TopNovel「並木通りのシンデレラ」扉>並木通りのシンデレラ・1



…1…

 

 ゆったりとした敷地内をみどりの風が渡っていく。

 フェンスに沿って植えられている桜並木が自分の下に黒々とした影を落としている。隙間がないほどびっしり葉を茂らせた枝が一斉に揺らめく。
 同じ方向に揺れるそれを見て、体育の時間の「前へならえ」の様だと思った惣哉(そうや)はくすりと笑った。

「…どうした?」
 前を歩いていた学園理事長・東城政哉(とうじょうまさや)…惣哉の実の父親であるのだが…が、不思議そうに振り向く。

「あ、いえ。何でもありませんよ」
 緩やかな笑みを口元に浮かべつつ、彼は眼鏡の奥で目を細めた。その姿を父親はゆっくりと眺める。そして、小さくため息。

「午後は経理関連の書類に目を通してもらう。金銭的な事は税理士に一括して頼んではあるが、経営者として任せきりは良くない…分かるな、惣哉」

「はい、父上」
 神妙に頷く。後ろに流している柔らかい髪が少し乱れる。仕立てのいいオーダーのスーツも薄手の夏仕様のものに替わっていた。こういうことは惣哉自身が行うのではなく、彼の家を長年仕切っている女中頭の幸さんが全てやってくれる。お仕着せでない惣哉のために型取られた服はしっとりと彼の身体に馴染んでいた。

 

………


 惣哉の父親であるこの学園理事長は一籐木グループの事業の一環として運営されている「藤野木学園」の経営に長年携わってきた。日本有数の総合企業グループのひとつである一籐木の亡くなった前頭取「一籐木月彦」氏と彼「東城政哉」氏は永年の親友で特に懇意にしている人間だった。お互いがお互いをそう認めていた。
 月彦自身の考えでは政哉をもっとグループの中核にあるポジションに据えたかったらしい。しかし、政哉としては小難しい事業の中で身を削ることを好まなかった。元々教育者に憧れていた彼はこの学園を切り盛りする道を選んだ。その上で月彦の一生涯において、良き相談役としての立場を貫いた。
 その父の姿を、惣哉は幼年の頃から知っている。東城の邸宅はこの学園と敷地を連ねており、彼自身も幼稚部から高等部までの一環教育を受けた。大学は併設されていないが、学園の恥にならない様な立派な学歴を残したと自負している。

 大学課程を修了後、惣哉は一籐木グループの一員としての職務に就いた。月彦の孫娘である一籐木咲夜(いっとうぎ・さくや)の身辺警護を申しつかったのだ。10年間、それを続けてきた。「続けている」と進行形の言葉で語れないところに今の彼の心境がある。もちろん、任務は遂行中なのであるが…。

 そんな彼に「そろそろ、自分はリタイヤを考えている」と父親が切り出したのはつい半月前の事だった。5月の終わりのことである。理事長室の大きな窓から見える学園の表庭が若葉から深い緑へと色を染め変えていた。気の早い紫陽花が薄いグリーンに色づいたその花弁を揺らしていたのを覚えている。「大事な話がある」と直々にこの部屋に呼ばれたとき、大体の話の内容は察知したが、それでも惣哉は驚きを隠せなかった。

「…私も、もう歳だ。余生を楽しみたい…」
 そう言いながら政哉は窓の外を見やった。明るい日差しが彼の横顔を照らす。

 惣哉は黙ったまま、父親を見つめた。彼の申し出はもっともである。70を越えた今日、まだまだ現役のはつらつさは失われていなかった…が。一籐木月彦の急逝である。それと共にもう一つの命が月彦の死よりもずっとささやかに、でも政哉にとってはあまりに重く散ったことを惣哉は知っていた。

 …後藤家、梓…。その女性が父の中で特別の人となっていること。自分の母親とは全く違う位置にいることを…今の惣哉なら理解することが出来る。惣哉自身が自分の手のひらから、一羽の美しい小鳥を放ってしまったから。

 豊かな量を残したまま、美しく銀色に変わった父の頭髪。男性にしては白い肌にその下を流れる赤がピンクに浮き出る。ごつごつと骨太の力強い両手を眺めて、惣哉はふっと顔を緩めた。

「理事長は…しばらくはそのお席に留まってくださるのでしょうね? 私は立場的には副理事の席にありますが学園経営においては全くの素人です…色々ご教授を頂かなくてはなりません」

「それはもちろんだよ…ただ、お前が私の跡を継いでくれるという保証がないと、私も心が安らかにはなれないからな。…それに」
 政哉は惣哉の顔を一瞬だけ見ると、意識的に視線を逸らした。

