『月夜の言の葉』
「絶対……! 何かお隠しになっていらっしゃいます!」 まるで鬼の首を取ったように。 多奈(たな)はそう言うといつもより乱暴に重ねを畳んだ。それに触れることも手入れすることもお役目でなければまっぴらだと言わんばかり。それもそうだ、彼女の手元にあるのは「宿敵」亜樹(アジュ)の衣なのだから。 「……静かにしてちょうだい。その話、もう何回聞いたかしら……」 多奈は「北の集落」の民特有の細く艶やかな黒髪を背中の真ん中でくくり、細くて切れ長の眼にすうっと伸びた鼻筋。柿の葉色の衣をまとっている。黒に近い藍色の長袴はこの地の侍女の装束で今が晩秋であることを告げていた。浅黄色の夏の袴を一同が改めると、瞬く間に館内は黒っぽく冬めいてくる。 対して肘当て付きの椅子にゆっくりと腰掛けているのが、彼女の女主人である沙羅。 薄茶色の髪を床に長く流して、その艶やかな輝きは光の加減で金色に光る。何者も汚すことの出来ない永遠の白の肌。ほんのり色づいた天然の薄紅の頬。きれいな色の紅。 ピンクに近い葡萄茶色の長袴は王族の女性しか身に付けられない色であったし、彼女がまとっている何枚も肩から掛けられた重ねも先の多奈のそれとは見るからに違う。艶々と光沢のある紅葉色の重ねは袖にも裾にもたくさんの銀杏葉が舞っている。それはひとつひとつが丹念に熟練の腕で施された刺し文様。それが緩やかに衣が動くたびに本当に散っているかのように見事だ。下に重ねた衣も緑や黄やオレンジを秋色に合わせてある。 その衣を選び、着衣の手伝いをした多奈ですら、時々見惚れてしまうほどの装束だ。母がこの姫君の乳母であったため乳母の子として幼き頃より、竜王の館に住まっていた。姉妹のように一緒に読み書きを習い、刺し物を身に付けても、多奈は侍女である我が身を衣をして思い知ることが出来た。
「……今日は少し、頭が痛むの。ゆっくりさせてちょうだい」 刺し物は早くも春装束だ。時間が膨大にかかる作業のため、季節に合わない物を仕上げることになる。明るい若草色のまだら染め。細く長い草をたくさん刺していく。見るからに男物。そうである、彼女は夫である人のために初めて春の衣を仕立てていたのだ。 「まあ、それはいけませんわ!」 「お待ちくださいませ、薬師を呼んで参りましょう……横になられた方が宜しいですか?」 「いいわ、そんな大層にしなくても」 「姫様……」 「……それより、そろそろ殿がお戻りでしょう? 辺りを片づけて、お迎えの準備をしてちょうだい。もう外も風が冷たいわ、差し上げるのは暖かい飲み物が宜しいのではないかしら?」 殿、と言う響きに多奈の眉がつり上がった。だが、それも一瞬のことですぐに侍女としての顔に戻る。 「……では香茶をご用意して参りましょう」 「あ、それから」 「多奈、あまりきびきびと身体を動かしすぎると良くないわ。休み休みにしてちょうだいね」 「……御心配は無用ですわ。姫様もご懐妊なされば分かります。動いた方がかえって気が紛れますの」 「……そう」 「……ここだけの話、本当に亜樹様は――だって、おかしいじゃないですか。あまたの側女にも御子がなかったし、このままお世継ぎがなかったらどうなさるんです?」 「変なこと、言わないでちょうだい、まだ半年でしょう?」 沙羅は呆れ声で言い捨てた。しかし、多奈の方はこれくらいのことで引き下がるはずもない。 「半年たてば、こんなに育つものもあるんです」 そう言っておなかをぽんと叩く。……何しろ、同じ時期に祝言を挙げた者同志だ。春を待たずに赤子が誕生するという。
「生憎だが。うちの姫君はその辺の犬ころとは違いましてね、一緒にしないで欲しいな……」 「あら、お帰りなさいませ……ご予定より早くお着きになったのですね」 「……長旅、お疲れ様でございました、殿」 さすがに生まれ落ちての姫君。その立ち振る舞いの優美さは海底国で右に出る者はいないのではないかと思う。大河の流れの如く辺りに落ちた髪。 「ただいま」 「唐菓子を頂いてきたんだ。多奈、お茶を持ってきてくれよ」 「はい……」
