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Scene・4…第3の男
春太郎Side*『真昼の花火大会』

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 まゆちゃんは可愛い。

 もう、毎回言ってる気がするけど、延々と繰り返したっていいじゃないか。

 後ろ姿、細い肩。ふわふわと風に舞うやわらかい髪の毛。くるんと振り返ると、まっすぐに俺を見上げる瞳。愛らしくほころぶ口元。会うたびに想いが募っていく。楽しい時間があっという間に過ぎて別れの時が来て、「またね」と言うときは心が引きちぎれる気がする。

 

 ――とか。今日の俺はちょっと詩人かも。

 ちら、と横目で確認するウインドウ。ああ、知らないうちに急ぎ足になっていたかな? いくら気持ちが先走っているとはいえ、あまりにも情けないか。ここは深呼吸、まゆちゃんが素敵だと思ってくれるようなクールな男にならなくては。

 いつの間にか涼しい風の吹き始めている夏の終わり。まだまだ空は真っ青で季節は塗り変わっていないのに、気の早いブティックが秋物を並べている。久しぶりにこっちに戻ってきて、ようやくまゆちゃんに会える。もう嬉しくて仕方ない。必死で自制心を働かせているが、実は日曜日の歩行者天国のど真ん中にいるというのに、今すぐ踊り出したいくらい浮き足立っているのだ。ああ、抑えて、抑えて。男は我慢だ。

 

 あれから。

 俺は猛烈に反省して、彼女と頻繁に連絡を取り合うようになった。離れていても心はぴったりと通じ合っていると過信していたが、そんな思い上がりこそがあの事件を巻き起こしてしまったのだ。まゆちゃんはあとからとても恐縮していたけど、なにも彼女が謝ることはないんだ。

 こちらの不手際で、まゆちゃんを危険な目に遭わせてしまった。取引先からのクレームならば、対応の仕方も心得ている。でも、まゆちゃんは世界にたったひとりしかいない、取り替えることの出来ない存在だ。細心の注意を払っていなければならなかったのに、それを怠った責任は重い。

 残っていた仕事だってフル回転で消化していった。予定通りにスケジュールを終え、昨日の最終の新幹線に乗り込む。本当ならその足で会いに行きたいところだったが、何せ東京駅に着いたのが日付が変わる頃。いくら何でも非常識だと諦めた。でも、思い切って彼女の携帯には電話してしまったが。ワンコールで出てくれて、もしかして待っていてくれたのかと嬉しくなった。

 

 一夜明けて、上天気な日曜日。

 俺は午前11時の待ち合わせ場所に急いでいた。まゆちゃんは「疲れてるでしょう? ゆっくり休まなくちゃ……」なんて言ってくれたけど、何の何の。君に会う時間が俺を癒すんだよ。突然デートのお預けを食らってから早3週間。どんなにかこの日を待ちわびだことか。

 いつでも彼女は、待ち合わせの時間より少し早く到着している。きっちりした性格なんだと思う。人待ち顔に待っている姿を見つけるのはとても楽しい。そして、俺の存在に気付いたときのあの笑顔。ああ、ほとんどひと月ぶり。本当に長かった。あまりがっついては大人げないと思いながらも、少しでも早く会いたくてたまらない。大丈夫か、自分。こんなに盛り上がっていて。

 

 休日の市民公園。子供たちの明るいはしゃぎ声があちこちから聞こえる。――ええと、どこだ? 白い時計台のところと言われたんだけど。初めて訪れる場所なので、ちょっと手間取った。

「あ、あった!」

 広い敷地内を突っ切っていくと、背丈のある灯台のようなかたちをしたそれが見えてきた。先端に付いた丸い球状の時計盤がゆっくりと回転している。見上げたら、丁度太陽がその向こうに見えて、とても眩しかった。

 ――ええと、まゆちゃん……?

