HAT神戸…大企業の工場跡地利用を「震災復興計画」として莫大な税金を投入
しかし、ここでも、被災者支援よりも大企業・ゼネコンの思惑が先行しており、これからばく大な税金が投入されるであろうまだ手の着いていない広大な土地が広がっていました。
 なお、びっくりするような「立派な建物」の「人と防災未来センター」では、大きな画面で大震災を視聴覚で追体験することができ、あらためて直下型地震の破壊力の恐ろしさを体感し、しっかりした防災対策の重要性を痛感しました。
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 神戸市の臨海部にある神戸製鋼や川崎製鉄の工場跡地利用は、大阪ベイエリア構想として震災前から、関西財界が大規模開発構想をたてていたところでした。
 そして、大震災があった年、震災後まだ半年も過ぎていない六月に「神戸市復興計画」のシンボルプロジェクトに位置づけられ(悪く言うとドサクまぎれ)開発が進められてきました。
 神戸市民が「ハッ!」と喜べる町、「HAT(ハット)神戸」だそうです
 
 長田区の「まちづくり」は、大企   業本位の大規模開発

 大震災のとき倒壊した阪神高速神戸線が通る長田区は、震災直後の報道などで、ケミカルシューズ工場が密集し、ぬくもりが息づく庶民の町という印象がありましたが、町は、再開発事業ということで、超高層ビル建設がすすめられていました。

 20.1fの地域に2,710億円もかけた巨大開発事業を「震災復興」と称して強行する行政。個人補償や震災対策はほとんどせず、被災者の方たちが元の街に戻れない震災復興事業が本当の「復興事業」なのかと、大震災をも大企業の食い物にする非人間的といえるその姿勢に、北淡町に続いてまたまた怒りがこみあげてきました。

 路島北淡町の視察(bW号で紹介)を終え、明石海峡大橋を渡って神戸市の長田区へむかいました。
 レインボウ・ブリッジに似た全長3,911bの明石大橋は、「技術の粋を集めた世界一のつり橋」との鳴り物入りで、98年4月に開通しました。
 そのとき、被災者の生活再建に使うべき復興基金まで投じて橋をイルミネーションで飾り批判をあびました。
 いま、料金収入は利払いにも追いつかず、破産寸前です。

  
長田区の再開発事業の立体模型があったマンションのショウルーム
2003年8月
 bX

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阪神淡路大震災の跡をたどる(その2)
ここでも大企業・ゼネコン奉仕の復興事業が貫かれていました
【神戸市長田区とHAT神戸の「震災復興」の視察報告】