「……相変わらずねえ、あなた方は」 この挨拶、跪くまではいいのだが、その後、衣が重くて一人ではなかなか立ち上がれないのだ。衣の軽い侍女ならいざ知らず、沙羅のように王族の正装をしていては。動きによって現れた微かな気の流れに、沙羅の豊かな髪がふんわりと舞い上がる。しなやかにまっすぐでありながら触れると柔らかい。 困った人達だわ、とふくれる頬にそっと手を添える。くすぐったそうに眼を細めて、それからこちらの首にそっと細い腕を回してくる。唇を確かめるために抱きしめると、彼女の身体全体から匂い立つ舞夕花香の優しい香り。 「……沙羅」 「ちょっと! ……止めて、亜樹!」 亜樹は身をかがめて、耳打ちした。 「……ね、終わった? 月のもの」
………
まどろみの中から、自分の意識をずるずると引き出す。 亜樹はどうにか瞼を開けると、傍らに寄り添うぬくもりを見つめた。自分の腕にまで移る舞夕花香……この土地の人々は位が高くなるに従って髪が長くなる傾向にある。沙羅も身丈よりも余程長い。いつもは垂らしているのだが、休むときは邪魔だし、起きたときに絡まっていては始末に悪い。そのため途中で結って枕元に置く箱に収めるようにしてある。 沙羅はよく寝ていた。起こさないように注意して、腕枕を外す。う……ん、と軽く身じろぎしたが、瞳は開かなかった。もう一度、抱き寄せて額に口づける。 亜樹は上体を起こすと、申し訳程度に羽織っていただけだった肌着と小袖(下着)をきちんと前で合わせて細帯で留めてから、床に脱ぎ捨ててあった長袴を身に付ける。亜樹は男子の王族の色である濃紺のほとんど黒に近い袴の色だ。遠目に見ると侍女の物と変わらなく感じるが、光沢が全く違う。裾にも同色で刺し文様を施してある。
いつもなら着衣の手伝いは妃である沙羅が直々に行う。彼女自身は多奈に着付けて貰うのに、人の着付けをするというのが面白い。もっとも亜樹のお付きは多矢という男であるから、みだりに寝所に入れることは出来ない。そうなると侍女が行うことになるのだが、沙羅付きの侍女・多奈と亜樹はあの通り犬猿の仲だ。着替えの最中に刺されてはしゃれにならない。あの多奈なら、やりかねないと思う。
竜王の館の南の庭は月の明かりに満ちていた。遥か遠くの水面から注ぎ込んでくる光。無数の帯になって地に降りてくる。その中に亜樹はそっと歩み出た。傍らに小さな包みを抱えて。
………
朝餉が下げられ、いつものように亜樹が東所の竜王の間にお務めに出掛けると。それを待ちかまえていたように多奈が口火を切った。 「なあに……、多奈?」 多奈は辺りをきょろきょろ見回して確認してから女主人のごく近くに寄って、耳元に囁いた。 「……亜樹様、昨晩もお出掛けになられたのですって?」 「多奈……」 「あなたは……まさか、お庭で自ら見張っていたのではないでしょうね? どうしてこう毎晩、ちゃんと殿の行動を把握しているの?」 「当然の、ことです!」 「昨日の夜の南所のお庭番は私の縁続きの者です! 彼が教えてくれました、このお屋敷内には私の知り合いはたくさんいますから」 「もう……お庭番はちゃんと秘密を守らなくちゃ。お役目失格だわ」
そんな彼女ではあるが。 この侍女が本当に自分の身を案じてくれているんだということは承知している。多奈には時として行き過ぎなくらい、主人を想う心が強い。沙羅のそばに仕えるために夫となる者も館の使用人である人物を選んだ。そして沙羅と同じ時期に祝言を挙げ、子供もすぐに身籠もって、次は乳母の地位を得たいという。 有り難い、とは思っている。 沙羅は言葉を切って、刺しものを再開した。
沙羅の夫である亜樹――幼なじみであり、次期竜王としてその力量も十分に備わっているなかなかの人物だ。沙羅は現竜王・華繻那のただ一人の御子として生を受けたが、女人であることもあり、また母親が「陸」の住人であったことからあまり例のない「女竜王」の器ではないとされた。そして王族ととても親密に交流している「西南の集落」より、華繻那の実の姉の子である亜樹が送り込まれたのだ。 時が満ちて……多少の混乱はあったにせよ、晴れて沙羅は彼の正妃となった。 東所と南所に離れて暮らした歳月……5年の長い月日を埋めていくこの半年。夢のように幸せであったし、十分に満足している。彼の側に寄り添って親しく語らう自分を実感するだけで、本当に信じられないほど心は満たされていくものなのだ。
