TopNovel百年目の姫君*扉>海底編◇十一

  昼も夜も、絶えず自分の周りには世話役となる者たちが控えている。もちろん、その誰もが決して出過ぎた真似などはせずに努めて控えめに仕えてくれる。そうであっても、気を遣われていることがあからさまに感じ取れるぶん、たとえようのない居心地の悪さがあった。
  先ほどの馬上でのひとときのように、誰に邪魔されることなくひとりきりになりたい衝動に駆られることもある。だが、そうなれば次に襲ってくるのは狭い場所に押し込められるような孤独感であった。
  どちらにせよ、己の心が真に落ち着く場所などないのだ――そんな諦めにも似た気持ちが、いつか当たり前の日常に変わる。不平不満を口にすることすら、長いこと忘れていた。
  しかし、である。
  このたびのことで、今までにない不快感が生まれていることは確かであり、己の胸の内に生まれた感情を外に漏らさぬよう、この瞬間にも必死の努力を続けていた。
  遙か天上の地からこの大地を救う者がやってくると聞いたときには、我が耳をおおいに疑ったものである。複数の占い師から異口同音に語られる話に、華宴は首を傾げ続けていた。
  大地の怒りを民の苦しみを、そのすべてを拭い去る完全な方法など果たしてあるものなのだろうか。もしもそれが真実であるなら、今の今まで土地の知識人たちが誰ひとりとしてそれに気づかずにいたのもおかしな話だ。
  いやしかし、遠き地には自分たちの想像できないような偉大なる力があるやも知れぬ。このまま無駄に時間を過ごすくらいなら、万に一つの可能性にでもすがってみる価値はある。
  弱き気持ちを周囲に晒すことなど決してなかったが、限界まで達しようとしていた孤独感はいつかどこかに拠り所を求め始めていたのかも知れない。頼れる肉親もなく、不安を打ち明ける相手もない。自らを取り巻くすべてを取り除き、明るい場所へと導いてもらえるなら――
  はやる気持ちを抑えつつ待ち続けた新月の夜。ささやかな期待は、大きな絶望に変わった。
  そしてまた、不確かなものをひたすらに信じようとしていた自分をどうしようもないほど情けなく思った。
  救いの手など、どこにも存在しなかったではないか。あのような小娘に、この国の未来を託せるはずもない。
  華宴ひとりではない、今回のことを知るすべての者たちが少なからずの失望の念を抱いてこの事実を受け入れていた。だがやはり、皆はそのことを口にしようとはしない。せめて次の新月の夜まで、ささやかな夢を見ようとでも言うように。
  ――まったくもって、馬鹿げている。一刻も早く、この状況に幕引きをしてしまえればいいのに。
  しかし、それもできなかった。
  わずかばかりの「希望」でも、あるとないとでは皆の心向きが変わっていく。それもまた事実なのだ。

 各地域から都に上がる客人を迎え入れるのは「西所」と呼ばれるこことは別の対であった。だが、このたび「天上からの使者」のために用意されたのは、華宴が住まう対の一角である。
  もちろん、次期の竜王となる者が住まうこの場所には大小様々な多くの部屋があった。正妃の他に多くの側女を娶っていたかつての名残なのだろうか。そのほとんどは未だに空室のまま、誰かが足を踏み入れることもあまりないままになっていた。
  表庭に面したその部屋も、長い間手を入れられることもなく持てあまされていた空間のひとつである。
  その場所は表からも裏からも出入りのしやすい構造となっており、招かれざる客を監視するのにも最適であった。人目の届かぬ場所でとんでもない真似をされてはたまらないという危惧もどこかにあったのだろう。
「天上からの使者」――それはいったい、どんな姿形をしているのだろうか。異なる地への「扉」が封印されてから早八十年あまり、誰ひとりとしてその存在を目にした者はない。
  天の輝きの如く、まばゆい光を放っているのだろうか。または、鬼のように恐ろしい体躯で地を這うような言葉を口にするのだろうか。憶測が憶測を呼び、しばらくの間はその情報を耳した者皆が落ち着かない心地で過ごしていた。
  三度の食事を請け負う「御台所」もその例外ではない。担当の者たちは国中の食材を集め、吟味に吟味を重ねてきた。もしも「天上からの使者」が気分を損ねるようなことがあれば、この国の行く末も絶望的なものとなる。竜王の館の者たちは、極度の緊張を強いられていた。
  とはいえ、それでも「待つ」時間は、今このときよりは心安らかであったように思う。
「――変わりはないか」
  娘は窓際に置かれた椅子に腰掛けていた。背もたれをこちらに向けて、夜の庭を眺めていたのだろうか。もしかしたら眠っているのではと思ったが、とりあえず戸口のあたりから声を掛けてみた。
「……あ……」
  振り向いたその顔は、不自然なほどに青ざめている。瞳の色の輝きも、今までに見た中で一番弱々しかった。やはり体調があまり良くないのだろうか、いつもはその細い身体を覆っている覇気も感じ取れない。
「どうした、食事も満足に摂っていないそうではないか」
  事実をそのまま述べたつもりが、やはりどこか非難めいた響きになってしまったようだ。娘は少しばかり眉をひそめたが、相変わらず押し黙ったままである。
「鈴から薬湯を預かってきた、これを飲んで早く休め」
  天上に住んでいたはずのこの者は、拍子外れなほどに自分たちと変わらない姿をしていた。
  耳のかたちだけが異なっているが、その他は手も足もどこぞ違いを見いだせない。肌の色は淡く、髪も頼りなげな色味をしている。西南と西の民の混血ならあるいはこのような姿になることもあるだろうかと、各集落の民たちの姿をぼんやりと思い浮かべていた。
  ――こんな小娘に、この国を救う力など宿っているはずもないじゃないか。
  確かに、美しい娘ではある。髪はこの地の女子と比べると不格好なほどに短いが、そうであってもこの者からは天女の如き気品が感じられるのだ。それは言葉でどうこう説明するものではなく、肌を通して伝わってくる不思議な感覚であった。

