「…助っ人…部員?」 目の前で拝むように両手をあわせた葉月ちゃんに、聞き返す。肩で切りそろえたまっすぐの髪の毛が揺れている。 「だって、葉月ちゃん、文芸部でしょう? 私、そう言うの駄目だよ?」 私と葉月ちゃんはコーラス部で同じメゾソプラノパートを歌う仲間だった。一年生の時はクラスが同じだったけど、二年生で分かれた。でも仲良しなのには変わりない。お昼ご飯を音楽室の奥にある部室で食べていたら、急にこんな事を言いだしたのだ。 「いいんだよ〜新入部員もほとんど入らなくてさ、このままだと同好会に格下げなの。ウチらは文芸誌も作るし…部費がカットされると辛いんだ。顔だけかしてくれればいいの〜」 「う〜ん…」 部活を掛け持ちするのは良くあることだ。私たちは混声コーラス部で、慢性的に男子部員の不足に悩んでいた。今在籍している二年の同級生も拝み倒して入って貰った子ばかり。ESS(英研)やら、新聞部やら、写真部やら…頭数だけ揃えたような面々。別にコンクールに出るような規模じゃないし、一年に一度コンサートを開いて、新入生歓迎会や秋の文化祭の時体育館のステージで歌うのが主だ。葉月ちゃんも実は文芸部員だったのを引っ張ってこられたのだ。 「でも、部員になるからには…何かしなきゃ、でしょ?」 「大丈夫、部会と…あとは文芸誌の製本の時に手伝って貰えれば。原稿を書けなんて言わないし…」 「言われたって、書けないわよ〜」 そんな私の表情を読みとったのだろう、葉月ちゃんの顔がぱっと明るくなる。 「…じゃあ、決まり! ちなみに今日の放課後が定例部会なの。1時間ぐらいだから…パート練習が終わる頃にはこっちに戻れるから。よろしくね!」 …よろしくされてしまった。ま、いっか〜。 そう思いつつ、ちっちゃな部室から窓の外を見た。ここは四階の突き当たり。目の前には広いサッカー部のグラウンドが広がる。開け放った窓から気持ちのいいゴールデンウィーク明けの風。 新しいクラスにいまいち馴染めなかった私、だからこうしてお昼ご飯も教室じゃなくて部室で食べているんだけど。中だるみで退屈な2学年。ほんの少しの変化は楽しい出来事のひとつになる。うきうきな気分になる。 そろそろ、予鈴だねと立ち上がった葉月ちゃんの襟元のリボンがふわりと舞い上がった。
………
「1年生は1人しかいなくって…2年が私とあと男の子2人。でも陸上部だから来ないかも、そろそろ総体のシーズンだもんね。3年の先輩が全部で5人…部長が加賀見先輩って言う女の人。うううん、何人来るかな〜」 私は仕方なく、にっこり笑った。いつもはしっかりしている葉月ちゃん、パニックになると可愛い。 「とにかく、部室に行けばいいんだよね? ここの階の突き当たり…理数科の隣ね。分かった、行ってみる」 「ありがと〜」
まっすぐ歩けば突き当たりが、図書室でその手前の階段脇が文芸部の部室。深呼吸して歩き出す。
…と。 H組の前の廊下で、窓の外を見ている人影に気がついた。理数科は曜日によっては7限目がある、今日はそうみたい。放課後の筈の教室に人が一人もいないもの。この人…2年生じゃない、クラス章が3年生の青。 「…やあ」 「君が新入部員? …今、部長が鍵を取りに職員室に行っているんだ。ちょっと待っていてね?」 「…はい」 風が…入ってくる。 女の子の制服は短めのボレロ、その下にジャンパースカート。いかにも制服〜と言う感じの濃紺だ。襟元に結んだリボンが学年で異なる。1年生が赤で、2年生が黄色。3年生が青…男子の制服の襟に付けるクラス章と同じ色だ。だから、この人もひとめで私が2年生だと分かったのだろう。 「僕は、緒方。君は何て名前…?」 「…カナ」 「ふうん、カナちゃんか。可愛い名前だね…」 そう言って。確かに。確かに優しく笑った。だから私もにっこり微笑んだ、そう言う始まりだった。きちんとフルネームも言わなくちゃ、と思ったとき。
