついた。せっかくの美しい髪をそんな風に無造作に。もったいないじゃない。きちんと香油を付けて、とかしたらきりっと結い上げる。そしたら、すっごい男前だよ? このごろは裳着の前で何かと忙しくて、ゆっくり出来なかったもん。
 琉砂の髪を綺麗に梳いて結い上げ、更に美しい殿方の装束を着せる。それは私にとって、何よりも楽しい実物大のひいな遊びだった。綺麗なお道具をたくさん出して、お客様ごっこをしたりして。いたずらをして、本物の濁り酒を飲ませたときはいきなりぶっ倒れちゃってびっくりしたっけ。あのときは侍女にもすっごく叱られたな。
「え、いいですよ。俺はこのままが好きなんです」
 いいから、いいからって。私はせっせとお道具を取り出すと、彼の髪にたっぷりの香油を塗った。柔らかい手触りの髪はそのままでも艶々だけど、滑らかな輝きが加わってさらに美しくなる。お祖父様はどうして金の髪がお嫌いなんだろう。もしかしたら、昔南峰のなにがしと何かあったのかしら? こんな美しいものを嫌うなんて、おかしいわ。
「昼餉がお済みになったら、またご準備でお忙しいのでしょう? 皆も話しております、お兄様の春霖様よりもずっと盛大なお式になるのでしょうね……」
 自分の仕事をこなしながら、琉砂はぽつんとそう言った。ああ、そうかもと思う。2年前のお兄様の元服はこちらでも祝った。父上たちは「都でやるから」と辞退しようとしたけど、何しろ跡取りですのもね。たくさんのお客人を招き入れて、それは賑やかだったわ。だから、その時にお祖父様にお願いしておいた。私の時は、これよりもっと豪華にしてねって。
 だって、そうでしょ。お兄様は都に住んでるけど、私はここが居住まい。だったら、御領主の姫君として、最高のお式にしてくれなくちゃ。大臣様の姫君にも劣らぬ美しい装束で、私をきらびやかに飾って欲しい。そのためにもう随分と長いこと髪の手入れもお肌の手入れも頑張ってきたんだから。
 ひとつ残念なのは、そんな晴れやかな席に父上も母上もいらっしゃらないこと。夏の華楠様の元服のお支度が忙しくて、今都を離れることは出来ないなんて文が届く。いつものことだけど、なんか腑に落ちないのよね。確かに「次期竜王様の乳母」なんて晴れがましいお役目だけど、母上は仕事熱心すぎるわ。
 ……まあいいの、お祖父様やお祖母様がいらっしゃるし。御館の者はもちろん、御領地を上げての盛大なお祝いになるんだから。きっと晴れやかな私の姿を見られなかったこと、あとで絵師に書かせた巻物でご覧になって後悔なさるわ。
「そうねえ、このままの穏やかな日和だといいのだけど。琉砂も絶対に見てね、私の晴れ姿。あまりにも素晴らしくて、泣いちゃうかも知れないけどね」
 一瞬、彼の手元が止まった。そして、再び動き出してからも、まるでその作業に没頭しているように、それきり口を聞かなかった。


 

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