3へ
TopNovel声が似てる・扉>声が似てる・4
5へ




………4

 

 

 

「ねえねえ〜カナちゃんて…3−Gの先輩とお付き合いしてるんだって?」

 翌日。いつものようにお昼ご飯を文芸部の部室で食べようとして、教室を出た。お弁当片手に廊下を行くと、E組の前で呼び止められる。1年の時同じクラスだった井ヶ田ちゃんが声を掛けてきた。

「え〜、そんなことないよ?」
 突然の言葉に本当にびっくりした。でも井ヶ田ちゃんはにやにや笑いながら、私を見ている。もっと何か言いたそうだ。

「なら、いいけど。それお弁当でしょう? それも2人分」

「そうだけど…何か?」
 先輩が朝も昼もコンビニのサンドイッチやおにぎりを食べているので、可哀想で自分ののついでに作るようになっていた。いつも勉強を教えて貰ってるし、それにお返しにジュースを買ってきてくれるし。

「ううん、別に?」
 まだ、何かを含んだ笑いをしている。その時教室の中から呼ぶ声がして、井ヶ田ちゃんがそっちへ行ってしまった。

 …何なんだろう…?

 思わず首をぐるんと回した。そんな話になるなんて、私は先輩とお付き合いなんてしてないのに。

 この話はあんまりに馬鹿馬鹿しいので、先輩にも話さなかった。話す必要なんてないと思った。そんな勘違いなんて。

 

………

 

「今日は部活が無いんでしょう?」

 お弁当を黙々と食べながら、やはりさっきのことが気になっていた私に、先輩が話しかけてきた。ハッとして我に返る。朝は必ず加賀見先輩がやってくる。でもお昼は来たり来なかったりだ。ちなみに今日は来てない。私と緒方先輩の2人が7月の蒸し暑さの中、入り口を開け放った文芸部の部室でお弁当を食べている。2人、中身が同じ奴。

「はいっ!! もうテストの1週間前ですから…」

 定期演奏会も終わったし、ちょっと気抜けしているコーラス部。何だか部員の集まりも悪い。文化祭に向けての曲選びも頭数が揃わず、難航している。先輩が抜けて新しく指揮者になった元バレー部(あ、中学校の時ね)の美音子ちゃんもイライラしていた。まあ、そんなこんなでテスト休みに入っている。

「じゃあ、放課後。ちょっと付き合わない? おいしいコーヒーを飲ませるお店があるって言ったでしょう?」

「はい…」

 そう言えば、そんな話を聞いたことがある。先輩はバス通で、本数が少ないから時々1時間以上も待つことがある。そう言うときに駅前をぶらぶらしていたら雑居ビルの中に通好みのコーヒー店を見つけたそうだ。ポットもコップもない部室では、缶コーヒーかブリックパックのジュースが関の山。コーヒー党の先輩はつい寄ってしまうんだと笑った。

 

………

 

 先輩は駅まで戻ってバスに乗る。私は自転車で戻る。だから帰りがけにどこかに二人で出掛けたことは無かった。
 昇降口で待っていると、早足に歩いてくる先輩を見つけた。

「お待たせ、行こうか?」

 何で急いでいるのかな? と不思議に思った。授業が終わって、誰よりも早く一番に出てきたみたいだ。まだ他のクラスの人達の靴入れはみんな外履きだ。先輩が靴ひもを結んでいると、どやどやと音がして、3年生の先輩たちがたくさん降りてきた。電車の時間か何からしく、ちょっと急いでいる様子。その中に見覚えある顔があった。

「…あ、沙也佳せんぱ〜い!!」
 コーラス部の女子部長だった先輩だ。柔らかいセミロングですらっと長身。文化祭の時にやるミス・ミスターコンテストでも毎年クラスの代表になるんだって。指揮者をしていた上に、ピアノも上手。音大を目指しているんだ。

「あらあら、カナちゃん…」
 人なつっこい笑顔が私に気付いて微笑む。

「長屋先生が言ってたよ? 数学やばいんだって? ちゃんと勉強して期末で盛り返さないと…」
 私の頭の上でげんこつを作って、ぐりぐりする真似をする。長屋先生は3−Gの担任で、私のクラスの数学担当教員でもある。んもう、おしゃべりなんだから!! あの先生。

