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〜こうちゃんと花菜美・3〜

…5…


 

 ピーカンの上天気。冬の晴天。

 私はニットスーツの上に一張羅のカシミアコートを着込んだ。これはママが「10年は着なさいよ」と言って買ってくれたものすごい値段のもの。就職祝いだった。
 やはり、素材のいいものは違う。これはドイツのブランド。どちらかというとおばさん向きの服がメインだけど…知る人ぞ知る、超高級ブランド。ジャケットとスーツのセットが軽く30〜50万。何気ないニットのセーターが10万と聞いてぶっ飛んだ。
 洋服づくりのことは分からないけど…この服、全然違うの。体の線が綺麗に女らしく出る。かっちりた目の詰んだ生地なのに、着るとふんわり軽い。
 …ママのお友達が支店長をしている関係で8掛けにしてはもらったけど。

 

「…こうちゃん!」

 9時ジャスト。改札際に駆け込むとこうちゃんがフェンスの向こうでゆっくりと微笑んだ。

「…なあに? それ…」

 どうしたの? こうちゃんはいつものセカンドバッグじゃない。修学旅行にでも行くようなでっかいスポーツバッグを肩から提げている。

「あ、これ? 今日の、勝負に使うもの」
 こうちゃんは平然とした顔でそう言うと、高円寺までの切符を買ってくるようにと言った。

「ゴンちゃんと青山先輩は…10時に寺島さんちでお待ちしてますって。…こうちゃん、一体、どうするつもりなの? でもって…その大きいの…何?」

 まるで百科事典を12巻セットで売り歩く訪問販売のおじさんのようだ。込んだ電車の中ではどんなに邪魔だろう。持ち込みはオッケーの大きさだけど…。

「…内緒」
 こうちゃんは心配そうに見上げた私に、安心しなさい、と言うように笑ってみせた。


 JR高円寺の駅から徒歩15分。ちょっと路地を入った住宅地に寺島さんの家はあった。

 こうちゃんの身長くらいある木製の重々しい塀でぐるりと囲われた、森のような庭。あっちにちらっとだけ見えるお寺みたいな屋根が…もしかしてお家? 武家屋敷のような瓦屋根付きの門には…インターホンが場違いにちょこんと付いているのが可笑しい。

「水橋の家の者です」と告げると、お手伝いさんが出てきて門を開けてくれた。…ここ、新宿御苑の続きじゃ…ないよね?? 3メートルくらいある椿の木が両脇でお出迎え。

 

「花菜美〜おお、昨日のことを今、聞いとったところじゃ、…上がれ、上がれ…青山さんもお待ちかねじゃ」

 石畳の上を歩いていくと玄関でゴンちゃんが両手を広げて待っていた。

 この玄関だけで、ウチのアパートのワンルームぐらいあるわ…頂き物のシンビジュームやらシクラメンやら胡蝶蘭やら…温室のように並べられている。
 ぴかぴかに磨かれた上がり段にさっきのお手伝いさんがスリッパを2足、揃えてくれた。

「…こんにちは。昨日は失礼いたしました、水橋さん」
 ネクタイスーツ姿のこうちゃんはビジネスライクな態度でゆっくりと頭を下げた。

「なんじゃ、あんたは来んでいい、…邪魔だ、帰りなさい」
 ちらと一瞥して、ぷいと横を向く。
 ゴンちゃんの怒りは想像以上だった。息巻かないで、静かに物言うときが一番怖いのだ。

「そうは、参りません」
 こうちゃんの方はクレーム処理のフロアーマネージャーの様だ。柔らかい物腰ではあるが、折れるつもりもない。

「水橋の…花菜美さんの、相手として…水橋さんに認めて頂くために参りましたので」
 あくまでも、友好的に。こうちゃんは静かに微笑んでいる。

「…馬鹿馬鹿しい…青山くんはお前さんなどが太刀打ちできるお相手じゃないぞ。親族集めて採決したって、結果は見えている…これ以上食い下がったって、あんたが惨めになるだけじゃ。…悪いことは言わん、金輪際、花菜美には関わらないで欲しい」

「いいえ」
 ゴンちゃんの罵倒には全く動じず、こうちゃんはあくまでもにこやかに言葉を続ける。

「…親族の皆さんどうこうより…私は、あなたに、水橋さんご本人に認めてもらいたいんです」

 

 黙って2人のやりとりを聞いていた私。
 実はものすごく、感動していた。

 凄いじゃん…こうちゃん!! 格好良すぎ!!