その夫が――最近、夜な夜な外出しているのだ。それには実は沙羅も気付いていた。 向こうは沙羅が気付いているとは思っていないだろう。彼なりに細心の注意を払っているつもりらしいから。でも傍らで自分を抱いていた腕が解かれれば、嫌でも分かってしまう。もともとが穏やかな、深窓の姫君らしいおっとりした性格の沙羅だ。どうしたのかな、とは思っても面と向かって問いつめたりはしなかった。
「絶対に! どこかに女を囲っていらっしゃるんです!」 歯に衣を着せずに多奈は言い放つ。それにも沙羅は辟易していた。何度も何度もこう繰り返されては、気にしないようにしても無理というものである。
心中は穏やかではない。 しかし、このように騒ぎ立てるのもどうかと思う。身分のそれなりに高いこの地の殿方は正妻の他に何人もの側女を抱えるのが通例なのだ。 だが、それは例外中の例外である。沙羅は当然のことながら承知していた。 それに――。
これは、沙羅にしか分からないこと。多奈にすら話さないこと。……彼女には確信があったのだ。 閨の睦みごと。落とされていく彼の唇に、自分の肌を這う手のひら。抱かれたときの腕の強さ……甘く自分の名を呼ぶ声。月のものでもない限りは、ほとんど毎晩それが繰り返されている。自分が愛されているのだと言うことは何より自分の身体が一番良く知っていた。 亜樹はそれほど器用な人間ではないと思う。心をよそに向けながら、自分を愛することなんて出来るはずがない。事実、沙羅が妃になる前にはここ南所には「西南の集落」から送り込まれた何人もの側女がいた。しかし彼女たちはみんな里に戻された。お世継ぎである御子もいなかった。側女がいることで沙羅が傷つくのも嫌だったんだろうが……普通の高貴な殿方のように何人もの女人を愛することは出来ない、そう言うこだわりが亜樹にはあるようだった。
それならば――どこに? 何のために出掛けていくのだろう?
確かに不思議と言えば不思議である。何しろ毎夜のことだ。それももう半月以上、続いている。今回、「離の集落」へのお務めで3日留守にしたが……戻った当日の夜にはこうして再開された。
「……姫様!!」 あまりにおっとりと構える沙羅にしびれを切らしたのだろう、多奈が再び言葉をかけた。しかし、彼女はそれには乗らず、自分の話を続けた。 「今日はね。お昼を頂いたら、東の祠まで行って来ようと思うの。昨日の唐菓子をおばば様にお分けしたいわ。そのように御支度をしてくれるかしら?」
………
この場所の風景は変わることはない。濃い青緑色の結界の果ての色を眼に焼き付けながら、石を高く積み上げて作られた双の高い塔を抜けて、横穴の洞穴に手を加えて作られた祠へと入っていく。その中はいつも通りに薬草を煮る香りが立ちこめ、薄暗く天井の低い屋内は草木染めの柔らかな色合いに満ちていた。 「お一人で来なさったのかい? 高貴なお方がこのようにお供も連れないで……本当にあなた様は、気軽すぎますよ」 「……ご無沙汰しておりました、おばば様」 沙羅のゆったりとした微笑みを、おばばはまぶしそうに視線でなぞる。それから満足そうにため息を付くと、言葉を続けた。 「で、今日のご用は何かえ?」 その言葉を待ち望んでいたように。沙羅はもう一度、ふうわりと微笑んだ。それからゆっくりと、でもはっきりした口調でこう言った。 「……殿方の。お心を惑わす媚薬をお願いしたいの」 意味深な瞳の色。 おばばは一瞬、何のことか分からない様子だったが、ややあって、承知したようににっこりと笑い返した。
………
