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第一章(1)
賑やかなネオンの光の下で、ひっそりと隠れる様に佇む小さな店。
アンティークのライトから程よく落とされた証明が店内をそっと照らし、小声の会話を邪魔せぬ様に
絞られたBGMが静かに店内を流れる。
取り立ててサービスが良い訳ではない。絶世の美女がいる訳でもない。
むしろ、地味で目立たない小さなバーだった。
それでも、ここを訪れる者は少なくない。
ここは言うなれば、秘密の隠れ家。
誰もが心の奥底に持っている、たった一人になれる場所。
ここはそんな店だった。
静かな店内にクリスタルのグラスがぶつかる澄んだ音色が響く。
奏でたのはカウンターに座る一組の客。
一方は一部の隙のない身のこなしに、静謐なる雰囲気を漂わせ。もう一方は着崩したスタイルの、
まるで夏に吹く風にも似た鮮やかな笑顔の持ち主。
大地と風。
静と動。
まるで対照的な雰囲気を漂わせた二人。
室井慎次と青島俊作。
昨年末、その事件の大きさと犯人の意外性において、世間を賑わせたある事件の立役者達で
ある。
事件を解決に導き日本警察の威信を守り、的確な判断と勇気ある行動の持ち主として、世間から
好奇と賞賛を受けた彼等の代償は。
室井の降格処分と、青島の全治三ヶ月にも及ぶ重傷であった。
あれから半年。季節が夏に変わろうとする頃、事件の主役達はようやく静かな時間を過ごすことが
出来るようになっていた。
「久しぶりですよね。こうやって二人でここに来るのって。確か最後に来たのは俺がロスから帰って
きたときだったから…」
火の点いたタバコを持った手で、グラスに半分ほど残ったブランデーを口に運びながら、のんびりと
青島が言う。
青島がロスに研修で行っていたのは、年末の大事件より更に半年前。去年の初夏の事だった。
あれからおよそ一年。
本当にいろいろな事があった。
秋に起こった放火殺人未遂事件。
犯人の女性を巡り二人の間に入った亀裂。
そして続けて起きたあの大事件。
誤解と不信に離れ離れになっていた二つの心をもう一度、しっかりと結び合わせてくれた事件でも
あった。
長いようであっという間の一年。
お互いに身も心も傷だらけになった一年だった。
「ホント色々あったよなぁ。一生分の経験を一年でした気分っすね」
「特に、お前は一度死にかけたしな」
「そーでした」
頭を掻きながら笑って答える青島に、あの時の青島が重なる。
被疑者の母親に刺され、床に倒れ伏していた青島。
彼の血に紅く染まったグリーンのコート。
咽返るような血の匂い。
担ぎ上げた身体の冷たさ。
その身体から流れ出る血の熱さ。
――室井さん…俺いなくなっても…。
彼が死んだと思ったときに感じた、自分の存在が危うくなるほどの絶望感。
何に対してか判らない、やり場の無い怒り。
悲しみ。
そして。
(……!?)
