…「11番目の夢」番外…
「うわ〜、うわ〜、うわ〜っ!!」 「…千雪…?」 「何? どうしたの?」 「惣哉さんっ! 雪ですっ! 雪〜〜〜っ!」 文字通り、信じられない光景。東京23区内で、12月の上旬で…こんな雪は余りない。それどころかこれだけの量が積もるのも数年に一度だ。まだ、灰色の空からは後から後から雪が落ちている。 「うわ、嘘だろう…?」 そうしているうちに、千雪はさっさと着替えを終えて部屋に戻ってくる。その姿を見てまた驚いてしまった。 「ち、千雪…?」 彼女は、上下ジャージを着ていた。うん、あくまでもジャージ。水色で脇に三本線のラインが入っている奴。その下にはちゃんとセーターを着ている。妊娠6カ月目に入った惣哉の愛妻は少しおなかが目立ってきているが、このだぶだぶの服の上からではよく分からない。分厚い靴下を履いたので、スリッパがぱんぱんにはちきれそうになっている。手にスキー手袋。頭にもトナカイ柄の毛糸の帽子を被っている。 全身もこもこ完全装備の千雪が、視線に気付いたのか、にっこりと微笑んだ。 「あ〜、惣哉さんはまだ寝ていていいですよ? 私、ちょっと行ってきますっ!」 「あ、ちょっと。待ちなさい、千雪っ!」 「ええ〜、離してくださいっ! もう、何ですかっ!」 惣哉は何度か深呼吸して息を整えた。 「千雪」 「…はい?」 「まさか、まさかなんだけど…君は、もしや外に出ようかなとか思っていないだろうね?」 この格好を見れば、一目瞭然だ。と言うより、起き抜けのあのはしゃぎようで大体見当が付く。子供ならいざ知らず、いい加減な大人のはずの人間が、あんなに奇声を発していれば。 「な〜んだ、分かっているんなら、離してくださいよ〜」 「駄目だっ!!」 「もう、何を考えているんだ。君は普通の身体じゃないだろう、身体を冷やすのも気を付けなくちゃならないのに、何がどうして、この状況で外に…」 「やっだ〜、惣哉さん…」 「私、雪国育ちですよ? 雪なんて慣れっこです。こんなにいっぱい着てるんだから、冷えたりしないし〜」 雪なんて慣れっこなら、好き好んで出ていくこともないだろう? 子供の頃から飽きるほど眺めていたのだろうから。でも、目の前の妻は何を言っても聞きそうな感じではない。惣哉にもお手上げだ。 「…分かった」 「僕も一緒に行くから。それまで待っていなさい。すぐに支度するから…」
◇◇◇
通いの使用人たちは朝の8時にやってくる。それまではスーパーお手伝いさんの幸さんがひとりで屋敷の管理をこなしているのだ。 惣哉がぽんぽんと弾んで先に行こうとする千雪の腕を捉えて進んでいくと、その人影である丸い背中がふたつしゃがみ込んでうずくまっていた。こちらの足音に気付いたのか、モスグリーンの背中がのっそりと振り向く。 「…ああ〜、やっぱり。来たね…」 よくよく見ると、それは東城家の居候である高校3年生、今をときめく受験生・三鷹沢朔也だ。昨日も深夜まで予備校の講義があったはず、そして、今日は学園が代休なのだけど…? 大あくびしながら、恨めしそうにこちらを見る。 「本当だね、さすが幸さんだ」 そのふたりが、玄関前のエントランスに置かれた年代物の火鉢の前で丸まっていたのだ。果てしなく異様な光景である。 「おはようございます、どうしてここに…?」 「どーもこーもないよっ!」 「幸さんがね〜、緊急指令を出したんだよっ! 朝の5時半に、完全装備して起きて来いって…」 「は…?」 「そう言うことだ」 「え? でも…」 じゃあ、幸さんはどこへ行ったんだ? 一体、何が何で、ふたりを…でも、自分は呼び出されなかったぞ。父親の政哉を呼びだしておいて、自分に声がかからないのも妙だ。 そんな惣哉の表情を見て取ったのか、朔也がまた大あくびをして言う。 「幸さんは朝の5時には身支度を整えて行動開始だろ? その時、雪がこんなに降っているのを見て、コレは絶対、と確信したらしいよ?」 「確信?」 「そちらの天然ぼけぼけ奥様が…とと、いないじゃないか!? どこ行ったんだよっ!!」 朔也の声に手元を見る。あれ、さっきまでしっかりと押さえていたはずの妻の腕がない。 「ああっ! 千雪っ!!」 「惣哉さんっ! 積もりたての雪、すごく綺麗ですよ〜可愛いのを作れそうっ!!」 緊張感のない笑顔でころころ笑っている。惣哉は慌てて駆けだした。 「何考えてるんだっ! 転びでもしたら、どうするんだっ、戻りなさいっ。千雪――…」 …ずしゃ!! 視界が途切れる。惣哉の顔に冷たいものがべったりと張り付いた。もう、耳はじんじんして感覚が消えかけている。ああ、手袋から、しみ入る冷気…。 「ちゆ先生が、絶対外に出るから。転んだりしたら大変だから、充分ガードしろって…あーあ。ダンナの方が転んでるじゃん」 ずしゃ、ずしゃ、ずしゃと地を踏みしめる音が響く。やがて足音が止まって、ぐっと起きあがらせてくれた。朔也の呆れ顔から視線を逸らす。ああ、みっともない。自分はこんな3枚目のキャラではなかったのに…。 「惣哉を起こすと、ちゆ先生が一緒に起きるだろ? どうせ同じ部屋で寝てるんだろうから…だから、惣哉には指令が行かなかったのっ!」 視界が正常に戻る。雪を被った薔薇の生け垣をバックに、妻がのほほんとこちらを見つめている。 「惣哉さん、慌てると転びますよ? 気を付けてくださいっ!!」 おろしたてのフリースの上下が真っ白。がっくりと、脱力。惣哉は大きくため息を付いて、その場にしばらく座り込んでいた。
