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後日談・2…魔術師の週末
春太郎Side『そのままの歩幅で』

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 どうも俺は、周囲の人間とは目線が違うらしい。

 自分では普通にしているつもりでも、時々それを思い知らせされることがある。そんなときにこみ上げてくる不安は、俺をどこまでも孤独にした。

 

 改めてそんなことを思い出しながら、東京本社のビルを後にする。夕焼けに色を染め始めながら浮かんでいる春の雲を眺めたときに、頭の中では真っ先に来週の天気を考えていた。

 カレンダーの上では春の真ん中である4月。気の早い都心の人並みは、下手をするともう夏が来たのではと言うような服装さえ珍しくない。
 これから週末の街に出かけていくのか、女の子たちの一団とすれ違う。何だ、それみよがしにむき出しの肩は、あんなにスカートを短くしたら腰が冷えるぞ。……などと、目で追いながら田舎の年寄りの思考になっている自分。いや、これは老け込んだんじゃないぞ、落ち着いたってことなんだからな。まっ、ギリギリラインはちょっとは気になるけど、ここは見ない振りだ。

 煩悩を打ち切るように、これから戻る大阪のマンションのワードローブを思い浮かべる。こういうときには頭の切り替えが一番だ。ついでに歩幅も少し広くしてみる。――そろそろ時間だ、急がなければ。

 企画開発部という俺の置かれた部署は何でもありな感じで、専門分野の開発業務は当然、他にも営業から事後処理まで全てを自分たちの手で行っていた。従って取引先との打ち合わせなども多く、その分服装には気を遣う。季節柄、重い印象にならないように明るめのスーツを準備していた。だが色合いで選べばどうしても春夏仕様の素材が多くなり、急に冷え込んだ日などは結構辛い。
 体調管理も出来なくては、社会人としては失格。それに何より、風邪でもこじらせたら大変だ。当然まゆちゃんに迷惑を掛けることになるし、下手をしてうつしてしまったりしたら大事になる。高熱でうんうんと唸ってるまゆちゃんなんて、絶対に想像したくない。ああ、思い浮かべただけで痛々しいじゃないか。
 もう体調を崩したときは完全隔離して貰うしかないな……そんな風に気張りつつ、今年の冬は健康なまま乗り越えた。やはり病は気から、というのは本当のようだ。何があっても「愛」に勝るものなどないのだから。寝込んで心細いときに手厚い看病をして貰うというのも捨てがたいが、そんな場面を待たなくてもまゆちゃんの気持ちはちゃんと伝わってきてるし。

 今回の出張の日程も滞りなく予定通りに済ませることが出来た。以前は段取りが上手くいかず、週末までずれ込むことも少なくなかったが、無駄な時間を過ごすほど今の俺は暇じゃない。それにな、ご褒美が待っているからこそ、仕事も頑張れるんだ。ああ、生きているって素晴らしい。

 

「何かさ、全然新婚ボケもしてないのって、どうよ?」

 古巣に戻れば、懐かしい顔にも会える。眉をひそめながらそんな風に俺に声を掛けてきたのは、同期入社の小塚。ご存じの方も多いかと思う、まゆちゃんの元同僚に当たる男だ。まあ、その節は大変にお世話になったり迷惑を被ったりしたものだが、今となっては蒸し返す気もない。だが、この言い方はないだろう。
 思い切り睨み返してやったつもりだったが、悲しいかな俺は感情が表に出にくい顔をしているらしい。きっとこの怒りは十分の一も伝わってないに違いない。腹立たしいことだ。

「あっちに飛んでからも、変わらずに順調そのものだっていうじゃないか。まあなあ、お前らって、付き合ってる頃から全然そんな気がしなかったもんな。まゆちゃんから進行状況を聞き出そうとしても、恥ずかしそうにしてあんまり答えてくれないし。今時、何だか信じられない牛歩だと思ってたら、いきなりゴールインだったしなぁ。
 あのまゆちゃんとあま〜い生活を送ってるんだろ? ……少しは頭のネジも抜けて、常人になってくれるかと期待したんだけどなー」

 馬鹿言え、冗談じゃないぞ。何で、まゆちゃんの前でそんな格好悪いことが出来るだろう。そりゃ、俺だってパーフェクトじゃない。ミスだってするし、思い描いたとおりに仕事が進まないことだって日常茶飯事だ。だけどな、俺が失敗して落ち込んでばかりいたら、一番辛いのはまゆちゃんなんだよ。分かるか、おい? これはな、偉大なる「愛」の力なんだからな。