 私、東京タワーか日本武道館のてっぺんから「好きだ〜〜〜〜!!」と叫ばれた位、嬉しいよ。
 ああ、こうちゃん…世界中の人が反対したって、私はこうちゃんが好きだわ、もう十分だよ!!

 …いけない、いけない…カシミアコートに鼻水が垂れちゃう。

 

「あんたも…見かけに寄らず強情だな…自分が全く馬鹿馬鹿しいことをしていることが分からないのか?」

 ゴンちゃんがこうちゃんに睨みをきかせたとき…奥の方からぱたぱたとスリッパの音がした。

「やあ、嬉しいな。花菜美ちゃん…今日も会えるなんて…」
 青山先輩と…寺島のおじいさんだった。

 先輩はこうちゃんを見ると、一瞬、ふふっと不敵に笑ってから…友好的に会釈した。なめまわすようにこうちゃんを見る。…自分の方がすべてにおいて勝っていると言わんばかりだ。

「凄い自信ですね、まさかそちらからいらっしゃってくださるとは。…俺はあなたと花菜美ちゃんがどういうお付き合いをなさっているかなんて、過去のことは全然、気にも留めませんから…これから、花菜美ちゃんをあなた以上に愛して、幸せにしてあげればいいんです。俺にはその自信があります」

 先輩の整った顔が勝ち気に微笑む。通った鼻筋…大きな目が燃えるような自信でこうちゃんと私を交互に見る。

 私は背筋がガチガチに凍り付いて、こうちゃんのスーツの裾をぎゅっと掴んだ…これは見るからに一張羅だろうけど…しわになったらごめん 。
 こうちゃん、どうするのよ〜怖いよ〜っ! …逃げ出したい気分だ。

 そうだよ! …こうちゃんっ、この際、駆け落ちだっていいじゃないの。こんなところでガン付けあわなくたって…。

「そうは言われても…引き下がれませんね」
 こうちゃんはどさっと、肩からさげていたバッグを降ろした。

 あああ、私の心の叫びが伝わらない…どど、どうしよう…。

「あなたと私が…どちらが花菜美さんにふさわしいか…ここで水橋さんと寺島さんを審判として、勝負しませんか?」

 …こ、こうちゃん!! 撤回、撤回! 今の言葉…まずいよう〜何考えてるのよ! 止めてよ〜!

 対する青山先輩は、おやおや…と言うように眉毛を動かした。

「まさか、今年のセンター試験の問題を解いてみようとでもおっしゃるんじゃないでしょうね?」

 …そんな馬鹿な!! 今はどうか分からないけど…現役だったら、先輩の方がどう見ても偏差値高いぞ! ちょっと、やばいよ〜!

「…それは…フェアじゃないでしょう? 学力だけでは人間は測れません」
 こうちゃんはにこやかに反論する。

「かと言って…あなたは見るからに、スポーツ万能の様ですが…そっちの方向で勝負されるのもフェアじゃないですよ。そのバッグ、まさかボクシングのグローブでも入っているんじゃないでしょうね?」

「…まさか」

 これでは参議院予算委員会のようだ…ううん、それよりも高級なやりとり。

「…聞くところによると…青山さんは将棋がお好きなようですね?」

「おお、そうじゃ、…こちらの青山くんは何と言っても東京都学生アマチュア大会の優勝経験がおありじゃ。プロに誘われたことも1度や2度ではないんだよ…」
 こうちゃんの問いかけに、ゴンちゃんがここぞとばかり、口を挟む。

「…でしたら、その、青山さんがお得意な将棋で…勝負しませんか?」

 

 …こ、こ、こ、…こうちゃん!? 一体何を言い出すのよ!?
 私はあんまりにも信じられない気持ちで、声も出ず、こうちゃんを振り返った。

 

「…よろしいんですか? …でも俺は、アマが相手で負けたことが無いんですけど…嬉しいなあ、もしかしてあなたは最初から、花菜美ちゃんから手を引いてくれるおつもりだったんですか? でもなあ、惜しい。今日は無理です。寺島さんのお宅には将棋盤が無くて…」

