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おわりに

 今回、主に犯罪報道による報道被害について私なりに考えてきてわかってきたことがある。それは、マスメディアは報道の自由を主張しているだけで、責任をとっていないことである。特に犯罪報道について、その前段階である取材は、警察の発表や関係者のリークに依存していて、その内容と合致しない証拠があったり、それらに異論を唱える人がいたりしても無視する。記事や番組の内容はセンセーショナルで人権侵害まがいのものでも、「読者や視聴者が望んでいる」からと言ってごまかす。間違った見方の報道をしてもそのまま続報する。誤報だったとわかったら警察の情報だったといって捜査に疑問を投げかける場合もあるが、自分は謝罪するどころか訂正するのも嫌がる。ところが、国や市民が第3者機関を設置することを検討したり要望したりすると、「権力の介入で表現の自由が失われる」「編集権の妨害だ」といって権利を主張するのである。
 言論自由と責任は表裏一体である。権利を主張するなら、相手の権利も尊重するのは当たり前のことである。しかしマスメディアはやっていない。マスメディアは報道の自由を主張するからには、その責任をとって、自主的に報道被害者を救済しなければならない。報道評議会なりオンブズマンなり、早く自主的責任制度を作ることである。そのことができないのなら、法的規制を受けて、表現の自由に圧力をかけられても反論はできない。
 また、報道被害の予防も必要である。メーカーが欠陥商品をそのまま市場に出して消費者を傷つけたら問題になるように、マスメディアが報道被害を繰り返すのは問題である。報道被害を受ける人のほとんどは一般市民であり、マスメディアにとっての読者や視聴者である。マスメディアがその人達を読者や視聴者とは考えず、「一部の人間」としか考えないのであれば、それはおごりである。このマスメディアのおごりを正すには、その「一部」のそのまた一部の報道被害者が訴訟をおこし、報道被害を訴えるのでは声が小さすぎる。マスメディアのおごりを容認してきたのは、その報道を受け止めた市民であるから、市民にも責任がある。市民が一丸となって、マスメディアに報道被害者の救済や被害予防を訴える必要がある。


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