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秘色の語り夢…沙羅の章・番外編 

…kei様、40000hitのキリ番リクエストありがとうございました…

 

 クリスマスなんて、ヒトゴトだと思っていた。街中が華やかに湧いていても不思議なくらい冷めていた。

 子供の頃からそんな感じで、だから私の所にはサンタクロースも来たことがない。それどころか両親が気を利かせて「欲しいものはないのか」と訊ねてくれても、何も思いつかないと言うつまらない娘だった。

 

***


「あ、俺も。そんな感じだったかも…」

 ふすまの向こうはそのまま住居になっているささやかな診療所。しゅんしゅんと音を立てるやかん。昔ながらの石油ストーブで温められた湯気の向こうで、湊君がくすりと笑った。

「そうだよね、年末って言ったら、なんだか怪我人や病人が増えてさ。いつでも病院は満杯で、時間も延長して…」
 手を休めないままで、話を続ける。

 私の実家は町医者だから、忙しかった。整形外科の看板を掲げていてもその隅に申し訳程度にかかれた「内科」の方に患者は集まる。寒さで体調を崩す人もあり、予防接種を受ける人もあり、来てくれる患者さんを拒むわけにもいかないから、両親は忙しいばかりだった。父親が医師で、母親が看護婦。家族経営だった。

 湊君の家もおじいさんの代から続いているこの診療所だ。浜辺の小さな町で、往診も多い。今の時期は昔から忙しかったはずだ。私も大きな鞄を持って集落を回るようになってその大変さが身にしみる。

 もっともこのごろでは自転車を使って往診することは禁止されてしまったけど。

「うん、…それもあるけどね。父親と二人じゃ、ケーキつついてもうまくないしさ」

 あっさりとそう言われてしまって。もうちょっとで聞き逃しそうになった。思わず手を止めて顔を上げると、もう湊君は仕事に戻っていた。机の上に書類だの資料など並べてる。

 お医者さんは診察だけしてればいいと思われるけど、そう言うわけでもない。大病院で、事務処理をする人がいて仕事が役割分担されていれば話は別だけど。うちみたいな小さな診療所では、何から何まで自分たちでこなさなければならない。春先には税金の申告もある。昨年度の分は湊君が全部やってくれたけど、来年は私も教えてもらわないといけないだろうな。

 湊君のお母さんは別の男の人と出て行ってしまったって。その人と再び会えないままに亡き人になってしまって。それが彼のトラウマみたいになっていたのを知っている。ちょっと思慮の足りない話題だったかなと心の中で反省した。

 ガラス窓が曇っていて外がよく見えない。もう夕暮れだ。12月のはじめ。今日は一日どんよりとした天気だった。だから昼間でも診察室にはストーブがついていた。もうすぐ灯油を頼まなくちゃならないかな…くもったガラスに流れる水滴を見ながら、ふとそんなことを考えた。

 

「…なんかさあ」
 がたん、と立ち上がる音がして。それから、背中に話しかけられた。

「うん?」
 くるりと振り返ってびっくりする。だって、いつのまにか。ぶつかるくらいすぐそばに湊君がいるんだもの。そのままふんわりと彼の腕が背中に回って抱きすくめられる。

「興味も関心もないって言う割には、力一杯の飾り付けだよな…」
 ふうっと湊君の息が髪にかかる。微かに揺れてこそばゆい。あったかくて、気持ちいい。こうやって当たり前みたいに寄り添える日が来るなんて。未だに半分信じられないでいる。

「あんっ、湊君っ! …まだ診療時間内だから…」
 もう、どうしてこんなに見境ないの? はっと我に返って身じろぎする。自分を包み込んだ腕がほどけないのは知っているのに。

