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………3

 

 

 

 6月に入って、コーラス部のコンサートは無事終了。

 でもそれと前後して、3年生の先輩は早朝講義が始まった。これは6限が終了した後に残るには苦しい、遠くからの生徒を対象にしたモノ。私などのように市内通学の仲間は夕方の講義を選ぶ。
 先輩は終バスが早いので、放課後のには出られない。そんなこんながあって、先輩との朝勉強は週に1度になっていた。その代わり、お昼ご飯を文芸部の部室でとるようになっていたけど。葉月ちゃんは生徒会の仕事があって、お昼休みも忙しくなったのだ。一人で食べるのは嫌だなあと思ったら、先輩が部室で食べていると聞いて。それならご一緒に、と言うことになった。

 そして、気が付くと6月も終わりに近づいて。校内は一気に期末テストのムードに入っていた。


 

「おっはよ〜」
 ガラガラと引き戸を開けて、入ってきたその人は明るい声で言った。

「加賀見先輩、おはようございます〜!」

「どうしたの? 加賀見サン。今日は早いね…」

 私と緒方先輩は同時に声をあげた。

 珍しい顔だった。自転車で15分の所に住んでいる加賀見先輩は毎朝ギリギリに教室に飛び込むんだと言ってた。何でもNHKの連ドラの曲が始まると靴を履くんだって。

 緒方先輩の『どうしたの?』に応えて、加賀見先輩はさげカバンを机に置いてから話し出す。

「う〜ん、目覚まし時計が1時間狂っていて。起き抜けにパニクって飛び出したら、早く着いちゃったの。今から家に戻るのも何だし…そう言えば緒方君たちがここにいるって言ってたじゃない。朝ご飯、食べようと思って」
 ニコニコと眼鏡の奥から微笑む。

 

 このとき。この先輩の言葉を私は信じた。

 

「…で? 外から聞いてたら何か楽しそうだったじゃない。どんな話をしていたのよ?」

「あ、―内緒ですう〜」
 私は慌てて緒方先輩に目配せした。駄目よ、しゃべっちゃ!

「だ、そうです…」
 緒方先輩はくすくす笑いながら言ってくれた。

「何なのよ〜2人して!!」
 そう言いつつもそれほど気にもしてないように。加賀見先輩はガザガザとおにぎりを取りだした。


 …別に内緒にすることもなかったけど。

 私はこの頃、好きな男の子がいた。クラスメイトだ。1年から一緒の子。2年の進級でクラス替えをして、顔なじみがぐぐっと減った。でも私はあんまりショックなかった。だって、鷹山君が同じクラスになったんだもん。すらっと背が高くて、スポーツ万能。クラス対抗のスポーツ大会では何をやってもレギュラー入りだ。剣道部で次期部長なのに何故か成績もいい。いつも合計点が私の倍くらい。嫌になっちゃう。

何かと腐れ縁で一緒になった。1年の最初のレク遠足でバスの席が隣になって。クラスでもくじ引きなのにいつも近くの席になる。お掃除の当番も一緒。

 

 午後からの眠い現国の授業。あくびをかみ殺しつつ隣を見ると、鏡で映し取ったように眠そうな瞳があった。お互いに目が合うと、どちらともなくくすりと笑う。瞳と瞳で頑張ろうね、と言ってるみたいに。

 

「カナって、危なっかしい…」
 段差でコケたときに、ふっと手が伸びて助けられた。そこら中でコロコロ転ぶから生傷が絶えない私にいつも絆創膏をくれるのも彼だ。お昼ご飯がパンの時は私の分までレアモノのクリーム入りメロンパンとカツサンドを買ってきてくれる。気が付くと、いつもいつでも側にいた、クラスの友達の中にはとっくに付き合っていると思っていた人もいるみたい。

 

 バレンタインの頃、私はインフルエンザで休んでいた。だからせっかくのイベントに参加できなかった。お布団の中で涙がこぼれた。

「遅れたっていいじゃない、あげれば?」
と、葉月ちゃんは言ってくれた。でも…こういうのってタイミングを逃すとどうしても言えなくなるんだよね。

 

 で。敗者復活の時が来たの。それは彼のお誕生日。

 いつも何かとお世話になっているから、御礼がしたかった。ついでに…思い切って告白しようと。それが今日。私のリュックの中には緑色にラッピングされた想いが入っている。放課後、渡すつもりなんだ。

 実は鷹山君って、加賀見先輩と家が近所なんだって。もちろん中学校も同じだし、幼なじみらしい。そう言う人に何だか話すのがためらわれた。

 

 緒方先輩には、いっぱい聞いて貰っていた。どんな会話をしたのか、その時の鷹山君の姿、仕草。そう言う話を聞きながら、先輩は目を細めて私に微笑んだ。先輩は余り言葉が出る方じゃない。いつもいつも黙って私の話を聞いてくれた。