 きょろきょろと確認すると。白い柱の影に、ちらっと青いものが見えた。もしかして彼女の後ろ姿だろうか? 俺は胸をときめかせながら、そこに急いだ。

 

「まゆちゃん、お待たせ!」

 ひょいっと、柱の向こうを覗き見た。――あれ、あれれれ? そこにいたのは彼女ではなくて……どう見ても彼女じゃなくて、もっと小さな子供。青いライオンズの野球帽を被って、黄色いTシャツに黒のパンツ。やば、焦りすぎて人違いで声を掛けてしまったか。

「あ――、ごめん……」

 お互いに目があって、ちょっと気まずい空気。俺は軽く取りなして、その場を去ろうとした。だが、推定身長120センチは、じろりと挑発的な視線で見上げてくる。

「お前、誰だ?」

 ――はぁ?

 何だよ、コイツは。思わず、今度はまじまじとその顔を見つめてしまった。そうしていると、背後から小走りのサンダルの音が聞こえてくる。

「あ〜、ごめんね! 将太くんお待たせ……」

 振り向くと。俺を睨んだ子供とそっくりな瞳のまゆちゃんが、ソフトクリームを手に立っていた。

 

…**…***…**…


「従姉の子なの。……急に預かることになっちゃって」

 隣に腰掛けてソフトクリームを舐めている子供をちらっと見て、まゆちゃんは申し訳なさそうに言った。

 

 どうもその従姉さんとやらは、今日は友人の結婚式に出席している。本当はご主人が子守をしてくれるはずだったが、職場のトラブルでいきなりの休日出勤。途方に暮れた彼女は近所にあるまゆちゃんの家に泣きついてきたのだという。自分の実家に預けに行く時間もなかったとか。

 さらに困ったことに、まゆちゃんのご両親は親戚の法事に出かけてしまい留守。まゆちゃんはふたり姉妹だが、気の利いてるお姉さんはあっという間にとんずら。仕方なく彼の手を引いてやって来たという。

 

「春さんに連絡して、今日の予定をキャンセルして貰おうかと思ったんだけど……でも」

 あああ、恥ずかしそうに俯くその仕草が可愛すぎるぞ! 本当にまゆちゃん、君って……君って、どうしてこんなにもう。俺の皮膚の下を流れる血液が、ものすごい勢いである一部に集中しそうになり、慌ててセーブする。馬鹿か、俺は。真っ昼間から何をしてるんだ!

「そっ、そんな。いいじゃないか、たまにはこういうのも……」
 自分のヨコシマな妄想を打ち消すべく、俺は努めて穏やかに反応した。

 もう、何のために昨晩は遅くまでかかって報告書をまとめたと思っているんだ。疲れているからバタンキューしたいのは山々だったが、まゆちゃんとの今日のために踏ん張った。これでドタキャンされたら、ダメージが大きすぎる。

「そう? 良かった〜っ! 将太くんって言うの、今幼稚園の年長組で、来年小学生なんだよ。ほら、将太くん、お兄ちゃんにご挨拶は?」

 

 まゆちゃんに促されて、彼は顔を上げた。改めてその顔を観察する。

 そうかあ、まゆちゃんの親戚の子供……道理でよく似ていると思った。まるで、ふたりで並んでいると年の離れた姉弟みたいだ。輪郭とか、目元の辺りとか。どこがどんな風にとは言えないけど、すごく雰囲気が似てる。

 まあ、いいだろう。とんでもないお邪魔虫だとは思うが、ここで嫌な顔をしたらまゆちゃんが気の毒だ。それどころか下手をすると、このまま約束をキャンセルして「さようなら」となるかも知れない。せっかくこうして再会できたのに、それはいただけない。

 それに、だ。

 相手はまだランドセルもしょったことのない子供だ。ここはひとつ、おおらかに構えようじゃないか。小さな子供の相手なんて長いことしたこともないが、もしかしたらこれはチャンスかも知れない。ここで「子供好きの春さん」とまゆちゃんに印象づけてみろ。また株が上がるというものだ。

「春さんって、素敵ね」

 ……なぁんて、またあの瞳で見上げられたりして。ああ、どうしよう! これなら結婚しても育児に協力的だわとか、思われて……滅茶苦茶、いいかも。こりゃあ、頑張るしかないぞ!

 

「どうぞよろしくお願いします、春太郎さん」

 俺の思考はふいに遮られた。

 目の前の少年は思いきり無邪気に俺を見上げる。おいおい、さっきの睨み付けてきた顔と全然違うじゃないか。さらに彼は、挨拶の一環のつもりなのか、右手を差し出してきた。真ん中にまゆちゃんを挟んで座っていたから、丁度彼女の膝の上で握手する。

 

 ――痛っ……!

