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〜こうちゃんと花菜美・6〜

 

 「出張…?」
 なるべく抑揚のないように、感情を表さないように気を付けたつもりだったけど。やっぱり耳に届いた自分自身の声が裏返ったのが分かる。

「…うん」
 あああ、やっぱり伝わってる!! こうちゃんは予想通りの反応だな、と言うように短く答えた。

「そう…」

 2月最初の夜更けは寒い。
 せっかくの楽しい気分が最後にちょっと陰ったなあ。

 

 週半ばの晩ご飯デート、今日はお給料日からまだあまりたってないから、奮発してくれていつもより千円高いコースの定食をご馳走になった。生ガキの握りなんて初めてだった。牡蠣のフライは子供の頃から平気だけど、目をつぶって食べてる。あのグロさはやっぱり怖い。酢の物はこの頃ようやくクリアした。大人になったんだと思う(…24だったら、当然か)。
 その後はこれもいつものルート。カクテルのお店なんだけど、ケーキのおいしいバーに入って、カウンターでおしゃべり。夕ご飯の半分ぐらいの支払いは今度は私持ち。こうちゃんはいつもお財布を出して払おうとするけど…私だって一応社会人なんだし、これくらいはしたい。カクテル2杯ずつと、ミルフィーユをはんぶんこ(…ここの名物でとっても大きいの)、ほとんど私が食べちゃうんだけど。デートの時に食べちゃ行けないのがこのケーキだと聞いたことがある。絶対にきれいに食べられないから。お皿に残ったボロボロのパイ生地は見苦しい。ミルフィーユが何気なく注文できる、と言うことは…そう言うことですね、はい、私たちの関係。

 

 私は自分ではそんなに我が儘な方じゃないと思ってる。そりゃ、カチンとくることもあるけど、大抵のことはぐっと飲み込んで忘れることにしてる。だって、人間関係が壊れるのは嫌だもん。

 でも、こうちゃんは別格でいいと思う。そう簡単に壊れないと信じてるから。結構、言いたいこと言ってる気がする。
 私が黙り込むのは口を開くと特別に嫌な言葉が出てくるだろうなあと考えるときだ。こうちゃんは私がブツブツ言ったところで、怒ったりしないけど…やっぱりムッとした表情になることがある。

 

「取材先が県境だからなあ。車で行くことになるけど、山を迂回して遠回りになるらしい。定時にはとても戻れないと思うよ…悪いね」

 この「悪いね」には「仕事だから、仕方ないでしょ?」と言う意味が含まれている。すまなそうにしながらもこうちゃんには余裕がある。

「じゃあ、会えないんだ。…あああ、今年も一人でバレンタインか〜つまんないの…」

 去年は。まだ付き合っていた訳じゃないけど。こうちゃんはウチの会社に時々「塩豆大福」持参で訪ねてきてくれる顔なじみだった。

 こうちゃんより前をとぼとぼ歩く。人気のなくなってきた、私のアパートへの道。11時56分の快速までに駅に戻らないと、こうちゃんは途中の駅からタクシーになっちゃう。だからお店は11時に出て、駅前からたった10分のアパートへの道のりを名残惜しく歩く。

 今週末はこうちゃんが指導している少年野球チームの遠征があると言ってた。だから次に会うのは来週の今日、バレンタインだと思ってた。もちろん、チョコは買ったし…そのほかにもプレゼントを考えてる。

「水橋」
 そのまま、何にも言わないでアパートの前までやってきたら、こうちゃんが後ろから声を掛ける。黙ったまんまで足を止めた。

 …え?

 こうちゃんの足音を背中で聞いていた。すごく近くに来たなあと思った瞬間、後ろから、ぎゅっと抱きしめられる。2人の身長差で、私はこうちゃんの顎の下に入っちゃう。右手が肩の下、鎖骨の辺り、左手はおなかの辺り…こうちゃんの太いコートの腕が回る。力一杯、って感じじゃなくて…そっとようやく触れるくらいの感触なんだけど、背中からこうちゃんの匂いがして、腕からこうちゃんのぬくもりが伝わって。もう全身がこうちゃんになっちゃった感じがする。

 人気がないからって、ちょっと大胆なこうちゃん。

「…遅くなっても、絶対に戻ってくる。そうしたら連絡する…、待っていて」

「うん…」
 これだけの事なのに、胸がじんわりとして、ハナがツンと痛くなる。こうちゃんが優しいから、私は弱虫になるんだ。

「じゃあ、時間だから」
 しばらくそのままの姿勢で黙ったまんまの2人だったけど、こうちゃんの言葉と共に腕が外されて、途端に外気を感じる。ちゃんとコートを着ているはずなのに、こうちゃんがいなくなるととっても寒い。

