薄暗い部屋の中に浮びあがる赤いランプ。
留守番電話の小さな表示。
釦を押せば無機質な合成音が、電話があったことを教えてくれる。
短い電子音の後に聞こえてくる声。
「……私だ。…………また連絡する」
耳に響く声。忘れられない…声。
録音テープを巻き戻そうとする手が、止まる。
巻き戻せば、消える。
消せるのに…。
鞄とコートを投げ出し、そばのベッドに身を横たえる。
視界の端にある、点灯したままの赤いランプ。
小さな光があの日見た赤い傘と重なる。
傘の下で見知らぬ女性に微笑んでいた、あの人。
『室井さん、お見合いしたらしいですよ』
『相手は刑事局長の姪ですって』
最初から決めていた。
その時が来たら、彼を解放しようと。
最初から解かっていたことだった。
これが、幻の恋だってことは。
その幻にいつまでもしがみ付いていたのは自分。彼の優しさにつけ込んで、縛り付けていた。
本当は、もっと早く解放するべきだった。いや、差し伸べられた手を捕らなければ良かった。
そうすれば…。
閉じた瞳の上に右腕を乗せる。巻かれた白い包帯が、濡れた。
自分で決めたことなのに、何故こんなに苦しいんだろう。
最初から解かっていた事なのに、まだ振り切れない。
会いたいけど、会えない。
消せないテープが溜まっていく。
ブラインドの向こうに浮ぶ三日月。
あの日と同じ。
こわれた三日月。
パートナー 〜共に歩む者達〜
第二章 消せない『心』
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いつもはどこか呑気な刑事課に、張り詰めた空気が漂う。
誰も何も言わない。だがその顔に浮ぶ表情は皆同じだった。
憤り、怒り。
それらの感情をぶつけられている二人の男。そかしその表情は動かないまま。
「…どういう事?ちゃんと説明してくれないと納得できないわ」
腕を組んで、目の前の二人を睨みつけるすみれ。およそ上司に取るには相応しからぬその態度にも動じる事無く、静かな眼差しですみれを見返す。
「先程言ったとおりだ。…今はそれ以上の事は言えない」
「…あんたねっ!」
思わず1歩前に出たすみれを、和久の手が制止する。
「和久さんっ!」
苛立つすみれに無言のまま首を振る。
「…っ」
唇を噛み締め、無言で目の前の二人を睨みつける。
動じない漆黒の瞳がすみれを見返す。と、その瞳がかすかに揺れた。
聞こえてきた足音と、声。
「むろい…さん」
「青島…か?」
絡み合う二つの視線。先に逸らしたのは…青島だった。
「青島君!」
「すみれさん。一体何がどうしたって…。それにあの人…誰?」
今だ柳眉を逆立てたままのすみれの傍に行き、室井の横に座る30代前半ぐらいの男を指差した。
「…二課の藤咲警部です」
青島の横に来た雪乃がそっと耳打ちをする。
「え、捜査二課の?なんで?」
捜査二課と言えば、詐欺、横領、贈収賄等の知能犯事件を捜査担当している所のはず。その二課の警部が何故一課の理事官である室井と一緒にいるのか?
ふいに、それまで座っていた藤咲が立ちあがり青島の前に立つ。
並ばれて青島は、彼が自分より背が高いことを知った。
「君が青島巡査部長?いやぁ、噂はかねがね聞いてますよ。お会いできて光栄だなぁ。あ、私は捜査二課の藤咲廉です。レンは廉価、廉売のレンです。よろしく」
「…破廉恥の廉の間違いでしょ」
「…すみれくんっ!」
すみれの言葉に青くなった袴田が慌ててたしなめるが、当の本人は涼しい顔でそっぽ向いている。
「これは、1本捕られたなぁ。参った参った」
と、頭を書きながら笑い飛ばす藤咲。
恍けた口調とつかみ所の無い性格に、さすがの青島にも戸惑いが浮ぶ。そんな青島の戸惑いを他所に勝手に話を進めはじめた。
「先程、皆様にも申し上げたのですが、今日はこちらに捜査協力をお願いしに参りました」
「捜査、協力?」
言葉遣いはあくまでも丁寧に。だがその態度は何処か威圧的で。上から被さってくるような声に、息苦しささえ感じる。
「…いろいろ言葉で飾っても仕方ありませんね。単刀直入に申しましょう。現在こちらで行っている、逢坂健司君の捜査を至急止めていただきたい」
「……は?」
一瞬何を言われたのか解からなかった。
「あなた方の捜査が、今こちらで行っている捜査の邪魔になるんですよ」
―― 邪魔…?