「分かってます〜」

 1年生の頃から数学は苦手だったから。本当にいつもいつも赤点ギリギリだった。『これ以上、成績が下がったら、コーラス部を休部させるぞ!!』と言うのが長屋先生のお決まりの脅し文句。女子部長である沙也佳先輩にも、とばっちりが行ったんだって。ま、こう言うとおっかなそうだけど、本当は面白くて優しい先生なんだ。

 

「…で? 今日はどうしたの? 3年生の下駄箱で突っ立ってて…」

「あ、ええと…」
 説明しようとしてきょろきょろすると、何故か込み合う昇降口の中から緒方先輩の姿が消えていた。

 

 

「やだあ、どこに行っちゃったのかと思いましたよ〜」
 銀杏の木の陰の先輩を見つけたときはホッとした。ちょっと立ち話をしているウチにどこかに行っちゃうなんて、見かけに寄らず短気だなあと思った。

「ごめん…」
 先輩は曖昧に笑う。

 

 

 私が自転車を引いて出てくると、何故か先輩は人通りの少ない裏手の道を選んだ。古い工場の木の塀の際を並んで歩く。気の早いひまわりの花がごみごみした社宅の敷地に咲いている。日当たりが悪いのかひょろひょろ。

 …と。

 辺りの風景から浮き出た様に赤い屋根のファンシーショップが現れた。

 ああここ、みんなが言っていたおすすめの穴場だ。可愛い携帯ストラップとかアクセサリーがリーズナブルな値段で手に入る。その上お隣に併設されている耳鼻科で週に2回ピアスの穴も開けてくれる。アフターケアもバッチリだ。ピアスは学校で禁止されてるけど…やっぱり開けたいな…と思ってるとこ。だって可愛いんだもん。実は気が早くもう3個も持ってるんだ。

「先輩…ちょっと寄っていい?」

 ムズムズする気持ちを抑えられない。何しろお小遣いを貰ったばかりでお財布が裕福だもん、ひとつ買いたいな〜ここのお店、結構いい加減にお休みするから…勢い込んで出掛けてもシャッターが降りてることが多い。今日は開いていてラッキーだったと思う。

「いいけど?」
 男の人の先輩には馴染みの無いお店。私に続いて、おずおずと入ってきた。

「うわ〜可愛い〜」

 壁一面に色とりどりのピアスがディスプレーされていた。やっぱりピアスは可愛いな…イヤリングと違ってちょこんと付くのがいいな。ウキウキしながら、あちらこちらを見ていると、あ、と目に留まったものがあった。

「あ、それね〜硝子細工なんだよ。でも軽いの。今日新しく入ったばっかりでお勧めだよ〜」
 人なつっこいお姉さんが話しかけてくる。このお店の店員さんだ。くるくるの髪の毛をきゅっとポニーテールにしている。

 白熱灯のコーナーライトに照らすとキラキラときらめいて本当にきれいだ。きゃ〜、これで1500円? 安いかも…。特にお花の形になったのが気に入った。スノーボールみたいなのがいいかな? こっちの小さなお花がたくさん付いてる桜草みたいなのもいいな。ウキウキと手に取っていると、背後から先輩の声がした。

「これ…なに? アクセサリー?」
 あれ、先輩は分からないのかな? そうか、弟さんが一人いるだけって言っていたもんね。女兄弟がいないと分からないかも知れないな。

「ピアスだよ、先輩…みんな付けてるでしょう? 耳に」

「ピアス…? 耳に付けるのって、イヤリングとか言うんじゃなかったっけ?」

 本当に知らないんだ。きょとんとしている。仕方ないからお姉さんに登場願った。

「ほら、こう言うの…耳にちっちゃい穴を開けて…」

 

 お姉さんの耳を見せながら説明し掛けた時、先輩の顔色がさあああっと青ざめるのが分かった。

 

「耳に…穴? だって…カナちゃん、開いてないでしょう?」
 声が心持ちうわずってる。どうしたんだろう?

「うん、でもそろそろ開けようかなって。学校に行くときは外せばいいんだから…」

「カナ!!」
 いきなり腕を強く引かれた。え…?? どうして…??

