私的音楽誌

 

 

このページは、音楽およびその他の芸術をめぐる、きわめて私的な随想であり、本当に暇な人以外にはおすすめできかねます。なお、このページは不定期に更新されます。

月 日
 何もすることがない休日、精神の閑暇。私は今日もモーツァルトを聴く。まだ若い陽が窓から差し込み、帯状になった光の層をぬって煙草の煙が棚引く。私は一人で光の中に浸っている。帯状に差し込んで部屋を充たす光の粒子の一粒一粒が私には見えるような気がする。
 ヘッセはモーツァルトへのオマージュを「今日はよい日だ。生はふたたび可能になるように思われる」という文章で書き始めた。これはモーツァルトについて書かれたもののなかで、最も簡潔にモーツァルトの本質に迫ったものである。この、「ふたたび」という言葉のなかにモーツァルトの音楽のエッセンスが表わされている。モーツァルトの音楽は、生への単純な賛美ではなく、その追憶なのだ。モーツァルトは歓びも哀しみも、決してなまのまま歌うことはなかった。彼が歌うのは常に歓びの彼方であり、哀しみの彼方なのだ。あらゆる人間感情を経過した後に広がる彼岸の世界。その完全な充足と完全な自由。遠いものへの追憶と憧れ。そして、透明であることの哀しみ。彼の音楽は人間感情の彼岸への限りない賛歌なのだ。

 月 日
 ブローウェルの「舞踏礼賛」とブリンドルの「黄金のポリフェーモ」を練習。ブローウェルの方は活気と機知にとんだ舞踏のための音楽。コンポジションの厳しさと幾分の茶目っけとが相半ばしている。ブリンドルの方はむせるような官能に充ちた夜の音楽。第三世界の活力と、ヨーロッパの退廃が、こんなところにも反映している。

 月 日
 シェーンベルクの「月下のピエロ」を聴く。充分に異常な世界。

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 月 日
 ホロヴィッツでショパンのマズルカを聴く。粋な洗練と病的な神経がないまぜになったベル・エポック風の美学。私はたちまちロートレックを思い浮かべる。ショパンのマズルカをこのように弾く人はもう決して現われないだろう。また、ホロヴィッツがピアノにもたらす夢魔的な色彩でいろどるに、マズルカほど好適な素材はないだろうと思われる。マズルカにおいてショパンはその革新的な和声の頂点まで行った。その調と無調の狭間をたゆたうような和声と、短詩型を思わせる簡潔な構成は、そのまま直接、印象派の先駆をなすものである。

 月 日
 カラヤンでチャイコフスキーの「悲愴」を聴く。カラヤン最後の「悲愴」。あのスタイリストのカラヤンが最晩年にこのような演奏をしたことに私は驚く。帝王と言われた彼であるが、ベルリン・フィルの造反にあい、ベルリン市当局との関係も冷却し、自らの老いも加わり、さしもの帝国も没落の兆しを見せていた。権力欲と見栄とはったりの権化のような人生がその終末にさしかかるや、彼はこれまでの大見得を切ったようなスタイリッシュな音楽作りを捨て、大いなる音楽の内懐に抱かれに帰ったのである。その、体裁をかなぐり捨てた、赤裸々な心の吐露に私は胸を打たれる。そこには終末を自覚した者のこの上もない痛切さと同時に、欲も得もなく音楽の偉大な地平に帰依しようとする者の稀に見る安らぎがある。最晩年に至ってようやくこのような至純な境地に達した彼も、やはり本物の音楽家であった。

 月 日
 モーツァルトの「ピアノ協奏曲第二七番」を聴く。冒頭の弦楽だけの第一主題が流れると、私の心の中にはたちまちスミレ色に暮れなずむ夕空の光景が広がる。最晩年の作。挽歌がこんなに透明なパースペクティヴを持ち得ることに私は驚く。全ての懊悩と哀歓を生き終えて既に彼岸の世界に立つ者の澄んだ安らぎが聴き手の胸に迫る。ここに表わされているのはもう歓びでも淋しさでもない。この、何のこだわりもない、限りなく透明な明るさの中に、避け難く身に迫る一抹の淋しさを感じるならば、それは、全ての人間感情の彼方から万感をこめた告別を送る、モーツァルトの彼岸の感情とでも言うよりないものである。

 月 日
 ミニョーネのエチュードを練習。スクリャービン風の厚ぼったい和声と、粘りつくリズム。ラテン・アメリカの憂鬱が色濃く反映している。このような曲は熱帯の夜の狂操と、熱帯の午後の燃えるような倦怠がなければ生まれまい。

