いくつもの愛をかさねて

Scene 6 〜恋哀〜

愛していると気付いた時から

気付かれないようと振舞った。

あの人が好きだから。

あの人の傍に居たいから。

伝えたい想い。

でも

伝えられない。

そして

伝えてはいけない。

胸の痛みは

いつまでも

消えない。

Scene 6−A

 最近、ふと視線を感じて振り返る。

 誰かといるとき、一人のとき、通勤途中で、あるいは仕事中に。

「どうしたんですか、先輩?」

「なんでもないよ」

 嫌な感じ。悪意に満ちた視線。

 何かいやな予感がする。

 

「…っあっつ!」 

 突然上がった俺の悲鳴に続いて、プラスチック容器が床に転がり軽い音を立てる。円を描く

様に転がるカップの跡を追うようにコーヒーが床にしみを残していった。

「大丈夫?!」

「…へーきへーき」

 ズボンに付いたコーヒーをハンカチで拭きながら、後ろで心配そうに見ているすみれさんに

応える。

 実際、飲みかけのコーヒーは冷めていて、ズボンのしみの事さえ気にしなければ、別にどう

って事はない。

「じゃなくて、そっちの方」

「…え?」

 すみれさんが指差したのは俺の胸。つい最近ナイフで刺された左胸の傷の方。

「急に振り向いたから、傷口に響いたんでしょう?」

 その通りだった。相変わらずよく見てる。

「…うん、でも大丈夫。もう殆ど治ってるんだから」

 刺された傷は出血の割に浅く、殆ど塞がっている。さっきみたいに急な動きに痛みが走る事

はあるが、他はまったく問題はなかった。

「あー!なんか思い出しただけで腹が立ってきた!!」

 書き掛けの報告書をグシャグシャにしながら、突然大声で怒鳴るすみれさん。

「何怒ってんですか?」

 向かいの席で報告書をまとめていた真下が不思議そうに聞いてきた。

「何って、室井さんの事に決まってんじゃないっ!!」

 …室井さん。

 無意識の内に傷口を手で押さえる。

 胸の傷が、疼く。

「それってこの前の事ですか?」

「そうよ!!私達の言うこと無視した挙句、青島君に怪我までさせて!」

「…いや、怪我したのは青島君のせいであって…」

「課長は黙ってなさい!」

「…はい」

 隣で聞いていた袴田課長を一言で黙らせ、更に怒りをつのらせるすみれさん。

「あ、でもこの前の事なんですけどね。室井さんは被害者のお兄さんの事、知らなかったみた

いですよ」

「…何よ、それ」

 何処か呑気な真下の声に、すみれさんの怒りも削がれる。

 だがそれよりも…。

「真下、室井さんが知らなかったって、どういう事?」

「本店の同期から聞いたんですけどね。一課の捜査員が捜査情報をきちんと室井さんに伝え

ていなかったみたいなんですよ。おまけに、各所轄から送られてきた情報も自分達で勝手に

処理してたらしくて」

 それじゃあ、あの時室井さんは本当に何も知らなかった…?

「でも、その部下の管理も室井さんの仕事でしょ!」

 今だ怒りの収まらないすみれさんの声を聞きながら、前に本店に誘われた時の事を思い出

す。

 自分勝手でプライドばかり高い捜査員の中で孤立していた室井さん。

「それだけじゃないんですよ。どうやら室井さんその件で上ともめたらしいんです」

「なんだって?」

「噂なんですけど、この前の研究会での室井さんの発言が上の方で問題になってるらしいっ

て」

「なんて言ったの?」

「詳しくは知りませんけど、本店と支店の縦割り構造を無くすとかどうとか…」

「…!」

 室井さんはずっと一人で戦っていたんだ。

 周り中敵だらけの中で、たった一人組織の壁と戦い続けていた…。

 なのに俺は、そんな室井さんの気持ちも知らずに、子供みたいに喚き散して、挙句の果て

に八つ当りまでして…。

―大丈夫か…。

 あの時の室井さんの声が蘇る。

 痛みが走る

 胸の奥の疼きが、止まらない。

「真下!!教えて欲しい事があるんだ!!」

 