「気を付けてね」
 たった50センチの空間が私たちを隔てる。月明かりのない曇り空はただ街灯の光を反射している。そんなバックを背負ったこうちゃんを見上げた。

「うん」
 こうちゃんの右手がすうっと伸びて、指の先が私の顎にかかる。どうしてこうちゃんはこんなに温かいんだろう…真冬の真夜中近いのに手袋なしで。やがてこうちゃんのぬくもりは私の右の頬全体に広がった。左手が首の後ろに回る。

「水橋、冷たい」

「…こうちゃんが、あっついんだよ…」

 人差し指と中指で私の耳たぶを挟む。ちょっとくすぐったい。白い息の向こう、そっと近づいてくるこうちゃんの顔。少し背伸びして目を閉じると、ナイスタイミングで優しいキス。回数こなしてきたから、少し上達したかな。後ろに回った手が髪の毛の間に入り込んでゆっくりと梳いてくれるのが気持ちいい。こうちゃんだから良いなあと思う。

「…おやすみ」
 そのまま、今度はちょっときつく抱きしめられる。あったかいなあ、こうちゃん。コートと背広の隙間に腕を入れて、私もこうちゃんにしがみついた。こうするためにこうちゃんのコートの前は開いている。

 何度か振り返りながら去っていくこうちゃんを階段の下でずっと見送る。3つ目の信号まで行くとまた振り返って、もう入りなさいと手で合図する。だから私もひらひらと手を振った。

 こうちゃんに分けてもらった熱が私の心を温めてくれる。ずっとずっと一緒にいたいなあと思う。毎日、一緒にいたいのに…私は少しずつ、欲張りになっているみたいだ。

 

 

「花菜美ちゃん〜明日は何の日かな〜?」
 もうすぐ5時。外回りから帰ってきた森田君が開口一番、叫ぶ。

「…森田君…何だか、おじさん入ってるよ…」
 おかしくて、笑いを堪えながらお茶を入れる。私の職場は社員が5人しかいない小さな印刷会社だ。忙しいときは機械を動かす人を頼むけど、大体はこの人数でこなしてしまう。

「だってさ〜花菜美ちゃん、今年はフリーじゃないから。くれないと困るから、そのためにわざわざここまで戻ってきたんだからね!」

「もう…」
 森田君と私は同期入社だ。森田君は四大で、私は短大だから、歳は2歳違うけど、他の社員さんよりは仲良し。実のところ、言い寄られた過去もあり(…内緒だよ〜)。

「あ〜あ、来年はどうだろうなあ。花菜美ちゃん、もしかして寿退社する? 来年はチョコナシかも知れないな」

 この台詞は向こうのデスクの橘さん。35歳、2児の父。後の2人(一人は社長)は今日はこのまま戻らないと言う。

「え? 花菜美ちゃん、とうとう決めちゃったの? 彼に…」
 森田君が素っ頓狂な声を上げた。…とうとう、って…何だい?

「はあ? …そんな話、まだありませんけど〜やだなあ、失業させないでください」
 そう言いつつも私の左手薬指、ちっちゃなダイヤがはまった指輪があるのをみんなは知ってる。

「へえ、相変わらずおっとりしてるんだなあ、塩豆大福の君。ここは花菜美ちゃんの方から積極的に出るしかないんじゃないの?」

「アパートに引っ張り込んで、迫っちゃえば? こうなったら既成事実を作ってしまうんだよ」

「あのね〜」
 やだな〜暇つぶしのネタにされちゃ。私はさっさと辺りを片づけると、コートを取った。

「じゃあ、私、上がりますね…戸締まり宜しく〜」

 

 

 さーてと。
 会社を出ると、心の中で呟いた。

 こうちゃんは明日はどんなに遅くなっても会いに来てくれると言った。

 じゃあ、これから戻って、念入りに洋服をコーディネートしなくちゃ。
 こうちゃんに会う日はいつもより気合いを入れる。同じ服を何日も着るわけにも行かず、今日は思い切り気合いの入らない服装だ。一昨年のツインニットに去年の初めに買ったキュロット。茶系のチェックに合わせてタイツは焦げ茶。ショートブーツ。昨日、シャンプーを変えたら何だか合わなくて、髪の毛がぼさぼさ。ショーウィンドーに映した姿に愕然…帰りに薬屋さんで違うの買わなくちゃ。
 爪もちゃんと磨いて、下着も(一応)この前買ったお揃いのにしようかな? コロンは何つけよう…?