 

「こちらこそ、よろしく」

 何だぁ、コイツ! まゆちゃんに見えないように、思い切り手のひらに爪を立ててきたぞ。痛みを堪えながら、俺は平然とした表情で微笑み返した。

 

…**…***…**…


「……じゃあ、お昼ご飯になりそうなものを買ってくるから。ちょっと待っていてね」

 ああ、髪の毛がふわふわ揺れている。久しぶりに見ると、可愛さもひとしおだなあと思いつつ、走り去る背中を見送る。

 ……う〜ん、正直なところは彼女の手作り弁当を期待していたんだけどな。

 ま、仕方ないか。彼女もそのつもりで材料は揃えてあったらしいが、思わぬ珍客に作っている暇がなくなったという。広い公園で、休日と言うこともありたくさんの屋台が出ている。それで間に合わせようと言う話になった。

 

「何、馬鹿面してんだよ。情けね〜っ!」

 一瞬、何かと思った。

 自分の耳を疑いながらも振り向くと、まゆちゃんの連れてきた幼稚園児・将太がにやにやしている。よもや自分に向けられた言葉のわけはないと周囲を見渡すが、誰もいない。

「お前さ、『春太郎』なんて名前も馬鹿っぽいけど、格好悪いな。真雪に付きまとうなよ、迷惑なんだよ」

「へっ……?」

 この受け答えは確かに「間抜け」だったかも知れない。でも、仮にも幼稚園児がいきなりこんな発言をするなんて、信じられないじゃないか。何だ、コイツは。まゆちゃんがいなくなったら、目つきが違うぞ! さっきまでの「可愛いオコサマ」モードはどこに行ったんだ。

 思わず息を飲んでしまった俺を前に、奴は勝ち誇ったように話し続ける。何だ何だ、何がどうなってるんだ。

「今日はせっかく真雪とツーショット出来るかと思ったのに、何でお前が来るんだよ。だいたいな〜っ、真雪はボクの女なんだからな。人のモノに手を出そうなんて、100年早いんだよ!」

 

 ――は? はぁぁぁ!?

 

 多分、今現在。俺の表情は平静を保っているはずだ。普段からポーカーフェイスで通っているが、こんなところで子供相手に役に立つとは思わなかった。いや、別に。努めてそう言う風にしているわけではなくて、無意識なんだが。

 とにかく、相手は推定身長120センチ(この前搬入した複写機と同じくらいの高さなので、多分誤差はあまりないと思う)、こっちは春の健康診断で178センチ。普通、こんなチビは視界に入らないのだが、どうやら相手は対等のつもりらしい。

 でも、何だ? もしかして「勘違い君」だったりするのか? おいおい、まゆちゃんは俺の彼女だぞ。そんなのは会社のみんなも知っていることで……その……?

 

「ふん、言い返せないでやがる」
 目の前のガキ――将太は、足を開いて踏ん張った姿勢で、大きくのけぞった。思い切り威嚇しているポーズなのか、どう見てもラジオ体操の「胸を反らして〜!」のようである。

 呆然とその姿を観察していると、彼は得意げにふふんと鼻を鳴らした。

「こんなこと言っちゃあ、ビビるだろうけどさ。何しろ、真雪のファースト・キッスの相手はボクなんだからな。ボクたちは将来を誓い合った仲なんだ、お前なんか入る隙はないんだぞっ!」

 

 ――あの、もしもし? もしかして、挑発しているんでしょうか。

 

 クレーム処理など予期せぬトラブルは日常茶飯事であるが、こういう場合はどうしたらいいのだろう。本気にすることもないと思うが、将太の方はマジだから始末に悪い。もしもここで駄々をこねられたら。いやいや、もしもまゆちゃんに「子供が嫌いな春さんなんて、嫌だわ」とか思われたらどうするんだ。

 俺は大人の男として、いかにこの場を乗り切るか必死で考えていた。だが、将太の方はそんな俺を「反論も出来ない奴」と思っているらしい。正直、腹が立つ。だいたい、コイツがお邪魔虫なんじゃないか。久しぶりにまゆちゃんと誰にも邪魔されない甘い時間を過ごせると思ったのに。