「お前がせっかく出てきたんだし、仕事も一段落ついたところでみんなで飲まないかとか話があるんだけど、これから都合どう?」

 わざわざ一席設けてくれるのは、コイツなりの心遣いなんだろう。

 数年後には俺はこっちに戻ってくる予定になっている。そうなったときに社内の顔ぶれとぎくしゃくしては元も子もない。元々、人付き合いはあまり得意な方ではない。小塚のような人当たりの良い性格だったら良かったのにと思ったことも一度や二度ではないのだから。

 でも、今日のところは丁重にお断りした。今週は通しで出張だったこともあって、ずっとホテル暮らしになっている。まゆちゃんも一緒に上京してきたが、会社が用意してくれたのはシングルの部屋だし、彼女も最初から実家に泊まることになっていた。
 同じ空の下に暮らしながら、会えないとは何とももどかしいこと。仕事上の付き合いで夜は会食になることも多く、一緒にディナーを楽しむことすら出来なかった。

 付き合っていた頃は、週に一度のデートがやっとだった。それも仕事を終えた後、晩ご飯を一緒にするくらいのささやかなもの。それを思えば、このくらい離ればなれになったって、彼女の方はそれほど気にもしてないかも知れない。それにご両親やお姉さんと一緒に実家で過ごす日々は、きっと居心地のいいものだろうし。

 

 ――ああ、やめよう。

 こんな風に考えると、何だか彼女を迎えに行くのが申し訳なくなってしまう。これ以上我慢することなんて出来ないんだ。まゆちゃんに会えなくて、俺はもう窒息寸前なんだから。この気持ち、絶対に届いてないよな。まあ、届いても情けなくて嫌だけど。小塚の言ったように、普通すぎるかなあ……そんなこと、ないはずなのに。

 

 恋人と呼ばれる関係だった頃。マメな性格じゃない俺は、頑張ろうと思ってもついついまゆちゃんへの連絡を怠ってしまうことも多かった。彼女を想う気持ちは誰にも負けないと思うが、そんな風に女の子を大切に考えたこともかつてなかったため、どうしてもセーブの仕方が分からない。
 突っ走っていいと言われれば、どこまでも突進してしまいそうだが……それこそ、彼女に嫌われてしまいそうで怖かった。肩を並べて歩けば、今度は手がつなぎたくなる。手をつないだら、次はもっと寄り添いたくなって、キスもそれ以上もしたくなって――。

 会えない時間が長ければ長いほど、繋ぎ止めておいた想いが膨らんでくる。さかり付いた雄犬のような俺を迎える笑顔はどこまでも清らかで、ふたりの間を流れるとてつもない深い溝に足を取られそうになった。

 ――私は、春さんが好き。

 どこまでも澄み切った綺麗な瞳。そこに映る俺の姿は、絶対に格好良くなくちゃならない。だけどこれは決して無理をしているわけではなくて。彼女の幸せそうな顔を見ているときが一番満たされるから頑張っているだけだ。

 

…**…***…**…


「……え? 夏休みの予定?」

 先週のこと。何となく話を切り出すと、彼女は驚いたときにいつも見せてくれる仕草で、大きく目を見開いて俺を見た。

「春さん、……ええと。もしかして、ゴールデンウイークはお休みがないの? 何か大きなお仕事が入ったとか?」

 ぱちん、ぱちんと何度か瞬き。揺れるまつげがすごく可愛くて、思わず微笑んでしまう。そんなことに気を取られた後で、彼女の反応を不思議に思った。何で、話がそっちに行くんだろう。

「あ……ううん。それならそれでいいから、別に嫌だとか言わないよ。春さんがお仕事なら、仕方ないもの。大変なのは春さんの方だもんね」

 微妙に話がすれ違っていることに、彼女も気付いたらしい。こちらが黙ったままでいたら、慌ててそんな風に言い訳する。そして、俺の方も彼女の頭の中で展開されている思考にどうにか辿り着くことが出来た。

