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〜こうちゃんと花菜美・7〜

 

 

「ねえ、こうちゃん」

 行列の出来るラーメン屋さん。50分並んでようやくカウンター席に案内された。
 白っぽいどろどろした豚骨スープは意外なほどあっさりしていて、一口飲んだら思わず口元がほころんでしまった。並んだ煩わしさなんて忘れちゃった。

「何?」

 一方。こうちゃんの方も大きめのラーメンどんぶりを両手で持ってズルズルとスープを飲んでいる。おいしいものを食べるときはお互いに無口だ。大体、ラーメンを食べるときはそれに集中しないとダメだよね。どんどんのびちゃうもん。熱々のおいしいところを食べなくちゃ。それに、こうちゃんの注文したのは大盛りの倍サイズだし。それを考えると私の倍のスピードで食べなくちゃいけないだろう。

「ねえ、こうちゃん。私のどこが好き?」
 厚切りのチャーシューを割り箸で挟んで一口食べた。そして、ああおいしいなあと思ったところで、そんな言葉が口からこぼれ落ちた。

「…え?」
 案の定。こうちゃんは驚いた顔でこちらを振り向く。そりゃそうだろう。おいしいラーメンを味わっているときにいきなりの質問だ。こうちゃんの持っている割り箸はぴたりとその動きを止めて、そこに絡みついた豚骨スープにぴったりの細麺がゆらゆらと揺れている。

「何? どうしたの、急に…」

 あああ、どうしてこんなことを聞いちゃったんだろ。何とも気まずい気分になって、ふっと視線を逸らした。そのまま左からの視線を思いっきり感じながら、ラーメンを食べ出す。でも、もう味わう所じゃなくなっていた。

 ふうっと、小さなため息をついて。隣りに座ったこうちゃんもラーメンをすすった。その後はお互いに無言でただ、食事に集中していた。

 

………

 

 この前のお花見が何とも中途半端だったから。お詫びの気持ちで、と今日はこうちゃんが車を出してくれた。

 そうなの、実はこうちゃん、ちゃんと車を持っているんだよ。普段は電車通勤だし、私とのデートも仕事の後に落ち合って夕ご飯を食べるか、都心に出掛けるかって感じだから、乗ることは少ないんだって。自宅のガレージで寝かせているらしい。
 もちろん、仕事で遠出をするときは公用車を自分で運転するという。こうちゃんは地元TV局で教育番組を作るお仕事をしている。勤務先は県庁なんだけど、そう言う変わったところにいるんだよね。地域の名所旧跡や、伝統芸能を守る人を取材したりしている。

 今日、午前中に連れて行ってくれた城跡の公園。県境に近い場所で標高が高く、満開も遅い。1週間前に取材の帰りに通りかかって、地元の人に見頃を聞いたんだって。それで丁度、こうして一番いいところに巡り会えた。ボーっとしている様に見えて、結構隙のないこうちゃん。いい人だわ。

 ふわふわの桜トンネルの下を歩く。樹が若いんだろうな、どの枝にも溢れんばかりの花を付けて、それが我先にと咲き誇っていた。その勢いの良さに足取りも知らないうちにウキウキとしてくる。時々、隣りを歩いているこうちゃんを見上げる。お仕事も忙しいし、その上少年野球の監督までしているこうちゃんとこうしておひさまの下を歩くのは本当に珍しい。こうやってこうちゃんの横顔が青空をバックにして拝めるのも嬉しい。短い前髪がふわふわと風に揺れる。

 大股で歩いていくこうちゃんを、早足になりながら追いかける。そうすると時々、さくっと足を止める。どうしたのかと思って見上げると、こうちゃんは黙ったまんまでじっと遠くを見ていたりする。180センチのこうちゃんの見ている風景は私の目線よりも20センチ以上は高いはず。一体何が見えているんだろう。

「…こうちゃん?」

「え? 何?」
 こうちゃんは初めて私の存在に気付いたように振り向く。何を考えているんだろう、せっかくふたりでいるのに…。

 その時。

 明るい風景の中で私たちだけが切り取られて浮いている気がした。

 ざわざわと楽しそうなざわめきが他人事に耳に届く。大体、周りの人達には私とこうちゃんが一体どんな関係に見えているんだろう。腕を組んだ恋人同士、子供の手を引いた親子連れ。みんな溢れるぐらいの幸せに満ちている。形にならない関係って…何だか寂しいなあ。桜がきれいすぎるからだろうか、こうしてふたりで歩きながら腕も組んでくれない、手も繋いでくれないこうちゃんを何だか悲しいなあと思ってしまった。私が嫌いなんじゃないと思う、ただ、こうちゃんは思い切り照れ屋さんなんだから。だから、なんだと…思いたいけど。 