藤咲の言葉が、ゆっくりと耳の奥に浸透してくる。
「それに、逢坂少年の父親からも頼まれましてね…。ね、室井さん?」
室井の名に反応し、壊れた人形の様にゆっくりと首をめぐらす。室井は何も答えず腕を組み、静かに目を閉じていた。
「逢坂直哉氏とうちの池神局長って、同じ大学の同期らしいんですよねぇ。それで…ね。まぁ良くある話です。官僚同士は仲良しこよしって、ね。ああ、そう言えば局長の姪御さんもK(厚生省)に勤めていらっしゃるんでしたっけ。ほら、室井理事官の見合い相手の…」
無意識の内に白くなるまで握り締められる拳。治りきっていない右腕が疼く。
「何よそれ!冗談じゃないわっ!そんな理由で捜査をヤメロって言うの?!大体、そっちの捜査の事だって、一言の説明も無し!突然やってきて『捜査を止めろ』なんて言われて『はい、そうですか』って従う馬鹿なんていないわよっ!!」
人事のような藤咲の言葉にすみれが爆発する。彼女を止めようと背後で袴田が真っ青な顔で何かを喋っている。
それらを視界の端に捕らえながら、青島の瞳は室井の方を向いたままだった。
室井は、何も言わない。
「…そっちの捜査の事は何も教えてもらえ無いっすか?」
「そうだね。…これは君達所轄には関係無いことだ」
弾かれた様に振り向き藤咲を睨みつける。
怒りに燃える青島の瞳を何処か面白そうに見つめる藤咲。
刑事課内に緊張が走る。
握り締められた掌に爪が食い込み、血が滲み出していた。
「……これは、命令ですか…?」
―― ムロイサン
押し殺した声。心の中で呟かれた名前。
「そうだ」
たった一言の返事。
答えたのは、室井だった。
「なんなのよっ!それっ!!」
「すみれくんっ!!」
怒りのまま両手をテーブルに叩きつけるすみれ。来客用の華奢な湯呑が、飲み掛けのお茶を撒き散らしながら転がった。
「青島君も何か言いなさいよっ!こんなやり方納得できないわっ!!」
すみれが叫ぶ。室井は…何も言わない。
青島は、静かに呟いた。
「…解かりました。命令なら従います」
「ち、ちょっと!あおしまくん?!」
らしくない従順な態度の青島に、周囲から戸惑いのざわめきがおこる。藤咲も少し意外そうに青島を見ていた。
「仕方がないっしょ。今ここで何言っても無駄だよ」
「青島君…」
にっこり微笑む青島をやりきれない思いで見つめる。
「お話は以上っすね。じゃ、俺休憩の続きしてきまーす」
そう言って手を振りながら刑事課を出て行こうとする。
室井の方を向こうともせずに。
「待てっ、青島!!」
鋭い室井の声に青島の足が止まった。しかしその顔は正面を向いたまま。
「お前は…本当にこれでいいのか?」
「……イイもワルイもないっしょ。局長からの命令なんでしょ?ここで室井さんあたっても室井さんが困るだけだし…それに」
「それに…なんだ?」
「上司の命令に従うのが部下の勤めっすから」
「…っ!」
俯き呟かれた言葉。相変わらず背を向けたままで。
「それじゃ、俺…」
室井の方を見もせずに一方的に去ろうとする青島。
あの朝、まどろみのなかで見た光景が重なる。
朝焼けの光。
生まれた影。
見えない、瞳。
聞こえない、言葉。
目覚めた時、その姿はすでに無く…。
『さよなら』
「こっちを向け!青島っ!!」
歩き出した青島の右腕を取り、無理矢理こちらを振り向かせる。
一瞬、苦痛の表情を浮かべる青島。
「お前は一体何を考えているんだ?本当にあれがお前の本心なのか?!」
「……」
室井の差す「あれ」とは先程の答えなのか、それとも…。
「答えろっ!何故お前は何も言わないっ…!」
「答える必要はないでしょう。本心かどうかなんて室井さんには関係ない」
「なんだと…?」
腕を掴む手に力が篭る。
「俺達は上司と部下。部下が上司に従うのは当たり前。…それに」
「それになんだっ!」
「……何も言わないのは、室井さんのほうだよ。いつだって…なにも言ってくれなかった」
「…え?」
一瞬、浮んだ泣き出しそうな顔。青島の腕を掴む力がわずかに緩んだ。
振りほどかれる手。
歩き出した青島を、室井は追う事が出来なかった。