 くっそぉ〜! 何のために必死で報告書をまとめたと思ってるんだ。ついでに部屋の掃除だってしたんだからな。いくらそんな必要がないとは思っても、「万が一」を考えるのが大切だ。ちゃんと洗面所のタオルも新しくしておいた。

 ――いや、抑えろ抑えろ。相手は子供だ。

 

「まあ、……今日一日はダブルブッキングと言うことで仲良くやろうよ。な、将太くん!」

 ああ「ダブルブッキング」という言葉が通じるかなと少し不安になったが、とりあえず休戦しないと。いつまゆちゃんが戻ってくるかも知れない。俺は100歩譲って広い心で奴を受け止めることにした。上から見下ろしていたら悪いだろうと、わざわざ膝を折ってしゃがむ。

「ば〜か! 誰がお前なんかとっ!」

 差し出した「友情の印」の右手を、ばしっと叩かれる。さすがにムッとして、少し頬が熱くなった。だが、将太の態度は変わらない。それどころか、さらにとんでもないことをほざいたのだ。

「あのなあ〜、お前なんかに付きまとわれて、真雪は迷惑してるんだぞ。今日だって、お前になんか会いたくないって感じだったのに。ま、おおかた、春太郎が無理矢理に押しまくったんだろうけど。やめろよな、人の迷惑になることは」

「なっ――! あのなっ、まゆちゃんは俺の……」

 ぶちっと、何かが頭の中で切れた。その瞬間に、俺はもう我慢というものが出来なくなった。なんだコイツ、いけ好かない。子供だからって、甘く見ていりゃつけ上がりやがって! 畜生、いい加減にしろ!

 

 だけど。

 その時、将太は笑ったんだ。満面の笑みを浮かべて、勝利宣言をするみたいに。いやらしく端を上げた口元が動く。ゆっくりと。

「『会社のお友達に会うからね』――って、真雪は言ったぞ。そうなんだろ、ボクは真雪の『男』だけど、お前は『お友達』。身の程をわきまえろって言うんだ、ば〜か!」

 親愛の情を示すために、取り繕った微笑みを浮かべていた俺の頬が……瞬時に凍り付いた。

 

…**…***…**…


「うわぁ、ハンバーガーだ! ボク、これ大好きっ!」

 芝生の上。まゆちゃんが家から持ってきたというシートを敷いた。ピクニック気分のランチ。将太はまゆちゃんにぴったりとくっついたまま、無邪気な声を上げている。

 

 ――この、二重人格が。

 ああ、面白くない。子供って、もっと扱いやすいものだと思っていたのに。言うことだけは偉そうなくせして、やってることは全くガキっぽい。感情のコントロールが上手くできない馬鹿な大人のようだ。

 まゆちゃんも、まゆちゃんだ。特上の笑顔で奴に話しかけるなよ。さっきからふたりでばかり話をして、俺の入る隙がない。親戚の何とかおばちゃんの話で盛り上がられたって、こっちは困ってしまうのに。

 

「あっ……春さん? ごめんなさい、サンドイッチもっとあるよ。おにぎりの方がいいかな?」

 ペットのウーロン茶をちびちびやっていたら、ようやく気付いたまゆちゃんが申し訳なさそうに腕を伸ばしてきた。

「それ貰うよ、……ありがとう」
 ああ、ごめん。上手く笑えない。どうしたんだよ、俺。何だかさっきからおかしいぞ。仏頂面してたら、まゆちゃんが何かと思うじゃないか。

 しかし。俺が手を伸ばしたサンドイッチを、将太がぱしっと受け取る。なんだコイツ、と思っていると、奴はにこにこ笑いながら言った。

「はいっ、取りにくいでしょう。ボクが渡してあげる。春太郎はハムのとシーチキンのとどっちがいいの?」

 どうやら、何が何でも俺たちの間に割り込みたいらしい。そう言えば、さっきこのミニペットボトルを受け取るときも、将太がリレーした。歩くときだって、真ん中をしっかり陣取っている。

「あらあら、将太くん」
 するとまゆちゃんが、ちょっと困った顔をした。

「春さんのこと、そんな風に呼び捨てにしちゃ駄目。年上の人なんだから、きちんと『春太郎さん』と呼ばなくちゃ」

 あ、こうやって「お姉ちゃん」してるまゆちゃんも可愛いかも知れない。いつも俺といるときは終始控えめで、もう少し我が儘とか言ってくれたらいいなとか思っていたんだよな。

 俺が全く別の次元で感激していると、将太の奴がにっと笑った。そして、サンドイッチを脇に置くと、いきなり抱きついてくる。

「いいんだよな〜っ、春太郎! ボクたち、友達になったんだものっ!」

 

 ――はあ?