 月 日
 トスカニーニの指揮する「エロイカ」を聴く。いつもながらのテンポで、一瞬の弛緩もない。雄渾で毅然としており、全ての余情を排して、一点の曖昧さもない。洗い上げられたような厳しい輪郭だけが我々の前に屹立する。彼は亡命地アメリカで熱狂的に迎えられたが、彼の本質は言うまでもなく、アメリカ流の機能主義やモダニズムとは無縁である。それはフルトヴェングラーのディオニソス風美学に対して、アポロン風美学に立つものなのである。

 月 日
 バッハの平均率第一巻を聴く。この二四曲のプレリュードとフーガの内に殆ど全ての音楽感情が表現されている。バッハが知らなかった、時代の不安や危機や解体感覚を除いて。いわばここには、健全なバランスの内に見出される全ての人間精神があるといって良い。このような全一的な包含性は近代以降の芸術が失って久しいものである。古典期の芸術家は人間的にもバランスのとれた百科全書的な巨人であったが、近代に至って芸術は先鋭化を重ね、芸術家は病み、分裂し、その病める部分だけを拠り処にしているように見える。
 演奏はフィッシャー。何一つ力まず、欲も得もなく、全く淡々と演奏していながら、そこに言うに言われない滋味豊かな味わいを込める彼の演奏は、真に巨匠の芸と呼ぶべきものである。

 月 日
 ブリテンの「ノクターナル」を弾く。この曲によって、死の安らぎを願うマーラー的な世界がギターの中で初めて実現された。しかも、この曲は、冷たい黄泉の世界への下降と沈潜を、マーラー風の詠嘆的な低廻によってではなく、シャープな輪郭の変奏によって実現しているのである。

 月 日
 久しぶりにソルの「第二幻想曲」を弾く。悔恨と慰撫に充ちた世界。歌わせ過ぎて、ラルゴ・マ・ノン・タントの足取りを外さぬようにすること。この沈痛な足取りに乗せて、全ての悔恨と全ての慰めがあるのだ。
 ソルの音楽は、彼が亡命者であることと切り離しては考えられない。彼の音楽はスペインの「お国ぶり」を含まず、ウィーン様式で一貫しているが、そのことは彼が心ならずも故国を捨て、パリに客死した者であったことと無縁ではないだろう。彼の曲に見る、ギター音楽には稀な透明さも、国を追われた芸術家の孤独な憧憬であったのではないか。その、モーツァルト的世界への熾烈な憧れにも関わらず、ソルは遂にモーツァルトの天衣無縫な自在さには達しなかった。天与の才の違いは言うまでもないことながら、それは、両者の生き方の違いにも起因しているのだ。亡命芸術家として、自らの根源を切断して新たな美学を作らねばならなかったソルと、最初から全てを持って生まれ、何一つ捨てる必要のなかった天才モーツァルト。ソルの宿命的な挫折は既に亡命の時点で生じていたのである。

 月 日
 ウェーベルンの「弦楽四重奏のための六つの断章」を聴く。ウェーベルンについては、前衛の旗手として、その方法的な革新だけが喧伝され、アドルノの例のテーゼ「シェーンベルクは死んだ。ウェーベルン万歳」という言葉などが想起されるが、もう、そうした位置付けとは切り離して、彼の作品の美しさを再発見すべき時だと思われる。彼の点描主義、その、静謐への極端な嗜好などは私には殆ど、ヨーロピアニズムの終焉への挽歌のように聴こえる。彼の音楽の極度の洗練と、沈黙の領域への限りない接近は、実は前衛どころか、ヨーロッパの白鳥の歌なのではないか。

 月 日
 バッハの無伴奏チェロ組曲第六番を聴く。演奏はフルニエ。カザルスなどの、飢えに飢えた、白熱的な求心力に充ちた演奏は聴く者をぐんぐんと曲の核心に向けて引きつけて行くが、フルニエの演奏は、なんとそれ自体で充足し、芳醇で香り高いことだろう。ヨーロッパの辺境であるスペインと、爛熟した文化の中心であるフランスの差なのかも知れない。