 突然。子供の泣き声が上がった。

 赤い風船がふわふわと上がっていくところ。手を離してしまった風船を見上げて小さな女の子が泣いている。それを困った顔をしてパパとママらしき二人がなだめていた。

 こうちゃんの視線もそこで止まる。

「可哀想だね」
 ぽつりと呟く声。少し低くて響く大好きな声。

 でも。その時私は全然、別のことを考えていた。

 

………

 

 ちょっと心が傾くと、何だかそのまま転がるように悲しくなってくる。

 戻りの車の中でも私はずっと無口だった。もともと無口なこうちゃんと一緒に並んで座っていると、会話がない。ちらちらっとこちらを見るこうちゃんの視線は気になるものの、振り向かないで窓の外をボーっと眺めていた。

 車の中ではサザンの曲がずーっと流れていて。懐かしいフレーズが耳に届いたとき、何だかちょっと心が疼いた。

 私は。

 こうちゃんと一緒にいたいなあと思う。

 こうちゃんと一緒にいて、楽しいことがあったら笑って。困ったことがあったらふたりで考えて答えを出したい。でもこうちゃんはどうなんだろう、私といて楽しいのかしら。私じゃなくて別の人だとしてもいいんじゃないかしら。

 

 こうちゃんは優しいから、相手のことを思いやる人だから。私の気持ちを大切にして、それに従ってくれているだけで…本当はこうちゃんは…私じゃなくても…。

 

 ああ、やだなあ。どうしてこんな気持ちになるんだろう。やっぱり桜のせいなのかな?

 一生懸命好きでいるのは大変だ。すぐに息切れしてしまう。最初はこうちゃんがにっこりと笑いかけてくれるだけで嬉しかった。その次はきゅっと抱きしめてくれるだけで。でも、でも…残念なことに心は段々慣れてくる。そしてもっともっと大きな確かなものが欲しくなってくる。私はどんどん欲張りな人になっていく。

 風船を空に飛ばして、泣き叫ぶ子供のように。自分の心が素直に言葉になったらどんなに楽だろう。でも、私はとっくに大人になっている。だから、上手く心が出てこない。中途半端に曲がった心が顔を出す。

 

『ねえ、こうちゃん。私のどこが好き?』

 

 そんなこと聞いたって、ちゃんとした返事が返ってくるわけないと分かってた。だけど、聞きたかった。こうちゃんの心が言葉という確かなもので形になって欲しかったんだ。

 

………

 

 そのまま車が滑るように私のアパートの前まで戻ったのは夕暮れの頃だった。

 これから少年野球の監督さんたちと飲み会があるというこうちゃん。今日はこれでデートがおしまいだ。何ともしんみりした1日だったな…。

 

「水橋?」
 車が止まったのを確認して、するりと助手席から外に出る。こうちゃんが慌てて、車を降りてきた。

「…あの、もしかして。昼間のことを怒ってるの?」
 開いたドアに腕をかけて、こちらを見ている。

「…別に。そんなじゃない…」

 情けない気持ちでいっぱいになって俯く。答えてくれないこうちゃんが嫌だったんじゃない、あんな答えられない質問をしてしまった自分が嫌だったのだ。こうちゃんを好きなだけで満足できなくて、見返りを欲しがってしまう悲しい自分が許せなかった。

「あの…俺。ずっと考えていたんだけど…」
 すっごく言いにくそうに。こうちゃんが話し出す。

「いい!! …もう、ムリして言わなくていいの!! そんなに頑張って、苦しんで出す答えじゃないもん」

 思わず。自分でもびっくりするぐらいの声で叫んでいた。下町商店街を行き交う人が思わず振り向いていくくらいの勢いだ。

「私、もういいから。この話、辞めよう?」
 こうちゃんの所まですたすたと歩いていって、シャツの袖をぎゅっと握った。

「…いいの?」
 間の抜けた声が頭の上から降ってくる。見上げるといつものボーっとしたこうちゃんの顔があった。

「あ、でも…何か思いついたなら、聞きたい!!」

 私の言葉にこうちゃんがぐっと詰まる。

「こうちゃん?」
 なかなか次の言葉が出てこないので、不思議に思って言葉をかけると。こうちゃんは困ったように微笑んだ。

「実は…なかなか気の利いた言葉が思い浮かばなくて」

 

 思わず、吹き出してしまった。つられてこうちゃんも喉の奥でククッと笑った。

 

「いいよ、こうちゃん、一生懸命考えてくれただけで。私、それでいいから。今日はごめんね…」

 そう言い終わる前に。

 背中がふわっと温かくなった。ひゃあ、どうしたの? こうちゃん !? こんなに人通りが多いところで、ドアに隠れているとはいえ、背中に回された腕でぎゅうっと抱きしめてくれていた。

「…思いついた」

「へ?」
 何なの? こうちゃんってば、急に。どんな顔してるの? 見えない〜こうちゃんの手のひらが私の頭の後ろをぎゅっと支えて胸に押しつけられていて…。

「俺、水橋のそう言うところがいいな」

 …は? どういうことだい、こうちゃん。相変わらず言葉が中途半端で何が何だか分からないぞ!?