 俺は驚きのあまり、固まってしまった。何だぁ、どうしたんだよ。将太の奴、気でも触れたか……!?

 

「なっ、春太郎っ!」

 腕の中から見上げてくる瞳。まゆちゃんによく似ているくりくりの丸いかたち。でも、そこに挑戦的な色が浮かんでいたのを俺は見逃さなかった。

「あ……ああ、そうだよな。友達だもんな!」

 これは将太の言葉を受け入れたわけではない、少し離れたところから心配そうにこちらを見ているまゆちゃんを安心させるために、俺は「友情の抱擁」に付き合った。

 

…**…***…**…


「ねえねえ、あそこ面白そうっ! 行ってみようよ〜!」

 将太が、公園に隣接しているアスレチックコースを指さす。これから、お子さま映画にでも付き合うかなんてまゆちゃんと話していたら、急にこうだ。 

 

 あれからあとも。

 まゆちゃんがちょっと席を外した隙にふたりで威嚇しあい、戻ってくると「友達」を演じるというおかしな俺たちがいた。ようするに、こういうことだろう。将太としては、まゆちゃんの前では可愛い子供を演じたい。そして俺も、落ち着いた大人の男を演じたい。どちらかがまゆちゃんを独占するのは、もう片方にとっては不本意なことなのである。

 まゆちゃんを独り占めすれば、なによりも彼女自身が俺を気にする――と言うことが本能的に分かったのだろうか。結果、奴はまゆちゃんを困らせないために俺と仲良く振る舞う道を選んだ。

 そう来るなら、受けて立とうじゃないか。俺にも異存はなかったし。だって、まゆちゃんに嫌われるのが一番困る。

 

「ええ、でも……小学生以上って書いてあるわ。それに……あんな高いところ、私は行けないし……」
 彼女は明らかにうろたえてる。そうだろう、サバイバル系は苦手なんだから。短い吊り橋を渡るときだって、俺の手をぎゅうっと握りしめてるくらいで。

「いいよなっ、春太郎と行ってくるから! 真雪はここで待ってろよっ!」

「え――?」

 将太の声にもまだ困った顔をしている。奴に腕を掴まれたまま、俺は彼女を振り返った。

「大丈夫だよ、ちゃんと面倒見るから。まゆちゃんは、ゆっくりしていて」

 ごめんね、って唇が動いた気がする。それだけで、今は十分だって思わなくちゃいけないと思った。

 

…**…***…**…


「会社のお友達」

 ――その言葉が引っかかっていたのは事実だ。何だかとても微妙なニュアンスだと思う。

 それは違うだろう、まゆちゃん。俺たちは……その、何というか。普通に考えたら「恋人同士」になるんじゃないだろうか。だったら「彼との約束があるの」って、どうして言ってくれなかったんだろう……?

 週に一度のデートだってしてる。キスだって、したじゃないか。もちろんその先のことだって、期待してる。もう、まゆちゃんを他の男に渡すつもりなんて毛頭ないんだ。

 

 ――けど、待てよ?

 まゆちゃんの方はどうなんだろう。明確に「おつき合いしてください」と言ったわけでも言われたわけでもない。なんとなく成り行きで関係が続いていると思っているんだろうか。そうだったら、心外だ。

 

「お〜いっ! 真雪ぃ〜!」

 巨大なロープのピラミッドタワー。その頂点を目指して、将太と登っていた。奴が振り返って叫ぶと、ずっと下の方にいるまゆちゃんが手を振る。不安げな表情で。俺たちのこと、ずっと見ていたのかな。……将太と俺、どっちのこと見てたのかな……?

