2001年4,5月

「はじめまして、ラオス様」旅行記

 時は4月28日、タイ国際航空機は一面の水田が広がる平野に向けて降下をしていた。久々の外国である。適度の緊張感と大きな期待で胸が膨らむ(腹を膨らましてはいけない)。だいたい、昆明での搭乗時に、スチュワーデスが一人一人に挨拶しながら搭乗券を確認して、座席の案内をするというのがさすがだった(これは日本の航空会社も当然そうするが、生憎中国国内線でそういう場面に出会ったことがない。中国空姐は入り口に突っ立っているだけだ。もっと悪いと、同僚と立ち話をしている)。最後にネパールへ行って以来だから、2年ぶりとなる。もちろん中国だって日本人にとっては外国だけれど、そこは僕にとって非日常の世界ではない。道路を水牛が歩いていようが、高速道路を人が横断しようが、行列への割り込みがあろうが、あくまでもそれは日常。

 昨年から、中国でもゴールデンウィークがはじまった。それも年に2回。5月の労働節(メーデー)と10月の国慶節前後に1週間程度長期休暇が入るようになったのだ。内需拡大のためにはじめた政策らしいが、これでこの2つ+春節(旧正月)の年3回は、中華民族の大移動が起こることになった。基本的に日本と比べて祝日の極端に少ない中国にあって、この制度は悪くない。幸い駐在員は原則として現地の習慣に従って休むことになるわけで、私にもこの期間は休む権利がある(日本が祝日でも、原則的には休んでいないわけだし…それに、私一人働いていても、この期間中国側との連絡は当然取れない)。ただし、国内どこに行っても人、人、人(そりゃそうだ。人口を考えれば、日本のGWの10倍混んだっておかしくない)といううわさ。中国、行ってみたいところはたくさんあれど、見てみたいのは人ではない。どうしようかと考えたときに、東南アジアを思い出した。なにしろ、ここ昆明からは、首都北京へ上がるよりもバンコクのほうが時間、値段とも確実にお得なのだ。そして次に思い浮かんだのが、すぐ近くなのに謎のベールに包まれているラオス。そうだ、ラオスへ行こう。

 昆明〜ビエンチャン直行便は、雲南航空、ラオス航空が各々週1便飛ばしている。この週1便というのはちょっと厄介だ。何かあってフライトキャンセルが起これば、予定の日に戻って来れなくなる。あいにくGWが終わるとすぐに、雲南で超重要な会議が開かれることになっている。そこで安全策+懐かしいタイの訪問という目的を考慮して、バンコク経由でラオス入りすることにした。ラオス入国情報がやや揺れていたため、最悪の場合タイ旅行に切り替えるという選択肢が選べるのも、バンコクまわりの魅力である。

 そういうわけで、ともかくタイ航空機はバンコクドンムアン空港に着陸した。こうして見ると大きな空港だ。昆明空港だって小さくはないが、桁が違う。まして南寧空港とは比較にならない。早速いつものように国鉄の駅へ向かう。

