…先輩。
………
わずかに西に傾いた日差しが午後の始まりを告げる。 快い振動に揺られてうとうとしていたみたいだ。がくん、とカーブで車両がきしんだとき、ふっと眼を覚ました。 「わ、…危なかったあ…」 ひなびた車両の中は次の駅が終点だと言うこともあり、半分くらいの席しか埋まってない。MDを聴いてる高校生、スポーツ新聞を広げたおじさん、デパートの買い物袋を足元に置いた中年女性… ほとんどの人が2人掛けの椅子を自分の専用シートにしてくつろいでいる。 この「がくん」で目が覚めることが昔から良くあった。
小さな橋を渡ると電車はゆっくりと坂を上る。駅が高架になっているのでそれに合わせて少し前の地点から地上より高いところを通るのだ。おひさまの香りのするシートに座り直す。 …と。 思わず、立ち上がっていた。 ゆっくりと90度のカーブを描きながら傾きつつ下がっていく窓の外…4階建て、2棟の校舎が現れる。右手に体育館と格技館。手前にサッカーグラウンド、その左手が夜間照明付きの野球グラウンド…第二棟校舎の影になってここからは確認できないが、左手の奥が陸上のトラック。広い校庭を取り囲む銀杏並木はまだ葉がなくて、はだかんぼうで日差しに揺れている。 …でも。目を閉じると、金色の銀杏並木の下ではしゃぐ自分の姿が見えた。
ずるずると。 そう、引きずり出されるように思い出は呼び起こされる。
(…どうして? カナ…)
「…先輩」 ドアのガラス窓に額を押し当てる。私の身体で影になったそこに…髪を長く伸ばした大人の女性が映った。24歳の…私。あれから、もう、何年たったのだろう。
ふいにアナウンスが響く。ハッと我に返ってシートに戻り、網棚からボストンバッグを降ろした。 駅前の賑わいの中に電車が滑り込む。気の早い桜がちらちらとほころび始めていた。
………
「…あ、葉月(はづき)ちゃん!!」 駅の自動改札を通り、表口に出たまでは良かったが、ただっぴろいロータリーで私は途方に暮れて立ち止まった。きょろきょろと見回していると、葉月ちゃんの方が先に私に気がついた。急いで駆け寄る。 「きゃあ〜久しぶり!! 髪の毛切ったんだね、先生って感じがする!」 久しぶりに会う友達は輪郭がすっきりして妙に大人びて見えた。葉月ちゃんは四大を出て、先生になった。本当は中学校の国語の先生になるはずだったけど、空きがなくて養護学校に赴任した。二年頑張れば、普通学校に戻れるそうなんだけど、どうも今の学校が自分にあってるらしい。今年も転任しないと言ってる。 「そりゃあ…半年ぶりだもんね。でもカナは変わってないや」 「ちょっと〜それはないんじゃないの? 美しくなった私に気付いてちょうだい!!」 「…そう言うところが、昔のまんまよ」 「で? 彼氏は? …一緒に来るって言ってたじゃない。紹介してくれるんじゃなかったの?」 「何かね〜急な取材が入っちゃったんだって、土曜日なのにね。でもお昼には終わるって言ったから、後から追いかけてくるはず。携帯にメール入れといたから」 「ふうん、まあいいか。じゃあ、先に行ってる?」 「ごめんね〜中まで迎えに行けなくて。ここ、路駐の取り締まりが厳しくてさ、五分外すと紙を貼られるのよ。そんなコトしているより、他に何かすることがあると思うんだけどね? ケーサツさんも…」 「いいよ、すぐ分かったし」 昔から後部座席に載る習慣が身に付いている私は葉月ちゃんの車に乗せてもらうたびに後ろに座ろうとして怒られる、私を信用してないのねと。ようやくこの頃は助手席にすんなりと座れるようになった。
「あ、お花。買ってくれたんだ」 「うん…安い奴だけど」 「じゃあ、後で半額払うから」 「…何を笑ってるのよ?」 「だって…」 「バスケのパスの練習でボールが往復しなかった私たちが…こうしてちゃんと免許を取って車を運転してるってすごいと思うの」 「失礼ね、お互い様でしょ!」 するりと発進する。…カーステから流れた前奏。 「あ、ユーミンだ。ベストの奴ね、これ…」 「うん、そう…じゃ、行こうか?」 信号を右に折れて懐かしい駅前通を抜けていく。少し姿を変えた町並みが午後の日差しに眠そうだ。
ダンテライオンが流れる穏やかな空間。葉月ちゃんが独り言のように、呟いた。 「…カナ…良かったね」 「…うん。本当…やっと、先輩に報告できる。早く会いたいな…」
そっと目を閉じた。みるみる脳裏にあの日が甦る。散り乱れた桜の木に若葉が宿る頃、第一棟三階の廊下。 思い出が始まる空間。
葉月ちゃんはそれきり何も言わずに、車を走らせていた。 |
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