いくつもの愛をかさねて
Scene7.〜相対あいたい〜
一度気付いた想いは消せない。
忘れたいのに
忘れられない
だから
忘れない
忘れない代わりに
この想いに嘘をつく
恋情の代わりに尊敬
愛情の代わりに友情
自分の心に嘘をつく
嘘をついて
……を守る
Scene 7−A
「あんたと取引がしたい。…警官殺しの件で」
龍村。非合法のカジノバーのオーナーで、六本木のもぐらのドン。
裏社会であらゆる情報に通じている男からのタレコミだった。
6年前、八王子で起こった警官殺しの犯人らしい男が現れたという。名前はトシ。
居場所は…。
「…で、ここで取引だ」
「…取引?」
背後に聞こえるカジノの騒音。
たちこめる煙草の煙とアルコールの匂い。
着飾った人々が晒す様々な人間の感情。
非日常的な空間の中、欲望という名の本能に満ちた人間達の中で、たった一人、人間の
匂いのしない男。
世の中の闇を凝縮したようなその瞳に、思わず引き込まれそうになるのを必死に耐える。
「…青島さん、あんた良い目をしてるよ。…人を惑わす、いや、狂わす瞳かな?」
龍村の言葉に一瞬からだが強張る。
―あなたが彼を、狂わせた…!
耳の奥に響く、過去からの声。
「な、なに言ってるんだ…」
かろうじて絞り出した声は小さく掠れていて、龍村はそんな俺を見て小さく笑っていた。
「…そうだな。取引の内容、あんた自身というのはどうだ?」
「…な!」
龍村の取引に頭の中が真っ白になる。
今度こそ完全に硬直した俺に、龍村が声を立てて笑う。背後で驚いた様にこちらを見る気配
がした。
「冗談ですよ。この程度の取引であんた自身というのは勿体無い。今回はうちの若いのを
一人、成田通させてくれるだけでいいよ。簡単だろ?」
「俺に犯罪の片棒担げって言うのか?」
怒りを込めた俺の声に薄笑で応える龍村。
「…俺が応じるとでも思っているのか?」
「自分に聞けよ」
龍村の言葉が、毒の様に体に染み込んでくる。
情報か、取引か。
俺は答えを返せないまま、カジノを後にした。
湾岸署に戻った俺を迎えてくれたのは、当直のすみれさんと和久さんだった。
「こいつは、たった三行の人生だったんだ」
和久さんが見せてくれたのは、6年前殺された警察官の資料。
何度も読まれ調べられた資料の表紙は傷付いて、くたびれていて。俺の目にはまるで和久さ
んのように映った。
6年間ずっと犯人を追い続けている和久さん。
定年まであと、1週間。
情報か、取引か…。
「和久さんちょっと」
迷っている暇はない。
俺は龍村の情報を和久さんに話した。だが。
「駄目だ!そんな条件は飲むな」
「でも、後1週間しか…」
「この男は俺がさがす」
和久さんはそう言って夜の街に出て行った。だけど…。
与えられた情報はあまりにも少なすぎる。俺達だけじゃ無理だ。
俺達だけじゃ…。
そのとき、ふと浮んだのは室井さん。あの人なら…!
焦る手で教えてもらった携帯の番号を押す。だけど同時に浮んだもう1つの室井さんの顔が
番号を押す手を止めた。
数日前、突然俺にキスをした時の室井さん。いつも冷静な姿からは想像できないほど、熱い
瞳で俺を見ていた。欲望に追い詰められたあの瞳。…昔、同じ瞳で俺を見た奴がいた。
―あなたが彼を、狂わせたのよ!
駄目だ…!これ以上室井さんに近付いちゃ駄目だ!
…忘れなきゃ。室井さんは俺の上司だ。それだけだ。
それ以上近付いては行けない。
俺は室井さんを尊敬している。そして同士。
この想いは…愛じゃない。
…友情だ。……それでいい。
翌日、作成した報告書を本店に送る。結局和久さんはトシという男を見つけることが出来な
かった。
つかれきった顔で椅子に沈み込む和久さん。周りの皆も声には出さないけど、とても心配し
ている。
これが最後だから。
6年間犯人を追い続けた和久さんの、最後のチャンス。
このチャンスを無駄には出来ない。
俺は震える手で、携帯の番号を押した。
『…室井です』
俺にとって、やけに長く感じた数コールの後、受話器の向こうで室井さんの声が響いた。
心臓が跳ね上がる。声を聞いただけなのに…。
「青島です。忙しいのに済みません」
ざわつく心を無理矢理押さえて、何とか平静を保つ。
この人はジョウシだ。
『怪我は治ったか?』
「…はい。もともとたいしたことなかったですから」
これはユウジョウだ。
『……あ、青島。この前は…』
「室井さん…!」
『…なんだ?』
俺はこの人をソンケイしている。……それだけなんだ。
「うちの和久さんが追っていた被疑者が六本木に現れたんです」
「六年前の?」
「報告書送りました。室井さん、捜査一課を動員して検挙してください。和久さん、後1週間しか
ないんです。…お願いします」
なるべく感情を殺して要点だけを伝える。
殺しきれない感情が俺の中で渦巻く。
『…判った』
電話はそこで切れた。
俺はいつまでも受話器を置く事が出来なかった。
その日、俺は龍村のもとを再び訪れた。
今朝送った報告書に対する本店の返事は、NO。
これで、俺達だけでトシという男を探す手立てはなくなった。
残るは。
昨夜来た時とは違い静寂に包まれたカジノバーで、龍村は一人バカラのテーブルの前に
座っていた。
入ってきた俺を見ても表情一つ変わらない。まるではじめから俺が来る事を予想していたよ
うに。
個人が所有するには大きすぎる水槽から聞こえるエアポンプの音が、深い水底にいるように
錯覚させる。背後から巨大なアロナワが口をあけて俺を飲み込もうとしている。そんな気がし
てくる。
「……和久さん焦ってる。…見てられない…」
「取引に応じてくれるんですね?」
ここでYESといえば、情報が手に入る。だけど、どうしても言うことが出来ない。
俺の中で相対する二つの心。
情報か。それとも。
「えらい人間は皆こういう取引を利用するんですよ」
えらい人間は皆?…室井さんも…?