 駅の表示は限りなくタイ文字のみ。少しだけアルファベットも見えるが…、さて心してかからねば。いつもはここでバンコク行きの短距離切符を買うわけだが、今日はこのままラオス国境のノンカイへ向かう。長距離列車の切符はどこで買えばよいのだろう。よく見ると、「RESERVATION」の看板が見えた。ただしバックパックを背負ったままこれを探すだけで汗だく。さすが雨季前のバンコクは暑い。オフィスは冷房が効いており心地よく、窓口も空いていた。カウンターの向こうのお兄さんが、にっこりと微笑みながら椅子を勧めてくれる。国鉄職員なのに、信じられない対応である。いやいや、昆明駅窓口のおばさんと比較してはいけない。彼女は忙しすぎたのだ(と、無理に納得する)。さて、すっかりさび付いた英語をひねくりださねばならない。「今日の特急でノンカイへ行きたいのですが」。お兄さんはタイ語半分、英語半分で何か言いながら、コンピュータのキーをたたく。「あいにく2等寝台は満席、1等車か座席ならあるが…」3回聞きなおしてやっと理解した。聞きなおすときに、「しぇんま?(中国語で何?)」と言ってしまう自分に笑えたが、身なりはバックパッカーでも決して若くはない私はここは1等車を選ぶ。初めてのタイ国鉄寝台車に期待は大きい。車内でのピクニック向け食品とビールを買いに街を歩く。このコンビニの乱立は一体なんだ。そしてそのコンビニの「いらっしゃいませ(だろう、多分)」の笑顔も新鮮だ。なんだか日本みたいだ。確かに中国でも香港は例外だが(上海も例外だという意見は聞くが、上海は5年以上行っていないのでわからない)、このごく自然な風景は中国ではお目にかからない。やはり中国は特殊なのだろうか。小田空さん(中国についての深い考察と独特のユーモアがおもしろい漫画家、紀行作家?。私は小田さんの作品の隠れ熱烈ファン)のおっしゃる中国冥王星説は、事実かもしれん。ま、それが中国の独自性だし、否定はすまい。

 コンビニなんぞで道草している場合ではなかった。目的のものを買い、近くの飯屋でなつかしのクッテイアオ(米線)を食し、マンゴスチンを仕入れてから駅へ戻る。駅で、田舎へ帰るお母さんを見送りにきていた青年と話す。熊谷組の関係企業にお勤めとのこと。彼は親切で、1時間近くも遅れたノンカイ行きの到着までビールを飲みながら一緒に待っていてくれた。構内放送はタイ語だけなので、一人だったらかなり心配だっただろう。でも、始発駅バンコクからそれほど離れていないこの駅ですでにこれほど遅れるとは…。このあたりは中国国鉄に軍配が上がる。列車到着と同時に、1等車は最後尾と判明。いやー、走った走った。

BANGKOK→NONGKAI行先表示板

 汗だくの私を迎え入れてくれたのは、冷房の効いた清潔な列車、愛想の良いおじさん車掌、そして寝心地の良さそうな2人用個室寝台。同室のおじさんに挨拶して入る。上段寝台に寝転がりながら過ぎ行く景色を眺めつつビールを飲む。やはり至福の時間である。タイ国鉄から1等寝台の乗客へ贈り物、オリジナルカップ。これはいい記念だ。外も暗くなってきたし、なんだか眠くなってきた。

 翌朝、列車はイサーン(東北地方)の大地を走っている。ウドンタニで同室のおじさんは下車。ウドンタニからノンカイまでは人家も少なく、潅木の間を駆け抜ける。そしてノンカイ。おとぎの国のような駅舎が待っていた。そういえば、タイの鉄道駅は風情のあるものが多いような気がする。

タイ国鉄ノンカイ駅

 サムロに乗り換え国境へ。乗ってみればあっという間の距離。これなら歩けた。タイの出国審査はあっという間に終わり、国際連絡バス(友好橋を渡るだけ)に乗り込む。友好橋の上にはすでに線路が組み込まれており、近い将来鉄道がビエンチャンへ延びる予定であることを物語っている。期待していたメコン川をあっという間に渡り終え、ラオス側パスポートコントロールへ。ここで入国書類、ビザ申請書類を書いている間に、日本人旅行者4人と親しくなったのだが、そのうち一人などは川を渡ったことにすら気づいていなかった。まずはビザ申請書類と米ドル、顔写真を窓口に提出。しばらくするとビザスタンプが押されてパスポートは戻ってきた。これで晴れてラオスとの初対面が可能になった訳だ。しかし、このビザ窓口、たった一つだけの上結構込んでいる。提出、受け取りの窓口が分かれているわけでもないので自分のパスポートが戻ってくるときには、提出しようとしている人を押しのけて窓口へ行かなければならない。扱っているものが扱っているものだけに、紛失が起こらないのだろうかと少々不安。次は入国審査。列は、ラオス人、タイ人、外国人…などと分かれていたが、臨機応変に手の空いている係員が呼んでくれる。ガイドブックには書いていなかったが、この先で施設使用料だか入国税だかを取ることになったらしかったが、一緒に通り過ぎた日本人女性1名と私は、そんなものがあることも知らずに通過。そのあと3人の日本人はチケットを買わされていた。うーむ。いい加減である。これで無事入国となったが、ビエンチャンまでのバスが見つからず、この5人でサムローをチャーターすることにした。5で割り切れない分は入国税?徴収をまぬがれた(知らなかったのだから仕方がないが)2人が出すことにして出発。ビエンチャンまでは結構遠く、30分も走っただろうか。