「あっ、ずるい! 自分ばっか格好つけんなよっ!」

 俺が少し前を行き過ぎると、将太が急に怒り出す。言い訳するようだが、これでもだいぶ力を加減してるんだ。子供相手にマジになるのは恥ずかしいし。だけど、奴には思ったよりも体力があって、あまり気を抜くと先に行かれてしまう。その微妙な感じが難しいのだ。

 小生意気なガキだと思っていると、変なところで無邪気だったり。まだ数時間しか付き合ってないが、将太は面白い奴だと思う。確かにむかつくことは多いが、お互いまゆちゃんに想いを寄せる境遇は同じ。どこかで似ているのかも知れない。

「何言ってるんだ、将太はこれが得意なんだろう? ほら、急がないと俺の方が先に旗に手が届いちゃうぞ」

 いくら何でも大人げないと思うが、ついそうやって言い返していた。表面で取り繕うよりも、まっすぐに言葉を返す方がいいんだ。将太が俺に気持ちをぶつけてくるなら、こっちも真剣に返さなければ。子供だから、と舐めてかかるのが一番失礼なことかも。

「お前、ずるいぞっ! 何だよ、腕が長いからっていい気になって。畜生っ、ボクだって――」

 

 ぐらり。

 突然、足元のロープが揺らいだ気がして、振り向いた。

 

「うわっ、将太っ!!」

 何やってるんだ、コイツ。あっという間に宙づりになってる。ロープに足が絡んでいるらしく、おっこちる心配はなさそうだが……それに、もちろん下にはトランポリン状の補助器具がある。大けがをする危険はないんだ。

「うぎゃあああっ! 怖い〜〜〜〜!!!」

 すぐにその辺のロープを手にすればいいのに、何をしてるんだか、両手をバタバタと振るばかり。いきなりの「吊られた男」状態に、すっかり錯乱してしまっている。

「ばっ、馬鹿っ! しっかりしろ!」

 結構先を行っていたので、奴の場所まで行くだけで一苦労。あまり暴れると足に絡んだロープも解けそうだし、真っ逆さまに落ちるのはかなりヤバイだろう。かといって、あまり焦るとこっちまで危ない。それにあまりロープを揺らさない方がいいし……。

「ほらっ! 掴まれ!」
 そう言って、腕を伸ばしてみたが、埒があかない。

 もう、こうなったら仕方ないだろう。俺は将太の身体を二つ折りにした状態で肩に抱え、足のロープを解いた。バランスを取るのがかなり難しかったが、やるしかない。昼下がりの炎天下に、遊具を使っている人も他になく、他に助けを呼べなかったのだ。

 

「ううう、畜生っ……!」

 ようやく、ロープが解けて。もう一度しっかりと抱きかかえると、奴がふいにそう呻いた。

「お前はずるいぞ! ちょっと大人で背が高いからって、威張りやがって。あとから出てきて、大きな顔するなよ〜っ、真雪はボクがずっと守るって決めたのにぃ……!」

 

 胸の中の身体が熱い。全身で、悔しがっているみたいだ。何だかとても羨ましい。果たして俺は今までまゆちゃんに対して、こんな風に必死になったことがあっただろうか。そりゃ、まゆちゃんを大切に想う気持ちは誰にも負けないと思う。ただ……体裁を気にするあまり、がむしゃらになれない部分があった。

 だから……将太が羨ましかったのかも知れないなあ。

 

 たまには。

 こんな風に感情むき出しにして、火花を散らすのもアリかな? まゆちゃんの前では「最高」でありたいのはふたりとも一緒。だから、見えないように威嚇し合う。

 

 ――何か、コイツとは気が合いそうだ。

 

…**…***…**…


「……寝ちゃったね」

 夕暮れのベンチ。人影もまばら。遊び疲れた将太が、やはり俺たちを挟んだ真ん中でぐっすりと眠りこけていた。しっかりと自分のポジションはキープしている。最後まで憎ったらしい奴。でも……こうして寝ていれば、やっぱ子供だなあと思う。

 ああ、残念だな。やっとふたりきりの時間になったと思ったら、もう夕暮れ。これからまゆちゃんは将太と家に戻らなくちゃならないから、今日はこれでお開きだ。

 

