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第二章(1)

 

 真っ白い紙の上に、ぽとりと落ちる灰色の塊。

 白と灰褐色。

 鮮やかなコントラストを描く二つの色。

 なんとなく目が離せなくて、暫く見詰め続けて…。

「うわ―――っ!」

 我に帰り、慌てて両手で払うが時すでに遅し。

 真っ白だった紙には、小さな茶色の焼け焦げが出来ていた。

「っちゃー…」

「如何したの?」

「なんかあったんですかー?」

 青島の声に背後に座るすみれと向いの真下が覗き込んでくる。

 二人が覗き込んだ先にあったのは、小さな焼け焦げの付いた書きかけの報告書。

「あらららら」

「もう、何やってんですかぁ」

「……これ…やっぱり書き直し…?」

「とーぜんです!」

「…あーあ」

 がっくりと肩を落とした青島の溜息交じりの声に、すみれの呆れたような声が重なる。

「ぼーっとしてるからでしょ。ま、良かったじゃない。書き直しって言ってもまだ殆ど書いてなかったん

だしね」

 机の上の報告書を手に取り、青島の顔面でひらひらと振って見せる。

 すみれの手の中で、ほんの数行書かれただけの報告書が踊る。

「何言ってんですか。ちっとも良くないですよ!それ今日中に本店の室井さんの所に持っていかな

きゃ僕が叱られるんですよ!」

 真下の口から出た室井の名に、微かに反応する青島。

「…如何したの?」

「え?…別になんでも無いよ」

「ふーん。なら良いけど?」

 目聡いすみれに驚きつつも、本心を笑顔で包み込み防御する。

「とにかく早く書き直してくださいね!書き上がるまで昼食抜きです!」

「えーっ!!、そりゃないよーっ!」

「そんな顔したって駄目です!」

「真下係長殿〜」

 いつに無く強気な真下に怯みつつも、おどけた調子で応えてみせる。いつものように。

 …今だ収まらない動悸を隠すために。

 

 名前を聞いただけで高鳴る心臓。

 過剰な反応。

 何時からなのだろう?こんなに室井の事が気になり始めたのは。

 気が付けば何時もあの人の事を考えて。

 あの人のことを追い続けている。

 最初から?

 いや違う。最初は憧れだけだった。

 じゃあ…何時から…?

 胸の動悸は。

 収まらない。

 

 

「ああもう!仕事仕事!!」

 嵌り込みそうになった思考の淵から無理矢理現実に意識を引き摺り上げる。

 両手でぱんっと頬を叩いて、バインダーに鋏まれた白紙の報告書を取り出し、気を取り直して

書類書きをしようとしたその時だった。

「ねぇ、室井さんと何かあったの?」

 突然耳元に響くすみれの声。予想もしてなかった背後からの声と会話の内容に、心臓が

これ以上は無いというほど跳ねあがる。

 驚き硬直した指先から零れ落ちたボールペンが、意外なほど大きな音を立てて床に転がった。

「な、なななななんだよ急にっ!!」

「あ。動揺してる」

「あ、あったりまえでしょっ!急に耳元で何か言われたら誰だって…!」

 いきなり何の前触れも無く耳元で囁かれたら誰だって驚くに決まってる。

 全く、突然何を言い出すのか。と、暴れる心臓を宥めつつ彼女に聞こえない様に小声で言い

ながら、取り落としたボールペンを拾おうと机の下にもぐりこんだ時だった。

「…なーんだ。てっきり室井さんと喧嘩か何かしたんだとばかり思ってたのに」

「……!」

 再び聞こえたすみれの声に、机の下に潜り込んでいる事も忘れ、思いっきり頭を上げ。

「……ってぇーっ!!」

「あらら。なにやってんだか」

 思いっきりぶつけた後頭部を抱えながら、涼しげな顔をしているすみれを睨む。

「…もう、さっきから何変な事いってんの!俺と室井さんが喧嘩だなんて、一体何処からそんな

発想が出て来る訳!?」   

「何処からって、青島君を見てに決まってるじゃない」

「だから、なんで!?」

「…昨日青島君、室井さんと一緒だったでしょう?」

 座ったままで椅子を引き摺りながら近付き、青島の耳元で囁く様に言う。

「なんで知ってんの?」

 再び暴れ出す心臓。

「昨日、偶々私もあの近くで友達と飲んでてね。その帰りだったかな?青島君と室井さんが並んで

歩いてたのを…」

「…見たんだ?」

「そっ、偶然ね。その時は二人ともすっごく楽しそうな様子に見えたのに、何故か今日の青島君は…」

 朝から暗い表情で溜息ばかり。仕事にも全く集中出来ていない様子で。

「で、もしかしたら室井さんと、あの後で何かあったんじゃないかと思って」

「……」

 

 あの後。

 偶然再会した時田達と一緒に飲んで。

 そして、突然席を立った室井。

 明日の朝早くから会議があるからだと、そう言っていた。

 だけど。

 無機質に顔に貼り付いた笑顔。

 型通りの言葉。

 そして、決して振り向かなかった室井。

 仕事のせいだと、たしかに彼はそう言った。

 だが、本当にそれだけだったのだろうか…?