 ビエンチャン。かわいらしい響きである。おまけに町の規模もかわいらしい。一国の首都にしては情けないほどの街だが、私はこの街がいっぺんで気に入ってしまった。日本人5名様(2人の女性グループ、2人の男女グループ、そして私)ご一行は無事に中央バスターミナルの前に到着。まるでポカラ(ネパール中央部の都市、一見村みたいだが、ヒマラヤを間近に望める、ぱんだが世界中で最も好きな町)並みの街を、中心部に向かって歩く。中心らしいにぎやかさはないが、店や宿の看板が目に入るようになってくる。夕食を一緒に食べることを約束し、ご一行は解散。私はガイドブックで目をつけていた華僑経営の「華国酒店」へ向かう。なにも外国に来てまで中国を求める必要はないのだが、華僑経営ならば中国語が通じると考えたのだ。1泊数百円の宿に泊まるのは久しぶり。宿の外観は美しいとは言えなかったが、10年前、初めて海外に出た学生時代を思い出す。宿の親父は親切だったし、予想通り中国語も通じた。そして驚くべきことに宿の人の中国語は、大陸中国語よりもおとなしい。やはり環境によって話し方変わってくるものなのだろうか。ビエンチャンでは、ラオスキップ、タイバーツ、米ドルが均等に通用するようで、宿代(とりあえず1泊分)はタイバーツで払う。同じ値段でもお札の数は10倍単位で変わる。両替を依頼すると、前の食堂を紹介してくれた。わずか1枚の100ドル札が、とんでもないキップの札束となって帰ってきた。ラオスの人は算数が得意なのに違いない。中国語は通じるし、お茶は自由にくめるしこの宿、悪くないのだが、空調は音ばかり大きくてほとんど効かない。というか、この時期のビエンチャンが暑すぎるのかもしれない。天井は太陽に照らされつづけているわけで、そこからの輻射熱に空調が負けてしまっている。
 一休みした後、散歩に出かける。目指すは凱旋門(アヌサワリ)。道行く人もまばらなら車もまばら。サムロ-運転手も荷台でお昼寝。いかにも旅行者っぽい私が歩いていても声をかけない。「途上国」と呼ばれる国を旅していて閉口するのは客引きの強引さであることが多いのだが、ラオスは違うようだ。ものの本に、「欲というものが全くない国民性」と書かれていたが、なんだか納得。この暑さ、もし声をかけられたら、多分私は乗っていただろう。

ようやく見えてきた凱旋門。これでも目抜き通り

 グロッキーになりながらも、凱旋門へ到着。ともかく高いところからこの街を見てみることにする。途中の階には土産物屋がぎっしり。でも、店の人はけだるそうにボーっとしているばかり。やっぱりなんだか変。ふつうなら売り込み合戦ですごいことになりそうなシチュエーションなのだが。「地図ちょうだい」「××キップだけど」「もう少し安くならない?」「……(頼り無さそうに笑うばかり」。うーむ、商売っ気がなさ過ぎる。若い兄ちゃんに「どこから来ました?」と話し掛けられる。「日本」。すると、日本語で話し掛けてきた。どうやら日本語を勉強中であり、本人の仕事はカメラマン兼ガイドとのこと。おう、ちゃんと許可証らしき名札をつけているではないか。「商売どう?」「なかなかお客さんいないよ。」「大変だねえ」。しばらく話してから、「では、バイバイ」「んじゃ、またね」。30秒経って気がついた。彼の仕事の内容からすると、私も彼のお客さんになりうるはずだったのに、彼ビジネスの話してこなかったよなあ。??とっても変だ。そして頂上着。