またいつもと同じように、しばしのまどろみの後、亜樹は寝所を後にした。 今夜は手には何も持っていない。足早に庭に出ると右手の細道を並木伝いに歩く。カサカサと晩秋の枯れ草を踏みしめる音が妙に大きく響く気がして慌てた。 ……静かに、静かに。 自分に何度も言い聞かせながら、歩みを進める。 いけない、いけない。 ためらいの心を追い出すようにかぶりを振ると、亜樹は西の通用門に手を掛けた。この先は広々とした平原が続く。丈の低い草がさわさわと揺れ、遙か向こうに山脈が見えた。それも闇の気の中でその形をぼうっと霞ませている。亜樹の赤髪が気の流れに後ろにたなびく。思い切って木戸を開く……と。 後ろから、軽やかな笑い声がした。 「え……?」 「……今日はとみに夜の気が身にしみますでしょう? そんな薄衣ではいけませんよ、上掛けをお持ちいたしました」 肩から茜色の上掛けを掛けて。白い寝着に長袴をそのまま身に付けて。気にたなびく薄茶の長い髪。辺りを漂いながら揺らめく。その手には藍色の衣を持っていた。 「どうして……沙羅」 目の前の人が小首を傾げて、微笑む。そのまま前にすすっと進み出て、ふわりと衣を掛けてくれた。 「ほら、……御手もこんなに冷たくなられて」 亜樹の口からひとことの言葉も出ない。でも我が手に妻のぬくもりを感じたとき、観念したように長いため息を付いて俯いた。 「――いつから、気付いてたの?」 ぽつりと呟いたひとことが気の流れに乗り、辺りを漂う。 「亜樹が考えそうなことは、大体見当が付くの。だって、西筋の離れ祠まで行くつもりだったのでしょう?」 「え……?」 「忘れたの? 祠の言い伝えは、おばば様から一緒に聞いたのよ。もうずっと昔のことだけど。まさか亜樹があんなこと覚えていたとは思わなかったわ」 その姿を表情を拗ねた色の瞳がなぞる。 「ひどいよ、笑うなんて。沙羅には俺の気持ちなんて、分からないから」 「俺が、この半年の間……どんなに苦しんできたか、知らないだろう? 全く、笑い事じゃないんだからな」 うなだれたその肩に白い手がそっと添えられた。ふわりと舞夕花香が鼻をつく。それは優しい人の存在を知らしめる。 「『北の集落』の連中がどんなふうに言っているか、知ってるだろう? 御子が出来ないのは俺のせいだって、今までの側女にも出来なかったからそうに違いないって。俺、今に館を追い出されるかも知れない……」 「……まあ、嫌だわ」 「素晴らしい素質を持った次期竜王様が何てこと言うの。大体、御子が出来なくて、西筋の離れ祠へ行ったのって正妃様のお話だったでしょう? どうして男の亜樹が行くの?」 「だって……俺の方が、言うなれば入り婿みたいなものだし。もう神懸かりでも、何でも良かったんだ。本当に月が満ちてまた新月に戻るまで通い詰めれば……」 しんしんと注ぎ込む月光の帯。ぼうっと浮かび上がる2つの影。葉を落とした並木の影が傾いて落ちてくる。 「亜樹?」 「……本当に。もしもそんなことが理由で、亜樹が御館を追われるのだったら、その時は私も付いていくから安心して」 「え? だって……」 「決まっているでしょう? 竜王様候補はいくらでも換えを用立てられるかも知れない。でも、亜樹は一人しかいないの。私は次期竜王様の妃なんじゃないのよ……? 他の誰でもない、あなたと一緒にいたいんだから」 「沙羅ぁ……」 「わ、ちょっと待って……!」 「沙羅って……本当に、最高だな」 亜樹の胸元からは合わせ香の香り。柔らかくしっとりとまとわりついてくる。自分が合わせた香だったが、沙羅はこの香がとても好きだった。 「今頃、気付いたの? ……失礼な人ね!」
まだまだ2人が東所で一緒に暮らしていた幼い頃。東の祠でおばばに聞いたことがあった。 何代か前の竜王様の世に。なかなかお世継ぎに恵まれないことがあった。正妃様には御子がなく、他の側女にも女子しか恵まれない。とうとう思いあまった正妃様は「願掛け」をする事にしたという。 新月の夜から、次の新月の夜まで。供も連れず、夜道を西の果て、「西筋の離れ祠」まで毎夜通った。とうとう最後の夜に戻りがけ、力尽きて倒れてしまうが、正妃の不在に気付いた竜王が庭先に出られて、それを見つけられた。寝所に運ばれて薬師の診断を受けた正妃様は奇跡的に、とでも言うようにご懐妊なさっており、無事、お世継ぎをお産みになられた。
――と、幼心に聞いた話だったのでうろ覚えだ。ただ、一人で暗い夜道を歩くのは怖いし、嫌だなあ……そんなにお世継ぎが必要なのだろうかと思ったことだけ覚えている。