 

 そんなことを考えてると、この前の電話でみどりちゃんが息巻いていたのを思い出しちゃう。

「花菜美〜何が何でも進展見せなさいよね!!」
 受話器の向こうでつば飛んでるよ、多分…。

「…何が何でもって…」
 こっちは鍋焼きうどんを作っている最中で、菜箸を片手に大きくため息付いた。

「ちょっとはだけた感じの服でも着てさ〜谷間見せれば、いちころじゃないの? 大泉さんって、一気に走り出すタイプだと思うなあ〜」
 谷間って?? おいおい、みどりちゃん。

 この頃のみどりちゃんは愚痴が多い。マリッジブルーと言う奴らしい。婚約者の卓司さんは次男さんだけど、そのお母さんがものすごいみたい。何でも年子のお兄さんはバツイチだと言うし…どうもいびり出されたらしいのね。次男だから一緒に住むこともないだろうとたかをくくっていたら、目と鼻の先に住むことになっちゃったんだって。

「今から、内孫、内孫って…うるさいの。そのくせ、私が顔色悪かったりすると、嫁入り前に孕むのは世間様に恥ずかしいから気を付けろって…何様なのかしら〜〜〜!!」

 結婚式は1ヶ月後だ。つい最近までは結婚式の披露宴の招待客でもめていたと言うし、本当に大変そうだ。

「花菜美も一緒に戦って欲しいのよ〜一人は嫌なの〜」

「そんなこと言ったって、みどりちゃん。こうちゃんにはご両親いないんだよ、嫁姑の戦いもないからね?」

「大丈夫、親がなくても親戚がうるさかったりするんだから!! とにかく、悩殺してね! 絶対よ!」

 …お手本を見せてください、みどりさん…。片手に菜箸、片手に切れた電話を持ちながらため息を付いた。

 

 

 この前までクリスマスだったと思ったら、もうバレンタイン。本当に季節の過ぎるのは早い。すぐに春が来る。お店の中を覗いて思う。去年の今頃はこうちゃんとこんな風にお付き合いするなんて思ってなかった。そうなったら良いかなあとは思っていたけど、不透明な未来だった。

 こうちゃんのこと。会うたびに好きになる。声を聞くたびに切なくなる…笑顔を見ると離れたくなくなる。

 こうちゃんも、そうだといいんだけどな。私と同じ気持ちでいてくれるといいんだけど。

 

 …来年の今頃、どうしてるかな?

 

 そう思ったとき、携帯が鳴った。私の着信音は「桜坂」…福山は好きなんだけど、この曲は特に好き。みどりちゃんは暗いと言うけど…。表示画面に目をやる…こうちゃん?

「はい、もしもし…どうしたの?」

「あの、水橋…後ろ」

「…へ?」
 申し訳なさそうな声に振り向く。視線の先に、こうちゃんがいた。そのまま、固まる。

「こうちゃん、…どうしたの…?」
 携帯を握りしめたまま、どうにか言葉を続けた。

「明日、もし来られないといけないと思って…今日は早めに上がったから…1日早くもらいに来ちゃった…」

「ええ〜!?」
 待ってよ、こうちゃん!! 聞いてないよ〜。

 よく考えたら、気合いの入らない服装にぼさぼさの髪の毛。…で、いつから見てたの?

「水橋、すたすたと歩いて行っちゃうから…焦った。いつ声を掛けようかと悩んだよ」

 まさか…私がにやけたり、ため息付いたりするのを見ていたの??

 夕暮れの町並みが楽しそうにさざめいている。恥ずかしくなって俯いた私の所まで辿り着いたこうちゃんは、耳元で小さく囁いた。

「だって…水橋。もらいに来ないと…また自分で食べちゃうでしょう?」

 …は?

「こ、こうちゃん!!」
 真っ赤になって見上げると、いつもと同じ笑顔があった。

「…嘘。夕ご飯、食べに行こう?」

 …もう。

 等間隔で並んでる街路樹。枝にぷちぷちと春の気配。まだ固い木の芽ももうちょっとしたらほぐれてくる。

 すたすたと先を歩くこうちゃんに駆け寄ると、腕にしがみついた。

「…水橋?」
 今度はこうちゃんが真っ赤。そうだろう、今の時間だったら、こうちゃんがお勤めしてる県庁の職員の人達も帰宅する時間だ。誰かに見られたら、こうちゃんの性格からして滅茶苦茶に恥ずかしいはず。

「…あの、これはちょっと…」
 慌てるこうちゃんの顔を覗き込む。ああ、あったかいなあ、やっぱりこうちゃんは。

「大丈夫だよ、こうちゃん。冬だもん…」

 もういいや、ぼさぼさ頭でも。コーディネートに気合いが足りなくても。
 何だかとっても嬉しくて、もう一度きゅーっと腕に力を込めた。



Fin(020124)

◇あとがき◇
たったひとことが書きたくて、作ってしまったお話です。こうちゃん〜何ともつかみ所のない人間になってきました。前作の「さかなのつぼみ」はまだまだぎこちない2人で作者としては物足りなかったけど、今年は…ちょっといいかな? 森田君、前作のキャラにしようと思ったのですが…切られた人間。可哀想なので敗者復活、ただのおやじ? さてさて、ウエディング雑誌片手に、新展開の構想を練りましょうか? 

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