 何だ、そうか。4月になるかならないかの頃に、いきなり夏の話を始めたからなのか。そうだなあ……。

 せっかくのデートの予定を仕事の都合でドタキャンすることも少なくなくて、まゆちゃんには迷惑ばかり掛けてきた。以前付き合っていた彼女たちだと、回数が重なるごとにだんだん不機嫌になってくる。そして究極の決め台詞「仕事と私と……」が始まるわけだ。もちろん、まゆちゃんに限ってはそんな台詞が飛び出したことはない。それどころか、いつだって俺の身体のことを一番に気に掛けてくれた。
 きっとまゆちゃんの中では、最初から「諦めモード」にセッティングされているのかも。楽しみにしていたことが急に駄目になると悲しいから、それよりも最初から「もしかしたら、今回も無理かも」と自分に言い聞かせている。そう思うと、あまりにも痛々しくて、もっともっと大切にしなくちゃって思えてくるんだな。

「え、違うよ。ゴールデンウィークは近場で楽しもうかと考えているけど……夏にはまとまった休みが取れそうだから、どこか思い切って遠くに出かけようかと思って。そうなると早めに予約しないと一杯になるだろ? そう思って、今日営業に来た旅行会社の人からいろいろパンフレットを貰ってきたんだ」

 そう言ったら、まゆちゃんは。最初の時よりも、もっともっと大きな目をして、俺を見た。それから、大きく息を吸って吐いて。

「……春さんって、すごいね。そんな遠くのことまでよく考えられるなって、びっくりしちゃった」

 

 先の先まで見渡して行動していくことは、特に仕事においてはすごく役に立つことだ。

 今の職場だと、現在稼働しているプロジェクトの推移を見守りつつ、新しく立ち上げた企画を煮詰めていく。その上で、次回の段取りを取引先と話し合う……と言った感じで次々に背伸びをして先を読む能力が要求される。

 いつもそれを得意として、さらに認められて、とてもいいことなのだと思っていた。それが……なんと言うんだろうな、まゆちゃんと出会ってからは「ちょっと違うな」と考え始めている。

 遠足の前日に楽しみで眠れなくなってしまう、と言う話は良く聞く。だが、俺はそんなときに戻ってきた後の宿題とか作文の内容とかを考えているのだ。子供の頃からそんなだったから、端から見たら何とも面白みのない人間だっただろう。
 まあ、社会に出たり、人並みに「彼女」と呼ばれる存在に恵まれたりすれば、プラスになっていくこともあった。何しろ、現代社会で普通の恋愛をしようとしたら「段取り」が大切になる。休みにはその年に人気のリゾートをいち早く予約して、イベントには最高のディナーをセッティング。もちろん一から十まで全部考えることは出来なくて場所の決定などは相手に任せていたが、申し込みなどは全部こっちがやった。

「春太郎のお陰で、最高のバカンスを楽しむことが出来たわ。本当に、友達にも鼻が高くて……」

 いつだって上手くいっている時はそんな風に感謝された。……だけど、本当に楽しんでいたのは相手の方だけ。俺自身は決められた日程が順調に進んだことへの満足感の方が大きかった。言うなれば恋愛もビジネスも同じように考えていたらしい。そして頭の中では戻った後の仕事のことばかり思い浮かべている。はしゃいでいる彼女には、心ここにあらずの男の態度も気にならなかったようだ。

 

 週末に空を見上げると、来週の天気が気になる。それでは駄目だと思う、もうひとりの自分がいた。

 仕事できりきりになっていた頭を解放するように、首を大きく回す。東京駅からほんの3時間あまりで、帰り着くことが出来る場所。そこで過ごす休日をどうしたら楽しく過ごせるかを考えよう。まゆちゃんがいれば、どこにも行かなくたって満足出来る俺だけど、きっともっと素敵な笑顔が見られる方法があるはず。

 

…**…***…**…


「……どうしたら、同じ速さで歩くことができるのかな」

 いつだったか、まゆちゃんにそんな風に訊ねたことがある。すごく悩んでいたとかそんな訳ではなくて、ただどんなときも俺がくつろげる気持ちのいい時間を作り出してくれる彼女が、とても偉大に思えたんだ。

 ちっちゃくて、心許なくて。ひとりで置いておくことも心配で、ついつい出張にまで連れ出してしまうほどの存在。「過保護だって笑われるよ〜」って言うけど、不安で仕方ないんだ。物騒な事件とかも多いし。それなのに、そんな彼女に敵わないなと思う瞬間がある。まゆちゃんは俺に強く何かを要求することがないのに、どうしても幸せにしたくなってしまう。

 俺のことを認めて、心から信じてくれる。きっと悲しいことも我慢してることもあるはずなのに、そんなことを表に出さないで。にこにこと笑って、出迎えてくれる。だから俺は、またまゆちゃんに会いたくなる。