「あなたは取引をすべきなんだ」
差し出されたカード。これを受け取れば男の情報が手に入る。
だけど。
まっすぐな黒い瞳。ピンと伸ばされた背中。
いつもたった一人で戦い続けている室井さん。
彼は決してこんな取引をしないだろう。たとえそれがどんなに有益な情報だったとしても。
「俺は取引をしない」
「警官殺しの犯人と傷害の犯人とどちらが大切なんです?」
「事件に大きいも小さいもない」
これが俺の信念。これがほんとに正しい事かどうかわからないけど、俺は自分を信じて行く
だけだ。
「……」
龍村の瞳が俺を捕らえる。俺もまっすぐに見返す。
先に目をそらしたのは龍村のほうだった。
「やれやれ。そんな瞳で見つめられたら、襲ってしまいたくなりますね」
「な、何言ってんだ?!」
「冗談ですよ…。本当にあなたという人は…」
「なんだよ…」
「いいえ。なんでも」
訳のわからない冗談を言う龍村を睨むと、奴は面白そうに笑った。そんな余裕のある姿にま
すます腹が立ってくる。
「…もう行ったほうがいい。ここはあなたにはふさわしくない場所だ」
「…龍村」
そう言った奴の顔に戸惑う。龍村の顔が何処か寂しげに見えたから。
「ああ、そうだ。あなたの潔さに免じて一ついい事を教えてあげましょう」
「なんだよ」
さっき見えたあの表情は気のせいだったんだろうか。あいかわらず食えない笑顔を浮べる
龍村。
「青島さん…あなた、監視されてますよ」
「……監視?」
一瞬何を言われたのか判らなかった。監視?だれが?どうして?
「あなたの事を調べていたやつらがいます。今の事は勿論、過去の事もすべてね」
「……!」
俺の過去。昔の事、すべて…。
―彼を殺したのは、あなたよ!!
「お、俺は…!」
体が震える。息が出来ない。
「あなたを監視しているのは、おそらく身内の方でしょう」
「……身内?」
「ええ。同じ警察内部の人間です」
衝撃が走った。同じ警察内部の人間が俺を監視している。
そして同時に、最近感じていた、あの自分に纏わりつくような視線を思い出す。悪意に満ちた
視線。
まさか。あれが!
「なんで…」
「さぁ?そこまでは判りません。だけど、気をつけたほうがいい。あなたは自分で思っている
以上に周りに影響を与えている」
「……」
すべてを見透かしているような龍村。もしかしてこの男は…。
「お前は、俺の何を知っているんだ?」
「…さぁ」
その表情は相変わらず読めない。
「もう行って下さい。これ以上は話す事はありません」
龍村の言葉に背を押され、カジノを後にする。
「…青い鳥を一羽、手に入れ損ねてしまったな」
扉を閉める寸前、そんな呟きが聞こえたような気がした。
重い足取りで署に戻った俺に、すみれさんが驚くような事を告げた。
「和久さんが任意で男連れてきた!」
「見つけたの?!」
「たれこみあった」
そう言ってすみれさんが見せてくれたのは一枚のファックス。書いてあったのは男の住所と。
「…龍村」
あいつらしい簡潔な一文。ほんとに食えない男だ。
でも、これで犯人を逮捕できる。俺達は間に合ったんだ!
―誰もがそう思ってた。
俺だけじゃない。和久さんもすみれさんも。
しかし、事態は思わぬ方向に進んで行く。
男はシロだった。
真犯人は別にいた。
そして、最悪の結末が待っていた。
真下が。
撃たれた。
To be continude
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ほほほ。(意味のない笑い)
あ〜、上がり寸前で振り出しに戻るって感じですか。
ま、うちの青島君は恋愛に関しては臆病者ですから
当分うじうじしてもらいましょ。
と、いう事でまだまだ続きます。(やれやれ)
あ、今回室井さんサイドがない!
じゃあScene8はMサイドからいってみよー!