 月 日
 ダウランドの「涙のパヴァーヌ」を弾く。傾きかけたエリザベス王朝の没落感が彼の音楽には色濃く反映している。栄耀栄華を究めた王朝が、今、潰え去ろうとしている。そのことの予感が、彼の音楽に避け難い憂愁の翳を落とすのだろう。彼の音楽の特質である貴族的な洗練と憂愁は、没しかけた王朝の斜陽の反映なのだ。ただし、このような曲を弾くとき、のめり込みすぎて、感受性でべたべたに汚してしまってはいけない。それでは男伊達のダウランドが泣くだろう。自らの時代の終わりを見つめながら、毅然として貴族的な居ずまいを崩さなかった、あの誇り高いダウランドを、感傷で弾き崩してしまってはならない。

 月 日
 久々にバッハの「マタイ受難曲」を聴く。午後に聴き始めたものが、聴き終ると夕刻である。煤煙に汚れた、血のような夕陽が地平線の彼方に沈もうとしている。私には沈み行く残照の断末魔の叫びが聞こえるような気がする。私はモローの夕陽を思い出す。彼の絵を特徴づけているあの夕陽も、人間全体の没落を象徴するかのような夕陽だった。こんな気分になるのは、多分、マタイを聴き通したせいだろう。神の子を殺すという人間最大の罪を描きながら、何とここには静かな悲しみが水のように流れていることだろう。私は思う。この悲しみがこんなにも澄んで静かであるのは、それが殺されたイエスやその周辺の人々の悲しみであるのではなく、そのような罪障を背負った人間全体の、汎人類的な悲しみであるからだ。個としての悲しみではなく、もっと普遍的な類としての悲しみ。このような悲しみはわれわれ日本人が持たないところのものである。

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 月 日
 ヴィラ=ロボスのエチュードの十二番を練習。ヴィラ=ロボスはギターの中に初めて近代の危機を反映させた作曲家である。自足しない世界が初めてギター音楽にもたらされた。ヨーロッパ的な整合性の割れ目から土俗的な活力が吹き出すその緊張が、彼の発見した「近代」であった。だが、後に彼は「プレリュード」において、その緊張を社交的なギャラントリーの中に解体させてしまう。

 月 日
 ハイドンの「チェロ協奏曲ニ長調」を聴く。ハイドンの中には素朴な味わいと洗練とが最も理想的なバランスで共存していた。決して病的にならない洗練と、決してあざとくならない遊び心。そして素朴な調和の内に一杯に広がるムジチーレンの喜び。

 月 日
 モーツァルトの「クラリネット協奏曲」を聴く。彼の最後の器楽作品と言われる。特にその第二楽章。昼でも夜でもない、永遠のたそがれ時とでも言うべき不思議な光が辺りを充たしている。その中をゆったりと流れるクラリネットの旋律にまさる美しさが、かつて音楽のなかに現われたことがあっただろうか。これは終わり行くことへの永遠の自足のなかにゆったりとまどろむモーツァルトの澄みに澄んだ末期のまなざしが見出した世界である。

 月 日
 ショスターコヴィッチの弦楽四重奏の十五番を聴く。死と沈黙の領域、というよりも殆ど屍臭を放つかのような世界。彼は疑いもなく。ベートーヴェン以降の最大の弦楽四重奏作曲家である。

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 月 日
 アンソニー・ブラクストンの「フォー・アルト」を聴く。その一曲目、ジョン・ケージに捧げるとした曲。フリー・ジャズの傑作。追い詰められた悲鳴のような音楽。私の頭の中には忽ち、夜の都市を疾走する逃亡者のイメージが浮かぶ。逃走につぐ逃走。交錯する光によって分断される都市。そして、突然の切断のような挫折。真空の夜の都市を切り裂く殺戮のイメージ。そして、その理由の不在。圧倒的な絶叫のようなこの曲が唐突に終ると、後に残るのはこの強烈な、何ものとも知れぬ不在の印象だけだ。それにしても、なぜ私達はこんなにも逃走と挫折のイメージにひきつけられるのか。

 月 日
 またバッハを聴く。愛用のコノウィッチをくわえながら。パイプの紫煙にはなぜかバッハが一番合うようだ。私はハンド・メイド、マシン・メイドを合わせて、約50本のパイプを持っているが、エミール・コノウィッチのこのパイプが一番好きだ。ホルベックもイヴァルソンも持っているが、つい、コノウィッチに手がのびてしまう。何より神経質でないのが良い。ホルベックなどはまことに見事であるが、神経が行き渡り過ぎていて、いつ手にとっても、その完璧な洗練ぶりにうならされはするのだが、いささかさり気なさに欠けるようである。コノウィッチの場合は、洗練を抑制し、わざと幾分かの「鈍」を残したらしい大人のさり気なさが心にくい。それでいて本当の野暮とは全く違う。一見、何の変哲もなく見えるシェイプの中に、洗練に見え過ぎぬように配慮された苦労人風の洗練が潜在している。パイプをくわえる時のこちらの気分に過敏に反応することなく、いつも変わらぬ落ち着いたたたずまいで、知らぬ間にこちらの気分を中庸に導いてしまう。まことに伴侶とはかくありたいものである。

