広瀬もりの/著

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 私はスポンジ。お台所の流しに住んでる。いないと困るけど、いてもそれほど華やかな舞台はない。流しで身体をあわあわにして、毎日を過ごしている。

 お台所にはそれはそれはたくさんのものがあふれている。周りをぐるりと見渡すと何だかみんながとても素敵に見えて、ちょっと切ない。

 お花がたくさん付いた大皿さんは特別のお料理を乗せる。ダイニングテーブルの真ん中にどんと置かれて、白熱灯の蜂蜜色のライトに照らされる。
「ああん、疲れるのよねえ。ちょっと、マッサージして下さらない?」
 流しに置かれた彼女はいつも私に言う。ぴかぴかのお皿のフチをちょっと自慢げに光らせて、ちらと見上げてくるのだ。そのたびにどきんとする。自分の心の中にいいなあという憧れの気持ちが芽生えて、たまらなくなる。そんなことを考えても、敵うわけがないから。ぐぐっと気持ちを抑える。
 真っ白な身体の色がご自慢の深鍋さんは、ホウロウという素材で出来ているんだって。苺のジャムを煮るときに必ず現れる。ジャムはいつも使ってるアルミのお鍋じゃない方がいいらしいの。甘酸っぱい香りをふつふつと煮詰める彼女は幸せそう。ガスレンジの上の名女優だと思っちゃう。アルミやステンレスのお鍋さんみたいにごしごししちゃ駄目なんだって。だから私がやさしくやさしく泡立てて洗うの。そうするとにっこり微笑んでありがとうって言ってくれる。余裕の微笑みだなあ。
 それならいっそ、たわしさんのように強くなりたいなあと思う。いつでもぴんぴんと心を尖らせて、どんな焦げ付きもがりがりと落としていく。気持ちがいいくらい。私の一緒にステンレスのたわし入れに住んでいるのに、性格が全然違う。いいな、強くて、潔くて。私のようになよなよしてないもんね。クレンザーさんというざらざらした粉を泡立てて、透き通った香りをぷうんとさせて。私みたいに使い終わった後、ぎゅうっと絞って貰わなくても、さっと水切れして。

 私はスポンジ。ふわふわのふきんさんに拭いて貰うこともなく、毎日毎日、同じことを繰り返す。決して、流しから外に出ることはない。いつか身体がだんだん痛んでボロボロになって、ゴミ箱にぽんと捨てられておしまい。大皿さんよりもお鍋さんよりもたわしさんよりもふきんさんよりもずっと短い人生。
 小皿さんみたいにお友達がたくさんいない。コップさんみたいに、キラキラと光って特別の仕事をしたりもしない。包丁さんみたいに玄人仕事も出来っこないし。
 それを思うと、悲しくなって…真夜中にちょっと泣いてしまうこともある。私の人生って何だろう。何のために生まれてきたんだろう? たくさんの人に注目されて華々しいステージに上がることもない。すごいねって誉めて貰えることもない。

 同じくらい頑張っているのに。私がお皿じゃなくてスポンジだったから…だから上手く行かない。私だって…私だって、素敵になりたい。みんなの輪の中心にいて、よくやったねと言って貰いたいのに。もうやだ、こんなのやだ。これ以上、頑張れない。逃げ出してしまいたい、こんな所にいたくない。自由になりたい、楽になりたい。
 たとえば、スーパーの道具売り場でドキドキしながら私を買ってくれる人を待っていた日のように…なんの憂いも感じない、まっさらな自分に戻りたい。でも今更、そんなことが出来るはずもない。

 自分一人じゃ、心許なくて。洗剤さんや湯沸かしさんの力を借りて。そうしないと仕事も出来ないね。

 こうやって泣いても、いじけても、また明日、お仕事するんだろうな。掴みきれない、私のいきるべき道をのろのろと歩きながら。私はスポンジだから、スポンジとしか生きられないから。

 私はスポンジ。お台所の流しに住んでる。いないと困るけど、いてもそれほど華やかな舞台はない。流しで身体をあわあわにして、毎日を過ごしている。 

 ずっと、ずっと。これからもずっと。

Fin(020701)
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