カサカサと枯れた野を歩きながら。 せっかく、ここまで来たのだし、目も冴えたのでここは亜樹の予定通りに祠まで夜の散歩に行こうと言う話になった。また供も付けずに夜歩きしたことがばれれば、皆に叱られる事になるのだが。 「いいじゃないの。お世継ぎがなかったら、亜樹の時みたいにまたどこかの集落から素質のある人材を頂いて、あなたがお育てすれば。簡単な事じゃないの」 沙羅は心からそう思っていた。しかし、亜樹はむくれて睨み返す。 「そう言う問題じゃないだろ? 俺は沙羅の子が欲しいの。ああ、志半ばで……」 「だから、言ったでしょう。最初から気付いていたんだから。そんなに出ていくのが気付かれたくないのなら、寝所を分けます? 何しろ南所にはたくさん部屋があるのだし」 「やだ」 「俺、沙羅が一緒じゃないと眠れないもん」 子供のような台詞だが、傍らを歩く沙羅はぽーっと赤くなった。ふるふるっと頭を左右に振る。それからふと立ち止まった。 「……ね、ところで」 先を歩いていた亜樹も足を止めて振り返る。 「何?」 「昨日、何か包みを持っていたでしょう……? あれは何なの?」 亜樹が小脇に抱えていた包みを寝台の上からしっかり見ていた。濃い緑の包み。 「……え。教えなくちゃ、駄目?」 「うん」 躊躇する顔に畳みかける。しばらく押し黙っていたが、観念した様子で言った。 「祠の中、開けてみて。入っているから」
………
「何って、見たとおりのものだよ?」 「そりゃ、そうだけれど……」
カサカサと小さな包みを手にしたとき、中身が衣であることが容易に見当が付いた。しかし、普通の衣にしてはあまりに軽い。半分、いや袖ひとつ分ほどの重みしかない。
「出先でつい、目に留まって……桜染めだよ。特別きれいな色が出る樹なんだけど、毎年これだけの糸を染めるだけの染料しか取れないんだって。沙羅には子供っぽすぎるし、量も足りないけど」 その声を聞きながら、元のように包み直す。そのまま、すっと後ろを向いた。 「さ、これ以上長居をしては明日の御公務に差し支えるわ。これで、戻りましょう……?」 「あ……おい、待てよ!?」 「それ、持っていくのやめろよ、多奈にでも見つけられたら、どうなることか。……俺の身にもなってくれよ!」 「あら、……宜しいではございませんか?」 「うるさい者たちを気にしていても始まりません。何とでも言わせておきましょう、それに……」 「明日からでも、早速、こちらの仕立てに入らなくてはね……」
「……え……?」 ややあって。ようやく亜樹は半開きの口元から声を漏らした。そして去っていく背中に視線を移す。 「お……おい? ……沙羅!? ちょっと待てよ!!」 慌てふためいて、駆け寄る。衣が後ろに流れる。大股でがばがばと土を蹴る。優雅に歩いていた沙羅は、傍らに亜樹がやってきても振り返りもせず歩いていく。 「沙羅」 「昼間、おばば様の所へ行って参りました」 「薬師だと、2月ぐらいたたないと分からないのですが…おばば様ならすぐにお分かりになるんですって」 「だって……、お前、ついこの間……」 「このところ、ずっと体調は優れなかったのよ。でもあまり騒ぎ立てるのもいけないと思って。皆にも悟られないよう、そう言うことにしたの。多奈だって気付いていないのよ、凄いでしょう? ……やっぱり、亜樹に一番先にお知らせしたかったし」 そう言いつつ、開かれる瞳。少し潤んで、戸惑いがちにこちらを見る。濃い紫のきれいな色。
亜樹は自分の口元を覆った。唇が震えて言葉が出ない。視界がぼんやりと揺らぐ。
自分の頬にすっと添えられる白くて長い指。頬の震えに同調して小刻みに揺れる。 慌てて目をこすって、視界を正す。愛しい人の笑顔が月の灯りでほんのりと金色に輝いていた。その周りで踊る光の帯、髪の帯。勢いよく腕の中に引き寄せるとふわっと髪が揺らめいて辺りに流れる。 「あのね、私……亜樹と一緒で幸せだなあと思ってたの。でも……今日、おばば様の言葉を聞いたとき……もっともっと幸せな気がしたのよ」
心ごと、身体ごと、想いごと、……全てを絡み取って抱きしめる。
きし、とかすかな音がして…二人の間で春を包んだ小さな夢がきしんだ。
fin(020219・050316改稿) ◇あとがき◇ |
Novel Index>秘色の語り夢・扉>月夜の言の葉
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