「せ、先輩…?」

 すると、自動ドアの前で先輩はくるりと振り向いて、ものすごい怖い顔で私を見た。

「…え? 何…?」
 思わず、ひるんでしまった。一体どうしたんだと思う。いきなり…どうしたの?

「耳に、穴なんて開けちゃ駄目だ!! 自分で身体に傷を付けるなんて…」
 そう言いながら私の腕を掴んでいる先輩の手が大きく波打って震えている。そのまま自動ドアを開けて、出ていく。

「あの…ありがとう、ございました〜」
 困った顔のお姉さんが、慌てて声を掛けてきた。

 

………

 


「先輩!! …先輩ってば…痛いよ、もう離してよ…!」

 ちょっと寂れた公園まで来ると、先輩は振りはたくように腕を離した。あまりの反動にそのまましりもちを付いてしまった。

「いたたたた…もう、どうしたの…」
 腰をさすりながら立ち上がる。でもそうしている間も先輩は冷たい目で私を見下ろしているだけだった。

 

「…カナ…」
 先輩は私が立ち上がって体勢を立て直すのを待ってから、静かに重い声で話し出した。

「あのね…きれいな身体に…自分で傷を付けるもんじゃない。…僕の顔、ちょっと、見てごらん…?」

 ふわり。

 長く伸ばしている前髪を大きくて薄い手のひらが全部かき上げた。

 

「―せん…」
 何か言おうとして、息を呑んだ。

 

 大きな木の元。はぐれた蝉がどこからか力無く鳴いていた。傾きかけた日差しで先輩の額に影が落ちる。そして、風の流れで枝がきしんで影が動く。

 ――と。

 

 左のこめかみの辺り。不自然に引きつった肉が盛り上がっている。故意に合わせたものが歪んで成長したために出来た形。そのため目尻はつれていた。CGとが、そう言うのじゃなくて。本当の…傷跡。

 

「怖い…?」
 先輩は元のように前髪をおろすと、口元だけで静かに微笑む。私は何も言えずに俯いた。そして、静かに首を横に振る。でも何だか力が入らなかった。
 
「カナは…優しいね…」
 そう言いながら、突っ立ったままの私の場所まで先輩の足音が迫ってくる。そして、頭の上でいつものようにぽんぽんと大きな手のひらが弾んだ。

「…怖く…ないもん」
 ふるふると身体が揺れる。目の前が霞む。でも…心の中で、ずっとずっと唱えた。唱え続けた。

 怖くない、怖くなんかない…だって。

「先輩は、先輩だもん…怖い人じゃないもん…」
 そして顔を上げて、しっかりと先輩の顔を見つめた。驚いた顔が悲しそうに歪む。でもその後、時間を掛けてゆっくりと微笑んでくれた。

 

………

 


「幼稚園に行ってた頃にね、ダンプトラックに巻き込まれたんだ」
 駅への細道を歩きながら、先輩が話し出した。

「体中が滅茶苦茶になって、脳の障害も残るかも知れないって言われたんだって。2年間入院していたんだ。最初に傷を縫い合われた姿を目の当たりにした母は…何と言ったと思う?」

「…え?」

 先輩の深い瞳の色が前髪の奥で揺れていた。

「この子は…生きていても可哀想だから、殺してくださいって…」

 

 さらさらと風が流れた。細い路地のどこからかクチナシの香りがする。

 

「そんな…」
 言葉が続かない。そんなことあるわけない、お母さんが我が子を殺してくださいなんて…。

 でも見上げた先輩は静かに微笑んでいた。

「僕は、見放された子供なんだよ、カナ…」

 その笑顔が冷たくて背筋がぞくぞくした。私の心の中で絶え間なく警告が響く。

「違う! 違う! …そんなはず無い!!」
 身体の脇で両手をぎゅっと握りしめる。爪が食い込んで痛かった。

「先輩は…先輩は大切な人間だよ? だって、私に優しくしてくれたじゃない。いなくていい人間じゃない!!」
 少し、涙がこみ上げてきた。それぐらい心が痛かった。

「…カナ」
 困ったように微笑んで。それから私の震える握り拳をそっと包んでくれた。

「カナが、そう言ってくれると嬉しいよ…カナが僕に元気をくれる…」

 その言葉が、いつの間にか風に溶けていった。

TopNovel声が似てる・扉>声が似てる・4