突然湧き上がった、自分でも理解できない心の動きに戸惑う。
「室井さん?…どうしたんですか?」
「い、いや。なんでも無い」
急に押し黙った室井を心配してか、顔を覗き込んでくる青島から慌てて視線を逸らす。
動悸は、まだおさまらない。
「なら良いんですけど…。もしかして仕事で疲れてたんじゃないかなぁって」
「いや、大丈夫だ。…その…少し、考え事してただけだ」
「考え事?」
「ああ。でも大したことじゃない」
「なら良いっすけど。…室井さん今度、一課の理事官になるじゃないですか。その引継ぎとかで忙し
かったんじゃないかなーって…」
少しうな垂れて語る青島の台詞に驚く。
今だ確定事項ではないが、今度の人事にて半ば決まった室井の昇進。知っているのは上層部と
ごく一部のキャリアだけのはずだった。
「知っていたのか?」
「湾岸署には、キャリア限定ですけど最高の情報屋が居ますから」
「…真下君か。……確かに最高の情報屋だな」
「でしょ?」
苦笑混じりの室井に、先程のうな垂れていた姿は何処へやら。まるで悪戯が成功した子供のような
顔で青島が笑う。
第一方面本部長の息子で、本店支店に多くの同期キャリアを持つ真下の情報は、内容情報量とも
になかなか侮れない物がある。今回の室井の昇進も本店の人事課に勤務する同期経由で真下に
よってもたらされた物だった。
「…済まなかったな。本来なら真っ先に君に告げるべきだったんだが…」
「いいんですよ。室井さんもいろいろ忙しかっただろうし。…俺も色々あったし。こうやってまた二人で
飲める時間が持てたこと自体が奇跡みたいなもんですから」
「…そうだな」
あれから約半年。
昨年末に起こったある一つの事件。
その事件こそが。
『副総監誘拐事件』。
室井と青島の、そして後に警察組織を大きく変える事になるきっかけとなった事件だった。
警視庁のbQである副総監の誘拐劇と、インターネットを介しての未成年者達の、犯罪意識の
ない…まるでゲーム感覚な犯行。
事件後、各メディア及びマスコミ各社は、挙ってこの前代未聞の事件に飛びついた。
その報道は事件の内容や関係者だけに留まらず、事件に対する警察トップの判断の甘さと事件後
の対応にまでおよび、特に逮捕の際に現場を撹乱し挙句の果てに一部のキャリアに全責任を押し付
けた上層部のやり方は、警察組織批判の恰好の的になったのである。
むろん事件の中心人物である室井と青島も例外ではなかった。
彼等は無能な上層部に代わり、身を挺して事件を解決した英雄として取り扱われ、大手新聞社から
フリーのライターまで、彼等の取材の為に職場どころか青島の入院先にまで毎日押しかけてくる始末
だった。
彼等の過剰な取材攻勢が沈静化したのは、事件が終ってから実に三ヶ月以上も経ってからだった
のである。
そんな二人に精神的にも肉体的にも苦痛を強いたマスコミの取材合戦だったが、たった一つだけ
彼等にとって良いことをもたらした。
それが今回の室井の昇進だった。
室井を現警察組織のアンチテーゼとして英雄視し、不条理な降格処分を受けた悲劇の指揮官と
して書き立てたマスコミと、それに煽られた世論による度重なる警察組織非難に根負けした上層部
が、ついに自分たちの非を認め、室井の降格処分を取り消したのである。…むろんその昇進の影に
この事件のもう一人の主役、吉田副総監の姿があったことはいうまでも無いが。
「何はともあれ、現場復帰おめでとうございます!!」
まるで自分が昇進したかのように、嬉しそうに手にしたグラスを掲げる。
「有難う。それから…かなり遅くなってしまったが、君も現場復帰おめでとう」
「…え?」
「君が退院してからも会う機会が無かったからな。ずっと祝いを言いそびれてた。…だがやはり、
ちょっと遅すぎたな」
有難う、という室井の言葉に驚いたままの青島を横目で見ながら、流石に時期を外し過ぎたかと
苦笑する。
「そ、そんなことないっすよ!!有難うございます。…俺、ホントにうれしいっす…」
ぱたぱたと両手を振り慌てて礼を言いながら、アルコールのせいか照れのせいかほんの少し頬を
赤く染め、頭を掻きながら俯いてしまう。
そんな自分の感情を隠さず、ころころと子供の様に変わる彼の表情を見ているうちに、滅多に
現れることの無い室井の中の悪戯心がほんの少し顔をのぞかせた。
室井は咳払いを一つすると、改めて俯いたままの青島のほうに向き直り、少し芝居掛かった調子で
話を続ける。
「本当はな、ちゃんと見舞いにも行って、色々話もしたかったんだが、何処かの誰かが見舞いに
来たら蹴りを入れ追い返すと言ったのを聞いたおかげで…」
「あ、あれは!その時の会話の勢いで…!だから、その…あれは俺の本心じゃなくって……ほんとは
来て欲しかったって言うのが本心で……って、………なんで室井さんがそんなこと知ってんですか?」
「ああ、聞いていたからな」
あの時、病院の廊下で担当の看護婦と話していた事。
一刻も早く復帰したいという思いと、思うように動かない足と体に挫けそうになる自分自身を半ば
励ます為に言った事。
あの後、偶然見舞いに来た和久以外には他の誰にも言ってはいないし、聞かれてもいないはず
なのだが…。
それをなぜ室井が知っている?