「開かずの扉」――誰もがそう呼び畏れ奉ってきた封印がその瞬間だけ音もなく解け、この地の名だたる占者たちが異口同音に予言したその刻限ちょうどにこの娘は「落ちて」きた。
  意識は途切れ、その両の瞼は硬く閉じられている。生きているのか死んでいるのか、それすらも定かではないのに、その身に触れることはおろか、なにか言葉を発することも臆してしまうような神々しさがそこにはあった。
「――華宴様」
  こめかみのあたりに感じる鈍い痛みに耐えていると、背後から我が名を呼ぶ声がした。振り向いてみるまでもない、この東の祠に住まう守人のものである。
「この御方こそ、果てゆく大地をお救い下さる天からの使者。間違いございません」
「……え?」
  真面目な顔をして冗談を言うような男ではないことは、重々承知していたはずだ。それでも、つい聞き返していた。
「まさか……そのような」
「いえ、相違ございません。――さあ、御館へとお連れ申し上げましょう」
  あらかじめ準備されていた輿に乗せられ、娘はあらかじめ準備されていた一室へと運ばれていった。だが華宴はすぐにその行列を追うことが出来ず、しばらくその場所に立ちつくしたままでいた。
  ふと気づいて確かめれば、扉は元のとおりに固く閉ざされ、いくら押しても引いてもびくともしなかった。

「……ごめん、なさい」
  回想は、震える声に遮られた。見ると、娘の口元が微かに震えている。誰かに紅をさしてもらったのだろうか、青白い肌の上でそこだけが花色に染まっていた。
「なんだか力が抜けちゃったみたいで……別にわざと食べなかったわけじゃないんだけど」
  こちらの問いかけを強い非難と感じ取ったのだろうか。彼女は首を横に振って、必死に自分の意思を伝えようとする。
「そうか、それなら早く横になった方がいい。夜の気に当たっていれば、なお体力が吸い取られてしまうだろう」
  いつものように強く言い返してこないのが、なんとも扱いに困る。きつい言葉を投げかけられれば、すぐさま立ち向かうことができるのに。
「でも……横になっても気分がなお悪くなるだけで」
  ――このようにやつれて、約束の日まで生き長らえることができるのだろうか。
  古よりの言い伝えでは、天上の民は海底では呼吸をすることができず、あっという間に命を落としてしまうと聞いている。結界が張られているこの地でも、それは例外ではないだろう。姿形は似ているといっても、やはり根本的なところで天上と海底の人間は身体の構造が違っているのだ。
  それは、天上に上がった海底の民にも言えることで、乾きすぎた気に瞬く間に身体をやられてしまうらしい。そのときの辛さを想像すれば、今目の前にいるこの者の苦悩も容易に察することができた。
「ならば、この薬湯を――」
「……待って」
  娘はまた、弱々しく首を横に振る。
「今は無理、飲み込もうとしてもすべて吐いてしまうの」
「だが、このままでは……」
  華宴は娘に衣を翻して娘に駆け寄ると、その肩に軽く触れた。衣の上からでもわかるほど、身体が冷え切っている。
「い、いいの。これ以上は……やめて」
「なにを――」
  強情を言っている暇はないだろう、そう続けるつもりだった。だが、それよりも前に娘の手が華宴の衣の袖をそっと掴む。
「しばらく……こうしていて。よくわからないけど、すごく楽になるの……」
  その言葉どおり、みるみるうちに荒い呼吸が穏やかなものへと変化していった。

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