「…それに?」

「…そろそろ、お前にも良き伴侶を迎えねばならないであろう」
 言いにくそうに、絞り出される言葉。その心痛と共に惣哉に伝わってくる。

「それは…今少し。申し訳ございません…」
 惣哉としても父の想いを汲みたかったが、頭で考えるほど心は簡単にはいかない。彼はそっと目を伏せた。

 咲夜を手放した…その心の痛みがまだ生々しい。その傷は癒えることがない気もしていた。実際、自分たちの間に何か特別の事があったわけではない。何の約束があったわけでもない…ただ、心が絡み合っていた。惣哉はそう信じていた。

「惣哉」
 父の声に厳しいものが加わる。

「…いつまでそうしていても、時はいたずらに過ぎゆくものだ…私には分かる。私自身がそうであったからな」

 否定の言葉を連ねようとしていた惣哉はそのまま黙り込んでしまった。かの女性のことについて、父から直々に話を聞いたことはない。全てが惣哉の想像でしかないのだ。このように政哉が正面から過去を口にするのは初めてであった。

「もし、お前に…良いと思っている女性がいるなら紹介しなさい。お前が認めた人間なら間違いはないだろうから…」

 惣哉は俯くと静かに目を伏せた。

「…父上の…宜しいように取りはからって下さい」

 息子の言葉に机の上に置いた手を組み替えた政哉は、何とも言えない寂しそうな目をした。

 

………

 

「橋崎のお嬢様とは…その後、どうかね?」

 さくさくと地を踏みしめる音。2人はフェンス伝いに広い敷地を散策していた。正門を入ると広々とした表の庭があり、客人を迎えるように美しく樹木が植えられている。花壇にも季節の花が絶え間なく咲き乱れる。入ってすぐの建物は2階建ての事務局。その奥に三棟の校舎が渡りで繋がれてある。生徒たちが使用する校庭はさらにその奥にある。広さは普通の学校の何倍もあって、校舎を出てフェンスまで走って戻ると休み時間が終わってしまうと言う笑い話まであった。それでも今は昼休みであり、まぶしい日差しの中で子供たちのはしゃぎ声が溢れていた。
 学園には幼稚部から高等部までそれぞれ制服がある。夏服はシルバーブルーを基調としている。高等部は開襟のシャツとスラックス・薄手のセーラー服だが、小さな子供たちには活動しやすさを考慮してポロシャツが指定されていた。袖と襟が薄いブルーになっていて、女の子は襟がセーラーになっていて可愛らしい。男の子は半ズボン、女の子はプリーツのスカートをはいていた。学校指定の靴下を履いた足がその下にすんなりと伸びる。足元の運動靴ももちろん指定のものだ。

「はい、何度かお食事や観劇にお誘い致しました。親しくお付き合いさせて頂いております」
 惣哉は子供たちを眺めながら、淡々と語った。その声には憂いも喜びもなく、まるで事務的な話をするように抑揚がない。

「…気に入らないのかね? あちらのお父上からは話を進めてくれと申しつかっておるのだが…」
 政哉は惣哉の様子を気にしながら話を続けた。

「ならば、そうなされば宜しいでしょう? 私にも他意はございませんよ?」
 対する息子は自分の杞憂が理解できないと言うように答えてくる。その言い方が何とも言えずに重い。

「惣哉、…相手のいることだぞ。その様に投げやりになっていては、あちらに失礼ではないか?」

「投げやり…ですって? 父上、私にその様なつもりはございませんよ…」

 この息子は。

 …政哉は考えた。多分、惣哉は自分では分かっていないのであろう。しかし、心の傷を癒すのは他人ではない、本人が自らを癒さなければ駄目なのだ。

 眉間に手を当てて痛みをこらえたとき、がさがさ、と言う音を聞いた。
 見ると前方のひときわ立派な桜の木の下で、数人の子供たちが騒いでいる。皆、上を見上げて何かを叫んでいるようだ。

「…どうしたのかね?」

「行ってみましょうか?」

 2人は顔を見合わせると樹の側に歩み寄った。


「あ、理事長先生だ!!」

「こんにちは〜」

「惣哉さんもいる〜」

 子供たちがこちらに気付いて、駆け寄ってくる。

「こらこら、『惣哉さん』ではなくて、『副理事長先生』とお呼びしなさい」
 そう諭しながらも、政哉は子供たちの顔を腰を落として見つめながら一人一人の頭をなでている。根っからの子供好きなのである。

「…君たち、こんなところで何を騒いでいたの?」
 惣哉も一人の子供に話しかけた。セーラーの襟にクリームイエローのリボンは小等部の3年生だ。

「うん…来て来て、惣哉さん〜麻衣ちゃんのがね〜」

 ピンクのリボンを頭に結んだ女の子に腕を引かれて、樹の下までやってきた惣哉はぎょっとして上を見た。人影…?