◇◇◇
――と。 いきなり遠方から、ものすごい勢いのエンジン音が響いてくる。ふわふわと降りしきる雪をかき散らす程の勢いで。聞き覚えのある独特の音にそちらを見ると、屋敷の前に横付けして、ぎぎっと止まったシルバーの車…。 「まあっ! あなた達っ!! 朝から何してるのっ!?」 小さめのクマが歩いてきたのかと思ったが、それは他でもない、あの、村越夫人だった。 灰色のふわふわしたコートを着込んでいる。足元はショートブーツ。雪道を滑る気配もなく、カツカツと足を進める。その手には、ばかでっかい高級百貨店のロゴ入り手提げ袋。この不景気で有料化して、1枚515円(税込み)もするといういわく付きのものだ。 「お、叔母上こそ…如何致しましたか?」 「朝、目覚めましたらこの雪でしょう? いつも徒歩で出勤なさるという千雪さんに何かあったら大変だと。そこでね、この間ヨーロッパから取り寄せました『絶対に滑らない靴』をお持ちしましたの。千雪さんはわたくしと足のサイズが同じでしょう? ですから、これはいいと思いまして」 「あ、叔母様。おはようございます、素敵なコートですね〜」 「…んまあ、千雪さんっ!!」 「こんなに冷えてっ!! さあさ、中に入りましょうっ!! ここに来る途中に早朝からやっている中華料理店の肉まんを買ってきましたの。おいしいですのよっ!」 「もうっ! 千雪さんのこと、もうちょっと気遣って差し上げてっ!! 大体、惣哉、貴方はどうして雪遊びなんてしてるんですかっ! そんなに真っ白になって…子供じゃあるまいし…」 …はあ!? この格好は、別に遊んでいたわけではなくて。千雪の雪遊びを止めようとした果ての姿で…と、言い訳など出来るはずもない。
知らない間に。千雪はすっかり村越夫人のお気に入りになっていた。今では夫人が傾倒している日本舞踊の公演に同伴したりしている。何しろ、千雪は異様なほどに人に好かれる人間だ。今まで、夫人が毛嫌いしていた方が異様だったのだ。 夫人だけではない。 この間、惣哉が出張から戻ると。かの橋崎同窓会長が副理事長室でのんびりとコーヒーを飲んでいた。惣哉の父である学園理事長がちゃんと隣りの部屋にいるのに、何故か惣哉の副理事長室で千雪のいれたコーヒーをおいしそうに…。しかも彼がその日に持参したのは九州のある神社の(出張があったらしい)安産祈願のお守りであった。惣哉に用事があったわけではなかったのだ。
「ほらっ!! 立派な殿方がこんなところに丸まっていらっしゃらないでっ!!」 幸さんが今朝も藤色の着物に割烹着姿できりりと身構えている。 「まあ、村越の奥様…おはようございます。どうぞどうぞ中へ…皆様も甘酒が出来ましたので、リビングにどうぞ〜」 「わあ、甘酒っ!!」 「千雪様の福島の叔母様が酒粕を送って下さったでしょう? もう、とびきり美味ですの、たくさん作りましたわ」 惣哉は腰の辺りからしんしんと冷えてくるのを感じながら、しばらくは立ち上がることも出来ないでいた。 「おいっ! 惣哉っ!」 …ばすっ!! 振り向いたところに、いきなり雪玉が当たった。思い切り鼻先だったので、眼鏡の間にまで雪が入ってくる。 「何するんですかっ! 朔也っ!!」 「もう、すっかり寝ぼけてるからさ、起こしてやったんじゃん。早く、食事して体力付けないと。多分、今日は1日中、雪遊びになるんじゃないの? …あの調子じゃさ」 そう言い残して、モスグリーンの海坊主が扉の中に消えていく。
惣哉はふと振り向いた。 降りしきる雪の中で、薔薇冠の雪だるまがにっこり微笑んでいた。
おしまい(20021210)
…だから。大雪が降ったので。朝っぱらから歓声を上げている子供たちを見て、ウチのキャラだったら誰がこうかなと考えたら、彼女だったと。あの村越夫人の豹変は恐ろしいものがありますが…まあ、ここはパラレル入ってますよ〜と言うことで。作者、あまり考えてないです(苦笑)。惣哉さん、幸せで良かったねえ…。 Novel Top>「11番目の夢」・扉>ぽっかり、雪の日
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