凱旋門からビエンチャン中心部を眺める

 これが首都ですか。うーむ、森の都というだけのことはある。でも、森には見えるが都には見えないぞ(笑)。良い街ではあるが。いやー、のんびりしてきました。防城よりのんびりできること、請け合いです。ここと比べれば、ネパールの首都カトマンズは賑やかすぎる大都会です。「アジアで最も過ごしやすい首都大賞」を私から贈呈いたします(笑)。
 下りの途中で、先ほどの売店へ行き、ビエンチャンの地図、ラオスの地図、ラオス国旗のついたTシャツを購入。今度は頼りなげな笑顔を浮かべながらではあったが、少し値引いてくれた。
 帰り道は少し悲惨だった。ますます暑くなっているというのに車が通らないのだ。やっとのことで見つけたサムロ-はやっぱりお昼寝中。ここ、観光名所のように思うのだけど、それは私の気のせいだろうか。宿に戻って、ビエンチャン名物ビアラオ2本、ミネラルウォーター1本を一気に飲んだことは言うまでもない。

ビエンチャン、昼下がりの大統領官邸

 宿の近くの中心街。静かながら、カフェがあったりコンビニ風雑貨屋があったり。そしてゲストハウス。パン屋。いかにもバックパッカ-好みだ。そしてこの町の規模。メコン川の川辺もあるし、暑いこととヒマラヤがないことを除けば、やはりポカラくさい。何もないように見えてなんでもある。のんびりすることを遮るものもない。暑さのためか賞の出しすぎだが、「癒し系国家賞」も差し上げてしまおう。いろいろあるのに肝心なものが手に入りにくい(おいしいパン、おいしい牛乳…)という防城とは逆のパターンである。気に入ったぞ。ビエンチャン。


メコン川畔の畑。首都中心部から徒歩5分。奥に見える流れがメコン。むこうは中州だが、右奥ぼんやりとタイも見える。

 夕食はメコン川畔カフェで。この時集まった日本人がなんと10名以上。なかなか個性豊かな集まりを、ビアラオとそよ風が彩りました。翌日もあたりまえだが暑い1日。朝食のフランスパンサンドを食べてから明日のバンコクまでの航空券を手配。街歩きしながら本屋などを覗く。一休みしてからお寺、市場を見学。お寺の形はタイと同じだが、木造のシックな建築が日本人の心にはフィットする。暑さの為体調もよくなく、そんなこんなで一日がすぎていった。疲れたら是非また来たいが、今度来るときは寒季にしよう。

 そしてラオス滞在最終日。宿の前のサムロ-今日は一応声をかけてきた。首都の規模が小さいおかげで空港もそんなに遠くない。国際線空港はピカピカ。エレベーターは、最近はやりのガラス張り、と思ったら日本の無償援助であった。