 …人がいる? 木の上に…。

「ああん、ちゆ先生〜もっと右なの〜」

「違う違う〜その横〜」

 子供たちは上を見て必死に叫んでいる。

「ええ〜? 分からないわよ、右って…どっち!?」
 声に反応して上の人影が答える。どう見ても3メートルはある枝の上…。

「あ、あった〜!! …と、え…!?」
 手を伸ばして何かを掴んだ瞬間、足場を失ったらしい。

「きゃあ!」

「危ない!!」

 その瞬間。2人の目が合った。惣哉の目に飛び込んできたのは、明るい栗色の髪を肩で揃えた少女だった。

 ざざざざーん!!!

「痛たたた…」
 振り落とされた無数の木の葉と共に、「落ちてきた」彼女は頭を抱えていた。少し打ったらしい。

「…大丈夫ですか…?」

「…え?」
 ようやく自分の今の状況を把握する。

「…きゃあ! 申し訳ありません!! …これは、学園副理事長!! 本当にすみません…」
 慌てて、飛び退く。彼女は惣哉を下に敷いて落ちていたのだ。

「君こそ…怪我は?」
 起きあがって眼鏡を直すと、惣哉はゆっくりと落ち着いた口調で言った。落ちてくる人間を受け止める…映画などでは良くある光景も実際に出来るモノではない。彼女が地面に叩き付けられなかっただけ、幸いであろう。途中、枝に引っかかったらしく彼女にはそれほどの落下速度もなかった。

「え? …私なんかより…どどど、どうしましょう! 副理事長さん、せっかくのスーツが汚れてます!」
 一度は飛び退いた彼女はもう一度駆け寄ると、申し訳なさそうにあちこち見渡している。青くなったり赤くなったり、心配そうな瞳が惣哉を覗き込む。

「木に登っちゃ駄目でしょう? 校則にもありましたよね、敷地内の草木は大切にしましょうって…君、高等科? 何年生?」
 自分を知っていると言うことはここの生徒なんだろう。咲夜よりいくらか若く見える。華奢な身体がそう見せるのかも知れないが、上背もせいぜい150センチ…言ってしまってから、中等部だったかな? と後悔した。

「あ、あの…私…」
 不思議そうに言葉を詰まらせる彼女の背後から、政哉の声がした。

「佐倉先生…どうしました? 危ないではないですか…」

「…きゃああ! 学園理事長も!! まあ、どうしましょう…」
 両手で顔を覆って、叫んだ彼女を見ながら…惣哉の方も驚きの声を上げていた。

「…先生?」


………

 

「…子供の飛ばした竹とんぼを取ろうとしたらしいな…まあ、彼女らしいと言えばそうだろうが…」
 廊下を歩きながら、政哉はため息を付いた。そう言いながらも彼の口元には笑みがこぼれている。楽しそうだ。

「…父上…。彼女、本当に本校の教員なのですか? どう見ても高等科の生徒にしか見えませんけど…」
 スーツを改めた惣哉は信じられない、と言うように訊ねていた。正直、信じられなかった。そう言えば、最初に子供たちが「先生」と言っていた気もする…でも彼女の姿からは想像できなかった。

「…お前…職員紹介の時に列席していただろう…?」
 困った奴だ、との心をありありと浮かべて理事長は言った。

「はあ…」
 3月の終わりの会議だろう。父親の言うとおり、副理事として椅子に着いていた。だがはっきり言って心はそこになかった。咲夜のことで頭がいっぱいだったのだ。
 あの事件から2日ぶりに戻った咲夜は身体に受けた傷よりも心に受けた大きな傷を持っていた。それを癒したいと思いつつも自分ではどうすることも出来ない。それが不甲斐なかった。

「まあ、もっとも…佐倉先生はこの間お産のため休みに入った小宮先生の代理教員だ。正式に雇用したわけではないのだが。彼女は今年の春に大学を終了してね、教員の採用試験には受かったらしいんだが、どうも離島に行けと言われたらしくて…」

「…離島?」

「ほら、東京都には島があるだろう? 新規採用の教員はそちらに飛ばされることもあるんだ、今はどこも就職難だからな。彼女は田舎が東北の方で…躊躇したらしい」

「…そうなんですか」

「ちょうど彼女の卒論の担当と私が懇意にしていてね、代用教員の話をしたら、彼女を薦めてくれたんだ」

 教員、と言っても採用間もないらしい。ようやく6月になったのだから、まだ2ヶ月。板に付いていなくて学生に間違えたのも頷ける。

「…だが…高校生はいささか失礼だったな…」

「はあ…」
 政哉の言うことは正しい。大卒の娘が高校生と間違えられたのではさすがにいい気はしないだろう。

「彼女はあのようにそそっかしい所はあるのだが…とても熱心な職員だよ。子供たちもすっかり馴染んでいる」

 別に惣哉に言い含めているのではないらしい。窓の外を眺めながら、楽しそうに政哉は言った。

続く(020125)

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