 体に纏わりつくような霧雨は夜の風と交じり合い、俺の体温を容赦なく奪っていく。

 あれからすぐ真下から室井さんの住所を聞き出し、定時になったと同時に飛び出して官舎

まで来たものの、肝心の部屋が何処なのかがわからない。しかたなく外で待つことにしたの

だが、多忙なあの人がいつ帰ってくるのか、それすらも判らなかった。

「何やってるんだろうな…俺」

 人気のない外灯の下でいつ帰って来るのか判らない人を待ちつづける自分に自嘲する。

 たった一言でいい。

 たった一言でいいから室井さんに謝りたかった。

 室井さんに…会いたかった。

 あの人に会いたい。

 あの人の顔が見たい。

 あの人の声が聞きたい。

 あの人に、触れたい。

 冷たいからだの奥で湧き上がってくる焼けつくような想い。

 あの時気付いた自分の想い。

 でも、この想いを室井さんに伝える事はない。

 だって、あの人は警察庁のキャリアで。

 そして。

 俺と同じ性を持った、男だから。

 人一倍真面目で潔癖なあの人にこんな想いを伝える事は出来ない。出来るはずがない。

 こんな邪な想いを…。

 凍てつく寒さの中、すでに感覚が麻痺した両手に息を吹きかけながらも俺の足はそこから

離れようとはしてくれない。

 あと10分、あと5分といいながらもう4時間以上もここに居る。

 

「…青島、か?」

 

 

Scene 6―M

 「…青島、か?」

 1日の仕事を終え六本木の官舎に戻った時、雨の中官舎の前に立っているみなれたカー

キグリーンのコートを見つけた。

 近付いてみると確かに青島だった。傘も差さずにこんな所で何をしているのだろうか?声を

かけると、ひどく驚いた顔でこちらを見た。

「どうしたんだ?こんな所で何をしている」

「あ、あの。俺、室井さんに謝りたくて…」

 謝る?彼が私に対して謝るような事があっただろうか?

 むしろ、謝らなければ行けないのはこちらの方なのに…。

 自分のミスで青島に怪我をさせた。事件の後の報告書で、幸いにも軽傷だったと知った

が、それでも怪我を負わせた事にかわりはない。

 今もこの寒さで傷が痛むのか、胸のあたりを押さえている。

「…?」

 ふと、その手がひどく赤くなっている事に気が付いた。

 よく見ると、コートもびっしょりと濡れ、含み切れない雨がコートの裾から地面へと落ちてい

る。唇の色も紫に変わっており体も小刻みに震えていた。…まさか!

 とっさにつかんだその手はまるで氷のようだった。

「おい、一体いつからここに居るんだ!」

「…えっと」

「いいから来い!」

 まるで体温を感じないその手をつかんだまま、自宅へと連れ帰る。

 玄関で微かに抵抗する青島を屋へ上げ、着替えとタオルを渡しバスルームへ押し込める。

「あの…」 

「いいからさっさと風呂に入って着替えろ!すこし大きめのサイズだからお前にも着れるだろ

う。いいか!もういいというまで出てくるな!」

 呆然としている青島をバスルームに残しキッチンに向かう。

 まったくあいつは何をやっているんだ。あんなに濡れているという事は10分やそこらではな

いはずだ。風邪でも引いたらどうするつもりなのか。いや、下手に拗らせて肺炎にでもなった

ら…。

 真っ青な顔。死人のように冷たい手。

 ―死。

 心臓から紅い血を噴き出させ倒れる青島の姿が脳裏に浮んだ。

 頭を振って幻影を振り払おうとするが一度悪い方へと向いた思考はなかなか消えない。

 青島が刺されたと聞いたとき以来、頭の中に浮ぶ映像。幻像だと判っているはずなのに体

の震えが止まらない。

 青島を失うと思った瞬間、突然気付いた自分の気持ち。

 あいつを失いたくない。

 あいつを離したくない。 

 あいつに傍にいてほしい。

 あいつを、ずっと俺だけのモノに…。

 この想いを気付かれてはいけない。

 純粋で、まっすぐな青島。

 俺を信じて慕ってくれている青島にこの想いを気付かれる訳にはいかない。

 こんな邪な想いを…。

 