「いやはや…申し訳ないねえ。この前、遊びに来た孫が欲しがったので持って行かせてしまったんじゃ。今、青山くんと水橋さんがやりたいと言い出して…謝っていた所なんです…」
 寺島さんが本当に申し訳なさそうに言った。

 このメンツで一番困っているのがこの人じゃないだろうか。ゴンちゃんに言われるままにお見合いをセッティングしたのはいいけど…私の方は彼氏持ち。でもって、彼氏が乗り込んできたのだ。はらはらしてことの推移を見守っていただろう…。

「…そう言うこともあるのかと…」
 こうちゃんはバッグを開けると、中から毛布に包まれた大きな包みを出した。

「道具は持参で参りました」

 …こうちゃん!? なんでこんなにぐるぐると包んで持ってきたの? だもん、バッグが膨らむはずだよ。

 こうちゃんが将棋盤を取り出すと…ゴンちゃんががばっと近寄ってきた。

「こ、これは!?」

「私の家に代々伝わる…将棋盤でして…。どうも江戸時代の後期の頃のものだとか? ちょっと真相は分からないんですけど」

 つやつやと光り輝いた飴色の物体にゴンちゃんが見入っている。
 そんな姿を忌々しそうに見つめる青山先輩…ううう、目が怖い。

「形から入ろうとされるのはご立派ですね…でも私は負けませんよ…」

「お手柔らかに…お願いいたします」
 こうちゃんは深々と頭を下げた。

 

 日当たりの良い南の縁側で『対局』が始まった。

 もう、私の心臓は爆発しそうだった。今まで、こうちゃんが将棋の話をしたことなんて無い…それどころか、ウチの会社に遊びに来て社長に誘われても、『自分は、ちょっと…』とか言って、断っていたくらいだ。

 …どうしちゃったんだよ〜こうちゃん…

 対局を目の当たりにすることも出来なくて、私は部屋の隅っこでうなだれていた。見るに見かねたのか…すすすっと、寺島のおじいさんが近寄ってきた。

「ご覧にならないんですか?」
 優しそうな小さな瞳がまつげの下でくるくる動く。

「…私、将棋は分からないんです。ゴンちゃんは、家では打たないので…うちの家族はゴンちゃんが将棋狂いだった反動で…誰もやらなくって…」

 ゴンちゃんの奥さんの豊子さんは、将棋を毛嫌いしていた。ゴンちゃんが賭け将棋ばかりしていたせいだろう…家にお給料も入れずに遊び歩いていたのだから無理もない。

「…実は、私も良くは分からないんです」
 ふふふっと、静かに笑うおじいさん。普通のおじいちゃんって、こんな人なのかな?

 

「でも、若いとはいいですなあ…」

「は?」

 ポカポカと硝子越しに冬の日差しが降り注ぐ。お庭の遣り水が綺麗だ。

「あなたのことで…若者があんなに真剣に…それだけ、あなたさんが魅力的なお嬢さんだと言うことでしょう…」

 目の前の老人がうっとりと陶酔している。そんなこと、どうでもいいのよ〜私は、こうちゃんだけ、いればいいのに…。

 

 ぴしゃり、ぴしゃり、と…将棋の駒が進む音がする。

 相手が一手打つとじっくりと考える青山先輩に対して、こうちゃんには迷いがない。先輩が駒を進めるとほとんど同時に、自分の駒を動かしてしまう。

 まあ、ルールくらいは分かっているんだろう。でも…

 いつもけたたましいゴンちゃんが真剣に見入っている。…私には盤を見たところでどちらが優位かも分からない。ああ、もどかしい…。

「王手」
 最高裁判官の採決のように高らかな一声が響いた。

「…え…?」
 信じられないような声を出したのは…青山先輩の方だった。

「どうして…ええと…」
 困り切ったように考え込む。その後、一手進めても…また程なく王手の声がかかってしまう…こうちゃん?