「一緒に歩こうとしても、どうしても足並みが揃わないんだ。気にすれば気にするほど上手くいかなくて……難しいなと思うんだけど」

 こんな風に弱い自分を見せるのは、本当はすごく怖かった。きっと仕事上の人間関係か何かで、行き詰まることがあったんだと思う。その時は自分でも気付かなかったけど、大切なまゆちゃんにすら泣きついてしまうほど、俺は疲れていた。土地が変われば水も変わる。水が変われば人も変わる。西と東、やはり何もかもが違う、長く滞在していけば付け焼き刃では乗り越えられないことも出てくる。

「……春さん?」

 まゆちゃんは手にしていたトレイをテーブルに置いた。その上には彼女のお得意のホットチョコレートがふたつのカップから湯気を立てている。きっとその前から、俺の調子がいつもと違うと分かっていたのだろう。彼女自身も落ち込んだときは昔からこれを飲むんだと言っていた。

 ゆっくりとテーブル沿いに回って、彼女が俺の隣に座る。ふたり分には十分なソファーが少し沈んだ。

「ごめんね、……難しいことは分からないんだけど」

 そう言いながら、俺の方にそっと寄りかかってくる。ささやかな重みとぬくもり。

「私、いつも春さんと歩く時ね。足元を見ないで、春さんの顔を見るようにしてるの。春さん、歩くのが速いから、そればっかりに気を取られて必死になってるともっともっと遅れちゃうの。だから、下は見ないで、春さんを見るのよ。春さんと、心の時計を合わせようって……」

 それから「あ、ごめん。別に文句を言ってる訳じゃないからね」とか付け足してる。傍らのぬくもりが何よりも愛おしくて、思わず抱きしめていた。

 

 ――まゆちゃんは、すごい。いつも俺のことをそういって誉めてくれるけど、本当は足下にも及ばないほどまゆちゃんの方が素晴らしいんだ。

 出会えたことを感謝してる。でも、その反面で、出会うのがもっと早かったら良かったのにと恨めしく思ってみたりもする。誰よりも早く、まゆちゃんと会いたかった。そしてまゆちゃんと一緒にずっと歩いていたかった。指の間からこぼれ落ちた時間を、誰よりも大切な人と一緒にもう一度過ごしてみたい。これからふたりで奏でる人生は、きっと俺にとっては短すぎる。

 

「そうか……、そうだね」

 無理に合わせようとしていたのかも知れない。……いや、合わせられるはずだとたかをくくっていたのかも。だけど、大切なことは違うところにあった。ペースを合わせるのではなくて、心を合わせるんだ。きっとそうすれば上手くいく。ビジネスでも基本は人間と人間とのやりとりなんだから。そこには生身の感情が存在するんだ。

 

 長いことひとりでやり過ごしていた、満たされない気持ち。寂しさの中で、いつか諦めていた。何もかも、望んだものは手に入らないのだと。だからこそ、仕事だけに打ち込んできた。仕事は俺を裏切らないから。仕事は俺に文句を言ったりしないから。

 だけど……まゆちゃんがいれば。もうなにも怖いものはないんだ。

 

…**…***…**…


 月明かりの下、ルビー色の液体がグラスの中で踊る。こんな風にくるくる回して匂い立つ香りを味わうのも作法だと何かで教えられた。だけど……。ひとつ溜息をついて、俺は傍らのベッドを見た。

 すうすうと寝息を立てているのは、まゆちゃん。まさか、あれだけのワインで酔いつぶれるとは思わなかった。長旅で疲れていたのかな、それは分かるよ。でも期待してたんだよ、そうだろ? だってさ、一週間ぶりなんだし……その、いろいろ、我慢してたんだし。

「う……んっ……」

 小さく呟いて、寝返りを打って。もしかして、目が覚めたのかなとか、無駄な期待をしてしまう俺。ああ、情けない、こんなのってありかよ。だから、夕食は外で済ませようって言ったのに。まだスーパーが開いてるし簡単でもいいから作るとか言い出すんだもんな〜、余計な労力を使うからこんなことになるんだよ。俺のことだけ考えてくれれば良かったのに……。

 瞼を閉じたまゆちゃんというのも、やっぱり可愛い。何をしても可愛いんだから仕方ないんだけど、まつげ、長いよなあ。くるくるしてて思わず触れてみたくなるんだよな。寝付きが滅茶苦茶いいまゆちゃんの寝顔を眺めるのももう慣れたけど、……そうだな、たまにはコトが済んだ後の寝物語とか……うーん、そんなのも経験してみたいと思う。