「…室井さん?」

 自分を呼ぶ青島の声で我に返る。火にかけっぱなしだったやかんはとっくに沸いていた。

「な、なんだもうあがったのか?」

 慌てて時計を見ると、青島を風呂場に押し込んでからまだ15分ほどしか経っていない。

「これ以上入ってたら、茹っちゃいますよ」

 十分に暖まったという彼をリビングのソファーに座らせ、大きめのグラスに濃い目に作った

ウイスキーの湯割を渡す。

「これが一番手っ取り早いからな」

「…済みません」

 足をそろえて座り、両手でグラスを持つ姿が子供のようで妙に可愛いく見える。

「まったく、あんな所で何時間も立っているなんて、体でも壊したらどうするつもりだ」

「…でも、どうしても会って話したい事があったから…」

 小さくなって上目遣いに見上げる姿に心臓が跳ね上がる。

「だ、だったら連絡ぐらいすればいいだろう」

「俺、室井さんの連絡先なんて知らないし…」

 言われてみれば確かにそうだ。溜息をつき、傍にあったメモに携帯の番号を書いて青島に

渡す。メモを見てしばらく驚いた顔をしていたが、やがてうれしそうに微笑んで大事にしまい込

んだ。

「…今度はちゃんと連絡しろ」

「はい!」

「…で、話したかった事ってなんだ?」

「…あ」 

 一瞬の躊躇いを見せた後、姿勢を正したとおもうと、

「済みませんでした!!」

「あ、あおしま?」

 いきなりテーブルにぶつかるかと思うほど頭を下げる青島に戸惑う。

「今日、真下にこの前の事件の時、室井さんが被害者のお兄さんの事知らなかったって…。

それにこの前の研究会で本店と支店の壁を取り除こうとしてくれたって聞いて。…俺、そんな

室井さんの気持ちも考えずに、電話で一方的に当り散らしたりして…。本当に済みませんで

した!」

「…青島」

「俺、自分が情けないっす。室井さんが俺達の事考えてくれてる時に、自分の事しか考えてな

かった」

「謝らなければならないのはこちらの方だ。部下の管理も満足に出来ないなんて管理官失格

だ。おまけに君に怪我までさせてしまった」

「…これは、俺が勝手に!」

「研究会での事も今まで誰も何も言わなかった方がおかしいんだ。もっとも俺も今まで何も言

わなかった内の一人だったんだがな」

「……」

「君と一緒に捜査をしているうちに、今まで見えなかったものが見えてきたような気がする。…

君と一緒に捜査できて良かったと思ってる」

「室井さん。…俺も室井さんと一緒に仕事できて良かったって思ってます」

 顔を上げると、まっすぐに自分を見つめる青島の視線にぶつかった。目を逸らす事も出来

ず見つめ返すと、

 青島が、笑った。

 ふわりと、透明な花が咲きほころぶような笑顔。

 視界のすべてが青島に支配される。

 思考のすべてが彼で埋まる。

 冷静な部分が警鐘を鳴らし続ける。

 彼ニ触レルナ。

 彼ヲ汚スナ…!

 だが、もはやそれは俺には届かない。

 「…!」

 床に転がるグラスの音と、部屋を満たした蒸留酒の香り。

 俺は強引に彼の手を取り、そのまま強く抱きしめていた。

「む、室井さん?!」

 腕の中の青島が、突然の事に戸惑い抵抗する。

「ちょ、ちょっと…離し…!」

 一度手放した理性はもはや戻らない。俺は自分の欲望のままに青島に口付けていた。

 強張る青島。それを無視して貪る様にキスをする。硬く閉ざされた歯列を強引に割り彼の口

内を蹂躙する。

「…んっ…う…」

 ふいに青島の体から強張りが抜ける。薄く目を開けると間近に見える青島の瞳。

「…っ!!」

 突然の痛みと口内に広がる血の味。青島を抱く手の力が弛んだ瞬間、渾身の力で突き飛

ばされていた。

 青島は肩で息をしながら、怯えた様に自分を見ている。

「…あ…あおし…」

「…あ、あの、俺帰ります!…き、今日は…その……失礼します!!」 

 まだ乾いていないスーツとコートを掴んで、振り続ける雨の中に飛び出して行ってしまった。

「…青島。…俺は…」

 静けさを取り戻した部屋の中で、閉ざされた扉を背に蹲る。

 彼の走る足音が雨音に混じりしだいに遠ざかって行った…。

 

 

Scene 6−A

 降り続く雨の中に、呆然と立ちすくむ。

 室井さんにキスされた。

 室井さんが俺にキスを、した。

 どうして…?

 感情がまとまらない。冷たい雨も逆上せてしまった俺の頭を一向に冷やしてはくれない。

 混乱して、訳がわからなくなって。そして怖くなって逃げ出した。

 怖かった。

 室井さんではなく、自分自身が。

 潔癖なあの人を狂わせてしまう自分が怖かった。

 俺はあの人を愛している。

 だけどキャリアであるあの人にとって、俺の存在は妨げにしかならない。

 これ以上近付いてはいけない…。

「…室井さん」

 胸の痛みが消えない。

 

 雨の中、ふと視線を感じて振り返る。

 嫌な感じ。悪意に満ちた視線。

 何かが起こりそうな予感がする。

To be continude

 

さてさて!

いよいよ物語りは本筋に!(やっとかい!)

しょっぱなから逃げ出しちゃった青島君。

一体いつになったら幸せになれるやら。

室井さんも

さっさと押し倒しちゃえばいいのにね(コラコラ^^;)