この曲は南こうせつさんが作曲で、かぐや姫が唄って大流行しましたね。
僕が過ごした学生時代より少し後に作られた曲ですが、歌詞の内容が全く当時の僕の生活状況そのまま再現されているみたいで大変驚いています。
僕は高校卒業と同時に東京に出て、一年間の浪人生活の後、念願の早稲田に入学しました。
入学と同時に当時下宿していた池袋から学校近くの下宿に引っ越ししました。
この歌に出てくる神田川に架かる「面影橋」近くの「光風館」という朝夕二食の賄い付きの古い学生専用下宿でした。
やはり三畳一間の狭い部屋でした。当時はこれが普通でした。
前には神田川が流れていました。
川の向こうには、当時学校近くの「モコ」という喫茶店に勤めておられた鹿児島出身で僕より3歳年上の女店員さんと親しくなりました。
彼女とのデートはまさに歌詞の内容の通りです。
夜の仕事が終わってから、二人で近くのお風呂屋に一緒に行って、帰りには面影橋のふもとに立って夜遅くまで会話を楽しでいました。
夏のある日、彼女は突然僕の前から去っていきました。
大変驚きましたが、別れの理由は当時やはり東京で看護婦をされていたお姉さんから直接後日聞きました。
そして彼女はものすごく心の優しい人だったことを知りました。
僕のほろ苦い青春の想い出です。
先日東京に行ったとき面影橋を訪ねましたが、ほとんど以前の風景と変わらず残っているのをみて驚きました。
また当時、早稲田始発で神田川沿いを走っていた都電が今でも同じルートで走っているのを見て大変懐かしく思いました。
当時は歌手の賠償千恵子さんのお父さんもこの都電の運転手をしていて何回か乗り合わせたことがあります。
貴男はもう忘れたかしら
赤い手拭い マフラーにして
二人で行った 横丁の風呂屋
一緒に出ようねって 言ったのに
いつも私が 待たされた
洗い髪がしんまで冷えて
小さな石鹸 カタカタ鳴った
貴男は私の体を抱いて
冷たいねって 言ったのよ
* 若かったあの頃
何も恐くなかった
ただ貴男のやさしさが 恐かった
貴男はもう捨てたのかしら
24色の クレパス買って
貴男が描いた 私の似顔絵
うまく描いてねって 言ったのに
いつも一寸も 似てないの
窓の下には神田川
三畳一間の 小さな下宿
貴男は私の指先みつめ
悲しいかいって 聞いたのよ
*くりかえし