 月 日
 ふたたびウェーベルン。曲は「オーケストラのための5つの小品」。パラドクスではなく、ただ音だけが実現できた静謐。にも関らず、私はフェルナン・クノップフを想起する。特にフォッセを描いた風景画の数々。ベルギー象徴派の一部の人達だけがこのような静謐を持っていた。デルヴィルにも同質の静謐がある。記憶の奥底にひっそりとわだかまったかのような世界。キリコやマグリットには張りつめた沈黙はあっても、静謐はない。
 ひるがえって、今の私たちの住む世界はどうだろうか。きらびやかなシーニュの氾濫の中で静謐が忘れ去られているとしたらそれは怖ろしい。私達の束の間の生の、前にも後にも永遠の静謐しかないのだから。

 月 日
 久々にアルビノーニのオーボエ・コンチェルトを聴く。晴朗な世界。こんな屈託のなさが心にしみるのは、自分自身の心が屈託に捉えられている時だろう。
 イタリア文化というとすぐ地中海風の開放的な楽天性を思い浮かべる私達の多くは、思い違いをしているのかも知れない。アルビノーニやヴィヴァルディのイメージに捉われすぎていはしまいか。私達の知る、イタリア出身の演奏家の多くはむしろ、先述のイメージを裏切る人達ばかりである。トスカニーニやポリーニやミケランジェリのどこに野放図なラテン気質がうかがえるだろうか。むしろ、異常なまでの完全主義、妥協を知らない構築の厳しさなどで知られる人達ばかりである。また、文学においても、パヴェーゼやモランテやモラヴィアなどの鋭い危機意識と自己崩壊への予感はどうだろう。
 スペイン文化については、その光と影がさかんに論じられる。だが、イタリア文化についても、その激しい光に満ちた風土の中の影の部分が論じられるべきなのかも知れない。

