”漢”ついに世界へ 〜 タイ旅行記 〜




〜 プロローグ 〜




俺の母親がよく俺に

「国際結婚はいいけどタイ人とか中国人とかはやめてね。」という。



はじめて俺の母親がその言葉を吐いたのは、俺の卒業旅行の時。

タイへ旅立つ前日の夜である。



思慮が浅く、感情で行動するタチの悪い下町ババアである俺の母親であるが、

それゆえ差別という最悪の文化行為を口にすることに、少なからず驚いた。







「ババア。なんてこというんだ。俺は息子として恥ずかしいぞ!」



「生意気いうな!お母さんはアンタの為を思って言っているのよ!」



「結婚っていうのは、じゃないのか?肌の色なんて関係ねーんだよ!」



「そういうことじゃなくて、アンタと結婚する相手は・・・









国籍とか戸籍ぐらいしかメリットがないって言ってんの!」



「・・・」



実の母親でさえも、長男の結婚を諦めていると知った翌日に

俺はタイへと旅立つのだ。母親の心配をよそに。



俺は旅が好き。日常からの逃避が好き。

ここまでの人生においても、日本国内はふらふらと縦横無尽にいろいろ旅をした。

重要なのは「ふらふら」と旅をすること。ガイドブックをなぞるように名所を転々とするのは、

俺的には旅とは言わない。



「うわあ。写真と同じだあ。」ってアホか!足が疲れるだけだろ?って考えである。



しかしさすがに海外旅行では「ふらふら」としてたら命に関わる。

単身海外に出ることは自殺行為であるので、基本として国内旅行に限られていたわけだ。



おりしも驚異的な円高を迎え、ジャパニーズ・¥パワーが席捲していたその当時、

私の友人にも海外旅行を趣味としているものが大勢いた。

ことにつけその旅行記を聞く機会がそれなりにあったが、その時の俺の海外旅行のイメージは



「飛行機の時間に間に合わない!走れ、走れ!」



「税金かからないから、免税店でお買い物!」



「危ないから自由行動は避けましょう!」



「へえ。ここにも伊勢丹があるんだあ!わあ。日本とおんなじ!」



って「アンタ達楽しいのか?」っていうイメージだった。





まあ、単なる逃げ。

江戸時代の日本人がやっていた「鎖国」のように、排他的であっただけだ。



ところが卒業旅行ということで、その旅は友人の同行者二人を含む

「12人の優しい日本人」と一緒に行く、HISのツアー形式の旅。

この条件であれば、とヘタレな俺も食指を動かした、と、そういうわけである。



総予算:15万円(HISに払ったツアー料金を含む)

日数:4泊5日
(ぐらいだったと思う・・・)

目的地:タイ




さあ。大和魂でも見せつけにいきますか!

10%のわくわくと、90%の不安の中で眠りについた22の初春、タイ前日の夜。

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