 何か夢でも見てるのかな。一瞬、顔がゆがんで、それからまた安らかな表情に戻る。
 こんな風に見つめてると、どうしても思い出してしまう、初めての時のこと。あのとき、まゆちゃんは終わった後にいきなり泣き出したんだよなあ。あれには本当にびっくりした。

 

 ふたりできちんと合意の上での一泊旅行。いや、口に出して「しよう」とか言った訳じゃないけど、彼女だって大人だし、分かっていたと思う。話を切り出したときは硬直してたもんな……、その前の晩に自分から迫ったことなんて忘れきって。

「……ごめんね」

 そんな風に言って、またしくしくと泣くから。もう、どうしちゃったんだろうって、俺の方までうろたえてしまった。

 そりゃさ、彼女は初めてだったし、こっちはそれなりに場数を踏んだ経験者だし、だから出来るだけ落ち着いてリードしたつもりだった。途中からは夢中になりすぎて我を忘れたけど、……少なくても俺の方はやっとのことで思いを遂げて、満足この上ない気分だったのに。

「まゆちゃん? ……その、やっぱり、……嫌だった?」

 まあ今更なんと言っても申し開きのしようがないとは思う。やっちゃったものは仕方ない。諦めて貰わなければ。だけど……でも。どうしてなんだよ、こんな風に泣き出されちゃ、ショック大きいよ。男としてのプライドが崩れそうな俺を励ますように、まゆちゃんは小さく首を横に振ってくれた。

「……ううん、そんなこと。でも……その……」

 言葉が上手く繋がらないらしい。ほろほろと落ちていく涙を必死にぬぐって、彼女は申し訳なさそうに続けた。

「あの、ね。すごく……すごく、痛かったの。友達が話してくれたのとも、全然違うの。きっと、私って、変なのかも知れないよ。こんなに……痛かったら、きっと春さんも良くなかっただろうなって。ごめんなさい、嫌いにならないで……」

 俺は返す言葉も見つからないまま、腕の中で泣きじゃくる彼女の姿を見た。夢中になってしまって、まゆちゃんをしっかりと気遣えなかった自分が情けない。でも……どうしてなんだろう。こんな場面にあっても、彼女は俺のことばかり考えている。何があっても、俺が悪いとは思わないんだ。

「そんな……、まゆちゃん。大丈夫、……大丈夫だから。その、……俺の方こそ、ごめん」

 ちっちゃいまゆちゃん。服の上から抱きしめても、肩も腰もとにかく細くて、壊れそうだなといつも思ってた。そんな風に言うと「私が小さいんじゃなくて、春さんが大きいんだよ」って、唇を尖らす。でも腕の中にすっぽりと収まる存在がたまらなく愛おしいんだ。離したくないって、思う。嫌いになんて、どんなにお願いされても無理だ。

「好きだ、大好きだよ。……だからもう、泣かないで……」

 人を愛する気持ちを教えてくれる、ただひとりの存在。

 まゆちゃんと一緒にいつまでも幸せでいたいと、あのとき強く強く思った。その気持ちは半年以上過ぎた今でも変わらない。それどころか、もっともっと深く強くなっているみたいだ。人を想う心には底がない。俺はいつでもどんなときにもまゆちゃんの味方でありたいと思う。

 

 ――でもなあ、これはないだろ。おいおい、明日は朝から襲っちゃうぞ。冗談じゃなくて、こっちはギリギリ一杯なんだからな。

 そう思って、またすぐに考え直す。

 ああ、駄目だ。朝一番にそんなことをしたら、最後だ。一日中、ベッドから出られなくなってしまうこともあり得るぞ。それもそれで有意義な休日かも知れないけど、もっと他の方法を考えなくては。まゆちゃんがびっくりして、でもとても喜んでくれるみたいな。それから、俺のこの煩悩を違う方向に発散させるような……ええと、何がいいかな。

 頭の中に詰まった休日のための情報をいくつも引っ張り出す。まゆちゃんを喜ばせる方法なら、いくつもあるんだ。どんな風にしてもきっと嬉しそうな笑顔で応えてくれるとは思うけど……、その中でもとびきりのが見たいな。いろいろ想いを巡らせていたら、ようやく眠くなってきた。

 

 隣の男の物思いなど、全く知らずに夢の中のまゆちゃん。今夜は涙のあとなんてあるはずないふっくらした頬に、俺は内緒でキスをした。

 ――これから同じ夢を見るために。




…おわり…(050123)

 

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