 月 日
 マル・ウォルドロンの「オール・アローン」を聴く。冒頭のトリルに続く孤独なシングル・トーンが心にしみる。いやでもマルセル・カルネの「マンハッタンの哀愁」を思い出さずにはいられない。周知のとおり、この曲はこの映画のために、マルによって作曲されたものである。
 シムノンの原作で、監督がカルネというだけあって、大人の鑑賞にたえるものとなっている。カルネの繊細な雰囲気描写は少しも衰えておらず、マンハッタンの深夜の舗道のマンホールの蓋から水蒸気が立ちのぼるカットのすばらしさは、その後長く語り草となったものだった。「霧の波止場」が港町ル・アーブルを舞台にしているのに対して、こちらは最先端の現代都市であるマンハッタン。異文化に触れた緊張がカルネの感性をいっそう研ぎ澄ましたものか、「霧の波止場」よりも凝縮された描写になっている。
 マルは音楽を担当しただけではなく、チョイ役で出演もしている。モーリス・ロネとアニー・ジラルドがナイトクラブに入って行くと、そこでピアノを弾いている、見るからにインテリジェンスに富んだ繊細な面立ちの黒人がマルである。彼はそこで「オール・アローン」のイントロを弾いてみせる。こんな小粋でさりげない贅沢は今の映画では不可能だろう。
 アニー・ジラルドも忘れがたい。彼女が、明かりを消した深夜のアパートの部屋で、一人モーリス・ロネの帰りを待ちながら、椅子に座って煙草を吸うシーン。人生に疲れ、愛に疲れ、男に疲れた、もう若いとも言えない女の横顔に、マンハッタンのビルのイルミネーションの明かりが点滅する。ものうく流れる煙草の煙。疲れ、成熟し、しかしまだ美しい、かすかに眉宇をひそめたその横顔。当時中学生であった私は一発でノック・アウトされ、なるほど、いい女とはこのようなものであるかと、感嘆久うしたものであった。
 モーリス・ロネは相変らず神経質で、苛立っている感じである。彼は、カルネやルネ・クレマンなどのような伝統派の巨匠にも重用され、ルイ・マルのようなヌーヴェル・ヴァーグの監督にもよく使われた。この映画では彼の、神経がささくれ立ったような感じが少し強すぎるかも知れない。クレマンの「太陽がいっぱい」やルイ・マルの「死刑台のエレベーター」の名演技も忘れがたいが、ロネの最良の演技はやはり、ルイ・マルの「鬼火」だろう。自殺することに決めた男が本当に自殺するまでを描いただけのモノクロ・スタンダードの地味な映画。なぜか日本では殆ど話題にならなかったようだが、これはルイ・マルの最高傑作といってよい。監督と主演男優の力量だけが勝負の非商業映画。だが、これは、息もできないほど緊迫したモノ・ドラマになっていた。こちらの原作はドリュ・ラ・ロシェル。シムノンもドリュ・ラ・ロシェルも共に私の愛してやまない作家である。
8
 月 日
 ラフマニノフの「死の島」を聴く。言うまでもなく、ベックリンの「死の島」に着想を得ている。鬱蒼とした和声と、よどんでたゆたう重苦しいリズムが、死の世界に漕ぎ寄せて行く舟の歩みをこの上なく陰鬱に表現している。ベックリンの「死の島」くらい多くの芸術家に刺激を与えた作品はないのではないだろうか。同業の画家でも、ダリやギーガーなどが、直接「死の島」に啓発された作品を描いている。
 文学の世界でも、福永武彦の「死の島」がよく知られている。もっとも、その中で重要なモチーフを提供している音楽はラフマニノフではなく、シベリウスであった。福永の作品は、音楽が重要なモチーフになっているものが多い。「草の花」におけるショパンも印象的な使われ方をしていた。そう言えば、「海市」の中にも、ランスロらしき奏者が、ブラームスとモーツァルトの「クラリネット五重奏曲」を奏する場面が出て来る。主人公の男性が、ある女性とその演奏会を聴きに行くのだが、モーツァルトの演奏に対する感想が、そのまま、きわめてすぐれたモーツァルト論になっていた。
 確かに、あの曲のランスロの演奏は、瀟洒な気品に充ちたものであった。ただし、私がもっぱら聴くのはウラッハの演奏。春愁そのものといったような、この上なく優美で、しかも愁いにあふれた演奏。柔らかい春の陽射しのような音のまどろみ中に、想い出のような哀しみが遠く流れて行く。その纏綿とした情趣がたまらなかった。

 月 日
 ホロヴィッツの演奏で「展覧会の絵」を聴く。ホロヴィッツで卓越しているのは、テクニックそのものではなく、テクニックというものの凄みをまざまざと示して見せたことだ。好き放題に手を入れた譜面の中から怒涛のように押し寄せて来る張りつめた音の群れ。ムソルグスキーの多分に趣味的な作品が、巨大な危機の到来の予感に充ちた音楽になってしまっている。トスカニーニと演ったチャイコフスキーのコンチェルトでも、ありあまるテクニックの上に仁王立ちになったかのような凄まじい音の奔流が聴ける。曲の真髄に迫る演奏とはほど遠いが、アメリカ風の機能主義とメカニックの追及の果てにある、テクノロジーの危機的な側面を予感させる点で、これは予言的な演奏といえるだろう。
9
 月 日
 バーンスタインの「カディッシュ」を聴く。時代の病理を抉る痛切な表現に達している部分と、未消化な軽薄さが混沌としている。その雑然としたエネルギーが、バーンスタインのある種の魅力でもあるのだろう。
 大体、私は、アメリカの文化に対して辛口過ぎるのかも知れない。そもそも、ジャズとミュージカルと西部劇を除いて、アメリカに独自の文化などあるのだろうか。たとえば、文学。ポーとフォークナー以外に、アメリカで文学的に重要な作家などいるのだろうか。決して読まず嫌いというわけではないのだが、たとえばフィッツジェラルドの甘えはただの甘ったれ以外の何かであるのだろうか。メイラーのヒステリーはただのヒステリー以外の何かであるのだろうか。ただ、メイラーの中でも「鹿の園」は例外的に惹かれるものを感じるが、あれはメイラーの作品の中でも最もヨーロッパ的なものであろう。もう、ヘミングウェイやスタインベックやサリンジャーなどは論外である。そういうそばから言うのもなんであるが、私は「カディッシュ」ならば、むしろギンズバーグの「カディッシュ」に惹かれる。根無し草の病めるアメリカの生み出した痛切な叫び。