「き、聞いてたって…もしかして和久さんから…?」
「いや、違う」
「じゃあ、真下…?」
「それも違う」
「それじゃ、一体…」
「青島から直接聞いたんだ」
「はぁっ?」
予想外の答えに、一瞬目が点になる。
そんな青島のほぼ予想通りの反応に、からかう室井も笑いを抑えきる事が出来ない。
「あの時、丁度病院に寄った時だったな。お前が看護婦と楽しそうに廊下で話していたのを…」
「…聞いちゃったんですか?」
恐る恐る問い掛ける青島に。
「ああ。聞いちゃったんだ」
これまた滅多にお目にかかることの出来ない人の悪い微笑で応える室井。
「えええええっ!!!」
青くなったり赤くなったりしながらジタバタと暴れている青島に、室井の笑もますます深くなって行く。
「まぁ、あれが本心じゃなかったと聞いてほっとした。それに肝心の本心も聞くことが出来たしな」
「……!!」
今度こそ決定的に真っ赤になってしまった青島だった。
あの時。
強がって室井に見舞いに来なくても良いなんて言った青島の…本心。
本当は…。
ずっと心細かったのだ。
手術が終ったばかりで満足に動かない体。
傷の位置が悪く、一時は現場復帰も危ぶまれたほどだった。
本当は傍に居て欲しかった。
傍に居て落ち込みそうになる自分を励まして欲しかった。
だが、それは決して望んでははいけない事だったから。
自分のせいで降格された室井にこれ以上迷惑を掛けたくなかった。
それに…恐かった。
自分でもよく判らなかったが、これ以上室井の傍にいる事が恐かったのだ。
室井の優しさが、堪らなく恐かったのだ。
――青島!確保だ!!
誘拐事件の犯人確保の際、上層部を無視してまで青島を犯人確保に向わせてくれた室井。
室井を信じ、彼に向けた信頼に全力で応えてくれた。
嬉しかった。
彼を信じ続けて良かったと思った。
だが、ふと思う。
あの時自分が室井にぶつけた様々な思い。
押さえきれない感情の渦。
身勝手な上層部に対する怒りや不満。
彼を信じたいという気持ち。
彼なら応えてくれるという…希望。
それだけ…だったのだろうか。
――約束する!
暗闇に飲まれる寸前に聞こえた声。
心に湧き上がったあの想い。
あれは…?
あの時から。
決して開けてはいけない扉の前で。
青島は一人、形の無い何かに怯え続けている…。
「あおしま?」
ジタバタと慌てふためいていた青島が、何かを考え込むかのように急に静かになってしまった。
先程とは逆にすっかり黙り込んでしまった様子に、流石にからかい過ぎたかと心配になった室井が
声を掛ける。
「あ、なんでもないっすよ!…ああもう、室井さんが急にヘンな事言い出したりするから!」
思考の淵に入りこんでいた青島は、室井の声に過剰に反応する自分を感じてますます動揺して
しまう。なんとか誤魔化す様にふざけた調子で言ってはみたものの、心配そうに除きこんでくる
室井の至近距離の顔に、ますます頭に血が昇ってくる。
「…顔、赤いぞ?」
「ち、ちょっと暑くなっただけです!」
「そっか?」
「そうですっ!!」
真っ赤な顔でむきになる青島に、再び室井の顔に笑顔が浮ぶ。
「もう、何笑ってんですか!」
「いや、だってなぁ…」
「あー、もう知りませんっ!!判りました。今日は室井さんの奢りっ!」
「お、おい。なんでそうなるんだ?」
「俺のこと、散々からかった罰です。謝ったって許しませんからね」
なんだかに妙な方向へ話が逸れて慌てる室井に、涼しげな顔の青島が反撃した。
「俺、給料日前でちょっと苦しいんですよねー」
にっこりと笑い、上目遣いで覗きこんでくる青島。無邪気な子供のような笑顔に降参する。
「判った判った。でも、お前の場合は給料日後も…だろ?」
「あーっ、ひでーっ!!」
二人の顔に再び笑顔が戻った。
それから暫く談笑した後、店を変えようと室井と青島が席を立った時だった。
まだまだお友達状態の二人。
自分の気持ちに気付かない青島君。
鈍すぎ…。