「大丈夫、ツリーの陰だから。入り口からは死角だよ?」
 右腕が背中から外れて、すっと私の頬を手のひらが包み込む。少し上向くと、心配そうな表情が見えた。

「顔色は…悪くないみたいだね。本当に無理は駄目だからね、全く…」

「…ごめんなさい」
 まっすぐな視線から少し目をそらして、小さく謝った。

 今日はこの樹を届けてもらった。山を越えた向こうのおうちの裏山にあった樹がちょうど診療所にぴったりだったから、頼んでおいたのだ。軽トラックに乗せられてきたそれは手狭な診療室をますます狭くしたが、それでも嬉しくて仕方なかった。
 そのまま、診療所に鍵をかけて、駅前の商店街まで買い物に出かけてしまったのだ。もちろん、移動手段は徒歩しかない。湊君は今日は町の病院の診察日。3時の午後診療までに戻らなくちゃとちょっと急いで走ってしまった。妊娠が分かってから、自転車は禁止だし、でもどうしても今日中にツリーを完成させたかったし。
 大きな買い物袋を抱えて、やっとここまで辿り着いたら、くらくらっと目眩を起こしてしまった。戸口で診療を待っていてくれた患者さんの通報(?)で、湊君は病院の勤務を早引けして戻ってきてくれたのだ。バイクを飛ばして。

「ああ、やっぱり。車を買わなくちゃ駄目だろうな。今まではひとりだったから、バイクでどうにかしたけど、家族も増えるんだし…」
 浜辺にほど近い丘。最寄りの駅までだいぶかかる。バスの本数も少ないし、タクシーもない。買い物は町の病院に行ったついでに湊君がしてくれる。

「渚、少し横になった方がいい。夕食は俺がどうにかするから、休みなさい」
 おでこをこつんとあわせて。あくまでもお医者さんの口調で湊君は言う。

「…また、作ってくれるの?」

 一緒に暮らすようになって、数ヶ月。その間に気付いたことはたくさんあるが、その中でも湊君が実は私よりも料理が上手かった事実はショックだった。つわりで苦しかった時期も、喉を通りやすい料理を工夫して作ってくれた。お互いに医療に携わる夫婦であることは確かだが、今では7割方、台所は湊君の担当になってしまっている。

 私だって。作れないわけではないんだけど…っ。

「それ、飾るの?」
 湊君が箱に入ったままの豆電球がつながった奴を指さす。これはちょっと奮発したから高かった。ライトがお花のかたちになっているのだ。

 この辺は過疎地で、お店屋さんらしいお店もぽつんぽつんしかない。そのほとんどは若い人の出払った家。店番はおじいさんやおばあさんだ。クリスマスのイルミネーションなんてどこにもない。
 だから診療所にツリーを飾ろうと思った。湊君と私の最初のクリスマス。あ、確かに去年も一昨年もずーっとクリスマスは一緒にいた。でもそれはあくまでも「友達」としての距離で。こんな風にふたりで迎えるのは今年が初めてだったから。もう思い切り、クリスマスがしたかった。…あ、厳密にはおなかの赤ちゃんがいるから3人だけど。

 湊君の方が私よりいくらか長身なので、高い枝まで器用にライトを回してくれる。あ、延長コードがないと電源が取れないか。失敗したわ、買ってこなかった。

 それでも色とりどりの電球を飾ると、一段とツリーが綺麗にそれっぽく見えた。手当たり次第にいろいろなオーナメントを買ったので、思い切り飾って木の枝が折れそうになっている。手芸用の綿もたくさん置いたので、ベースの緑色がほとんど見えない。

「クリスマス・イヴには…」
 湊君もまぶしそうに見上げる。隣に寄り添う私の肩に手を置いて、耳元にささやく。

「渚の食べたがっていたビーフのシチューを作ろう。きちんとすね肉を買ってきて、たくさん煮込んで」

「え? ほんと?」
 湊君は白いクリームのシチューが好きだ。外で食事をするときは別だが、家ではいつもそればかりだった。

「実はね…」
 なんだか楽しそうに続ける。

「もう渚のプレゼントは考えてあるんだ。欲しがっていたでしょう、4層構造のステンレスの鍋。ちょっと高いけど奮発した」

 …はあ。言葉が返せない。一生懸命貯金していた。車も買いたいし、それにこの診療所だって改築したいし。だから湊君が自由になるお金なんてないはずだ。私の欲しかったお鍋は2の右にゼロが4個も並んでいる。クリスマスなんて、どうでもいいとか言っていた人が。やっぱり考えていてくれたんだ。

「あ、じゃあ。私もっ!」
 内緒にしておこうかと思ったけど。湊君が種明かしをするなら、私も言っちゃえっ!