 月 日
 ブーレーズの「第二ソナタ」を聴く。演奏はポリーニ。一切の意味性や人間的なぬくもりを遮断した、峻烈な音の奔流。
 私の学生時代、このような妥協を知らないセリエールの曲が支持を集めていた。時代全体がそのような潮流にあったのだろう。実存主義より構造主義、チャップリンよりキートン。そこには明らかに意味性への疲労と人間性への絶望があった。確かに、予定調和的な人間主義はとうの昔に破産し、私たちは、記号学的な文化論の地平からもう一度人間の文化的な基盤を組み立て直そうとしていたのだろう。だが、その試みもいつの間にか風化し、後に残ったのは、意味を失った記号の体積ではなく、相変わらずしぶとい、いっそう凶暴さを増した「人間」の群れである。
10
あるいは芸術随想
 月 日
 モーツァルトのヴァイオリンとヴィオラのための「協奏交響曲」を聴く。飛翔の歓びに充ちた第一楽章と、沈鬱な哀しみにくれた第二楽章が、ことのほか美しい。
 ヴィスコンティの「家族の肖像」の中にこの曲が出て来る。バック・ミュージックとして使われたのではなく、登場人物がレコードでこの曲を鳴らすのだ。いかにもヴィスコンティ好みの教養ある老人と、不条理な侵入の仕方をした若者の一人がなぜかこの曲を聴いて会話を交わす。その若者が私の大嫌いな(そしてヴィスコンティの大のお気に入りの)ヘルムート・バーガーで、「私はこれをベームの指揮で聴く」などというスノッブな会話が出て来て失笑させられた。ヴィスコンティがどうしてこんな場面を挿入したのかわからない。「家族の肖像」は話題になったわりには、中途半端なサルトル風の不条理劇に終っていたが(ヴィスコンティ特有の終末観は色濃く現われているが)、ヴィスコンティの重厚で、オペラのような壮大な演出が最も効果を発揮したのは、やはり「地獄に堕ちた勇者ども」だろうか。ここでも、確か、登場人物の一人が戦時下の演奏会でバッハの「無伴奏チェロ組曲」を弾いていたと記憶する。それにしても、ヴィスコンティの美少年趣味は仕様のないもので、定評になっている彼の男色趣味は多分、本当なのだろう。ヘルムート・バーガーといい、アラン・ドロンといい、ろくな使われ方をしていない。ヴィスコンティは、「山猫」や「白夜」、「異邦人」など幾つかの文学作品を映画化しているが、私に言わせれば、そのメンタリティの質において、おそらくモラヴィアなどが最も近しい作家であると思われる。モラヴィアの「軽蔑」はゴダールが映画化したが(バルドー主演で!)、ヴィスコンティは一作も扱っていない。残念なことである。
 さて、問題の「協奏交響曲」であるが、私はスークの弾き振りで聴いている。

 月 日
 ビル・エヴァンスの「Moon Beams」を聴く。孤独なピアノとインティメイトなアンサンブルが心にしみる。エヴァンスは、スコット・ラファロとのインタープレイが名高いが、私は、ラファロを失った痛手から立ち直った直後のこの頃の演奏が一番好きだ。エヴァンスのプレイは、どこにも無理な自己主張がなく、その和声は完全に成熟して美しく、そのシングルトーンはいささかの作為も含まずにコードプレイの中に調和している。きわどい個性の主張の誘惑からも、刺激的な独創性の誘惑からも完全に免れ、しかも、これ以上なく成熟して調和した孤独な大人の音楽。私はこのような音楽を愛するようになった。
 学生時代の私はこうではなかった。ジャズといえばコルトレーンが私の神様だった。その、壮絶な内面の闘いを経て、ある絶対性への救済へと至る彼の音楽に、私は私自身の救済を夢見ていたと言える。過激なものばかりに惹かれていたあの頃はやはり私自身のシュトルム・ウント・ドランクの季節であったといえるかも知れない。その頃の私はエヴァンスの音楽などは何だか微温的なものに聴こえて、全く理解できなかった。
 今、エヴァンスの音楽は全く無理なく心にしみる。してみるとこれがやはり老いというものなのだろうか。今の私はようやく、それに抵抗しようとは思わない。自分の中にやって来た一つの季節を現実として許容しようと思うのみである。エヴァンスのピアノは、あらかじめそれを察していたかのように心に浸透する。人生の秋に心にしみる音楽。それがエヴァンスの音楽なのだろう。
11
 月 日
 バッハの「パルティータ第一番」を聴く。厳格でも荘厳でもない、温顔のバッハ。変ロ長調の柔らかい響きが部屋を充たす。演奏はポブウォッカ。シューマンの時もショパンの時もそうだったが、この人には、評論家の誰かが言っていたように、母性の豊かさのようなものがある。思いわずらうこと、解決を求められることからいっさい解放された至福の時間。音楽の最大の効用が慰めと安らぎであるとすれば、この人の弾くバッハやショパンはその最たるものであると言えるだろう。