「…きっと、彼もカナのことが好きなんだよ」
 そう言ってくれると元気が出た。数学の参考書を広げて、話し続ける私。困ったなあと言う瞳で、それでも聞いてくれた。

 


「あ、そうそう。私、今日は野暮用があってさ。だから部会はお休みにするね。みんなには後で言うから…」
 加賀見先輩はコンビニの袋にゴミを詰めてきゅっと結んだ。部長がいないと話が進まない。そう言うときはお休みにすることにしていた。

「は〜い」

 その時、予鈴が鳴った。3人同時に席を立つ。私はカバンと一緒にどきどきを抱えて教室に向かった。

 

………

 


「あれえ…? 鷹山君は?」

 放課後の掃除が終わって。教室に戻るともうカバンがなかった。さっきまで一緒に庭掃除をしていたのに、何という早業だ。もう部活かしら。

「あ、奴は今日は用事があるって。部活も休みだから…何か用があるなら、今から追いかければ自転車置き場にまだいるかもよ?」
 鷹山君と一緒の剣道部員・菅根君がジャンプを読みながら答えた。おいおい、油売ってないで早く部活に行けば?

 でも彼だけじゃない。クラスには部活に入っているはずの子がいっぱい残っている。みんなサボるつもりはないらしいけど、ちょっとでも面倒なことから逃げたいみたい。2年生で先輩が引退した後はそんなもんだ。てっぺんの壁が取り払われた後のけだるい倦怠感。

「自転車置き場ね…」
 そう言いながら、リュックを抱える。教室を飛び出すと、すぐ脇の階段から駆け下りた。

 

 どきどきが胸を打つ。軽い素材になった明るいブルーの夏服がふわふわと揺れる。昇降口、彼の靴はもう無い。慌てて靴に履き替えると外に出た。緑色の葉っぱをいっぱいに付けた銀杏並木の下、見慣れた背中が遠ざかって行くのが見えた。

 

………

 


 薄暗い廊下を歩いて、突き当たりまで行く。引き戸の窓から、ほわっと黄色い灯りが漏れていた。そう、誰かがまだそこにいるから。

「…カナちゃん?」
 部屋の中には一人しかいなかった。緒方先輩が文庫本片手に私の方を向いた。その顔が流れる様に歪んでいく。

「せん…ぱ…い…」
 今まで、我慢していた。ずっと、ずっと。自転車置き場から昇降口に戻って、階段を上って…廊下を歩いて来る間。俯いてはいたけど、我慢していた。

 それが、引き戸を開けた途端。ぷっつりと何かが切れた。

 涙がぼろぼろと溢れてきた。両手で口を押さえて、声を殺していたけど…その手の甲をどんどん生暖かいものが流れていく。俯いたら、足元にぼたぼたと大きな粒が落ちていった。

 狭い部室は生暖かい空気に満ちていた。それが私の身体に突き刺さってくる。ピンと張りつめて、澄み渡っていく。

「カナ?」
 俯いて床を見つめていた私にも、先輩が椅子を立ち上がるのが分かった。何歩でもない距離を埋めていく。

 

 そして。

 ふわっと身体の周りがあたたかくなった。

 

 先輩の匂いがした。男の人の不思議な…匂い。私は先輩の腕に抱きしめられていた。やさしくて、何だか悲しかった。悲しい…心が内から外からどんどん広がっていく。

 もう、我慢しなくていいと思った。

 私はわあっと声を上げた。いつもはコーラス部員として、必要以上の大声を出さないように注意している。でもそんなことは考えなかった。喉が潰れても構わない、明日ひとこともしゃべれなくなってもいい。

 

 先輩のぬくもりの中で…私は鷹山君に会ってから今日までの全てを洗い流すまで泣いた。先輩の腕も私の背中で大きく震えていた。


「大丈夫?」

 どれくらい時間がたったんだろう。先輩の手が私の背中をぽんぽんと叩いた。そのひとつひとつであたたかい勇気をくれるように。見上げると、心配そうな瞳に出逢った。

「ごめんね、先輩。…泣くだけ、泣いたらすっきりしちゃった」
 私はそう言うとごしごしと目をこすった。もう涙も止まったみたいだった。

「そう」
 私の言葉を聞いて、先輩はホッとした声になる。そして寂しそうな顔で私を覗き込んだ。

「ねえ、紙飛行機、作ろうか?」

 次の瞬間。先輩は、おもむろに棚の上から紙の束を取った。

「え?」
 あんまりにも唐突だったから、びっくりして聞き返す。

 先輩はふわっと笑いながら紙束の上に積もった埃を払った。

「屋上から、校庭に向かって飛ばそうよ。今の時間なら、中庭に落とせば誰も気付かない」

 