 ずりずり、と頭を左右に振るとようやく腕の力が緩んだ。こうちゃんの胸の中で、そっと視線を上げた。

「こうやって、許してくれるところがいいなと思う。ホッとするから」

「え…??」

 ますます分からない。だけど、見上げたこうちゃんの瞳は何だかとても嬉しそう。ようやくなぞなぞの答えを見つけた子供みたいにすっきりしている。心底、ホッとしているのが分かった。

 みっつ瞬きをして。ぽーっと赤くなってしまう。何だか分からないけど、誉められているのか? とても恥ずかしい…。

「…ね、それじゃ…聞いてもいい?」
 こうちゃんの声が耳元に囁く。くすぐったい振動が鼓膜を揺らす。

「水橋は、俺のどこが好き?」

「…はあ…??」
 慌てて聞き返していた。こうちゃんの笑った瞳が私を見つめている。

「こうちゃんが好き、っていうのはたくさん聞いた気がするけど…具体的にどこが好きと言うのは…聞いたことがあったかなあ…」
 そう言い終えると、面白そうに口元で笑った。

 思わず頭の中が真っ白になっちゃった。

 

 …こうちゃんの、どこが好きかって…ええと。

 

 ぼーっと熊さんみたいに大きくて、抜けていて、でも可愛くて…あああ、違うのよ!! 優しいところ? 何だかありきたりだな…決断力がある? ないな、いざというときじゃないと。水戸黄門の印籠よりも出番が少ないみたい。仕事に熱心? 子供に優しい? コレじゃ、なかなかデートできないコトに対する嫌みになっちゃいそう…!!

 すっかりパニクってしまった私の頭をぽんぽんと叩いて。それから、ふふっと笑う。

「…ね、なかなか難しいでしょう?」

「…あ…!! こうちゃんっ…!?」
 やだ!! 仕返しされたんだ!! もう〜こうちゃんは〜!!

 じたばたしている私を残して。こうちゃんはさっさと車に乗り込む。エンジンを掛けると、するすると窓をおろして首を出した。ちょいちょい、と手招きをする。

「……??」

 何が何だか分からないけど、すすすっとその仕草に吸い寄せられた。

「なあに?」

 ――と。

 私が身をかがめた瞬間、ほとんど不意打ちに近いキス。

「…き、きゃあ!!」
 思わず、飛び退いてしまった。こうちゃん!! 夕方のこんな人がたくさんいるところで…うそお…

 背中をたくさんの視線が横切っていく。足元に穴を掘って歩道の下に潜り込みたい気分だ。

「じゃ、またね」
 そのままサイドブレーキをおろすと、ゆっくりと車を発進させる。

 

 残された私は夕焼けよりも真っ赤。…そうか、この場合に恥ずかしい思いをするのは私なんだ。分かってて、やったんだなあ〜。

 呆然と立ち尽くしたまま。頬を覆う両手がとっても熱い。きっと今の私はゆでだこ色になってると思う。

 しばらくその姿勢で通行人の邪魔をしながら、最後にふふっと笑みがこぼれた。

 

 そして。

 

 私はどんなこうちゃんも、やっぱり大好きなんだな…と気付いた。

Fin(20020414)

◇あとがき◇
さてさて。ふふふっと笑いましたか? 何なんでしょう、これは。「私のどこが好き?」なんて答えにくい質問だと思います。しかも相手は「こうちゃん」、これですらすらと答えられたら奇跡です。多分、こうちゃんの弟のタカオだったらすらすらと言うんじゃないかな〜と思うと楽しい。
一応、「今年のつぼみ」の後の話として書きましたが、ネタバレを極力しないように心がけました。久々に「こうちゃん」は戸惑いましたが、ううう、何だかんだ言ってもこうちゃんっていいなあと惚れ直してしまいました。

◇新規あとがき◇
お陰様で「さかなの憂鬱」を書いてから1年間が過ぎました。このお話は私のサイト運営の転機になったと思う作品のひとつです。たくさんの皆さんに読んでいただけたことで、小説サイトとしてやっていこうと決意したんですね。ああ、1年…こんなに成長したサイト。いえ、単に作品が増えただけ(苦笑)。
最終話に向けて、先行発表です。そしてアンケートのもう一つの御礼はお約束通りにサイト発表は致しません。あちらの作品はアンケートにご回答下さった「あなた」へのプレゼントv …と言ってもあの程度ですが。(20020926)

 

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