「ごっめ〜ん、担任に捕まっちゃってさ〜。…あ」 「あなたが、カナちゃんね? 今、印刷室の前で葉月ちゃんに聞いたわ。部長の加賀見です、よろしくね!」 「さ、入って、入って〜狭いけど。ぶつからないように気を付けてね?」 ガタガタと立て付けの悪い引き戸を開く。 3畳…4畳半ぐらいあるのかなあ、周囲を本棚が囲っている部屋はとても圧迫感があった。棚の上に積まれた紙の束。古くなった藁半紙のひなびた匂い。何より外に通じる窓のない箱のような空間が異様だった。部屋の真ん中にテーブルが置かれ、その上に理科室の様なパイプのツール椅子が上を向いて置かれている。それをどかどかと降ろして、加賀見先輩は自分の肩掛けカバンをその上に置いた。 「…で、緒方君。この子が新入部員の…」 「知ってる、カナちゃんって言うんでしょう?」 「…あら」 このとき。加賀見先輩の顔に何かの色が浮かんだ。先輩自身からも、このときのことを良く覚えているとあとから聞いた。でも、一瞬でその不思議な色は消えて、部活の話が始まった。 どこからか、吹奏楽部の楽器の音色が途切れ途切れに聞こえてきた。
………
「…緒方先輩」 「どうしたの? 早いね」 不思議そうな声。そうだろう、始業時間より1時間も前だ。さすがに外履きの数もぽつぽつ。部活の朝練はやっているけど、教室には誰もいないんじゃないかな? 「う…」 「今日、コーラス部の朝練の日だと思ったんです…でも中間前で中止だったみたいで。私、忘れていたから」 「で、これからどうするの? 教室に行く?」 「基礎解析の…宿題がやりかけなので。誰かに教えて貰おうと思って」 昨日うんうん唸って考えたけど、途中で完全に息詰まった。ああ、数学は本当に苦手。まあ、時間割の中では苦手な科目の方が多かったけど…。 「じゃあ、教えてあげようか? 基礎解なら…分かると思うから」 「…本当ですか!?」 見上げると、本当に嬉しそうに笑う先輩の顔があった。手のひらが頭に乗る。 「部室に行こうよ、朝はいつもあそこで朝ご飯してるんだ」 先輩はちょっと山奥のお家から通ってきていた。バスの都合で毎朝こんなに早いそうだ。朝ご飯を家で食べる間がないので、途中のコンビニで買ってくる。朝ご飯と昼ご飯と両方。かさかさとポリの手提げ袋が音を立てた。
どうにか宿題を終わらせて、ついでに朝ご飯のサンドイッチを半分分けて貰って。予鈴の前に部室を出た。 「…カナちゃん」 「良かったら、また、朝おいで。カナちゃん、やっぱり苦手みたいだから…コツを教えてあげる。文系用の数学だったら、ある程度やれば大丈夫なんだよ」 「…そうですか!?」
放課後はコーラス部が忙しかった。6月の中旬に市の文化会館のホールを借り切って、コンサートを開く。ここで3年生の先輩の引退なのだ。言うなれば我がコーラス部の年間最大の祭典。もう張り切るしかない。 と言うことで、朝練のない日はいつの間にか緒方先輩に数学を教わることになった。ついでに物理や化学も。先輩の教え方はとても分かりやすくて、私が飲み込むまで何度でも何度でも忍耐強く教えてくれた。ようやく理解すると、にっこり笑って頭を手のひらでなでる。 「…よく、出来ました!」 …お兄ちゃんみたいだな、と思った。私にはお兄ちゃんがいたけど、東京の大学に行っちゃって、一人暮らししてる。結構仲良しだったから、いないと寂しい。
ぱたぱたぱた。 廊下をつっきぬけて、文芸部の部室の引き戸をガタガタと開ける。 「おはよう、カナ」 |
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