The Dear Memorys
Memory 3 ― WAKU
青島が飛び出していき、すみれが出かけ、静けさを取り戻した刑事課に、一人の刑事が帰って
きた。
愛用の古い帽子とコートを手に、腰を叩きながら課内を歩く男の鞄が、同僚の刑事のデスクに
ぶつかった。
鞄がぶつかった際の軽い振動に、散らかし放題だったデスクの上で、小さな青い光が揺れて下に
毀れ落ちる。
毀れ落ちた光は、そのまま歩く男に着いていくように転がり、彼の足に当たって止まった。
「……なんだ?」
足を叩く微かな振動に屈み込んだ男の手が、自分の足を叩いた小さな犯人を捕まえる。
「ビー玉?」
摘み上げられた無骨な男の指先で、青い光が煌いた。
「あー、和久さんお帰り」
「はいよ、今帰ったよ」
抱えていた荷物を机の上に放り、声の方に向き直る。
「裏付けごくろーさん。指導員なのに、こき使っちゃって悪いねぇ〜」
「そう思うなら、ちっとは仕事減らしてくれや。年寄りはもっと大事にするもんだ」
「まあまあまあ」
和久の悪態をいつもの調子で軽くかわし、手にしていた番茶入りの湯飲みを和久に渡す袴田。
和久もそんな彼に、いつものことかと苦笑しながら、それ以上何も言わず湯飲みを受け取る。
と、袴田が和久の右手に握られていた硝子玉に目を留めた。
「あれぇ?随分懐かしいもの持ってるじゃない」
「あ?ああ、これかい?そこに落っこちてたんだよ」
そう言って握ったままだったビー玉を袴田に渡す。
彼は受け取ったビー玉を、掌で転がしながら懐かしそうに見詰めていた。
「懐かしいねぇ。昔はよくこれで遊んだんだよね」
「課長もかい?俺も昔はよくやったよ」
「こう見えても結構強かったんだよ。いろんな奴と勝負してさ…」
「俺だってそうさ。滅多にねぇ大玉も結構持ってたんだぜ」
「そうそう、大玉!あれ持ってるのが自慢だったんだよね。懐かしいなぁ」
「二人で何の話してんですか?」
年配二人でのビー玉談義が盛り上がりかけた丁度その時、二人に負けるとも劣らない呑気な声
が背後から聞こえてきた。
「なんだ、お坊っちゃんいたのかい」
「いたのかって…和久さん酷いですよ!こっちは青島先輩に押し付けられた取調べがやっと終わ
ったばかりで疲れてるのにぃ」
「取調べ一つで疲れてんじゃねぇよ。いい若いもんがそんな事でどうすんだ」
「ほっといてください」
「まあまあまあ」
平穏な刑事課に、緊張感の欠片も無い三人の呑気な会話が響く。
穏やかな秋の日の午後。
湾岸署は限りなく平和だった。
「でも、ホント二人で一体何の話をしてたんですか?」
好奇心丸出しの真下の顔に呆れた顔を浮かべつつも、袴田の手の中にあったビー玉を真下に
渡してやる。
「こいつの話をちょっとな」
「あれ?これって青島先輩の…」
「青島?」
青島とビー玉との繋がりが読めず困惑する和久に、真下は先程の逮捕劇の事を伝える。
聞き終わった和久は、大きな溜息を一つ吐くと、呆れたように呟いた。
「…ったくよ、あいつはいつまで経ってもちっとも成長しやがらねぇんだな」
「まぁ、青島先輩ですから」
妙に悟りきったような真下に同調するように、諦めきった顔で何度も頷く袴田。
「青島君は、この先何が起ころうともずっとあのままなんだろうねぇ」
「それが良いのか悪いのか…」
「どっちにしても、青島先輩ですからねぇ」
そういいながら三人でしみじみと頷きあう。
いつまで経っても変わる事が無い、永遠普遍の存在。
まるで手の中のビー玉のように。
「そういえば、前から聞きたかったんですけど、和久さんの若い頃ってどんなだったんですか?」
「俺の若いころかぁ?」
何の前触れも無い真下の質問に戸惑いながらも、腕を組み考え込む。
しかし若い頃どんなだったのかと突然尋ねられても、早々直ぐに答えられるはずも無く。
「如何って言っても…。今とあんまり変わってねぇよ」
「そうなんですか?」
期待が外れたのか、少し残念そうな真下の声を聞きながら、先程の質問をもう一度噛み締めて
みる。
若かりし昔。
血気盛んに、理想に燃えて働いていたあの頃。
現実の厳しさも、壁の厚さも何一つ解っていなかった。
ただ、一途に夢を追いかけていたあの頃。
夢はいつも自分の目の前に在った。
追いかけていれば、いつかはきっと夢を手に入れることができると信じて。
だが、その夢はいつのまにか自分の目の前から消えてしまった。
いや、自分の方から追いかけるのを止めてしまっていた。
自分は、一体何時から夢を追うのを諦めてしまっていたのだろうか。
「和久さん?」
「…んー、なんでもねぇよ」
そう力なく呟いて、真下から再びビー玉を受け取る。
年齢を重ね、節くれ立った手の中で、陽の光を受けて青く透き通る小さな玉。
昔、子供の頃に夢中で遊んだあの頃と変わらない深く澄んだ青緑。
時代が移ろい行く中で、決して変わらないものがここにある。
2年前。
同じ秋の陽が差し込む休憩室で、交わされていた会話を思い出す。
交わしていたのは二人の男。
立場も性格も違いながら、同じ理想に燃えた者同士。
そしてそれは昔自分が友人と共に語ったものと同じ、夢。
一度自分が諦めた夢を継ぐ人間がそこにいた。
夢は消えてしまったわけではなかった。
夢はいつも自分の目の前にあったのだ。
長い月日が過ぎ、夢を追う脚は衰えてしまった。
もう昔のようには走れない。
だが、まだ終りじゃない。
夢を追うことはもう出来ないかもしれないが、それを手伝う事はまだ出来る。
いつまでも決して変わらないものがここにある。
「…やっぱり、今も昔も同じだって事だよな」
「はいー?なんか言ってる事がよくわからないっすよ」
「坊っちゃんには、まだ解らなくてよろしい」
「えー、ちょっと和久さん!」
拗ねた声で、不服を申し立てる真下を無視して、その手にビー玉を握らせる。
「まあ、お前も頑張れや」
そういって、肩を叩いて背を向ける和久。残された真下は、首を傾げながら掌の中のビー玉と、
和久の背中を何度も見比べていた。
振り向き、肩越しに見えたその姿に、和久の顔に苦笑が浮かぶ。
「ああいう頼りないのがいるから、年寄りがいつまでたっても引退できないんだよな」
「そうだよー。和久さんには、まだまだ頑張ってもらわなきゃ」
「あんたもな。お互い老け込んでる場合じゃねぇや」
「まったく。皆が一人前になるまで、おちおち年も取っていられないよねぇ」
「まったくだ」
そう言って二人で笑いあう。
次代の人材を育て、夢を託す。
決して変わらないものを伝えていく。
今は無理でも、きっといつか夢は叶う。
「さあて、まだまだ若いもんには負けてられねぇな」
呟いて見上げた空は、柔らかな秋の夕暮れの色に染まり初めていた。