 本当によく運動したなと思う一日。

 あのあとも機嫌の直った将太と、さらに色々な遊具で遊んだ。最初は「面倒くさいなあ」と思っていた俺だが、だんだん楽しくなってきたんだよな。腹の底から笑ったり、檄を飛ばし合ったり。そんな子供の頃には当たり前だった時間が戻って来たような感じがしていた。

 

「ごめんね、付き合わせちゃって」

 将太の寝顔を見ていたまゆちゃんが、ふいに顔を上げる。お姉さんのような、母親のような慈悲の色を浮かべた横顔に見とれていた俺は、思いがけなく至近距離にある彼女の瞳に驚いた。

「春さん……疲れてたのに。本当なら、今日は一日中でも寝ていたかったんじゃない? やっと戻ってきたんだもの」

「え……そんな。大丈夫だよ、俺の方は」

 ――まゆちゃんに会えるなら、それで良かったんだ……と付け足したかったけど。やっぱり恥ずかしくてやめた。将太のように思ったことを素直に伝えるのは、もう無理なんだろうな。そう言う意味で、俺はきっと一生コイツに敵わない。

 

 しばらく、沈黙。

 そうなんだよな。朝からバタバタしていてすっかり忘れていたけど、今日は久々の再会なんだ。会えない間も、まゆちゃんを忘れたことはなかったけど、目の前にいないとすごく寂しかった。こうして……傍にいるんだなと思うと、それだけで胸がいっぱいになって。

 もう言葉なんていらないんだよ。まゆちゃんがいればそれだけで。

 

「あのさ、……まゆちゃん」

 涼しい夕暮れの風が頬をくすぐる。彼女の髪もつられて揺れて。え? っと瞬いた瞼の先、まつげが震えてる。

「俺って……まゆちゃんの、何?」

 

 うわぁ、何て直接的な訊き方をしてるんだ!

 もっとスマートに出来ないか、自分。中学生じゃないんだからさ! 思わず口にしてしまってから、慌ててしまう。

 

「え――……?」

 まゆちゃんの声がかすれて、ピンク色の唇が震えて。夕焼けに染まった頬が、もっと赤くなった気がする。でも、いつものことなんだけど、彼女はそれきり黙ってしまった。

 

 やっぱ、相当気にしていたらしいな、俺。

 でもさ、「会社のお友達」なんて、嬉しくないよ。「好きだよ」って言ったじゃないか、あれは[Like]ではなくて[Love]なんだぞ。それくらい、分かってくれよ。おっとりしているまゆちゃんは可愛いけど、あまり反応がないと不安になるんだ。

 ……それとも。分かっていて、しらばっくれてるの? もしかして、本当は……あまり乗り気じゃなかったりする? 違うよな、違うよな、まゆちゃん。だって、君はいつでもその眼差しで俺に伝えてくれる。

 

 ――私は、春さんが好き。

 

 そうだよな、そうなんだよな? 一方的な感情じゃないんだよな、これは。

 

「うーん……『何』と訊かれても……そうねえ」

 くるりと首を回して。まだ考えていたらしい。俺にとっては永遠とも感じられた時間だが、実は数秒のことだったのかも知れない。

「大切な、人……かな?」
 夕焼け色の空気の中、まゆちゃんがふわっと微笑んで。それから、恥ずかしそうに下を向いてしまった。

「今日だって……本当なら、将太くんがいたんだし、取りやめにして貰えば良かったんだけど……でも、会いたかったんだもの」

 ふるふると細い肩が揺れる。何気ないように思える言葉でも、彼女にとっては決死の覚悟。そんな想いが、じーんと伝わってくる。

「まっ……、まゆちゃん!」

 ああ、何て言ったらいいんだろう。言葉が見つからない。

 でも、すごく嬉しいよ。もう、今すぐ抱きしめたい! まゆちゃんのこと、もっともっと感じたい。離れていちゃ駄目なんだよ、今回気付いたよ。一緒にいたいんだ、まゆちゃんとずっと。

 

 膝の上で震えている手。将太の上を伸び上がるようにして、そっと握りしめる。驚いた顔で見上げる小さな輪郭を、素早く捉えた。

 

「ただいま、……まゆちゃん」

 柔らかく重なり合う唇。一ヶ月ぶりのキスは、甘い夕焼けの味がした。




…おわり…(040407)

 

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