「御園のおばさんが、蒸し器で作れるケーキを教えて下さるんだって。イヴの日に午後から作りましょうって。湊君が食べきれないくらい大きなのを作ってくるわ」
 実は甘党な湊君。生クリームのケーキは特に好きだ。きっと喜んでくれる。新鮮な材料を使って、一生懸命作ろう。お菓子は分量を間違えなければ失敗しないので、結構得意なのだ。

「へえ、楽しみだな…」
 湊君の腕が首に回る。そのまま引き寄せられて、そっと口づけられて。

「じゃあ、いいね。これから、休んで体力を回復させておいて。…夜、楽しみにしてるから…」

「え? …やあっ、何言ってるのっ!?」
 いきなり発言に頬が熱くなる。湊君は首筋にも唇を落とすと、くすくすと笑う。柔らかい髪が頬に当たって、私の肩がぴくぴくっと揺れた。

「…でもさ」

 ふと考える。それでいいのかも知れないけど、それでいいのかと。

「何?」
 湊君の手がまだすりすりと顎の下をなでる。ああ、くすぐったいよぉ…でも、半分は嬉しいからやめてって言えない。

「お鍋とケーキのプレゼントって、ちょっと変じゃない?」
 かたちに残らないものを贈るのは後腐れのない方がいい関係だ。お鍋は確かに残るけど、少し実用的すぎる気がする。

「そうかなあ…」
 湊君はよく分かってないみたいに、呟く。それから、ハッとして、明るい声を上げた。

「あ、でも。渚は何もくれなくていいんだよ。大切な命をプレゼントしてくれたんだから…」

「…え?」
 くすぐったい感覚も消えた。何よ、いきなり、びっくりするじゃない。どうして時々、こんな風にさらりとすごいことを言ってくれるんだろう。恥ずかしくて、まともに顔も見られない。コイビトの湊君ってまだ慣れない(…と言うか、もう戸籍上は夫になるんだけどね)。

「湊君っ…」
 ぎゅっと握りしめる海の色のセーター。湊君はやっぱり空と海の色がよく似合う。

「子供は共同作品だもん、私が作ったわけじゃないわ…」

 湊君がとても幸せそうに微笑んで。それからもう一度、ぎゅうっと抱きしめてくれる。がたがたと窓が鳴る。夕方になって風が強くなったみたいだ。それでも白い塗装で内壁を塗られたこのささやかな診療所はとても暖かい。湊君がいるからだ。そう思う。

 

***


「…わあ。やっぱり綺麗だね…」

 お風呂上がりの湊君が、髪を拭きながら入ってきた。先に入浴を終えていた私。診療室のベッドの上で、ぼーっとツリーを見ていた。部屋の電気は付けないで。真っ暗闇にぼうっと浮き上がったそれを。

 家中から集めた延長コードで本当はいけないんだけどタコ足配線して。ずるずるっと伸ばしてきたら、ようやく点灯した。赤と黄色と緑と青と紫と…色とりどりの光の粒がちかちかと点滅する。


 手に届く場所にあるのに。とても遠い、触れられない場所の気がする。そう言う感覚を長いこと抱いていたから、今でもふっと思い出すことがある。とても綺麗で、でも神聖で。私には一生手に届かないもの。そう思っていた。


「渚…」
 湊君が、私の隣に腰掛ける。ぎしっと簡単な造りのベッドがきしんで、私の身体も揺れる。膝を抱えて座り込んでいたから、ぐらっとバランスを崩したところを抱きかかえられた。

 湊君の左手が私の左手を取る。かちっと薬指のリングが触れ合って。その金属質な音が何故かとても暖かい。右の腕はふわんと背中に回って、私は湊君の胸の中でツリーを見てる。