 

「あおしまくん?」

「…なんでもないよ。ホントにね。昨日は喧嘩なんかしてないから」

 本当にただの喧嘩だったら、まだマシだったのかもしれない…。

 少なくとも喧嘩ならば、その理由ははっきりしている。

 だが、今心の中に蟠っている思いがなんなのか、まったく解らない。

 ただただ不安で、心細くて…。

 そして、微かに感じる痛み。これは…何?

 

「ホント?ホントに喧嘩じゃないの?」

「ホント。今日ぼーっとしてたのは…課長には内緒だよ?じつは、昨日久しぶりにちょっと、

飲みすぎちゃってさ」

「えーっ、なになに?それってただの二日酔いって事?」

「そういう事」

 再び本心を笑顔で隠して防御する。本当はちっとも酔ってなどいなかったけど。

「…ふーん。なーんだ心配して損しちゃったなぁ」

「あ!もしかして俺の事心配してくれてたわけ?」

「だってねぇ。青島君が元気無いと…」

「元気無いと?」

「不気味なんだもん」

「なんだよそれ!」

 けらけらと笑って言うすみれにむくれて見せる。

 いつものような無邪気な応酬。周りで聞いている者達からも笑いがこぼれる。

 穏やかな日常の、いつもの風景。

 すみれも二日酔いという青島の嘘に納得したのか、それ以上室井の事を聞いて来ない。

 気を許した仲間達との楽しい会話が心の中の霧を、ほんの少しだけではあるが晴らしてくれた。

「さぁ!無駄話はこれくらいにして。皆さん張り切ってお仕事お仕事!今日も一日頑張って

いきましょーっ!!」

「…そんなに張り切らなくても良いですから、早く報告書書いてくださいね〜」

「わかってるって」

 デスクの向こう側から聞こえてきた情けない声に応えつつ再びペンを走らせる。一週間程前に

起きた放火事件に関する報告書を書くために。

 

 ふと、白い紙を走るペンが止まる。

 一行だけ書かれた文字に視線が釘付けになる。

――放火殺人未遂事件。

 

 書かれた文字を見つめるうちに蘇ってくる辛い思い出。

 あの秋、お互いにほんの少しだけ言葉が足りなかったせいで二人の間に大きく入った亀裂。

 そのきっかけとなった事件も放火事件だった。

 あの時、ただ一言も交わす事無く、全身で周りのもの全てを否定し背を向けた室井。

 応えて欲しくて、振り向いて欲しくて何度も名前を呼んだけど、彼は決して振り向かなかった。

 あの時の姿が昨日の室井と重なる。

 彼が背を向けて歩き出した時、青島は後を追う事が出来なかった。

 あの時と同じように、室井の背が青島を拒んでいた。

 近付く事さえ許さないように見えた。

 その証拠に、彼は一度も青島のほうを振り向かなかった。 

 姿が見えなくなるまで、ただの一度も。

 まるであの秋のように…。

 

 

 昨夜。いつもの彼らしくない態度。

 それに。

 瞳の向こうに一瞬だけ見えたもの。あれは一体何だったのだろう?

 ずっと心に引っ掛かって離れない。

 何も言わない室井。

 何も聞かない自分。

 

 答は何処に…?

 

「ああっ!もう止め止めっ!!!」

 再び思考の迷路の奥深くに入り込みそうになる自分を何とか押し止める。

 大きな深呼吸を一つ。手の中のボールペンを放りだし、いすの背凭れに体を預けて天井を

仰ぎ見る。

 青島の体重を預かる事になった背凭れが、抗議の音を上げるの聞きながら目を閉じた。

 

 いくら考えても判らない。

 何故こんなに気になるのか。

 何故こんなに切ないのか…。

(室井さん…)

 晴れない霧。抜け出せない迷路。

 頭の中に室井の背中だけが浮んで消えない。

 

「ん?」

 と、瞼の向こうに感じていた蛍光灯の光が何かに遮られ影になる。背後に立った誰かの気配に、

ゆっくりと目を開けると…。

「…げっ!!」

「せ〜〜〜んぱ〜〜〜い。止めないでくれます〜〜〜ぅ?」

 青島の背後から覆い被さる様に覗き込む、真下の引き攣りまくった笑顔。

 気のせいかその更に向こう側に、おどろ線まで見えるような気がして。

「は、ははははは…。やだなぁ、そんなカオしちゃって…」

「……せ〜〜んぱ〜〜いぃぃぃぃぃぃ」

「…判った、判りました!…お仕事します!させて頂きますっ!」

「出来るまで外出も禁止ですからねっ!!」

「そんな〜〜〜!」

 半泣きになりながら、今度こそ本気で報告書に向う青島だった。

「……何処が何でもないっていうのよ……嘘吐き」

 必死にペンを走らす青島の耳に、小さく呟いたすみれの声は届く事は無かった。

続く


悩める青島君の巻(笑)

でもシリアスになりきれないのはなぜでしょう(大笑)

それにしても相変わらず鈍い青島君。

すみれさんの方がよっぽど鋭いぞ。