 月 日
 ベートーヴェンの「ハンマークラヴィア」を聴く。これほど各楽章が明確に特性的である曲も珍しい。雄渾で構築的な第一楽章、尽きせぬエネルギーの持続に貫かれた第四楽章、グランド・ソナタとしてこれ以上なく充実した構成。だが、ここでは特にその第三楽章。ベートーヴェンの書いた、おそらく最も思索的な音楽。この楽章を納得の行く表現で弾き切った演奏はめったにない。悲劇的な精神が思索しているのに、感受性によって思惟が乱されることが全くない、稀有な音楽。この強靭で確固とした悲しみの歩みを十全に表現した演奏はどこにあるのだろうか。

 月 日
 武満徹の「フォリオス」を弾く。ギターという楽器に関して武満氏が持っていたイメージは多分に古典的な、あるいはロマン的なものだった。この曲も最後に「マタイ受難曲」からの引用などが聞かれる。常に源泉の感情に向かおうとする衝動が一貫して曲を支配している。そのこと自体は武満氏の基本的なメンタリティとしてやむをえない面もあるのだが、音調全体がひどく融和的に響く点が気になる。ギターという楽器は、現代の作曲家がその気になれば、もっと鋭い対立や葛藤を表現することもできるのだ。コンポジションの厳しさや対立を最初から断念した世界。武満氏が他の作品では追求し得ていたそのような要素が、ギター作品に限って放棄されているのを残念に思う。それにも関わらずこれは、美しさという点では、ギターによる無調音楽の、おそらく最良の遺産であるだろう。
12
 月 日
 また武満徹。映画「怪談」のための音楽。映画の付随音そのままではなく、テープ音楽として再構成されたもの。ミュージック・コンクレートの傑作。特に第一作、「黒髪」のための音楽。ここには通常の意味での音楽はない。映画の中では、武士が廊下の板を踏み抜く音として使われていた、生木を引き裂くような音。そこに、胡弓のような音や、プリペアド・ピアノの音などが重なる。息詰まる緊張が一瞬の隙もなく続く。これは効果音だけの映画だったが、その効果音を武満氏が担当したのである。効果音といっても、自然のままの音は全くなく、すべて武満氏が電子的な変調を加えるなどして創作した音である。武満氏の作品の中でも、群を抜いてコンポジションの密度と完成度の高い傑作である。ただし、すばらしいのは音楽だけ。カンヌ映画祭でグラン・プリをめざしたとのことであるが、落選も当然であると思われる。小林正樹氏の作品では「切腹」に、その様式美の真価が十全に現われていると私には思える。
 音楽が使われていない映画というと、私はアントニオーニの「赤い砂漠」を思い出す。主人公のジュリアーナが子供におとぎ話を聞かせている場面で、「不思議な歌が聞こえてきた」という時、ソプラノのスキャットが聞かれた以外は、音楽は一切使われていない。アントニオーニの初めてのカラー映画。大体、初めてのカラー映画というとなぜか傑作が多い。ルネ・クレマンの「太陽がいっぱい」もそうだった。さて、「赤い砂漠」であるが、これはアントニオーニの最高傑作といって良いのではあるまいか。ロッセリーニやピエトロ・ジェルミ、あるいはヴィットリオ・デ・シーカなどのように、ネオレアリスモが退潮して行くと、それに代る自分独自の路線を見出し切れずに、自分自身も退潮して行った例が多い中で、フェリーニとアントニオーニは最もうまく転進をはかった映画作家であろう。アントニオーニに関しては「愛の不毛」というキャッチフレーズが、あたかも一枚看板のように使われている。これでは世情に迎合する軽薄な作家のように思われてもやむをえない。アントニオーニの真価はそんなことではなく、彼は孤独というものの本当の怖ろしさを描いたのである。彼の描いた孤独は決して雰囲気本位の安っぽいものではない。要するに彼は「ネオ・レアリスモ」のリアリズムを社会ではなく、人間の内面に向けたのである。
 「赤い砂漠」で見るモニカ・ヴィッティの美しさ、すばらしさはどうだろう。不安に充ちた、途方にくれたようなその表情。とても演技とは思えない。(小屋でのパーティーのシーンのぞっとするほどうつろな会話。その中でのモニカ・ヴィッティの動揺する表情の美しさは格別である。これ以上ないほどの自堕落と退廃の中で、全く彼女だけが根源的な不安をたたえて、正視に耐えないほどの痛ましさと不安定さをまざまざとあらわしていた)。金髪というよりは赤毛。眼と唇がこれほどにものを言う女優もいるまい。成熟した人妻を演じながらその中に時折、幼女のような戸惑いとよるべなさが混じる。その危うい瞬間をこれほど美しく演じた女優はいなかった。
13
 月 日
 ベートーヴェンの「ピアノソナタ第三二番」を聴く。たった二楽章の中に、葛藤を経て平安へという、いかにもベートーヴェンらしい精神の流転が余すところなく表現されている。特にその第二楽章は、祈りそのもののような音楽である。演奏はミケランジェリ。彼ほど誤解に包まれた音楽家はいないだろう。その精妙すぎるピアニズムがかえってわざわいしてか、精神性が皆無の演奏家のように思う向きもあるようだ。だが、意外にも、と言うべきか、ベートーヴェンは実のところ、彼にとって中心的なレパートリーなのである。確かに、ピアノソナタの四番のように、彼の精巧無比なピアニズムを発揮させるだけに終わってしまっている演奏もある。だが、この二三番や、ピアノ協奏曲の第四番や五番など、その精神的な深さにおいても際立った高みに達している例も多い。私はこのピアニストで、「ハンマークラヴィア」や「平均律」を聴いてみたく思っていた。彼のショパンなども、安易な感傷性を脱し切っていながらも、その類ない透明性の彼方に、ある永遠にむけて問いかけられた響きがあるのを私は聴く。もっと正統的に評価されるべきピアニストであろう。