 胸の奥がじんわりして、たまらない気持ちになる。思わず、涙がこぼれそうになって慌てた。

「あったかい…」
 そっと湊君の胸に頬を押し当てて、そっと呟く。とくんとくんと規則的な心臓の音。この音を一番近くで聞いている自分が嬉しい。

「え? それは風呂上がりだからでしょ?」
 何でそんなことを言うのかなあという感じで。湊君はくすくす笑う。大好きだったその笑顔ももっと頻繁に見られるようになった。今でも信じられないほどに、当たり前にそばにいてくれる。

「違うわ。…私、こうして湊君と一緒にいられるなんて…本当に夢みたいなの…」

 そっと目を閉じる。いろいろな想いが脳裏に浮かんで消える。出会ってからの長い長い時間、この人への特別な想いに気付いてからの切ない時間。必死に伸ばしていたこの腕。

 

 クリスマスなんて。ヒトゴトだと思っていた。幸せなんて、届かないから美しいと思っていた。もしも手に入れてしまったら、その先どうしたらいいのだろう。それが分からないから、何も欲しくなかった。

 

「そうなの?」
 湊君は相変わらず淡々と言う。当たり前すぎて、ちょっと気抜けするくらいに。

「困ったな…そうなるとこれから一生、渚は夢の中に居るの?」

 私は湊君の胸にふっと吐息を漏らした。返事になるようなならないような微かな音。しんと静まりかえった部屋。数え切れない星の輝く音が耳に届くみたいだ。

「渚、手を出してごらん?」
 湊君が、急に思いついたように言う。何がなんだか分からなくてそっと手のひらを広げると、そこに小さくて丸いものが置かれた。

 …卵? でも軽い。中身がないのに、どうして丸いの?

「あ、駄目。ぎゅっと押さえると割れちゃうから」

 薄暗い部屋の中で、ツリーの明かりに照らしてみる。まあるい卵。その表面に何かの模様がペイントされている。

「今日、あっちの病院の看護婦さんにもらったんだ。生卵の中身を吸い出して、綺麗に乾かしてから模様を描くんだって。ほら、紐も付いてるから、ツリーに飾れるでしょう」

「可愛い…、天使の羽がついてる…」
 羽根枕から飛び出したみたいな羽根が、ふわふわとついてる。手作りのクリスマスオーナメント。

「こんな風にね、大切に包んでいればいいんだなって思った。幸せって、大切に育てればいいもんなんだなって…」

 私の手を包み込む湊君の手。大きくて暖かくて。それでまだ、たどたどしくて。

 不器用なふたりだから、不器用に愛し合う。そうしながら、少しずつ、かたち取られていく幸せのかたち。

「…ふふ。まあるい、幸せだ…」

 私の声を絡め取る湊君の唇。そのまま優しく囚われて、私は夢を見る。それは決して醒めない夢。幸せに誘われる夢。

 浜辺はあまり霜も降りない。海風があるから、雪も降りにくいって聞いた。でもちょっと降ったらいいな、クリスマスくらいは。

 徐々に熱くなっていく吐息。それを肌に感じながら、私は頭の隅で最後にちょっとだけ思った。

Fin (021222)

 

◇あとがき◇
keiさんの4万打のリクエストで書かせて頂きました。長い間お待たせしてしまいましたが、思いがけずクリスマスものに! 不思議なこともあるものです〜でも考えていたのと全然違うお話になっちゃった。

「Pale Area〜タイセツナ、バショ〜」…keiさんからタイトルの解説を、とのお訊ねがありましたので。古い読者様なら、ご存じの方もいらっしゃるかな? 今を去ること10年前、最後の「冬の祭典」に出たときに発行した本のタイトルです。「ペールエリア」でまあ、イメージですが、透明な場所。心の中の一番大切な場所、という感じかな? 人を大切に思う気持ち、誰かをとても深く愛する気持ちが自分を浄化させる気がするんです。

折しも「出会って10年記念日」が今月の26日。とても不思議な気分でこの作品をUPします。

 

 

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