The Dear Memorys


 

Memory 2 ― SUMIRE

 

 窓の外には、穏やかな秋の陽射し。

 相変わらず賑やかではあるが、どこかのんびりとした空気を漂わせている湾岸署刑事課内で、

 刺激の無い単調な仕事と、窓の外から差し込む午後の光に眠気を誘われながら、白い紙の上

に一定のリズムでペンを走らせる。

 書いているのは、昨夜発生した窃盗事件の報告書。

 書類が一段落着いたところで、握っていたペンを机の上に放り、大きく伸びをする。

「はい、すみれさんどうぞ」

 良いタイミングで掛けられた声に振り向くと、そこには暖かな湯気と香気を漂わせたコーヒーを

笑顔で差し出す柏木雪乃の姿が在った。

「あ、ありがとー。丁度コーヒーが飲みたいなぁって思ってところだったのよ」

 差し出されたコーヒーを受け取り、雪乃に笑顔を返す。

 受け取ったコーヒーの温もりを両手に感じながら耳を澄ます。聞こえてくるのは様々な雑音。

 賑やかな雑多な音に混じり、少し開いた取調室の扉から、先程帰ってきたばかりの青島の声が

漏れ聞こえてきた。

 『反省しろ』と言う彼の声と、『反省してます』と言いながら、全く反省の色の無い犯人の声。

 いつもの遣り取り。

 日常の風景。

 熱いコーヒーを一口飲みながら、書きかけの書類に目を落とす。

 書面の上に踊っている、書きなれた『窃盗』の二文字。

 これで一体何枚目の報告書になるのだろうか。刑事になってから、一体どれ位の事件に関わっ

てきたのだろう…。

 どんなに努力しても、いつまで経っても減らない、それどころかますます増えていく犯罪の数。

 途切れる事無く発生する犯罪に追われる毎日。

 一度だけではなく、二度三度と犯罪を繰り返す者もいる。好転するどころか、悪化の一方を辿る

犯罪事情。

 繰り返す日常。

 変わらない毎日。

 変わらない人間たち。

 意識しない深い溜息が、毀れた。

「どうしたんですか?」

 空いていた隣の席に座り、コーヒーを飲んでいた雪乃が、すみれの溜息を聞きとがめて声を掛

ける。

「ちょっとねー。なんか疲れたなーって…」

 マグカップを両手で抱えたまま、立ち昇るコーヒーの香気を顎に当てぽつりと呟く。

 毎日同じ事の繰り返し。

 出口の見えない迷路にも似た閉塞感。

 何を如何すれば良いのか。

 何処に向かえば良いのか。

 何も判らない。

 再び毀れる溜息。

 カップをデスクに置き、再びペンを取る。

 入りきらない気合いをなんとか入れて、書類に向き直ろうとした時だった。

「……!?」

 白い紙の上に毀れてきた鮮やかな色の塊。

 驚き、手にしたそれは、様々な色の包装紙に包まれた沢山の飴玉だった。

「疲れたときには、甘いものが良いそうですよ」

 顔を上げた先には、にっこりと笑った雪乃の笑顔。

「これ…?」

「青島さんが、駄菓子屋さんのお婆さんからもらってきたんですって」

 そういえば…と、先程帰ってきた時の青島の姿を思い出す。

 どこかの店に犯人と共に乱入したとかで、擦り傷切り傷だらけで。

 商品もかなり破損したらしく、帰ってくるなり袴田課長に長々と説教をくらっていた。

 『また怒られた』と、子供みたいに笑っていた彼。

 一応反省はしていたようではあるが、おそらくそれだけだろう。

 反省はする。悔みもする。

 だが、彼の本質は変わらない。

 自分の思い通りに。

 純粋に、ただ真っ直ぐに前だけを向いて突っ走る。

「実はあの後、その駄菓子屋のお婆さんから電話があったんですよ。『あの若い刑事さんは大丈

夫でしたか?』って」

 傷だらけになりながら犯人を逮捕し、自分の怪我の事より、周りの事ばかり気にしていた青島の

事が気になったと老婆は語った。

「…青島君らしいね」

「はい」

 そのときの情景が頭に浮かび、雪乃と二人で笑いあう。

 笑顔のまま落とした視線の先には、色とりどりの飴玉たち。

 白い紙の上に散らばった飴玉を一つ手に取る。

 包装紙を解き、口に含んだ赤い飴は、甘かった。

 洗練された上品な味ではない。それでもその甘味は、子供の頃の懐かしさを伴ないながら、優し

くすみれの口の中に広がった。

「…美味しいね」

「はい」

 全身を包んでいた閉塞感は、何時の間にか消えていた。

「さあ、頑張るぞっ!」

 気合いを入れてもう一度ペンを取る。

 残された白紙を埋めるべく、もう一度書面に向かい合った時だった。

 ふいに鳴り響く事件通報。

 放送が終わるか終わらないかの内に、取調室から飛び出してくる長身の影。

「魚住さん!先に行きますよ」

「あーはいはい」

「あ、青島君!」

 椅子に掛けっぱなしだったコートを手にした青島の動きが止まる。

「頑張ってね」

 不思議そうな顔ですみれを見詰めていた青島の顔に笑顔が浮かんだ。

 そのままコートを羽織り、外に飛び出していく。

 その時、羽のようにはためいたコートのポケットから、小さな青い光がこぼれ落ちた。

「…?」

 足元に転がってきたそれをすみれの手が拾い上げる。

 指先に摘まれたそれは、深く澄んだ青緑の硝子玉。

「ビー玉?」

 何気なく陽に翳したビー玉から、青く染まった秋の光が毀れる。

 どこか懐かしさを感じさせるその色。

 ふと、子供の頃のことを思い出す。

 信じていればなんでもできると信じていたあの頃。

 その心を今も持ち続けている青島。

 自分は…?

 あの時の真っ直ぐで純粋な心を、自分は何処に置き忘れてしまったのだろう。

 考え込んだすみれの耳に、自分を呼ぶ中西の声が聞こえた。

「恩田くん恩田くん恩田くん!三丁目の質屋で、手配中の宝石が出たって。今すぐ武君と行ってき

て!」

「はーい!」

 書きかけの書類を片付け立ち上がる。

 視線を感じ振り向くと、自分を見詰める雪乃と目が合った。

「…負けていられないよね」

「そうですよ」

 小さく呟いた言葉に、雪乃が大きく頷く。

 雪乃と二人、もう一度笑いあう。

 澄んだ硝子玉を青島のデスクの上にそっと置き、外に向かって駆け出していく。

 先程までの惰性だけの義務感は、もう感じない。

 代りに心の中に湧き上がってくる、まったく別の種類の心地良い義務感。

 自分がやるべき事。

 自分がやらなければならない事。

 自分が選んだ事。

 立ち止まってはいられない。

 何も変わらないからと、何もしなければ何も変わらないまま。

 出口が無いなら作ればいい。

 失くしたのならもう一度手に入れればいい。

 それだけの事。

「いってきまーす!」

 駆け出したすみれの背後、散らかった青島の机の上で。

 青い光が小さく煌いた。