「…え? …え? …ちょっと、待った…」
 さっきまでの自信はどこへやら、先輩はしどろもどろ。

 

「…大泉…さんとやら?」
 ゴンちゃんが半ば呆けたように情けない声を出した。

「はい、何でしょうか?」
 こうちゃんは少しも変わらず、穏やかに微笑んでいる。

「お前さん…本当に、素人?」

「はい、もちろんです」
 あくまでも静かに。

「…叔父が…将棋好きで…良く相手をさせられております、それだけですよ」

「叔父…?」

 ゴンちゃんと先輩が顔を見合わせた。やがて二人はぎょっとしたように同時にこうちゃんに向き直った。

「大泉って…もしかして、あのアマチュア界の帝王…『荒らしの鷹』の大泉才雅!?」

「そういえば…手が似ている…」

「では…よろしいでしょうか?」
 こうちゃんはさっさと後片づけを始める。元のように毛布を取り出して、将棋盤を包みだした。

「…も、もう…帰るのかね!?」
 ゴンちゃんは人が変わってしまったように、こうちゃんにすがっている。目がウルウルしている…怖いぞ! 爺ちゃん(78歳)のときめいている姿!!!

「…今度はご自宅の方にお伺いします。さ、行こうか…水橋?」

「う、うん!」

 すたすたと玄関に消えていくこうちゃんを私は慌てて追いかけた。

「…こ、こうちゃん!?」
 あの重々しい門をさっさと抜けて…振り返らずにどんどん歩いていく背中に呼びかける。

「お疲れさま、さ、昼飯でも食いに行こうか?」
 こうちゃんはゆっくり振り向くと、静かに微笑んだ。

「ど、どうして…初めに言ってくれなかったの!? 私、よく分からないんだけど…滅茶苦茶に強かったんでしょ?」

 そうだよ、だって…本当に心配したんだから!! 死ぬほど心配したんだから!!

「…だって…自分がどれくらいの実力か、何て知らなかったし。もし、負けたら恥ずかしいでしょう? まあ、大丈夫だとは思っていたんだけど」

 やだ! どうしてそんなに平然とすごいこと言うのよ!?
 …あ、そういえば。私ははたと思い出した。

「どうして…この前、社長に誘われて断ったの? 将棋が出来ないのかと思ってたよ?」

「…う〜ん…」
 こうちゃんは頭をかいた。

「子供の頃から…叔父さんの相手しかしたことなくて…実は手加減が出来ないんだ。本気でやっちゃうと目上の方を怒らせちゃうんだよ」

「…そうだったの?」
 気抜けした〜はああああっ、…こうちゃんてば、もう。

「でも、良かったよ。これが囲碁だったら…完全に負けてただろうからな〜」
 のほほんとこうちゃんが呟く。

「…そうだね」

 全くである…本当に助かったわ。でも、こうちゃんて…もしかして、すんごい強運の持ち主だったりする!?

 斜め上のこうちゃんの表情を覗き込む。あいかわらずのクマさんの顔。顔だけだったら…実のとこ、先輩の方が…好みだったりするんだけど…ふふふ、内緒、内緒。

 

「それにしても…これ重いな…そうだ、」
 こうちゃんがふと、思いついたように私の頭にぽんと手を置いた。

「これから…ウチに来る? 弟たちに紹介するから…」

「え…?」

 それって…それって、もしかして…家族に紹介、その1!?

 がばっと、こうちゃんを見上げる。

 ちょっと照れた大好きな笑顔の向こうで、本物のお日様も一緒に笑っていた。

 

Fin(011115)

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◇あとがき◇
ようやっと、終わりました。いかがでしたでしょうか。
そんなに長くはしないつもりだったのに、気付いたら原稿用紙に換算して100枚…半分くらいの枚数で書けると踏んでたのが狂いっぱなし。やっぱり「青山先輩」に設定を付けちゃったのが敗因? でも先輩の活躍もあって、多少の進展が見られたと思います(笑)。
等身大で書けるお話なので、実はファンタジーよりは書くのは楽です。でも「現実離れ」出来ないのでそこが難しい。こうちゃんは蹴飛ばしても動かないし…。こうちゃんのガタイは弟モデルだとどこかで書きましたが、彼は最近、35キロと28キロのガキンチョを両肩に背負って悠々と歩いておりました…ううん、ワイルド。でもって、電化製品の配線もパパッとやってくれちゃえば…好感度125%でしょう。こうちゃんも出来そうだよね?
感想、お待ちしてます…たくさん頂けたら、次回作行きますのでよろしく、です。(011116)

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