ビエンチャン国際空港

 入り口には大きな看板が出ており、日の丸とラオス国旗が並んで記されている。こうやって感謝の気持ちを表されれば、それは援助のしがいもあろうというものだろう。私もそう思う。ネパールといいラオスといい、素直である。
 それに比べると我が老婆中国は頑固だ。国の面子もそこんじょいらの途上国とは訳が違う。なにしろ「大中国」だから(^^;)。新北京空港の件でも、日本ではかなり評判が悪かったらしい。中国中央政府は「日本の援助」なんて絶対に国民に対して言わないからねえ。業を煮やしてどうやらあの空港に、日本側費用で「この空港は日本の援助でつくりました」と広告を出したらしいが…。ご苦労なことではある。
 と、もう一度ため息はつくものの、そういう短絡的な見方だけではいけないのも事実。中国だって地方ではJOCVの活動をテレビニュースで流したりしているし、わが故郷来賓では「中日合同の農業開発」の看板を事業終了後に建てた。あまりに広い国なのでJICAやJOCVの知名度が高いとは言えないが(いや、全然知られていないかも…笑)、実際の活動が行われているところではそれなりに認知されるケースも出ている。そして、またそういった援助が自力開発へのとっかかりとなることもありうるわけで、これは健全な国際協力の形と言えるのだから。多少無礼に見える部分はあるかもしれないけれど、誇り高き中国の埃を、ではなかった誇りを、日本の皆さんどうか暖かく見てやってください。中国は自助努力という考え方も持った国なのです…と、なんでここで私が中国の弁護をしなければならないのだ。話がそれ過ぎである。

 空港カウンターに懐かしの雲南航空の看板が見える。どうやら週1便のビエンチャン便は運行されているらしい。まだ時間に余裕があるので売店を覗く。これまたどことなく頼りなげだが愛想の良いお姉ちゃんと話す。私が雲南航空のかばんを持っていたので、中国人か日本人か判断できなかったらしい。ここでビアラオタンクトップ購入。暑い夏には良さそうだ。ラオス航空所有機材はみんな小型機。日本国外務省に、「危険」の烙印を押された、ちょっと悲しい航空会社だが、最近は最新鋭ATR機を導入して名誉挽回を図っている。と書きつつも、私が乗るのはタイ国際航空。この空港ではいやに大きく見える。ビエンチャン空港を飛び立つ。森の都に再見を告げるまもなく機体はメコンを越えてタイ領空へ。再見!

 40分でバンコク到着。大きな空港である(笑)。バンコクでの2日間は、体調も考え無理をしないことにした。そうはいってもついに開業した高架鉄道(これは確かに便利だ)試乗、日本語図書の買出し、タイ式マッサージと、それなりに忙しい。中国に戻る前に、コンビニでの買い物も楽しまなければならない。そんなわけで楽しい休暇は終わり。タイ国際航空で昆明へ戻る。実はここに今回の旅行最後の楽しみがあった。ビジネスクラスである。いろいろあって大型連休がらみ、帰りの席が確保できなかった。で、結局帰り分をビジネスとしたのだが、なにしろホスピタリティで有名なタイ、あの南○航空とは内容が違うだろうという期待感。旅は最後まで面白い、のである。バンコクからチェンマイ、座席はほぼ満席。1時間にも満たない国内線だがきちんと暖かい食事が出る。チェンマイで40分のトランジット。小さな空港ゆえ、これは少々時間を持て余す。しかし国内線の客と国際線の客を平気で混載するところが大らかだなと感じる。続いて昆明までの国際線区間。所要時間1時間半のミニ国際線ゆえコールドミールだったが、きちんとメニューが出てきた。この区間は半数以上が空席になっており、CAも暇だったのか、ワインのビンを持って何度も往復、客と世間話など始める。ワインを注いでもらったり機内販売でモデルプレインなどを買ったりするうちにすっかり意気投合。昆明到着時に蘭の花を乗客に1つずつ配っていたが僕のところでCAの兄ちゃん、「もっといるか」と聞いてきて、清潔袋にたくさんいれて渡してくれたのだった。この印象が強すぎて、タイ国際航空は私の頭の中ではJALに継ぐお気に入りなのである。え?中国の航空会社は?って、野暮なことは聞かないこと(笑)。レベルは上がってきているとはいえ、やはり国際線に乗る時に中国の航空会社を率先して使おうとは思わないからなあ…。ただ、それは航空会社のせいなのか、乗客のせいなのか、そこのところはよくわからないけれど。    〜終〜


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