「こんなとこにいたんだ。皆心配してるよ」
「うん。…御免ね、また心配かけちゃったね」
すみれは小さく溜息を吐いて、頭上に広がった青空を見上げた。晴れ渡った広い空。遠くに見える町並み。
「気持ちイイね。でもちょっと寒くない?」
「そう?俺は、丁度良いよ」
屋上のフェンスに背を預け、すみれと同じように空を見上げる。
「…なにかあったの?これと」
青島の横に並び、同じようにフェンスに凭れたすみれが、眉間に指を当てて、そっと聞いてくる。
青島は、空を見上げたまま答えない。
「喧嘩でもした?」
「…違うよ」
「じゃあ…」
一際強い風が二人の間を吹きぬける。
「喧嘩なんてしてないよ。俺が、室井さんを、捨てた…だけ」
「…え?」
「…それだけだよ」
そう言って、右腕を抱きしめる様にその場に蹲る。
「まいっちゃうよなぁ…。室井さん思いっきり掴むんだもん。もう、痛くて涙出そうになっちゃった」
「青島君…」
蹲り、膝に顔を埋めて小さくなる青島の髪を風がそっと撫でて行く。
「ホントに痛かったんだ…室井さん」
小さく呟かれた声は、風だけが聞いていた。
黒塗りの公用車が、広い道路を走り抜けていく。
「嫌な役目をさせて申し訳ありませんでした」
「いや、これも仕事だ」
公用車を運転しながら室井を気遣う藤咲に、返事を返す。
「しかし、意外でしたねぇ。青島君があんなに素直にこちらの言うことを聞いてくれるなんて」
「そう、だな」
何処か上の空のような室井の返事。車内に沈黙が下りる。流れて行く見なれた景色。
先程のやり取りが蘇ってくる。
『答えろっ!何故お前は何も言わないっ…!』
『答える必要はないでしょう。本心かどうかなんて室井さんには関係ない』
頑なに室井を拒む青島。一方的な別れの理由も何も言わない。
番号を変えたのか、繋がらない携帯電話。自宅にかけてもいつも留守番電話のままで。
苛立ちのまま、何度アパートに押しかけようとしたか。
だが出来なかった。今のままの青島に何を聞いても答えてくれないだろう。それに今は…。
「青島君は、このまま大人しくしているでしょうか?」
「どうかな。…私にはわからない。君はどう思う?」
「あなたにわからない事を私がわかる訳ないでしょう。でも、個人的な願望を言わせていただければ、このまま終って欲しくないですねぇ」
「なぜだ?」
「このまま終ってしまったら面白くも何ともないでしょう?彼にはもっといろいろと活躍して欲しいですねぇ。私はね、こう見えても青島君の熱烈なファンなんですよ」
相変わらず恍けた口調に一体何処までが本気なのか解からなくなる。
室井が藤咲に気付かれない様に小さく溜息を吐いた時だった。突然車内に響く携帯の着信音。
「…私だ。…ああ君か。……いや、今本庁に向かう所だが…え?今夜?…ああ、今の所はなんの予定も入っていない。……解かった。では6時に…では後で」
「『彼女』ですか」
「…ああ」
携帯をポケットにしまいながら答える。バックミラーに写る藤咲の視線が鋭くなったように見えたのは、おそらく気のせいではないだろう。
「じゃあ、さっさと本庁に帰って報告済ませちゃいましょう。くだらない事でせっかくの『デート』の時間を潰してしまったのでは申し訳ない」
藤咲の言葉に室井の眉間に皺が刻まれる。
―― 今夜6時にいつもの場所で。
少し低めのアルトの声が耳に残っていた。
電話の相手。室井の見合い相手でもある「殿村恵梨」の声が。
炎のような燃える想いが
あなただけを求めている
あなたは誰を見つめているの
(岩井祐穂作詞:「炎と雨」より)
続く
あー、続いちゃいました。おまけに、こんな所で切ってどうすんだ(汗)こりゃ、次でも終らないかも…。はははは。
さて!事件はどうなる!無事に全て解決するのか?!
二人ははたして仲直りできるのか?!
と言う訳で再び、以下次号!!
なお、室井さんの役職については適当。「参事官」のままでも良かったけど「理事官」のほうがまだ現場に近いような気がして…。
って言ってもあんまり詳しい事は知らないんですが(笑)