 月 日
 空気は光の持つ危機的な緊張を和らげる働きがある。このことを最も良く知っていたのは印象派やロマン派の画家達であろう。ターナーのような空気に濾過されることによって光は親和的な、予定調和的なものになる。空気を媒介しない光は恐ろしい。それは、何か危険なものを暴露し、告知すべきでないものを告知する恐ろしい啓示のようなものになる。キリコの光がそうだ。ありありと曝された広場や曲がり角。そこには何か、あり得べきでない予感のようなものが含まれていないか。特にその曲がり角。恐怖に充ちた不在の予感。かつてベンヤミンが書いたような、危機をはらんだ曲がり角。キリコ、そしてマグリット、あるいはデルヴォー、そしてダリ。これらの人達は、ロマン派や印象派の画家達がアトモスフェアをとおして人間にとって馴染み深い空気を描いたのとはまるで違った、ある切迫した、暴露的な光を描いた。そこに共通してあるのは、何とも得体の知れない、ある不在感である。何か大いなるものの欠落した予感。だが、われわれは既に、モネの風景画などよりも、これらシュールレアリスト達の不在感の方によりいっそうのリアリティを感じるのではないだろうか。
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 以前、「死の島」について書いたときに書き落としたことがあった。「死の島」は絵画作品でありながら、多くの他ジャンルの芸術家をインスパイアしたが、福永武彦以外にも、ストリンドベリの「幽霊ソナタ」の最後の場面で「死の島」が登場する。台詞ではなく、ト書きに次のように書かれている。「部屋は消え去る。ベックリンの『死の島』が背景に浮かび上がる。静かな憂鬱をたたえた音楽が、低く、その島から聞こえてくる」
 まさにこのような終結にふさわしい陰鬱な劇である。ここでいう「静かな憂鬱をたたえた音楽」というのが、ラフマニノフのそれを念頭においてイメージされたものかどうかわからない。
 ストリンドベリはおよそ前衛的な立場からはほど遠かった。彼はブレヒトやピランデッロのような近代演劇の改革者という立場に対する野心は少しも持たなかった。あるいはイヨネスコやベケットのように何かを告発してやまない演劇には関心を持たなかった。だが、方法的な前衛でないからといってストリンドベリやロルカを不当に低く評価することは許されまい。あれほど思想的な前衛として一時期、一世を風靡したサルトルなどでも、劇作家としてはむしろ(方法的には)古典派に属するといえる。私は今なおストリンドベリのたとえば「死の舞踏」などの崩壊への絶え間ない予感と深い退廃に魅せられている。そして、ロルカのたとえば「血の婚礼」などの危機への鋭い予感にも。
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