………

 


「…鷹山君って、隣の女子校にいるんだって、彼女が」

 雑風景な屋上。灰色いコンクリートの上にじかに座り込んで、夕焼けを背に飛行機を折った。気が付いたら、何十にもなっている。想いを吐き出すようにどんどん折っていく。

「カナちゃん、折り方がおかしいよ?」
 私の言葉を聞いているはずなのに。先輩は全然それには触れないで、自分の言葉を話す。

「紙飛行機って…昔から、苦手なんですよ〜普通に折っているつもりなのに、飛ばないんだもん」

 藁半紙で折られた飛行機たち。先輩のと私のと明らかに形が違う。くすりと笑って先輩が自分の作ったその一つを手にする。すうっと先輩の手を放れたそれは、きれいな曲線を描いてあっちの端まで飛んでいって壁に当たった。

「すごーい…」
 素直に感動した。そんな私の態度に先輩が嬉しそうに答える。

「僕さ、小さいときからこう言うのが好きで。良く広告のチラシで作って飛ばしたんだ。どうしたら上手に飛ぶのが出来るか、たくさん研究したんだよ」

「じゃあ…お友達の中でも一番だったんでしょうね!!」

 相変わらず、飛ばない飛行機を折りながら、子供時代の先輩を想像した。紙飛行機を仲間と飛ばして、一番になって得意な顔をする先輩。

「飛ばしてみようか、…下に」

 立ち上がって。先輩は最初のひとつをすっと手放した。

 校舎の中庭は中央通路を真ん中に二つに分かれている。私たちが今居るのは校庭側だ。反対の中庭の方には職員室がある。廊下に出てきた先生方に見つかったら面倒だからこっちにした。もっとも先輩の話だと後で庭に降りて、紙飛行機を全部回収するという話だったけど。

 先輩の飛行機はふんわりと舞い上がって長いこと水平に飛んでいた。そのうち減速してすうううっと下に落下していく。柔らかい軽い紙だから落ち方もスローモーションだ。アイボリーの紙の色が校庭の遙か向こうから輝く夕日に照らし出されてオレンジになる。

 

 その後。

 全部の飛行機を無言で飛ばし続けた。私の飛行機はほとんど真っ逆さまに落ちて行くだけだったけど。それでも飛行機を空に手放すたびに心が軽くなっていくのが分かった。

 次から次から落下していくオレンジの夢。それが明るい中庭に吸い込まれていく。ふわふわと無数のシャボン玉みたいに。

 

 夕日は私たちをいつもと違う風に染め上げる。先輩の髪の毛も焦げ茶に透けていた。きっと私の髪はもともと茶色いから、フチが金色になっていたかも知れない。先輩のワイシャツの襟と、ネクタイと。私の胸元のリボンがふわりふわりと同じように揺れた。

 

 一束分が全部なくなる事には嘘みたいに心が軽くなっていた。

 

………

 

「…カナ。で、どうしたの? プレゼントは…受け取って貰えなかったんでしょう?」

「うん、まだ持ってる」

 彼女に悪いから、受け取れないと言われた。きれいな海の色の万年筆。そんなに高価なモノじゃないけど、鷹山君に似合うようにと一生懸命選んだんだ。受け取って貰えるだけでも良かったのに。彼女にしてくれなくたって良かったんだけど。

 

「それ、僕が貰ってもいいかな…?」

 階段を先に降りていた先輩が、急に振り返ると私を見上げた。前髪の奥から震える瞳がこちらを見ていた。自信のなさそうな、すがるような目。

「え…?」
 確かに必要のなくなったモノだけど。突然の申し出に戸惑ってしまった。

「でも…今日は先輩のお誕生日でも何でもないでしょう?」

「じゃあ、卒業の前祝い、でいい?」

 前祝いって…まだ来年のことだよ。どうして今頃そんなこと言うの? 人気のない階段で、途方に暮れてしまった。
 

 このとき初めて気が付いた。先輩の声って、すごく深く響く。コーラス部に入ってくれたら、バスパートに厚みが出ただろうな。ま、3年生は引退しちゃってるから仕方ないけど。

「その代わり、カナちゃんの卒業の時にもちゃんと贈り物するよ。それでお返しで…いいよね?」

「はあ…」

 何だか良く分からなかったけど。どうせ行き場のないものだ。先輩には色々とお世話になっているし、それでもいいかなと思った。

 まさか、その時、先のことまで考えられなかったから。

 おずおずと差しだしたグリーンの包みを大きな手のひらが受け取る。ゆっくりと制服のポケットにそれを収めると、先輩は明るい表情で言った。

「さあ、飛行機の残骸、拾いにいこう」

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